まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

蝉の声 ことばまっすぐ 戻り来る

2012年07月31日 | ふるさと散歩

 ドーナツのドがつく田舎だから、二階の窓は網戸だけ。だから朝方は肌寒い・・・。最近は「トウキョウトッキョキョキャキョク・・・」の声にカナカナゼミの声が混じって賑やかな朝だ。

 

 朝の散歩が終わったら、高松の県立図書館に借りていた本を返却に出かけた。昨日は休館日だったので早々に出かけたのだが、駐車場には早くからあふれるほどの車が・・・。

 

 このアキニレの庭にも降るような蝉時雨・・・。「ママ・・あの音なあぁに?」と、前の女の子。最近の子はセミの声も知らないのかねぇ・・・と言いつつ、この蝉の声は何セミって言うんだったか・・・と、セミの名前が思い出せない私になった。

 

 普段には静かな図書館も夏休み時には利用者が多い。それも子供連れの家族連れが。夏休みには読書感想文と自由研究があるからかなぁと思ってみたり。それにお年寄りも節電対策のためか図書館避暑で雑誌や新聞を開いたり閉じたり・・・。

 

 私はアカデミック(?)にこういう本を借りた・・・。牟礼町史ほか・・。こういう所に来ると、なぜか、トイレが近くなって落ち着かないのは不思議なことだ・・。

 

 で、図書館近くにある「たも屋・林店」に寄ってみた。ここも有名なセルフのお店の一つだが、真ん前にある香川大学工学部が夏休みのためにさすがに人影はない・・・。

 

 ここでは「中」というのは1.5玉になっている。だから大になると2玉ってことになるのか・・。今日は、涼しく・・・「ぶかっけ小の冷や」を注文した。それに野菜の掻き揚げ天(100円)で、350円。

 

 トッピングはフリーで、大根おろし、ショウガ、天かす太い、天かす細、わかめ、ネギ、レモン、ゴマ、ワサビ・・・。これらを好きなだけ入れてもいいらしいが、トッピングばかり多くてもねぇ。

 

 ご覧の通り・・・朝の10時過ぎでは誰もいない・・・。貸し切り状態のうどん屋さん。ゆっくりとコシのあるおうどんをいただいたのであった。

 

 その後に向かったのが高松市牟礼町大町にある、とある廃病院、通称・・「牟礼病院」こと「鶴身病院跡」。実はこの表玄関は「旧村役場」ではないのか・・・という疑問が残っているためだ。そのために、「牟礼町史」を借りてきたのである。

 

 『牟礼町史』によると、この病院は「鶴身藤太」という人物が開設した私設医院で、彼はこの村に明治13年に生まれ、第六高等学校を経て九州帝国大学医学部へ進学。外科を志し、第一期卒業生として大学を巣立った後、当時の朝鮮、釜山病院に院長として赴任した。そして大正元年帰郷し、現地にて開業した。 面積1202.28㎡、建て面積304.99㎡、総工費にして一万円であったといい(現代の金額で約4500万)、これが今に残る通称牟礼病院である

 

 琴電塩屋駅ができたのはそれよりだいぶ後の事だが、当時は医師の数も少なく、当初から周辺の村々よりも患者が来訪し、庵治や屋島、志度方面にも鶴身氏は人力車で往診したという。彼は医者のみならず村会議員や校医、漁業組合長などもも務めた。昭和21年8月15日、67歳で死去した。

 

 戦後の鶴身医院は、初代院長の鶴身藤太氏の死去により、長男鶴身孝雄が帰郷、跡を継いだ。二代目院長は、明治38年(1905) 生まれで、第六高等学校を経て岡山医科大学を卒業、同付属病院石山外科(現・第一外科)医局長を務め、中国海南島同仁会病院副院長の時、終戦となり、21年 (1946) 4月帰国、町外で開業準備中であった。父同様、人徳円満で、医療以外の面でもよく耳を傾け、推されて村議会議員、教育委員として町政にも尽力したが、昭和48年(1973)1月、往診中不慮の事故で死亡、67歳だった。

 

 孝雄氏の長男孝文氏は、昭和24年(1949) 生まれ。岡山大学医学部卒業後、同付属病院第一外科を経て現在、大阪の病院で外科医長として勤務しているが、「鶴身さん」といって親しまれた病院も、今は閉院している。(牟礼町史・牟礼町誌ほか)おそらく、昭和48年1月に院長不在となってそのまま廃院になったものと思われる。

 

 ところが肝心の「旧村役場」の疑念は晴れずじまいだった。大町村役場、牟礼村役場は大正4年ほかの建設になっており、それまでは戸長の自宅を村役場にしていたらしく、そのあたりの資料が確認できなかった。

 

 今日の掲示板はこれ。私たちのふとしたことば一つでけんかにもなり仲直りにもなり、戦争にもなり、平和にもなる。ふと漏らしたことばひとつに、そのとき、そのときの私の一つのこころがこもっているのである。それだけにいつも清らかなこころを持ち続けていたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


やることは いくらでもある 蝉時雨

2012年07月30日 | 時にはぼぉっ~とする時

 朝方は当てもなくどんどんと放浪を続ける夢で目が覚めた。何も持たず、どこに行くのかもわからずに歩き続けるという奇妙な夢・・・。目が覚めたら28度にもなっていた・・・。

 

 で、5時起きで、芝生への散水とか迷犬ごんの散歩とかを早々に済ませておく。日が昇ったら暑くて何をする元気も出ないもので、今日は草刈りはお休みだ。

 

 昨日に引き続いて今日は「塩江温泉鉄道」についての調査。何年か前にHP掲載のために調べたことがあったが、それからずいぶんと時間も経っているもので、改めての調査になった。これが「ガソリンカー」と呼ばれるもので、つまりはガソリンを燃料にして走った鉄道らしい。

 

 これがその塩江温泉鉄道で、琴電の仏生山駅から南に向かって進み、塩江温泉郷まで通じていた。この鉄道は昭和4年に営業を開始して昭和16年、戦争激化とともに廃止された、わずか12年という短い歴史の鉄道だった。

 

 10時になって母のさっちゃんがデイサービスに出かけたので、けいこばぁが買い物に行くというので運転手に指名された。農協(JA)、郵便局(JP)に立ち寄り、職安(ハローワーク)で検印を受けてから恒例のこの店に行った。さぬき市長尾東にある「うどん亭いわせ」という一般店。

 

 けいこばぁはいつものかけうどんとおでん、私は天ザル(950円)を注文した。久々のご馳走になった。やはり揚げたての天ぷらはおいしい・・・。

 

 その後、親父の命日用の仏花やら果物なんぞを買って、その・・塩江町に向かった。今は高松市塩江町になっている。仏生山(ぶっしょうざん)法然寺のある仏生山町にある琴電仏生山駅から南に向かう町道だか市道だかを南に進む。

 

 この道路が昔の軌道の跡で、今は「ガソリン道」という名前で呼ばれている。これをどんどんと南下すると・・・、香川町に入る。浅野とかの地名を過ぎてゆくと・・・。

 

 こういうトンネルが残る。これが「加羅土(からと)トンネル」跡。このトンネルを過ぎるとしばらくは線路の影も形も見えなくなる。全く痕跡が消えてしまう・・・。

 

 その後、塩江町に入って旧道を進むと、こういうホームの跡が残っていたりする。

 

 これは橋脚の跡。先の古い写真の部分によく似た風景である。今の国道とは反対側の川の対岸に沿って軌道が走っていたことになる。その後、いくつかのトンネルを過ぎて・・・塩江の町に入って旅は終わる。興味のある方はこちらをどうぞ==>★

 

 午後からはお昼寝をした後、またも古写真の整理をやっていた・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「今日がこの人生で一ばん若い日です。これからでもおそくはない。やれることはいくらでもある」。そうだ、やれることはいくらでもあるのだ。

 

じゃぁまた、明日、会えるといいね。


草も木も 蝉万雷に 打たれけり

2012年07月29日 | 自然ありのままに

 今日も朝から29度・・・。いつもの年ならば、夏休みで孫達と島の家で過ごしている頃なのだが、さすがに中学生になると忙しいようで遊んでもいられないみたい・・・。

 

 そこで、一昨日に草を刈り残した旧宅の草刈りに行くことにした。その手始めにまずは朝うどんから・・・。

 

 今日も町内の「まるたけ」さんでの「モーニング・うどん」にした。手っ取り早くておいしい朝食になる。

 

 ここは朝の7時からやってるので、こういうときには有り難い。で。今日はわかめうどんの250円。思い切り・・お水を三杯ほど・・・ぐびぐびぐびと飲み干しておく。水分補給を十分にして草刈り作業・・・。

 

 こういう具合にくさぼうぼうだ。でも、先月半ばころに草刈りをやったはずだから、そんなにもは伸びていない。これを30分ほどで刈り払っておく。月遅れのお盆まできれいでいてくれたらいい。

 

 で、8時半ほどで作業は完了。帰宅して、今度は自宅周辺の草刈り・・・。

 

 9時過ぎにはギブアップして片付けてシャワー。家の方の草刈りが終わったから、8月初めには島の家の草刈りだな・・・。

 

 しばらくオリンピックのウエイトリフティングとか水泳とかを見るでもなく聞くでもなく眺めながらブログ巡回やらフェイスブックのチェック。

 

 お昼はまたしてもうどん・・・。さぬき市志度の「こがね製麺所・志度店」でのお昼。さすがに動けばおなかがすくねぇ~。

 

 かけうどんに温泉玉子入りで300円。あとはフリーのトッピング。麺はマイルドだし、硬くもなくて柔らかくもなくて食べやすいおうどん。この町には「徳島文理大学」があるので、そこに通う学生さんたちが三々五々集まってくるお店・・・。

 

 午後は・・・昼寝の後、またしても「讃岐の古写真」の調査。やはり古いものとなるとお城とかお寺や神社などになるが、電車の歴史というものも奥が深い。そこで今日は讃岐の遺跡シリーズということで。

 

 これは大正から昭和後期まで使われていた「琴電畑田変電所跡」という遺跡。綾歌郡綾川町畑田という住宅地の中に、こういう不気味なものが残っている。

 

 ご存じのように、電力会社の電気は「交流」というもの。でも電車は「直流」という電流で動く。そのために、交流から直流に変換しなければいけない。この設備はそうした建物だった。今は別の場所で変換作業をやってるらしい・・。

 

 中はこうした廃墟になっていて、割れたガラスやら部品やらが散乱していて危険な状態。隙間からしか中をうかがうことはできない。

 

 今日の掲示板はこれ。「時が来ればお返しせねばならぬ。財産も借りもの、生命も借りもの」。生まれてきたときには手ぶらで生まれてくる。しっかりと働いて土地も住宅も財産も手にしたと思っても、死んでいくときには何も持たせてはくれない。財産も土地も建物もみんな持って行くことはできない。ましてやこの命すら持ってはいけない・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


露草の 青におどろく 郵便夫

2012年07月28日 | 時にはぼぉっ~とする時

 今日も朝から28度。天候は曇りで日中には34度超え。それだし、湿度も高い。

 

 朝の5時前から起きて、山の家から道具や資材を探してきた。家庭菜園用の水やり工事。

 

 水道用のホースは昨日に準備したのだが、既存のホースとの接合がうまくいかない。そこで水道資材を探してきたというわけ。

 

 隣の川に水中ポンプを投げ込んであって、ここから川の水を家の前に置いたポリタンクにくみ上げる。

 

 このオレンジのタンクがそれ。この水を、お風呂用・洗濯機用の小型モーターに接続したホースに接続して・・・、昨日の50mのホースを家の裏まで回して畑に注ぐ。

 

 ここで、ホースの径が違うので、少し工夫をして接合する。あとは電源を入れれば・・・。

 

 水が野菜畑に流れ込むという寸法・・・。朝の7時前に工事は終わったが、それだけでもう、靴からジャージからシャツからずぶ濡れ状態。早速にシャワーを浴びて休憩。オリンピックの開会式を見るでもなく聞くでもなく聞いて・・・。ブログの巡回やらメールの確認やら・・・。

 

 朝ドラが終われば、コーンスープとトマトの朝食。やっぱり、朝から動くとそれだけでは物足りなくて、やっぱり讃岐ではおうどんだ・・と、うどん屋探し。さぬきでは「一日一麺」ということで。

 

 で、木田郡三木町上高岡にある「手織うどん滝音」に行った。ここも10時開店と早いのがうれしい。ここもプチセルフみたいになっていて、カウンターで注文すれば、レジ前から製品が出てくる。その合間にサイドメニューをチョイスすると、それも合計されてお会計。

 

 今日はひやかけの小で250円ぽっきり。冷たい麺に冷たいかけ出汁をかけたもの。そのままかけというのは、温めないそのままの麺に温かいかけ出汁をかける。それだと200円ですむ。

 

 午後からはいつものように昼寝(というても15分間くらい)をしたあと、「讃岐の古写真」の整理。今日は「こんぴらさんと琴平参宮電気鉄道」というテーマで調査。

 

 これは昔の金比羅産に向かう道路らしい。大正時代やろうかね。にぎやかな通りになっている。正面の山が「象頭山」やね。で、中腹に見えるのが「金刀比羅宮」。

 

 これは昭和初期の廃止の花電車の様子みたい。多度津から琴平、琴平から坂出に走っていた線路が廃止されたときのものかな。

 

 今日の掲示板はこれ。人間さまは偉いの金持ちだのというけれど、十人十色でみんな違ってみんないい。赤白黄色花だって、どの花見てもきれいだな。でも、仏の目から見たら、みんながみんな「凡夫」だよというてるのである。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


真夏日を 素知らぬ顔の アゲハ蝶

2012年07月27日 | 自然ありのままに

 今日は朝から28度もあったが、勇気を出して上下つなぎの作業服に着替えた。迷彩服に迷彩ヘルメットに防塵グラスの特攻スタイルで午前7時に出撃。

 

 まずは近くのうどん屋「まるたけ」でモーニングうどん。さすがに迷彩ヘルメットは車に置いた。

 

 わかめうどん小を食べて、山の旧宅に向かう。340円だったように思う。麺は細めでなめらかでつやがあってマイルド。ここは客を見ながら麺を打ち、麺を湯がくから、場合に寄れば数分は待たされるが仕方がない。その分、おいしいうどんが食べられる。

 

 奥の方に見えるのがうちのお墓。山の家も草ボウボウ・・・。これを20分ほどできれいにする。ま、草が柔らかいのと先月あたりにも刈ったので長さ的にはそうは伸びていない。

 

 これでお墓はすっかり。親父の命日が近いのでそのためのお掃除。これでお盆と兼用の草刈りになる。二週間後はまだ大丈夫だろ・・・。

 

 その後もどんどんと草を刈って、我が家の旧宅までの進入路を刈る・・・。ひたすら刈る・・・。

 

 およそ650坪の宅地の半分ほどでパワーダウン。今日の草刈りはここまで。これで8時半ほど。少しばかり休憩。この橋の下におりて川の水で手足を洗ったり顔を洗ったり。この川が我が家の川で「きむら川」という。津田川の素源流。この右手側に本家津田川の源流が流れている。

 

 しばらく休んだら、今度はホースの回収。新宅の野菜畑に水やり用のホースが欲しいというので、旧宅の倉庫を探したのだが、誰かが持って帰ったみたいで見えない。そこで、川の中に敷設している水道用のホースを回収して、これを野菜畑用に転用することにした。

 

 これが25ミリで50mの水道用ホース。旧宅では不要不急の水道用だから、これを持って帰って裏庭の野菜畑に引き入れるというのだ・・・。それと、水中ポンプ用の太いホースを30mと・・。こう、暑いと野菜畑も乾いてしまうのだそうだ。

 

 今日の作業はここまで。家に戻ると10時過ぎだった。さっそくにシャワーを浴びて冷房の効いた部屋でパソコン三昧・・・・。やれやれだ。

 

 で、お昼はまたもおうどん・・・。今日は東かがわ市松原にある「陣内うどん」に寄って、夏らしいおうどん・・・。

 

 わかめうどんの上に梅干しが一個。梅干しの「梅」に若布の「若」で「梅若うどん」ということらしい・・・。これで400円。

 

 午後からはまたしても讃岐の「古写真」の収集と整理。これは、大正四年に丸亀高等女学校でフットボールをやっているという写真。元祖なでしこか・・・と騒がれた写真である。

 

 そんなこんなで暮れた一日である。でも、暑かったね・・・。我が家の寒暖計は34度。一階は風が吹き抜けてわりあいとしのぎやすいが、二階のこの部屋は温室みたいになっていて・・・。

 朝からタオルが4本目だ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。最近の夏場の暑さではこういうことを実感する。節電節電とはいうけれど、無料の川の水をポンプで迎え揚げるにも電力を使う。節電と言いながら扇風機を回しても電力を使う。図書館利用を節約しようと、グーグルを多用すると、これまた電力がいる。

 

じゃぁ、また、明日も会えるといいね。


オニユリが いざ参陣と 甲子園 

2012年07月26日 | 時にはぼぉっ~とする時

 だんだんと猛暑日になってきて、何をするにも面倒くさくなってしまう。その気になれば屋外だって平気なんだが、その「起動スイッチ」がどこにあるのかわからない・・・。好きなことだったら、暑いの寒いのと言わないで突っ走るくせに・・・。

 

 図書館で借りてきた本も読んでしまったし、借りてきた写真集もスキャニングしてしまったし、と言うて、県立図書館までもに出かける勇気も出ない・・・。

 

 これ、昭和の初め頃に坂出市内で繁盛した「水売り屋」さん。さぬきは昔から雨が少なくて水不足が当たり前のようになっていた。で、山手の泉や池からこの大きな桶に入れて市街地で売って歩いた。この桶一杯が三石(540リットル)二つで1080リットル。水1リットルが1キロかな。えぇ~計算できへんがな・・。まさか、1トンもの水を運ぶことはできんやろ・・・。

 

 一つの桶で300Kg、二つで600Kgというのは聞いたことがあるのだが・・。それでもすごいと思ったのだが。で、バケツ一杯(18リットル)で2銭から5銭・・・と言われても貨幣価値がわからんな・・・。

 

 それはさておき、今日はさぬき市の海をのぞいてきた。これが白砂青松で有名な「津田の松原海水浴場」。さすがに最近は暑いのと節電対策とかで、わりと人数は多かったが、こんなものではなかった・・・。

 

 貸席、桟敷席には人影まばら・・・。最近の若者は車にテント一式に食材一式を積み込んでやってくるらしい。少し前までは、JRの讃岐津田駅まで「汽車」でやってきたものだから、こういう桟敷を借りて、うどんやおでんを食べて、浮き輪は売店で買うか借りることになっていた・・・。今は何でも持ち込みだからお店も激減した。

 

 で、近くにある「道の駅・津田の松原」構内にある「松原うどん」に寄った。ここも一応はセルフのお店。

 

 これが今日のおすすめメニュー。おすすめならば・・・ということで、「温玉ぶっかけ小の冷や」をお願いした。セルフというわりには「完成品」が出てくる。あとはサイドメニューをチョイスして、お会計。これで350円はお安いと思う。

 

 今日は、あげ(90)にチクワ(90)をプラスして、530円だったか・・・。ま、こんなもんか・・・。

  

  午後からは昼寝の後、高校野球香川県大会を見るでもなく聞くでもなく聞いていた。今日が決勝戦で、丸亀の丸亀高校と三豊の香川西高校の対戦。

 

 結果として、香川西がランニングホームランなどで3点を先取して丸亀の追撃を振り切って逃げ切った。もう、若い頃のような情熱も元気もないなぁ・・・。毎日、県営球場に通い、甲子園に連日でかけていってスコアブックをつけていた若いころ・・・。

 

 ドレミのドがつく田舎では、まだホーホケキョが聞こえたりするが、セミの声もあんまりとは聞こえない。さすがに夕方には「カナカナカナ・・・」という声は聞こえるが・・・。それだけ温度が低いという証なのかも知れないけれど・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。あじさいも散ってしまったし、タチアオイもいつの間にか姿を消した。ヤブカンゾウも姿が見えなくなった・・・。花は散ってゆき、実を残す・・・。人は菩提の種を残せそうだろうか・・・。悪しき生活習慣と自然破壊や地球温暖化を残すだけかも知れないなぁと思ったりする昨今・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 


雑僧と 言われてもいい 夏の午後

2012年07月25日 | 時にはぼぉっ~とする時

 昨年の夏もこんなに暑かったんだろうか・・・。それとも私が軟弱になったんだろうか・・・。迷犬ごんの散歩から戻ると、もう、ぐったりだ・・・。それじゃダメじゃん、春風亭昇太。

 

 今日は水曜日ということで、母のさっちゃんはデイサービスに出かけて行ったので、けいこばぁが「お出かけする・・・」という。先日、親戚の「かかしの先生」が徳島に行ったとき、お野菜の安いお店があって、そこで買ったトウモロコシがおいしかったので、今日、行くのだという・・。「そんなら行けばいいじゃん。」というと、「道がわからないので運転してよ~」という。この暑いのに・・・徳島まで運転手??

 

 「お昼は讃岐うどんで・・」ということで、運転手になった。東かがわ市から阿波市に通じる国道318号線を南下して県境のトンネルを越える・・・。「鵜の田尾トンネル」という1769mの隧道を抜けると、阿波市土成町に入る。そのあたりが「御所」という地名。昔、なんたらという天皇が流されて、ここに住まいしたとかなんたら・・・。今は「たらいうどん」で有名。

 

 これが「御所の郷」というお風呂屋さん。そこを過ぎて少し行った所に、JAさんのお店があった。農業資材だとか生活用品、農家の作った農産物の直売所にもなっているらしい・・。JAグリーン板野とかいうらしい・・。

 

 いやいや、さぬき市にも我が町にも似たようなものはあるのだけれど、たまには他所さんとこにも行ってみたいんだろうなぁと思ったりして。ま、わざわざ来るほどのお店でもないのだけれど・・・。

 

 最近は、こんなメロンみたいな小さいスイカがあるんか・・。一人用かなぁ・・。まぁ、冷蔵庫に入れて冷やすには手頃かも知れないが、冷蔵庫で冷やしすぎてもおいしくないんじゃないかな・・。

 

 我が家もとうもろこしはできたんだけれど、サルに持っていかれる前に・・・ということで早々に収穫して、ご近所に配ったもので、とうもろこしはとっくにない。そこで、ここまで買いに来たらしい・・・。それとかトマトとか・・・。

 

 来年は時期をずらせて植えなければ・・・とブツブツ言いながらのお買い物。

 

 で、用事が終わればユーターン。徳島にだっておうどんくらいはあるのだが、讃岐の人間が徳島でおうどんを食べるのもどうか・・ということで、またもトンネルをくぐって、東かがわ市へ引き返す。途中にだって、「たらいうどん」という有名なおうどんもあるのだが、どうにも味がなじめない・・・。

 

 で、戻ってきたのが・・・「東かがわ市白鳥」にある「讃州うどんほそかわ」。ここはぶっかけうどんの専門店みたいなお店。もちろん普通のメニューもしっかりとある。

 

 ということで、私は二位の「磯辺揚げぶかっけうどん小の冷や」で450円。けいこばぁはいつでも「かけうどん小」。たまには違うものを食べれば・・・というのだが、「おうどんの基本はかけよ・・・」と通ぶっている。

 

 ゆでたばかりの麺に、揚げたばかりのちくわの磯辺揚げが乗ったもの。これに専用のかけ出汁を回しかけて食べるもの。この味はここだけでしか食べられないもの。ついついくせになってしまう味である。

 

 午後からはまたもお昼寝三昧・・・。昨夜は「なんでも鑑定団」に吉田茂の所蔵品が出るというので、冷酒を片手に注目したが・・・贋作と鑑定されて・・・なんだかパワーダウン・・・。おかげでかどうか、よく昼寝ができた・・・。

 

 昭和天皇はこのように言っている。「雑草という草はないんですよ。 どの草にも名前はあるんです。そしてどの植物にも名前があって、 それぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいるんです。 人間の一方的な考えで、これを切って掃除してはいけませんよ」と・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


 


垂れる穂に 今日のいのちの 重たさを知る

2012年07月24日 | 自然ありのままに

 ドレミのドがつく田舎だから、朝方は肌寒くて布団をかぶって猫のように丸まって寝ているのだけれど、陽が昇ってくると暑くなってきて、なんだか最近は妙に湿度も高い・・・。

 

 ということで、朝ドラが終わるとすぐさまにお出かけモードに入った。今日は県立図書館に本を返却に行かねば・・・と出かけたのだが、その前にと・・・9時過ぎから朝うどんを食べることにした。「腹が減っては読書ができん・・」

 

 図書館手前の、高松市六条町青木にある「手打ちうどん和希」というセルフのお店に寄った。ここは朝の7時からやってるお店。さすがにこの時間帯には誰も客はいない。

 

 で、ひやかけうどん小(170)に野菜の掻き揚げ天(100)を乗せて・・・270円。ネギ、わかめ・昆布・ショウガ、ゴマはフリートッピング。この冷たさ、冷やっこさがたまらない・・・。ここも節電対策と言うことなのか、入り口も出口も開放状態・・・。かなわんなぁ~・・・。で、冷たいおひやをぐびぐびぐびと三杯も飲んでしまった・・・。

 

 で、図書館に入って、本を返却して、またも5冊の本を借りたのはいいが・・・今度はトイレに行きたくなって・・・。さっきのうどん屋でお水を飲み過ぎたかな・・・。これじゃちっとも落ち着かないし、夏休みに入ったからか学生さんやこどもたちがうじゃうじゃといるし・・・ということで早々に図書館を出た。「それじゃ、ダメじゃん、春風亭昇太!」

 

 で、向かった先は・・・例の屋島山麓にカラス鳴く・・・。

 

 これですわ・・・。「興亜中学校跡・記念碑」、とうとう見つけましたわ~。お昼前ということで、クスノキの陰になって、きれいには映らないけれど、これで十分。これで今日の予定はおしまい。

 

 で、午後からはお昼寝のあと、写真の整理。

 

 これが昭和30年ごろの屋島ケーブルの登山口駅の様子。手前にロッカールームや手荷物預かり所がない分、広々としている。

 

 これも昭和30年ごろらしいが、駅の横にバスがずらりと並んでいる。どこかの学校の遠足だろうか。ここまでバスでやってきて、ここからケーブルカーに乗ったんやろうね。

 

 一方、こちらは山上駅を出た観光客とそれを待っているカゴ屋さん。皆さん、首に手ぬぐいを巻いているが、何かの印やろうか。マフラー代わりかなぁ、暑い様子でもないし・・・。山上駅には二階に通じる階段がついているのがわかる。

 

 これはおまけで、「旅と・・・」さん用に思い出の「塩屋海水浴場」の様子。これも昭和30年ごろのものらしい。それが・・・である。

 

 今はもうこんな状態で・・・海水浴場の跡形もない。台風か災害かで砂浜が消えてしまったとか・・・。まぁ、津田の松原海水浴場だって、あの頃のにぎわいはすっかりとなくなっているし・・・。ここも今は昔・・・状態。

 

 今日の掲示板。まさにこの言葉そのまんま・・・。なんだかんだと不平やら愚痴ばかりのこの私だけれど、今日という日が過ぎていって、「ああ、ありがたいなぁ・・」と思った心が、今日の私の今日のしあわせ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


今を問う 過去忘れずに セミの声

2012年07月23日 | 自然ありのままに

 今日の午前中は少しばかりしのぎやすかった。そういうことで、近くの畑に「ひまわり」を見に行ってきた。遠く・・「まんのう町帆ノ山地区」までには行きたくないもんで・・・。

 

 もう、そろそろと、ひまわりも実が熟してきて・・・頭が下がって来るころかな。もう少しは元気でいられるのかな。

 

 田んぼのイネもすっかりと穂を出して花を咲かせ出してきた。お盆過ぎには稲刈りが始まるのかも知れない。確かに確かに生き物たちは確かに歩みを続けて居るなぁと感心してしまう。それに対して、なんと怠惰な私であることか・・・。

 

 ということで、今日も朝昼兼用のおうどんになった。さぬきでおうどんを10時に食べようと思うとお店探しに苦労する。その多くが午前11時きっかりというお店が多いからだ。それだから、今日はここのお店に寄った。

 

 さぬき市志度の「こがね製麺所・志度店」おなじみのお店に決めた。ここも安くて早くておいしいお店。

 

 で、おろしぶっかけ小の冷やで280円。それに野菜サラダを付けて合計380円。今日も健康的なおうどんになった。

 

 それはさておき、昨日に続いて「屋島」のあの登山鉄道が気になっていて・・・。ま、明治初期まで、人の移動というのは徒歩が当たり前だったが、やがてには駕篭(かご)や人力車、乗合馬車から電車に移行してきた。屋島の屋島寺におまいりするのも徒歩で登るのが当たり前だった。それが・・・大正時代にはカゴ屋が登場したらしい。今もこんぴらさんにはカゴ屋さんがいる。

 

 塩田の浜子たちが余暇を利用したり副業でやっていたらしい。団体客になると、タイコを打って浜子を集めて老人婦女子を乗せて山道を上り下りしたそうだ・・。太った男性の場合には先導してヒモを引っ張って上がったり、杖で後ろから支えながら昇ったりもしたそうな・・・。

 

 昭和になって、登山鉄道ができて、数分で山上まで上がれるようになったのは画期的なことやったんやなぁと思う。その反面、カゴ屋組合の猛烈な反発もあったらしい。これは昭和初期の写真らしい。山には線路ができているし、途中に電車も見えている。土産物屋や食堂も普通のありふれた建物でやっている・・。左手前のご婦人はケーブルカー目指して歩いているんだろうか・・・。このころのお出かけというと着物だった・・・。

 

 この登山口駅前の風景と、駅舎の建物が、今のものとは少し雰囲気が違うように思った・・・。

 

 少しばかり改造をしたんだろうかね。そういえば・・・。

 

 この建物入り口脇の円い窓に違和感が・・・。で、調べてみたら・・・。

 

 当初には二階へ昇る階段がなかったんだ・・・。やはり、あちらこちらを改造しながらやってきたんだろうね。 そんなこんなを調べていたら・・・。

  

 あの「二十四の瞳」の映画のロケもやっていたんだ・・。それで、ようちゃんばあばが「二十四の瞳みたい」と書いていたのか・・・。うむ、良き時代やったんやろうねぇ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。夏になればこれだな。過去は今を問い、今は過去に尋ねるもの。過去を風化させてはならぬ。核もも原爆も戦争も・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ひまわりに 東に向かえと 教えられ

2012年07月22日 | 自然ありのままに

 今日もさぬきは気温が25から30度。湿度も90から70%と、まるで梅雨時のような重苦しい一日。朝方は曇っていて若干・・涼しかったのだけれど・・。

 

 朝方にはセミも小鳥も鳴いているのだが、日中になると、鳥の声も聞こえない。さすがに今日は・・・パソコンいじるのも疲れてきた・・・。そこで少しばかり・・・お出かけをした。

 

 先日は屋島ケーブルの登山口駅を見たが、今日は屋島山頂にある「山上駅」に行ってみた。このケーブルカーは、正式には「屋島登山鉄道」というらしい。昭和2年3月に免許申請して昭和4年4月から営業開始したが、昭和19年には戦局悪化で休止した。

 

 戦前はこんな電車だったらしい。この電車は占領地のボルネオへ運ばれる途中、敵潜水艦に砲撃され沈没したらしい。

 

 昭和25年に営業再開したところ、折りしもの好景気で観光客も増えて賑わったらしい。そのころは屋島・栗林公園・こんぴらさんが三大名所だった。ところが、屋島ドライブウエイが作られ、観光バスやマイカーが道路を上るようになると乗客は大幅に減少・・・。

 

 平成16年10月15日、突然の電気系統の故障によって停止。そのまま営業閉鎖、破産手続き・・・。今は廃墟になってしまっている・・・。

 

 お隣の八栗ケーブルは已然として徒歩で昇るしかないもので、今も「八栗ケーブル」は健在で運航中・・・。好対照な四国霊場参拝のための登山鉄道である。

 

 で、今日のお昼はここになった。高松市屋島西町にある「源平うどん」に寄ってみた。ここもずいぶんと久しぶりだ。

 

 で、ここのお勧めの「源氏うどん」を注文した。ここはセルフのお店なのだが、こういうメニューの場合には七・八分は待たされる。つまり、ゲソ天(スルメイカの天ぷら)を揚げる間、待ってくださいというのだ。麺はザルかゆだめかを選べる仕組み。今日は暑いのでザルをお願いした。

 

 「これで、どうだ」というようなおうどん。これで600円だったか。イカの天ぷらなんぞ・・・と思ったが、これが意外とやわらかくておいしかった。麺もしっかりと締めてあって、エッジがしっかりと立っている。

 

 午後からはまた、お昼寝をしたり、ぐうたらをしたりしてのんびりと・・・。その合間に、少しばかり調べ物をしたりして・・・。

 

 午後からは晴れ間が見えて湿度も少しばかり下がった感じ。でも来週からも大気は安定しない様子・・・。でも、体調は幾分か正常に戻ってきた。めまいもなくなったし、目がかすんだり、脳の中が霞んだりもしなくなってきた。のどの痛みもなくなったし・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


セミの声 時の流れに 聞き惚れる

2012年07月21日 | 時にはぼぉっ~とする時

 昨夜は涼しかったが、朝方は少し蒸し暑くて(湿度98%)、どこだかのお葬式の夢で目が覚めた。それでも午前五時半だった。

 

 気温は30度までにはならなかったが、湿度が90%もあって、少しばかり息苦しかったが、午後になると70%以下になって少しは夏らしくなってきた。明日も曇りの天気で湿度は80~90%だっていうのだから落ち着かない天候が続く。

 

 ということで、今日もぐうたら・モード。朝から・・・「古川庄八・阪次郎・山口嘉次郎」の資料の修正やら何やら・・・・。

 

 この「塩飽」というのが読めない人がいるらしい。「えんぽう」とか「えんほう」と書いてあるホームページがあったりする。確かに、これ・・・「しわく」と読むほうがおかしいのかも知れないなぁと思ったりする。「しおあきる」とか「しおあき」と読むのもおかしいし・・・。「しおだき」とか「しおだく」と読むのもおかしいか。やはり「えんぽう」が正解なのかもと思ったりする。

 

 潮が湧く所ならば「潮湧」と書いた方がいいのだろうし、「藻塩焼く」ならば「塩焼」と書いたら良さそうなものなのに、なんで「塩に飽きた」んだろうか・・・。文字というのはよくよく見れば不思議なものだなぁと思ったりする今日このごろ・・・。

 

  これは・・・一昨日の「興亜中学校」跡地にある記念碑だが、どこにあるかがわからずに帰ってきたのだが、これって、一昨日に写真を撮った場所のすぐそばにあるってことだ。向こうに屋島、左に建物・・・ということは・・・。

 

  この緑のクスの木の根元にあったんだ・・・。しまった、しまった、島倉千代子。また、来週にでも行ってみることにしよう・・。楠の木を植樹したというのは読んだが、まさか、こんな小さいとは思っていなかったものだから・・・。

 

 で、今日は久々に・・・町内にあるうどん屋さん、「手打ちうどん・すぎもと」に行ってみた。ここもずいぶんとご無沙汰だった・・・。ここも足繁く通ったのだが、なんでか最近はとんとご無沙汰だった・・・。

 

 で、ここのおすすめの「ぶっかけうどん」を注文した。こういう天ぷらが最初からセットになっている。これで300円はお手頃だと思う・・・。この天ぷらがカリカリでいい味を出している。

 

 通常は、奥さんとご主人のお二人で仲良くやっている穴場的なお店だ。定休日は月曜日で、開店は11時からで、14時までの営業になっている。

 

 で、午後からも・・・「オランダ留学生・古川庄八」の発表用スライドを検証していたのだが、時間が早く流れすぎて・・・18/50ページで20分が過ぎてしまう・・・。こりゃ、だめだ。半分の25ページにしても30も経ってしまう・・・。構想の練り直しか・・・。

 

 この・・・「しわく学生寮」とか「興亜中学校」なんぞ・・・まるきりお話の中に盛り込めない。「それじゃダメじゃん、春風亭昇太!」「困った・困った、こまどり姉妹・・・」

 

 いやはや、最近の時計は早く進みすぎる・・・。このまえに田植えしたと思うのに、はやくも稲に花が咲いている・・・。おとなりさんの田んぼではイノシシ避けのネットを張っている・・・。孫たちは早くも今日から夏休みらしい・・・。

 

 時々、暑中お見舞いのご挨拶を見かけるのだが、年賀状に引き続いて、「安否確認状」という形にした。九州では今日も雨が降り続いているし、原発問題も賑やかだし、いじめや自殺問題でも深刻な事態のようだし。今回も「お元気でしょうか」という言葉を贈っておくことにした・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


月を指す 指を見るなと セミの声

2012年07月20日 | 自然ありのままに

 一転して・・・・今日はまた曇り空の蒸し暑い朝になった・・・。おいおい・・、戻り梅雨かよ~・・・というような朝だった。

 

 昨日は・・・関東からのお客様がおいでたもので、宴会モードに入ってしまったし、夜は「モクハチ」という歌番組もあって、少しばかり飲み過ぎて・・・・。昨日のような爽快さはまるでない・・・。「それじゃダメじゃん、春風亭昇太」。

 

 ということで、今日は書斎に閉じこもっての作業になった。朝一番の仕事は、「今日」という日のフォルダーを作る。今日は・・・「24y07m20」という名前のフォルダーを用意して、そこに昨年、一昨年、三年前、四年前・・・・の7月20日の画像をコピーする。その中から不要なものを掃除して削除する・・・。

 

 その上に、今日、撮影した画像を流し込むと、「今日」という日の画像倉庫ができる。毎日毎日、こうした作業を十数年もやり続けていると、時期の流れやら身の回りの変化がよくわかる。万年日記みたいなものができあがる。

 

 時期になれば、こうしたオニユリの花が咲くし、雨だって降る。台風だって似た頃にやってくるのが重なって見えてくる・・・。

 

 で、今日のお昼はここになった。さぬき市志度の「麺喰:めんくい」志度店。ここもしばらく来ていないなぁと寄ってみた。だが、しかし・・・。ここは・・・節電対策なのかエコ対策なのか・・・入り口は開放したまんま・・。窓も開いたまんま・・・。「暑そう・・・・」

 

 ということで、シンプルに「ひやかけ小」で170円のおうどんにした・・・。「シンプル・イズ・ベスト」が一番。

 

 午後からは・・・図書館で借りてきた本を読んだり眺めたりしながら昼寝もしてみたりと・・・グッタリ・モード。やがてのことには、風雨が吹き荒れ・・・雷鳴がとどろき・・・、雨が滝のように・・・。

 

 そうかと思うと・・・それがまるでうそのように晴れ上がってみたり・・・。変なお天気になって・・・。

 

 ま、ありのままならバッタがパパで、なすのママならキュウリがパパで・・・、なるようにしかならんものとあきらめるしかない。

 

 とかなんとか言いながら・・・パワーポイントでのスライド・シートが50ページできあがった。そう、秋の講演会用の発表用。これを20分用に整理したり、修正したりしないとあかん・・・。ま、ああだ、こうだと言いながら、季節が過ぎていくように、私のお仕事も着実には進んでいるみたい・

 

 そこへ、丸亀市の担当者から「レキ墓研究会の資料が届きましたが、その出典を教えてください」とのメール連絡が・・・。「もしもし・・・」。論文だから、資料も添付してあるし、出典根拠もURLも記載しとるんだから、調べてから聞くように・・・。なんでもかんでもすぐに聞けば楽だと思うのは手抜きのお仕事・・・。

 

 迷犬ごんさまは雷が怖くて隠れておったのに、雷が治まると「散歩に行こう」と催促する・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分が自分のこころに迷うのです。それを迷信という」。漁師が海を見ていたら迷う。漁師は山を見るか、月や星を見て自分を知る」のだ、と古川庄八は言うていた。釈尊は「法に依れ」と言い残した。私たちの頼るべきものは何だろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 

 


セミの鳴く 家となったか この日暮れ

2012年07月19日 | ふるさと散歩

 朝方はいい気分なもので、今日もお出かけモードだと9時過ぎから出かけた。

 

 まずは県立図書館に行ってきた。で、高松市の本を四冊借りてきた。今、調べている「山口嘉次郎」さんが建てたとされる「興亜中学校」を調べるためだ。資料では「屋島山麓大橋前地区」とあるが、それがどこにあるかさえ分からない・・・。

 

 で、調べた結果、屋島病院に寮を売却し、学校は四国電力に売った・・・ということから、この一角に違いないと分かった。つまり、右の県道14号線と左の黄色い県道の間、上の電車の線路と、下の水色の川に囲まれた一角・・・。この屋島病院の右側一体が四国電力の総合研究所になっている。

 

 こういう建物が四電さんの研究所。この右手は屋島陸上競技場・・・。正面の山が屋島だ・・・。

 

 とうとう・・・興亜中学校の写真も手に入れた。向こうの山が屋島らしい・・・。

 

 手前の建物が四電の研究所、奥側が屋島総合病院だから、この一角に間違いない・・・。

 

 ものはついで・・・ということで、これは「琴電屋島駅」ここから山手にだらだら坂を登ると・・・。

 

 こういう建物に着く。これが屋島ケーブルの「登山口駅」廃線になって久しい・・・。ここも「廃墟」なのだと・・・。

 

 中には1号機の「義経号」がストップしたまま・・・。少しだけ動いて、そのまま動かなくなったのだとか・・・。

 

 これが変電設備らしいが、当然、ここも廃墟・・・。ということは、山上駅も廃墟になっている。今日はここまで・・・。

 

 だから、昭和までは大いに賑わったであろう・・・登山口駅前の土産物屋も旅館も廃墟みたいになってしまっている。親亀こけたら・・・みな、こけた・・・。

 

 で、今日のお昼はここになった。この前に開店した「尾後や」というセルフのお店。讃岐三木IC近くにできたというお店だ。ここの50円割引券があったので、ものはついで・・・ということで寄ってみた。

 

 で、今日は・・・「おんたまぶっかけ小の冷や」を注文した。310円だった。で、50円割引で・・・260円になった。

 

 ま、おなかがすいていれば、何だっておいしい・・・。

 

 私の部屋の網戸でセミが鳴いている・・・。

 

 今日の掲示板はこれ・・・。「行き詰まったら一工夫 思いがけない道がある」そうだといいのだけれど・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ひまわりに 見つめられている 昼下がり

2012年07月18日 | たまには真剣な研究なども

 いよいよ梅雨が明けたというので、お部屋ばかりに籠もっていられない・・・。ということで、お出かけモードにスイッチ・オン!

 

 これはどこかというと・・・番の州コンビ―ナートに向かう道。左手の高架が瀬戸大橋線で岡山に向かう方向・・・。今日は例の宿題の「古川庄八」さんの実家跡に向かう・・・。

 

 上の写真は、この地図上で言うと、坂出北ICを少しきたに進んだあたり。JRの高架が見えているあたりだ。で、目的地はこの赤い指す場所近辺・・・。昔の瀬居島、今は坂出市瀬居町になる。瀬戸大橋タワーと書いてあるところが、「沙弥島跡の「沙弥町」コンビナートのために陸続きになってしまった。

 

 で、正面の白い建物が「瀬居小学校」この民家の一部が「古川庄八」さんの旧宅のあった場所。今も子孫が住んでいるかどうかは知らない・・・。住んでいても傍系の傍系になるらしい・・・。

 

 で、今日は、このお墓を調べにきたのだが、これが簡単ではなかった・・・。この墓地にはいくつもいくつもの「古川家」の墓石が立ち並んでいる。で、その記憶に残る名前の人のお墓はわからない・・・。

 

 調べて行けば、「庄次郎」「庄三郎」という名前も見えるが、「庄太郎」に続いて、次郎、三郎・・・と続くものかなぁと思ったりして・・・。まぁ、暑いさなかに・・・見慣れぬおじいさんがお墓を調べているのも不審者みたいで、何人もが「何をしよんな~」と声をかけるので・・早々に退散した。

 

 これが昔の「西浦漁港」。今もそうなんだろうけれど・・・。もう、左手はコンビナートの工場群になっていて、大きな船舶が重油らしきものを降ろしているらしい・・・。

 

 そこから・・・坂出市内に抜けて、高松方面に向かう途中で懐かしいお店を見つけたので寄ってみた。お仕事をやってる時にたまに寄って食べたうどん屋さん。「うどん道楽・わかまつ」という一般店。坂出市府中町になるらしい・・・。昔の国道11号線、今の県道33号線沿いにある。「和香松」とも書くらしい・・・。

 

 で、すごくおなかがすいたので、肉ぶっかけうどん480円にいなりずし2個を注文した。合計で680円。でもまぁ、おいしくぺろりと食べてしまった・・・。ま、朝の10時半ということで、私一人だけのお客だった・・・。この時期、小さなお店に入ると、「節電対策」とかで冷房を止めているお店がある・・。それは仕方がないにしても、食べる方はおいしく食べたいものだからね・・・。

 

 ここは「ちゃんぽんうどん」の元祖だということで、冬場はよく食べたものだが、夏場はどうなんだろうかねぇ・・・。

 

  その後、郵便局を見つけて、丸亀市の「英国士官レキの墓研究会」の論文とOHP用の資料を郵送しておいた。

 

 今月、来月と会合が行われないのならば、その資料だけでも会員さんに見てもらっておきたいものだと。9月には精力的に資料確認ほかを進めないと間に合わなくなってしまう・・・。東京にも行かねばならんのだろうし、外務省にも出かけないといかんのだろうし・・・。

 

 今年はカサンブランカが遅いのかな・・・。いつも通りなんだろうか・・・。時期的なものがあやしくなってきている昨今・・・。そうそう、朝方は・・・カナカナが鳴いているし、昼間は・・「ジージジー・・・」とセミが鳴いているし、夕方には虫の声も聞こえるし・・・。そういえば、今年はカエルの声が聞こえなかったし、ホタルも乱舞しなかったし・・・。

 

 でも、ひまわりはさいているぞ。これ、ひまわりなんだろうと思う・・・。最近はいろんな種類の似たような花が多くなったけれど・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「花はだれのためでもなく ありのままに咲いている」。自然のどれもが、誰のためでもなくありのままに咲いているのだろうと思う。この私も本当は誰のためでもなく、ありのままに咲いているつもりなんだろうけれど・・・・。はてさて、どんなだろうかね。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


タチアオイ 梅雨が明けたと 背伸びする

2012年07月17日 | 自然ありのままに

 今日も朝からいい天気になった。だから、昨日に引き続いて布団を干した・・・。

 

 連休中に使った布団をおてんとさんに当ててさっぱりとしたいと思ったことだった。朝の間は涼しくて「ごん」の散歩も肌寒いくらいだったが、朝ドラが終わる頃にはぐんぐんと気温が上昇してきた。

 

 さぬき市の天気は晴れマークがずらりと・・・。気温は31度超え。湿度も90%超え・・・。それでも、気象庁は、四国、中国、近畿、東海、関東甲信の各地が梅雨明けしたと発表した。ま、一つ、峠は越えたのかなぁと思った。

 

 タチアオイの花がてっぺんまで届いたら梅雨が明けると言うてたけれど、確かに我が家のタチアオイはてっぺんまで昇ってはいるのだが・・・。

 

 今日のさぬき市の空は雲が多くて蒸し暑い・・・。今日晴れ一時曇り・最高:35℃/降水確率:20%
明日晴れから曇り・最高:32℃/降水確率:20%というのだから、これからが真夏ってことか。

 

 で、例によって例のごとくの「夏休みの自由研究」というか、「秋の文化祭用の課題作品」というかで、「古川庄八研究」の最後の山場、パワーポイントの作成に入った。ま、あらすじの確認用・・・ということで。ま、まだまだ試作段階なんだけれど・・。

 

 で、これまた毎度のことで、さぬき市志度の「こがね製麺所・志度店」に寄った。ま、いつもいつも「天ぷらうどん」ばかりも食べられないので、たまにはお安いおうどんもいいかなぁということで。

 

 そこで、少しばかり緑の入った・・・「おろしぶっかけ小の冷や」を注文した。370円だったような。それにお寿司100円を」追加して・・・470円。あんまりお安くはなっていないか・・。

 

 さて、今週の予定は・・・島に帰って、「レキ墓研究会」に「あかつきⅡ」の中間検査の予定だったのだが、レキ墓研究会は七月・八月はお休みになったらしい・・。お役所の方が忙しいとかで・・・。それだし、船の中間検査は11月からだというので、今回の広島訪問はお休み。お盆前からになりそうだ・・・。

 

 ということは、今月はずっと、山の家にいるってことか・・・。梅雨明けしたら島に行きたいと思っていたんだがなぁ・・・・。そそ、台風の進路はいかがなものか・・・。一難去ってまた一難か・・・。

 

 午後からも・・・パワポ(パワーポイント)の入力で一日が暮れようとしている。

 

 今日の掲示板は短く。「暑いときにはかき氷 仕事も勉強も程々に」まったく、さようでござる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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