まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

年の暮れ 年の暮れこそ さりながら

2019年12月31日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響ではじめは曇っていたが、午後からは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は2.5度から8.8度、湿度は76%から58%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の1月1日は、はじめは高気圧に覆われて晴れるけれど、湿った空気や寒気の影響で、昼前からは雲の広がる時がある見込みらしい。

  

 129/59-59 36.6c-91% 76.3Kg 1031hPa,4c,55% 今朝は冷え込んだせいか血圧がやや高めで頭が重い感じ。体重は大きな変化はないが、尿も便も少ないのが気にかかる。気にかかっても、病院にいるのだからドクターや看護師に任せておくほかない。

 

 さて、巷では年末だし、お正月なのだが、まわりはそういう雰囲気にはない。ごく、当たり前の日々と時間が流れるばかり。私は013号ベッドで寝たきりのまんま。周りに展開される風景は映画のようで魔訶不可思議の世界。

 

 救急車しか通れない「サイレン道」、春の桜のころ、ここを数台の救急車が進んでいき場面は圧巻で、インスタ映えするし、秋の夕焼けの中を連続して進んでゆくさまも見事である。そうしたイベントを病院がやっていたり、歳末の感謝デーで観劇があたり、映画会があったりする。むろん、病院がそんなことをするはずがない。

 

 そういう夢想の世界を漂流しながら、まったくのおばかさん化していったと、奥方は言う。「これで、この人とはお別れするのかも・・・」と思うと悲しくなったという。

 

 ともかく、年末年始のころはそういう状態・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。この句は亡くなったわが子の傍らで悲嘆に暮れる妻の姿を見てなんとも苦しく悲しい心境を一茶が読んだもの。酷い喪失感を感じながらも必死でうなだれた顔を上げようと頑張っている。傷ついた人たちの切ない気持ちにも同調し訴えかけているように感じる。この世は霧のように儚いもの。いつ何が起きるか分からない。それは充分、承知の上ではあるが、分かってはいたのだが、それでもやはり・・・・・・と書いて一茶は筆を置く。心の中ではどうにも諦めきれないという悲痛な叫びを痛いほどに感じてしまう。底から先の言葉はもうでなかったのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


防災記録>救急車の音について

2019年12月30日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

  日常よく耳にする救急車のサイレンと言えば、みなさんは「ピーポーピーポー」を想像すると思うが、子供たちも救急車を「ピーポーピーポー」と呼ぶくらいだから、身近な音になっている。

 

 しかし、救急車は「ピーポーピーポー」とだけ鳴らしているわけではない。安全面を考えて、サイレンを使い分けていることは、あまり知られていない。

 

 今回は、4種類もあるサイレンの音の違いを紹介しておこう。まずは、みなさんご存知の「①ピーポーピーポー」、この音は救急車が緊急車両であるため走行する際は、義務付けられている音である。

 
 また、同じ「ピーポーピーポー」でも夜間や住宅街等、「②弱」のモードも存在する。音の大きさは救急車の20m先で約96db(※電車が通る時のガード下で約100db)の仕様となっている。

 

 次に、「ウー」と鳴るサイレンである。「ウー」にはボタンで押す「③低音のウー」、助手席の足元にありフットペダルで押す「④高音のウー」がある。この「ウー」サイレンは、「ピーポーピーポー」以外に特に注意喚起を促したい時に鳴らすのだが、消防車との混乱を防止するため、ほとんど鳴らさない。

 この4種類のサイレンの存在をご存知であっただろうか?


冬めいて 旅の思い出 二度三度

2019年12月29日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響ではじめは曇っていたが、午後からは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は2.5度から8.8度、湿度は76%から58%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の1月1日は、はじめは高気圧に覆われて晴れるけれど、湿った空気や寒気の影響で、昼前からは雲の広がる時がある見込みらしい。

 

 129/59-59 36.6c-91% 76.3Kg 1031hPa,4c,55% 今朝は冷え込んだせいか血圧がやや高めで頭が重い感じ。体重は大きな変化はないが、尿も便も少ないのが気にかかる。個々の病室というかベッドには遠慮会釈なく、04、19、013,014,19などの普通の病院には見慣れない番号の部屋がある。さすが大学付属の病院だと思った。

 

 病院だから、点滴、採決、洗体、着替え、レントゲン検査、エコー検査などがある。血圧測定や脈拍、体重、酸素濃度、ページングなんぞは自動測定になっている。それに三食の食事があるが、私は欠食ちうことで食事はないが、薬の服用だけが日課になっているのが悔しい。

 

 とにかく、右にも左にも向けず、尿は尿管、便は紙おむつ。寝たきりで体力を向上させることが目標みたい。(院内の撮影はきんしのため)

 

 今日の掲示板はこれ。「この一年 悔いなしと散る 落ち葉かな」というもの。花には花の役割があり、葉っぱには葉っぱの役目がある。冬が近くなると、広葉樹などは広い葉っぱでは水分を発散させるので木が弱るために葉っぱを切り落とす。また、光合成能力の落ちてきた葉っぱでも植物は弱る。そこで葉っぱを捨ててしまう。紅葉はその前段階で変色するものらしい・・・。紅葉も落葉もお仕事を終えた葉っぱを切り離すことでおきる自然現象。これを悲しいと見るか、寂しいと見るかは人間様のこころのありようだけ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


特別付録>救命救急センター

2019年12月28日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 救命救急センターとは、救急指定病院のうち急性心筋梗塞、脳卒中、心肺停止、多発外傷、重傷頭部外傷など、二次救急で対応できない複数診療科領域の重篤な患者に対し高度な医療技術を提供する三次救急医療機関である。人口100万人あたり最低一か所、それ以下の県では各県一か所設置されている。2014年2月1日現在、全国266か所。

 

 救命救急センターは、厚生労働大臣が定めるもので、厚生労働省が認可し、都道府県が運営、もしくは医療機関の開設者に要請をして設置するものであり、心筋梗塞や脳卒中、頭部損傷等、重篤な患者に対する救急医療を行うことが目的とされている。このため、常時高度な救命医療に対応できる医師や看護師等医療従事者を確保しておくことや集中治療室(ICU)を整備していることなどが必要とされている。

 

 従来、救命救急センターはおおむね30床の専用病床が必要であったが、平成15年度より病床数が10床程度の施設や小規模で既存のセンターを補完する施設も認定が可能となり、これらの施設は新型救命救急センターまたは地域救命救急センターと呼ばれている。

  

 香川救命救急センターは、他の医療施設では対応困難な重症患者を中心として、軽症、中等症も含めたあらゆる重症度の患者を、広く全県から受け入れている。また、対応疾患も外傷、中毒、熱傷、脳卒中、心肺停止をはじめとして、外科・内科を問わず様々な疾患があり、診療は救命救急センタースタッフを中心に、外科・内科など各科のバックアップを得ながら24時間365日休むことなく行っている。

  

  この、香川大学医学部附属病院に設置されていて、私がお世話になった施設が、以下のとおりである。

 設置年月日:平成13年(2001年)11月1日(木)

 施設名   香川大学医学部附属病院救命救急センター

 所在地    香川県木田郡三木町大字池戸1750-1

 病床数    救命救急センター20床(うちICU8床)

 人員       救急指導医2名 救急専門医5名

 その他、麻酔・集中治療・脳外科・整形外科・外傷専門医が専従(重複を含む)

 

 以下、四国では、

 徳島県   高          徳島赤十字病院

     DH        徳島県立中央病院 DHは「ドクターヘリ」装備

     地域      徳島県立三好病院

 

  香川県                香川大学医学部附属病院

       地域      三豊総合病院

                   香川県立中央病院

  

  愛媛県                愛媛県立新居浜病院

  高、DH               愛媛県立中央病院

                   市立宇和島病院

  

  高知県   DH        高知県・高知市病院企業団立 高知医療センター

                   高知赤十字病院

                   近森病院


特別付録>随想あれこれ>患者観察考

2019年12月27日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

付録:随想あれこれ 患者観察考

 私は県立白鳥病院と、ここ香川医大附属病院くらいにしか入院したことがないので、詳しいことは知らない。若いころには、大川病院(現さぬき市民病院)とか、樋端(といばな)病院とかNTT高松病院とか高松日赤病院とかにも入院したが、古い記憶は参考にはならない。

 この病室で感じたことは、四人病室でも四人が四人ともカーテンをきちんと引いて、少しも中の様子を見せまいとし、椅子や荷物などでカーテンの重し(風鎮)のようにして動かなくしている人もある。私のように全開にして寝室が丸見えになっている人はまずいない。これも、個人主義化、核家族化・プライバシー重視化・個人情報非開示化などさまざまな人間生活のありようが見えてくる。東かがわ市の白鳥病院でも似たような傾向にはあるが、多くが開放的というか、一面、ルーズな面も見ることができる。

 最近の田舎の農家でも、玄関にはしっかりと鍵をかけ、来客のたびに鍵を開け閉めする家が多くなり、当然、マイカーやマイバイク、自転車にまでしっかりとした鍵やロックを掛ける時代になっている。

 それと同様に、この病院では病室のカーテンをしっかりと引き、イスやカバンで隙間が見えないようにガードしている。たまに、貴重品入れ小型金庫の鍵を風呂屋の洗い場みたいに、手首に巻いて人を見かける。病院へ、そんなに大金を持ってきているのかと、うがった見方を楽しんでいる。「俺たちに明日はない。キャッシュカードにも残はない」というのは私だけだろうか。

 で、同室の人同士でも挨拶をすることもなく、会話をすることなどない。同室に居ても、まるで赤の他人は赤の他人。都会のマンション、会社の会議室みたいだ。同じ部屋にいるからと言って友人になったわけでも親戚になったわけでもないのだ。名前を知っても意味はないし、病院を出たら最後、何のゆかりも縁もなくなってしまい、アカの他人になってしまうのだ。

 でも、時に同じ病名であったり、過去にその人と同じ病名があったり、似たような症状があった場合には、話が少しずつ噛み合ったりする。同病相哀れむということから話が盛り上がったりはするが、それで年賀状が届くわけでも暑中見舞いが来るわけでもない。

 患者さんたちを見ていて感じることの一つに、全く、終日、寝てばかりいる人がいる。当然、食事もし、トイレにも行き、薬も飲んで寝ているのだろうが、昼間から寝て、夜もまた寝ているのだろうから、実によく眠れるものだと感心するばかりである。

 かと言って昼間は寝ていても夜になると着替えて出かける人もあれば、深夜までテレビをつけている人がある。見ているのか寝ているのかさえ不明。私には無関係といえば無関係。

 最近、読書をする人が減った。時に週刊誌やスポーツ新聞を開いている人も見かけるが、一時ほどでもなくなった。やはり、高齢者でもスマホは人気が高いようだ。

 また、病院にいてどうかと思うのだが、冷蔵庫や引き出しにアイスクリームやらジュースやら栄養ドリンクやらお菓子、スイーツ、菓子パンなどを詰め込んで食べている人がいた。「そんなん、かまんのかぁ~」と思ったりしたが、自己責任の問題。私にはぬるいお茶しかないので、清貧こそ美徳だと思い込むしかない。 

 最近、気になるのが室内での携帯電話。入院案内にも「病室では禁止」と書いてあるのに、堂々と大声でしゃべっている。マナーモードにもせず、大きな着信音そのままで、讃岐弁丸出しで大声で話すのはどうかと思うばかり。

 その昔、建設会社の社長さんや議員さんが入院すると、NTTの「臨時電話」というものを申し込んで、二回線とか三回線の電話線を窓から入れて、数台の黒電話で電話していた。

 これも、すぐに携帯電話やスマホによって解消されたけれど、病室から大きな声でしようもない馬鹿話をするのはやめにして欲しい。

 そうそう、ここの患者さんは真面目だ(少なくともこの南館三階のフロアだけかもしれないけれど)。18時の夕食が終わって、19時を過ぎると寝てしまう。本当に寝ているのか、テレビを見ているのかは知らないけれど。ぴったりとカーテンを閉じて室内灯を消して静寂になる。20時を過ぎるとテレビをつけているのが迷惑なのか・・・と思うほど静かになり、廊下からは人影も消える。消灯の21時には人の声も絶え、フロア中が寝てしまったようになる。看護師さんだって姿を消してしまう。

 例の東かがわ市の病院では22時の消灯時間を過ぎても人々が歩き回り、病室からはテレビの音や話し声が聞こえ、夜中中、誰かが走り回りってにぎやかなことだった。

 今はそういう元気もパワーもなくなり、個人化、孤立化が進んできたかのように思えたものだった。

 


冬めいて 纏め切れない 日記帳

2019年12月26日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で概ね雨となり、昼過ぎからは曇りとなっている。気温は7.0度から10.7度、湿度は78%から72%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。明日の27日は冬型の気圧配置となるため、概ね曇る見込みらしい。

 

 110/64-63 36.0c-96%  1018hPa,10c,72% 暖冬ながらも静かに冬の足音が近づいてくる。いよいよ、今日が転院デーで、大搬送作戦の日である。

 

 朝から荷物を片づけたいが、体が言うことを聞かない。でも、本当は私がやらなくても、病院のみんなが手伝ってくれるし、一応の退院者だから、忘れ物なんぞはしてほしくないの一念もあっただろうか。熊野担当看護師が丁寧に処理してくれた。

 

 病院のパジャマ、血圧計なんぞの恰好のまんまでストレッチャーに縛り付けられる。目的の「香川大学医学部付属病院までは20キロ、20分の距離を、高速高松自動車道、「大内-白鳥ICから高速三木ICまでの走行になる。

 

 車も暴走や急送はやらない。安全運転ばかりになる。私にはそれがまどろこしい。

 

 病院の裏側の「救急救命センターICU」に滑り込んで、物体の確認作業が行われる。

 

 バーコードの読み合わせで確認OKとなれば処理室「ICU」に搬入され、ただちに処置されていく。

 

 処置していくのは若いドクターとそれを見守る教授である。

 

 今日の掲示板はこれ。「毎日毎日が人生の大晦日」というもので、いつもお世話になっている町内の善楽寺さんのお寺の掲示板から。生は偶然、死は必然という。「人の生を受けるは難し、死すべきものの、いま命あるは有り難し」と『法句経』にある。人間として生まれてくることは、「爪の上の砂」ほどの確率しかないのだと、釈尊は教えている。それほど極めて稀な人間の生(いのち)を、自分はいったいどのように過ごしたかと忸怩(じくじ)たる思いに襲われるのは私ばかりではないだろう。もちろん私とて、他人に対して少しばかりは善も行い、仏法にも触れてきたつもりである。しかしながら、自分を守るため、あるいは自分の我や意見を通すうちに、誰しも人知れず測り知れない悪業も重ねて一生を過ごしているものである。こうして皆んな早かれ遅かれ、大晦日のあの忙しさにも似て、追い立てられるようにして死出の旅路につくことになるのだろう。年末の大掃除のように、もっと早くから準備を始めておけばよかったと思ってみても、もはや遅いというものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


正しいや 俺こそそこもと 年の暮れ

2019年12月25日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響ではじめは曇っていたが、午後からは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は2.5度から8.8度、湿度は76%から58%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。今年の1月1日は、はじめは高気圧に覆われて晴れるけれど、湿った空気や寒気の影響で、昼前からは雲の広がる時がある見込みらしい。

 

 128/68-61 36.2c-97% 76.8Kg 1021hPa,9c,65% 少し食べ過ぎたなぁと思ったら、76Kgに戻ってしまった。ま、増えたり減ったりしながらの方が無理なくていいかもしれない。

 

 連休が明けたので、早速に役所に行ってきた。お役所も27日までの筈。早く手続きしておくのに越したことはない。  

 

 わずかな金額かもしれないが、年金生活者にはありがたい還付金。

 

 いつもは、なんだかんだとケチをつけるものだが、今日はすんなりとOKが出た。毎月のことになると書き方も上手になるのかもしれないし、無駄や読み間違いが減るのかも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分は正しい 自分は賢いというところに立っている これが人間の迷いのもとです」今日の掲示板はこれ。いつもの赤松先生のお寺にあった言葉から。私たちは「迷い」と聞くと、右に行ったら良いのか、左に行ったら良いのかと迷っている様をイメージしがち。しかし、ここで言う「迷い」とは、「こうに違いない」「こうあるべきだ」という「思いこみ」のことを指すのである。思いこんでいる時に、その思いこみに気付くことはないし、気付かないからこそ「思いこむ」というのであろう。その思い込みをやめることはできない私たちだが、そのことに気づくことが大切だというているのである。迷いを断ち切ったりはできないが、その迷いに気づくことが大切だというのである。SNSを見ていると、そういう思い込みが激しいなぁと思うことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


特別付録>私の場合

2019年12月24日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 話は違って、私の場合

 戦前・戦中・戦後(太平洋戦争)を通して、「長男は大きくなっても家にいて、家業を継ぎ、家を護るものだ」という風潮があった。でも、昭和の50年代、60年代になると「高度成長期」を迎えて、若者たちは「金の卵」だと呼ばれて都会へ出た。

 私だって、「双子(ふたご)座」生まれだから、人と人のこころをつなぐ「通信」を守るのだという強い志とあこがれを持って神戸へ出た。時、同じくするころ、私は「春風亭柳昇」師匠の門を叩き、「春風亭柱昇」なる芸名を頂いていた。しかし、厳格な父は、“人に嗤われるような人間にはなるな”と、激怒した。

 「それならば、人に見上げられる人間になってみせる」と、当時の電電公社に入社を心に決め、「高い電柱に昇れば、きっと人に見上げられるぞ」と、落語の芸名にもちなんで、柱に登ることを決意したのだった。

 その三年後に父は亡くなり、私はふるさとに戻ってきた。やはり、長男は田んぼを守り、家を守り、家族を護っていかなければならないのだなぁと思い知らされた。でも、高度成長期は田舎にも及び、村ごとに、町ごとに、市町村単位ごとに「自動改式=電話機の自動化=ダイヤル化」が行われた。来る来る日も電柱を建て、ケーブルを張り、電話機をつけて回った。私たちは夜な夜な、「建てた電柱五万本~、付けた電話が五万台~」と、大宴会を繰り広げたものだった。

 電話事業は進化の一途をたどったが、ダイヤルからプッシュホンへ、ワイヤレス化やコードレス化の時代から光ファイバーの通信へと変貌した。やがて、NTT民営化の波と携帯電話の普及によって、わが社はあえなく空中分解。子会社・NTT‐ME、NTT‐ネオメイト、NTT西日本、NTT四国などとやたら細分化され、高度化されてきた。

 そんな中、私は体調不良を理由にして、40年の通信に命をかけた人生にピリオドを打った。と、いうよりも、与えられた一度きりの人生、納得のゆくまま、ありのまま、なすがままに生きて行きたいという一念発起の想いであった。

 京都西本願寺の隣にある「真宗興正寺」で得度をし、教師(住職)の資格を受けた。かくして、私の僧名は「権中僧都・釋暁光法師」となっている。

 


特別付録>どうして看護師になろうと思ったか

2019年12月23日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

付録:随想あれこれ:働き方さまざま生き方さまざま

 この病院には医学部と看護学部があり、ともにこの附属病院の敷地内にあり、歩いて通学できるのだという。ほかにも幸町キャンパスを利用して一般教養部門も併せて勉強する。
 原則としてAO(25名)、看護前期(35名)で学生は60名。時に編入性が入って70名が学んでいる。この看護学生四年間を卒業した学生は、そのままこの病院に勤務するか、他の病院や医院に移ったりしている。
 現在、医学部附属病院に勤務する看護師はおよそ750名、そのうちの一割が男子看護師で50名だそうである。彼らが働く部門や役割もそれぞれであるらしい。(同病院HPより)

 1)男子看護師さんの場合

ある男子看護師さんに聞いてみた。

私「あなた、讃岐弁やけど、このあたりの人なん?」
男「いえいえ、広島県の生まれですけど、讃岐弁になってますか?」
私「だと、ここで何年か経験を積んで、広島のご自院へ帰られるんですか」
男「ゴジイン・・・って、何ですか」
私「おじいさんやお父さんなどがやっている病院とか・・・」
男「そんなもん、ないです。ただの会社員の息子ですよ。ここに来て、看護の勉強をして、こちらで結婚して、この町で家を建てて暮らしています。このまま、ずっとでしょうね」

 ついつい、広島の近郊にあるお寺の若院さん(跡継ぎ息子)みたいかなと思っていたら、ごく普通の若者だった。
男「ドクターの中には、そんな人もいるんでしょうね」

 お寺は一軒でも檀家さんや門徒さんがいる限り、廃寺や無住寺院にはできない。だから、お寺にすれば跡継ぎは大切なこと。多くの若者が京都の龍谷大学や大谷大学で勉強している。
 そんな姿を思い浮かべて彼らに重ね合わせてみたのだけれど。田舎や地方では、小さな病院や医院の経営はむつかしい。そんな医院を経営するよりも新しい道を切り開くほうがやさしいのかもしれない。今の時代、家を継ぐ、家を護る、親を看る、そういう働き方を考える人たちが少なくなっているのかも知れないなと考えさせられた。

 2)若い看護師さん、Aさんに聞いてみた。

私)あなたは、どこの看護学校を出られたんですか」

 私が若いころには、地区の医師会や県立の看護学校に通いながら、昼間は医院や病院などで働く人たちがいた。だから、准看から現場で苦労して高看を目指す人たちだった。
A)「いえ、私はここで勉強をしたんですよ」という。
私)「ここって、この医大に看護学校があるんですか」
A)「ええ、ここには医学部と看護学科があるんです。私は、その看護学科を出てますが、「就職」ということで、他の大学やら一般の方も働いておいでですよ」

私)「幼稚園のころ、七夕さまに、『大きくなったら、看護師さんになりたいです』と、書いたですか?」
A)「小学校高学年の時、ぼんやりと考えたかな・・・」
 時代はすっかりと移り変わりながら、それでも本質は残っているのかなぁと思ったことだった。

3)これまた、若い看護師さん、Bさんに聞いてみた。
私)「あなたも、ここの看護学部を出て、ここで働いているんですか」
B)「ここだと、私も働けそうかな・・・と思って・・・」
私)「どういうこと・・・」
B)「いろんなお仕事があるじゃないですか。ここなら私も働けそうかなぁと思って」

  ここだとお仕事が軽いのか、ここだと好きなことができるからからか。その意味のわからぬままに会話は終わった。
私)「幼稚園の頃、大きくなったら花屋さんになりたい・・・て、書きましたか?」
B)「・・・・・。あの頃は、ケーキ屋さんかな・・」
 女の子の考えることって、そうそうは変わらないのかなぁと思ったことだった。

4)看護師さん、Cさんに聞いてみた。
私)「あなたはなぜ、この職場を選んだんですか」
C)「ここしか、私の入れる大学がなかったんです・・」

  そういう選択もあるわなぁ・・と、半ば、驚きながら、Cさんとの会話は終わった。終わるしかなかった。
  でも、ここで立派に働いているのならば、それはそれでOKだなぁと思った。

 5)看護師さん、Dさんに聞いてみた。

私)「あなたはなぜ看護師を目指したんですか」
D)「私の母が看護師をしてまして、地域の行事や病院などで活躍していました。そんな母の姿を見て誇りに思ったし、私の友達なんかからも、「あんたのお母さんて、すごいわねぇ」などと言われてうれしかったの。だから、私もいつかは看護師になろうと決めたの」

 親の背中を見て大きくなる子どもは減ってしまった。逆に、夜勤だ、交代だと、家を空けがちな母親の背中を見て反発した子どももいるかもしれない。それだけに、Dさんの自信に満ちた笑顔がすばらしかった。

 6)似たような話である。看護師さん、Eさんに聞いてみた。

私)「あなたはどうして看護師になろうと思ったんですか」
E)「私の中学・高校時代の友人が、いつも病気で休んでばかりでした。学校からのプリントとかノートなどを運んだりしていた時、『私、この人を助けてあげたい。』と思ったの。結局、その人を助けてあげることはできなかったけれど、あの頃の想いは今でも残っているの・・・。だから。」

 思わず、言葉に詰まってしまった私だった。

 ここに、750人の看護師さんがいたら、750もの、それぞれの人生があるのだなぁと感じたことだった。


冬めいて、地蔵や不動が 増えてくる

2019年12月22日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響ではじめは曇っていたが、午後からは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は2.5度から8.8度、湿度は76%から58%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。今年の1月1日は、はじめは高気圧に覆われて晴れるけれど、湿った空気や寒気の影響で、昼前からは雲の広がる時がある見込みらしい。

 

 小さいながらも人が集まればいざこざが起こる。今年は、若者店長が病院で心の傷を治しているらしいが、それがこちらに降りかかってはたまらない。それだし、若い男性看護師がいいところを見せて出世でもしようというのだろうか、私にまとわりついて、トイレの解除を行うことを申し出たが、おせっかいなことこの上ないし、プライバシーの侵害でもあるぞなもし(これも古いギャグだ)。

 

 年寄りになるとまあるくなるはずだが、逆に、とがってきて経験で人を収めようとすらからやっかいだ。結局の夜曲で、若者たちはきえてしまったが、決してわたいのしたことではない。どうにも話がてんでんこになってしまう。

 

 今年の正月にも楽しいことはなくなった。奥方は平常勤務だし、わたしはいないし。

 

 今日の掲示板はこれ。「失敗して利口になる 挫折して強くなる 人生に無駄はないんだな」という、久々の荒了寛さんの言葉から。確かに了寛さんの言葉には「もっとも」と想うこともあるし、「なるほどなぁ・・」と想うときもある。でも、失敗しても利口にはなれないときもあるし、挫折 して弱くなって寝込んでしまうときだってある。人生は無駄だらけだと想うときがどっさりとある。それが無駄だったのか、無駄でなかったのは、後になってみ なければわからないのだぞ・・・と私は想う。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

 

 


特別付録>余談>じいじのボケ話

2019年12月21日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

余談:「じいじのボケ話」

 孫のはやて君(18)が、「じいじがボケボケ言いよる・・・」と、奥方に言うたらしい。それはとりもなおさず、はやての母親、つまり、私の娘が言っているらしい。

 というのも、私がCCU(心臓血管管理部:南棟3F)に入っているとき、頭の下で救急車がのべつまくなしに(数分おきに一台程度)やってきては帰っていく。それも黙ってやってきて、建物に近づく寸前になって、「ピーポー」と一度か二度鳴らすだけ。この建物に入るには、サイレンか信号音を鳴らさなければセンサーが働かないような印象を持った。

 このことをCCUにいた看護師さんに聞いてみた。

 「私もよくは知らないのですが、ここで軽症だとか、他病院へ振り分けるようですよ」

 そういう話を娘にしたのだが、

 「そんなバカな話はない。救急車は、“香川医大へ”とか、“高松日赤へ”ということで、連絡しながら走るもの。車内から受け入れ可能な病院を確認し、そこの了承を取って、その病院に向かうもので、やみくもに“香川医大へ・・”などという話はない。」みたいな反論があった。防災士の彼女が言うのだから、確かに、それも一理あるなぁと思ったものだった。

 後日、南棟3Fの掃除をしているおばちゃんに聞いてみた。

「 ここからは音も聞こえんし、車も見えんけど・・・」と前置きして・・・。確かにここにはたくさんの救急車がやって来よるよ・・と言ってくれた。

 香川大学医学部附属病院には、「救命救急センター」という部署があり、香川県内三か所ある三次救急医療施設のうちの一つで、国立大学病院の救命救急センターとしては全国で三番目にできた施設らしい。

 2016年6月、南棟一階全フロアーが救命救急センタ-となり、最新鋭の設備を備え、他の医療施設では受け入れできないような、さまざまな重症患者も受け入れ、軽症、中等も含めたあらゆる重症患者を広く全県から受け入れている。また、外傷、中毒、やけど、脳卒中、心肺停止をはじめとし、外科、内科を問わず、24時間、365日休むことなく働いている。病床は20床、うちICUが8床。

 来院には救急車が72.3%、直接20.3%、そのほかに他院からの照会・移転などもある。疾患別として、外傷33.7%、神経16.5%、消化器8%、心血管7.3%、心肺停止6%、呼吸器4.9%などと続く。

 どうやら、じいじのボケ話ではなかったようである。


笹の霜 忘れた過去を ひねり出す

2019年12月20日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

さぬき市地方は、低気圧や湿った空気の影響で曇り、雨が降っている所があった。気温は11.5度から14.2度、湿度は98%から72%、風は1mから2m北西の風が少しばかり。明日の23日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷の影響で次第に曇り、夕方は雨が降る見込みらしい。

 

 128/67-77 36.4c-96% 76.8Kg 1014hPa,16c,78% 今日は湿度が高いわりに体調はよく、体重も増えてばかりになった。毎日、同じような生活をしているつもりなのに、何がどう、変化するんだろうか。

 

 私が若いころからお世話になってきた歯医者が廃業する。高齢化で跡継ぎもなくやむなしとのことだった。最初は奥方がお世話になっていた。当時は歯科衛生士だった。

 

 これからは、私の入れ歯はどこで直せばいいのやら。

 


特別付録>透析あれこれ

2019年12月19日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

1.血液透析導入基準  

 腎機能が正常の10-15%以下になると、透析や移植などの腎代替療法(腎臓の機能を代行する治療)が必要です。日本では、「どのような状態になったら透析を始めたほうがいいか」を判定するための「透析導入の基準」(厚生労働省)があります。症状・所見と腎機能・日常生活レベルとの組み合わせで導入時期を考えます。腎機能が正常の15%以上あっても、尿毒症の症状や高カリウム血症、心不全などがあり、適切な治療によって改善しない場合は透析が必要と判断します。

 

 透析導入適応の基準(厚生省科学研究 1992年)

 以下の点数の合計が60点以上が透析導入が必要な状態

 (1) 症状・所見

  1.  
    1. 水の貯留(むくみ・胸に水が溜まる)
    2. 酸塩基電解質異常(高カリウム血症、酸の貯留)
    3. 消化管の症状(吐き気・嘔吐・食欲不振)
    4. 心臓の症状(呼吸困難・息切れ・心不全・著明な高血圧)
    5. 神経の症状(意識混濁・けいれん・しびれ)
    6. 血液の異常(貧血・出血が止まりにくい)
    7. 目の症状(目がかすむ)

      2.血液透析の原理  

 血液透析は、血液と透析液の間にある半透膜(水分とごく小さな物質のみを通過する膜)を介して、水や物質の移動を行い、毒素を除去し不足物を補充します。 その原理は「限外濾過」と「拡散」と呼ばれるものによります。

 「限外濾過」は、透析器(ダイアライザー)の出口を狭くするように圧力をかけて、血液中の余分な体液(主に塩分・水分)を除去するというものです。

 「拡散」とは、ティーパックをお湯につけた時に濃さが均一となるという原理です。血液中の老廃物や電解質のカリウム・リンなどが除去されます。反対に、カルシウムや重炭酸イオンなどは補充されます。


 3.方法  

 血管に針を刺し(穿刺)、血液回路(チューブ)につなぎます。その血液をダイアライザーで浄化し、もう1箇所穿刺した血管を通して体内に戻します(図)。 ダイアライザーは半透膜がストロー状に束ねられており、外側を透析液が、内側を血液が流れています。そこを流れる血液流量は毎分200ml程度を必要とします。そのため、十分な血液を供給するための血管(バスキュラアクセス)を作成します。

 一般的には、「内シャント」(シャント=短絡という意味です)と呼ばれる動脈と静脈をつなぐ手術を手首の血管で行います。

 手術後、動脈から静脈に血液が流れ、皮膚の表面に流れる静脈の血管が拡張し、穿刺することも容易になります。針は、血液を取る側(脱血)と返す側(返血)の2本刺します。

 


吹き乱れ その実ゆだねる すすきの穂

2019年12月18日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 今年の冬は暖か過ぎる。

 

 病院二日目、今のところは問題はない。

 

 三十代の若者が心臓の焼き付け工事のために入院しているが、これが意外にやかましい。夜中に戻ってきては、本を積んだり投げたり、本箱らしきものを積みかえたりする。余りにうるさいので、私が転室を希望したが「短期間の方ですから」と、逆に却下。私のトイレ徘徊が復活した。

 

 そんなで、夜はトイレに避難し、昼間には高いびいきで寝るという日が続いた。

 

今日の掲示板はこれ。「成長しようとしている人だけが壁を感じる」というもの。福島正伸の【夢を実現する今日の一言】より。目標も目的もない人には壁などありはしない。今日が終わればいい、それだけでは成長はあり得ないけれど、壁もまたあり得ない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


特別付録>心膜炎

2019年12月17日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

私には元々遺伝による「先天性心筋症」という病があって、20歳あたりから不整脈が発生していたが、さほど問題にもならず、支障もなかった。30歳ごろからはNTT高松病院で投薬を受けていたが、さほど問題になることもなかった。

ところが、50歳代あたりから「心機能」が低下し、平常人の60点、(約三分の二ほど)ほどしか心臓が機能しなくなっていた。これが「慢性心不全」と呼ばれるものだった。これによって、身体に水が溜まるだとか、疲労しやすくなるなどの支障が目立ち始めた。

 60歳代に入ると肺炎が相次ぎ、それをきかっけとしてか、「急性心不全」が発生し救急搬送されることが二年ほど続いた。このことから県立病院での治療が行われるようになり、カテーテルや焼き付け処理なども行われてきた。

 ところが、それらの治療でもどうにもならず、ついに2018年には心臓の開胸手術が行われ、僧帽弁、三尖弁の交換手術が行われてきたところである。これが「心臓弁膜症」と呼ばれるもので、さらには、ペースメーカーも植え込むことなって手術が行われた。

 その術後、心膜炎が発生した。心膜炎というのは、心臓は筋肉で出来ているが、その筋肉は表面に付着した臓側心膜と呼ばれる薄い膜で覆われている。その膜は大血管の起始部で折り返されて厚い壁側心膜となり、これら2枚の心膜が心臓を2重に包んでいる。この2枚の心膜の間(心膜腔)にはこの膜から作られる少量の液体(心膜液)があり、心臓が動く時の摩擦を軽減する潤滑油の働きをしている。心膜炎とはこの膜に炎症が起こる病気であり、炎症により心膜腔に通常よりも多い心膜液が貯留することが特徴である。

心膜炎の原因と分類については、急速に炎症反応を引き起こす場合は急性心膜炎という。慢性に経過(通常6ヶ月を超えて持続)する場合を慢性心膜炎といい、急性心膜炎は、感染、外傷、自己免疫疾患、甲状腺機能低下症、薬物、尿毒症などが原因となって生じる。感染による場合が最も多く、その原因のほとんどがウイルスである。原因がわからない場合も多く、その場合は特発性心膜炎といっている。慢性心膜炎は急性心膜炎が完全に治癒せずに移行する他、結核、腫瘍、放射線治療後、心臓手術後に起こることが多い。現在では結核性心膜炎はほとんどみられなくなったが、慢性炎症によって心膜の線維化、肥厚が起こり、固くなることがある。これにより心臓の拡張が制限され、足のむくみや腹部の膨満感などが起こることを収縮性心膜炎という。

 私の場合、薬だけでは限界があって、このたび、除水を行うために「透析」が必要になる。

 長期留置カテーテル埋込

シャントが使えない状態で透析を行うには、一般的には下の写真のように短期留置型透析用カテーテルを挿入する。一番挿入しているのが、右内頸静脈である。

右内頸静脈が選ばれるのは、鎖骨下静脈だと血栓性閉塞するリスクが高く、大腿静脈は感染の危険が高いからで、しかも左側の内頸静脈は右、心房にカテーテルが行き着くまで2回ほど屈曲するので、カテーテルが血栓性閉塞するリスクが右側より非常に高くなるのである。

カテーテルは血液回路と接続するだけなので、穿刺痛のような痛みはありません。しかしこのまま長い期間にわたってカテーテルを挿入していると、それこそ感染症へと発展してもおかしくはない。そこで、できるだけ感染のリスクが少なくなるように、しかも身体の中に埋め込むことで、抜けないよう長期にわたって使用できるようにしたのが、「長期留置カテーテル」である。

 また、ペースメーカーによる対応も準備している。

 

CRT:心臓再同期療法とは、現在、薬の治療によって症状の改善しない重症心不全に対しては心臓移植といった治療手段もあるが、臓器提供者の慢性的な不足等により進んでいないのが現状である。このような状況下で重症心不全症状を改善する治療として心臓再同期療法 (CRT=Cardiac Resynchronization Therapy) がある。この治療は、(右心房と)右心室に加え、全身に血液を送り出す左心室にも、ほぼ同時に電気刺激を与えて心臓の機能を高めることで、①心不全の予防や改善、②生命予後の改善、③生活の質(QOL)の改善を目的としており、7割くらいの方で心機能の改善がみられる。そのために、2月上旬にはMRIによる検査が行われる予定である。

 

 

私には元々遺伝による「先天性心筋症」という病があって、20歳あたりから不整脈が発生していたが、さほど問題にもあらず、支障もなかった。30歳ごろからはNTT高松病院で投薬を受けていたが、さほど問題になることもなかった。

ところが、50歳代あたりから「心機能」が低下し、平常人の60点、(約三分の二ほど)7しか、心臓が機能しなくなっていた。これが「慢性心不全」と呼ばれるものだった。これによって、身体に水が溜まるだとか、疲労し

 60歳代に入って、肺炎が相次ぎ、それをきかっけとしてか、「急性心不全」が発生し救急搬送されることが二年ほど続いた。このことから県立病院での治療が行われるようになり、カテーテルや焼き付け処理なども行われてきた。

 ところが、それらの治療でもどうにもならず、ついに2018年には心臓の開胸手術が行われ、僧帽弁、三尖弁の交換手術が行われてきたところである。さらには、ペースメーカーも植え込むことなり手術が行われた。

 その術後、心膜炎が発生した。心膜炎というのは、

 心臓は筋肉で出来ているが、その筋肉は表面に付着した臓側心膜と呼ばれる薄い膜で覆われている。その膜は大血管の起始部で折り返されて厚い壁側心膜となり、これら2枚の心膜が心臓を2重に包んでいる。この2枚の心膜の間(心膜腔)にはこの膜から作られる少量の液体(心膜液)があり、心臓が動く時の摩擦を軽減する潤滑油の働きをしている。心膜炎とはこの膜に炎症が起こる病気であり、炎症により心膜腔に通常よりも多い心膜液が貯留することが特徴である。

心膜炎の原因と分類

 急速に炎症反応を引き起こす場合は急性心膜炎という。慢性に経過(通常6ヶ月を超えて持続)する場合を慢性心膜炎といい、急性心膜炎は、感染、外傷、自己免疫疾患、甲状腺機能低下症、薬物、尿毒症などが原因となって生じる。感染による場合が最も多く、その原因のほとんどがウイルスである。原因がわからない場合も多く、その場合は特発性心膜炎といっている。慢性心膜炎は急性心膜炎が完全に治癒せずに移行する他、結核、腫瘍、放射線治療後、心臓手術後に起こることが多い。現在では結核性心膜炎はほとんどみられなくなったが、慢性炎症によって心膜の線維化、肥厚が起こり、固くなることがある。これにより心臓の拡張が制限され、足のむくみや腹部の膨満感などが起こることを収縮性心膜炎という。

 私の場合、薬だけでは限界があって、このたび、除水を行うために「透析」が必要になる。

 また、ペースメーカーによる対応も準備している。

 

CRT:心臓再同期療法

 現在、薬の治療によって症状の改善しない重症心不全に対しては心臓移植といった治療手段もあるが、臓器提供者の慢性的な不足等により進んでいなのが現状である。このような状況下で重症心不全症状を改善する治療として心臓再同期療法 (CRT=Cardiac Resynchronization Therapy) がある。この治療は、(右心房と)右心室に加え、全身に血液を送り出す左心室にも、ほぼ同時に電気刺激を与えて心臓の機能を高めることで、①心不全の予防や改善、②生命予後の改善、③生活の質(QOL)の改善を目的としており、7割くらいの方で心機能の改善がみられる。そのために、2月上旬にはMRIによる検査が行われる予定である。

 


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