まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

草の香は 二百十日の 萩の花

2016年08月31日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は22.3度から31.9度、湿度は76%から52%、風は2mから5mの西の風が少しばかり。明日の9月1日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝方は肌寒くて、思わずセーターが欲しいと思ったが、まだ、そんなものは出せそうもなかった。

 

 例の仁尾町の両墓制だが、あの家の浦地区だけではなくて、町内各地にもあるらしいが、その場所がわからない。それを調べるために香川県立図書館に出向いたが、それ以上の資料には出会えなかった。

 

 「捜し物は何ですか 見つけにくいものですか  カバンの中もつくえの中も 探したけれど ...」と、こころの中で歌いながら探したけれど、探している間は見つからない。

 

 この地図だと、お隣の三野町や観音寺市にもあるということなので、そのあたりの町史・市史を探してきた。

 

 そのついでに、こんな本も・・・。

 

 観音寺市にはこんなものがある。「寛永通宝」と刻まれた巨大な砂絵である。誰が、何のために、これを作ったのか・・・という謎に迫って、いろんな人がいろんな説をたて、さまざまな研究が行われてきたが、これという説はまだない。

 

 丸亀藩のお殿様(巡検使)が来ると云うので、一夜で作り上げたという説もあれば、一夜で、ひょうたんの図柄から寛永通宝に作り替えられたという説まである。こんな砂絵を一夜で作るならば、現代のお金で三億円にもなるという説もある。

 

 誰が、いつ、何のために作ったか・・という記録は一切ないし、公的記録もない。これは、明治33年の写真らしいが、こんな砂絵ならば一夜で書き上げられると思うが、意図がわからない。

 

 大正時代末期ごろの写真である。この頃でも、そんなに変化はない。松の木が増えた程度である。

 

 それが、昭和に入ると、こんなに立派になる。米軍機が秘密基地かも知れないと偵察機が飛んできたという話まで残っている。

 

昭和に入って、形も変形されて、山の上の展望所から見て、正円に見えるように縦長に修正されている。

 

 なんだかんだとあった八月もおしまい。

 

 10年日記も順調に記録されている。あっという間の人生みたいだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「聞いてみなんせ まことの道を 無理なおしえじゃなわいわいな」というおかる同行の言葉から。「おかるおかると揺り起こされて「あい」と返事もあなたから 聞いてみなんせまことの道を 無理なおしえじゃなわいわいな まこと聞くのはおまえはいやか 何がのぞみであるぞいな」という「六連島のおかる」の歌である。「はいの返事もあなたから」と歌われた源左さんに、「あいと返事もあなたから」と歌われたおかるさん。どちらも阿弥陀さまに出遇った法悦の世界を言葉にあらわされたものであるのだが、なぜ、「はいの返事もあなたから」なのであろうか。ちなみに、「六連島」は(むつれじま)と発音し、山口県下関市の響灘(ひびきなだ)諸島に属する島である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


秋の空 それほどでもないか こころざし

2016年08月30日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れているが、上空の寒気や湿った空気の影響で夕方からは雨の降る所があるらしい。気温は22.5度から30.1度、湿度は82%から60%、ようやくに涼しくなって秋らしくなってきた。風は5mから7mの西の風が吹き荒れていた。明日の31日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 朝は水道の水が冷たい・・・と感じるほどに涼しくなった。台風の影響だろうか、空気自体も澄んでさわやかになってきた。

 

 今日は全国的に火曜日だということで、恒例の「おへんろ交流サロン」への出勤になった。相も変わらずの「俵札調査」である。

 

 一応、遍路札(納札)の調査が終わって展示をやっているので、今度は、その他の書類、紙くずの整理である。紙くずの中には、子供の落書きからお習字の練習、借用書、予防接種の案内状らに混じって、お守り、祈祷札、御影、仏画、弘法大師の掛け軸、伊勢暦など多種多様な紙くず・・・。

 

 私がたまたま掴んだ箱の中身は「お守り(寺院発行分)」だった。一枚一枚、毛筆による手書きのお守り札である。お寺のみんなでせっせと書いて授与したものだろうか。これに整理番号を記して、ファイリングしていく。これを別の先生が画像に処理するのである。

 

 あの有名な「こんぴらさん」は、元「象頭山金光院松尾寺」で、本尊は「金毘羅大権現」だった。明治の廃仏毀釈で、「金刀比羅宮」と改組し、主祭神を「大物主神」とした。現在の松尾寺は、旧松尾寺の塔頭であった普門院が松尾寺の法灯を継承したものである。

 

 作業は簡単なように思えたけれど、お守り札と祈祷札の違いがはっきりとしない。御影(おみえ)と仏画の境界はどこだろうか。ま、分類する方の認識も違えば、それを整理するものの認識も違うから、「その他」とか、「分類不詳」とかの箱が一杯になる。

 

 いや、皆さん、真剣に分類をされているのだけれど、「なんで、こんなものがお守りになるん??」というようなものが入っていたりする。

 

 こういうものは、はっきりと「御影(おみえ)」に分類できるのだけれど、これがお不動さんだったり、お地蔵さんだったりすると、御影にも見えるし、仏画にも見えるし・・と。

 

 今日はもう、エアコンのいらない作業場になった。

 

 今日のお昼はこれ。なんだかんだと、八月は忙しかった。来る九月もなかなかに忙しそう。今日はお昼寝でもしてのんびりと・・・。

 

 ふむ、思ったよりそうでもないか・・・。ま、夏休みの自由研究がゆったりとできぞうな月になりそう。

 

 ま、言うと言わんと、朝夕が涼しくなったのは身体に楽な季節になった。それに虫の数も減った。朝方は肌寒ささえ覚えるようになって、ゆっくりと寝ていたい気分になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「前向きな心には何ひとつ無駄はない 苦しみも悲しみも成長の糧となる」というもの。京都府福知山市にある丹波あじさい寺・観音寺の住職「小籔実英」さんの言葉がとても温かく心安らぐと評判らしい。人生で少し疲れた時、悩みや迷いがある時、悲しい時、辛い時、そんな時にぜひ思い出してほしい言葉である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


新しく 夢を踏み出す 萩の花

2016年08月29日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇りで、夕方まで雨の降るところがあるらしい。気温は25.4度から29.4度、湿度は93%から74%、風は2mから5mの西の風がやや強かった。明日の30日は高圧部となり晴れる見込みらしい。

 

 朝方はすさまじい雷鳴と豪雨で賑やかだったが、だからと言って私たちではどうにもならないので、ただ、ふとんにくるまっているしかなかった。時の過ぎるのを待つだけである。

 

 迷走台風の影響なのだかどうか知らないのだが、まぁ、四国にすればありがたい雨ではあった。でも、四国の水がめ、早明浦ダム上流では、そんなにも雨が降らなかった様子。

 

 夜が明けると雷鳴は聞こえなくなり、雨も小降りになってきた。

 

 さて、八月のお仕事も片付いたので、秋の文化祭に向けての「夏休みの自由研究」のスタートである。その第一弾として、この俵である。これが、高松市文化財保護協会の中島先生が担当している「飯田家の俵札調査」。

 

 この俵札は、86番札所の志度寺さんから87番札所の長尾寺さんに向かう遍路道のちょうど中間地点にある桃農家の飯田農園(オレンジの星印)さんが保管していた俵である。

 

 この俵札の中に収められていた紙くずを整理したものが「飯田家俵札」で、納め札は1073枚であった。担当の中島先生は正規の調査を実施し、整理段階にあるらしいのだが、側面からその調査のお手伝いをするもの。

 

 手書きが861枚、版刷りが148枚、版刷り+手書きが18枚、印刷が23枚、印刷+手書きが23枚という結果だった。やはり、江戸時代後期のものは筆文字による手書きであった。江戸時代後期では文字の読み書きのできない者が多かったという予想よりも、達筆な筆文字が多く、その上手さに驚いたものだった。

 

 飯田家のものは、文政13年(1830)から大正7年(1918)までで、第一次ピークが天保12年(1841)、第二次ピークが明治38年(1905)であった。第一ピークは、有名な天保の大飢饉の直後で、食べられなかった農民が大挙して四国に流れ込んだことを証明している。第二ピークは、日露戦争後、肉親や知人友人らの供養のためであった。

 

 今日のお昼は「白熊君」。中にいろいろと入っているのが邪魔だった。あっさりとしたものがおいしいと感じる年になったのかも知れない。

 

 出身地調査でも、香川・徳島・愛媛や対岸の岡山・広島・京阪神の兵庫・大阪・和歌山が多いのは、どの調査でもにたり寄ったりである。

 

 ま、こういうデータを集めて整理をして一冊の本にまとめる作業である。私の「田淵家調査」は終わっているので、この「飯田家」と「寒川家」の三つをまとめたら大作になりそうな気がする。

 

 午後からはミンミン蝉が鳴き出してきたし、青空も広がってきた。いよいよ、八月もおしまいに近くなって、秋らしい空気が流れるようになってきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「「思えば叶う」そうなりたい そうなると信じる そうなるように努力する そうすればそうなる」というもの。車が欲しいと思えば貯金をする ローンを組む、そうすれば車にも乗れるようになる 家が欲しいと思えば貯金をする ローンを組む そうすればマイホームも手に入る。「そうなりたい」という「願」と、そうなるように努力する「行」とが揃ってこそ、「願行具足」でものごとは成就する。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。 


またも来て 仁尾の店先に 秋風を見る

2016年08月28日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、大気の状態が不安定となるため、夜は雨や雷雨となる所があるらしい。気温は24.2度から30.4度、湿度は86%から76%、風は2mから4mの東から東北東の風が少しばかり。雨だ、雨だといいながら、とうとう、雨にはならなかった。明日の29日は、気圧の谷や湿った空気の影響で、夕方まで雨が降る見込みらしい。大気の状態が不安定となるため、雷を伴って激しく降る所があるという予報だった。

 

 夜が明けるのがぐんと遅くなったし、日が暮れるのもぐんと早くなった。昨夜にはコオロギの声がうるさいほどになって、いよいよ、秋らしくなってきたなぁと感じたものだった。

 

 昨日、三豊市観光課で頂いてきた何種類かの観光チラシを置いてあったら、奥方のけいこばぁが、「今日は、ここに行くよ」と言うではないか。まさか、昨日、ここに行って来たとも言えないので、「はぁ~・・・」と答えてしまった。

 

 仕方がないので、昨日とまるきり同じルートで、善通寺市経由で仁尾町に向かうことにした。途中、何カ所かでトイレ休憩。とにかく、利尿剤のおかげで30分ごとにトイレに行かなくてはいけないのが困りもの。

 

 味巡りのパンフレットの地図が、現地とうまくマッチしないので、とりあえず、仁尾町文化会館の駐車場に車を置いて、あたりを歩いてみた。

 

 この仁尾酢という工場はすぐにわかったが、お店がわからない。ここは工場で、日曜日はお休みだというので、すぐ前の酒屋さんで聞いて見た。すると、その酒屋さんに「仁尾酢」があるというので、早速にけいこばぁはお酢を買った。

 

 こういうものだった。米酢だった。

 

 仁尾蒲鉾店も、日曜日はお休みだというので、かまぼこや平天はあきらめた。

 

 次にけいこばぁが選んだのがここ。うどんとそばの「長兵衛」というお店。細い路地沿いにあって、きれいとは思えないレトロなお店。駐車場がないのでパスしようと言うたのだけれど、「こういうお店がいいのよ、さっきの会館に車を預けて歩こうよ」というので、しぶしぶ、ついて行った。

 

 迷路のような港町特有の路地を歩いて探して・・・。

 

 どう見てもうさんくさそうなお店である。

 

 中には、このテーブルと、奥に座敷席のテーブルが一つ置いてあるだけの狭いお店で薄暗い・・・。

 

 けいこばぁは、うどん小ときつねずしを注文したが、きつねずしは売り切れだというのでおうどんだけ。

 

 イリコ出汁がおいしい・・とけいこばぁは言うていた。この七味とうがらしは小さな袋に入っているものをやぶいて振りかける。私は中華そばにしてみた。

 

 鶏のスープだなぁと思った。まぁ、なつかしい味というのだろうか。お店がレトロ(創業70年)なだけに、味もレトロかなぁ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。ツルゲーネフの、「乗りかけた船には ためらわずに乗ってしまえ。」というもの。私的には、若干違和感もあったのだが、人間いったんこうと決めたら、迷わずに突き進むべきだ。決めるまでには熟慮を重ねることが必要だが、決心がついたら、もう思いきって実行するしかない。決断と行動を促す言葉である。「決定して疑いあることなし」の仏教の言葉もある。「顕浄土真実信文類三(教行信証・信)」

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


こおろぎに 今日の日記を せかされる

2016年08月27日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響により概ね曇りで、昼前にかけて雨の降る所があった。気温は25.7度から29.3度、湿度は90%から72%、風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の28日は、気圧の谷や湿った空気の影響により曇りで、夜遅くには雨が降り、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 で、ご案内の通り、仁尾町の埋め墓を探す旅にようやく出かけることになった。その途中にあった、詫間海軍航空隊跡のモニュメントである。太平洋戦争開戦とともに、航空要員の大量養成を図るために、実用機を用いた実機練習航空隊を急造した。1943年(昭和18年)2月には、横須賀鎮守府と呉鎮守府が統率する3個練習連合航空隊を統括する「連合練習航空総隊」が編制された。この一連の増強計画の中に、呉鎮守府第12連合航空隊所属の水上機実機練習航空隊の一つとして、香川県三豊郡詫間に設置されたのが詫間空である。詫間空では12機の水上偵察機とともに、48機もの練習飛行艇を備え、飛行艇搭乗員の重要な養成施設となった。

 

 その敷地跡は工場群や香川工専詫間キャンパスになっているが、山側には今もこうした設備が残されている。

 

 その先にあるのが、船越地区の両墓制である。手前側の自然石が埋め墓、向こう側の石碑が参り墓である。埋め墓は肉体を埋めた場所で俗界、参り墓が魂をまつる場所で聖界となっている。

 

 三豊市に属する詫間町から荘内半島をぐるりと回って来て、仁尾町家の浦集落にやってきた。まず案内標識に従って、「円明院」という真言宗のお寺さんで、薬師如来を本尊とするこのお寺は、静かな山あいにたたずむ落ち着いた雰囲気のお寺。

 

 境内の裏庭には昭和52年に建てられたパゴダ(仏舎利塔)があり、中にはタイ国から贈られた釈迦涅槃像が安置されている。

 

 パゴダの正面にはカギが掛けられておらず、簡単に扉が開いた。パゴダの中には、タイ国のワットバクナム寺から贈られた等身大の釈迦涅槃像が安置されている。思わずに合掌礼拝お念仏・・・。南無阿弥陀仏 南無釈迦牟尼仏。

 

 お寺の境内の外の墓地にあるのが「拝み墓」「参り墓」と呼ばれたお墓群である。

 

 

 そして、こちらが海岸近くにある「埋め墓」である。

 

 風で砂が流されないように、防風ネットを張ってはあるが、だんだんと砂が流れて形が崩れていくようである。お参りに来ていたおばあさんにお話を伺うと、もう、この墓地は使われていないのだという。でも、当番制で、このお墓を守っているのだという。今はもう、火葬にされて、山のお寺の墓地に納骨されるのだそうだ。

 

 帰り道、この「仁尾城跡」という「覚城院」に立ち寄ってみた。ここにお「城」があったということを「覚えて」おく・・・という意味の「覚城院」であるという。

 

 こうしてみると、全く、ここはお城であったことがすぐに見てわかる。

 

 で、そのお城が落ちた時が雛祭りの旧暦三月三日であったことから、この町ではひなまつりをしなくなり、八朔の八月朔日の男の子のお祭りと同時に「仁尾八朔まつり」が行われているのだそうだ。

 

 お寺のさらに上には軍人墓地があるが、実にその数、499柱。日清日露から先の太平洋戦争までの殉国者を平等に対等に安置していて、「全国無比」であるという。

 

 今日の掲示板はこれ。「ありがとうと心から喜べぬ ごめんなさいと心から恥じることもできぬ 今日も如来のご苦労が身に染みる」というもの。これまた、どなたの言葉かは分からないのだが、なんと強情な私たちであることか。なんと傲慢な私たちであることか。それでも親である如来は私たちを「いとおしい」「いとおしい」と見守っているのである。そんな親心を知っていながら、それでもまだすなおになれぬ私たちであることか。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、あえるといいね。


お役目を 一つ終えたり 秋の雲

2016年08月26日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、お昼前あたりからは、湿った空気の影響で概ね曇って雲が広がってきた。大気の状態が不安定なため、雨や雷雨となる所があるらしい。気温は26.1度から34.0度、湿度は90%から68%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の27日は、湿った空気の影響で概ね曇る見込みで、大気の状態が不安定となるため、明け方まで雨の降る所があるらしい。

 

 今朝も花おくらが満開状態。でも、もう、あげる相手もいなくなった。こういうものは、毎食毎食は食べられない。たまに食べるからおいしいのだ。

 

 でも、一日花だからもったいない。今度はわが家用に収穫した。

 

 花が大きいから、これだけになった。これを冷蔵庫で保管しておく。今夜は、どんな料理になるのやら。

 

 朝方、散歩に出たらばこんなものが・・・。サルの軍団かしらん・・と思ったら、うり坊の家族だった。お母さんイノシシはいち早く山の中に隠れたが、うり坊たちはまだ人間を知らないらしい。きょとんとしてこちらを眺めている。

 

 さて、今日は高松(興正寺)別院での定例法座の日。これも大事なお役目なので失敗のないように準備・点検・確認して早めに出かけることにした。要は会場の準備のためである。

 

 お昼は簡単に軽く食べておく。おなか満腹は胸がつかえて苦しくなってしまう。

 

 とにかく、相手のあるお約束は忘れないように、失敗しないようにミッションをクリヤーしないといけない。自分の個人的な研究やお話会は少々右に曲がろうが左にずれようが心配はないのだが・・・。

 

 ここでの法座も四年目か五年目かになるので手慣れたもの。スクリーンをどこに立てて、プロジェクターはどこに置いて・・ということもすっかりと身体にしみこんできた。

 

 こうして、準備万端・・・だと思えば・・・。またしてもマウスを忘れてきた。ノートPCだから、マウスがなくてもどうにかなるが、七面倒くさい。前回の歴史講演会では、マウスの無線アダブタを忘れてマウスが使えなかった。今回は、そのアダプタは確認してきたのに、肝心のマウスを忘れるのだから老化が進んできた証拠。

 

 で、お話を始めたら、画面が真っ黒になった。お話をしながら、あれこれ触っていたら、電源コードを刺すのを忘れて電源が落ちてしまっていた。まぁ、どんならんこっちゃな。

 

 輪番さんが遅れるというので、法話を先にして、前座30分、30分の休憩を挟んで後座30分、庄松同行のお話をしたが、皆さん、「庄松同行」を知らない・・という。庄松さんを知っているのはお坊さんだけになってしまったのか。

 

 確かに、勝覚寺にお参りに来られる方はお西さんであったり、お東さんであったりするが、それも、お寺の住職さんが多いということに気がついた。一般の方は、「妙好人」だの「庄松同行」ということは教わらないらしい。庄松さん、庄松さんというてるのは、私ら一部の坊さんだけなのか・・・。

 

 まもなく、「庄松同行150回忌法要」を盛大にやろう・・・というとるらしいのだが、はてさて・・・だな。

 

 今日の掲示板はこれ。「まどえる身にも信あらば 生死のままに涅槃あり」というもの。真宗教団連合のカレンダー8月分からである。そして今月の法語は、「正信偈」の「惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃」〔惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなはち涅槃なりと証知せしむ。〕(『註釈版聖典』206頁)のおこころを詠われたものである。これは、煩悩に染まり惑う凡夫であっても、ひとたび他力の信心をおこしたならば、迷いの身であるままで、やがて浄土に往生して「生死すなはち涅槃なり」という、仏のさとりを開くことができる、ということである。私たちは浄土に生まれ、どう変えられていくのか、言い換えれば浄土往生の相状として、私たちの側から他力のはたらきをどのように受け止められていくのかということが、ここに示されているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


八月を 見つめ続ける カレンダー

2016年08月25日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、湿った空気の影響で雲が広がってきてはいるが、雨の気配は今のところない。気温は26.7度から33.7度、湿度は88%から70%、風は2mから3mの東の風が少しばかり。明日の26日も、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 一昨日の夢に出てきたこの墓地。ようやくに場所が判明した。三豊市仁尾町の家の浦集落であるという。

 

 仁尾町というのは香川県西部も西部。観音寺市に隣接する町である。世界初の太陽熱発電の実験(サンシャイン計画)が行われた所。サンシャイン計画を記念して、昭和56年3月21日より、仁尾太陽博覧会が開催された。サンシャイン計画では、2種類の形式の太陽熱発電施設が建設されたが、いずれもその後廃棄され現存しない。その家の浦というのは、上の地図の左上にある集落。

 

 仁尾町といえば、仁尾マリーナ。仁尾マリーナーは、仁尾港内にある四国最大規模の海洋レジャー施設。1990年に香川県と仁尾町の事業により整備が開始され、仁尾港内の塩田跡地約5,000m2と海域35,000m2を埋め立てて1992年に完成した。「みとよ・仁尾海の駅」として国土交通省の「海の駅」に登録されている。また、1993年の東四国国体ではヨット競技会場として利用された。

 

 そこに向かって進行中・・・、携帯電話のお呼び出し。「花おくら、いつになったら持ってくるの??」という奥方の声・・・。場所はもう、高松市の香南町。高松空港も過ぎている・・・。

 

 この「香南楽湯」という道の駅でユーターン。ここから家まではおよそ25Km、30分の距離である。せっかく、ここまで走ってきたのに・・・。

 

 「今朝はたくさんオクラが咲いて来るから、咲いたら持ってきてね・・」と、言われていたのをすっかりと忘れてしまって、仁尾町のお墓のことばかりを考えていたのだった。

 

 花オクラは中国原産の「とろろあおい(黄蜀葵)」という品種で、根には粘液を多く含み、製紙用ののりに使われる。この粘液を含んでいることをトロロにたとえたことに由来するそうだ。 若い果実を食用とするオクラは本種によく似た花を開くが、葉は心臓型で3~5浅裂にとどまっている。

 

 それを全部摘み取って、レジ袋に入れて、奥方の勤務先まで届けてきた。この花おくらは、花弁を生のままサラダにしたり、天ぷらや、湯がいて三杯酢などで酢の物としても食べられる。特有のぬめりがあって美味であるが、一日花であるため市場にはほとんど流通しない。

 

 さて、予定がすっかりと狂ってしまったので計画変更。自治会堂敷地内にあるCATV用電柱の敷地料振込先変更手続きやら、その設置企業への連絡、自治会堂隣の工事現場から出る粉じん対策、近隣集落を歩き回る娘さんの対策など、自治会長の役目をこなしながら、通信費切手代金を農協さんで引き出して、郵便局で切手を購入したりと雑用をこなしておく。

 

 午後からは「妙好人庄松同行」の資料整理。明日の法話会の準備はできたので、関連資料の片付け・・・。

 

 ともかく、明日が終わらなければ次の予定が組めないのがわずらわしい。でも、明日のことは明日のこと。今日から思い悩んでも仕方がない。

 

 今日も町内各地で稲刈りが行われている。四国の南に停滞している台風10号(ライオン・ロック)がやってくるまでに収穫しておきたいということで、あちらこちらでコンバインが走り回っている。

 

 今日の掲示板はこれ。「やるか、やらないかですよ、人生は。やればそれだけのものが返ってくるし、やらなければそのままですよ。」というもの。元プロ野球選手の桑田真澄さんの言葉らしい。行動すれば必ず何か変化が起こるし、そこから得るものがある。考えているばかりでは何も変わらない。どんな小さなことからでもいい、行動することから始めよう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


花おくら 夢の続きの 色で揺れ

2016年08月24日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れているが、午後からは大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨となる所があるというのだが、今のところ、全く、その気配はない。気温は26.2度から32.2度、湿度は90%から76%、風は2mから4mの東北東の風が吹いていて木陰にいれば涼しいなと感じる。明日の25日も、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 さて、朝方に生々しい夢を見た。土葬されたお墓の中から若い娘さんが現れて、私を遍路に連れて行く。お接待を受けたら、私に「寿限無」をやれという。いつも得意なはずの「寿限無」がうまく語れずに冷笑を浴びる・・・というもの。おかげで寝汗をかきながら朝の6時半まで寝ていた・・・。

 

 で、その埋葬された場所はどこであったのかと、香川県立図書館にやってきた。

 

 これは、どこの埋め墓だったんだろうか・・・。詫間町だったのか、多度津町だったのか、仁尾町であったのか・・。高見や佐柳の埋め墓ではない。こんなお墓から、若い娘がむっくりと起き上がってきたら、どんなにびっくりすることか・・・。

 

 ついでに「志々島の話」とか、

 

 仁尾町とか詫間町の町史を借りて来た積もりだったが、これは「誌」となっている。全く、参考にもならなかった。

 

 これが参り墓なのだが、仁尾町なのか、詫間町なのか、多度津町なのか・・・。

 

 ものはついで・・・ということで、ここにも寄ってきた。丸亀市にある「本派本願寺塩屋別院」である。

 

 今度の法話会のお話の舞台が、ここ、本願寺塩屋別院である。この太ったおじさんが、「生き仏さま」と敬われた「脇谷覚行和上」さん。背中を流している三助風の男が庄松同行である。

 

 その頃の塩屋別院はこんな立派なものだったらしい。わずかながらに面影があるような、ないような。

 

 現在の塩屋別院さんである。

 

 庄松同行に、自分の信仰を木っ端みじんに破砕されてしまった脇谷覚行和上さん。とてもじゃないがお説教などできなくなって、「和上急病布教中止」の張り紙を残して京都にお帰りになってしまわれた。

 

 その張り紙されたという山門を眺めてきた。ま、とにかく、暑いので眺めただけ・・・。

 

 けれど、田舎の在家の読み書きもできない庄松同行に意見されたからと、悔い改めて一切の法話を中止され、ひたすら聞法に励み直したという和上さんも見事。なかなかにできることではないなぁと、改めて感じ入った次第であった。

 

 今日の掲示板はこれ。「仏教とは信じる信じないということではない。生かされて生きているいのちの事実にうなずけるかどうかだ。」というもの。いつもお世話になっている赤松先生のお寺にあった掲示板から。」まさにその通りだなぁと「ガッテン」、「ガッテ ン」の言葉である。この私が、今、ここに、みんなとともに生きているという事実。これこそ不思議であり、有り得ないことであり、有り難いことで はないか・・・。まさに「生かされて生きている」という、いのちの実相に驚かされているばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


日が落ちて つくつく法師の お説教

2016年08月23日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は26.2度から33.6度、湿度は88%から66%。風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の24日も、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。雨が降る降る・・と言いながら一滴の雨さえ降ってはくれない。

 

 この集落内の稲は全て刈り取ってしまった。だから、プロの猟師さんの散弾銃も発射されなくなった。そうなると、山猿は大手を振って県道やさぬき市道を闊歩する。刈り取った水田の落ち穂なんぞを拾いに集まって来るものらしい。

 

 山栗とかも格好のエサになるらしい。そこで、ジェット花火を数発発射して撃退をするが、敵もサルもの・・・引いては返し、引いては返し・・。全く、懲りない連中である。

 

 さて、久しぶりに「おへんろ交流サロン」にやってきた。例の俵札調査の夏休みが終わって、今週から作業再開・・・ということであったのだが、

 

 急遽、さぬき市教育委員会の会合が入ったとかで、いつもの作業場の研修室が使えない。で、お遍路さんが休憩するお部屋での打ち合わせになったが、コンセントが使えない、お茶が沸かせない・・、資料が開けない・・ということで、簡単な打ち合わせになってしまった。

 

 女性陣は、全く資料に触れないので、もっぱら井戸端会議になってしまった。

 

 私たち男性陣は、この秋の研究成果発表の報告書造りの打ち合わせ。まだ、会長の寒川家の調査集計も、中島先生の飯田家のデータ修正も終わっていない様子。私の作った報告書を参考にして、作業していただくことになった。

 

 データさえ修正できたら、私も作業を分担することにして、今日は10時で散会になった。

 

 とにかく、現物に触れないのでは何の作業もできないのだから仕方がない。私たち男性陣は、現物のデータをパソコン内部に持っているから、自宅でも作業はできるのだけれど。

 

 今週の法話会が終われば、今度は、私個人の「遍路札調査研究報告書」を作成する予定。役所の紐付き資金をもらわない研究報告書である。

 

 んで、来月の歴史講演会の基礎資料を、草創の会の会長さんや幹事さんに送るために印刷し、製本した。

 

 この9月中旬の歴史講演会が終わればお彼岸になる。そうなれば、暑さ寒さも彼岸まで。暑さが収まれば、志度寺から大窪寺までの遍路道にある「遍路墓」の個別調査を始めるつもり。基礎資料は「おへんろつかさ養成講座」の時に頂いているし、遍路道研修の時に、おおよその遍路墓の位置は教えていただいている。これを一個一個、歩いて調べて写真に収めて整理する積もり。

 

 とにかく、この暑さがあるうちは、室内でのパソコン作業。今まで勉強してきた、納め札・遍路札・俵札を個人的にまとめておきたいと考えている。さぬき市教育委員会用のものは「アカデミック」に、私用のものは「マニアック」に仕上げてみようと考えている。

 

 今日は「台風一過」のようなさわやかな天候になった。昨日までの、蒸し暑い「サウナ状態」ではなくなって、さわやかな風が吹き抜ける秋みたいな空気になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「何もできない自分がダメなのではない 何もできないと思ってしまう自分がダメなのである」というもの。京都府福知山市にある丹波あじさい寺・観音寺の住職「小籔実英」さんの言葉がとても温かく心安らぐ。人生で少し疲れた時、悩みや迷いがある時、悲しい時、辛い時、そんな時にぜひ思い出してほしい言葉である。五月初めの藤、梅雨の時期にはあじさい、晩秋には紅葉、立春の頃には蝋梅…と、一年を通じて花や古木、紅葉が境内を美しく彩るという。花が満開になる時期には特にご参拝の方が多く、はるか遠方からもお参りがあるという。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


コスモスを 指折って詠む 五七五

2016年08月22日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。しかし、湿った空気の影響で、夕方からは雨の降る所があるという。そんな気配は少しも感じられないのだけれど。気温は26.8度から34.5度、湿度は92%から74%、風は1mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の23日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。野菜畑もお花畑も玄関先もカラカラに乾ききって野菜などがひからびてきている。早く、一雨欲しいものだ。

 

 早くも八月も残すところ10日を切った。そこで、私のホームページの行事予定コーナーを更新しておくことにした。

 

 で、10月分の行事予定表も追加しておくことにした。こうしてみると、一年なんてあっという間だ。

 

 HPの更新が終われば、花オクラの花を摘み取って、奥方の勤務先の介護施設まで届けておいた。職場のケアマネ連中に配るのだそうだ。レジ袋まで余分に運んで行って来た。

 

 その後、農協さんに行って、昨日の「おっぞさん」にお供えしてあったお賽銭を自治会会計に入金してきた。お頭人さんが持って来たのは「162円」だった。もっとあった筈なのにお猿さんが持って行ったのかわずかしかないと悔やんでいたが、最近のおさるさんは、お賽銭でお茶を買って飲むのだろうか・・と話題になった。

 

 確かに、お供えしてあったお花は引き抜いて捨ててあったし、「よだれ掛け」も引きちぎって木の枝に掛けてあったし、帽子はかぶって逃げたのか、どこにも見つからなかったと怒っているおばさんがいた。お猿さんがお賽銭を持って、缶コーヒーを飲んだ可能性はあった。もっとも、通りすがりのおじさんが、お賽銭でワンカップ大関を買って飲んだという可能性が無いわけではない。しかしのかかし、大の大人が、162円を持って窓口に行くのも優雅でステキな姿ではない。

 

 帰って来てからは、この金曜日の法話会のリハーサルをやっておいた。時間調整のためである。短かすぎてもおかしいし、時間を過ぎてダラダラと話すのもみっともない。

 

 「岸崩れて花逆さまに開き 石圧してタケノコ斜めにいづ」と書いてある。それが、「ありのままだと」というているのである。

 

 「妙好人庄松同行一代記」である。この二行目、「壬生村字土居」と書いてあるのが妙に気になる。昔は「壬生村」というていたのだろうか。いや、おへんろさんの納め札だって、江戸時代から「大内郡丹生村」と書いてあったのだが・・・。

 

 タイムはおおよそ、時間通りにはなった。ただ、本番ではどうしてもタイムが伸びるのが困りもの。サービス精神で、ついつい、余分な話をおまけしてしまうからなのだ。

 

 今年の講演会・法話会は、この26日の法話会でおしまいにするつもりが、来月にも一座お話することになった。秋の文化祭用の「夏休み自由研究」がまだできあがっていないので、予定を入れずに自由研究に没頭する積もりであったのだが。

 

 先日の歴史講演会で、「講師が急に入院したので、先生にどうかお願いしたい・・」と頼まれると断り切れなくなってしまう・・。で、緊急に、講演会のパンフレットまで作ってしまい、早々に幹事さんに送ることになった。

 

 コンテンツは、昨年の夏に中学生にお話をしたものを、おじさん用に修正してお話することにした。

 

 今日の掲示板はこれ。「きょうほめて あす悪く言う人の口 泣くも笑うも人の世の中」というもの。「今日ほめて 明日悪く言う人の口 泣くも笑うもうその世の中」という場合もあるが、一休さんのことばだとされている。今日は私のことを、「いい人、大好き。」とほめていても、明日になると、「あんた、そんな人だったの?大嫌い!」と悪く言う。人とはそういうものだ、ということである。あなた自身は昨日と今日で何が変わったわけではなくても、人の口はコロコロと変わるもの、あてにはならない。そんなあてにならない人の口にふりまわされて、「悪口を言われた。」とか、「こんなひどいこと言われるくらいなら死んだほうがましだ。」と言って自殺しようとする人があるが実におろかなことではないか。逆にほめられたからといって、有頂天になって舞い上がっているのも馬鹿なことだよ・・・と一休さんは言うているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


夏の汗 濡れて郵便配達夫

2016年08月21日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は27.2度から34.4度、湿度は90%から70%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。雨が降る、雨が降ると言いながら一粒の雨も降らない。明日の22日は、湿った空気の影響で概ね曇りとなる見込みらしいがホントだろうか。

 

 さて、今日は「おっぞさん」の日なのだという。一般的には「お地蔵さん」の日で、いわゆる京都あたりの「地蔵盆」なのだろうと思う。これがいつ頃できたものか、いつごろから「おっぞさんの日」になったものか、それを知る人はいなくなってしまった。

 

 で、各家から一人ずつが出て、「おっぞさん」の回りの掃除をする。これは年に一回、今の時期だけである。だから、草は伸び放題、落ち葉は積もり放題である。

 

 朝の7時からお掃除・・・という案内があったのだが、みんなが集まったのが6時35分過ぎ。それからすぐに掃除を始めて、7時前には掃除が終わって解散になった。それでも、みなさん、汗まみれになっていた。

 

 で、さっぱりとしたのだが、お花を入れ替えた程度で、誰も手を合わせたり、お経をあげたりはしない。掃除が終われば、バイバイ・・・である。

 

 昔は、夕方にはここに集まって、近郷近在の子供たちが集まって、お菓子を分けたり、食べたりして、最後は盆踊りをしたというが、このあたりに、もう、子供の姿はない。

 

 これは、野猿が栗の実を食べ散らかした後である。このとがったイガイガを、小さなかわいい手で割り裂いて、うまく食べるものである。

 

 道ばたには、この時期、「タカサゴユリ」が咲き誇っている。誰が種をまいた訳でもないのに、このユリはサルにもイノシシにもシカにも食べられずに繁殖を続けている。

 

 で、15時からは、「おっぞさん」のお祭りであるが、14時半には集合する。別におまつりが楽しいわけでもないし、ヒマだからという訳でもない。

 

 今回の話題は、①、イノシシの姿が減ったこと。②、猟師さんが毎朝、空砲を発射するのでサルが姿を見せなくなったこと。③、シカが出没すること。④、サルが青信号で横断歩道を渡っていたこと。⑤、白、黒、灰色の捨てネコが三匹、犬のエサを食べて回っていることなどが報告されたが、肝心の「おっぞさん」の話は一言も話題に上らなかった。ま、のどかと言えばのどかな集落ではある。

 

 今日の掲示板はこれ。「何ものも「自分のもの」ではないと知るのが智恵である」というダンマパダからのことばである。「降れば濡れ 濡るれば乾く袖の上を 雨とて厭う人ぞはかなき」と一遍上人は言った。煩悩にまみれた自分でいいのだと腹をくくると光が見えてくる。「煩悩 を断ぜずして 涅槃を得るなり」と親鸞聖人も言った。人生さえも借りものである。清々しく生きられるコツがそこかしこにある。「何ものも“自分のもの”で はない、と知るのが知恵であり、苦しみからはなれ、清らかになる道である」と、『ダンマパダ』に書いてある。考えても仕方のないことを、あれこれ思い悩む のは愚かなことだ。「眠れぬ者に夜は長く、疲れた者に一里は長い。真実を知らぬ愚者に生死の道は長い」とも『ダンマパダ』に書いてあった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


知恵熱が 出てコスモスの 午睡かな

2016年08月20日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、夜は湿った空気の影響で、雨の降る所があるらしい。気温は27.1度から35.2度、湿度は92%から62%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の21日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるらいいが、午後は大気の状態が不安定となるため、雨の降る所がある見込みなのだとか。

 

 朝方は湿った空気が充満して、曇り空のように薄暗い天候になった。

 

 御案内の通り、今日は高松市内での歴史講演会の日。どのような形でプレゼンをするかが気に掛かる。果たして私のパソコンは適合できるのかどうか。万一のために、私愛用のプロジェクターとスクリーンは車に積み込んできたのだが。

 

 夏休みとあって、家族連れが多かった。子供たちも慣れたもので、サービス用のお茶やコーヒーなどを自由に飲んだり、おもちゃコーナーで遊んだり。スタッフのおねえさんも、「将を射んとすれば馬を射よ」ということで、子供用の工作セットやアイスクリームプレゼント、お菓子プレゼントなどをやっている。

 

 で、用意されたのがこういう、普通のテレビである。ここでは皆さん、これで講演会をやっているのだという。で、HDMIケーブルで接続しようとすると、

 

 これを使ってください・・・と、こういうケーブルを持って来てくれた。そら、このディスプレー用ケーブルが確かである。あ・・・そういうことか・・。少しばかり考えすぎていたな。

 

 で、幹事さんが記念写真を撮ってくださった。

 

 今日は暑いせいか出足が悪いとかで、10名ほどの出席になった。ま、私は何人だってかまいはしない。時間だけお話すればいいだけのことである。

 

 これは日露戦争で仁川沖で自沈したワリヤーク(バリャーク)である。日清戦争でも旗艦定遠が自沈したが、戦艦はなぜ自沈するのか。なぜ、日本海軍始め諸外国は、その戦艦を引き上げようとするのか。

 

 これはソ連軍が遺棄したT-26を調査するフィンランド軍の写真であるが、これを「鹵獲:ろかく」というのである。鹵獲というのは、古代中国の春秋戦国時代や三国時代などから戦時で度々行われた行為であり、我が国でも古代からたびたびこの行為が戦の度に行われていた。主な目的として、自身の装備品より良い武器を奪うためや、それらを売り払って金銭にするためなどが目的だった。

 

 これは古川庄八らが引き上げた「定遠・鎮遠」を運んでいる写真であるが、これを我が国に運んで調査し、使えるものは使用し、参考になるものは参考にし、不要なものは民間に払い下げられた。

 

 これは、九州太宰府の神官の邸宅である「定遠館」で、室内には戦艦定遠の手すりや櫂などの部品があちこちに取り付けてあるし、

 

 この門の扉は、定遠の装甲鉄板で、各所に貫通した銃弾の跡が残されている。かように、「鹵獲」というのは重要で、古川庄八らの活躍は以降の艦船建造に役立っているのである。

 

 この暑い時期に、さぬき市内では各所で稲刈りが行われている。近く、台風が接近するとかで、農家では、この土日あたりに急いで収穫するらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「頑張らない いつも一所懸命だから」というもの。いつだったか、俳優の倍賞千恵子さんが旭日小綬章を受賞したとの記事があった。その新聞に彼女のコメントが載っていて、「(前略)でも、頑張らないで、一 所懸命というのが私のモットーなので…。(後略)」だったようなことで、曖昧なことしか覚えていないのだが。がんばるのと、一所懸命なのは、どこがどう違 うのかも理解もせずに今まで来ているのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


あちこちに セミ落ちている 昼下がり

2016年08月19日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は26.3度から33.6度、湿度は94%から74%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。今日も蒸し暑い一日になった。明日の20日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日も四枚ほどの花オクラを収穫してレジ袋に入れて冷蔵庫に入れておいた。

 

 さて、明日の歴史講演会だが、会場でパワーポイントを使うのには、大型テレビに接続するらしい。スクリーンだと回りが明るくて見えにくいからだと言うことだった。でも、大型テレビにパワーポイントを映したことはない。

 

 まぁ、応用かなぁ・・ということで、テレビをディスプレー代わりに使っていたことがあったので、接続してみた。理屈は同じ事だ。

 

 このパソコンはちゃんとパワーポイントを映してくれるのだが、Vista版のほうは映してくれない。

 

 OSではなくて、ノートPC側の問題らしい。

 

 はてさて、ノートPCを2台持っていくべきか、どのマシンを選んで行くか・・・。そこが思案のしどころだ。

 

 そういう、悪戦苦闘をしている時に玄関でなにやら叫ぶ人がいる。何事かと出てみれば、さぬき市の広報を届けに来たシルバー人材会社の方である。

 

 こういう、各種団体からのチラシやパンフレトや広報やらがどっさりと入っている。そうか、今日は19日だったのだ。すっかりと、20日のことばかりを考えていて、すっかりと広報配布の日を忘れてしまっていたのだった。

 

 これを10軒分に配分して・・・

 

 それぞれを袋詰めして夕方になると、各家庭を回って配ることにした。

 

 来月前半にはいろんなイベントが目白押し・・・。

 

 広報の準備が終われば、最終の通しのリハーサル。

 

 それが終われば、早くも来週の法話会のリハーサルもやっておく。

 

 できることからコツコツと・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「やる前からあきらめて何もしない人は永久にゼロなのよ。」という、林真理子さんの言葉から。胸の中にある「これやりたいな」っていう気持ちや、忙しくて後回しにして、忘れてしまったり、諦めてしまったことってあるけれど、「これだったらできるか も」とか、「じゃあどうやったらいいのかな?」と、少し視点を変えて、自分のやりたいことに一歩ずつ近づいていけるといい。大きな一歩ではなくて、小さな 一歩でいいから、まずは一歩を踏み出してみよう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


花オクラ 過ぎた休みを 気にしつつ

2016年08月18日 | 時にはぼぉっ~とする時

  さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は26.3度から33.6度、湿度は89%から68%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。今日も暑い一日になった。明日の19日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 わが家に咲いた「花オクラ」である。オクラの花なのだが、花が美味しくなるように改良した品種で、通常のオクラよりも花が大きい。この花は食べられるのである。この花には、オクラの香りと粘りがあり、野菜らしい濃密な甘さがあるという。

 

 この花は朝方に開くので、それをレジ袋に入れて冷蔵庫で保管しておいた。それを昨夜は調理をしてくれた。

 

 花びらを刻んでサラダにしたり、花びらで生ハム等をくるんだりと、食感と彩りが楽しいエディブルフラワーなのである。一昨年からつくり始め、ものめずらしさも手伝ってか、あちらこちらにお裾分けしている。

 

 今日は奥方の勤務する介護施設のケアマネさんにもプレゼントしてきた。

 

 昨日は講演会用の手持ち資料を作ったのだが、それでもわかりにくいので、家系図を作ろうとやってみたのだけれど、ワードでは難しいし、イラストレータでは邪魔くさいし・・エクセルでもうまくいかないし・・と悪戦苦闘していたのだが、今朝は気分が良かったのかうまく、それなりにできた感じ。

 

 朝ドラが終わったら、いつもの香川県立図書館へ行って来た。先週に借りた本を返却しておきたかったし、気分転換にもなると考えたし・・・。パソコンの前ばかりでは目も乾くし肩も凝る。

 

 夏休み時期ともあって、親子連れのこどもの数が多かった。その中で捕虫網を提げた子供が淋しそうに歩いて居たが、なぜか、セミの声も姿もないのである。この時期に、あれほど啼いていたセミが一匹もいない・・って、どういうことなんだろう。早くもセミの季節が終わったのか。それとも暑すぎてセミも木陰に隠れているのだろうか。

 

 で、こういう本を見つけた。本屋さんで売っている本ではなさそう。

 

 この中に、こんな写真があった。古川庄八がオランダで撮った写真らしい。

 

 これも、同じ留学生だった高見島の山下岩吉さんだが、ここにはオランダ語だかの表示が見えない。

 

 これも同じ留学生だった榎本釜次郎さんである。マークが違うけれど、オランダで撮った写真だと思われる。

 

 この本は明治に作られた灯台のお話であるが、英国士官レキ氏が乗っていた船が、この灯台調査船で、

 

 その灯台を設計した人が、このリチャード・ヘンリー・ブラントン氏であった。

 

 なるほど、なるほどと、読ませていただいたことであった。

 

 今日の掲示板はこれ。「いのちほど大切なものはないと言いながら 今日もそのいのちを食べている」というもの。動物であろうが植物であろうが、どんな生き物であっても、自分の命の限り精いっぱい生き続けたい、そう願って 生きているのだと思うもの。私たち動物は、そんな他の生き物の「いのち」を奪わなければ、一時も生きていくことができない、悲しい宿命を背負った生き物なのである。口先では「命は重い」とか「大切ないのちをだいじにしましょう」とかと言うのだけれど、その口裏で、平然と他の生き物のいのちを奪って食べているのである。食べることを考えることは、命について考えることである。いのちについて考えることは、多くの生き物のいのちを考えることである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ものとせず 高砂ユリの ひたむきさ

2016年08月17日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は湿った空気の影響で概ね曇り、夜のはじめ頃まで雨の降る所があるらしい。今日も高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みらしい。気温は26.7度から32.8度、湿度は92%から74%。風は1mから2mの西から北北西の風が少しばかり。明日の18日も、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 前の県道工事も、お盆休みが終わって本格稼働に戻ったらしい。朝から賑やかなことだ。

 

 ふと、カレンダーを見上げたら、今日は早くも8月17日。お約束の8月20日って、もう、すぐそこじゃないか。あれあれ・・。急がなきゃ遅れるわ準備しなくちゃ♪~。

 

 まだまだ先じゃ、まだ、先じゃ・・と、のんびりと構えていたらば今週末はすぐそこだ。ここが高松市福岡町にある「RNC総合住宅展示場セトラ高松」である。ここの会議室をお借りして、「草創の会歴史講座」をやっている。

 

 そこで、歴史のお話をしてくれないか・・という話があったのは5月の連休の後・・・。先は長いぞ・・・と、呑気に構えていたのだが、お盆を過ぎたらあっという間だ。

 

 で、一応、通しでタイムを計測しながらのリハーサルをやってみた。時間は75分少しだったので、質疑応答時間を考えれば、ちょうどいい時間になる。で、安心をしていたのだが、手持ち資料も必要かなぁと考えた。お説教や法話会に「レジュメ」は必要ないが、歴史講演会には何かないとお土産にならない。

 

 歴史好きに限らず学者さんたちは「資料はないんかい」を連発する。「資料は用意しとらんのか・・」などとおしかりを受けたりする。ということで、おみやげ程度のA4番両面印刷の資料を作ることにした。

 

 ま、今年の4月に「つかさの会総会」に使った資料を下敷きにして、本文の中からコピペで切り貼りしてあっという間にできあがった。これで準備万端。あとは体調を万全にしておくことだが、それまでに宴会・飲み会はないので大丈夫だろう。

 

 郵便局に用事があって出かけたが、もう、あちらこちらで稲刈りが行われている。はやく収穫しないとサル軍団やイノシシの乱入に遭うとたまらない。少し前までは、「台風が来る前に取り込まないと・・・」と言うていたが、今は、「猿が来る前に取り込まないと・・」と言うらしい。

 

 今日も蒸し暑いもので、朝から氷麦茶や氷水をがぶ飲みしている。「水分をこまめに補給しましょう」とラジオとかで言うている。だから、今日はガリガリ君のお世話にもなった。

 

 で、利尿剤を飲んでいるものだから、トイレ、水分補給、トイレ・・・の連続である。水分補給をしないと脱水症や熱中症になるという。飲んだら出るし、飲まないと熱中症になるというのだからややこしい。

 

 午後からも通しでリハーサルをやってみた。時間もぴったりと合うようになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「誓って破ってまた誓う 決まり文句は今度こそ」というもの。それが凡夫(ぼんぶ)たる我らの姿である。昔に流行った「スーダラ節」植木等の歌った有名な歌だ。「わかっちゃいるけどやめられない・・・」我らの素顔そのもの。それでいいのだ。「悪性さらにやめがたし こころは蛇蠍(じゃかつ)の如くなり」と親鸞さんも言うてなさる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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