まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

小寒は 亀さえ首を 引っ込める

2018年01月05日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨や雪の降っている所があった。気温は2.7度から6.6度、湿度は90%から80%、風は0mから1mの北北西の風が少しばかり。明日の6日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

  今日は小寒。小寒は二十四節気のひとつ。冬至から十五日目で、陽暦1月6日ごろ。寒気がようやく強くなる。寒の入りでもある。昨日までは暖かいお正月だったけれど、今日は少しばかり風が冷たくなってきた。

 

 今日は奥方がお休みだからと、香川県立ミュージアムに誘った。一人で来ると、「勝手に好きな事をして・・・」と叱られるので誘ってみた。

 

 この時期恒例の「日本伝統工芸展」である。

 

 「うわ・・、610円も要るの??」と仰る奥方に、免許証を見せなさい・・・というと、無料で入場させていただける。65歳以上は無料となる。私は、この「長寿手帳」を見せて入る。

 

 私は、アートや芸術はわからない。でも、こういうものは、「すごい・・・」と思う。日本伝統工芸展は、歴史・芸術上特に価値の高い工芸技術を保護し育成するとともに、先人から受け継いできた優れた技を磨き、現代生活に即した新しいかたちを築き上げることを目的として、昭和29年(1954)から毎年開催され、今回で64回を数える。

 

 流動感あふれる非対称形の器体は、絶えず形を変えて走り流れる水の姿を体現し、黒漆面の条線がその勢いを強調する・・・というのだが、何がなんだかさっぱりとわからん・・・。

  

 今回の高松展では、重要無形文化財保持者(人間国宝)の作品46点をはじめ、受賞作品及び四国在住作家の入選作品など計300点を展示している。このうち、香川在住作家の作品が17点、香川県ゆかり作家の作品が13点ある。

 

 ただただ、うなってしまうばかりの作品が並んでいる。

 

 人間ってすごいなぁ・・・という言葉ばかりが出てしまう。

 

 こういう素朴な作品が馴染みやすい。風の中を家路につくおばあさんの姿である。

 

 さっぱりとした作品だが、手足がまるで生きているようにすらりとして美しい。

 

 奥方が、「今日のお昼は、ここからだとこがねね・・・」と言うので、こがね製麺所志度店に寄った。ずいぶんと久しぶりだ。

 

 奥方はいつもの「かけうどん」におでんである。私は、「七宝具(しっぽく)うどん小」である。トッピングはフリー。

 

 話は一転するが、今年の香川県の「三が日の人出」数である。香川県東部の東かがわ市の「与田寺」96,000人はすごい。「田の口薬師」や「白鳥神社」も定位置にいる。さぬき市の「大窪寺」も大健闘。

 

 今日の掲示板はこれ。「耐えてこそ つぼみふくらむ 梅の花」というもの。昨年末にはこの冬は暖冬だなんて気象予報士が自信ありげに口を揃えていたが、ようやくに”寒の入り”に恥じない気温になってきている。ネットで調べると万葉集で萩についで多く出てくるのが梅で、合計すると119首もあるそうだ。この「耐えてこそ 蕾ふくらむ 梅の花」は、「梅ちゃん先生」の梅子の名前の由来であったが、梅の花は辛い時期に耐えて幸せを迎える象徴的な花なのかも知れない。ふと見ると他の木々も春の準備を始めているようだし、梅の花も紅梅も、少しずつだが花びらが開いているように見える。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


一人だと 一人のままの 夏の花

2017年05月26日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は18.7度から25.6度、湿度は94%から60%。風は1mから6mの西の風が一時は強かった。明日の27日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 さて、昨日に借りた本はこどもさん向けだったので、今日は検索システムで、それらしい本を探し出して借り直してきた。

 

 こういう本とか・・・

 

 とか・・・、

 

 こういう、難しい本などを借りてきた。

 

 こういう小説まで出ていたのか・・・。

 

 お昼からは、隣町、寒川町(さんがわまち)にある、「21世紀館さんがわ」という施設で行われている「絵画展」を鑑賞してきた。

 

 というのも、昨日の民児協の総会に行くバスのなかで、この案内状をもらったからである。

 

 「木画会」というのは、毎週木曜日に、町内の画家だった「十河安則」先生の指導の下、絵画を学んだ人たちの集まりで、こうした絵画展を行っているらしい。

 

 この人も、同じ民児協に入っている同級生だった「黒田画伯」。こうした絵を描くのだという。

 

 こうした絵とか・・・。

 

 中学校を出てからは会うこともなく、同じ町内に住みながら会話を交わすこともなかったけれど、民生委員になって、こんな彼を知った・・・。ほかにも2人の女性会員も民生の方だった。

 

 ほかの方々も「体協」とか「文化財保護協会」とか「いきいきクラブ」とかの地域活動をやっているらしい。そのいずれにも入っている猛者もいるのだとか。私は会社一筋で、暗いうちから出勤し、暗くなってから自宅に戻る生活で、地域のことなど何一つしていなかったから「浦島太郎症候群」。

 

 今日も「たまちゃんアイス」がおいしかった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人の悪い所はよく見える 自分の悪い所は見ようともしないこの私」というもの。どこの誰の言葉かもわからない。江戸時代の終わり頃から昭和の始めにかけて、讃岐の国に山地願船さん(1859~1941)という方がいたそうな。この願船さん、同じ讃岐の庄松同行に並ぶ程の妙好人であったとか。ある時、願船さんが「眼が悪くて困っておりますが、この私の眼を診てくれますまいか」と親しい眼医者を訪ねたそうな。ところが、いろいろと調べてみても、どこにも悪いようにはない。「診たのじゃが、どこも悪くないようじゃがな」と眼医者が言うと、願船さんが言うことに、「私の眼は人の悪いとことばかり見えて困るんですわ・・・」。なるほど。私たちの眼というのは、他人さまのことはよく見えるもの。「あの人、また、スマホを変えたなぁ・・」、「あの人は外車に乗って景気がええなぁ~」などと。それでは、そのよく見える眼でもって、自分の顔を見ようとすると、さあ、どうだ。頑張っても、せいぜい鼻の頭が見えるくらい。鼻が低いとそれさえもむつかしい。一番近くにありながら、見ることできないのが自分の顔なのである。蓮如上人は、「人のわろきことはよくよくみゆるなり、わが身のわろきことはおぼえざるものなり」と、仰せだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


生かされて 臘梅の黄に 安堵する

2017年01月09日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇り、昼過ぎまで雨の降る所があった。午後からは晴れてきて明るくなった。気温は7.9度から11.8度、湿度は92%から、風は3mから6mの西の風が一時強く、香川県下には強風警報と波浪警報が発令された。明日の10日は、引き続き冬型の気圧配置となるが、概ね晴れる見込みらしい。

 

 この前から、集会場の横にこんな車が停まっている。で、今日はとうとう自治会の会員さんからクレームが来たので、県道の防災工事をやっている業者さんに注意をして、すぐに、この車を移動させた。着工挨拶もせずにやりたい放題の業者である。

 

 で、今日は休日だというので、坂出市番の州まで足を伸ばしてきた。正確には坂出市沙弥島字南通というらしい。そこにある「香川県立東山魁夷せとうち美術館」である。ここも香川県発行の「長寿手帳」を提示すれば無料で見学できる。

 

 2016年度第三期ーマ作品展ということで、一階が「風景歳時記 都の彩」というテーマである。

 

 館内はこんな感じ。ネットからの画像である。もちろん、館内は撮影禁止。一階では、春夏秋冬の風情を雅びやかに書き留めた、京都を取材地とした作品18点を見せてくれる。

 

 フライヤーにもあるこの絵は、「秋彩」というリトグラフで、京都の街の東側に位置する比叡山の山並みを描いた作品。夜明けの柔らかな光のなかで、白く桜の木々が浮び上る。なだらかな稜線を描く山の重なりや、遠くなるほど薄くなる色調には優美さが漂い、平安の昔から変わらないであろう「春はあけぼの…」の情景に、日本の美の源泉をみる。

 

 二階展示室では、スケッチや下図を中心に、日本画の制作過程を紹介しながら展示している(18点)。実際の風景と向き合った丁寧なスケッチや、入念な構図の検討を重ねた下図など、公開される機会の少ない貴重な資料である。それらは、描き直しには不向きな繊細な日本画の素材技法を以て、濁りや迷いのない画面を作り上げる魁夷の、全身全霊を傾けて行ったひたむきな作品への道程と言えよう。

 

 小さなスケッチから、「大下図」と呼ばれる下絵を経て、実際の絵となり、それが木版画やリトグラフへと展開していく。これは、「渓音」という木版画である。

 

 大下図は、日本画の完成作品と同じサイズで描く下図のこと。あらかじめ小さなサイズで十分に構図を練った後、大下図で確定する輪郭線を本紙に写して日本画の本画制作、彩色の過程が始まる。

 

 午後からは自治会の事務仕事。主なお仕事も終わったようなので、事務引き継ぎの書類や会計書類などを整備しておく。自治会総会は三月末なのだが、できることからコツコツと。

 

 活動報告書や次期当番表、会計報告なども整備しておいた。

 

 最近の時の早さには驚くばかり。この前にお正月を迎えたと思えば、早くも明日は10日。本当に「できることからコツコツと・・」だと思うばかり。

 

 今日の掲示板はこれ。「あらたまの年のはじめは祝うとも 南無阿弥陀仏のこころわするな」という蓮如上人のお言葉。時期が少し遅くなったけれど、お正月でうかれる気持ちをひきしめるように、蓮如上人は仰せになったのかもしれない。そしてまた、新年こそ、お念仏の始まりだよと云うとるのかも知れない・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


冬晴れに 出会ってみたい 人がいる

2017年01月06日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は4.4度から9.5度、湿度は76%から70%。風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の7日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷や湿った空気の影響で夜は次第に雲が広がる見込みなのだとか。

 

 注連縄などの準備ができたので、すっきりとした気持ちでここにやってきた。高松市香南町にある「香南歴史民俗郷土館」で、「屋嶋城(やしまのき)のものがたり」という展示をやっていると聞いたのである。

 

 白村江(はくすきのえ)の戦いの後、中大兄皇子は、唐・新羅の連合軍の侵攻に備え、国を守るために、北部九州から瀬戸内海にかけて城を築かせた。その一つが「屋嶋城(やしまのき)」だった。日本書紀にも「讃吉國山田郡に屋嶋城、対馬國に金田城を築く」という記述がある。

 

 しかし、連合軍の侵攻はなく、城は見捨てられ忘れられ元の山野に戻ってしまった。「確かに屋嶋城はある筈・・」と、一人の郷土史家・平岡岩夫が屋島中を歩き回って、ついに、この石積みを見つけ出した。平成10年のことだった。

 

 かつて「幻の城」とされていた屋嶋城が復元されたのは平成28年だった。しかし、これは広大な屋嶋城のほんの一部に過ぎない。屋嶋城は「幻の城」から「謎の城」と呼ばれるようになった。

 

 ここからは坂出市の「城山城(きやまのき)が見える。城山からの「のろし」をここから確認したのであろうか。

 

 香南町から国道193号線を南下して高松市塩江(しおのえ)町に入る。ここには、高松市塩江美術館がある。

 

 ここで、「生誕100年市原輝士-伝承-展」が行われている。香川県で生まれ育った市原輝士(1916 - 1996)。地元で教職に携わりながら、郷土史家として香川県内をはじめ、四国地方の民家や民俗を研究していた。また高松市史の編纂などにも携わり、数々の功績を遺している。

 

 市原輝士先生と言えば郷土史家か民俗学者かと思って居たが、ここに来て、初めて先生の素顔を知った。

 

 私が若い頃に読みふけったこの本も市原先生の本だった。

 

 ところが、こうした民家や民俗風習などをスケッチし、水彩画で描いて残しているのである。若い高松工芸高校の頃からのスケッチも残されていた。

 

 今はもう、見られなくなった昔の生活。昔の台所やかまどの絵。先生は、民家や民俗を求めて東北など各地を訪ねて歩き、それらを克明に絵として残されている。

 

 市原輝士先生の生誕100年、没後20年を迎えた今年、ご家族の協力をいただいて、その足跡と人物像を残された資料などを通して紹介している展覧会である。

 

 午後からの恒例の集落内パトロール散歩。県道の防災工事の真上でひなたぼっこをしているサル軍団・・・。すぐ下では重機がうなりダンプカーが走り回っているのを高見の見物。

 

 今日の掲示板はこれ。「生かさるる いのち尊し けさの春」という、町内の善楽寺にあったもので「中村久子」さんの句である。中村久子さんは、1897年、飛騨の高山で誕生し、三歳のとき突発性脱疽に罹り、両手両足を無くされた。中村さんは、その障がいの事実を真正面に引き受けて、人権意識が未成熟で障がい者への差別の厳しい、生きていくのも非常に困難な時代を、女性として、母として、そして何よりも一人の人間として72年の生涯を生き抜かれた。晩年詠まれた「手足なき身にしあれども生かさるる今のいのちはたふとかりけり」に、自己の「身の事実」を機縁として、真実の世界に目覚 めていくという、中村さんの心の軌跡が窺える。 春は、全ての「いのち」をはぐくみ、育てる自然の営みの尊さをひとしお輝かせて見せてくれる。中村さんは、その中に生をうけ、生かされている自らに気づか され、その事実によろこばれたことと思われた。目覚めるたびに今朝も生きているとの確認は、生かされていることの体感であり、実感であったのであろう。そ の体感が苦難の中を精一杯生きる力となったものと思われる。 「今日のことば(句)」は、新しい春を迎え、あらためて人間の存在の真実を考えさせてくれる ものであろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


黄水仙 名刺一枚 受け取って

2016年01月08日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は寒気や気圧の谷が通過する影響で雲が広がり、昼過ぎにかけて雨や雪の降る所があった。気温は6度から10度、湿度は70%から56%、風は2mから5mの北西の風が吹き荒れていた。明日の9日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 今日は雨が降っていたし風も強そうだったので、恒例となった、「日本伝統工芸展」を見に行くことにした。場所は高松市玉藻町にある香川県立ミュージアム。9時過ぎに地下の駐車場に入った。

 

 母がまだ元気な頃から、この工芸展には寄せてもらっている。日本伝統工芸展は、歴史・芸術上特に価値の高い工芸技術を保護・育成するとともに、先人から受け継いできた優れた技を磨き、現代生活に即した新しいかたちを築き上げることを目的として昭和29年(1954)から毎年開催され、今回で62回を数える。しかしのかかし、そんなに工芸に興味があるわけではない。ここに来ると、全く別の世界に来たようになるのは事実。「これをヒトの手で作ったんかぁ・・」という溜息が出るし、「ふーん」という感想しか出て来ない。

 

 これがポスターに出てきている「きんま水玉文箱」で、重要無形文化財保持者の磯井正美先生の作品。いわゆる、「人間国宝」の作品ということである。ちなみに「きんま」というのは、キンマ蒟醤)はミャンマー製の漆塗り手工芸品の一つ。

 

 これも同じような人間国宝、太田先生の作品で、「籃胎(らんたい)きんま香盒(こうごう)」「赤トンボ」。香盒だから小さいものである。

 

 これも重要無形文化財保持者の山下義人さんの「石橋きんま色紙箱」である。これらの作品は入ってすぐの場所に並べてあるから、今回の目玉みたいなものだろうか。はっきり言って、何が何だかわからん・・・。ま、漆塗りの箱工芸である。

 

 これが入場券である。

 

 で、観覧料は一般610円 前売・団体(20名以上)490円、 高校生以下無料。こうした長寿手帳を持っている65歳以上の方や身体障害者手帳等をお持ちの方は免除されて無料で観覧できる。

 

 こういう着物はすごいなぁ・・という感想のみで、織り方もすごいし、デザインもすごいなぁと思うばかりで、生地がどうで、文様がどんなで・・とかと細かなことはわからない。村上良子さんの「仲秋」という作品。

 

 高松宮記念賞の井戸川豊さんの「銀泥彩磁鉢」で、「カイワレダイコン」の図柄だと思う・・・。

 

 これは文部科学大臣賞の家出隆浩さんの「編込接合器」の「ひびき」という作品。二種類の金属をカゴのように編み込んで接合してあるという金工作品。これは「たまげた・・・」。

 

 毎年、人形はわかりやすいのだが、今年のこれはちと迫力不足かなぁ・・。井上楊彩さんの「桐塑彩色」「目覚めの刻」という作品。

 

 ま、「こ、これを人間の手で指で造りはったんか・・・」という作品ばかり・・・。まさに「びっくりぽんや・・・」

 

 今日の掲示板はこれ。「毎日の不思議を見逃さない そんな感性を持ち続けたい」というもの。見渡せば、私たちの回りには不思議がいっぱい。この私が生きているのも不思議だし、となりの奥さんが生きているのも不思議・・・。草が伸びるのも花が咲くのも不思議と言えばふしぎなもの。そんな不思議を見逃さない感性をいつまでも持ち続けていきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


弥陀の手に みんな任せて 小春過ぎ

2015年12月10日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、小雨が降っていた。気温は10度から15度、湿度は94%から82%、風は2mから4mの南東の風が少しばかり。夜中に少し雨が降る見込みらしい。明日の11日は四国の南岸を低気圧が通過するため、朝にかけて雨が降る見込みなのだとか。

 

 今日は天気予報では雨が降るという予想だったので、屋外作業はアカンなぁ・・ということで、朝の7時半にわが家を出て、9時過ぎにここに着いた。朝の通勤時間帯は案外と時間がかかるものだ。

 

 東山魁夷画伯の祖父が坂出市櫃石島の出身で、香川県とゆかりが深いことから、ご遺族より版画作品270点余の寄贈を受け、これら作品を広く鑑賞していただくため、香川県立東山魁夷せとうち美術館として整備されたもの。東山画伯提案のライトグレー色の瀬戸大橋が眼前に広がり、万葉のロマン漂う歴史的遺産や、瀬戸内海の美しい自然に囲まれ、心の癒しや憩いの場となる美術館である。

 

 この美術館は坂出市沙弥島字南通りにあって、架橋博記念講演近くにある。着工は平成15年11月7日、竣工は平成16年11月10日。構造は鉄筋コンクリート造・鉄骨造りで、地上2階、建築面積は717.41㎡、延床面積が853.15㎡。

 

 今回の目玉がこれ。唐招提寺障壁画の「濤声(とうせい)」である。上段の次に下段が続く。

 

 実際には、このような絵であるが、展示してある物は「リトグラフ」である。

 

 これは「山雲」で木版画、1973年のもの。

 

 二階展示室では「鑑真和上に捧げる風景/中国の山水」ということで、こういう絵が展示してある。下絵のようでもあるし、スケッチのようでもある。

 

 平日の開館直後・・・ということもあってか、館内には私一人きり。あと、職員さんが二人だけ。それも、私は60歳以上ということで無料・・・。美術館としては儲けにならない客であった。

 

 昨日の残りのカレーライスを食べてから、お昼からはここに行った。所属寺院の勝覚寺の門前にある「讃松寺」さんで、報恩講さんが勤まるというのでお参りに行って来た。

 

 これが、その、讃松寺さんである。私が子供の頃からお世話になったお寺さんである。お葬式だ、法事だというと、所属寺院の院主さんと、この穴吹さんと、もう一人の役僧さんが来てくれた。

 

 これが、その、穴吹さん。この寺の住職さんである。先日の勝覚寺の報恩講の際、報恩講の案内を頂いたのでお参りに寄せていただいたもの。

 

 13時から、報恩講のお勤め。導師は、勝覚寺の赤澤英海師。

 

 ご法話が、「今日の掲示板はこれ。」でお馴染みの、赤松円心師。東かがわ市東山にある正行寺の住職さんである。今日は、「お念仏とはなんじゃらほい」という「節談説教」である。このあたりでは聞くことも見ることもできなくなった節談説法・・・ということで、法中さんたちも聞き惚れていた。

 

 お参りの門信徒さんたちも大笑いしたり、頷いたりしながら、節談説法の世界に浸っていた様子。

 

 今日の掲示板はこれ。「船荷のない船は不安定でまっすぐ進まない。一定量の心配や苦痛、苦労は、いつも、だれにも必要である。」というショーペン・ハウエル(ハウアー)の言葉から。ショーペンハウエルは19世紀にドイツで活躍した哲学者である。私が若い頃、飲み会や宴会では、デカンショ節を唄っていたものである。

♪デカンショ デカンショで半年くらす 
   後の半年寝て暮らす アヨイヨイ♪


 「このデカンショのデカはデカルトで、カンはカントで、ショがショーペンハウエルだ。俺にはショーペンハウエルが似合うんだ・・・」と目を少年のように輝かして、「人生は自分磨きだ。人間のあり方が大事だ」と焼酎を生(き)で煽(あお)りながら教えてくれた先輩が言っていたことを思い出す。悩み事のない人はこの世には居ないのだ。悩んでいるということ、それが生きている証拠なのである。そして、悩むからこそ成長するのだし、悩んでいることを、幸せと思えるような人間になりたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


毎日を 立ち騒ぎつつ 萩の花

2015年10月16日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は13度から21度、湿度は78%から48%、風は1mから3mの南南西の風が少しばかり。明日の17日は、寒気を伴った気圧の谷や東からの湿った空気の影響で雲が広がりやすく、日中は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 またしても丸亀市の丸亀市立資料館にやってきた。さすがに「刀女子」の姿はぐんと減った。でも、最近の女性は背が高い。背が高いというのか足が長いというのか・・、女性の肩が私の頭よりも高いのには驚いてしまう。

 

 「京極家の家宝展」は二階の展示場だが、こちらは一階の展示場で、お年寄りがちらほらと見えるばかり。古九谷とか備前とかの焼き物ならば大勢が並ぶのだろうが、「源内焼」などという焼き物は「なんでも鑑定団」でも記憶にはない焼き物である。でも、人知れず有名な焼き物らしい。

 

 源内焼・・・とはいうものの、平賀源内が実際に焼いたものではないし、源内が工夫した訳でもないらしい。江戸時代には「志度焼」とか「四国焼」とかと呼ばれており、箱書きにもそう書いてある。明治になって、「これは少し変わったものだから、源内が考えたに違いない」と考えたのだろうし、地元の「源吾」という焼き物職人が源内に相談をして構想を考えてもらったことにも由来するのかも知れない。

 

 これがパンフレットの表紙にもなっている「二彩万国地図皿」というもので、南北アメリカ大陸がデザインされている。この西半球の図皿は型押しの浮き彫りが鮮明に出ているだけでなく、現存品の中でも特に保存状態が良い逸品である。大東洋の波の形が一点の擦れも無く、中央に方位盤を置き、陸上にも沢山の地名の書き込みを読むことが出来る。

 

 これは「三彩蘭字文透彫脚付角鉢」といい、中央の見込にある欧文文字を文様として描いてあり、こうした皿や鉢を見た江戸時代の人は驚いたことだろう。当時の人の中には大名等への贈り物に使う時、舶来物と思わせる意図もあったようである。蘭字文の中でも、この透かし彫りの作品は図抜けた逸品に仕上がっており、四角の縁に花唐草を透かし彫りで飾り、最も外の縁を紫で、花や膏を赤と白で彩り、茎・葉を緑粕とし、見込の蘭字文様の緑粕を一層引き立てている。

 

 「三彩軍配形脚付鉢」である。軍配の形で精緻な文様を配する優品で、波形で周囲を巡らせた口縁部は緑粕で彩色。見込は広い部分を占める白色に中央左右に赤色が配色され、華やかな印象を受ける。見込の上部左右には亀甲が重なる文様、下部には花菱文となっている。

 

 少し変わったものを・・・。「二彩山水図火鉢」である。これは「屋島焼」で、五剣山と屋島を表わしている。屋島焼は初代林里が、文化2年(1805)屋島の麓潟元で窯をつくって始めたもの。林里は林蔵、林造とも言い、宝暦2年(1752)牟礼村に生まれ、志度村にて堺屋源吾に焼物を教わった。安永5年(1776)平木村の三谷家へ養子に行き、嘉永元年(1848)数え年97歳の長寿を全うした。

 

 「三彩西湖図火鉢」で、西湖は中国・杭州の西に位置する湖。周りを古刹・旧跡の点在する山々に囲まれた景色は美しく、古くから人々に親しまれてきた。源内焼の中でも西湖図を最も美しく取り上げた逸品である。この火鉢は図柄、仕上げが美しいだけでなく、「寛政十午初冬作之讃易舜民」と製作年月と銘のある貴重な存在らしい。

 

 これまた変わったもので、「三彩福禄寿置物」という。七福神の一つである福禄寿は、背は低いが長頭で髭を長く生やし、持っている杖には経巻を結んでいるという特徴をすべて備えている。幸福・封禄・長寿の3徳を具現しているという福禄寿に相応しく、強調された長頭も、温厚で気品のある顔立ちによって、自然で微笑ましい雰囲気を醸し出しており、配色も良く、「鳩渓」銘の作品中でも特別の逸品であると思える。

 

 これは、「三彩獅子に雀置物」というもの。これは平賀源内が所持していた「ヨンストン動物図譜」から写したものと考えられ、この作品には獅子の腹部にへラ書で「鳩渓」、その下に「舜民」の角印が押されている。この書き方だと鳩渓と言う人物が舜民という号を持っていることになるが、鳩渓は源内その人の別名で、舜民とは別人である。このような作例は本展では「三彩竜虎文徳利」がある。贋物作家の作品かと疑われるが、そのような作品が松平家に受け入れられるとは考えらない。また「徳利」も庄屋渡達家に納められたものであった。そこで考えられるのは、舜民は源吾の号であり、源吾は源内の甥であって、堂々と2代目鳩渓を名乗っていたのではないのだろうか。

 

 これが、その徳利の「三彩竜虎文徳利」である。徳利の口から首肩まで紫に、その下全体を緑袖にして、雲に乗る右向きの自竜と岩上に立つ左向きの黄粕の虎を、隅切り四角柱の一対の徳利に描いてある。竜虎の上部には五言絶句の漢詩を2行ずつへラ書きで彫り、背面に当たる面には「鳩渓造」「舜民」角印とあって、色粕の美しさと相侯って、格調高い優品となっている。

 

 これは「三彩筆洗」で、ボストン美術館のモースコレクションにも入っている逸品である。エドワード・シルベスター・モース(1838~1925)はアメリカの動物学者で、明治10年(1877)来日し、東京大学理学部教授として同12年まで在職、大森貝塚を発見するなど日本の動物学、考古学に大きな足跡を残している。その研究のかたわら日本の陶磁資料についても調査、収集をして、それら収集品3000点をボストン美術館に寄贈されている。「SHIDO」として源内焼が24点収録されている。(同展示会資料から)

 

 この展示会では個人蔵の皿や鉢などが80点余りと、火鉢や置物・水差・菓子器・徳利などが30点ほど・・・。特徴のある緑色の焼き物が並ぶさまは壮麗なものだった。会期は11月29日まで。月曜日が休館日。観覧料は無料。開館時間は9時半から午後4時半。

 

 今日の掲示板はこれ。「毎日を私の一番若い日として生きましょう」という渡辺和子さんの言葉から。渡辺和子さんは1927年生まれ。聖心女子大を経て、上智大大学院修了。ノートルダム修道女会に入り、アメリカ留学後、岡山市のノートルダム清心女子大学長に就任、90年まで27年間務める。現在はノートルダム清心学園理事長。著書「置かれた場所で咲きなさい」(幻冬舎刊)が100万部を超えるベストセラーとなった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


伸び出した ススキに明日の 夢を見る

2015年10月15日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲が広がっていた。気温は12度から21度、湿度は78%から52%、風は1mから2mの南南西の風が少しばかり。明日の16日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、夕方からは湿った空気の影響で雲が広がり、夜遅くには雨の降る所がある見込みらしい。

 

 今日から、奥方のけいこばぁはケアマネの正社員ということで、ノートPCとシステム手帳を持って出かけた。これからは日勤ということで、9時から17時半までの勤務になるらしい。さて、それでは・・・ということで、私も東かがわ市に向かってお出かけをした。

 

 これまた、恒例になった、「世界の人形展」である。東かがわ市ひけたの町並み20数カ所に70カ国1,370点のさまざまな人形が展示してあるというもの。ここは手袋ギャラリーという手袋の工場跡であるが、そこに、アルゼンチン・エクアドル・ホンジュラス・エルサルバドルの国々の人形を展示してあった。

 

 これは「銀行員ときどき映画監督」の香西志帆さんらが書いた「チョークアート風」の看板。こういうものが町中に立っている。

 

 これがその、中原淳一さんグッズのお店。

 

 町中に、こうした万国旗が張ってあって国際色豊か・・・。

 

 印象深かったのがここ。「旧松村医院跡」の建物。

 

 玄関入ってすぐの所にある「手術室」。右手に階段があって、昇って行けば診察室らしい。左は病室だったんだろうか。ここにもあちらこちらに中国やインド・韓国・ラオス・ミャンマーなどの人形が展示してある。

 

 でも、妙に気になるこの手術室。広さは畳二畳分程度の狭い部屋。右に手洗い設備。

 

 左隅には手術用の医療器具が・・・。

 

 これは韓国の人形だが、気分的に画像がぶれてしまった。

 

 ここは、ルーマニア・ブルガリア・スロベニアの人形コーナー。

 

 あのあたりの国だろうなぁとは思うが、どのあたりかは定かではない。

 

 スタンプラリーの最終地の「日本」のコーナーに到着。

 

 すると、「びっくりポン!」おひなさんが部屋一杯・・・。なんで、日本でおひなさん??と思ったら、「重陽の節句:9月9日」を表現してあるのだと・・・。

 

 動くお人形さんかと思えば人形の衣装を着たおねえさん。「ピクチュア・オッケエ??」というと、「プリーズ!」とのお返事。「メニーサンクス!!」。

 

 で、7個のスタンプが集ったので、讃州井筒屋敷へGO!!して、素晴らしいものがいただけるぞと期待したのだけれど・・・。

 

 ま、こういう小さなバッグとか子供用のおもちゃとかだった・・・。

 

 ネット友人の「ひめみかん」さんに出会ったら、イリジャコを少しプレゼントしてくれた。

 

 今日の掲示板はこれ。「いくら長生きしても幸せのド真ん中に居ても おかげさまが見えなけりゃ一生不幸」という、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。

夏がきたら 冬がええといい
冬になりゃ 夏がええという
太りゃ やせたいといい
やせりゃ 太りたいという
忙しけりゃ 暇になりたいといい
暇になりゃ 忙しい方がええという
かりた傘も 雨があがればじゃま
金を持ったら 古びた女房もじゃま
所帯もったら 親さえじゃま
義理も 人情も 愛情も 両親も
肉親の情も あればこその 世の中となる
誰も彼も どこもかしこも
かさかさ かわききった あじけない このころ
衣食住は昔に比べりゃ 天国やが
上を見ては 不平不満のあけくれ
隣を眺めては グチばっかり
なんで 自分を 見つめないのか
静かに 考えてみるがええ
一体 自分てなんやろうか
親のおかげ 先生のおかげ 世間のおかげ
おかげの固まりが 自分やないか
いくら長ごう生きても
幸せのド真ん中に居ても
おかげさまが 見えなけりゃ
一生 不幸

 「おかげさま」
         (かみどころ・じゅうすけ)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


野路菊の 咲く山道を 行く遍路

2015年10月14日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は10度から22度、湿度は82%から51%、風は1mから4mの北西の風が少しばかり。明日の15日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるけれど、昼過ぎからは気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 ということで、今日は仲多度郡多度津家中(かちゅう)にある「多度津町立資料館」にやってきた。ここでは、「世界の貝展」というのをやっているらしい。

 

 あんまり、貝には知識も興味もないのだけれど、ここが発行してくれた「お楽しみ券」というスタンプ・カードがあって、年間四回の展示会に参加してスタンプを四つ集めると「粗品」をくれる・・・というので、四回目の今日に寄ってみたのである。

 

 で、頂いたのは、来年に行われる版画展のPR用の絵はがきが三枚だった・・・。

 

 この町の篤志家が資料館を建てていたのだが、機械類は大阪の方へ寄贈したのだが、倉庫を整理していたら、大量の貝の標本が見つかったのだそうな。それがこの「世界の貝」だという。

 

 一口に貝と言っても、ここには何千種類も展示してあって、さらに後期展というものまで用意されているのだとか。

 

 あ、ある、ある・・というものから、「なんじゃ、こりゃ・・」というものまでさまざまなものが。

 

 お花の名前も覚えられないが、こんな馴染みのない貝の名前なんぞ覚えられるわけがない。舌をかみそうな、カタカナの名前の貝ばかり・・・。

 

 実は、FBFの森重先生から、「前田常三郎」=「佐柳高次」の写真がないか・・・と言われていたので、確認するために行ったのだが、分かる人がいない・・・というので、調査をお願いして帰って来た。咸臨丸の水夫でも写真を残しているのは数人だけ。オランダに行った山下岩吉は別格として、あの当時に、佐柳高次が写真を撮っていたのだろうか・・・。

 

 帰り道、高松市香南町を通りかかったら、何やら展覧会をやっているらしいので寄ってみた。

 

 この展示会は、高松市南部地域でさまざまな趣味を楽しむ「香南文化交流サロンの会員による書や絵画、写真などの展示会だった。

 

 私がいいなぁ・・と思ったのはこれ。「暁」という字である。ほか・・・は、見てもよくわからない。

 

 この展示会が終わってからの10月24日からは、「日本刀と刀装具展」というものがあるらしいので、次回の展示を楽しみにしておこう。

 

 家に帰ると、こんなものが届いていた。

 

 そうそう、図書館で見て、いいなぁと思ったので古本を探して注文しておいたもの。秋の読書にはいいかなぁと思ったまでで・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「そのうち 暇ができたら そのうちそのうち 言うとる間に一生が終わる」という赤松先生の所にあった言葉から。

       「そのうちお金がたまったら
        そのうち家でも建てたら
        そのうち子どもが手を離れたら
        そのうち仕事が落ち着いたら
        そのうち時間のゆとりができたら
        そのうち、そのうち、そのうちと
        結局何もしなかった
        むなしい人生の幕が下りて
        頭の上に淋しい墓標が建つ
        そのうちそのうち 日が暮れる」

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


金木犀 雲に誘われ にしひがし 

2015年10月12日 | 今日はすっかりとアートの世界

 丸亀地方は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、夜のはじめ頃にかけて雨の降る所がある見込みらしい。気温は17度から22度、湿度は70%から65%、すっかりと秋めいてきた。風は3mから5mの西南西の風がやや強く、日陰にいると肌寒いくらいだった。明日の13日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

さて、今、丸亀が異常に熱いのだという。そこで、その熱い丸亀にやって来たという訳。

 

 今、丸亀市立資料館では、こういう催しをやっている。丸亀藩の藩主だった京極家の家宝展であるが、今まではそんなにも話題にも上らなかった「ニッカリ青江」という日本刀である。この日本刀は何度もここで展示されている刀だが・・・。

 

 今は、このような状態・・・。聞けば「刀女子」と呼ばれる女性達が大挙してやってきているとのこと。

 

 「ニッカリ青江」の前は、これ、この通り・・・。おまけに・・。

 

 こんな掲示までが張り出されている。

 

 これが、その問題の「ニッカリ青江」。讃岐丸亀藩主である京極家が所有していたという刀で、備中青江派の刀匠貞次作と伝わる。丸亀城は幽霊・妖怪出没の噂のある城だったが、幽霊斬りの伝説を持つこの刀を所持していたお陰で祟りを受けなかったという。元々、2尺5寸という長刀だったが、後に1尺9寸9分(脇差のサイズ)に磨いたため、MMO「FF11」では片手刀として登場しているものと思われる。

 

 この刀の「幽霊斬り」のエピソードは以下のようなもの。近江国八幡の辺りに中島某という領主がおり、領内で幽霊出没の噂が立った。中島が備中青江派(現岡山県倉敷市辺りを本拠とした刀工集団)の刀を持って現場に赴くと、女がひとり子供を抱いて立っている。女が「お殿様に抱いてもらい」というと子供が走りよって来た為、斬り倒すと手ごたえはあったが子供の姿は消えた。続いて女が「にっかり」と笑い、「私も抱いて下さい」と近寄って来た為、返す刀で斬るとやはり女の姿は掻き消えた。翌朝日の出を待って再度現場に行くと、苔むした石塔が二基、斬られて転がっていたという。斬った人物は浅野長政の家臣であった、幽霊の正体は地蔵像であったという話しなどが伝わっている。「にっかり」笑う幽霊を斬ったという伝説の「青江」派刀工の刀、なので、「にっかり青江」というニックネームになったという話しである。現在は香川県の丸亀市立資料館が所蔵しており、一般公開されている。

 

 これがオンラインゲームの「刀剣乱舞」のキャラクター「青江」というのだそうだ。これを目当てに刀女子が押し寄せるというのである。

 

 これが、京極家の軍旗の「二尊旗」で初公開されている。この旗は、徳川八代将軍吉宗公の要望によって、四代藩主京極高矩(たかのり)が家宝として見せたものの一つである。

 

 これは京極折という変わった造りの「侍烏帽子(さむらいえぼし)」である。

 

 この扇は、佐々木信綱所用の軍扇だと伝わるもの。京極家は宇多源氏佐々木氏の一族で、鎌倉時代に佐々木氏から分流したために佐々木家ゆかりの品々が家宝として保存されている。

 

  高く美しい石垣の上に鎮座する丸亀城の天守閣。これは初代丸亀藩主・京極高和の時代に完成されたもの。2代藩主・高豊(たかとよ)は、城の大手を南から北へ移し、大手一の門、二の門を整備した。また、高豊は茶道や絵などの文化に造詣が深く、中津に庭園(現在の中津万象園) を造っている。琵琶湖に見立てた池に、近江八景をイメージした8つの島を配したのは、京極家の故郷・近江をしのぶ心からであろうか。

 

 名君として名高い6 代藩主・高朗(たかあきら)は、金毘羅参詣の玄関口として新堀湛甫(たんぽ)を整備し、うちわ作りを奨励した。港には時代の波をくぐりぬけた太助灯籠 (とうろう)がシンボルとして立っている。高朗は丸亀をこよなく愛し、晩年はこの地で過ごし生涯を終えて、今も南条町の玄要寺境内の京極高朗侯墓所 に眠っている。

 

 今日の掲示板は本文に脈絡なくしてこれ。「人は幸運の時には偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時だけである」というフリードリヒ・フォン・シラーさんのことばから。シラーさんは劇作家として有名だが、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の原詞で最もよく知られるように詩人としても有名。彼の書く詩は「ドイツ詩の手本」として、今なおドイツの教育機関で教科書に掲載され、生徒らによって暗誦されている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋の日は 近道ばかりを 考える

2015年10月11日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は気圧の谷や前線の影響で雲が広がり、雨の降っている所があったらしい。午後は高気圧に覆われて次第に晴れる見込みなのだとか。気温は16度から22度、湿度は84%から56%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の12日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、雨の降る所があるらしい。

 

 昨日から、「かがわ県展80周年記念展」をやっているというので、高松市玉藻町にある「香川県立ミュージアム」にやってきた。昨日は強行軍というか長丁場の結婚式だったというかで、なんだかけだるくて眠たくて、それをなんとかしなければ・・というので、ここにやってきたという訳。

 

 香川県美術展覧会(県展)は、全国でも最も長い歴史を誇る香川県主催の公募展。その第1回は昭和9年(1934年)に開催されたが、戦争の影響から昭和16・20年にやむなく中止したものの、戦時下の昭和17~19年には開催されている。そして戦後いち早く、昭和21年より再興されて、今日まで毎年開催している。県展は今年、80回の節目を迎えるが、これを記念して、県展の創設に尽力した初期の作家や、現在、県展で活躍する作家などの作品をご紹介している。

 

 「香川県美術綜合展覧会」は、当時、帝展に活躍する洋画家小林萬吾やフランスで学んだ彫刻家藤川勇造など中央美術界で活躍する香川出身の美術作家たちが、郷土での美術展覧会の開催に声をあげて始まったと言う。第1回目の展覧会は、昭和9年5月1日に開幕。3月に香川県と開催協議を始めてからわずか2か月での開幕とあって、美術家たちは各々が所蔵する自作を持ち寄っての展覧会となった。これは藤川勇造(1883~1935)の《海鳥を射る》という作品。(写真はパンフレットから)

 

 矢野秀徳(1907~1996)は、丸亀市生まれ。昭和12年、第4回香川県工芸美術綜合展覧会(現県展)で知事賞を受賞した。前年(昭和11年)から知事賞が創設された。矢野は小豆島(土庄町)にある 《平和の群像》(昭和31年)の作者としても知られている。これは「女の立像」という作品。

 

  今村俊夫(1910~1945)は、丸亀市の生まれで、昭和9年の第1回香川県美術綜合展覧会から出品し、昭和11年から猪熊弦一郎や小磯良平らが結成する新制作派協会の展覧会に出品し、受賞を重ねて、目覚ましい活躍が期待されたが、昭和20年、わずか35歳でルソン島で戦死した。これは昭和16年製作になる「石膏像のある静物」という作品である。

 

 これは小林萬吾の「鼻畠」という油彩画の作品である。1927年。

 

 一風変わった写真がこれ。招待作家の山本巌の作品で、徳島県の一宇という農村で撮影したもので、「おやじ」というもので2010年の作品である。こうした、絵画、写真、書、木工、金工、彫漆などさまざまな作品、170点ほどが展示されている。

 

  また、県立ミュージアムには、昭和のはじめごろに使われていた、人びとの生活(衣食住)に関わる道具をたくさん所蔵している。これらの道具の多くは、人びとの生活が便利で豊かになるにつれて姿を消してしまった。そこで、「古い道具と昔のくらし」という展示を行っている。この展示では、今では使われなくなった生活の道具を展示し、それらの道具の使い方やくらしの知恵を紹介している。また、家庭に電気製品がやってきたころのくらしの変化について、ミュージアムのボランティアのみなさんの思い出話をとおして考えている。

 

 これは、氷を使って食品を冷やす道具で、「氷冷蔵庫」と言った。上の段に2貫目程度(およそ7.5㎏)の氷が入り、下の段に入れた魚などの生ものを冷やした。お父さんの瓶ビールなどは氷の隣に置かれる事もあったらしい。中に入れる氷は、リヤカーをひいて家々をまわる氷屋さんから購入したという。

  

  昭和28(1953)年以降に製造された真空管ラジオである。このころになると、ラジオは一般家庭でも広く使われるようになった。NHKラジオ連続放送劇「君の名は」が放送されたのは昭和27(1952)年4月から2年間のことだった。これがたいへんな人気番組で、家族みんながラジオの前に釘づけになったという。その後、白黒テレビがやってくる。

 

 戦前からテレビの研究を続けていたシャープは、昭和27(1952)年に日本で初めて米国RCA社と基本特許契約を結び、ただちにテレビの量産の準備に入った。翌28年の1月に14型テレビTV3|14Tを発売した。これが国産初の市販テレビである。その1か月後の2月、NHKのテレビ放送開始が開始された。「我が家にテレビが初めてきた日」を覚えている世代は、今や少数派になってしまっただろうか。

 

 さて、いざ、帰ろうとしたら、駐車券がどこを探してもない。これは大事だからと、どこかに挟んだような記憶があるのだが、どこにもない。そこで警備員のおじさんに連絡して、手渡しで駐車料金を支払って出た。家に帰って調べたら、ダッシュボードにしっかりと保管してあった。

 

 今日の掲示板はこれ。「すべての出来事には意味があるわ。生きて行くこととは、その意味を理解すること」というスザンヌ・ソマーズさんの言葉から。関連した言葉には、「森羅万象(しんらばんしょう)」というのがある。森羅万象とは、宇宙に存在する一切のもの。この世におけるあらゆる事物、現象(喜怒哀楽をも含む)という意味であるが、昔、あるお坊さんに教えてもらった言葉の中に、『「森羅万象すべて教訓』というのがあった。人が毎日の生活の中で遭遇している全ての出来事は、森羅万象であり、それぞれに学ぶものがある、したがって、悲しみなどの出来事があっても、それをよき教訓として日々前向きに受け止め、生きてゆくのが大切という意味であると教えられた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


リンドウの その優しさに 救われる

2015年09月26日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は、晴れている所もあるにはあったが、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は21度から25度、湿度は92%から66%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。それにしては蒸し暑い午後になった。明日の27日は、気圧の谷が通過するため朝まで雲が広がるけれど、昼前からは高気圧に覆われて晴れるらしい。

 

 私の鼻はお馬鹿さんなのか、こういう臭いには反応しない。キンモクセイの花が咲いて、はじめて、「ああ、そういう時期になったんだ・・・」と思う程度。ラジオでは、「金木犀の花は七里先から香る」というらしい・・・。「そんなには届かんやろ・・・」と、思わず、ラジオに向かって突っ込んでいた。

 

 さて、坂出市沙弥島にある「東山魁夷せとうち美術館」では、秋の特別展ということで、「開館10周年記念ー美を求めるこころー東山魁夷を読む」ということで秋の展示会が行われている。期間は9月19日から11月3日まで。

 

 パンフレットの最初にあるから初期の作品かも。「ジュネーブの街角」という作品。紙本彩色。

 

 これは、「森の静寂」という作品。ネット画像から。1963年の作品、これも紙本彩色。この頃から、魁夷ブルーが使われたのかしらん・・。

 

 これは「秋深」という作品。これもネット画像から。1975年の作品。「うーむ」としか言えない・・・。

 

 これは、スケッチブックから、「我が旅の思いで」船上からのスケッチらしい。

 

 これは、「弟あての絵はがき」である。なんともほほえましい絵ではないか。

 

 ふと、通りがかった蕎麦畑の秋。これまた、ほっとする光景である。これまた、静かなるブームなのか、あちらこちらで蕎麦の栽培が見受けられる。

 

 自宅に戻ると、毎日の日課になっている「花オクラ」の花の収穫。この花は一日でしぼむ。だから、咲いている間に収穫しないといけない。これは、今夜の夕食のおひたしになるのだそうだ。

 

 お昼からは、万灯真教寺さんの秋の永代経法要にお参り。南無阿弥陀仏。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は、いつもいつも第一志望ばかり歩けるものでない。そして必ずしも、第一志望の道を歩くことだけが、自分にとって最良と言えないことだってあるのだ。」という渡辺和子さんのことばから。渡辺 和子さんは学校法人ノートルダム清心学園の理事長。北海道旭川市生まれ。(Wikipediaより)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


揺れてみて 明日を迎える ススキの穂

2015年08月28日 | 今日はすっかりとアートの世界

 香川県地方は気圧の谷や湿った空気の影響で西部を中心に雲が広がり、弱い雨の降っている所があった。気温は21度から28度どまり、湿度は82%から63%、風は2mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の29日は、前線が北上してくるため雲が広がり、夕方からは雨の降る所がある見込みらしい。

 

 8月も残り少なくなって、小中学生の夏休みも終わってしまい、夏の終わりがしみじみと感じられるようになった。ふと、気が付けば、図書館で借りた本の返却期日が近づいている。そこで、恒例の「香川県立図書館」にやってきて、6冊の本を返却して5冊の本を借りてきた。

  

 昨日は、香川県東部を歩いたからと、今日は香川県中部へ向かうことにした。まずは、坂出市にある「東山魁夷(ひがしやま・かいい)せとうち美術館」に向かった。

 

 東山魁夷画伯の祖父が坂出市櫃石島の出身で、香川県とゆかりが深いことから、ご遺族より版画作品270点余の寄贈を受け、これら作品を広く鑑賞していただくため、香川県立東山魁夷せとうち美術館が整備されている。美術館では、画伯と香川県とのゆかりを紹介し、様々なテーマで所蔵作品を展示するとともに、他の美術館との連携を図り、画伯や画伯ゆかりの日本画家の作品を展示するなど、東山画伯に関連する多種多様な交流を積極的に推進している。

 

 7月から9月のこの期間には、「室内に広がる風景」ということで、宮殿や寺院、劇場などの障壁画や緞帳の原画などを展示してある。

 

 たとえばこれは、帝国劇場の緞帳の原画である「緑の詩」というもの。原画はリトグラフ。他にも唐招提寺御影堂障壁画「濤声」の原画などもあった。

 

  二階展示室には「技と美にの木版画」ということで、この「春雪」などの課程画像や原板が展示されている。このへんてつもなさそうな絵に見えるが、この画像を印刷するためには、実に436枚もの原板が作られ、436枚の摺りが積み重ねられているのだという。気の遠くなりそうな工程である。

 

 だから、原作者の東山魁夷先生と彫師、摺師の先生とで綿密な打ち合わせを行い、これを何枚の原板にするか、何色に刷り上げるかを入念に話し合うらしい。試し刷りをして修正して、OKが出れば本刷りになって、100枚単位で刷り上げて、東山先生が確認して、ようやく落款が押されるのだという。お値段もするはずだ・・・。

 

 時間があったので、ここにも寄ってみた。丸亀市中津町にある「中津万象園」である。

 

 ここの、「ひいな館」の一階で、「幕末土佐の異端絵師「絵金展」」をやっているというので、のぞきに来たと言う訳である。高知県が生んだ幕末の天才絵師「絵金」こと、弘瀬金蔵が描いた芝居絵の屏風(レプリカ)11点が展示されている。香川では目にする機会の少ない、極彩色の絵金の世界を、少しでも見ておきたいものだと、やって来たと言う訳である。

 

 入り口を入ると、いきなり、こういう屏風絵が置いてある。本当は「おどろおどろしい絵」なのであるが、そんなにもおそろしくはない。最近の現実社会の方が、もっと、「おどろおどろしいような気がする」からである。

 

 こういうのも、土佐の赤岡町の薄暗い路地先の、ろうそくのほのかな灯りの下で見ると迫力があるのだろうが、こんなにはっきりと、明るい照明の下ではなんともない。それよりも、幼い中学生男女をガムテープで縛って切り刻んだ男の方がもっと、怖いと思ってしまう・・・。

 

 今日も食欲はなかったが、ものはついでだからと、丸亀市飯野町にある「純手打ちうどん・よしや」に入ってみた。午前11時前だったから店内は空いていた。

 

 で、冷たいうどんを・・・ということで、「冷やかけうどん小」をお願いした。230円だっただろうか。冷たいお出汁がおいしいなぁと思った。

 

 今日の掲示板はこれ。「乗りかけた船には ためらわずに乗ってしまえ。」という、ツルゲーネフの言葉からである。人間いったんこうと決めたら、迷わずに突き進むべきだ。決めるまでには熟慮を重ねることが必要だが、決心がついたら、もう思いきって実行するしかない。決断と行動を促す言葉である。「決定して疑いあることなし」の仏教の言葉もある。私も優柔不断で、どうしようか、どうしようかと悩むことが多いが、いろんな講演会や原稿の執筆依頼を受けた時、「どうしようかなぁ」と思いつつも、二つ返事で担当させて頂くことにしている。ちょっと状況は違うけれど、奨められた船にも乗ってみるべきと思うのである。ためらわずに乗ってしまうことである。思い切って乗ってしまえば、もう、船からは降りられない。あとはなんとかなるものだ。そしていったん乗ってしまったら、あとは後悔しないようにひたすら努力するだけなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


まどろみを ミンミンゼミに 食べられる

2015年08月18日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は前線の影響で太平洋側を中心に雲が広がり、雨が降るとか言うていたが、雨なんぞは少しも降らなかった。気温は21度から28度とうんと涼しくなった。朝方は肌寒くて長袖のシャツを出したほど。湿度は93%から64%、風は1mから2mの南南西の風が少しばかり。明日の19日は、引き続き、前線や湿った空気の影響で雲が広がり、明け方から朝にかけて雨が降る見込みなのだとか・・・。

  

 恒例の毎週火曜日の「俵札調査」は8月いっぱいはお休み中。だから、今日は香川県立図書館にやってきた。この前に借りていた本の返却期日が「8月18日」になっていたものだから・・・。で、相変わらず、ここのセミは元気に啼いていたが、一時ほどの激しさはなくなっていた。

 

 開館前には50人ほどが並んでいたが、どこに消えたものやら人影はまばらだった。自習室とか自習机前に向かったのかも知れない。

 

 その後、夏休みの資料館巡りに出で、今日は高松市玉藻町にある「香川県立ミュージアム」にやってきた。ここの第一展示室では、「語り継ぐ戦争の記憶展」をやっている。

 

 これは直島に生まれた17歳の少年が一式陸攻に電信兵として勤務していた時の飛行服である。特攻寸前に終戦となって出撃することはなかったという人が今も大切に保存しているものだという。横の布袋の中には、電信用の「電鍵」や「送受信用紙」が入っていた。

 

 これは、三重高等農林学校に通っていた香川県出身者の卒業証書である。この学生は、戦局の長期化・悪化によって在学者の徴兵猶予がなくなったため、「仮」の卒業証書をもらって出征し、その後戦死した。 学生生活を打ち切られ、学徒出陣した多くの若者の命が失われた事実について考えさせられる。

   

 ここでは、出征してゆく若者を送り出すための赤タスキやのぼり、国旗、千人針などが展示をされている。

 

  これは、昭和18年5月高松城跡の桜の馬場で撮影された写真である。戦争の長期化とともに、武器弾薬の製造に使用するため、香川県内の学校や寺社、公園などから銅像が約70体集められ、壮行式が行われた時のもの。5月30日付の『香川日日新聞』には、銅像が「前線に総進軍」すると記され、出征していく兵士と同じように送り出されていた様子がうかがえる。

 

 この中に、西郷吉之助と親交のあった月照と信海の二人の銅像も入っている。。月照は、文化10年に吉原村下所に生まれ、10歳で牛額寺の蔵海(ぞうかい)に弟子入りし、20歳で京都清水寺成就院の住職となった。後に弟の信海に寺をゆずって勤皇運動に入り、幕府側に追われて九州へ逃げ、西郷隆盛とともに薩摩の海に身を投げた。西郷隆盛は助かったが月照は帰らぬ人となってしまう。弟の信海も牛額寺に弟子入りし、高野山で修業をつみ、成就院住職となるのだが、やはり勤皇運動で幕府にとらえられ、39歳で獄死した。もとはブロンズ製の像であったが、第2次世界大戦の金属応召で台座だけになり、昭和53年(1978年)に速水史郎氏作の石像に生まれ変わっている。

 

 ついでに、この特別展示(有料)ものぞいてきたが、こういうアニメを見ていないので、内容がわからなかった。

 

 近藤喜文さんは、1950年新潟県五泉市生まれ。1950年新潟県立村松高校卒業後、Aプロダクションに入社。アニメーターとして「巨人の星」「ルパン三世」「ど根性ガエル」「パンダコパンダ」などで活躍。「未来少年コナン」を経て、78年、日本アニメーションに入社。79年放映の「赤毛のアン」(演出:高畑勲)でキャラクターデザイン、作画監督に抜擢される。1980年テレコム・アニメーション・フィルムに入社。「名探偵ホームズ」の後、日米合作映画「リトル・ニモ」の共同監督の一人として準備を進めたが、降板。1987年スタジオジブリに入社し「火垂るの墓」のキャラクターデザイン、作画監督を務める。高畑勲、宮崎駿の信頼も厚く、以後も「魔女の宅急便」「おもひでぽろぽろ」「紅の豚」「平成狸合戦ぽんぽこ」などで活躍。95年公開の「耳をすませば」で、初めて劇場用長編の監督を務めた。1998年解離性大動脈瘤により、47歳の若さで永眠。メリハリのあるアクションから細やかな生活芝居まで手がける高い技術と、仕事に妥協を許さない姿勢は、多くのアニメーターに影響を与えた。

 

 今日の掲示板はこれ。「教えることは習うこと どちらも何度も繰り返し」というもの。戦争を語り継ぐということも、それを受け継いでいく方も、どちらも何度も繰り返していかなければいけないと思う。だんだんと風化がささやかれ、高齢者が少なくなって行く中で、どうやって、この戦争の記憶を残していくのかは大きな課題になってきているなぁと感じたことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


新緑の 風もしっとり 濡れている

2015年05月14日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は湿った空気の影響で雲が広がり、瀬戸内側の西部を中心に雨や雷雨の所があった。気温は14度から24度、湿度は80%から52%、風は5mから2mの北の風が少しばかり強かったし、雷鳴が轟いたりもした。明日の15日は、湿った空気と前線の影響で雲が広がり、夜には雨が降り雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 朝方は晴れていたので山の旧宅に行って来た。タケノコが伸び放題に伸びている。この時期になると、イノシシもサルもシカも食べないらしい。人間様だって、もう、タケノコは飽きたし。

 

 そこで、サバイバル・ナイフで伐採をする。そうしておかないと、お墓の回りや旧宅の周囲が竹藪になってしまう。さすがに良寛さんみたいな優しい心には成れていない。

 

 で、本日はここ。高松市塩江町にある「ほたるの里美術館」である。ここは、緑と水に囲まれ、季節にはホタルが飛び交う小川も流れていて、自然豊かな場所にある美術館。館内は天窓から自然光をふんだんに取り入れ、香川の作家を中心に常設展と企画展を開催している。

 

 高松市塩江美術館では、「人人へのまなざし」と題し、コレクションから熊野俊一、小林正六の二人展を開催している。

 

 熊野俊一は、1908 (明治41) 年、塩江町に生まれた。1928(昭和3)年より3年間、香川県の小学校教諭として働いたが、画家になる夢をかなえるため、1932(昭和7)年に上京する。その後、戦前の二科会出品時代には人物を主に描いており、1952(昭和27)年より二紀会に所属してからも人物画を書き続けた。1963(昭和38)年に渡欧し、のちに無所属の画家として、日本とヨーロッパを行き来しながら主に風景画を描くようになったが、そこに登場する人物はいつも生き生きと描かれている。

 

 熊野俊一はいつも、最初にスケッチブックに水彩で描き、その後キャンバスに油彩で描き出す。ここでは、熊野が戦後に描いたスケッチを数多く所蔵しており、この本展では、その臨場感あふれる描線で描かれた人体デッサンをはじめ、渡欧先で描いた油彩画と小林正六の子どもたちへのやさしいまなざしを象徴するように、時間をかけ描きあげられた油彩画をあわせて、約40点紹介している。

 

 小林正六は1917(大正6)年、高松市に生まれた。およそ40年間、教師として小・中学校で美術を教えながら二紀展への出品をつづけ、1951(昭和26)年に初入選、1959(昭和34)年二紀会会員となった。1979(昭和54)年の出品を最後に退会し、その後も、熊野と同じく無所属として画家の活動をつづけてきた。小林の作品には、人物が数多く登場する。特に、モチーフにしている子どもたちは気取りがなく、天真爛漫なところにひかれて生涯をとおして描いている。熊野とは、小林が二紀会で初入選した際に出会い、その後交流を深めてきたという。

 

 ここは、美術館としてはめずらしく、自然光の入る気持ちのよい空間で作品鑑賞を楽しめる。また、周囲の公園では、桜やホタルや紅葉などの四季折々の風景が広がっている。

 

 お次にやってきたのは、さぬき市寒川町(さんがわまち)にある「21世紀館さんがわ」。「芸術文化とのふれあいを深め、人生にゆとりと潤いを実感できる芸術活動の拠点になるように」との願いを込めて、寒川町の学校給食センターが文化資料展示室に改修されたもの。その愛称が、「21世紀館さんがわ」。市民の生涯学習活動の発表の場として幅広く利用され、文化活動への貢献が目指されているらしい。

 

 ここで、柏原宏「第20回」記念写真展が行われている。奥方の友人が誘ってくれたもの。この左の方が柏原宏さん。SIC(さぬき・インターネット・クラブ)の写真部長を務めている。お隣は、大屋根さんという方で、この写真展の字を書かれた方である。

 

 会場の中は、こんな感じ・・・。我慢の作品だなぁと思った。こんな瞬間を切り取るには、じっと、我慢をしなければ撮れないなぁ・・と感じたことだった。

 

 これは、大地の虹という作品。

 

 これは、「いい湯だな」という作品・・・。

 

 「厳冬の釧路川」。四駆で寝泊まりしながら90日間をかけて撮影旅行をしたらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「やってしまった後悔はやがて小さくなるが やらなかった後悔は大きくなるばかり」という、林真理子さんの言葉から。四十数戦全敗に終わった就職試験、お金、コネ、資格、美貌・・・。ないない尽くしのどん底からどうやって階段を上がっていったのかを綴った、「野心のすすめ」が現在、25万部の大ヒットの真理子さん!「やってしまったことはもうイイじゃないか!(笑)仕方ないのだもの!(笑)でも、やりたいことをやらずに、後々後悔だけは絶対にしたくないのである。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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