まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

咲く花の白さ恋しき睦月尽

2022年01月31日 | 時には日々是日

 1月31日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は4.5度から9.3度、湿度は78%から50%、風は1mから5mの西北西の風が少しばかり。明日の2月1日のさぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇る見込み。

 

 収縮期100mmhg、拡張期59mmhg、脈拍78bpm、体温36.5c/酸素濃度98%/体重64.8Kg 室内気温20.9c/室内湿度27%/気圧1018hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:03分、日の入りは17:31分 月齢は28.4 中潮。

 

 先月の12月22日が冬至だった。その時の日の出は07:06分、日の入りは16:58分 だったから、日の出は3分ほどしか違わないが、日の入りが33分ほど早くなってきて、日が暮れるのが遅くなってきた。

 

 さて、頼まれていた「家系図」が、本当に正しいのか、友人に確認してもらうために郵送することにした。メールに添付しようかと思ったらアドレスがわからない。メッセンジャーで送ろうと思ったが、画像はやったことがあるがデータはやったことがない。

 

 いつものことだが、郵便料金がわからない。料金もコロコロと変わってばかりだから、覚えておいてもわからなくなる。で、その都度「郵便料金」で検索して確認するのだけれど、この場合は120円でいいということだったのでそうしたのだけれど、

 

 郵便局屋さんでは、「1グラム重いので20円の不足になります」という。1グラムくらい、なんとかしてくれればいいのに、そういうところは頑固一徹である。普通の定形郵便物だと秤で量れるのだけれど、大きい封筒だときれいには計れない。だから1グラムなんぞは気がつかない。

 

 でも、48円だの52円だのと言う半端な数字の切手が多い。63円という切手もあったかな。

 

 で、今日が月末だというので、通帳に「記帳」してもらいに行ってきた。私ら年金生活者はギリギリの生活をしとるもんだで、こまめに「通帳記載」をやって残高を確認しておかないと不安で仕方がない。

 

 で、「小遣い帳」みたいな会計帳簿に記載して管理をしている。残高ばかりが気に掛かる。先日には、「ガスストーブをつけすぎる」とお小言を頂戴したし、「いらないパソコンは切っておいてちょうだい」とも叱られた。でも、残り少ない人生だ。好きなようにして暮らしていきたいものである。

 

 これは、月別に並べて管理するもの。赤字は支払い予定のもの。二月には年金が入るのだから、もう少しの辛抱だ。

 

 さて、「玉子かけご飯」にあいそうな、おいしいタマゴを見つけてきた。そこまでの味が分かるかどうかは怪しいのだけれど。

 

 で、これが「ゆず胡椒」である。玉子かけご飯にはよく合うそうらしい。

 

 で、その「きよら」玉子を割って、よくかき混ぜておいた。ご飯は地元産のおこめで炊きたてである。

 

 その解きタマゴをご飯の上に載せて、シラス、味付けのり、ネギを載せてみた。お醤油は「玉子かけご飯用」のお醤油である。中央左に、「ゆず胡椒」が乗っている。ゆず胡椒は、溶き卵に入れた方がまんべんに行き渡るかなぁと感じた。

 

 これが、今日のお昼になった。うーむ。所詮は、「玉子かけご飯」だなぁと思った。明日は、どんな玉子かけご飯にしてみようか。

 

 今日の掲示板はこれ。いつもお世話になっている善楽寺さんの掲示板にあったものだが、「やがて死すべきものの いま生命あるは ありがたし」というもの。これは法句経『ダンマパダ』にある言葉からで、

 ひとの生(しょう)をうくるはかたく
 やがて死すべきものの
 いま生命(いのち)あるはありがたし
 正法(みのり)を耳にするはかたく
 諸仏(みほとけ)の世に出づるも
 ありがたし
                   (友松圓諦訳)
 ということで、「いのちのとうとさ」について語られているところである。ただ自分の生だけを勝手にするのではなくて、自分の命をいうものにあまり我が儘を言ってもいけないし、で、その中で多くの人のご縁というものを本当に大事にしていかなければいけないことを教えている。普通の言葉で言えば、人生の出会い、そのものである。
 
 
 
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。

春先は人の数だけ鬼がいる

2022年01月30日 | 時には日々是日

 1月30日のさぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていた。気温は4.5度から8.6度、湿度は70%から52%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の31日のさぬき市地方は、寒気の影響で概ね曇る見込み。

 

 収縮期108mmhg、拡張期65mmhg、脈拍79bpm、体温36.5c/酸素濃度98%/体重64.8Kg 室内気温20.6c/室内湿度28%/気圧1018hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:03分、日の入りは17:31分 月齢は27.4 中潮。

 

 最近はよく寝るようになって、20時過ぎから寝てしまっていて、朝方も6:30からのラジオ体操にギリギリに起きた。ま、その間に2時間に一回以上はトイレタイムで起きるのだけれど、夏場なんかには4時前から起きていたように思う。今頃はまだまだ外が暗いから仕方がないと言えばそうなんだろうけれど。

 

 で、相変わらずの「家系図」である。戸籍謄本だの抄本だのを頼りに「ラフスケッチ」しておいたのだが、こればかりを眺めていても仕方がないと、パソコンに入力してみることにした。

 

 ひな形や見本を参照しながら、手探り状態で入力して行ってみる。

 

 でも、そればっかりでは飽きてしまうし、室内ばかりに籠もっているのもストレスが溜るというもの。気分転換にドライブがてら、図書館に寄ってみた。ここは、別館みたいなところだから子供用、家庭用の本ばかりになっている。

 

 で、手近なところにあった本を借りてきたが、何度も何度も読んだ本で、少しも参考にも気分転換にはならなかった。

 

 高松の県立図書館まで行けばいいのだろうが、それも時節柄、面倒だしと諦めた。天気も曇っているし、気温も低い。なんとなくやる気というものが出て来ない。

 

 で、今日のお昼は「TKG」こと「玉子かけご飯」にしてみた。何気なく温かいご飯の上に、生玉子を割って、そのまま食べるという「玉子かけご飯」だったのだが、先日に見たテレビでは、卵を割って、お椀の中でかき混ぜてからご飯に掛けて食べていた。ああ、そういう食べ方って、お寺ではやっていたようだったなぁと思い出しながらやってみた。

 

 そういえば、「TKG」にもいろんなお作法があるのだなぁと思い出していた。お寺の研修では、割った卵の黄身だけをご飯の上に載せて、白身は味噌汁に入れて食べたなぁとか、ご飯の上に醤油をかけてまぜてから、その上に溶いたたまごを掛けるというお作法もあった。たしか、「サンライズ」とかと言ったな。

 

 で、午後からは、作った「家系図」を印刷してみた。形としてはそれらしくなってきた。

 

 でも、本当の家系図というのを見たことがないので、形ばかりを見よう見まねで作っただけだから、「家系図」としてはどんなだろうかと思うばかり。

 

 こういう額装をしてみると、少しはカッコ良くなるかなぁと思って見たり・・・。

 

 こういうファイル形式にするのもいいかなぁと思ったり、でも、巻物にするには「尺が短い」ような気がするし。

 

 二月が近くなったら、鬼のお話ばかりになるが、今日の掲示板はこれ。「ぬけぬけと「鬼は外」とは笑止なり」という、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。調べてみれば、この句は、ある同人誌に投稿された俳句であるらしい。節分の行事は、お寺でも神社でも行われているが、神社では「追儺(ついな)」という行事からの変化らしいが、お寺の節分はそれなりの独自の意義と作法のある法要になる。そんな難しい節分の意義を、一言で表す法語がこれだが、別のお寺では、「ぬけぬけと 「鬼は外」とは その口で」という句を見かけた。上五・中七は同じだが、「その口で」というのが鮮やかかなぁと思ったことだった。私たちは、その口で、「鬼は外」を連呼するけれど、この私自身が鬼ではないか。よくもまぁ、ぬけぬけと言えるもんだわい・・・というようなことだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


蝋梅の咲いて遍路の見えぬ寺

2022年01月29日 | 時には日々是日

 29日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていた。気温は5.5度から10.4度、湿度は76%から48%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の30日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇る見込み。

 

 収縮期112mmhg、拡張期57mmhg、脈拍79bpm、体温36.0c/酸素濃度98%/体重65.0Kg 室内気温20.3c/室内湿度29%/気圧1017hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:04分、日の入りは17:30分 月齢は26.4 中潮。

 

 ああ、冬が来たんだなぁと空を見て思った。今日は市立の図書館でも行ってみようかと思っていたが、そういう元気もなくなった。感染症がひどくなっている時期に出掛けるのもなんだと思うと、どこにも行く気がなくなってしまう。

 

 で、お友達から預かった家系図を整理してみた。大筋は見えてきたのだけれど、なんだか複雑な家系のようで、なかなかに系図がはっきりとはしない。

 

 で、それをどういう形で清書をしようかと思案中。

 

 こういうまっすぐな家系ならば簡単なんだけれど、配偶者が二人いたり、兄弟に養子が入り込んで来たりすると、何が何だかわからなくなってしまうし、表記の仕方が難しい。

 

 外も冬なら、おつむの中も「冬でござんす」、さっぱりとはせずに曇ったまんま。おつむの中に北風小僧が立ちはだかる。邪魔だからどいてと言ってもどいては呉れない。

 

 今度は気分転換に「エンディングノート」を出して来た。

 

 エンディングノートは2年前に作ってはあるのだけれど、2年も経てばいろいろと事情も変わっている。病状も変わってきたし、身体の方も変化してきている。ただ、この原稿が行方不明になっていて、これの更新や編集はできなくなってしまった。

 

 だから、新しい様式で作り直そうとしているのだけれど、帯に短し襷に長し・・・で、適当なものが見当たらない。

 

 こんなことが、本当に必要なんだろうか。私の没後に、こんなものを見ても仕方がないじゃないかと思ってしまう。家族に言い残しておきたいこと、書き残しておきたいことは何だろうかと思ってしまう。

 

 いろいろと調べているうちに、こんなバラの花束が見つかった。そうだ、奥方の大好きなバラの花束だ。

 

 これを、ビデオメッセージの最後に、感謝の言葉とともに、このバラの花束を贈ろうと思いついた。で、それを取り込んで張りつけてみた。

 

 今日のお昼は、昨夜のすき焼きの残りを載せた「すき焼きうどん」になった。ただ、私は「牛肉」が食べられないので、牛肉抜きのすき焼きという物は、四番バッターのいない野球チームみたいでおいしくも楽しくもない。

 

 今日の掲示板はこれ。「古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ」という南山大師(空海)の言葉「書亦古意ニ擬スルヲ以テ善シト為シ、古跡ニ似ルヲ以テ巧ト為サズ」に拠った言葉であるという。職人に限らず、何かを学ぼうとするときは手本がいる。その手本を真似るのは、その人と同じになれということではない。「伝統とは形骸を継ぐことではなく、その精神を継ぐことである」と言ったのはロダンである。真似ぶ(学ぶ)のは、かたちであってかたちそのものではない。真似たいと思う対象の本質を真似る。その人(もの)が、何を見聞きし、何を考え、何を志し、どういう心持ちでそれを行っていたのか。最初はかたちを真似るところからはじめても、それはいつか、真似しきれない、真似の通用しない巨大な壁にぶつかるはず。そのときが、ほんとうの学びのはじまり。「古人の求めたる所」を求める入り口になる。まずは、ただひたすらに真似てみよう。憧れの人になりきったつもりで。繰り返し、繰り返し、ただひたすらに。数年後、数十年後、想像を超える境地に立っていることに気づくはずだと言うのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


蝋梅を見る人もなし寺の午後

2022年01月28日 | 時には日々是日

 28日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は3.5度から11.6度、湿度は86%から42%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の29日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 収縮期102mmhg、拡張期65mmhg、脈拍79bpm、体温35.9c/酸素濃度98%/体重64.8Kg 室内気温19.4c/室内湿度29%/気圧1020hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:04分、日の入りは17:29分 月齢は25.4 若潮。

 

 長い間かかったけど、ようやくに新風土記が完成した。まだ、不足を言えばキリがないのだけれど、いつまでも尾を引いてもよくないしと、このあたりで切り上げることにした。

 

 私の子どもの頃の生活の様子なんぞをまとめた地域の歴史書というか雑記帳みたいなものである。私の人生の思い出日記というところか。

 

 奥書もそれなりに書いてみた。本の体裁はそのあたりの本と遜色はない。

 

 久々に、所属寺院に寄ってみた。あれれ・・・、案内板が新しくなっている。最近に新しくしたのかな。ここには「庄松同行ゆかりの寺」とかという文字があった筈。それがなくなっているし。

 

 境内もさっぱりとしている。お正月用にでも大掃除をしたのかしらん。

 

 もっと、草ボウボウかなぁと思ったのだけれど、今のところ、草なんぞは見えていない。

 

 この扁額、「海暁閣:かいぎょうかく」と書いてある。普通、お寺は「山号寺号」と言って、「なんとか山 なんとか寺」というのだけれど、ここは「海暁閣勝覚寺」と言う。本願寺第二十代御門主、広如宗主より、山号、海暁閣を賜り、四国唯一の閣寺院として、今日に至るという、少しばかり変わった名前になっている。本当は「海暁山」というのもあるのだけれど、その「山号」は使わずに「閣号」を使っている。

 

 妙好人「庄松:しょうま」同行像である。最近もお参りの人がいるのだろうか。

 

 帰りに某電気屋さんに寄ってみた。

 

 で、プリンター用紙を買っておいた。この長いステイホーム期間中には、印刷用紙がみるみるうちに減っていく。でも、この印刷用紙も案外と重くて、五パック入りの箱ごとだと二階へは持って上がれない。だから、2パックずつ位を二階へ運び上げることになってしまっている。全く、情けないことであることよ。

 

 今日の掲示板はこれ。「若さを嗤(わら)わず 老いを恨まず いつか 来た道 いつか 行く道」というさだまさしの「残春」という歌の歌詞からで、いつもお世話になっている「赤松先生」のお寺の掲示板から。

 「残春」 さだまさし
 
 若さを嗤(わら)わず
 老いを恨まず
 いつか 来た道
 いつか 行く道
 いのちを恥じず
 いのちに怯えず
 永い永い坂を
 黙して独り行く
 心に咲く花は
 季節を選ばない
 与えられしいのち
 かなしきもまたよろし・・・・。
 
 「サクラサク」という原作はさだまさしさんの映画。お父さんとさださんの思い出を元に作品は書かれていて、年老いていくお父さん(藤竜也)の思い出の故郷を訪ねるのだが、手がかりは同居する息子(緒方直人)がお父さんから小さい頃、何度も聞いた故郷の話しのみ。ただ、故郷を訪ねようとしたきっけは、お父さんが認知症を患いはじめ、次第にその状態が厳しくなる中、今まで企業戦士で家族を後回してきたため妻も子ども二人もおじいちゃんに知らん顔。家族がバラバラ状態に。そんな中、陰でおじいちゃんの介護をしてたのが長男で、その彼の「このままじゃ家族が駄目になる。そうしたら可哀想なのは、じいちゃんだろ」の一言。おじいさんの故郷を探すこと。家族の絆を取り戻すことをめざして初めての家族旅行がはじまった。その結末は・・・。そのエンドロールに流れるのが、この歌・・・。
 
 
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。 

風となり枯れ野飛び去る鳥数羽

2022年01月27日 | 時には日々是日

 27日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は4.5度から10.5度、湿度は82%から50%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の28日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 収縮期117mmhg、拡張期68mmhg、脈拍78bpm、体温36.4c/酸素濃度98%/体重64.8Kg 室内気温20.1c/室内湿度28%/気圧1024hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:05分、日の入りは17:28分 月齢は24.4 長潮。

 

 最近は山での食べ物がなくなったせいか、野サルが多くなってきて、あちらこちらでひなたぼっこをするようになってきたし、奥方のバラ園をイノシシが掘り返したと大騒ぎをやっていた。

 

 今日は月に一度の空き瓶回収日。寒いけれど、回収場へ空き瓶を運んでおいた。

 

 奥方はお休みなんだけれど、「銀行へ行って、髪を切って、お昼はお友達と牡蠣焼きを食べに行くの」と出掛けて行った。

 

 牡蠣だって、二個三個はおいしいが、そうそう十個も二十個もは食べられない。でも、このシーズン。全国のあちらこちら、あそこもここも「牡蠣がおいしい」とPRしてはる。はたして、どこがおいしいんだか・・・と思ってしまう。

 

 私には「おかゆを食べておいてね」という優しさ・・・。ま、このご時世に会食だのお出かけだのは面倒くさいので、おかゆで十分である。

 

 どこがどうだと言うのではないが、あんまり食欲もないし、食べたいものもない。単に運動不足だけなのかも知れない。

 

 連日、10時間以上もパソコンに向かっているわけだから目玉が乾くのは仕方がない。

 

 どこかへ行って、何かをしなければ・・とは思うのだが、この寒い時期に出掛けても楽しくはないし、行きたい場所もない。食べたいものもないし、見たいものもない。だから、「引き籠もり」ならぬ「閉じ籠もり」になってしまう。

 

 で、相変わらずの「風土記」である。最初は「昭和は輝いていた」というタイトルだったのだが、だんだんと、地域情報の総まとめみたいになってきたので「新風土記」というタイトルにしてみた。「砕石(’われいし)」は集落名である。

 

 この風土記も大詰めを迎えてきたので、さぁ、次は何をしようかと思案中。

 

 前書き、目次、あとがきが出来れば完成に近い。

 

 最終校正をやったつもりなんだけれど、なにげなく見ていると、あちらこちらに誤字やいらぬ記号が紛れ込んでいたりする。見ない振りをして素通りしておくとしようか。

 

 今日の掲示板はこれ。「鬼というおそろしきものはどこにある 邪見の人の胸に住むなり」という一休禅師のことばから。鬼は地獄に住むものと子供の頃から教えられてきたが、その地獄なり鬼なりはどこにあるかといえば、みんなこの身や、この心の中にあるというのである。「邪見」はまちがった人生観や世界観である。身びいきや身勝手なエゴイスティックな人生観や世界観が地獄の世界であり、鬼の住むところなのであるというのである。(松原泰道『一休さんの幸福論』より)

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


やぶ椿ぼったり落ちて空がある

2022年01月26日 | 時には日々是日

 26日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていた。気温は2.0度から12.8度、湿度は86%から52%、風は1mから4mの西の風が一時は強かった。明日の27日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 収縮期104mmhg、拡張期59mmhg、脈拍81bpm、体温36.3c/酸素濃度97%/体重64.6Kg 室内気温19.2c/室内湿度29%/気圧1022hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:05分、日の入りは17:27分 月齢は23.4 小潮。

 

 別に力仕事をするわけで無し、生真面目にデスクワークをするでもないのに、なんでか、首筋や背中の筋肉あたりが重たくて痛い感じがする。

 

 昨年の今頃も同じような症状だったから、こういう寒い時期特有の痛みなのかも知れない。お風呂に入っている間中はなんともない。

 

 こういうものも貼ればいいという揉んじゃなくて、必要最小限の所に貼れればいいのだろうが、手が届かない場所もあって、まるでトンチンカンみたいな貼り方はムダだと思うが、自分ではどうにもならん・・・。で、今朝も奥方を介護施設まで送り届けてきた。夕方にはまたお迎えである。

 

 さて、例の「奥方への感謝状」である。「これでできたゾ」と思っていたのだが、やはり、もう少しばかり尺の長い方がいいかなぁと考えて、いくつかのシートを追加した。

 

 これは、私たちの結婚式の画像である。戦後、農村ではさまざまな「生活改善」が叫ばれて、「台所の生活改善」や食生活の生活改善なども話題になったが、こういう「冠婚葬祭」の生活改善が進められていた時期だった。それまでは、結婚式というと自宅で三日間も式というか披露宴が続いた家もあった。最初は身内ばかり、二日目は親族関係、三日目は友人知人にご近所さんらを集めての宴会になった。

 

 それをやめようということで、町営の式場が作られて、婦人会が主導で、婚儀から料理から一切合切を町営でやるようになった時期。会場使用料が50名様まで1,500円というのだからタダみたいなもの。私らの年代の多くは、こうした町営の結婚式になった。

 

 で、披露宴も婦人会の作った料理で、お世話も婦人会が取り仕切っていた。お葬式は老人会が取り仕切っていた。そういう時期に、ちょうど、直面した訳だった。

 

 新婚旅行は軽自動車での四国一周旅行だった。ま、二人とも預貯金なんてできる年代ではなかったので、質素倹約しての旅行だった。そんなことを追加していた。

 

 今日もまた、昼食はおうどんになった。ダイエットのつもりで朝食は抜きにしているのだが、朝のニュースでは、かえって食事抜きが体重増加になって肥えるとか聞いた。それはアカンじゃろ・・・と思った次第。でも、いまさら、朝食を作って頂戴とはよう言わん・・・。

 

 で、来月のための「確定申告」である。数年前からe-Tax なるものが流行っておるそうで。どうにも、税金とか保険金とかの用語がわからんので、税務署に行って長い間待って・・・やっていたのだが、一昨年前から、入院していて税務署に行けなくなった。そこで、e-Tax なるものをやってみた訳。今年が三回目。

 

 でも、昨年は入院も退院も手術もなかったものだから、医療費控除の還付金は3万円ほどしかない。でも、これで一件落着。あとは2月になれば送信するばかりになった。

 

 節分には少し早いのだけれど、今日の掲示板はこれ。町内の善楽寺さんのお寺にあったもので、「福願う 心の裏に 鬼の顔」というもの。親鸞聖人は、このようにうたわれている。「悪性(あくしょう)さらにやめがたし、こころは蛇蝎(じゃかつ)のごとくなり」聖人は、自己の内にみんながいやがる蛇蝎を発見されたのである。私こそ蛇でございます、蝎(さそり)でございますと、蛇や蝎のような心、鬼のような心と言ってもよいだろうか、そのような心を見出されたのである。私も、今日は肩こりと猿の監視とすぐ横での県道工事の騒音とでイライラしがち。心の表にも鬼の顔が見え隠れしている。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


冬うらら番茶の渋さと指のしわ

2022年01月25日 | 時には日々是日

 25日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で曇っていた。気温は3度から7.7度、湿度は78%から58%、風は1mから2mの西南西の風が少しばかり。明日の26日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 収縮期98mmhg、拡張期58mmhg、脈拍78bpm、体温36.3c/酸素濃度99%/体重64.8Kg 室内気温20.8c/室内湿度30%/気圧1023hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:06分、日の入りは17:26分 月齢は22.4 小潮。

 

 にころこさんに教えてもらった「貼るカイロ」を久々に貼ってみた。そんなに根を詰めてやっているわけでもないのに、なぜだか首筋が痛くなる。おまけに心臓も痛くなる。心臓を掴まれるような感じだ。

 

 で、シャツの上から貼ってみた。気休めかも知れないがなんだか暖かくて良い心持ちだ。

 

 で、お役所から「支給金があるからおいでなさいよ」という「書き付け」が届いたので、必要事項を書き入れてお役所に持って行った。

 

 もう、すっかりと慣れたお役所である。毎月毎月、こうした支給金が出るので、やってきている。

 

 で、国保係へ「書き付け」を提出すると、すんなりと受け取ってくれた。それでいくばくかのお金が銀行口座に振り込まれてくる。

 

 そうそう、その前にである。この車の名義変更やら少々の手直しがあるからと、今日は奥方を介護施設へ送っていった。帰りは16時半にお迎えに行く。だから、今朝は3時前から起きて寝過ごさないようにと早起きをした。奥方は「早出」ということで、我が家を6時前に出た。施設には6時15分に着いた。

 

 で、奥方は私の芝生を占領して、そこを「バラ公園」にすると言い出している。

 

 芝生広場の半分以上を、バラ公園にしてしまうらしい。で、造園屋さんに見積もりをしてもらうからと、連絡していたようだが、いくら待っても造園屋さんは来ないし、自動車屋さんも来ない・・・。

 

 で、自動車屋さんに電話してみると、「あ、明日ですよ~」と言う。なんじゃらほい。奥方の勘違いなのか・・・。だと、造園屋さんも明日なんやろうか・・・。それだし、明日も朝の6時前からの送迎になるんじゃろうか。

 

 「まちぼうけ まちぼうけ ある日のんびり 時間稼ぎ・・・」結局の薬局で、今日のお仕事にはならなかった。

 

 今日はご飯の残りがおじやになった。「おじやんが今日の予定がオジャンになったのでおじやを食べた」なんぞはシャレにもならん。

 

 私の「干し柿」がなくなっていると思えば、大根おろしに干し柿を刻んでお酢でしめた「なます」になった。ちりめんは後で載せてみた。

 

 今日の掲示板はこれ。「上手くいくためには成長するしかない 成長するためには失敗するしかない 失敗するためにはやってみるしかない。」というもの。どこの誰の言葉かはわからない。先日の観光ガイドマニュアル作りもそうだった。何度やってもダメだった画像回転ができたり、画像の加工がうまくいかなったのができたりと、とにかくやってみなければ失敗か成功かはわからない。成功したら成長する。成長していけばうまくいく・・ということは実感できた。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


北風に逃さぬように暖かさ

2022年01月24日 | 時には日々是日

 24日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇る見込み。気温は5.0度から9.9度、湿度は92%から46%、風は1mから3mの北の風が少しばかり。明日の25日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 収縮期102mmhg、拡張期59mmhg、脈拍79bpm、体温36.1c/酸素濃度97%/体重65.6Kg 室内気温20.9c/室内湿度29%/気圧1020hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:07分、日の入りは17:25分 月齢は21.4 中潮。

 

 そろそろと、確定申告の準備でもと始めて見たが、まだ、源泉徴収票とか保険の証明書とかが足りないので、うまく進まない。時期的には、そろそろ、揃っていなければならない時期なんだが、私が誤って捨ててしまったのかしらん。こういうものは大事な物だからと気をつけてはいたのだけれど。

 

 ヘタに妙な数字や言葉を入力してはまずいなぁと、一旦、作業は中止になった。

 

 へてから・・・、今朝方、ラジオ深夜便を聞こうとしたのだけれど、うんともすんとも言わない。三日ほど前には確かに聞こえていたのだけれど。

 

 で、裏蓋をこじあけてみると、「なんじゃ、これは!!」乾電池が塩を吹いている。このラジオ、買ってから一度も電池なんぞ交換していないのかも・・・。電極をヤスリで磨いてから乾電池を入れ換えてみた。機械は正直だ。すぐにラジオ放送が聞こえてくる。

 

 続いて・・・、「新風土記」なるものの総仕上げ段階。適宜に挿絵ならぬ「画像」を張りつけていく。その画像が、なかなかに見つからないときがある。私のブログの中から画像を探し出してくるのだが、「正月飾り」と検索すると、まぁ、ズラズラズラと関係のないような内容ばかりで、肝心な画像が出ないよう。

 

 こういう具合に画像を貼り込んでゆく。

 

 これは「精米機」の今昔である。こういう物も、民俗資料館に行かないと見られない物ばかりになった。そんなことを纏めていたわけだ。

 

 それにも飽きてくると、「エンディングノート」のつくりなおしである。二年前に作ったものが今も残ってはいるのだけれど、原稿を紛失してしまって更新ができないと言う訳だ。全くもう、どんなんらんこちゃがな。

 

 しかしのかかし、死んでいく者に「生きがい」とか「特技」「免許」などというものが必要なんだろうか。「三途の川をジャンプして飛び越えます」とか、「閻魔様にも見破られないような魔法が使えます」とかと書けばいいのだろうか。「好きな季節=灼熱地獄」、「好きな動物=地獄の赤鬼」とかと書けばいいのじゃろうか。でも、こんなものを書いてどうするんじゃろうか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「人は何も持たずに生まれてきて 何も持たずにこの世を去る」というもの。どこの誰の言葉かはわからなかった。赤ちゃんは、何も持たずに生まれて来る。赤ちゃんは生まれる時に何も持っては来ないのだが、それなのに家族や周りの人々の笑顔を生みだしてくれる。死ぬ時も、生まれて来た時と同じように「何も持たずに」死んで行く。いくら大金持ちでも、お金に執着している人でも、お金や通帳や土地や車や財産を抱いて死ぬことは出来ない。最後は皆、骨を拾ってもらうのみである。それなのに、なぜ私達人間は「人生と言う旅の途中で争うのだろうか?」素っ裸で生まれ、体一つで死んでいくというのに。旅の途中で物にしがみ付き、沢山の囚われと共に家族兄弟姉妹、親戚まで巻き込んでいがみ合い、罵り合い、顔で笑っていても心でけなし合う様な悲しい生き方をどうしてしてしまうのか。では、何の為に生きているのだろうか。持って行けない物の為に生きているのではないはずだ。では何の為に生まれ、何の為に生きているのだろうか。しみじみと考えさせられる冬の日である。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


南天が迷える枯れ野を呼び覚ます

2022年01月23日 | 時には日々是日

 23日のさぬき市地方は前線や湿った空気の影響で朝からずっと雨になった。気温は2.1度から5.6度、湿度は80%から92%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の24日のさぬき市地方は、湿った空気や寒気の影響で曇るけれど、昼過ぎからは晴れる見込み。

 

 収縮期108mmhg、拡張期61mmhg、脈拍78bpm、体温36.3c/酸素濃度98%/体重65.4Kg 室内気温18.7c/室内湿度25%/気圧1032hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:07分、日の入りは17:24分 月齢は20.4 中潮。

 

 今日は雨でいつまでも暗かったせいか、午前9時過ぎまで寝てしまっていた。奥方が出勤するのすら知らずに寝て居た。トイレを済ませて朝の薬を呑むと、またまた寝てしまった。こんなに寝たのはずいぶんと久しぶりだった。

 

 病院にいるときですら、6時前には起きて血圧測定や体重測定なんぞを済ませても、ふとんをきちんと折りたたんでパソコンばかりをやっていたくらいだった。病院で安静にもしていなかったのに、今日の眠りぶりはどうだろう。

 

 喉の痛みや咳や痰は治まったけれど、肩こりや首筋の痛みはまだまだ残っている。そんなに根を詰めて作業をした積もりはなかったのだけれど、小さな疲れが長い間積もっていたのかも知れなかった。

 

 と言うていた一昨日とは違って、今日は咳もそんなにしなくなったし、喉の痛みも軽くなってきた。

 

 このままだと、抗体検査かPCR検査でも受けないといけないのかと心配もしたけれど、今日はほとんど良くなってきたし、熱もそうそうは上がらなかったし。

 

 昨日の夕食は「おじや」だったし、今日は「梅がゆ」である。

 

 まるで病人食だが、毎日が病人だから仕方がない。今日はどこにも痛みはないが、ただ、眠たいばかりで、昼食を食べ終わると、またまた、1時間ほど寝てしまっていて、「眠り姫」ならに「眠り爺」になった。

 

 医療費控除のために、請求書なんぞを確かめたり、

 

 会計帳簿を眺めたりしてみたが、まるで頭の中には入らない。全くのやる気がしないのだ。

 

 外は雨・・・。本来ならば雪になるはずが雨になっている。明日、県道工事で道路横断の排水溝を作るとかで工事立会してきたが、この分では明日も雨になってしまうのかも。

 

 今日の掲示板はこれ。「過去のどうにもならないことを悩むより 現在、自分が置かれているところから 将来に向かって人生を切り拓いていこう」という新井正明さんのことばから。住友生命の社長・会長を務められた新井正明氏のはなしである。兵役にあった新井さんはノモンハン事変に参戦して被弾、右足を付け根から切断した。二十六歳だった。 帰還した新井さんを会社はあたたかく迎えてくれたが、若くして隻脚(せっきゃく)の身となった苦悩は限りなく深かった。その最中(さなか)、新井氏は安岡 正篤師の『経世瑣言(けいせいさげん)』で一つの言葉…「いかに忘れるか、何を忘れるかの修養は非常に好ましいものだ」に出会い、翻然(ほんぜん)とする。「自分の身体はもう元には戻らない。ならば過去のどうにもならないことを悩むより、現在、自分が置かれているところから将来に向って人生を切り拓いて いこう」この瞬間から新井氏は真の人生を歩み始めた。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


蝋梅を活けて句を詠む風邪の日は

2022年01月22日 | 時にはぼぉっ~とする時

 22日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は0.5度から8.3度、湿度は82%から58%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。乾燥注意報発令中。明日の23日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、朝から夕方にかけて雨となる見込み。

 

 収縮期102mmhg、拡張期60mmhg、脈拍78bpm、体温36.5c/酸素濃度96%/体重64.6Kg 室内気温19.3c/室内湿度25%/気圧1032hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:07分、日の入りは17:23分 月齢は19.4 中潮。

 

 毎晩、1時間おきくらいに目が覚めてトイレに行くが、一回の時間が10分から20分くらい。半分、寝て居る感じ。だから、寒くて仕方がない。

 

 足下には、人感センサー付きのセラミックヒーターが置いてあるが、足下は暖かいが背中が寒い。

 

 寒いはずだ、換気のために窓をあけたまんまになっている。

 

 ということで、少しばかり風邪気味。

 

 というのも、このあたりでは、「けんびき風邪」というのだが、標準語ではなんと言うんだろうか。肩風邪か。連日の「閉じこもり症候群」、うまく言えば「ステイホーム症候群」でパソコンのタタキ疲れだろうか。

 

 昨夜は、とにかく疲れて寝たのだけれど安眠はできずじまい。で、今朝になって、救急箱から風邪薬を探し出してきて飲んだ。すると、てきめんで喉の痛みや肩こりがすっと消えた。

 

 でも、お昼ご飯を食べたら、またぞろ、喉の痛みと咳が出る。体温は普通と同じだから、多分に風邪だ。で、またしても、「新ルルA(エース)を飲んだら、今度は猛烈な眠気が・・・。30分ほどダウンしてしまっていた。

 

 だから、エンディングノートを書こうとしたけれど、全く、手に付かずに眠りこけてしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「失敗する可能性もたくさんあるけれども、まずはやってみなければ何も始まらない」という新浪剛史さんの言葉から・新浪剛史(にいなみ たけし、1959年(昭和34年)1月30日 - )は、日本の企業経営者。サントリーホールディングス株式会社代表取締役社長、元株式会社ローソン取締役社長及び会長(3ヶ月のみ)。 弟は埼玉医科大学教授の新浪博士さん。最初は誰でも初心者だ。最初から成功する確率は低い。失敗する可能性もたくさんたくさんあるけれど、まずはやってみなければ、絶対に成功する筈がない。まずは、歩き出さなければ目的地には着かないのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


藪椿落ちて重荷を降ろす朝

2022年01月21日 | 時には日々是日

 21日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は0.5度から7.0度、湿度は74%から54%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。乾燥注意報が発令中。明日の22日のさぬき市地方は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 収縮期112mmhg、拡張期60mmhg、脈拍78bpm、体温36.3c/酸素濃度98%/体重64.8Kg 室内気温18.3c/室内湿度25%/気圧1028hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:08分、日の入りは17:22分 月齢は18.4 大潮。

 

 そろそろと、確定申告の案内が届くようになった。私の場合は確定申告と言っても「医療費」だけだから、さほど問題でもない。特に昨年は入退院がなかったし、何の手術もしなかったので、医療費控除もないに等しいのだと思われる。

 

 でも・・・だ。なんでもかんでも、マイナンバーカードとスマホで・・・と言われても、田舎のおじさんには手も足も出ない。スマホなんぞというものはカメラ代わりに使っているだけで、電話の仕方がわからない。メールの打ち方が分からないのだからどうしようもない。なんでもかんでも、スマホ、スマホと言わないで欲しい。

 

 さて、昨日の続きである。身体のあちらこちらの補修工事をしてもらって、これで元気になったぞと思ったとたんに・・・食べ物アレルギーで救急搬送されること、二度・三度・・・。でも、奥方の懸命の看護と応援とでなんとかなってきた。奥方にありがとうと・・・感謝である。

 

 私だけでは夢は叶えられない。奥方だけでも夢は実現できない。二人の力があってこその今日がある・・・。

 

 出会ってくれてありがとう・・。一緒に暮らしてくれてありがとう・・・。

 

 こころからの感謝を込めて、感謝状を贈ります・・・。

 

 と、実際の感謝状まで作ってしまった。これで、一応のストーリーは完成した。これで、娘からの宿題が終わった。

 

 さて、一昨年に作った「エンディングノート」の原稿がなくなって、更新・追加ができなくなった。そこで、新しい「エンディングノート」を作り直そうとひな形・テンプレートをダウンロードしてきた。

 

 その*.pdf ファイルをワードに読み込んで編集することにした。最近のワードは、そんなことまでできるんだ。

 

 しかしのかかし、自分のエンディングノートの作成に、なんで、本籍地やら出身地が必要なんだろう。これではまるで他人さまの自己紹介みたいだ。そんなことで、もやもや気分。

 

 今日は奥方がお休みで、富山の氷見うどんの細麺になった。富山のお寺の奥様からいただいたもの。でも・・だ、讃岐うどんのメッカに、富山のうどんを送りつけるなんぞは喧嘩を吹きかけているみたいなものだ(笑)。「どうだ、富山のうどんがうまいだろう・・」とにんまりとしているのだろうか。

 

 エビのかき揚げは奥方の作品。向こうの味付け海苔は広島のお寺の奥様にいただいたもの。毎日、おいしくいただいております。m(_ _)m。

 

 今日の掲示板はこれ。「船は荷物をたくさん積んでいないと不安定になりうまく進めない。同じように人生も心配や苦痛を背負っている方がうまく進める。」という「ショーペンハウアー」の言葉から。確かに船は荷物を適度に積んでいると、ほどほどに沈んで安定して進むことができる。大型トレーラーも荷物があった方が安定感がある。たまに荷物がない運転席だけのトレーラーが走っていることがあるけど、見ていてなんだかおかしな感じがする。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」と言ったのは「徳川家康」だとされている。人生に何の苦もなく、何の心配もなく、生きていけることなど、そんなに世の中は甘くない。ひょっとしたら、心配や苦痛が何もなかったら、人生自体の意味が何もないかもしれない。心配ごとや苦労することがあるからこそ、人は成長していけるのだと思うのだ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


大寒は話す相手もいないまま

2022年01月20日 | 時には日々是日

 20日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、午後からは寒気の影響で曇りとなってきた。気温は2.0度から7.5度、湿度は72%から40%、風は1mから5mの西北西の風が少しばかり。強風・波浪・乾燥の注意報が発令中。明日の21日のさぬき市地方は、寒気の影響で概ね曇りとなる見込み。

 

 収縮期119mmhg、拡張期68mmhg、脈拍78bpm、体温36.3c/酸素濃度98%/体重64.8Kg 室内気温19.6c/室内湿度26%/気圧1021hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:08分、日の入りは17:21分 月齢は17.4 大潮。

 

 二十四節気において、「冬の最後を締めくくる約半月」を大寒と言うらしい。毎年、だいたい1月20日~2月3日ごろだが、2022年の大寒の日は、1月20日。また、2052年までずっと1月20日が続くそうだ。翌2053年は1月19日になるのだという。これは、国立天文台の観測によって、「太陽黄経が300度になった瞬間が属する日」を大寒の日(初日)としているためなのだという。寒の内は、1年でもっとも寒い時期。各地で最低気温を記録するのもこのころだというのだが、あくまでも「暦の上」の話である。

 

 いつもだと、この時期には島の家に行って、溜まっている郵便物を持って帰ることになっている。というのも、年賀状はともかくとして、

 

 年金の源泉徴収票が島の家に送られてくるのである。これがないと確定申告の手続きができないのだ。だから、今日は行きたかったのだけれど、強風・波浪注意報では仕方がない。

 

 それに、感染症が猛反撃を開始して、その勢いがすさまじい。そんな時期に島へ渡るのは危険この上ないので、自治会長さんに郵送をお願いした。

 

 例の感謝状のタイトルを変えてみた。

 あらかたのストーリーはできた。私たち夫婦の50年間の歴史をコンパクトにまとめてみた。

 

 で、心臓はあきらめて、尿道開削、白内障手術、

 

 腹腔鏡手術などで、どうにか生活はできるようになった。これで、大丈夫だと思った瞬間、

 

 これまで例の無かった「食べ物アレルギー」が続発。これまた、救急搬送の連続になった。もう、食べるものがなくなったように思った。今日はここまで。

 

 月に一度の「ケアマネ担当者会議」が待っていた。10時前に担当のケアマネさんらがやってきた。

 

 だから、先日来の「おなかの痛み」「おなかの張り具合」「体重の変化具合」そして昨日の「心臓の痛み」などを細かく報告しておいた。お正月以来のお酒の飲み過ぎ、水分の過剰摂取などが原因だと思われるが、こと、心臓については異例のこと。来月の定期検診で担当医に報告することなどの指示を受けた。

 

 ご飯を食べると胃が働かなくなるので、今日も又おうどん。今日は「きつねうどん」である。

 

 そして、デザートは熊本の「恋のぞみ」という大きなイチゴ。

 

 一個食べたらおなか満腹になりそうな大きさ。おうどんの後では一個が限度だった。

 

 今日の掲示板はこれ。「受け止める 大地のありて 椿落つ」という、竹内洞達先生の句からである。花の終わり方はそれぞれ違う。桜は散る。梅はこぼれる。菊は舞う。牡丹は崩れる。そして今が旬の椿は「落ちる」のだ。椿は花びらを散らさず、花全体が落ちるのだ。それも単に落ちて散るのではない。受け止める大地に着地するのである。そして、その椿とは私のことである。最近、皆さんが病状についていろいろと心配してくれるのだが、椿の花は、これを受け止めてくれる世界があるから安心して落ちてゆくのである。私とて同じ事なのである。すくわれていく世界があるから落ちてゆくのである。安心して落ちてゆくのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


粉雪に自分の居場所を奪われる

2022年01月19日 | 時には日々是日

 19日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、寒気の影響で雨や雪の降っている所があった。気温は1.0度から8.1度、湿度は80%から50%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の20日のさぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇る見込み。明け方から朝は雪か雨の降る所があるらしい。

 

 収縮期107mmhg、拡張期63mmhg、脈拍79bpm、体温36.4c/酸素濃度98%/体重64.6Kg 室内気温21.2c/室内湿度25%/気圧1025hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:09分、日の入りは17:20分 月齢は16.4 大潮。

 

 おなかの痛みはなくなったのに、なぜか今朝は2時半に目が覚めてしまった。それは何が何でも早すぎるだろうと、ラジオ深夜便を聞きながら寝てしまっていたが、やっぱり、4時前には起きてしまった。それで、昨日の続きのスライド作り。「電子紙芝居」である。我が家の旧宅の撤去から新築工事に着手。

 

 社宅に入ってすぐに、「心不全」が勃発して、高松日赤へ救急搬送。これ以来、救急搬送は8度にも及ぶようになった。この日は一晩点滴を受けて回復。翌日には会社に戻って業務再開した。

 

 そして、第四の家の完成と転居。豊かな自然の中でのバーベキューを楽しむ奥方と母上の二人。まるでキャンプを自宅でやっている毎日みたいなものだった。

 

 幸福感に浸る間もなく、神戸の「義父」の死と、それに続いて母の死とが連続した。

 

 そういうお話をまとめていた。そうすれば早くもお昼前になった。

 

 今日は自動車屋さんが、奥方の車の契約に来る日。奥方は車のことには頓着せずに下駄を履くように走り回って、「壊れちゃった。車、乗っていくね」と、私の車に乗っていく。それで、私の車が良くなったら、またしても「壊れたわ、車、貸してね」と乗って行く。そんな繰り返しだ。

 

 で、先日に、私のムーブを乗っていて「オイルが漏るの・・」ということで、この「タント」という車を代車で貸してもらったのだが、「この車がいいわ」と、この「タント・カスタム」に乗ることにしたのだそうだ。で、この車を、私名義変更にする手続きをするらしい。

 

 「あと、2年しか乗らないから、なんでもいいの」と、この車にしたらしい。奥方が気に入ったら、それでいい話だ。

 

 昨日までのおなかの痛みが消えたと思ったら、今度は「心臓」が痛み出した。こんなことは始めてだが、そんな兆候も前兆もなかったので、単に気温が低いからかも知れないと様子を見ることにした。数字的には問題ないし、危険な食べ物も食べてはいない。でも、「とうとう、来たか・・・」という感触はぬぐえない。

 

 確定申告の準備のためにと、日本年金機構にアクセスしたら、こんな画面ばかりで進まない。スマホをいじるのは苦手なのだ。何度やってもマイナンバーカードを読み込むのだけれど、その先のメールアドレスの入力段階になると「間違っています」のエラーばかり。あんな小さな文字なんぞわかるもんか・・・。

 

 今日はおなかの用心のために「おかゆさん」を食べようとしたのだけれど、それだけでは少ないかなぁとおそばを湯がいたら、それこそ食べ過ぎになって、余計におなかがおかしくなりそうだった。

 

 だから、おかゆさんは晩ご飯によけておいて、おそばをおいしくいただいたことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きていていろいろあるのは当たり前 そこから何かを学んでいけばいい」というもので、いつもの町内の善楽寺さんの掲示板にあったもの。誰の言葉かはわからない。でも、『何を言っているの。生きているんだから、あなた大丈夫なのよ』って。『人生はいろんなことが起きて当たり前なんだから』、『その先にもっといいことが待っているんだから、大丈夫よ』って。『そこから何かを学んでいけばいいじゃないの』って、瀬戸内寂聴さんは明るく言い放ったのだ。似たような言葉だなぁと紹介したまでで、寂聴さんの言葉かどうかはわからないし、別に寂聴さんのファンでもなんでもない。でも、人間が生きている以上は、いろいろとあるのが当たり前。何もない人生こそがおかしいのだ。で、そこから何かを学び続けていくのも人間なのだからして・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


寝不足を我慢で我が家の霜柱

2022年01月18日 | 時には日々是日

 18日のさぬき市地方は、冬型の気圧配置が続くため、概ね曇っていた。気温は4.5度から7.0度、湿度は68%から50%、風は2mから5mの西の風が一時は強くて冷たかった。明日の19日のさぬき市地方は、引き続き冬型の気圧配置となるため、概ね曇る見込み。

 

 収縮期110mmhg、拡張期64mmhg、脈拍79bpm、体温36.1c/酸素濃度98%/体重64.8Kg 室内気温20.4c/室内湿度27%/気圧1024hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:09分、日の入りは17:19分 月齢は15.4 大潮。

 

 「煌々と窓辺を照らす月有りて 迷える人を照らしたき時」歌会始に寄せて歌ってみた。どうにも小学生の時から「短歌」は苦手だったような気がする。かと言って、俳句が得意と言う訳でもない。

 

 何を食べたとか、何を飲んだとかの記憶はないが、昨夜から今朝方、お昼過ぎまでおなかが痛くて痛くてトイレにばかり行っていて超寝不足気味。冷えたとか、風邪とかという感覚もない。だから、今日も「閉じこもり状態」。医者に行くとなると「消化器内科」だろうか。

 

 これは、娘が生まれた時の写真であるが、左から、母・叔母・祖母・奥方と北海道のおじさんとその息子。このおじさんというのが、昨日にも触れた人で、「おら、こんな村いやだ~」と、単身、北海道へ渡ったおじさん。長男がいなくなったので、その弟に嫁いだのが祖母である。つまり、祖母からすれば「お兄さん」にあたる人。この赤いセーターの人は都内のある某大学の教授をやっていた。この人の指導で、私も短時間だけれどセスナ機の操縦をやったことがある。

 

 結婚して四年後には、我が家を新築した。私が設計をした家である。設計製図も苦手だったが、それらしく建築図面を引いてみた。「線路設計」という電柱を立てる設計手法で家を建てたのだから怖い物知らずだった。

 

 その後、平成に入って、義父(奥方の父)のために建てた「海の家」。釣り好きな義父のために「釣り小屋」を建てた。これは、工場で作って、現地で組み立てるだけの「プレハブ構造」のため、設計は不要だった。「鍵を引き渡すまでは立ち入り禁止」とのことで、その棟上げのお祝いを、海岸でやったのだからいい加減なものだった。

 

 そして、義父を乗せて釣りをするために「マイ・ボート」も買った。奥方の考えで、私のお金で・・・。ボートの名前は、法名「釋暁光」にちなんで、「あかつき丸」に「あかつきⅡ」になった。

  

 そして、マイボートで、お隣の島「牛島」に渡った時のこと。

 

 「絶対に、搗いてはならない」と言われている「極楽寺の鐘」を奥方が、「迷信よ~」とばかりに搗いてしまった。この鐘を搗いた人は大金持ちになるか、財産を失うか・・という伝承があった。

 

 偶然か、必然かは知らないが、その翌年の秋。あの台風によって我が家は壊滅した・・・。

 

 でも、奥方はへこたれなかった。土地を耕し、周囲の草を刈って、第四の我が家を建てた・・・。と、いうストーリー。この段階では、まだ、奥方に「感謝の言葉」は出て来ない・・・。

 

 今日のお昼もしつこく、またまたおうどん。今日は「鍋焼きうどん」になった。傷むおなかにはやさしいおうどんになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「乗れば人 歩けば車 邪魔になり」というもの。狭い道で自動車と出くわした時、自分が徒歩だったので、道を譲ると、あいさつもなく走りさった時、「なんてやつだ。本当に車は邪魔なものだ」と腹を立てるだろう。かと思えば、自動車で出かけたが、遅刻しそうになった。ところが、狭い道の真ん中をご老人が悠然と歩いている。どうやらこちらには全く気 がつかない様子だ。クラクションを鳴らしてびっくりさせてもと思い、結局イライラしながら後ろを付いていった。内心は「まったく邪魔だ、もう少し気をつけて歩いたらいいのに」と腹を立てるだろう。「済めば人 治れば病院 邪魔になり」病院では、会計が終わった患者は、もう他人。治った患者にすれば、もう、病院はいらない。とにかく、我々は「自分以外は全て邪魔」・・・なのである。「奥方元気で 留守がいい」。

  

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


西風の流れる音や黄水仙

2022年01月17日 | 時には日々是日

 17日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、夕方からは曇るらしい。気温は7.0度から10.2度、湿度は70%から42%、風は1mから5mの西の風が一時は強かった。香川県地方には強風・波浪・乾燥の注意報が発令中。明日の18日のさぬき市地方は冬型の気圧配置となるため、概ね曇るらしい。

 

 収縮期116mmhg、拡張期68mmhg、脈拍79bpm、体温36.5c/酸素濃度98%/体重64.4Kg 室内気温24.0c/室内湿度29%/気圧1023hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:09分、日の入りは17:18分 月齢は14.4 大潮。今年の「ウルフ・ムーン」は明日の1月18日の8時48分だそうだ。

 

 昨日、奥方は静岡県浜名郡舞阪町で生まれたと書いたが、その少し東に、浜松市(西区)馬郡(まんごおり)町がある。ここにある日蓮宗の「東本徳寺」というお寺で、奥方のお父さんは生まれた。ところが、従兄弟である「えっちゃん」という女の子が大好きでお寺を捨てて、その「えっちゃん」と結婚してしまって、舞阪町に住んだらしい。

 

 このお寺にも二度ばかりお邪魔して、太鼓を叩いてお題目を唱えたこともあった。昔は大きなお寺だったそうだが、農地解放だかで境内を切り売りしてしまって、本堂と墓地がわずかばかりに残るばかりだという。だから、義父の本名は「元昭:げんしょう」さんと言う。それがいやで「寅衛」という名前に改名したのだとも聞いた。

 

 だから、島の家の「暁光庵」という扁額には、「元昭」という本名が入っている。この文字は義父が書いてくれたものである。彫り師は千葉県の「無邪鬼仙人」。

 

 これが私の「自分史年表」である。これを参考にしながら、奥方への感謝状の画像を探していたのである。でも、ここには私のイベントは記入してあるが、奥方の行動までは記録していない。

 

 私の祖母である。明治33年生まれで、我が家を守り続けた「良妻賢母型」の人だった。実によく働いていたと思う。主人である祖父は36才という若さで亡くなったために、それはそれは苦労したことだと思うばかりだ。

 

 私の両親である。どちらも実によく働きづめに働いた人である。母は後年、世の中の変化もあって旅行も楽しんだり、温泉にもよく行ったように記憶している。父は働きづめに働いて、46才で亡くなった。夢半ばの往生になった。

 

 後年の母である。もう、働かなくてもいいよと、旅行や同窓会やらと飛び回っていた頃である。

 

 一方、この人が、故郷を捨てて北海道に渡った、私の祖父のお兄さんである。我が家の歴史の中で、一人はみ出して飛び出した獅子である。私の娘が生まれたとき、はるばると北海道から尋ねてきてくれて娘を抱き上げてくれたものである。そんな我が家の歴史なんぞを織り交ぜながら、奥方への感謝状を書き進んでゆく。

 

 南国四国にだって雪は降る。これは昭和50年の大雪の時だったらしい。雪遊びをしているのではない。思わぬ雪に埋もれてしまった野菜畑から白菜を探し出しているところである。奥方も、思わぬ雪にたまげたらしい。私だって驚いて会社に出掛けるのをあきらめたほどだった。

 

 奥方が娘と遊ぶ貴重な写真である。いつもは、お仕事だお仕事だと働きに出ていて、滅多に娘と遊んでやることも少なかったけれど、これはたまの休みの時だったのだろうか。そんな思い出を書き並べていたものだった。

 

 で、相変わらずの昼食はおうどん。「エビ天月見わかめうどん」である。それに野菜サラダ付き。

 

 今日のおうどんは極太のおうどんで、これはマジでまずかった。お出汁が薄すぎたのかも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「往き先がわかれば 生き方がわかる」というもの。いつもの、町内にある善楽寺さんの掲示板にあったもの。

行き先が分かれば 行き方が分かる
 往き先が分かれば 生き方が分かる (仏光寺)

 「いきさきがわかれば、いきかたがわかる」上段、下段、どちらも読み方は同じだが、使われる漢字が違うために表現されていることが少々違う。「行く」という「行」の字は、十字路をかたどった象形文字で、道の事を表現している。「行き先が分かれば、行き方が分かる」という事は、例えれば、体の調子が悪かったら、病院へ行こうと決める。病院という行き先が決まれば、いつ行こうか、どの道を行こうか、歩いて行こうか、車で行こうか等々、日々の生活の中で考えながら決断し、行動に移している。今月の言葉の通り、行き先(目的地)が分かれば、行き方(どの道路を行くか)が分かるというもの。次の往く先の「往」の字は、「むかし」「いにしえ」「いま」「むかう」「のち」「それからあと」という様々な意味がある。これは、過去・未来・現在の三世の歩みを表す言葉である。私達がどこから来て、どこにいて、どこに向かうのかという、人生の往く道を表現しているのだという。

 

じゃぁ、また、明日、会えれば、いいね。


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