まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

振り向けば 色とりどりの 花菖蒲

2016年05月31日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は18.0度から28.8度、湿度は96%から62%。風は1mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の6月1日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は天気がいいもので、火曜日恒例の図書館通いの日になった。来週一週間は「資料整理」とかで休館になる。そこで、借りていた本を返却するためにやってきたもの。

 

 それと、「真宗公論」という学会誌をここに寄贈するためである。半信半疑で寄贈を申し出ると、「そこにある注意書きをよく読んでおいてください」というので、五箇条ほどの注意書きを読んでみた。「不適切な場合は処分します」という条項があったので、納得して三冊を寄贈してきた。無碍に断らないところがやさしいなぁと思った。

 

 ここには、私の著作が12シリーズあるが、いずれも処分されたことはない。1シリーズは三冊である。閲覧用、貸し出し用、書庫用の三冊ずつを寄贈している。

 

 ついでだからと、6月中旬に行われる「讃岐一国逆打ちまいり」のコースの下見をしてみた。今までは山の中だったが、今回のウォーキングは市内の市街地を歩くことになる。私の取材場所の位置取りのためである。どこに車を停めて、どのアングルから一行を迎え撃って撮影するか・・・のポイント決めである。

 

 前回は屋島寺から歩いてここまで来て、ここから列車に乗って帰ったらしい。JR高徳線の木太町駅で、6月にはここから歩き始めるらしいが、ここには駐車場がないし、付近に広場もない。ここで皆さんをお迎えするのはきびしい場所。

 

 そこから南下してきたところにある「木太小学校」だが、このあたりにも空き地がない。このあたりは道幅も狭くて取材ポイントが難しそう・・・。足を痛めた人や急病などの場合の救護班も私が兼ねる。

 

 少し西に進んだところにある「野田池」や「伏石中央公園」「伏石神社」あたりは場所的に余裕があるが、その後はまたも細い道をくねくねと歩くことになる。どこで待ち受ければいいものか。

 

 こういう大きなランドマークがある所はいいのだが、歩き遍路を車で追いかけるというのは、市内の住宅地では難しそう。

 

 讃岐一の宮の「田村神社」が見えれば、ゴールはすぐそこ。

 

 昔は仲良くしていた「別当寺」だった「一宮寺」が83番札所。その後、変則で80番の国分寺まで歩いてJR国分駅からさぬき市へ帰ることになる。歩行距離は約19.3Km程度になるらしい。7月にはJR鬼無駅から根香寺から遍路道経由で白峯寺を経て国分寺を打って、国分駅から帰宅の予定。

 

 今日のお昼もガリガリ君。いきなり暑くなったので冷たいものがおいしくなった。

 

 お昼からは亀鶴(きかく)公園の花菖蒲園をのぞいてみた。6月5日に「しょうぶまつり」が行われるらしい。時期的に介護施設の車が何台も並んでいた。右上の東屋にいる人たちがそうらしい。

 

 早くも看板屋さんが、「しょうぶまつり」の会場ゲートを設営に来ている。

 

 こういうゲートになる筈である。

 

 今週、来週は、大勢の人たちでにぎわいを見せることになるだろう。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分は正しい 自分は賢いというところに立っている これが人間の迷いのもとです」というもの。赤松先生のお寺にあった言葉から。私たちは「迷い」と聞くと、右に行ったら良いのか、左に行ったら良いのかと迷っている様をイメージしがち。しかし、仏教 における「迷い」とは、「こうに違 いない」「こうあるべきだ」という「思いこみ」のことを指すのである。思いこんでいる時に、その思いこみに気付くことはないし、気付かないからこそ「思い こむ」というのであろう。その思い込みをやめることはできない私たちだが、そのことに気づくことが大切だというているのである。迷いを断ち切ったりはでき ないが、その迷いに気づくことが大切だというのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


桑の実に 遠い昭和の 味を見る

2016年05月30日 | 今日はすっかりと俳句の世界

さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼前まで雨の降る所があったが、次第に高気圧に覆われてくるため、昼過ぎからは晴れてきた。気温は18.4度から26.0度、湿度は96%から75%、風は0mから1mの南西の風が少しばかり。明日の31日は高気圧に覆われるため、概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝方は小雨。梅雨の走りだろうかと思うような天候になって、少しばかり蒸し暑いかなぁと思うような中途半端な天候。

  

 郵便局や銀行さんに用事があるので、それまでの時間帯に、山の旧宅をのぞいてきた。土曜日に雑草を片付けたところに、早くも草が伸び出してきている。これからは雑草との戦いになりそう・・・。

 

 屋敷跡の桜の木も覗いてみたが、土曜日に刈った草はそのまんま。枯れもせずに元気な様子。曇りや雨では草も枯れない。一気に暑くなってもらいたいもの。

 

 さて、興正学会から「真宗公論」が届いた。

 

 それも十冊も・・・である。こんなにたくさんいただいてもどうしようもない。前回は五冊だったので、どうにか処分できたのだが、10冊ともなると、はてさて、どうしたもんじゃろうかいのぉ。

 

 こういう内容だから、誰も読みたがらないし、ほしがらない。弟たちも一瞥しただけ。まるで猫に小判、馬の耳に念仏、ヌカに釘・・・である。

 

 今週の食材なんぞの買い物を済ませると、もう、お昼。最近の一日はあっという間に過ぎる。

 

 エアコンの交換工事が13時から15時の間・・・という連絡があったので、納め札に書かれた「四文字熟語」の整理の続きをやっていた。地道な作業の積み重ねである。それをしたからと言って、世の中が変わる訳でもないし、世の中の役に立つという研究でもない。それが、「民俗仏教学的研究」である。

 

 そんな地道な研究の中から、思わぬ結果が見えてくることもあるが、多くは徒労に終わってしまう物ばかり。それでもやり始めなければ終わりは来ない。

 

 14時過ぎになって電機屋さんがやってきた。おじさんが室内の工事を担当して、屋外は若い青年がテキパキと動いている。なかなかに呼吸がぴったりのチームである。

 

 こんな重い室外機も、ひょいと抱きかかえて二階まで持ち上げてくるのだから要領がいいのか、コツがあるのか、パワーがあふれているものか。私だったら三段上がったら息が上がってしまいそう。

 

 ちょうど1時間で作業終了。片付けも清掃も早くて手際がいい。これで梅雨時を快適に過ごせそう。実費工事費も、200Vの電源を100Vに切り替える工事費の4320円で済んだ。「古い物を交換するのですから、数万円は覚悟しておいてください」と言われていたので、少しばっかり得をした気分。

 

 今日の掲示板はこれ。「まず動く、心配するのは後でいい」というもの。悩む、否定される、文句を言われるからと動けない人がいる。そこで、「また、今度!」と蓋をしてしまって、結局は何もやらずに文句タラタラ。でも、まず、やってみることが大事。行動を起こすことが大切。そうすれば、開ける道もあるし、開ける扉もある。邪魔や衝突を知るからこそ、得られる結果だってあるものだ。「やりたいぞ!!」、そんな意欲を持った生き方をしてみたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


旅に出て 小庭の花に 安堵する

2016年05月29日 | たまには旅など・・。

 京都地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、前線を伴った低気圧が近づいてくるため、雨となってきた。気温は17.2度から27.7度、湿度は95%から58%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。天候は晴れから曇ってきて夕方からは雨になった。明日のさぬき市地方の30日は、前線や湿った空気の影響で明け方まで雨が降るけれど、その後は高気圧に覆われて次第に晴れる見込みらしい。

 

 土曜日の夜には弟たちと食事会。そこへ娘と孫のなぎちゃんたちも参加しての「ほたるの会」になった。ホタルの乱舞も楽しんで早めに寝てしまった私であった。

 

 そして、日曜の朝は5時起きの5時半にわが家を出発。6時にさぬき市役所に集合。6時半にバスは京都市内に向かって走り出した。「おへんろつかさの会」の研修旅行で、「富田仏師の工房を訪ねる旅と仏師から見た京の仏像巡りツアー」という旅の始まりである。

 

 今回の研修会には「つかさの会」会員25名が参加して、京都市内五条にある「京仏師・富田工芸」さんのオープン・ギャラリーに寄せていただいた。

 

 富田睦海(Mutsumi Tomita)さんは1978年生まれ。高校卒業後、家業である仏像彫刻に従事するため父親に師事。その後、兄と共に独立し、数々の寺院彫刻や仏像修復、皇室位牌修復などを手がけ、 2010年、その彫刻技術を生かしたシルバージュエリーブランド「睦海」を立ち上げた。富田さんは親子三代に渡り、この京都で「御仏像・京仏具」の製作に従事しており、時を重ね受け継がれてきた最高峰の技法を、京職人として見倣い、彫刻という分野の中で、各宗寺院の仏像や仏具など様々な製作に携わっている。

 

 このオープン・ギャラリには制作途中の仏像や修復途中の仏像などが展示してあって、それを使って、仏像の制作方法や接着技法、「金箔」、「金粉」「切り金」などの手法についてなど、専門的なお話を聞かせていただいた。みなさん、熱心にメモを取りながらのお勉強になった。

 

 この富田先生をさぬき市の志度寺にお迎えして、「彫像会・わらべ地蔵を彫る」という研修会を5回に渡って開いたことから、この工房見学が実現した。

 

 これは制作途中の「金剛力士像・阿形」である。後ろにある平面図の「下絵」を元に、モクの一木造りで像を刻んでいる過程である。計算しながら下絵を引きながらの彫り進めの状態。仏像は、こうして作られていくのか・・・ということを実感した。

 

 その後、近くにある「六波羅蜜寺」を見学。六波羅蜜寺 は、京都府京都市東山区にある真言宗智山派の寺院である。山号は補陀洛山。本尊は十一面観音。開基は空也上人。西国三十三所第17番札所。

 

 時間的に宝物館には入れず、この有名な「空也上人像」を拝観することはできなかった。

 

 その後、平安神宮前にある「アミタ本店」で昼食。京料理をいただいた。

 

 ここは外国人観光客用のお土産が置いてあって、お店に来る人たちは外国人が多かった。

 

 その後、向かったのが「三十三間堂」である。ここで富田仏師から、ここの仏像の特色、見方などについてのレクチャーを受ける。三十三間堂は京都市東山区にある仏堂。建物の正式名称は蓮華王院本堂。同じ京都市東山区にある天台宗妙法院の境外仏堂であり、同院が所有・管理している。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂。本尊は千手観音で、蓮華王院は千手観音の別称・蓮華王に由来する。

 

 建物内は「撮影禁止」のため、画像はネット画像から。内部はこのような千手観音が千体いるのだという。ここは「院派」「円派」「慶派」の流れを組む仏師の作り上げた「総合芸術展」であるという。だから、同じように見える仏像だが、それぞれに個性があって作風が違う。誰か知り合いに似た人がいるとか、逢いたい人の顔があるとか・・タクシーの運転手さんが中学生や高校生に説明していた。

 

 中央に安置されているのが「丈六仏」の千手観音座像である。丈六仏とは 仏像の背丈 (丈量 ) の一基準。仏は身長が1丈6尺 (約 4.85m) あるといわれることから仏像も丈六を基準とし,その5倍,10倍,また2分の1などに造像された。坐像の場合の丈六像は半分の約8尺(2.43m)であるとされている。

 

 次いで向かったのが「東寺」である。東寺は、京都市南区九条町にある仏教寺院。真言宗の根本道場であり、東寺真言宗の総本山でもある。「教王護国寺」とも呼ばれる。山号は八幡山。本尊は薬師如来。寺紋は雲形紋。 東寺は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。

  

 ここも堂内撮影禁止のためネット画像から。木造薬師如来及び両脇侍像(重要文化財)で、金堂(本堂)にある本尊である。中尊の像高2.88メートル、台座と光背を含めた総高は10メートルに達する巨像で、中尊の光背には七仏薬師像を配している。台座の懸裳の下には薬師如来の眷属である十二神将像が配されている。仏師康正の作で、日本の仏教彫刻衰退期である桃山時代における佳作である。薬師如来像が左手に薬壺を持たず、坐法が左脚を上にする降魔坐である点、台座を古風な裳懸座とする点などに復古的要素が伺える。

 

 講堂の中立体曼荼羅である。ここにもタクシーの運転手さんが中学生や高校生に小声でひおひそとガイドしていて、立ち止まることもできない状態。その後、雨がぽつりぽつりと降り出してきて、早めに出発して帰路についた私たちだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分の幸せは自分で決めていい 今のまんまそのまんま だからあなたはそのまんまでいいよ」というもの。「遊書家 とし」さんの言葉から。 「自分の幸せって自分で決めて良いんですよねぇ~。だから、今のまんまの自分でも幸せだったりするんですよねぇ~。だ から、そのまんまの自分でいられることが幸せだったりするんですよねぇ~。なぁ~んて、ふと思ったトシでした♪。みなさんに幸せな事が起きますように ♪  」と云うことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ほたる来て 杯を置く 一呼吸

2016年05月28日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夕方まで雨の降っている所があったらしい。気温は20.3度から22.8度、湿度は88%から86%、風は0mから1mの東北東の風が少しばかり。明日の29日は、前線や湿った空気の影響で雲が広がり、昼過ぎから雨が降る見込みらしい。

 

 今日は朝から曇ったまんまで少しばかり肌寒いくらいだった。

 

 わが家は山裾にあるものだから春先の落ち葉がすごい。「そのうちに風が掃除をしてくれるから・・」と、見向きもしなかったのだけれど、奥方から「今日はお客様が来られるから、お掃除、やっておいてね。」と言われていたので仕方なく草刈りを兼ねてやってみた。

 

 まだ、芝が伸びすぎているほどでもなかったが、刈りそろえると見栄えがいいかなぁということで草刈り機で刈り払ってみた。ついでに、目隠し用の植木も刈りそろえてみた。

 

 この刈り払い機一台で芝刈りもすれば剪定作業もやってしまう。竹や木も、これで刈り払ってしまう。

 

 これで少しはさっぱりとした。最近は、この中央あたりが「苔の庭」になってきた。どうしたもんじゃろうかいのぉ。

 

 それが終わると、今度は旧宅跡に行ってみた。ここも草や木が伸び放題の生え放題。

 

 実は、ここに桜の木が植えてあって、私と奥方の遺骨を埋めてもらう「桜葬」の舞台。たまには手入れもしておかなくては・・・ということで刈り払い機でザクザクと刈り払ってしまった。草が枯れたら、すっきりとする筈。そのあたりもバサバサと刈り払っておく。

 

 お昼は旧宅で「のり弁」。

 

 午後から、弟二人がやってきて草を刈った場所の片付け。ここに桜の木を植えて公園にするのだそうだ。

 

 私は周囲に生えている樹木の片付け。これは自然に生えてきた桑の木。

 

 桑の実もぽつぽつと実っているが、これを食べたいとは思わずに切り捨てた。桑の実を食べたのは遠い思い出。

 

 桑の木は根っ子から切ってしまった。周囲にあった雑木も切り捨ててしまった。

 

 はてさて、どんな公園になることやら・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「私のものさしで問うのでなく 私のものさしを問うのです」というもの。私たちは、他人や物事を見る時に、自分のものさしで見て、いろんな価値判断をつけているもの。その自分のものさしがどんなものさしなのか、その物差しを正しいものと固定させてしまうのではなくて、その視点を変えてみたり、そのものさしの基準がどこから生まれて信じてきているのか、見直してみると、世の中の姿が大きく変わると思う。その、ものの見え方で、心の自由性が拡がってくる。昨日のオバマさんの演説を聴いて、多くの方が、自分のものさしを感じたことだろうと思ったことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


晴れてよし 降ってもいいぞと 雨蛙

2016年05月27日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすく、昼前まで雨の降る所があったらしい。気温は21.7度から25.7度、湿度は98%から66%、風は0mから1mの南西や西の風が少しばかり。明日の28日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすい見込みなのだとか。(tenki.jpより)

 

 いよいよ夏らしくなってきた。朝方は湿度も高くて梅雨のような空気になったので、エアコンの冷房モードにしてみたが、最初だけ室外機のファンが回るのだけれどすぐに止まってしまう。いよいよ、アカンなぁ・・と片付けをすることにした。

 

 エアコンの下には、レーザープリンターや印刷用パソコンが置いてある。これをどけておいて欲しいと言われているのだ。ここに脚立を立てて、エアコン本体の交換を行うので、近くの物は壊れるといけないので移動をお願いしますと言われている。

 

 面倒だけれど、一時的にプリンターほか一式を移動させておいた。これだけのスペースを明けておくと作業できると思うのだけれど。

 

 次にこれ。トイレの便座が壊れている。どうしてこんなことになったのか知らないのだけれど、奥方が掃除をしたら、こうなったのだと言う・・・。

 

 ここの接続ピンも外れているようで便座がグラグラとしている。私はトイレ屋ではないが、親父が水道屋をやっていたもので、見よう見まねで直してみることにした。

 

 便座部分を取り外してしまって、半分ほど分解をして構造を理解した。そうすれば解決法が見えてくる。接続ピンを打ち込み直して修理完了。

 

 はい。30分ほどで修理は終わり。わが家のことだから修理賃はもらえない。でも、これだけするのに汗が流れてポタポタと落ちるのには困ったことだった。

 

 娘が子供の頃に使ったものらしいクレヨンや色鉛筆のセットを出してきた。もう、古くなって、ほとんど色が出て来ない。乾燥してしまっているものが多い。

 

 これで、昨日、作った集落ごとのマップに色塗りをしてみた。オレンジ色で道路を塗ったのだが、鉛筆の黒と混ざって黒っぽくなってしまった。これから先は裏側から色を塗ることにした。

 

 こういう形で集落ごとのマップができてきた。

 

 こうして、大川町南部の六自治会ごとのマップができあがってきた。これをさらに画像処理することになる。

 

 こうしてファイルに整理しておけば、各家庭の訪問も容易になるというものだ。

 

 明日は弟たちが集まって旧宅の田んぼの草刈りをするらしい。その後、わが家で夕食会になるらしい。明日の用意もしておかねば・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「晴れた日と 雨の日があって ひとつの花が咲くように 悲しみも苦しみもあって 私の人生が深くなる」というもの。

  「悲しみの意味」

   冬があり夏があり
   昼と夜があり
   晴れた日と雨の日があって
   ひとつの花が咲くように

   悲しみも苦しみもあって
   私が私になっていく
                   星野富弘

 「雨はイヤだ。」と言う人もいれば「恵みの雨」と喜ぶ農家の方もいる。病気をしたからこそ健康のありがたさがわかったり、空腹だからこそ、一つのおにぎり が最高のご馳走だと感じたり、辛く悲しい思いをしたからこそ、人のここころの痛みに寄り添えたりするように、悲しみも苦しみもあって私が私になっていく。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


慣れてきて ウグイスの声 鐘三つ

2016年05月26日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、午後から雨が降っている。気温は20度から26.5度、湿度は95%から96%。風は1mから3mの東の風が一時は吹き荒れてピューピューと賑やかだった。明日の27日も気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、未明は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 どこがどうなんだか、気圧が低くなると呼吸が困難になる。取り立ててどこがどうという病気でもない。強いて言えば心臓が悪いことになるのだろうが、晴れたら気分がいいのだから晴れるまで待つしかないがしばらくはお天気は悪そう・・・。

 

 そうそう、昨夜、奥方が「そろそろ、ホタル、飛んでるでしょ。見てきてよ~」というのでベランダから外を覗いたがまるきり気配がない。「そこじゃだめでしょ。下へ下りて来てよ・・」というので、台所の勝手口から外に出たがまるきり見えない。あきらめて二階に上がったら、私の部屋の前にホタルがいた・・・。

 

 ということで、朝の間は納め札の「四文字熟語」探し。「南無大師」「遍昭金剛」は四文字熟語だけれどカウントはしない。今日、見つけたのは、「国土安穏」「萬民安全」ということば。「子孫長久」「二世安楽」はよく見かけることばか。ということで、701番から900番までやってきた。2000番まではまだまだだ。

 

 今日は湿度が高いのに、目玉は乾いて痛くて仕方がない。「ドライアイ用目薬」を注すのだがすぐに乾いてしまう。若い時に泣きすぎたせいかも知れない(そんなことはない)。

 

 弟に頼まれていた「診断書」を受け取りに行ってきた。

 

 それを弟の家まで届けてきた。今日のお昼もガリガリ君になった。でも、おなかはガリガリ君にはならないのが不思議だ。

 

 午後からは、大川町南部地区のマップ作成。住宅地図では1ページに入る地図になっているが、私が必要とするのは「自治会ごと」のマップである。私が担当するのは、この南部地区の6自治会である。で、その6自治会の様子をとその実態を把握しようとしている訳。

 

 地図を画像として読み込んだものを素材にして、集落ごとの地図に書き直す。

 

 新築された家もあれば廃屋になっているおうちもある。世帯主が変わったおうちもあるので、その確認用でもある。朝の暗いうちから出勤して、夜、暗くなってから帰宅していた会社員時代が長かったから、地元だと言っても全く知らないのと同じ。

 

小学生の頃、歩いて通学した頃の記憶しかない。そんな幼い頃の記憶をたどりながらの作業になった。

 

 それと、その集落はどこからどこまでなのか・・・というのがわからない。ま、前任者の引き継ぎを受けてからがお仕事だから、今は、その事前準備というところ。

 

 今日の掲示板はこれ。「凡人は、行動を起こすのに完璧なタイミングを計っているうちに一生を終える」という、ジャック・キャンフィールドさんの言葉から。ジャック・キャンフィールド(Jack Canfield/1944年8月19日-/男性)は、アメリカ・テキサス州出身の自己啓発作家、モチベーションコーチ、講演家、経営者。世界的なベストセラー・シリーズ「こころのチキンスープ」の共著者として知られる人物であり、経営者や教育者向けの研修を行うセルフ・エスティーム・セミナーを設立。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp)

 

 彼の言葉からである。

 一日でダライ・ラマやマザー・テレサのようになろうなどとは考えないことです。所詮そんなことはできないのだし、たとえできたとしても途中の旅の素晴らしい体験は味わえないでしょう。大きな喜びを見いだすことができるのは旅そのものなのです。

 とにかく何か行動を起こすことです。たいていの人は考え過ぎ。準備のしすぎなんです。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ブラシの木 剪った鋏を 持たされる

2016年05月25日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降る所があるらしい。気温は19.0度から25.0度、湿度は94%から84%、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の26日は、引き続き、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼過ぎから雨が降る見込みらしい。(tenki.jpより)

 

 今日は朝から蒸しっとする空気が流れていた。迷犬ごんはサルの気配がするのか、道路上にサルの排泄物が落ちているのを嫌ってか、散歩をやめてスタスタと帰って行って縁の下に隠れてしまっていた。全く困った迷犬であることか。

 

 小雨もパラパラとしていたので、涼しいうちにお勉強。納め札に書かれた「四文字熟語」を整理している。

 

 今日は珍しい言葉を見つけた。普通は、「天地長久」と書くところを、「天長地久」としてある。意味は、天地の存在は永遠であること。天地が永久であるように、物事がいつまでも続くことのたとえ。▽「天(てん)は長(なが)く 地(ち)は久(ひさ)し」と訓読するらしい。ちゃんと「老子」という書物にあるらしい。それに、「天下泰平・国家安全」と普通は書くが、ここでは「国家泰平」とまとめてしまっている。何でもいいのだとは思うが、見慣れない文字に出会ってしまったことである。

 

 こうして、二台のパソコンを操作していると、マウスを取り違えてクリックしたり、カーソルが動かないと思えば違うマススをしきりに動かしていたりする。これは加齢でもなければ認知症でもない。ただの誤操作に過ぎない。

 

 そういうのにもすぐ飽きて、集落内一周の散歩をしてきたが、タケノコやワラビの時期も終わって、ただ歩くだけではつまらなくなってきた。

 

 「キムラは「気斑(キ・ムラ)だ」と中学校の時に言われたことがあるが、まさにその通り。なんでもかんでもすぐに飽きるのだ。ということで、今日は「さぬき市志度」にある「さぬき市立図書館」へやってきた。

 

 平日の図書館は静寂そのもの。館内には数人のお客さんしかいない。それも、毎日、新聞を読みに来る常連さんばかりみたいだ。ここで、「遍路墓」に関する本を探してみたが、さすがにここにはそんなものはない。

 

 で、今回はこんな本を借りてきた。今度の日曜日(29日)に京都の仏師さんの工房訪問を予定している。で、事前に仏像はどうやって作るのかを予習しておこうかと思って。

 

 ま、そんな大げさなものではないけれど。

 

 一昨年だかに、こういう「わらべ地蔵」を彫ったことがある。昨年は写真班ということで、地蔵を彫る会員さんの写真を撮っていて、彫像には参加しなかったのだが。

 

 そのときの先生の工房を訪ねるということになっているらしい。私は今回も取材ということで連れて行ってもらうことになっている。ま、「枯れ木も山のにぎわい」ということでもある。

 

 お昼からは蒸し暑くなってきた。何度もエアコンの電源を入れてみるが、室内機は動くのだが、室外機のファンが回らない。来週の月曜日までの辛抱だ。

 

 昨日の「遍路道」の「自炊」は終わったので、今日は「大川町」という、私の住んでいる町の住宅地図を「自吸い」していた。ところが、この地図は私が若い頃に使っていた物だから古い地図で、24年前の1992年印刷の物。だから世帯主の名前が古くて、もう、いない人が半分以上・・・。四分の一世紀でこんなにも変わってしまうものなんか・・・。

 

 これを電子的に修正しておこうか・・という思いつきで始めたもの。この地図が来年からは重要なツールになる筈だ。

 

 今日の掲示板はこれ。「一人でいると孤独感 二人でいると劣等感 三人でいると疎外感」といもの。この言葉、2014年5月末ごろからツイッターで1万数千もの人の「お気に入り」になった言葉で、Tシャツにもなった言葉であるが、この作者がいまだにわからないという。同ツイートは、投稿から4日目となる5月27日16時時点で約1万7600回リツイートされる人気となっており、この“名言”に対する反応も多数。ツイッター上には、「どえらいマイナス思考の人やなぁ~」「ネガティブまっしぐら…」「救いは無いんですかっ…!?」「わかり過ぎる位わかる。孤独感は無いけど」「いいなこれ。どうしたって結局悩むんだから、観念しろという意味だと思う」「私は一人でいると自由!二人でいると親密感、三人でいると連帯感(あるいは多様性)かも」などと反応はさまざま・・・。いろんな意味で、この言葉は多くの人の心に突き刺さっているようだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


十六夜の 植田のほかは 暗いまま

2016年05月24日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方から雲が広がり、夜遅くには雨の降る所があるらしい。気温は16.3度から26.3度、湿度は92%から58%。風は1mから2mの東南東の風が少しばかり。明日の25日は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼前から昼過ぎは雨が降る見込みらしい。

 

 昨日は「十六夜」であったとか。月を見ていたら寒くなってきた。まだ、ホタルが見えない筈だ。

 

 今朝はご用があって、4時半起きの5時出発。ご用を済ませて戻ってきたら6時半。普通ならばこの頃に起き出すものを。で、朝ドラが終わってから県立図書館に向かった。今月いっぱいは、毎週火曜日の「納め札」のお仕事はお休み中。

 

 少しばかり早く着きすぎて開館前。先週に借りた6冊の本の「自炊」が終わったもので返却に来た。

 

 今年の秋の研究テーマである「遍路墓」についての資料を探してみたが、みんな書庫に保管されていて貸出禁止の本ばかり。よほど怪しい記載があるのだろうか。

 

 それでは・・・ということで、今日は「遍路道」についての本を7冊ばかり借りた。遍路道と言っても「歩き遍路道」ということで、裏道や山道をたどる道のことで、そこには「道標」やら「丁石」やら「遍路墓」などがある。そういう調査研究資料ばかりであった。

 

 それをスキャナーで「自炊」する。この場合の「自炊」は「分でデータを吸い上げる」という「自吸い」のことである。

 

 これが、歩き遍路道にある石造物群である。

 

 今年は申年の閏年だということで、「逆打ち」の年だとかで、「讃岐一国逆打ちウォーク」をやるというので、今月は85番八栗寺と84番屋島寺を歩いたことだった。勿論、私は歩かない。車でのサポート役である。来月は83番一宮寺と80番国分寺を歩くらしい。そのマップも探し出してきた。

 

 こういう本も借りてきた。ま、参考になるかならないか・・・。

 

 昨日はかろうじて動いていたエアコンだけれど、今日はどうにも動かなくなった。そろそろ潮時かなぁと、電機屋さんに行くことにした。平成16年10月に社宅に入った時に買ったエアコンだから、もう、12年目にもなる。

 

 隣町にある大型量販店のここにお願いすることにした。何かと近い方が便利だと思ったからである。

 

 本格的な夏、梅雨に入る前には稼働できるようにと、ここでお願いしてきた。来週の月曜日、30日には取り替え工事に来てくれることになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間というものはな、困らんと智恵が湧かんようになっているんや」という松下幸之助さんのことばから。「人間というものは 困らんと知恵が湧かんようになっているんや。松下かて 今日のようになったのは 困ったからなんやで。君ら、なるべく困らんように生きとるやろ。それが落とし穴になるんやで。」と幸之助さんは言った。人は 困りたくない。だから困らないようにしたい。だから、どうしても安全な方を選んでしまう。それでここまでやってきたのだが、どうにもならなくなって、ようやくに重い腰を上げて電機屋さんに相談をした。本当に困らないと、人間は知恵も湧かないし行動も起こさないものなんだと改めて知った。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ほたる待つ 幼き日々を 繰り返し

2016年05月23日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は16.4度から26.9度、湿度は94%から73.%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の24日は、はじめ高気圧に覆われて晴れているが、気圧の谷や湿った空気の影響で、昼前から雲が広がる見込みらしい。

 

 朝から気温がぐんぐんと上がって、8時半過ぎには早くも24度を超えていた。あっと言う間に夏になったなぁと感じたことだった。

 

 月曜日の朝はお掃除の日。7時過ぎから、お布団をベランダに干して、二階フロアーの大掃除。ま、20分ほどで終わるのだけれど。一階部分は昨日の日曜日に奥方の担当で済ませたらしい。

 

 今日は月に一度の「予約診察日」。身体の具合が良くても悪くても病院に行く日なのである。この日に行かないと「薬」が処方されない。薬がなくても平気な時代もあったが、最近は、この薬を飲まないと落ち着かないような気分になることがある。だから、仕方なく、決められた日に病院に行くことになる。

 

 いつものように「胸部X線検査」で、胸に水が溜まっていないかの検査と・・・。

 

 順序はどちらでもいいのだが、「採血」による「検体検査」。体験的にX線検査のほうが早くできるので、先にレントゲン検査をやってもらう。採血は、予約時間を見ながらの順番待ちだから、20分から30分も待つことがある。

 

 ここは「東かがわ市」だから、普通は知った人に出会うことはまずない。でも、今日はさぬき市の人に出会ってしまった。「どうしたんな~」と、声を掛けられた。このあたりでは、「便(びん)を聞く」という。「もう、歳やけんなぁ~。あちこちが傷んできてしもてなぁ~」などと、ありきたりの会話になってしまう。若いうちなら、「どうしたんな~」と聞くこともあるが、前期高齢者なのだから、病院通いはあたりまえになってしまった。

 

 今日の私の受付番号は「200番」。月曜日だというのに、以外と早い番号表示。胸に少しばかり水が溜まっているが問題はなし。血液検査もほぼ順調。「いつも通りのお薬を出しておきますから・・」ということで、あっさりと診察はおしまい。診察代は3,600円程度。

 

 で、新しくオープンしたという、「ひだまり調剤薬局・白鳥店」に処方箋をFAX送信した。いつもは「本店」にお願いしていたのだが、いろいろとトラブルがあって・・・。「ファミマ」というコンビニの中に薬局があるのも面白いではないか・・ということの興味本位だけ。

 

 この男性の方が店長さんらしい。で、若いむすめさんが初々しい。できるだけ「ジェネリック」にしてもらって、5週間35日分で12、000円ほどの薬代。これで、どうにか生きていられるみたいなもの。「だんだん高額になる薬代」

  

 これが5週間分・・・。お値段、する筈だ・・・。

 

 昨夜、NHK-TVで、「人生の終い方」という番組をやっていた。若い方が亡くなるというのは辛く悲しいお話だが、ある程度の年齢になれば仕方がない。人生の最期に何をするか? 誰に何を遺すか? つまり人生の“終い方”をどうするのか。今、このテーマに強い関心が寄せられているらしい。昨日の放送 のNHKスペシャルでは落語家・桂歌丸さんを進行役に迎え、この究極ともいえる人生のテーマをひも解いていった。ナレーションは女優の樋口可南子さんだった。

 

 私は来月で68歳になる。「あなたの心臓はいつ止まってもおかしくない」と宣告されて、もう、30年が過ぎた。好きな仕事もやり切ったし、いやな仕事にも耐えてきた。おもしろおかしく生きて来たし、やりたいこともやり放題で生きて来た。ことさら、誰かに宛てての遺言も遺書も必要ない。

 

 今日の掲示板はこれ。「ビートルズは、ほしいだけの金を儲け、好きなだけの名声を得て、何もないことを知った。」というジョン・レノンの言葉から。欲しいだけの金を儲けようと画策し、好きなだけの名声を手に入れようと奮闘する。それが多くの人間の希望であり、人生の生き方のはずである。人生の目的の筈である。しかし、実際にそれを手にした人間が、そう言ったのだ。だとしたら、注意深く耳を澄ませて、よく彼の言葉を聞くことである。ショーペン・ハウエルはこう言った。「私たちは持っていない物について、常に思いを張り巡らせるが、一度手に入れたものには興味を失う」と。吉川栄治はこう言った。「登山の目標は山頂と決まっている。しかし、人生の面白さは山頂にはなく、かえって逆境の、山の中腹にこそある」と。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


廃校の 静けさの中 野にあざみ

2016年05月22日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は16.3度から26.2度、湿度は91%から72%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の23日は引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 いい天気になったが、今日は何の予定も入っていないが、奥方が居るものだから出かけられない。もしも出かけようとすると「どこに行くの?」「連れて行ってよ~」と言い出すのも面倒なもの。

 

 だから、昨日の続きで、田淵家の納め札に書かれた「四文字熟語」の「願文」を調べていた。この場合は字が間違っているのだが、「国家泰平・国家安全」の意味だろうと推測する。それを、別のマシンに整理していく。

 

 そうこうしていると、三番目の弟の「たっくん」がふらりとやってきた。やがて、「山の家とかに行ってみるかい・・」というので一緒に行くことにした。わが家にいてもつまらない。

 

 で、山の旧宅の草刈りの跡を見てもらったり、公園(?)予定地の草刈り跡も見てもらった。

 

 その後、88番札所の大窪寺に行ったが、10時半過ぎでは、まだ、おうどんタイムにはならない。今日は日曜日ということもあって大勢のお遍路さんがお参りに来ていたが、「閏年の逆打ち」らしき人には出会わなかった。

 

 そこで、ここに寄ってみた。旧多和小学校跡である。ここは「土曜日曜休日」しかやっていない博物館である。元日銀高松支店長の村山昇作さん(66)ら天文愛好家が「一般社団法人天体望遠鏡博物館」を2010年に立ち上げた。現在は全国に約30人のメンバーがいる。市町村合併の影響で閉鎖した天文台や家庭から望遠鏡を託された人たちで、古いものの修理も手がけていた。村山さんは「古い望遠鏡を残して科学少年少女を育てたい」と博物館の場所を探していた。12年に廃校になったさぬき市の多和小学校の校舎が使えることになった。(朝日新聞デジタルニュースから)

 

 山村にある校舎は街の明かりからも離れ、天体観測に適している。市が耐震工事費用を負担し、地元の人たちが床の塗装を手伝った。2階の教室に小型望遠鏡を並べ、屋内プールを改修し、大型望遠鏡の展示室にした。ここが、元屋内プールだった場所。プールの上に床を敷いて、望遠鏡を展示してある。

 

 前回はイベント途中だったために、大型望遠鏡しか見学しなかったが、今日は11時からの1時間コースの見学となった。ここはスライド・ルーフの可動式天井が開いて天体観測ができる部屋。

 

 ここでは特殊フィルターを装着した望遠鏡を使っての太陽の観測。太陽の黒点とかコロナなんぞが観測できた。普通の望遠鏡では絶対に真似しないこと。失明すること間違いなしとのことだった。

 

 二階の元教室に入るとびっくり仰天。ものすごい数の望遠鏡が・・・。それぞれ、お役目が済んだ望遠鏡が各地から送られてきているのだとか。ここの望遠鏡の総数は200台以上だとか。

 

 ここで、望遠鏡と天体望遠鏡の違いについてのお話を伺った。それと、「リユース」についてお話も。「3R」という言葉は早くから聞いていたが、ここで、「リ・ユース」のお話を聞くことになろうとは。ちなみに、3Rは、Reduce(リデュース)、Reuse(リユース)、Recycle(リサイクル)の3つの英語の頭文字を表している。ここは、校舎を「リユース」して博物館に、リタイヤした望遠鏡を「リユース」して天体望遠鏡に使い直し(再使用)ているのである。

 

 これは「百武彗星」を発見した百武先生が使っていた大型双眼鏡。これで彗星を見つけたのだという。こういうものがドカーン、ドカーンと置いてある。

 

 ちょうどお昼になったので、校庭に作られた「農家食堂」で「しっぽくそば」を食べることにした。ここには、このメニューしかないのだそうだ。

 

 これが、その「しっぽくそば」。これからは暑くなるのだから、冷たいものも用意しておいて欲しいもの。しかしのかかし、この大根の大きさはどうだ。大根だけでおなかがふくれるほど。

 

 おそばというもの食べた記憶がないのだが、これがおそばというものなのか・・・と思った。おそばはツルツルと飲み込むものだと思ったが、これはお箸でつまむと切れてしまう。不思議な食べ物だった。おそらくザルそばにすると、お箸ではつまめないので、お出汁には入らないだろうと思う。

 

 お昼からも、納め札に書かれた「四文字熟語」を整理していた。今日は101番から500番までの400枚を読み取ったことになる。やはり、圧倒的に「天下泰平・国家安全」がダントツだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「迷いとは 心が二つになること 悟りとは 心が一つになること」というもの。誰の言葉だかはわからない。心が、今の自分と、何か聞こえてきたものを追いかけて、2つになってしまったら、これが「迷い」となる。ものを追いかけるから迷いとなる。右に行くか左に行くか、これがいいか、あれがいいかと心が揺らぐと迷いとなる。これに気づかないと、本質を見失ってしまい、デザインの美しさにとらわれたり、値段を追い回したりして迷うのである。そこで、いったんは、外に向かってはたらく心を断ち切って、自分の内に向ける工夫が大事になる。そうすれば、今、こうして見ているもの、聞いているもの、命あるものの尊さに気がついて、自然と眼に花が映ったとき、花はわが命と一つであるとわかるはず。心が一つになるのが悟りであると気づくのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


君子蘭 驚いたように 生きてみる

2016年05月21日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は16.1度から28.4度、湿度は94%から59%、風は0mから1mの南南東の風がすこしばかり。明日の22日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今日も朝からいい天気になった。今日は5時半に起きて、6時前から犬の散歩をさせて、6時半には家を出て山の旧宅に行った。少しでも涼しい間に草刈りを終えておきたかった。

 

 なんでか知らない間に柿の木が生えてきた。この周囲を刈っておく。

 

 刈り終えると、こんな風になった。

 

 旧宅のあった場所は朝日が当たり始めると暑くなってきた。心臓が止まらぬ程度に、血圧が上がらぬ程度に、呼吸が止まらぬ程度に、ゆっくりとしかも手早く草をなぎ払っていく。

 

 ほぼ1時間弱で概ね刈り払うことができた。欲を言えば、もっと丁寧に刈り払えばいいのだが、誰が来る訳でもないし、誰に見せるものでもないので自己満足できればそれでいい。

 

 ここの左右はまた来週にでも。

 

 シャワーを浴びて着替えをして、作業服を洗濯して干して・・。午前9時からはお勉強。デスク上のパソコンはwindows10になっている。新しい画像ソフトは少し変。マウスを操作しても大きくなったり小さくなったりしない。

 

 そこで、Windows7の載ったノートPCを起動して、納め札の画像データを読み込み、主文の左右の「願文」の四文字熟語を解読する。

 

 それをデスクトップPCに記録する。今のところ多いのは、「天下泰平」「国家安全」や「天下太平」「日月清明」などが圧倒的に多い。この田淵家の納め札は明治元年から昭和15年までのものである。今はまだ、明治初期の段階である。

 

 お昼過ぎに奥方が帰ってきて、「お買い物に行きたいの」と仰る。そのご褒美に、今日はここ、活魚料理讃岐家で「讃岐家定食」だという。

 

 これがその讃岐家定食らしい。お値段を調べてみたがそれぞれあってわからない。1500円説、1800円説、2100円説。奥方に聞こうかと思ったがお昼寝中。

 

 マルナカしろとり店で食材を買って・・・、

 

 ドラッグストア「コスモス白鳥店」でドライアイ用の目薬とか歯間ブラシなどを買って・・・

 

 こういうお店では日本酒から発泡酒からノンアルコールビールから焼酎からウィスキーまで置いてあるには驚いた。それにとうふやら納豆までおいてある。

 

 そのあと、新鮮市場きむらでお魚や野菜を買って帰宅・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生はいろいろあるから退屈せんでよい」というもの。いつもお世話になっている町内にある善楽寺さんの掲示板から。曹洞宗の僧侶、余語翠巖(よごすいがん)さん(1912-1996)の言葉から。確かに永い人生に於いて様々なことが起きては過ぎる。それを退屈せずに楽 しむか、退屈しながら漫然と過ごすかで人生の味わい方は大きく違う。有り難いと思って過ごすのか、苦痛だと思って過ごすのかでも人生は大きく違う・・・。 その選択で、人生の味付けも変わってくるというもの。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


覚えたて うまく歌えぬ ほととぎす

2016年05月20日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は16.4度から27.8度、湿度は88%から62%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の21日は引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 すっかりと夏になっている。朝の6時半から迷犬ごんの散歩をさせ、7時から山の旧宅に向かった。草刈りをするんだったら朝早くがいいなと思ってのことだった。

 

 弟の「よっくん」がうちの土地に櫻を植えるらしいが、それはそちらにお任せして、私はわが家の草刈りをやらなくちゃぁ・・とやってきたという訳だ。5月の連休前に刈ったんだから、そんなには草は伸びていなかったが、まずはお墓の周囲から。

 

 ここは30分ほどでさっぱりとした。もう、タケノコの姿は見えなくなっている。

 

 ついで、家までの進入路まわりの草刈り。ここは、イタドリが伸びてきてこんな状態。

 

 こちら側が1時間半で、合計2時間。9時になると気温がぐんぐんと上昇してきた。9時の気温は22.6度だったらしい。

 

 ここが元屋敷。ここにわが家があった場所。この草も刈りたいが、今日はもう、無理。

 

 ここに、こういう建物があった訳だ。ここの草刈りは明日にしよう。

 

 燃料が少しだけ余ったので、弟が草刈りをする予定地の草を刈っておいた。10年もそのまんまにしていたから太い木が生えていた。

 

 シャワーを浴びて着替えをして、着ていた作業服は洗濯機に投げ込んで洗濯をしておく。その間にJAさんに行って、預金を引き出して・・・

 

 社協(社会福祉協議会)へ会費を支払っておく。毎月20日は、こうしたお仕事で忙しい日になる。

 

 で、会計帳簿に記載をしておく。自治会長のお仕事だから仕方がない。

 

 お昼は恒例になった「ガリガリ君」。暑くなってくると、こうしたものがおいしくなる。

 

 お昼からは昨日の続きの「自炊」作業。電子書籍に関する自炊(じすい)とは、自ら所有する書籍や雑誌をイメージスキャナ等を使ってデジタルデータに変換する行為(デジタイズ)を指す俗語である。デジタル化(スキャン)の効率化のために、書籍や雑誌を裁断機やホットプレート、アイロン等で分解する行為までを含むのだが、私の場合は県立図書館で借りた本だから傷つけぬように慎重に扱うから時間も手間暇もかかってしまう。

 

 読み取ったデータはpdf化して整理しておく。

 

 今日の掲示板はこれ。「ひがみ七訓」である。生きていると辛いとき、苦しいとき、悲しいとき、怒るとき、心配するとき、行き詰まるとき、焦るときは必ずあるもの。この七訓は示唆深い面もあるけれど、なぜか自分を否定されているようでネガティブ思考におちいるような気にもなる。この7訓には、その逆説があるという。

『新・ひがみ7訓』
一、つらいことが多いのは、感謝を知っているからだ
一、苦しいことが多いのは、自分に厳しいからだ
一、悲しいことが多いのは、他人の事ばかり考えているからだ
一、怒ることが多いのは、相手の事ばかりかんがえるからだ
一、心配することが多いのは、今を懸命に生きているからだ
一、行きづまりが多いのは、自分が裸になっているからだ
一、あせることが多いのは、行動目的があるからだ

悩んだ時、迷った時には、この両面から、いいとこ取りして生きていくだけの柔軟性が必要なのかも知れない。でもそれができない、私のような不器用な人間が多いのもまた事実かも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ビワの実に 今日の感謝を 言ってみる

2016年05月19日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は14.0度から25.6度、湿度は96%から65%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の20日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 ビワの実のる時期になったけれど、少しばかり色づいたと思えば、翌日にはサルがやってきて食べてしまう。サルにしてみれば、こんな幸せなことはあるまいに・・・。でも、こういうビワが実っても、誰もこれを取って食べよう・・という人も居なくなった。

 

 今日も朝の6時半から迷犬ごんの散歩をさせて、7時から7時40分まで集落内一周の早足散歩をやってきた。早朝でないと暑くなると歩けなくなる。で、涼しいうちにお勉強。

 

 私はテキストは「ワード派」。帳簿類は「エクセル派」、描画・講演は「パワーポイント派」。

 

 恒例の「俵札調査」は、会長が目を手術して入院したために5月いっぱいはお休み状態。でも、私個人の方の調査活動はまだまだ続いている。昨日は、「善通寺市細川家の俵札」という香川県が発行している調査報告書や「寒川家旧蔵の俵に詰められた札に関する研究」というさぬき市教育委員会が発行している調査資料を「自炊」していた。

 

 今日は電子化された情報を、校正・修正する作業をやっていた。どうしてもOCRで読み取ると、誤字や変換不能文字が出てきてしまう。それを一つ一つ修正していく作業である。

 

 「は」を「ほ」と読んだり、「を」を「と」と読んだり、句読点の「。」を「0」と理解したりする。それはわずかな文字の傾きであったり、文字の濃さであったりするが、目に付いたところから根気よく修正するしかない。

 

 大学の先生たちが「俵札」を調べたらこうなった。だから、私んところはこうした方が良かろうじゃないか・・というお手本と言うか参考資料というかに使いたいと思っている訳。どうせ、秋頃には、そうした研究成果をまとめて発表しなければならないのだから。

 

 会長さんらは、この「四文字熟語」には興味を示していないし、データの中にも記録されていないが、「天下泰平」、「日月清明」、「国家安泰」、「国土安全」、「二世安楽」などというものは江戸時代の物。近年は、「子孫長久」、「五穀豊穣」などがあり、「家内安全」、「健康長寿」なども新しい。こういうのも、きちんと整理したいものである。

 

 今日のお昼もこのガリガリ君になった。それでも少しも痩せてはくれない・・・。

 

 お昼から旧宅に出向いてみたら、わが家の土地を誰かが草刈りをしてくれている。先日には、半分ほどだったのに、きれいに全部を刈ってくれている。それも昨日や今日じゃない。たぶん、弟だとは思うのだが何も言わないからわからない・・・。

 

 ここも刈り始めたようだが、燃料が切れたのか暑くなったからやめたのか・・・。明日は朝の散歩をやめて、ここの草刈りでもやっておくとしようか。

 

 家に戻ると、さぬき市の広報が届いていた。これを個別に分けて、ビニール袋に入れて、各家庭に配ることになる。これが、このあたりの自治会長のお役目。今月は自治会費などの集金がないので気楽だ。

 

 これを各家庭の郵便受けに投げ込んでおけばいい。本当は、せっかく各家庭を回るのだから、安否確認やら健康状態やらを聞いて回ればいいのだけれど。

 

 こういうものは、お猿やタヌキは食べないらしい。ま、最近の人間さまも食べる人は滅多にいなくなった。

 

 今日の掲示板はこれ。「歳を重ねるとできることが減る そこで愚痴がふえるか有難うがふえるかで人生が違ってくる」というもの。今日のは間違いなく赤松先生のお寺にあったもの。年を重ねていくと、できることがどんどんと減ってくる。「こんなこともできんのか・・・」、「たったこれだけのことができなくなった」。そんなとき、愚痴が増えてくるもの。「耳が遠くなった・・・」、「目が見えなくなった・・・」。そんなときに「ありがとうの気持ちが」言えますか? できることがどんどんと減っていく現実を前にして、愚痴が増えるか、ありがとうが増えるかで、人生の内容はまったく違うものになっていくと、この言葉は教えてくれているのだけれど・・・。

  

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


夏らしく 装っている 庄松堂

2016年05月18日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は12.3度から25.3度、湿度は93%から45%、風は1mから2mの東南東の風が少しばかり。明日の19日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今日も五月晴れの良い天気になった。だから、朝の散歩は6時半から40分ほど歩いて来たが、汗も流れず、いい散歩になった。迷犬ごんの散歩はそれからになった。

 

 朝の涼しい間にお勉強。昨日、県立図書館で借りて来た研究論文集を「自炊」する。こうした調査研究論文は資料やデータ、画像が多い割には本文が少ない。だから自炊にはありがたいことだ。よそさまの画像データや数値の羅列は必要ない。本文だけで充分なのだ。

 

 10時になったのでお出かけをすることにした。今日は所属寺院「勝覚寺」の春の永代経法要の日であるが、その前に、「小砂(こざれ)説教所跡」にある庄松同行のお墓に寄ってみた。

 

 ここが、「小砂説教所跡」、今でも「正真講本部」というのだろうか。ここを、正式にはどう呼ぶのか確かめたことはない。「庄松同行墓所」とも、「正真同行墓所」とも「小砂説教所」とも、「正真講本部」とも呼んできた。

 

  これが、小砂説教所の内部である。正面には本尊阿弥陀如来立像。ここで、皆さん、合掌礼拝・読経される。あと、左三間は庄松さん関連の品物が展示をされている。詳しくはここにお参りしてご覧あれ。

 

 午前11時過ぎにお寺に入った。今回も兄弟子の弘昭さんが見えない。お仕事が忙しいのか、体調を崩されたのだろうか・・・。先日には電話料金のことについて電話をくれた時には元気そうだったのだけれど。

 

 正午に、法要が行われるという意味の梵鐘を英海さんが打つ。

 

 鐘楼脇の菩提樹に小さな蕾が付きだしている。菩提樹は中国原産の落葉高木で高さは10mほど。花期は6-7月頃で淡黄色の花を咲かせる。我が国へは、臨済宗の開祖栄西が中国から持ち帰ったと伝えられており、日本では各地の仏教寺院によく植えられている。お釈迦様が菩提樹の木の下で悟りを開いたとして知られているが、お釈迦さまの菩提樹は本種ではなくクワ科のインドボダイジュ(印度菩提樹、Ficus religiosa)のことらしい。中国では熱帯産のインドボタイジュの生育には適さないため、葉の形が似ているシナノキ科の本種を菩提樹としたと言わているらしい。

 

 鐘楼と松の木の間に見えるのが菩提樹である。またシューベルトの歌曲集『冬の旅』第5曲「菩提樹("Der Lindenbaum")」に歌われる菩提樹は本種ではなく近縁のセイヨウシナノキであるとも言われている。

 

 法要は13時半少し前に始まった。今日の導師は英海さん。

 

 ご法話は高松市西植田町の勝名寺住職の柴田先生。春の永代経は柴田先生と決まっているらしい。

 

 今日は「仏教史」のようなお話になった。案外と知っているようで忘れている仏教史。復習をするような気持ちで、みなさん、頷きながら聞き惚れていた。

  

 ご法話の間の休憩時間。

 

 「親のうち(家)じゃ。何の遠慮がいるもんか・・」と、庄松さんは言うたけれど、信心が少ないのか、なかなかに本堂でいねむりはできても、横になってくつろぐことはできない。

 

 今日の掲示板はこれ。「お経の一文字一文字は、人間を救わんと語っているの言葉です」というもの。いつもの赤松先生のお寺にあったものだと記憶している。今日の柴田先生のお話でも「スートラ」、「修多羅」のお話があったが、経典を書いた板を結んだ「縦糸」が「スートラ」らしい。それが転じて「スートラ」=「経典」となったのだとか。

 

 庄松同行は、意地悪な坊さんに、難しいお経を読めと言われて、「庄松、助くるぞよ、庄松助くるぞよ」と呼んだという。大無量寿経の下巻という、難しい経典を読んでみろと言われて、庄松さんは、「庄松を助けるぞと書いてある」と平然と答えたのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


宵待を 避けて見に来る 法然堂

2016年05月17日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は14.2度から24.9度、湿度は84%から50%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の18日は引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今日は全国的に火曜日らしいので、またしても香川県立図書館へやってきた。すっかりとアキニレの葉っぱが生い茂ってきて、夏の風景に戻って来た。

 

 途中、先日の「ルンルン♪ウォーク」の時の記念写真を、会計担当の松原幹事に届けてきた。頼まれたことは早めに片付けておかないと忘れてしまうおそれがあるからだ。で、先週に借りた本を返却しておかねば・・とやってきたもの。気づいた時が日々好日。

 

 当面、講演会も法話会もないもので、調べたい項目があるわけでもないし、読みたい本がある訳でもない。

 

 で、お天気もいいことだし・・ということで、高松市仏生山町にある「法然寺」にやってきた。いや、特別な意味もないし、とりたてての用事もないのだけれど。

 

 ここは、高松松平藩の菩提寺である。初代重公が、子松庄(満濃町)にあった法然上人ゆかりの寺「正福寺」を移築して「仏生山法然寺」としたもの。松平藩は浄土宗だからであった。

 

 これは「骨佛」である。納骨された遺骨を粉砕して仏像に仕上げてあるという話である。

 

 これが、三尊堂の内部で、讃岐の寝釈迦と言われる涅槃像である。今日はご婦人方が大勢、お参りをされていた。

 

 五重塔が五月の空に映えて堂々として見えた。

 

 で、「俵札」に関するものや「納め札」に関する研究論文を借りてきた。納め札の展示はできたのだけれど、今度は、その調査研究報告もやらないといけない。その手順の確認やら書式の構成方法なんぞを調べたくって・・・。

 

 それと、これ。歩き遍路用のマップである。今年は讃岐一国を逆打ちで回るらしいので、その歩き遍路用の道順を確認しておきたいと思ったので。私は車では走り回っているけれど、旧遍路道とか歩き遍路用の道など歩いたことはない。私が歩くわけではないが、サポート係としては、道順くらいは知っておかねば・・・ということで。

 

 この赤い点々が、歩き遍路用の道らしい。こういうものを、スキャナーで取り込んでデジタル画像化しておく。

 

 予定表に従って、3回目はJR木太駅から一宮寺経由で国分寺まで。4回目はJR鬼無駅から根香寺経由白峯寺を経て国分寺駅まで・・・というようなコースを選びながらのスキャニングになった。

 

 この大きなマップの裏表を読み込むと夕方になってしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。さまざまな似たような十訓があるが、今日は「ならぬもの十訓」である。よく見かけるものに「つもり違い十訓」がある。その話に、ある人から拍手をいただいたことがあり、それに、次のようなことを教えてくれたものである。

「ならぬもの十訓」
忘れては ならぬもの「感謝」
言っては ならぬもの「愚痴」
曲げては ならぬもの「つむじ」
起こしてはならぬもの「短気」
叩いては ならぬもの「人の頭」
失っては ならぬもの「信用」
笑っては ならぬもの「人の落ち度」
持っては ならぬもの「ねたみ」
捨てては ならぬもの「義理人情」
乗ってはならぬもの「口車」

ならぬものはならぬのです・・・と、少し前の大河ドラマの台詞を思い出したが、こちらも、驕り高ぶらずに謙虚な姿勢で人と接していきたいものであるなぁと思ったことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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