まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

南天に感謝の言葉も小声にて

2021年01月16日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で概ね曇り、雨の降っている所があった。夕方からは、高気圧に覆われて晴れてきた。気温は5.5度から13.9度、湿度は94%から52%、風は1mから7mの西の風が一時は強かった。明日の17日のさぬき市地方は、湿った空気や寒気の影響で昼過ぎまで曇るが、夕方からは高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 107/68/79 36.4c-96% 62.6Kg 22.1c-38%-1016hPa 体調に変化はない。

 

 昨年の今日は香川医大付属病院のCCU(心臓病患者のみを収容し治療する施設(cardiac(またはcoronary) care unit。略称CCU)にいた。病状は好転して元気になった頃。

 

 でも、まだ自由に歩ける段階にはなかった。この頃から肺炎だ肺炎だ、新型の肺炎だとにわかにニュースになりだした頃。まだ、病院内でもマスクなしでも自由に移動することも可能だった。

 

 今日も天気がいいからと旧へんろ道探しの続きをやってみた。この頃から雨が降り出してきた。昔の前山村と奥山村の国ざかいの「額峠」に、この65丁石がある。現在のさぬき市前山とさぬき市多和の境目である。

 

 ここから川沿いに山肌に沿ってへんろ道が続いていた。お遍路さんが踏み固めてできた道である。

 

 今は護岸工事ができているのだが、昔は岩肌にしがみつくようにして歩いたものらしい。これが65丁石から63丁石まで続いている。そこからは現在の国道に着いたり離れたりしながら50丁石まで歩いたもの。それから先はわからない。

 

 話はずっと飛んで、38丁石から36丁石までも定かにはわからないが、この山肌のくぼんだところが昔の遍路道。旧国道の開削工事でへんろ道は削り取られてしまっている。

 

 36丁石から35丁石までは、このような山肌を登っていく。この右手も旧国道の開削工事で大きく削り取られている。

 

 ここは新国道の開削工事で山が削り取られている。その先に34丁石がある。

 

 で、34丁、33丁ときて、ここに出てくる。32丁、31丁は不明。で、昨日の30丁石に繋がってくる。

 

 今日の調査区館は赤の区間で、65丁石の額峠から30丁石のへんろ休憩所までの約3.8Km。そのうち、全く不明区間が緑色の50丁石の旧多和小学校前から38丁石の新国道377号線の地蔵堂前まで。このあたりは遍路道の痕跡すら残っていない。おそらく川沿いに歩いたものだと思われるが痕跡がない。

 

 それを今日も図面に落としてみた。この50丁から右側がわからない。

 

 今日は雨の中を歩いたもので身体が冷えた。そこであたたかい鍋焼きうどんにしてみた。

 

 今日の掲示板はこれ。「この花散らすも雨と風 この花咲かすも雨と風 雨と風とがなかりせば 花も散るまじ咲きもせじ」という与論小唄の歌詞らしい。雨と風によって、無残にも花は散るけれど、この雨と風がなかったら、花が開くのを見ることもないのである。花にしてみれば、なんと無情の雨か、憎い風かと怨(うら)みもしようが、またそのおかげで多くの人々から愛(め)でられ、誉(ほ)めそやされる、花として誇らしく咲くことができるのではないか、と受け取り方の妙味を唄った歌であろうか。ある人が吉野山にお花見に出かけた。あまりの花の見事さについつい見とれて道に迷い、途方に暮れて一夜の宿を求めてさまよううち、一軒の民家を見つけた。これ幸いと戸を叩くと、家の主人が細めに戸を開けて、「お気の毒ですが、お泊めするわけにはまいりません。前に旅人を泊めたところ、夜中にその旅人が強盗に居直って大変な被害を受けました。それ以来、この村では、どなたであれ一切他人を泊めないことに申し合わせをしました。まことにお気の毒ではございますが、外の軒下なら結構ですからお使いください。夜露ぐらいはしのげるでしょう。莚(むしろ)なら裏にございます」と、中に入れてくれない。夜は更けてくる。花冷えで四月とはいえ夜は寒い。その上ひもじさも加わって、何とも情けない気持ちで軒下でむしろをかぶったが、どうしても寝つかれない。このまま一晩過ごすしかあるまいと、ふと空を見上げると、折しも月がおぼろに夜桜の上にかかって何ともいえぬ風情である。この感動を忘れぬうちにと一首書きとどめた。「宿かさぬ  人のつらさを情けにて  おぼろ月夜の花の下臥(したぶし)」(もし家の中へ入れていただいて一夜の宿りをすれば、このおぼろ月夜の花の宴には会うことができなかったであろう。今の今まで、宿を貸してくれない人の心の薄情さを怨んでいたが、そのお蔭でこんな素晴らしい月と花との出逢いがあったのだと、むしろ家の主に感謝の気持ちで一杯になったのだよ)との、いわば転迷開悟の境地であろうか。何事によらず、マイナス指向は人を絶望の淵に誘(いざな)うが、プラス指向で前向きに、善知識に捉(とら)えていくならば、人は希望の丘に立つことができるのだという教えであろうか。花の命は短く「三日見ぬ間の桜かな」で愛惜(あいせき)のうちに花は散っていく。いや愛惜というのも人間のはからいで、花は無心に咲いて無心に散っていく。無始無終のいのちの中で、花は「永遠の今」を無心に精一杯燃焼させている。一瞬、一瞬に全生命を生き抜いている。咲くべくして咲き、散るべくして散り、しかも次代を背負うタネを結ぶべくして結んでいく。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


南天に後生後生の声が降る

2021年01月15日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は4.0度から13.9度、湿度は94%から64%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の16日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で午前中は概ね曇り、朝から昼前にかけて雨の降る所がある見込みらしい。午後は、次第に冬型の気圧配置となるため晴れるらしい。

 

 110/57/79 36.3c-99% 63.2Kg 19.4c-38%-1020hPa 体調に変化はない。

  

 今日は風もなくて暖かそうなので「現地に行こう」「現物に触ろう」ということで、大窪寺周辺の遍路道調査に出掛けてみた。

 

 今日は30丁石から1丁石までを調べてみた。この標識の「国境」は”くにざかい”と読んで”こっきょう”とは読まない。阿波と讃岐の国境近くにある標識である。

 

 こういう川沿いの道を歩いてきて、ここから先は川の中を右に行ったり左に行ったりして大窪寺に向かったところ。

 

 こういう川の中の水のない場所を選びながら大窪寺に向かったという。だから、途中で足を滑られてケガをしたり命を落とす遍路もいたという。そういう過酷な旅だったという。歩き疲れて足を滑られて落命したお遍路のお墓も多い場所の一つであったという。

 

 この杉木立の左は川である。これが昔の遍路道だという。特に歩きやすい場所で評判もいいへんろ道である。16丁石、15丁石があるところ。

 

 へんろ道にはこうした標識も設置されている。

 

 この八丁石というのは現在の国道377号線沿いに移転されている。大窪寺方面へは旧のへんろ道が続いている。

 

 で、三丁石まで戻って来た。二丁石は仁王門や大師堂建設のために、ミニ四国の石仏群の中に移転されている。

 

 そして最期の「一丁石」である。しかしのかかし、この一丁石も移転されたようで、山門に至る参道はすぐそこにある。あまりにも近いなぁと思うばかりである。でも、遍路道研究家の先生たちは、そのことに全く触れない。いつ、誰が建てたかというお話ばかりになる。

 

 この修行大師像は四国最大かと調べてみたが、そのような情報はなかった。これよりも大きな修行大師像がほかにもあるのだろうか。

 

 今日の大窪寺。おまいりの人がちらほらと。手水場の氷もほぼ溶けていた。

 

 で、調べてきた旧へんろ道と、その図上に移転される前の道しるべ石を推定で置いてみた。こうしてみると、通らなくなった旧へんろ道と同じような位置に、国道377号線沿いに丁石が移転されていることがわかる。あくまで推定である。遍路道も時代によって変わっているし、実際に測量をした訳でもないので。

 

 今日の掲示板はこれ。「「私は正しい」すべての争いの根は ここにある」というもの。最近、いろんな出来事に対して、多くの人が、自分は正しいと信じて、SNSやツィッターで発信をし、一生懸命に行動されてるのを目にする。もちろん、正しいと信じる気持ちはとても大切だし、それを否定するつもりは毛頭ないが、ただ、どんなにそれが本当に正しいことだったとしても、その正しいことを追求するために、あるいは、守るために、それと反することを悪と決めつけてしまったとき、その正しかったはずのことが、今度は逆に、悪というものに転じてしまうことだってあると思うのだ。そして、そのことの、とても怖いところは、その当事者の人たちは、そのことに、なかなか気づかないということ。気がついたときは、取り返しがつかない(と思えるような)状況になっていることが、少なくないのでは、と思えてならない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


寒椿逃げも隠れもせずに咲く

2021年01月14日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は3.0度から13.4度、三月中旬の気温だったとか。湿度は78%から58%、風は1mから2mの北西の風がわずかばかり。明日の15日のさぬき市地方は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 122/65/81 36.8c-98% 62.6Kg 19.1c-37%-1022hPa 体調に変化はない。肩こりは相変わらず。

 

 今朝も大霜の朝になった。日中は春のような日差しになると聞いている。

 

 この大窪寺周辺のみちしるべ石(丁石)の位置がおかしいとは前々から思っていた。昔の「一丁(109m)」ごとに立てられていた筈のみちしるべがでたらめになっている。

 

 この「丁石」というのは、昔の遍路道沿いに立っていた筈である。みんなが通る道筋に、「大窪寺まではあと何丁ですよ」と教えていたものだと聞いている。それに、遍路道が国指定になるというので、へんろ道の整備も行われている。

 

 一昨年だかに丁石を調べて歩いた記録を引っ張り出してみたが、このときには「へんろ道」は担当外で眼中になかったのだ。「大窪寺班」と同様に「遍路道班」という別のガイドグループがあるからだ。

 

 だとしたら、古い遍路道沿を探してみようと思い立った。で、Google Map とかを利用して基礎データを並べてみた。

 

 航空写真のデータも引き出しておいた。でも、どうにも落ち着かない。

 

 そこで、さぬき市図書館寒川分館に行ってみた。久しぶりにここに来た感じ。私の寄贈した本もきれいに整理して保管されていた。

 

 で、こういう本を借りてきた。もう何度も借りたことのある本である。前には石造物や記念碑、遍路墓や丁石の調査のためだったが、今度は、へんろ道そのものの勉強のためである。

 

 で、へんろ道の測量図をスキャナーで読み込んで印刷し、それをつないでみた。

 

 こうすれば、今の地形や道路がはっきりとわかる。その上に、昨日、調べてきた「旧へんろ道」を書き込もうと考えている。その旧へんろ道場に、移転されてしまったみちしるべ石の丁石を置いてみようとしているわけだ。いくらかの丁石は旧そのままの位置にあることがわかっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「できない理由を探すな」という元ヤクルトスワローズ監督だった真中満さんのことばから。昨日の民生委員の研修会の時、「できないできないと言わずに、できる方法を考えてください」と言われた。昔のお役所は「できません」「やれません」というのが役人だったような気がするが、最近は市役所も変わったものだと思いながらの作業だったが、行動しない人に見られる特徴の1つ。それが「できない理由探し」である。「お金がないからできない」「時間がないからできない」「人が足りないからできない」「タイミングが悪いからできない」あげくには「運がないからできない」とまで言い始めてしまう。行動しない人は、何かとできない理由を探し出し、行動できない自分を正当化させようとするもの。できない理由を探しているかぎり、いつまで経っても行動はできない。それでは物事が思うように進まなくなり、人生が停滞してしまう。だったら、できることから始めて見るのがいい。何からでもやってみればいい。そうすればどこかに突破口があるはずだ。できない理由を探すのではなく、できる方法を探すことが先決問題だ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


冬晴れて今日も検査の予定表

2020年02月06日 | たまには真剣な研究なども

 高松市東部では、寒気や湿った空気の影響で曇り、雨や雪の降っている所があったらしい。気温は4度から7度、湿度は82%から60%、風は2mから4mの北北西の風が少しばかり。明日の7日の香川県は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇る見込みらしい。

 

 昨日は朝からカテーテルの検査だった。カテーテルとは、医療用に用いられる柔らかい管のことである。胸腔や腹腔などの体腔、消化管や尿管などの管腔部または血管などに挿入し、体液の排出、薬液や造影剤などの注入点滴に用いる。

 

 今回は、こうした新装されたきれいなお部屋での検査になった。右腕と右鼠径部から静脈の中に送り込まれたカテーテルを、造影剤を注入して、何台ものモニターで確認しながら心臓の奥まで差し込んでいく。

 

 こうして、心臓周辺の血管の曲がりや広さや屈折ヶ所なんぞをを調べていく。来週のCRT用のデーター確保である。

 

 心不全の患者さんの中には心室の同期障害だけではなく心室頻拍や心室細動といった致死的な不整脈を起こし突然死の危険性を有する患者さんがおられる。 そのような患者さんにはどちらも治療できる「CRT-D(両心室ペーシング機能付き植込み型除細動器)治療」を行うことがあるらしい。

 

 日本語では心臓再同期療法と訳される、CRTとは、Cardiac Resynchronization Therapy の頭文字をとったもので、CRTの大きな目的は、左右の心室をペーシングし、心臓のポンプ機能を改善させることである。CRTを簡単に説明すると、心臓内の収縮のタイミングのズレをペースメーカ等で補正することで、正常に近いポンプ機能をとり戻す治療法らしい。

 

 日常生活ですら困難だった患者様の多くが、この治療によって、改善したと報告されている。この治療によって、患者の生活の質(QOL*)を上げることができる可能性がある。また、欧米での大規模試験によってCRTの治療効果が認められており、心不全の治療法の1つとして、確立されつつある。薬物治療で効果の得られなかった患者様において良い結果が得られたとの報告もされているそうである。

 日本においては、2004年に保険適応になり、重症な心不全を患った患者のQOLを向上させられる治療として年々治療数が増加している。 CRTの治療では、ペースメーカ・ICD**と同様に、本体、リードの植込み手術が必要となり、大きな違いはないが、右心房、右心室のほかに、心臓の左右の収縮するタイミングのズレを補正するペーシングを行うために、冠状静脈内へもリードが留置されるらしい。

 

 午後からは「血液透析」である。私の体内にはまだまだ水分が多く含まれていて、それが身体に悪さをするらしい。その血液中の水分を分離して捨てる作業であるが、これがなかなかにしんどい。

 

4時間のところを3時間にサービスしてもらった。この日は午前中に3時間、午後からはも3時間・おしっこが我慢できずにギブアップだった。検査も大変なんだ。

 で、今日はMRIの検査だ。MRIもCTも7似たような機械なんだが、どちらも体の断層画像を撮影する装置らしいが、最も大きな違いは画像を得る手段である。CTでは“ X線”を使って画像を得るのに対し、MRIは大きな磁石による“ 強い磁場”とFMラジオに使われているような“電波”を使って画像を得るという。そのため、MRIは放射線による被ばくがなく、小児や健常な方も安心して検査を受けることができる。しかし、強い磁場を使っているため、CTには見られないMRIならではの制限や注意事項があるらしい。

 

 こういう画像で有名だが、MRIでは神経や血管、筋肉なんぞの画像が見えるようになる。CTの場合には骨とかを映し出すものだが、そこに大きな違いがあるという。

 

 で、明日は金曜日か・・。またしても透析の順番になるだろうか。

 

 今日の掲示板はお正月らしくはないが、これ。「老いてこそ人生 ていねいに生きる ゆっくり生きる やわらかく生きる」というもの。その後に「尊いものを仰ぐ 美しいものに感動」の言葉・・・。つながっているのだろうか・・・。 調べて行くと、「老いてこそ人生  ていねいに生きる  ゆっくり生きる  やわらかく生きる 仏さまにまかせて  ありがとうございます  もったいない  おかげさま 」と言う言葉もあった。ふむふむふむ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


特別付録>エンディングノートから その2

2020年02月05日 | たまには真剣な研究なども

高松市地方では、6日まで空気の乾燥した状態が続くため、概ね晴れていたが、気圧の谷や寒気の影響で夜遅くは曇るらしい。気温は3.5度から10.5度、湿度は74%から52%、風は1mから5mの西の風が少しばかり。明日の6日の高松市は湿った空気や寒気の影響で曇る見込みらしい。
 

 80/61/81 36.2c-99% 65.6Kg 体調に大きな変化はない。今日は朝から夕方まで検査三昧。いささか疲れてしまった。

  わたしのことなんぞ・・・。

  自分の長所 すぐに忘れる、わすれたことも忘れる。 
  自分の短所 すぐにキレる。すぐにかっとなる。すぐに指導したがる。 
     趣味  自由研究・なんでも研究所。 特技 製本したがる。
  思い出の土地 ・ 旅行先 青森・仙台・福島・北海道 
  好きな食べ物 やっぱり、野菜サラダとおうどんと。
       好きなお店・場所 (例:飲食店、洋服店、娯楽施設など)  ない 
  好きな歌・音楽  好きな有名人・偉人など 
  演歌:歌謡曲 美空ひばり:テレサ・テン 
  好きな花 好きな色  ひまわり、コスモス、ユリに野菊 みどり 
  好きな本 好きな映画  なし  誰がために鐘が鳴る 
  好きな言葉・座右の銘  ありのままならバッタがパパじゃ。                    なすがままならキュウリがパパじゃ。 
  その他、好きなもの   ビール、日本酒、焼酎 

 
 私の歩み 学歴 
 小学校 1955 年~ 1960 年 松尾小学校  
 中学校 1961 年~ 1963 年 大川第一中学校 
 高等学校 1964 年~ 1966 年 津田高等学校 
 短期大学 1968 年~ 1969 年 近畿電気通信学園   通信学部線路建設科 
 その他  1999 年~ 2000 年 中央仏教学院 花園学院通信教育部           

 思い出 心に残る出来事(例:結婚・出産・孫の誕生など) 
 岩野家長女啓子と出会い 19
アマチュア無線で知り合った岩野兄弟の妹・啓子との結婚 22 
 銭湯の後で大黒屋のおでんで決まった 
長女恭子の誕生 23 結果が怖いので友人徹夜マージャンをしていた 
初孫颯の誕生 52 旧屋島病院だったが荷物を届けただけ 
孫凪の誕生 54 同上 

 
 
 自分が生まれたときのこと(例:名前の由来、愛称など) 
 自宅出産(産婆さん):名付け神事:小さく切った半紙の小片に希望する名前を書いて 三宝に乗せ、神事の後、お伊勢さんの「おふだ」で数回混ぜると、静電気で引っ付く それで名前が決まり、神様が決めたなまえだとされた。 

 子どもの頃の思い出(例:好きだった遊び、得意・不得意科目など) 
 遊びはなんでも好きだった。特に山の中に秘密基地を作っては山主に叱られた。 友人や先生は煩わしいので嫌いだった。いつも一人で遊んでいた。 
 国語・理科・社会、図画も好きだった。算数と体育は大嫌いだった。
 

 

 

今日の掲示板はこれ。「悟りの花はどこに咲く 悩みの池の中に咲く」というもの。先月の大賀先生の講義の中でも、お遍路に出るきっかけはさまざま。リストラや失業や退職、不登校から病気、怪我、失恋・・・さまざまな悩みを苦悩を抱いて人は遍路に出た・・・。そして、涙を流し、雨に打たれ、嵐に揉まれながら、再生していく。感謝や奉仕や悟りを得て、再び人は社会へと戻っていく。悟りはお釈迦様だけの専売特許ではない。「生かされている」、「感謝の心が生まれた」、「思わず合掌した」・・・。それらだって立派な「悟り」ではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


特別付録>エンディングノートから その1

2020年02月04日 | たまには真剣な研究なども

  高松東部は高気圧に覆われて晴れていた。気温は2度から11.2度、湿度は78%から42%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の5日の高松市は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みなのだとか。

 

  101/46/80 36.7c-100% 65.4Kg 体調に変化はない。だが、やたらと眠たいばかりだ。いねむりばかりを繰り返している。

  

 今日からしばらくは、終末記録について話しておこうと思う。いや、体調はそんなには悪くないが、いろいろとありすぎて・・・。

 かかりつけ医 (医師・歯科医師)
 病院名        主治医       電話    診療科 
 香川医大付属病    蔵下元気     循環器科
 白鳥病院       日浦教和     心臓内科
 さぬき市民病院   竹内宏和       眼科
 松岡医院       松岡院長      皮膚科
 富田歯科医院     富田院長       歯科 

 傷病歴 
 傷病名       発症年齢  症状・手術の有無など 
 若年性気管支拡張症  13 歳  昭和 37 年五月麦刈り途中に喀血
               大川病院二か月入院:高松樋端病院入院 
  鼻骨骨折       20 歳  昭和 43 年夏事故現場に急行中、
               車に 水をかけたと殴打され、鼻骨骨折
             18 歳  鼻骨骨折 バイク事故記憶喪失
             高 3   体育祭前日阿波市高校生と正面 衝突                   記憶喪失
  
 偏頭痛と電柱から落下  32 歳  昭和 56 年秋、東かがわ市福栄地区で
               作業中偏頭痛で電柱から落下。大騒動

   肺炎 57 歳  
   カテーテル焼き付け                2010
                 白内障手術                 2016
                 心臓弁膜交換             2018
                ペースメーカー埋込   2018
                前立腺肥大除去          2019  

介護が必要になった場合 どこで過ごしたいですか?                備考 
        ■ とりあえずは、自宅で過ごしたい 
        ■ いざとなれば、病院に入りたい 
        □  施設に入りたい
        ■ 最後は、家族に任せる       □ その他 (                   ) 

今日は取ってつけたようにこれ。もう、アイディアが出て来ない。

 今日から春だからと凧あげをやってみたが、もう、限界ですぜw、にころこさん。

 医療 
 誰に介護をお願いしたいですか? 
   ■ 家族・親戚         ■ ヘルパーなどの介護専門職
    □ その他      □ わからない 
                             名前  木村 啓子     続柄          連絡先         
 
 
 介護のための費用負担            備考
 □ 預貯金で負担したい  
 ■ 年金で負担したい 
 ■ 加入している保険で負担したい 
 □ 特に用意はしていない      □ その他 (                     )

   告知・延命治療 ※ などについて  
   もしもの時、自分の治療方針について誰かが決めなくてはならない場合          名前    木村 啓子       の意見を聞いて決めてください    
告知について  病名告知
      □ 希望する
      ■ 希望しない 
延命治療について 
 もし必要となった場合、あなたはどうしたいですか?


  □ 出来る限りの延命治療をしてほしい
  ■ 苦痛を和らげる治療は希望するが、延命のみの治療はしないでほしい
  □ 延命治療はしないでほしい     □ その他 
 ※延命治療とは・・・生きる期間を延ばすことを目的とする治療。  (人工呼吸器、気管切開、経管栄養(胃ろう含む)など) 人工呼吸器…肺に出入りする空気の流れを補助する機械(呼吸の補助) 気管切開……肺に空気を送ったり、痰などの分泌物を除去したりするため、気管に穴を開けること 経管栄養……食事が摂れなくなった時、鼻や腹部から体内に直接栄養を入れる方法 

 人生の最期をどこで迎えたいですか?
   ■ 自宅   ■ 病院   □ 施設   □ その他 

臓器提供について  
 □ アイバンクに登録している(登録証保管場所:             )
    ■ 臓器提供は希望しない       ■ 家族に任せる
    □ その他 (                          )

自分で財産の管理ができない時 財産の管理をお願いしている人はいますか? 
   ■ 配偶者           ■ 子        ■ 兄弟・姉妹 □ 親族(                        )
   □ 任意後見人  ※ □ 特にいない        □ その他(                )
 
今後、自分で財産の管理ができなくなったら、誰にお願いしたいですか? 
   ■ 配偶者           □ 子        □ 兄弟・姉妹 □ 親族(                        )
   □ 任意後見人 ※ □ 特に考えていない    □ その他(                )
    現在、財産管理をお願いしている人・今後、お願いしたい人 
           名前 木村 啓子 続柄   妻        連絡先           
 ※任意後見人とは 現在は判断力のある人が、将来認知症などで判断能力が低下したときに、財産管理などの法律行為を本人に代わって行う人です。本人が十分な判断能力があるうちにあらかじめ、自分自身で決めておき、公証人が作成する公正証書で契約を結んでおきます。(任意後見制 度) 成年後見制度 ※ を利用したいですか? 
   □ 利用したい               ■ 利用したくない 
  ※成年後見制度とは 認知症などの理由で、判断能力が不十分な人を支援する制度です。家庭裁判所によって選ばれた成年後見人が、本人の利益を考えながら、本人を代理して財産管理や日常生活での契約などを行い、支援します。 
 手続きや相談については、地域包括支援センターへ相談のこと

葬儀について 葬儀の実施について 
  □ してほしい    □ 家族葬でしてほしい ■ おまかせする    
   (自分では理解できないので一任) 
 
葬儀の場所 
  □ 自宅   □ 葬儀場   □ その他 (                         )
 
葬儀の業者 
  □ 生前予約している    □ 会員になっている 
  □ 特に決めていない 
 
棺に一緒に入れてほしいものがある 
  ■ はい        □ いいえ 
    入れてほしいもの  
                      法衣・五条袈裟・切り袴・中啓・装束念珠
              :真宗聖典
 
遺影用の写真を用意している 
  ■ はい   □ いいえ 
お墓の用意をしている 
  ■ はい   □ いいえ 
他に決まっていることや、希望がありましたらお書きください 

先日の節分の続きのような今日の掲示板。「自分に都合の悪いことを 様々な鬼に仕立てあげる私」というもの。誰でも自分がかわいいものだし、自分は正しいと信じているから、自分の都合の悪いことは他人に転嫁してしまおうとするもの。とは云うても、隣の人を悪人にはできないから、鬼のせいにしてしまう。鬼という言葉は的確ではないかもしれないが、「あの人」を鬼にしてみたり、「あんな人」という鬼を作ってしまったりして・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


秋雨が 落ちた枯れ葉を 追いかける

2019年11月22日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていた。気温は7度から13.5度、湿度は88%から70%、風は1mの東南東の風が少しばかり。明日の23日のさぬき市は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 108/51/59 36.1c-98% 69.8Kg 1030hPa,16c,58% そんなに熱もないのに寒くて寒くて仕方が無い。書斎にはエアコンが暖房モードで動いているのに。で、やたらとトイレに行きたがる。

 

 今日の朝食はこれ。これでもまだ多すぎるほど。おなかが張って食べる気がしないのだ。

 

 さて、昨日、民生委員の資料を整理していたら出てきたもの。「なんだ、こんなもの。坊さんに終活なんて意味の無いこっちゃ!」と投げ込んでおいたものらしい。でも、これをトイレで、つらつらと眺めていると、「あ、こんなものなら書けるじゃないか・・」と思い出した。

 

 住所や氏名やら電話番号やらメールアドレスやら・・で、筆が止まった。携帯用のメルアドなんぞ覚えちゃいない。そこで、PCのアドレス帳を開いてみたらば、不要なアドレスがいっぱい・・・。会社員時代のものからパソコン通信時代のものからとぐちゃぐちゃ・・。これも大幅に整理削除してしまった。電子遺産なんていらないものだ。

 

 ここでは、生きてる時間が限られたら・・という質問。苦痛と痛みを取り除いて一人で自由に生きるにマークした。延命治療なんぞいらないし、病名や残された時間も聞きたくない。献体もしないし、臓器移植も希望しない。葬儀はどこでやろうと私の知った事ではないし、喪主が誰だろうと関係ない。友人も呼ばないし、香典もいらない。

 

 家系図の整理がイマイチだなぁと思ったので、古い資料を引っ張り出して調べ直していたが、奥方の先祖とか、母方の先祖とかがよくわからない。我が家の先祖はしっかりと調べたが、よそさまのご先祖は簡単には見せてはもらえないし、母方の家は知っている人がいなくなってしまった。ましてや祖母の家系なんぞははるかに遠くて手が届かない。

 

 今日のお昼はこれ。九州鹿児島の「しろくま君」。寒い寒いといいながらのアイスクリームになった。

 

 奥方は今日はお休みなのだが、明日のお昼から、神戸から「周平」君らが来るというので、昨夜から「餅米がいるのよ~」とか、今朝からは餅米を精米しに走ったりと大騒ぎをやっている。明日のお昼からは宴会になりそうなんだが、私はどうしたもんだかと思案中。こんな体調で生ビール飲んでも大丈夫なのかしらん・・・。

 

 さてさて、これは自分史のページ。何歳の時には何をやっていたかと言われても咄嗟には出てこないもの。昨日の晩ご飯に何を食べたのかもさえ覚えては居ないのだ。

 

 10年日記を開いたり、ブログで何年何月を調べて見たりと、あの資料、この資料をかき集めての資料のまとめ。

 

 こういう資料もあった。西暦何年には何歳でどのような仕事をしていたか、世の中はでは何が起こっていたか・・・という記録である。こういうものを一本化しないと、物事の本質が見えて来ない。私が得度をしたのが平成12年で、この年に禁煙をしていることがわかる。

 

 今日の掲示板はこれ。「捨てるほどのものにかこまれて ほんとに欲しいものがみえない 」というもの。歌手・加藤登紀子さんが作詞作曲した歌「Revolution」の歌詞から。作詞:加藤登紀子 作曲:加藤登紀子 「 碧い海に かこまれた小さな国に 生まれふりそそぐ光の ぬくもりの中で平和な時代に育った  愛をはばむ 戦争もなく飢えて死ぬ人もいない 捨てるほどのものにかこまれて ほんとに欲しいものがみえない」

 これはまさに私たちの心の叫びだろうと思う。右を見ても左を見ても、上を見ても下を見ても捨てるほどのものに囲まれて、欲しいと思うものは自由に手に入って、食べたいと思うものは好きなだけ食べられて・・・。でも、本当に必要なもの、本当に欲しいもは見えては来ないし、手にも入らない・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


行き先の あるあたたかさ 秋の暮れ

2018年11月11日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は10.6度から19.0度、湿度は88%から58%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の12日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇る見込みらしい。

 

 今日は天気もいいし体調もいい。おなかのツッパリがないだけで、こんなにも呼吸が楽になるものかと思うほど。それに、奥方もいないし、完全休養日。

 

 だから・・・というわけでもないが、県都高松までやってきて、香川県立ミュージアムをのぞいてみた。ここも昨年に来てから久しぶりだ。それだけ、気分が良くなった証拠だろう。

 

 で、こういうものを見たのだけれど、全く、目からうろこどころか涙もこぼれなかった。私の眼の付け所が違うのかしらん・・・。

 

 今年は明治元年から150年ということで、全国各地で150年祭とか150周忌が行われているが、これもその一つで、「高松藩の明治維新 -新時代を生きた侍たち-」という展示である。

 

 現実には、明治2(1869)1月に版籍奉還を建白し、明治4(1871)7月に高松藩は廃止され、高松県となり、藩主松平頼聡(よりとし)公は東京へ移住して華族となった。上の「大礼服」は、その子頼寿(よりなが)が着用した伯爵位のもの。襟や袖口の地色が爵位によって定められていた。(ネット画像から)

 

 

 この桃色の地色が「伯爵」を示している。

 

 この獅子は、初代藩主松平頼重公をまつる玉藻廟の神殿内に奉納されたもので、高松城太鼓楼の棟木から彫刻されたものであるという。

 

 その後、高松県と丸亀県が合併されて「香川県」となり、明治6年には、名東県(阿波国・淡路国)と合併し、同8年にはそれが廃され香川県となるが、今度は愛媛県に編入されてしまう。現在の香川県が誕生したのは明治21年12月のことだった。

 

 その独立運動の中心になったのが旧藩士たち。なかでも「中野武営(たけなか)」(上写真)や小田知周、山田政平らだったし、高松電灯株式会社や百十四銀行・香川新報社・高松電気軌道などを創立したのも旧藩士たちだった。

 

 これは高松電灯株式会社の初代社長の「牛窪求馬(右)」と専務の「松本千太郎」で、写真館の筧三友舎も、旧藩士の「筧政又」が始めたものという。そういう旧藩士たちの推進によって、現在の香川県が生まれ育ってきたということである。

 

 ということで、久々に歴史のお勉強をした私であった。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるとは呼吸することではない。行動することだ。」という、ジャン=ジャック・ルソーの言葉から。ただただ日々を無駄に過ごしていることは、意味がない。意味が無いということはその一日を生きた意味が無いとも言える。そんな日々を、明日も明後日も、まだまだ積み重ねるのかどうか。ジャン-ジャック・ルソー(1712年6月28日~1778年7月2日)は、フランスで活躍した]哲学者、政治哲学者、作曲家。哲学や倫理学、人間学、自然学の他、音楽や音楽理論、文学や文学理論、舞台芸術などの芸術分野など、幅広い関心を持ち、多方面で独自の思想を残している。啓蒙思想の時代にあった18世紀フランスで活躍し、百科全書派の一人に数えられている。「人間不平等論」、「社会契約論」などで民主主義理論を唱えた。「新エロイーズ」などで情熱の開放を謳ってロマン主義の父と呼ばれたし、「エミール」では自由主義教育を説いている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


まどろみを ミンミンゼミに 食べられた

2018年08月18日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は20.9度から30.5度、湿度は86%から58%、風は1mから4mの東南東の風が少しばかり。明日の19日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 朝方は肌寒くて肌寒くて窓を閉め切ってふるえながら寝ていた。タオルケット一枚では寒くて寝られなくなった。で、朝の5時から起きてしようもないテレビを見ていた・・・。

 

 香川全体で似たようなものだったらしい。

 

 さて、昨日から、タブレット端末(iPad)へPCからのデータをコピーしようとするのだが、言うことを聞いてくれない。で、AnyTrans とか、AllFiles とかいうソフトをダウンロードしてきてPCからiPadへ転送しようとするがうまくいかない。

 

 iCloed とか、DropBox とかもやってみたがうまくいかない。どんくさい性分なのである。ところが、何かのはずみで、OneDrive が見えた。iPadからである。

 

 OneDrive というのは、Office365 に装備されているもので、仮想ドライブで、どこからでも、いつからでも、このドライブに接続できる。つまり、仮想LANみたいなものである。私のように8台のノートPCを使っていると、データーの共有が難しい。PC-1 の画像を PC-2 で使う場合はUSBメモリーで共有したりする。SDカードとかで抜き差ししながら・・・。

 

 でも、この OneDrive にデーターをおいておけば、どこからでもアクセスできて、どんなデータでも更新できる。更新したデータはすぐに他の端末からでも閲覧できて更新も可能。

 

 だから、ここで更新したデータを、島の家の端末でも更新できるし、奥方のPCからでも閲覧できる。・・・ということは、タブレット端末でも、スマホでも共有できるということだ。これは目からうろこの発見だった。今まではPC同士では当たり前だったのだけれど。

 

 だと、どうだ・・・。血圧計のデーターが、しかも今朝一番のものが、iPad で見られるし、追加も更新も削除もできる。それが、すぐさま、ほかの端末でも閲覧できた。

 

 ワードの原稿もバッチリ。

 

 庄松同行のパワポも iPadで、スライドショーで動かせた。これだと重いPCなしでもお話できるじゃないか。

 

 これは、私の20年日記帳・・・。

 

 地蔵菩薩さんのお話もスムーズに子どもたちに見せられる・・・。

 

 私へのご褒美に、フラップカバーを買ってきた。スタンドになるタブレット・ケースである。これで、当面の私のやりたいことはできるようになった。今日はおなかの調子も、歩くのも大丈夫。体重も大幅にダウンした。やはり、気圧の影響なのかな。

 

 今日の掲示板はこれ。「教えることは習うこと どちらも何度も繰り返し」というもの。観光ガイドで、遍路文化を語り継ぐということも、それを受け継いでいく方も、どちらも何度も繰り返していかなければいけないと思う。だんだんと時代がかわり、おへんろ文化も変化していく中で、高齢者が少なくなって行く中で、どうやって、この文化の記憶を残していくのかは大きな課題になってきているなぁと感じたことだった。ガイドさんに教えることも習うことも、どちらも何度も繰り返しなのだ。今日もPCのデーター共有でも同じ事だなぁと思ったことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


春寒を 素知らぬ顔の 山桜

2018年03月25日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。いよいよ、春だなぁとはかんじるのだけれど、私的には肌寒くて、ただ、縮こまっているばかり。

 

 胸水(きょうすい、英語: pleural effusion)は、医学における症状、病態で、胸膜腔内に異常に多量の液体が貯留した状態ないしはその液体をいう。

 

分類

 

液体の内容によっていくつかの分類がある。外見からの分類として

  • 漿液:狭義の胸水。水胸ということもある。
  • 血液:血胸
  • 乳糜:乳び胸(乳糜胸-にゅうびきょう)
  • 膿:膿胸

また胸水の性状によって2種類に分類される。

  • 漏出液(漏出性胸水):比重1.015以下、タンパク量3g/dl以下、LDH200u/L以下、糖60mg/dl以下、白血球1000/mm3以下
  • 滲出液(滲出性胸水):比重1.018以上、タンパク量3g/dl以上、LDH200u/L以上

ライト(Light)の診断基準として、

  1. 胸水のタンパク量/血清のタンパク量が0.5を超える
  2. 胸水LDH/血清LDHが0.6を超える
  3. 胸水のLDHが血清LDHの基準値上限の3分の2を超える

のうちひとつ以上を満たす場合に滲出性胸水と呼ぶ。

原因

 

胸腔内には正常な状態でもごく少量の液体があるが、病的な胸水は

症状・所見

胸水が貯留すると、息切れ、胸痛、咳、しゃっくり、腹痛、関節強直が見られ、聴診(肺胞呼吸音の減弱ないし消失、山羊音の聴取)・打診(濁音)・触診声音震盪)上異常所見が得られることがある。胸部レントゲン写真、胸部MRIや胸部CTエコーによって診断を行う。

治療

 

原因疾患の治療

胸水の原因となる疾患の治療がまず大前提となる。しかしながら、がんによる胸水は原疾患のコントロールが困難であり、胸部管を使って、排液し、化学療法、放射線治療や液排出後に再貯溜を防ぐ薬(ピシバニール)を胸部に注入(胸膜に炎症を起こさせて癒着させ、胸腔を閉鎖する)が主となる。

胸腔穿刺

 

胸腔内へ管を入れ、胸水を直接抜く方法。即効性で効果も大きいが、原因が取り除かれない限り胸水は再び増加する。胸腔内には肺などの呼吸器が多く含まれるため、気胸を起こす可能性もあるため、かえって胸水を増悪させる。気胸を防ぐため、抜いた胸水を濃縮して再び胸腔や静脈に戻すこともある。

胸腔-腹腔シャント

胸腔内に貯留する胸水をコントロールするために使用される。胸水中の栄養分を捨てることなく再吸収力の高い腹腔内に誘導する。

薬剤の胸腔内投与

感染による胸水は、原因微生物に特異的な抗生物質類を使って治療する。

 

 

 

 今日の掲示板はこれ。「蒔けば生え 蒔かねば生えぬ 善悪の 人は知らねど 種は正直」というもの。人間は種を蒔きながら人生を歩んでいるようなものだ。よい種を蒔けばよいことが、悪い種を蒔けばよくないことが返って来るものだ。種を蒔く人はそれぞれあるだろうけれど、蒔かれた種は正直なものだというているのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


霜踏んで あてなき路を 歩く朝

2018年01月24日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は、強い冬型の気圧配置が続くため、概ね曇りで雪の降る所があった。気温は0.2度から2.8度どまり、今夜には-1.8度ほどになるらしい。湿度は70%から66%、風は6mから10mの西の風が強くて冷たかった。明日の25日は、冬型の気圧配置が続くため、概ね曇りで雪の降る所がある見込みらしい。

 真冬らしい朝になった。あたりは霜で真っ白だったし、

 迷犬ごんの飲み水も分厚い氷になっていた。さすがに寒かったのか犬小屋の中で丸くなっていた。

 英国士官レキの論文は完成したと思っていたのだが、合間で眺めていると思わぬ「誤字」や「誤変換」なんぞがあることに気づいた。「塩飽廣島」と書いたはずが、何度もコピーや貼り付けなんぞを繰り返すうちに「塩飽鹿島」になっていたりする。

 上の横書きの物を、こうした縦書きにして貼り付けたりしたときに誤変換されたものだろう。こういうのを、一字一字修正していくのも面倒なもの。でも、私がやっておかねば、うちのメンバーでは誰もできない仕事。

 さらに、それをもう一度、横書きの論文に置き換えたりすると「□」だけになったりするから危ないことだ。これも永く続けていると、目や神経が疲れてきて、間違いを見逃しやすくなるので、適当に休みながらの作業になる。

 気分転換に、明日の「空き瓶回収日」に合わせて、回収場へ空き瓶を運んでおいたりする。

 今のところ、明日のことがわからないのだから、とにかく、今日、やれることは片付けておきたいもの。

 お昼からは、「十年日記」の前の方、2010年とか2009年分には白紙の日が多い。古いダイアリーを開いても、行ったうどん屋の名前と食べたうどんのことばかりが書いてある。まさに「うどん・ダイアリー」になってしまっている。

 だから、ブログ記事を読み返しながら、空白部分を埋めていく作業もやっていた。

 ブログを読み返しながら空白の日記を書き込んでいるのだが、これだって二ヶ月分、60日も入力すれば飽きてしまう。表の中の黄色い部分は入院中。

 これまた、気の遠くなる作業である。

 今日の掲示板はこれ。「魚はめば 魚の骸骨皿にあり 恐ろしきわがいのちとぞ思ふ」という白井成允先生の言葉から。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。白井 成允(しらい しげのぶ、明治21年(1888) -昭和48年(1973)は、日本の倫理学者。東京都出身。1913年東京帝国大学文学部哲学科卒。名古屋愛知医学専門学校教授、第二高等学校教授、京城帝国大学教授を経て広島文理科大学教授。1957年「三経義義疏の倫理学的管窺」で広島文理科大学文学博士。52年龍谷大学教授。睦学園短期大学長、武庫川女子大学教授。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


冬の川 淡い光を 運ぶ鳥

2018年01月21日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の接近で夕方からは曇ってきた。気温は3.1度から10.5度、湿度は86%から56%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の22日は、四国の南海上を東に進む低気圧の影響で、昼前から夕方にかけて雨が降る見込みで、山間部では雪の降る所もあるらしい。

 

 朝方は胸に水がたまっているようで、歩くにも苦しくてぽちの散歩も適当になった。同じようなものを食べて、同じようなものを飲んで、同じような生活をしているのに、毎日の体重も気分もおなかの具合も違っている。

 

 英国士官の公的論文集の最終チェック。写真の説明書きとか、細かな部分のチェックや修正をやっていた。

 

 私は血液型は「A」なのだが、ちっともA型らしくなくておおざっぱな方。だから、血液型なんていうのも、単なる統計学的なお遊びなんだろうと思っている。

 

 だから、こういう細かなことをチマチマとやるのは大の苦手なのだ。

 

 で、最終稿・・・ということで、研究会の会員用に論文集を10冊、印刷して製本してみた。

 

 これは、2010年からの「英国士官レキ研究会」の議事資料集である。最初は、島おこし、町おこしのために、瀬戸内海測量から海上自衛隊から海上保安庁につながることを計画していたのだけれど、全くの予想外で、島おこしにも町おこしにもならなかった。

 

 「船頭多くして、船、山に登る」みたいなことで、指図する人が多くて物事がまとまらず、とんでもない方向に進んでゆくことのたとえだが、グーグル検索やらグーグル・ブックスなどの検索ツールで話がとんでもない方向に進んでしまった。

 

 「イギリスに行って、調べて来るぞ~」と意気込んでいたら、咸臨丸水夫だった「岡田源之助」の子孫だという人が現れて、そのご主人が英国人の「グラハム・トーマス」さんと言う方で、英国士官レキの研究者だった。英国行きは当然、おじゃんになった。

 

 ま、皆さんのご要望通りにはならなかったけれど、ひとまず、今年が明治150周年・・・ということで、英国士官レキ没後150周年の慰霊祭をやって、この研究会は解散することになった。

 

 午後からは、肩こりがひどくなり、頭痛までするようになってきた。だから、早めに作業をやめるようにする。

 

 で、今までの各種資料を整理して、公的資料を作成し、丸亀市立図書館や香川県立図書館などに残して、「英国士官レキの墓」の真実を伝えて行こうと作業している訳である。

 

 その、英国人「グラハム・トーマス」さんや、英国士官フランク・ツーベイ・レイク氏のご子孫が七月末か八月上旬においでになるので、その時期に「慰霊祭」を考えている。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に回り道はあっても 近道はない」というもの。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。京都の永観堂さんのことばかも。人生の目的地がどこか・・という疑問もあるけれど、遠回りして気づくならば、それも悪くないし、遠回りするからこそ、気づくことだってあるように思う。「歳をとりすぎた!」「チャンスを逃した!」「今からでは遅い!」「もう手遅れだ!」と言うのは簡単だが、まずは一歩踏み出せば、見える世界が変わるもの。遠回りは、幸せへの近道なのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


やわらかく 生きてみたいと 藪つばき

2018年01月20日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は3.7度から11.4度、湿度は92%から60%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。明日の21日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 もう、すっかりと春になったのか・・と思うような暖かい朝になった。

 

 大寒は、二十四節気の第24。十二月中。 現在広まっている定気法では太陽黄経が300度のときで1月20日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。恒気法では冬至から1/12年後で1月20日ごろである。

 

 朝、香川県立図書館に向かって高松市方面に向かって走っていると、こんな、へんてこりんなバスが前を走っている。路線バスや観光バスではない。

 

 昭和31年(1956)に香川県立高松商業高等学校サッカー部出身選手により結成された高商OBサッカークラブが前身。クラブ愛称の「カマタマーレ」 (Kamatamare)は、釜玉うどんとイタリア語で海を意味する「マーレ (Mare)」を合わせた造語 で、讃岐は香川県の旧国名である。エンブレムは、黄と水色の縞模様の上にうどん、中央には卵の黄身をイメージしたサッカーボールがあしらわれている。運営母体は株式会社カマタマーレ讃岐、マスコットはさぬぴーである。

 

 久しく、釜玉うどんも食べたことがないな。

 

 少しばかり春めいてきたかなぁと思えるアキニレの並木道。

 

 返却期限が明日までだったから、いつものように五冊の本を返却して、新しく五冊の本を借りてきた。

 

 肩こりがひどいので、気楽に読める本を選んできた。

 

 この頃のこどもたちの表情は豊かだった。悩みなんぞないような笑顔が満ちていた。今はゲームやスマホにしがみついて声も出さないでいる。

 

 さて、最新の情報が追加された論文の原稿がどこにもない。どこのHDDを調べてもない。仕方がないので、その最新版をスキャナーで読み込んで、現在のものに追加する方法を取った。面倒だったが、背に腹は代えられない。

 

 で、新しい論文集を作ってみた。

 

 次の「英国士官レキ研究会」までに10部ほど作っておこうと準備しておく。

 

 こちらの「読み物版」はどうしようか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「欲深き 人の心と降る雪は 積もるにつれて 道を失う」というもの。これは「高橋泥舟」という人の歌。泥舟は後年の号、若いころの号は忍歳。いわゆる「幕末の三舟」のひとり。(ほか、勝海舟、義弟である山岡鉄舟)。生家の山岡家は槍の自得院流の(忍心流)の名家で、泥舟みずからも槍を修行し、神業に達したと評される。 幕臣として節義を通す姿勢には信頼が厚く、義弟・山岡鉄舟が務めた西郷隆盛との駿府会談はもともとは勝海舟に推薦された泥舟が担当する予定だった。 明治の廃藩置県後は官職には就かず隠棲、書画骨董の鑑定などでして生涯を終える。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


睡蓮は つまらぬ噂 聞かぬふり

2017年06月02日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて、概ね晴れていた。気温は20.3度から24.5度と涼しく、湿度は84%から43%と、風は2mから5mの西風が少しばかり。明日の3日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 来週は、香川県立図書館は臨時休館になるらしいので、早めに借りていた本を返却に来た。アキニレの若葉が生えそろって夏の景色になってきたが、まだ、蝉の声は聞こえていない。

 

 一時期、ここにある本を全て読んでやろうという気になったことがあったが、讃岐の全うどん店制覇が不可能なように、読まないうちに処分されたり、新刊が入ってきたりする量が半端ない。

 

 今日は、こんなものを借りてきた。

 

 東かがわ市小磯地区や、さぬき市長尾、三木町東部にかけては、この「靜御前」の伝承が残る。こういうのも「歴史講座」のテーマに取り上げたいと思ってのことである。

 

 しかしのかかし、この橋の上で何が起きたのだろうか。事件性がないものか、今日は警察官の姿は全くない。多少のふらつきでは、この欄干は越せない。下には葦茅が生い茂っているし、そんなに深い川でもない。

 

 さて、午後からは、作業の続きである。寒川家の天井にあった「俵札」。その中にあった「紙くず」の整理である。圧倒的に「お札」や「納札」が多かったのだが、「これは何じゃらほい・・・」というものもあった。

 

 珍しいのが「入れ歯細工所」の広告。江戸時代から明治頃の「入れ歯」って、どんなものだったんだろうか。

 

 この功徳・・というものもすごい。地獄から逃れられるというのだからすごいと思う。私ら、地獄必定じゃもの。

 

 このお札の上部の仏さまは、「如意輪観音さま」でよいのだろうか。で、その下には「南無阿弥陀仏」と書いてある。上の仏様が「阿弥陀様」ということなんだろうか。こんな、阿弥陀さんは見たことがないのだし・・・。

 

 この農会・・というのは、今の「JA」さんの前身なんだろうか。ま、「誘蛾灯のとりまとめ」から予防接種の案内から子供の習字の練習帳からと、ま、雑多な紙くずが入っている・・。

 

 それをこうして一覧表に整理していくのである。気の遠くなるような作業の連続である。

 

 亀鶴公園の花しょうぶも少しずつ咲き出してきた。明後日の四日からが「しょうぶまつり」。

 

 今日もたくさんの方が花しょうぶをカメラに収めていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「できるからやるんじゃない やるからできるようになるんだ」というもの。いつもお世話になっている町内の善楽寺さんの掲示板から。久保ひろしさんの「やるからできる:人生を劇的に変える思考法」から。物事に、最初からできるものはない。少しずつ、こつこつとやり続けているから、立つ ことも、歩くことも、走ることも、お箸を使うことも、鉛筆を持つこともできるようになった。やってきたからできるようになったんだ。これからもそうだ。で きることをやるのは当たり前だ。できないことをこつこつとやり続けていたら、できないこともできるようになる。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋の日の 冷えた願いや 溝掃除

2016年10月10日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は17.4度から21.9度、肌寒く感じた一日だった。湿度は78%から62%、風は1mから4mの北東の風が少しばかり。めっきりと秋らしくなってきた。明日の11日は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 土曜日には暑い暑い・・と言うていたのに、今朝は寒いと感じるほどに涼しくなってきた。ま、暑くなったり涼しくなったりしながら冬に向かって行くのだろうけれど。

 

 三日ほど留守をしたら、山の形が少しばかり変わってきた。

 

 西の方から見たらば、こんなにもなっていたのか・・。やはり重機のパワーはすごいもんだ。

 

 さて、今日は休日だというので県立図書館に行ってみた。アキニレの葉っぱの先端が紅葉をはじめているし、はらり、はらりと葉っぱが舞い散る時期になった。

 

 つかさの会の会長から「娘遍路の論文を提出せよ」とオーダーされているのだが、案外と「娘遍路」の資料や情報がないものだ。あっても、二行か三行ほどで、「四国各地に嫁入り前に遍路を体験する習慣があり、「娘遍路」が盛んであった」という程度の情報である。

 

 こういう本とか・・・、

 

 こういう本とか・・・

 

 とか・・・。私は社会学とか民俗学は苦手で、「社会仏教学」という切り口で調査をやっている。

 

 そういうことで、このアプリはとても大事で「自炊」をする上では欠かせない。ああ、それなのに、それなのに。この画面から先が動かない。「スキャナーが違います」とかのエラーメッセージが出て動かなくなってしまう。幾つものプリンターを動かしていると、このOCRソフトが動かなくなってしまったという訳。

 

 空は晴れても心は闇だ・・・。でも、簡単なことで、「スキャナーの認識」という操作をすれば簡単に復活して、サラサラと自炊することができるようになった。

 

 で、幾つかの資料は収集できたのだけれど、肝心の論文の構想がまとまらない。まだまだ、材料不足らしい。

 

 ま、今週中にはなんとかしたいものだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「太陽は夜が明けるのを待って昇るのではない 太陽が昇るから夜が明けるのだ」というもの。東井義雄さんの言葉からである。

 太陽は夜が明けるのを待って昇るのではない。
 太陽が昇るから夜が明けるのだ。
 われわれはとかく、環境や他の条件の責任にしやすい。

 水は低いところへ集まってくる。
 尊いもの 美しいもの 善なるものも みんな
 謙虚な人のところへ集まってきて
 その人のものとなる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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