まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

行く今日を 追いかけもせず 藪椿

2017年12月04日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夜のはじめ頃まで雨の降る所があるらしい。気温は6.1度から11.5度、湿度は94%から72%、風は0mから2mの西南西の風が少しばかり。明日の5日は、強い冬型の気圧配置となるため概ね曇り、夕方まで雨や雪の降る所がある見込みなのだとか。

 

 今日は所属寺院、海暁山海暁閣勝覚寺の報恩講の日である。門に入ってびっくりしたのが、この本堂前の松の木である。秋の永代経の時には元気できれいな緑色だったのに、今は松喰い虫で枯死しかけている。

 

 10時過ぎに我が家を出て、勝覚寺に入った。天正十四年(1586)、徳島県、板西城主・赤沢信濃守の子息、正本法師は、丹生村小砂に勝覚寺を建立した。貞亨元年(1684)に、第九世・願故法師は、小砂坊を三本松に移し、堂宇を建立し今日に至っている。現在の明海住職は、第二十五世になり、開基以来四三一年の法灯を継承している。

 

 本堂脇にある「庄松同行」の銅像にもご挨拶。小倉右一郎氏の作という。何歳の頃か・・と質問されるが、元になった写真や似顔絵がある訳ではない。

 

 こういうお話などから作られた庄松さんの銅像なのだろうと想像している。今となっては、誰も庄松さんの顔を覚えている人なんぞいないのだから。

 

 勝覚寺は讃岐国名勝図会には、開基は明暦三年(1657)沙門正哲の草創とあるが、寺伝によると、天正四年三好氏落城のとき、その家臣板西城主赤澤信濃守は中富川の合戦において討ち死にし、天正十年(1582)赤澤信濃守の一子正本法師が菩提を弔うため、大坂天満興正寺で証秀上人につき得度し、丹生の郷小砂村に小砂坊を開基したのが勝覚寺の始めとされている。古い安楽寺末寺帖にも小砂正覚寺とあり、追加の記事にも三本松正覚寺とあり、創建も寺伝による天正年間が正確といえる。安楽寺末寺となったのは、阿波三好氏の関係であろうと思われる。

 

 正午に、この鐘を撞くのが私のお仕事になっている。

 

 私は相変わらず、トイレばかりに走っている。少し動いたらトイレ、少し歩いたらトイレ。そういう病気だから仕方がないが、そのたんびに略袈裟を外し、道服を脱がないといけない。終われば道服を着て略袈裟を掛けて・・・。ああ、ややこしや、ややこしや。

 

 13:30からお勤めになる。導師は赤沢善海さん。澄んだかわいい声が特徴である。まるで一休さんみたいな笑顔である。

 

 夏の残暑見舞いと兼ねて、秋の永代経と12月の報恩講の案内をハガキで出しただけだから、どれだけのお参りがあるかとハラハラしたが、おなじみの門徒さんがお参りにきていただいた。

 

 最近の報恩講は、この川田先生のご法話となっているようだ。明るくてやさしいお話だから、おばさん、おばあさんたちには好評のようだ。

 

  今日の掲示板はこれ。「にんげんはねぇ 人から点数をつけられるためにこの世に生まれてきたのではないんだよ にんげんがさき 点数は後」という相田みつをさんの言葉。確かに点数をつけられるために生まれてきたのではないのだけれど、ふと、見回せば、点数をつけられてばかり。今日の川田先生のお話は、「無量」。無量とは計らないことだとお話を聞いた。人間は計ってばかりだ。比較してばかりだ。でも、そうじゃないんだよと、阿弥陀さんはいうとるんやろうね。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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降る落ち葉 戻らぬ過去の いとおしさ

2017年11月24日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、昼前からは寒気や湿った空気の影響で曇ってきた。気温は7.3度から12.3度、湿度は69%から53%、風は5mから7mの西の風が強かった。明日の25日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日はすがすがしい朝になった。朝の間は風もほとんどなくて気持ちのいい朝だったのだが。

 

 朝食を食べて間もなく、妙に呼吸が苦しくなり頭痛までするようになった。慌てて血圧を測ってみると、155-77-85 150-76-83 と血圧が高い。それにおなかが異様に大きい。腹水が貯まってきているのだ。急いで朝の薬を飲んだ。血圧を下げる薬や利尿剤が入っている。

 

 こういうのは4月の中旬にもあったが、数日で収まった。

 

 つまり、心不全になると水がおなかにたまってくるらしい。昨夜(今朝方か)の夢は怖かった。何のストレスがかかったのだろうか。

 

 で、何度も説明するが、おなかに水がたまると、心臓や肺を圧迫するから血圧が上がり、呼吸困難になって心拍数も上昇する。

 

 今日は、「まほろばさんにお願いします」というご指名での法務である。奥方の洋裁の先生からである。お約束だからと白衣に着替えたら、この伊達巻きのマジックベルトが合わない。これは90センチ+数センチ。いつもはこれできちんと止まっていたのに、今日はこれでは間に合わない。奥方の腰紐を探してしばっておいた。

 

 で、奥方のメモ書きが残されている。「ガソリンがないので、車を借りて行きます。燃料を入れておいてください。ついでにオイル交換もお願いします。」とのこと。なんで、こんな日に・・・・。

 

 で、もっとも近いガソリンスタンドでガソリンを入れていたら、猛烈な尿意が・・・。で、もっとも近いサッカー場のトイレに駆け込んだら、白衣ほかが着崩れてしまった。仕方がないから、我が家に戻って最初から着直してから出掛けることになった。

 

 法務はなんとか終わったが、足がむくんで正座ができないので、低いイスを借りたし、最初、休憩中、最後にと三回もトイレを借りた。

 

 その足で、前山の「前山地区活性化センター」に預けてある、駐車場の看板を預かってきた。明日、大窪寺で、観光ガイド養成講座があるので、その駐車場係を担当するからである。先月の下旬に予定されていたのだが、台風の影響で明日に順延されたのである。

 

 こういう看板を、明日、大窪寺の駐車場に設置して、受講生を誘導する。明日は冷え込みそうだな。

 

 その後、いつもお世話になっている「テクニカルオート石川」さんでオイル交換をしてもらった。お昼を過ぎると、血圧も心拍数も平常になった。今日はこのまま、平穏に過ごせるといいのだが。

 

 今日の掲示板はこれ。「次の世に 願い託して 枯れ葉散る」という町内の善楽寺さんの掲示板にあった言葉である。次に生まれる若芽にいのちを託して、古い葉は散っていく。しかも散りぎわに、『裏をみせ表を見せて散る紅葉』と永遠の生命の縦承のために静かに散り、譲り受けた生命は大地に立って長い冬の寒さを忍びながら、新たな春の新芽となっていく。ただ人間のみが、散る葉の桂に戻らない嘆きを思い切れず愚痴っているのである。思うままにならない人生であり、予期せぬことに出合って戸惑い、うちひしがれていくこともあり、辛い道のりだけれども、たしかな人生を強く歩めたら、そしておのずから自分の生き方に信念がもてたら、と秋の日差しの中で自らの人生と重ねて見るところに郷愁の紅葉が慕われる想いに打たれるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。

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法水の 流れて清し 秋彼岸

2017年09月23日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は19.0度から27.8度、湿度は92%から66%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の25日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 この花は、お彼岸を知っているのか、決まってこの時期に咲く。今年は遅いなぁ・・と思っていても、お彼岸が近づけば律儀に花を咲かせる。

 

 さて、大窪寺観光ガイドマニュアルも大詰めを迎えて、メンバー用の「仏教語辞典」の作成に入った。いつものA4版のマニュアルから、その半分のA5版のサイズダウンしたものにする。

 

 だから、表紙は和紙にしてみた。表紙は使いやすいようにソフトカバーにしてみた。

 

 こちらは女性用。華やかなものにしてみた。男性には濃紺の落ち着いたものにしてみた。

 

 私の物は、バインダー形式で、マニュアルと仏教語辞典をミックスにしてある。こちらはハードカバー形式。私は、マニュアルは持たないタイプ。もう、マニュアルのほとんどが頭の中に入っている。

 

 10時過ぎに我が家を出て、勝覚寺に入った。海暁山海暁閣勝覚寺という。天正十四年(1586)、徳島県、板西城主・赤沢信濃守の子息、正本法師は、丹生村小砂に勝覚寺を建立した。貞亨元年(1684)に、第九世・願故法師は、小砂坊を三本松に移し、堂宇を建立し今日に至っている。現在の明海住職は、第二十五世になり、開基以来四二五年の法灯を継承している。

 

 例年、このお彼岸の中日のこの日に、秋の永代経のおつとめになる。で、いつも、この日に、行事や講演会やガイド役を引き受けてしまって大騒ぎになる。今年も、我が家での「BBQパーティー」を引き受けてしまったのだ。

 

 だから、生ビールのサーバーの設置やら、BBQコンロの準備なども済ませておいてからの出勤になった。

 

 この、秋の永代経のご講師は、佐々木安徳先生。「愛顔敬語」、良き言葉を聞きなさい・・・というようなお話だった。いつもの、シルバー川柳を使ってのお話だった。

 

 お話が終わると、我が家へ一直線。もう、弟たちはお墓参りを済ませてバーベキューの準備中。みんな、忙しい・・・と言いながら、それでも、16時からは佳境に入った。

 

 今回は、お年寄りバージョンと言うことだし、孫たちは試験だ模試だと来ないものだから、量も控えめ。

 

 夕方からは室内でカラオケ大会。弟二人は歌う曲目が大幅に増えている。とにかく、歌ってばかりいる。三男の「たっくん」なんぞは、去年あたりは昔の山男たちが歌う歌をトンチンカンな音程で歌っていたのだが、最近は歌謡曲からJポップまで歌ってばかりいる。どこで、そんな歌を覚えたのか・・・と、みんなが驚いている。

 

  今日の掲示板はこれ。「どうにもならないことは忘れることが幸福だ」というドイツのことわざからの言葉である。中国の孔子も言っている。『虐待されようと、強奪されようと、忘れてしまえばどうということはない。』と。時間というのは幸か不幸か一次元に流れる。人間はそれに合わせて生きていくことしかできない。それに逆らうことが出来ないのだ。 その圧倒的な力のせいで、人は死ぬこともあるが、そのおかげで生かされることもある。それが『忘れる』ということだ。時に人は、遠い記憶の彼方に忘れたい現実を置いて、自分の時を、前に進めるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。

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法名に 峰の一字や 山つつじ

2017年04月09日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響により概ね曇りで、雨の降っている所があった。気温は早くも15.4度から22.4度、湿度は96%から67%、風は2mから4mの北北西の風が少しばかり。明日の10日は、前線や湿った空気の影響により曇りで、昼過ぎから雨が降る見込みらしい。

 

 私が、俵札調査で「蘇民将来」のことを調べていると知って、京都の神社さまから、このようなものを送って頂いた。右側は「祇園祭」に授与される「ちまき」である。この中央、やや下に白いものが見えるが、これが「蘇民将来符」である。左は、全国各地の「蘇民将来符」を集めた資料である。

 

 私たちの手元にあるものは、この二重になったものであるが、上のちまきには一重の「蘇民将来子孫也」という「符」がまきつけられている。

 

 さて、「たまには法務」ということで、所属寺院の「勝覚寺」にやってきた。

 

 ここの鐘楼には「コウモリ」が住んでいるとおっしゃる方がおいでになるが、平成の時代になって、それはもう、昔話。たまに、こうもり傘をお忘れの方がいるのかも知れないけれど。

 

 そうそう、「庄松同行ゆかりの寺」だと言えば、そのほうが話が早い。

 

 なにげに、境内から空を見ていると、この鉄塔が見えた。ここに、大きなパラボラ・アンテナがあったのだが、光ケーブルに負けてしまって撤去されたみたいだ。若い頃、おもしろがって、この三段目の高いところまで昇ったことがあるが、降りるとき、下を見ると直角のハシゴだったので、怖くて怖くて、半日ほど身動きできなくなったことがあった。夕暮れが迫ってきたので仕方なく泣きながら降りたのを思い出した。

 

 今日も、冊子の印刷をやっていた。

 

 こういう本である。なぜ、彼らは国を追われ、ふるさとを捨てて四国にやってきたのか。なぜ、彼らはさまよわなければならなかったのか・・・。

 

 今日も二部、二冊を印刷して製本して、

 

 郵送する準備をした。明日の月曜日に発送の予定。

 

 これが、今回、さぬき市前山の「おへんろ資料館」に納本する七冊の本である。

 

 お彼岸も済んで4月も上旬を過ぎたら、気温は一気に上昇してきた。どことも桜は満開になったし、山には山桜や山つつじも咲き出してきた。

 

 今日は暖房もセーターもいらない暖かさになっていた。

 

  今日の掲示板はこれ。「散る花や すでにおのれも下り坂」という小林一茶の俳句から。一茶の人生観の一端を垣間見るような句である。この句を読みながら、つくづくと感じるのは、自分の感性を高みに置かず、取るに足りないひとりの人間として、花を傍観して得た素直な感情を、句にしていることである。人間は死への存在であり、死を意識する動物である。しかし、普通に考える死は単なる知識であり観念である。しかし、それが現実の自己にかかわる死ということになってくると、そういうわけにもいかなくなってくる。「散る花やすでにおのれも下り坂」不安を隠しきれない句に読める。「白露やいつものところに火の見ゆる」秋の露ははかなくも消えるもの。「いつものところ」とは在所の火葬場のことであろう。「火の見ゆる」とは人を焼く火であろう。なんとなく寂しい人生のたそがれ、死を間近にした心境である。一茶が晩年とくに信心深い生活を送ったと聞いているが、それは人間的な価値が、いかにむなしいかを知っていたからだと思われるのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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雪となり 畳拭きつつ 長話

2017年01月24日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は冬型の気圧配置が続いたけれど、概ね晴れていた。夜は雲が広がり、雪の降る所がある見込みらしい。気温は1.6度から6.7度、湿度は88%から56%、風は2mから7mの西風が冷たかった。明日の25日は、冬型の気圧配置は次第に緩むため、概ね晴れるらしい。

 

 昨夜から雪が降ったりやんだりとしていたが、そんなに積もるほどの雪ではなかった。

 

 二階のベランダや車庫の屋根にはうっすらと白い物が見られたが、道路上には雪は見られなかった。

 

 でも、場所によってはそれらしく降ったところがあるらしい。そんな雪を眺めながら、隣町の寒川町神前(かんざき)という地区にお仕事でお邪魔した。そこでの雑談中に、「この村(旧神前村)からはエラモン(偉い人)が出とるんぞい」という話になった。その人は現職の国会議員さんのことを言うたらしいのだが。

 

 私が「真嶋正市博士ですよね」と言うと、「ああ、この隣の人やがな・・」と納得。真嶋博士は、香川県下で最初の文化功労者となった方で、応用物理学の父とも言われている。お墓もこの地にある。

 

 正市少年は一升びんに水をいっぱい入れ、近くの小川の岸辺に友人を連れて行った。そして、一升びんを逆さにして小川に立て、小川の底を棒でつついたのである。すると、川底のヘドロの中から泡がポカポカと出てきたので、それを一升びんに集めるのである。友人が「あぶないぞ。」と声をかけたが、正市は自信満々で、一升びんの口にマッチをすって火を近づけると、「ほら、すごいだろう。」と、正市はうれしそうに笑顔を見せたのである。それは青い炎を出して燃えたのである。これは、ヘドロの中にたまったメタンガスが燃えたもので、これも、正市少年が応用物理学の道へ進むきっかけとなる実験の一つであった。

 

 さぬき市立神前小学校の正門を入ると、すぐに真嶋正市博士の胸像が建っている。この胸像は真鴫博士の研究の成果を称え、平成8年11月に多くの人々の力によって、功労顕彰碑とともに建てられたものである。真鴨博士は、応用物理学の研究や世界に誇るわが国の工業の発展のためにつくし、香川県で最初の文化功労者として表彰されている。

 

 たいへんまじめで勉強好きの正市少年は、学校(現三本松高等学校)に入学したが、香川県立大川中学当時、校舎建築が間に合わず、私の所属する勝覚寺というお寺で授業を受けていた。明治35年頃の話である。当時は交通機関もなくて、下駄履きで歩いて20キロもの距離を通学していたらしい。

 

 その後、明治36年に香川県立大川中学校として独立、校舎移転。昭和24年に香川県立三本松高校と改称された。勝覚寺も、保育園や幼稚園として使われたこともある。

 

 さて、Windows10に乗っ取られたノートPCである。数日、電源を落として冬眠させていたのだが、久しぶりに立ち上げても、動くことは動くが動作が鈍い。遅い。何かのスクリプトが働いている模様。まだ、新しいマシンなのでゴミにするのはもったいない。

 

 再セットアップメディアがないので、作ろうとしているのだが、ディスク1枚を作るのに何時間もかかっている。それを三枚も作るとなると、何日もかかるのかもしれない。

 

 今日の掲示板はこれ。「過去のどうにもならないことを悩むより 現在、自分が置かれているところから 将来に向かって人生を切り拓いていこう」という新井正明さんのことばから。住友生命の社長・会長を務められた新井正明氏のはなしである。兵役にあった新井さんはノモンハン事変に参戦して被弾、右足を付け根から切断した。二十六歳だった。 帰還した新井さんを会社はあたたかく迎えてくれたが、若くして隻脚(せっきゃく)の身となった苦悩は限りなく深かった。その最中(さなか)、新井氏は安岡 正篤師の『経世瑣言(けいせいさげん)』で一つの言葉…「いかに忘れるか、何を忘れるかの修養は非常に好ましいものだ」に出会い、翻然(ほんぜん)とす る。「自分の身体はもう元には戻らない。ならば過去のどうにもならないことを悩むより、現在、自分が置かれているところから将来に向って人生を切り拓いて いこう」この瞬間から新井氏は真の人生を歩み始めた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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行く今日を 追いかけもせず やぶ椿

2016年12月02日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は9.8度から14.5度、湿度は70%から62%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の3日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 朝、季候も良いし気分もいいので、玄関周りの落ち葉を掃除してみた。時期的にすぐそばの山から降るように落ち葉が落ちてくる。夕方になれば元通りになっているかもしれない。

 

 で、久々に「落ち葉焚き」をやってみた。サツマイモはたんとあるのだが、焼き芋をするような気分にはなれなかった。子どもでもいればやると楽しいのかも。

 

 庭の「サンシュウユ」の実がきれいに色づいていた。

 

 ふと、気がつくと、もう10時。急がなきゃ遅れるわ~。支度しなきゃ。

 

 今日はお仕事の日、報恩講が厳修される日。この看板は「勤修(ごんじゅ)」で、力強く法要を勤めること。「厳修(ごんしゅ)」は厳かに法要などをつとめることらしい。

 

 妙好人庄松さんにもご挨拶。なんまんだんぶぅ・・・。

 

 今日はからりとして暑くもなし、寒くもなしのお天気になった。

 

 13時半からのお勤め。導師は善海さん。

 

 14時からはご法話で、川田慈惠師。お正信偈の中身のお話だった。お正信偈には何が書いてあるか・・ということだった。

 

 五劫思惟之摂受・・・五劫とは、気の遠くなるような長い期間をいうのだが、いろんな考え方があるらしい。一劫は4億3200万年という説もあるがどこから出てきた数字だろ。一般的には落語の「寿限無」で有名なんだけれど。

 

 勝覚寺は讃岐国名勝図会には、開基は明暦三年(1657)沙門正哲の草創とあるが、寺伝によると、天正四年三好氏落城のとき、その家臣板西城主赤澤信濃守は中富川の合戦において討ち死にし、天正十年(1582)赤澤信濃守の一子正本法師が菩提を弔うため、大坂天満興正寺で証秀上人につき得度し、丹生の郷小砂村に小砂坊を開基したのが勝覚寺の始めとされている。古い安楽寺末寺帖にも小砂正覚寺とあり、追加の記事にも三本松正覚寺とあり、創建も寺伝による天正年間が正確といえる。安楽寺末寺となったのは、阿波三好氏の関係であろうと思われる。その後正覚寺と号した。

 

  九代目願故のときの貞亨元年(1684)三本松村に移り、海暁山勝覚寺となったとされ、港町三本松の発展とともにその勢力をひろめ、寺院としての体裁を整えた。第二十世住職赤沢融海は幕末から明治期の名僧として詩画歌俳にも秀でていた。また、妙好人谷口庄松は当寺の門徒であった。

 

 今日の掲示板はこれ。「この一年 悔いなしと散る 落ち葉かな」というもの。花には花の役割があり、葉っぱには葉っぱの役目がある。冬が近くなると、広葉樹などは広い葉っぱでは水分を発散させるので木が弱るために葉っぱを切り落と す。また、光合成能力の落ちてきた葉っぱでも植物は弱る。そこで葉っぱを捨ててしまう。紅葉はその前段階で変色するものらしい・・・。紅葉も落葉もお仕事 を終えた葉っぱを切り離すことでおきる自然現象。これを悲しいと見るか、寂しいと見るかは人間様のこころのありようだけ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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法水の 流れ豊かに 秋彼岸

2016年09月22日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は湿った空気や前線の影響で雨が降っていた。気温は21.7度から24.5度、湿度は92%から94%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。今日は弱雨の一日になった。明日の23日は、湿った空気や前線の影響で曇り、明け方まで雨が降る見込みらしい。

 

 今日も朝から雨の一日になった。どうにも食欲もなくおなかが張るような感じだったので、軽く散歩に出たが、やっぱり、しっかりと濡れてしまった。傘を差すような雨でもなかったが、40分も歩けばジャージの上下は重たくなってしまっていた。

 

 明日だとばかり思っていた秋の永代経法要が今日だと兄弟子の三好師に知らされて、大急ぎでお寺に入った。午前11時を過ぎていた。

 

  讃岐国名勝図会には、開基は明暦三年(1657)沙門正哲の草創とあるが、寺伝によると、天正四年三好氏 落城のとき、その家臣板西城主赤澤信濃守は中富川の合戦において討ち死にし、天正十年(1582)赤澤信濃守の一子正本法師が菩提を弔うため、大坂天満興正寺で証秀上人につき得度し、丹生の郷小砂村に小砂坊を開基したのが勝覚寺の始めとされている。古い安楽寺末寺帖にも小砂正覚寺とあり、追加の記事にも三本松正覚寺とあり、創建も寺伝による天正年間が正確といえる。安楽寺末寺となったのは、阿波三好氏の関係であろうと思われる。その後正覚寺と号した。九代目願故のときの貞亨元年(1684)三本松村に移り、海暁山勝覚寺となったとされ、港町三本松の発展とともにその勢力をひろめ、寺院としての体裁を整えたと伝えられている。

 

 正午の梵鐘は英海さんが撞いてくれた。正式には7分間に10回の鐘を撞くらしい。私は好きなだけ撞いていればいいと教えられてきたのだけれど。

 

 今日は久々に兄弟子の三好師が出勤してくれて受付をしてくれていた。

 

 空は曇っているし、ときおり雨が落ちてきていたもので、みんな、何人のお参りがあるのだろうと心配していたが、けっこうなお参りの方が集まってくださった。

 

 お勤めは13時30分から仏説阿弥陀経と現世利益和讃。

 

 今回の導師は三男の善海師。清楚な声がよく沁みた。

 

 今日のご法話は高松市の佐々木安徳師。「愛顔敬語」、良き言葉を聞きなさい・・・というようなお話だった。

 

 菩提樹は中国原産の落葉高木で高さは10mほど。花期は6-7月頃で淡黄色の花を咲かせる。我が国へは、臨済宗の開祖栄西が中国から持ち帰ったと伝えられ ており、日本では各地の仏教寺院によく植えられている。お釈迦様が菩提樹の木の下で悟りを開いたとして知られているが、お釈迦さまの菩提樹は本種ではなく クワ科のインドボダイジュ(印度菩提樹、Ficus religiosa)のことらしい。中国では熱帯産のインドボタイジュの生育には適さないため、葉の形が似ているシナノキ科の本種を菩提樹としたと言われているらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「人はみな 生まれて生きて死ぬ 何急ぐ なぜ急ぐ 死を問わず」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあった言葉である。「人はみな、生まれて、生きて、老いて、病を得て死んでゆく。人は、なぜに生まれたかを知ろうともせず、いかに生きるべきかを問いつつも、なぜに生きているかを問われ、作り上げられた理想は崩れ去る。生きているのは偶然、死んでゆくのは必然。されど人は思う。生は必然、死は偶然と。昨日死んでいても不思議でない私が、今生きていることの不思議さ。人は必然する死を忘れて今を生きる。けれど、死は一刻たりとも私を忘れてはくれない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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お役目を 一つ終えたり 秋の雲

2016年08月26日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、お昼前あたりからは、湿った空気の影響で概ね曇って雲が広がってきた。大気の状態が不安定なため、雨や雷雨となる所があるらしい。気温は26.1度から34.0度、湿度は90%から68%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の27日は、湿った空気の影響で概ね曇る見込みで、大気の状態が不安定となるため、明け方まで雨の降る所があるらしい。

 

 今朝も花おくらが満開状態。でも、もう、あげる相手もいなくなった。こういうものは、毎食毎食は食べられない。たまに食べるからおいしいのだ。

 

 でも、一日花だからもったいない。今度はわが家用に収穫した。

 

 花が大きいから、これだけになった。これを冷蔵庫で保管しておく。今夜は、どんな料理になるのやら。

 

 朝方、散歩に出たらばこんなものが・・・。サルの軍団かしらん・・と思ったら、うり坊の家族だった。お母さんイノシシはいち早く山の中に隠れたが、うり坊たちはまだ人間を知らないらしい。きょとんとしてこちらを眺めている。

 

 さて、今日は高松(興正寺)別院での定例法座の日。これも大事なお役目なので失敗のないように準備・点検・確認して早めに出かけることにした。要は会場の準備のためである。

 

 お昼は簡単に軽く食べておく。おなか満腹は胸がつかえて苦しくなってしまう。

 

 とにかく、相手のあるお約束は忘れないように、失敗しないようにミッションをクリヤーしないといけない。自分の個人的な研究やお話会は少々右に曲がろうが左にずれようが心配はないのだが・・・。

 

 ここでの法座も四年目か五年目かになるので手慣れたもの。スクリーンをどこに立てて、プロジェクターはどこに置いて・・ということもすっかりと身体にしみこんできた。

 

 こうして、準備万端・・・だと思えば・・・。またしてもマウスを忘れてきた。ノートPCだから、マウスがなくてもどうにかなるが、七面倒くさい。前回の歴史講演会では、マウスの無線アダブタを忘れてマウスが使えなかった。今回は、そのアダプタは確認してきたのに、肝心のマウスを忘れるのだから老化が進んできた証拠。

 

 で、お話を始めたら、画面が真っ黒になった。お話をしながら、あれこれ触っていたら、電源コードを刺すのを忘れて電源が落ちてしまっていた。まぁ、どんならんこっちゃな。

 

 輪番さんが遅れるというので、法話を先にして、前座30分、30分の休憩を挟んで後座30分、庄松同行のお話をしたが、皆さん、「庄松同行」を知らない・・という。庄松さんを知っているのはお坊さんだけになってしまったのか。

 

 確かに、勝覚寺にお参りに来られる方はお西さんであったり、お東さんであったりするが、それも、お寺の住職さんが多いということに気がついた。一般の方は、「妙好人」だの「庄松同行」ということは教わらないらしい。庄松さん、庄松さんというてるのは、私ら一部の坊さんだけなのか・・・。

 

 まもなく、「庄松同行150回忌法要」を盛大にやろう・・・というとるらしいのだが、はてさて・・・だな。

 

 今日の掲示板はこれ。「まどえる身にも信あらば 生死のままに涅槃あり」というもの。真宗教団連合のカレンダー8月分からである。そして今月の法語は、「正信偈」の「惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃」〔惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなはち涅槃なりと証知せしむ。〕(『註釈版聖典』206頁)のおこころを詠われたものである。これは、煩悩に染まり惑う凡夫であっても、ひとたび他力の信心をおこしたならば、迷いの身であるままで、やがて浄土に往生して「生死すなはち涅槃なり」という、仏のさとりを開くことができる、ということである。私たちは浄土に生まれ、どう変えられていくのか、言い換えれば浄土往生の相状として、私たちの側から他力のはたらきをどのように受け止められていくのかということが、ここに示されているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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菩提子が 念仏ばかりの 寺の庭

2015年09月23日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は気圧の谷の接近と湿った空気の影響で雲が広がり、夜遅くには雨の降る所があるらしい。気温は20度から28度、湿度は90%から54%、風は1mから5mの東南東の風が一時は強く吹き荒れていた。明日の24日は、前線や湿った空気の影響で雲が広がり、明け方から朝にかけて雨が降る見込みらしい。

 

 昨日の昼前から延々と秋のBBQパーティーは続いて、夜の9時過ぎまでに及んだ。で、櫛の歯が抜けるように一人帰り二人帰りして、8時過ぎには私一人になった。BBQコンロを片付けたり、タープを片付けたりと祭りの後はさみしいものがある。

 

 そこで、東かがわ市小砂(こざれ)にある「小砂説教所跡」にお邪魔した。連休の最終日に関連するのかどうか、ツクツクボウシが出迎えてくれた。

 

 妙好人庄松同行(みょうこうにん・しょうま・どうぎょう)にご挨拶。幾つくらいの時の肖像画だろうか。おそらく晩年の頃のものだと思われるのだが。

 

 で、10時半過ぎに、所属寺院の勝覚寺に入った。本堂前の松の木も見事に元気になっている。

 

 本堂脇の「庄松同行」の銅像にもご挨拶。なんまんだんぶ・・・。

 

 今日は秋の永代経がお勤めされる日。この頃から気温はぐんぐんと上昇してきて、少し動けば汗が噴き出して来る。

 

 本堂の壁に掛かっている、庄松さんの伝説切り絵。庄松が富田村の菊蔵と一緒に三本松の勝覚寺に参詣した。庄松が本堂で横になっていたので、菊蔵がこれを咎めると、庄松がいわく、親のうちじゃ、遠慮するには及ばぬ。そういうお前は義子(ままこ)であろう。と言った。これは御本山に参って、横になって親の内じゃ、遠慮するには及ばぬという喜び振りは今までほかにもあったが、そういうお前は義子であろうの一言は、それより一層うわての喜びぶりである。

 

 で、13時半からお勤めが始まった。

 

 今日のご法話は高松の佐々木安徳先生。歎異抄のお話をなさいました。

 

 お昼からは蒸し暑い天候になり、風も強くなって、本堂の扉を開けたり閉じたり・・・。

 

 こうして、シルバーウィークも残暑のような天候のうちに過ぎてしまうのであった。

 

 今日の掲示板はこれ。「むつかしいお経を読めと言われて、「庄松助くるぞよ、庄松助くるぞよ」と読んだという。」という、小砂説教所跡にあったお皿のことばから。

 上の一条は、勝覚寺の先代住職は庄松同行を非常に愛撫せられ居りしが、役僧の一人がそれをうらやま しく思い、一つ庄松を困らせて恥しめんとて、三部経の中の下巻を取り出し、庄松に向かい、「お前は有り難い同行さんじゃが、この大無量寿経の下巻の、ここ の御文を読んでみよ」と云えば、庄松の答えに、「庄松を助くるぞよ、助くるぞよとかいてある」と云われたと。

 
*「五劫思唯の大悲の本願も、ただかかる自分一人の為の御苦労であった、勿体なや」と御開山親鸞聖人は喜ばれた。わが身一人に、如来の本願を受け止める無学で経の読めぬ庄松の獲信、「庄松を助くるぞ」と読む・・・。これ、真の大経読解でもあろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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つゆ草は きらめく露の そのままに

2015年09月11日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は17度から28度、湿度は86%から54%、風は2mから4mの北北西の風が一時強かった。明日の12日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 朝方はすっきりとして秋晴れの気持ちの良い天候になった。久々の晴れ間だなと思った。

 

 朝の散歩でも、朝露を見るようになって、いよいよ、秋の到来だなぁと実感する。

 

 で、先日の水曜日にここにお邪魔したら、「定休日」だということで施錠されていた。そう言えば、この先の「讃州井筒屋敷」が水曜日が定休日だということを思い出した。それで、このあたり一帯もお休みになるんか・・・。

 

 ということで、「今日は金曜日だから大丈夫!!」ということでやってきたという訳だ。「なんで、こんなところに来るの?」と、思われるかも知れないが、例の手袋の始祖ともいうべき「棚次辰吉」関連なのである。ここは、昔の酒造工場の倉庫だったと聞いたことがある。昭和の30年代になって、このあたり一帯が手袋景気にわき出した頃、ネコも杓子も手袋屋になった。

 

 ここは、その工場跡を、「手袋ギャラリー」として展示・公開しているし、各種の手袋関連グッズも販売している。

 

 それだし、こんな手袋アートも展示している。ま、こういうものを見てもよくわからんし、どこが良いのかもわからないのだけれど。

 

 で、棚次辰吉さんが開発した「簡便飾り縫いミシン」がないのかと店員さんに聞いたけれど、それはどこにもないと仰る。で、これが、ここでは一番古いミシンだと教えてくれた。

 

 これは比較的新しい動力式工業用ミシンである。それぞれの家庭では、内職としては普通の家庭用ミシンを使っての手袋縫製の作業をやっていたように思う。

 

 このあたりでは、これ以上のミシンの探索はできそうにない。讃岐手袋の始祖・両児舜礼(ふたご・しゅんれい)と棚次辰吉(たなつぐ・たつきち)の話しもそろそろとまとめの段階に入らねば・・・。

 

 で、午後からは、高松興正寺別院での常例法話会。このころになると気温がぐんぐんと上昇してきて、久々にエアコンを動かせて冷房モードでの運転になったし、この建物の中は冷房が効いていた。そうそう、簡単には秋にはなれないのだ。

 

 ということで、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のお話をしてきた。

 

 昨年も、9月11日に、ここで常例法話会を勤めさせていただいたように思う。これまた、不思議なご縁だなぁと思ったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「追えば逃げるぞ赤とんぼ 待てばとまるよ竿の先」というもの。幸せもお金も地位や名誉も健康も・・・そんなものかも知れない。追いかけている間は手に入らないが、ふっと、無心になったときに、「あ、ここにあったのか・・・」みたいにすぐそばにあったりする・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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欲しい雨 いらぬ雨あり 梅雨さなか

2015年07月04日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は梅雨前線の影響で雨が降っていた。気温は21度から23度、湿度は89%から96%、降水量は1mm/hから2mm/hとごく少量。風は1mから3mの南南西の風が少しばかり。明日の5日は、梅雨前線の影響で雲が広がり、明け方まで雨が降る見込みらしい。

 

 朝方は曇っていて、ときおりぽつりぽつりと雨が落ちる程度だった。今日は、とあるご縁で高松市御厩町にあるお寺さんの法筵にお呼ばれした。仏教婦人会の月例会があるということだった。

 

 私のホームページもマンネリと新しい企画もなくなって、惰性で運用しているに過ぎず、OCNというプロバイダーのサービス停止に伴って、さぬき市が団体加入している「pikara」という電力系プロバイダーに移転したが、容量が20Mバイトと小さくてスタイルの見直しを迫られている。

 

 で、どこかの無料で容量の大きいホームページサービスがないかと探しているが、帯に短しタスキに長し・・・という状況。そこで、休息を兼ねてリフレッシュ。法話会をお聴聞しに出かけたという訳。

 

 仏教婦人会の例会だということらしく、パッチワーク作品だの手芸作品なんぞも展示販売されていた。奥方のけいこばぁが見れば喜びそうなバッグなんぞもあったが、これらにはお値段がない。参考出品なんだろうか。

 

 こういう小物類には100円コーナーとか200円コーナーとかとお値段がついていた。

 

 所属寺院でのご法話はお聴聞する機会は多いが、あまり、よそさまのお寺でのお聴聞という機会はない。ふむふむ、なるほど・・と、納得したり、お勉強になったりと・・・。

 

 お寺さんでのお食事を「おとき「お斎」と言う。仏教用語らしい。いわば業界用語か専門用語に当たるのかも知れない。仏事の際に或いは仏事の後に「お斎」と呼んで食事するもの。仏教発祥地の古代インドにおいて、釈尊がご健在の頃、仏教を学んだり修行を行う出家者は午後からの食事は摂らなかった。食事をするのは朝(お粥)と昼の二回だけで、朝の食事を「お斎=おとき」と言い、昼の食事を「斎=さい(音読みにしただけ)」と言って分けていたらしいが、今では、朝でも昼でも夜でも「おとき」と云うらしい。

 

 お昼休みには、大正琴のグループによる演奏会兼うたごえ会が行われて、大正琴の演奏で、昔なつかしい歌謡曲などを歌って楽しんだ。

 

 さて、私のHP(ホームページ)だが、今のプロバイダー(20Mb)を整理して使うべきか、新しい無料のサービスを使うかを考えていた。どちらにしても、必要なものではない。今は、このブログの更新だけでも精一杯だし、とりたてて、ホームページで情報発信すべき情報も無い。今月いっぱいをかけて、HPの必要性を再検討してみようか。

 

 先月から、思いがけなく、「おへんろつかさの会」のホームページを担当するようになったこともあって、あれもこれもと手を広げるのも無謀だし・・・。それに、WordPressだのメーリング・リストの構想も出てきていたし・・・。

 

 夏休みから年末にかけては講演会や法話会のスケジュールも入ってきているし・・・、HP増設計画はやはり無謀かも・・・。ここが思案のしどころだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きている間は全て自分の時間 使い方によって人生は長くも短くもなる」というもの。セネカという人のいわく、「人生そのものが短いと考えるのは間違っている。なぜなら人生は、私たちの使い方次第で、短くなったり長くなったりするからだ」と。無駄に使わず、有効に使うことが大事だ。そうセネカは言う。

 

 しかし、われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費されるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。けれども放蕩や怠惰のなかに消えてなくなるとか、どんな良いことのためにも使われないならば、結局最後になって否応なしに気付かされることは、今まで消え去っているとは思わなかった人生が最早すでに過ぎ去っていることである。全くそのとおりである。われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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あじさいに 今日の感謝を 述べてみる

2015年05月18日 | たまにはご法務

 東かがわ市地方は、気圧の谷や前線の影響で雲が広がり、夕方には小雨も降ったし、夜には雨が降るらしい。気温は、14度から27度、湿度は64%から76%、風は1mから10mの南南東の風が強く吹いたと言うが、お寺の中にいたからか、全く、気づかなかった。明日の19日は、引き続き前線の影響で雲が広がり、明け方まで雨となる見込みらしい。

 

 ようやく月曜日になったのだが、右足の腫れも痛みも少なくはなった。だから、明日か明後日には回復するかなぁと思ったのだが、けいこばぁが、「絶対に行ってよ~」というので、しぶしぶ腰を上げて、県立病院に寄ってみた。

 

 だと、案の定、レントゲン検査に尿検査と採血による検体検査。ところが、データー的には、どこにも異常は認められない。血液検査では、「肝臓の数値が高い」というくらいで、どこにも異常はないと仰る。レントゲン検査でも骨とかにも異常はない。触診でも痛みは感じられないし、目で見ても腫れなどの症状は確認できないと仰る。

  

 月曜日には似たような人が多くて、どこも待ち時間が永い・・・。3時間待って、2分くらいの診察があって、おしまい・・。飲み薬もシップ薬もない・・・。

 

 現役の頃の「電話の雑音」とか「ノイズ」とかというものは、症状が見えない。で、私らが帰ると、またもノイズが出る・・。それと同じで、ドクターの前では症状が見えないのだけれど、自宅に帰れば、症状は出る。そんなもんだ・・。

 

 さて、今日は所属寺院の「春季永代経法要」の日。兄弟子が仕事でお参りできないというので、「これは大変だ・・」というので、駆けつけた。もう、すっかりと、準備は出来上がっていた。私は受付担当である。あと、給仕一般のお手伝い。

 

 讃岐国名勝図会には、開基は明暦三年(1657)沙門正哲の草創とあるが、寺伝によると、天正四年三好氏落城のとき、その家臣板西城主赤澤信濃守は中富川の合戦において討ち死にし、天正十年(1582)赤澤信濃守の一子正本法師が菩提を弔うため、大坂天満興正寺で証秀上人につき得度し、丹生の郷小砂村に小砂坊を開基したのが勝覚寺の始めとされている。古い安楽寺末寺帖にも小砂正覚寺とあり、追加の記事にも三本松正覚寺とあり、創建も寺伝による天正年間が正確といえる。安楽寺末寺となったのは、阿波三好氏の関係であろうと思われる。その後正覚寺と号した。九代目願故のときの貞亨元年(1684)三本松村に移り、海暁山勝覚寺となったとされ、港町三本松の発展とともにその勢力をひろめ、寺院としての体裁を整えた。(まほろば自然博物館HPより)

 

 12時に鐘を撞いて・・・。撞いたのは英海さん。なんとなく、境内は静か・・・。

 

 法要は英海さんが導師となって、仏説阿弥陀経のお勤めとご和讃。

 

 今日のご法話は、西植田町・称名寺住職の柴田好政師。今日は、妙好人についてのお話となり、この寺ゆかりの「庄松同行」についてのお話がメインになった。

 

 この庄松さんは、何歳の時の像だろうか・・とか。この銅像が何歳の時のモデルかと言われても・・・住職の明海さんでも知らんやろ・・・。晩年頃のものだとは思うけれど、「何歳の時のお姿か」と言われてもなぁ・・・。そういうことは、まるきり、想定もしていなかったし、気にもしていなかったが、何をモデルにして、この像は造られたのか、調べてみる必要はありそうだ。間もなく、没後、150周年、150回忌法要も予定されている筈。

 

 あちらこちらに、庄松(しょうま)さんの肖像画はあるが、どこにも「満何歳のもの」などという日付けは入っていない筈。確証はどこにもないような気がする。

 

 ご法話が終わったのが15時半。それから、法具や打ち敷きなどを片付けて・・・。特段の足の痛みもなくお仕事を終えたことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「できるからやるんじゃない やるからできるようになるんだ」というもの。久保ひろしさんの「やるからできる:人生を劇的に変える思考法」から。物事に、最初からできるものはない。少しずつ、こつこつとやり続けているから、立つことも、歩くことも、走ることも、お箸を使うことも、鉛筆を持つこともできるようになった。やってきたからできるようになったんだ。これからもそうだ。できることをやるのは当たり前だ。できないことをこつこつとやり続けていたら、できないこともできるようになる。

 

じゃぁ、また、明日、会えればいいね。

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黄水仙 ひとつ役目の 荷をおろす

2015年02月08日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は概ね晴れていたが、冬型の気圧配置となっているため、雲が広がっている処もあった。気温は0度から7度、湿度は74%から56%、風は1mから3mの北北西の風が少し。明日の9日は、冬型の気圧配置が続くため、雲が広がりやすく、昼過ぎまで雪や雨の降る所があるらしい。

 

 奥方のけいこばぁは朝の5時から起きて赤飯造り。お仏飯と昼食の赤飯用である。

 

 私は仏間の準備。和室のふすまを取り外したり、座布団を並べたり・・・。

 

 仏前のお供えを盛ったりする。お客さんが来るのは9時過ぎからぼつぼつと。

 

 今日の導師は英海さん。脇は私と兄弟子の弘昭さん。今回は母の三回忌と祖母の25回忌の法要である。

 

 一席目は「初夜礼讃」。二席目は「四十八願」と「阿弥陀経」、それに「現世利益和讃」。

 

 最後は「御勧章拝読」。そして法話があって、ちょうど2時間。直後にお迎えのバスがやってきた。みんなは大急ぎでバスに乗り込んで「おとき(齊)会場」に向かう。例年、この時期には雪があって大騒ぎするのだが、今回はさわやかな春のような空だが、空気は冷たかった。

 

 「プレッソ古川」さんというお店での「おとき」である。ここは結婚式場でもあり、一般の宴会場でもあって重宝なお店。毎年、ここのお世話になっている。

 

 予定参加者は22人だったが、当日のお参りは18名になった。少し前には30人・40人という数になったが、叔父さんやおばさんらがいなくなって、めっきりと淋しくなった。それに子や孫や・・というのもいなくなって、「なぎちゃん」一人になった。

 

 最初のおときはこうしたものから。「献杯」は唯一の叔父さんの発声をお願いした。あと、天ぷらだの茶碗蒸しだのおすましなどが出て来る。左下のお茶碗の中に、けいこばぁの作ったお赤飯が入っている。

 

 ご婦人方はしっかりと食べて、話してとにぎやか。一方。男性陣はビールだ、酒だ、と、こちらは飲んで騒いで・・・。「六甲おろし」まで飛び出したりして・・・。

 

 楽しいときはあっという間。時間制ではないのだが、女性陣がパックに残り物を詰め出すと、仕方なく男性陣もお銚子やビール瓶の中身を飲み干してしまう。およそ二時間・・・。

 

 おみやげを手にして、みんなはバスに乗り込んでわが家に戻る。そのまま、車で帰る人もあれば、コーヒーやお茶で休憩する女性陣や、またもビールで二次会をする男性陣なども。

 

 私はようやくに和装から平服に着替えて、早速に座布団や椅子などを片付け、経机や焼香盆などを片付けて平常の仏間に戻す。

 

 今日の掲示板はこれ。「災難が来ぬように祈るのが信心ではない。どんな災難が来ても引き受けてゆける力を得るのが信心です」というもの。この世は無常である。常なるものは何もない。「ゆく川の流れは絶えずして、もとの水にあらず」と言われるように常に変化している。「時間よとまれ」ということはありえない。無常なるがゆえに、一寸先は何が起こるかわからない。一寸先は闇。いくら一生懸命努力しても、勉強しても、頑張っても、結果はどうなるかはわからない。どっちに転ぶかわからないのが現実。どっちに転んでも大丈夫といえるものを身につけていなかったら、結果が悪かった時とても苦しい。仏法を聞くとは、どっちに転んでも、災難がきても、思い通りにいかなくても大丈夫というものを得ることである。災難が来ないように祈るのが信心ではない。この世は必ず、生老病死の苦しみに出会うのである。祈って無くなるものでは決してない。生きていれば必ず別れや死が来る。与えられたことを引き受け、それを乗り越えていくしかないのである。その乗り越えていく力を得ることが信心であると言うているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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やぶ椿 お役目一つを やりとげて

2015年01月27日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は気圧の谷が通過して次第に晴れてきていたが、湿った空気や寒気の影響で雲の広がっている所がでてきた。気温は9度から14度、湿度は84%から60%、風は3mから5mの西北西の風がすこしばかり。明日の28日は、引き続き冬型の気圧配置となり、雲が広がりやすく、明け方まで雪か雨の降る所があるらしい。午後からは冬型の気圧配置も次第に弱まる見込みなんだとか。

  

 山頭火研究やらお遍路研究ばっかりやっているように思われているので、たまにはこういうお話もしておかなければ・・・ということで、今日は高松市御坊町にある「高松興正寺別院」にやってきた。心配されていたお天気もすっかりと晴れてきて、気温はぐんぐんと上昇してきた。

 

 今日はここで、「宗祖親鸞聖人報恩講」が行われるというので、見えるようになった眼で、自分で運転をしてやってきたもの。前回は11月の講演会で、運転手付きで来たのがまるで昨日のことのよう・・・。

 

 朝座は午前10時から。私たちは9時半に集合して更衣して、朝の法要の準備をする。出勤者は十数名あまり。

 

 本堂のなかは参詣者でいっぱい・・・。高松から京都は近いと言っても、なかなか、ご婦人方や高齢の方にすれば容易にはお参りできない。そういうこともあって、大勢の方のお参りがあった。

 

 私たちは、御絵伝の掛けられた右余間に着座する。(この画像は昨年のもの:東讃教務所HPより)

 

 御門主さまが登壇されて御親修のもと、各組(地区)の代表出勤者や知堂衆など30名を越える法中(お坊)さん方によって法要が行われた。

 

 法要の後、門主さまから「ご親教(おことば)」が披露された。その後、法話(おはなし)がおこなわれた。

 

 その後の昼食は「お斎(おとき)」ということで、しっぽくそばやしっぽくうどんが振る舞われた。おそばなんぞは滅多に食べられないからと、しっぽくそばをいただいたが、うどんのような食感だった。おそばを食べて、おうどんのおかわりをする人も多かった。

 

 お参りに来られた方々も和気藹々(わきあいあい)と「お斎」をいただいている。

 

 お昼休みの間に、幼稚園の年長さんによる歌やお遊戯が披露されて、お参りのおじいちゃんやおばあちゃんたちから大きな拍手を受けていた。

 

 13時からの昼座の勤行(お勤め)、法話(おはなし)があって、15時過ぎには今日の法要はおしまいになった。

 

 私は半袖シャツだけの夏バージョンなのに、汗が流れて流れて困る一日だった。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分は正しい 自分は賢い というところに立っている これが人間の迷いのもとです」というもの。。私たちは「迷い」と聞くと、右に行ったら良いのか、左に行ったら良いのかと迷っている様をイメージしがち。しかし、仏教における「迷い」とは、「こうに違いない」「こうあるべきだ」という「思いこみ」のことを指すのである。思いこんでいる時に、その思いこみに気付くことはないし、気付かないからこそ「思いこむ」というのであろう。その思い込みをやめることはできない私たちだが、そのことに気づくことが大切だというているのである。迷いを断ち切ったりはできないが、その迷いに気づくことが大切だというのである。

 

 じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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冬めいて まとめきれない 日記帳

2014年12月01日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は冬型の気圧配置のために雲が広がっていた。気温は16度から18度、湿度は74%から64%、風は2mから4mの北西の風が少し。明日の2日は冬型の気圧配置が続くため雲が広がりやすく、雪や雨の降る所があるらしい。

 

 今日は所属寺院の報恩講のお勤めの日。奥方の仕事の都合で、午前10時過ぎに上山した。朝方は天気も良くて風もなく温かい気持ちのいい日になった。

 

 報恩講(ほうおんこう)は、浄土真宗の宗祖(開祖)である親鸞聖人(1173-1262)の祥月命日(弘長2年(1262年)11月28日(グレゴリオ暦…1263年1月16日)の前後に、宗祖親鸞聖人に対する報恩謝徳のために営まれる法要のことである。平たく言えば、「親鸞さまのご命日」のご法事である。

 

 報恩講は浄土真宗の僧侶や門信徒にとっては、年中行事の中でも最も重要な法要とされている。なお、お荘厳(しょうごん)も、最も重い形式となっている。各本山で営まれる法要は「御正忌(ごしょうき)報恩講」と呼ばれ、祥月命日を結願(最終日)として1週間にわたり営まれる。各地の別院や各末寺、各一般寺院においては、「お取り越し」もしくは「お引き上げ」と呼ばれ、「御正忌報恩講」とは日付を前後にずらして1〜3日間、ないし5日間営まれる。日付をずらす理由は、すべての僧侶・門徒は御正忌報恩講期間中にお参りできるようにされているためである。

 

 法要は13時半から始まり、近隣寺院の住職様ご臨席のもとで厳かに勤修(ごんしゅう)された。例年通り、仏説阿弥陀経とご和讃。報恩講だけは全員が「七条袈裟」を着用する。

 

 真宗の基本は「お聴聞」。ご法話を聞いて聞いて聞き抜いていくこと。今日のご法話は「秋山和信」師。松からお越しになった。この先生は「謡う布教使」さん。と言っても、歌謡曲やロックを歌う訳ではない。ときおり、節をつけて謡うようにお話をされるお方。

 

 今日のお話は「善導大師」の「二河白道(にがびゃくどう)」の絵解き法話。こういうお軸を使ってのお話。これをおもしろおかしくお話する。

 

 思わず、あちらこちらから笑い声が巻き起こる・・・・。

 

 でも、先生は真剣そのもの。シャレや冗談で笑わせているのではない。仏法を説いているのだ。でも、「そんな、アホな・・・」と笑ってしまうのだから仕方がない。

 

 これが「二河白道図(にがびゃくどう・づ)」絵では上段に阿弥陀仏が描かれ、中段から下には真っ直ぐの細く白い線が引かれている。 白い線の右側には水の河が逆巻き、左側には火の河が燃え盛っている。 下段にはこちらの岸に立つ人物とそれを追いかける盗賊、獣の群れが描かれている。下段の岸は現世、上段の岸は浄土のこと。 右の河は貪りや執着の心(欲に流されると表すことから水の河)を表し、左の河は怒りや憎しみ(憎しみは燃え上がると表すことから火の河)をそれぞれ表す。 盗賊や獣の群れも同じく欲を表す。東岸からは釈迦の「逝け」という声がし、西岸からは阿弥陀仏の「来たれ」という声がする。 この喚び声に応じて人物は白い道をとおり西岸に辿りつき、覚りの世界である極楽へ往生を果たすというもの。

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎる。気が付けば15時半。後片付けをしてお寺を後にした。何度も繰り返すけれど、この松の黄色は松枯れではなく単なる病気とのこと。心配はいらないと言ってる。

 

 今日の掲示板はこれ。「明日の人生はきっと何かあるものです。きょうの苦しみはきょうで終わり。明日の苦しさは明日の話」という吉田潤喜さんの言葉から。昨日は昨日、今日は今日。明日は明日の風が吹く・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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