まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

爪楊枝素知らぬ顔の山つつじ

2022年04月05日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 5日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷の影響で夕方から曇りとなってきた。気温は5.0度から17.7度、湿度は80%から44%、風は1mから2mの北の風が少しばかり。明日の6日のさぬき市は、気圧の谷の影響で明け方まで曇るけれど、その後は高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 収縮期92mmhg、拡張期40mmhg、脈拍79bpm、体温36.47c/酸素濃度98%/体重63.1Kg 室内気温16.4c/室内湿度43.6%/気圧1026hPa 体調に変化はない。今日の日の出は05:46分、日の入りは18:28分 月齢は3.9の中潮。

 

 昨夜は孫と一緒に飲み会をやったので、夜間の尿の出が悪かったようで、少しばかり水分が残ったみたい。アルコールと尿の出方の因果関係はわからない。

 

 今日は月初めの第一火曜日ということで、観光ガイド大窪寺班の勉強会の日。私は三週間の入院予定だったもので、入院前に理事さん宛に、この会の資料を郵送してあったのだが、私が早くに退院したために、この会に参加することができた。

 

 会に先立って、病気で亡くなった理事さんの形見分けとか、現状報告があった。ガイド時に愛用していたハンチング帽とか皮ジャンとか、ガイド用の各種資料とか・・・。私はそこまでの用意はできていないなぁと感心した。

 

 そんな資料の中から、私の今年の研究テーマとなっている「へんろ墓」についての講義用資料を頂いてきた。私だって、こういう資料をいただいた筈なんだけれど、どこかにしまい込んで分からなくなっていた物。

 

 相変わらずの感染症の流行の中、私たちのイベントの計画はお休み。感染症が落ち着くまでは、お参りの人もお遍路さんも少なく、また、大勢の人が集まるイベントは無理みたい。そこで、その合間に、私たち観光ガイドのスキルアップを行うことにした。

 

 こうした観光案内誌を見て観光ガイドを要請される場合に供えて、一人ででも一時間程度はガイドできるようにしておくためのスキルアップである。

 

 で、来月は連休があるので、第二火曜日に、大窪寺境内でのガイド実習をすることになった。五月になれば若葉が綺麗になる頃。ガイド練習をするのにはいい季節になりそうである。

 

 で、孫のはやて君が家で待っているので超特急で家に戻り、大窪寺門前の野田屋さんでの昼食にした。はやて君愛用のお店が火曜日の定休日のために、急遽、ここに決めたのである。

 

 なぜだかお店の中には、こんなお不動さんがいる。矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制吒迦童子(せいたかどうじ)を両脇に従えた三尊の形式である(不動明王二童子像または不動三尊像と言う)。三尊形式の場合、不動明王の右(向かって左)に制吒迦童子、左(向かって右)に矜羯羅童子を配置するのが普通である。それに巨岩を壁代わりに張りつけてあるのが興味深い。

 

 で、私は「天ざるそば」1050円。はやて君は「打ち込みうどん」で850円。

 

 おうどんが熱いのか辛いのか、はやて君は水ばかりを飲んでいた。

 

 私は小食派で、少ししか食べられないのだが、このおそばはぺろりと完食してしまった。そんなにおなかが空いていた感じもなかったのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「蒔けば生え 蒔かねば生えぬ 善悪の 人は知らねど 種は正直」というもの。人間は種を蒔きながら人生を歩んでいるようなものだ。よい種を蒔けばよいことが、悪い種を蒔けばよくないことが返って来るものだ。種を蒔く人はそれぞれあるだろうけれど、蒔かれた種は正直なものだというているのだ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


風受けて芽吹く花有り蕾あり

2022年03月09日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 9日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は3.5度から13.9度、湿度は86%から42%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の10日のさぬき市地方は引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 収縮期102mhg、拡張期53mmhg、脈拍78bpm、体温36.6c/酸素濃度98%/体重67.2Kg 室内気温18.7c/室内湿度33%/気圧1023hPa 体調に変化はない。今日の日の出は06:23分、日の入りは18:06分 月齢は6.4の小潮。

 

 昨日から尿が出なくなって苦しい一日になった。それでも、古本回収日だから重い古本を回収場へ運んでおいた。古本も片付けても片付けてもどんどんと出てくる。子どもも跡継ぎもいないからもったいないけど古本に出してしまう。

 

 で、今日のお役目はこれ。「御幣作り」である。正式には「幣束(へいそく)」というらしい。神様にお供えするときの目印らしい。

 

 正式には「奉書」という紙を使うらしいが、私は昨年から古い「障子紙」を使っている。これだと繊維が太くて丈夫で破れにくいのである。横に五分割、縦に三分割する。

 

 それを左右に開いて、折り込んでいくと、こういう「御幣」ができる。

 

 それを笹竹の軸に差し込むと「幣束」ができあがる。

 

 それができたら、今度は「しめ縄」作りである。最近の人は、この縄をなう・・・という作業を知らないし、作り方もわからないらしい。かくいう私も子どもの頃にはやったのだけれど、この地区に引っ越してくるまでは、そういう作業をやったことがないので、YouTubeで勉強しながらやるようになったもの。

 

 上が昨年の物。手前側が今日の作品。ここに来て10年余り。ようやくに縄らしくなってきた。最初の頃はヘビが玉子を呑み込んだみたいに、急に膨れたりへこんだりしたもの。

 

 しめ縄ができたら、今度は「下がり」をつける。下がりは、「七本、五本、三本」とつけるので、これは真ん中にあたるところの五本である。

 

 で、右から七本、五本、三本の下がりが付くと、「七五三縄(しめなわ)」ができる。これで、私の担当の御幣としめ縄ができた。この縄に挟み込む「紙垂(しで)」も切ってある。準備万端である。

 

 尿がおなかに溜って苦しいので昼食抜きにしようかとも考えたが、何か食べておかねば・・・と、「梅がゆ」にした。ここにも、「ふわふわ玉子かけ」を載せようかとも考えていたのだけれど、あっさりと、このまま食べることにした。

 

 で、お昼からは民児協の定例会。役所の方は人事異動があるものだから、お仕事を繰り上げ繰り上げしてくる。自分の担当の内に片付けたいこともあるのだろう。

 

 それに、次期民生委員の準備なども早め早めに進めてくる。そういう時期なのである。この会が終われば、今度は空き缶回収日で、空き缶を回収場へ運んでおく。だから、毎月の第二水曜日は忙しいのである。

 

 今日の掲示板はこれ・・・。「他人と過去は変えられないが 自分と未来は変えられる」というもの。これはカナダ出身の精神科医であるエリックバーンの言葉として有名である。他人を変える事ができないこと、過去を変える事ができないことを悩むよりも、自分を変える事、自分の未来を変える事に目を向ける方が良いというのは、なんとなく「そうなんだろうな」と思えてくるもの。例えば自分の子供に向かって「勉 強しなさい」とか「部屋を片付けなさい」と言っても、簡単には聞いてはくれないし、職場で人に迷惑をかけているような人に対して注意をしてもそれが治らなかったりするもの。過去を変える事も、過去に起こった出来事を変えるという事は出来ないけれど、自分の受け取り方を変える事で、その出来事に対しての見方を変えることはできるけれど、その事実が変わる訳ではないし、過去に何があったのかを秘密にした所であなたの過去の出来事がなかったことになる訳でもない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


優しさをそのままにして寒椿

2022年01月09日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 9日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で昼過ぎから次第に曇ってきた。気温は2.0度から11.5度、湿度は90%から56%、風は1mから2mの西南西の風が少しばかり。明日の10日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 収縮期102mmhg、拡張期58mmhg、脈拍79bpm、体温36.4c/酸素濃度98%/体重63.6Kg 室内気温21.1c/室内湿度29%/気圧1025hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:11分、日の入りは17:11分 月齢は6.4の小潮。

 

 この集落には「山の神宮」と「地神宮」があって、それぞれ春と秋に例祭がある。で、今日は「山の神神社」の春の例祭にあたるという。日本の林業においては、オオヤマツミが林業神としての山の神として崇められている。かつての式や決め事としては山の神の祭日には入山を忌み、伐採を始める前には木を1本切り倒して伐り株に酒や塩を供え、山の神に無事を祈る。時代や場所にもよるが、伐採を「サキヤマ」、祈りの式を「ヤマハジメ」という。

 

 この集落では山仕事と農業が主なお仕事であって、今でも「森林組合」で働いている人が多い。で、1月12日が「山の日」で、この日は山仕事はお休みして新年会や祈願祭を行ってきたという。今はサラリーマンが多くなったので、その前の日曜日に行事をおこなっている。まずはこうして境内のお掃除から。

 

 ここの左手に見える石の配列は、昔、ここに拝殿があった名残である。いつだかの雪害で倒れたままで再建されなかったらしい。

 

 江戸時代からずっと、1月の11日の夜からお籠もりを始めて、夜通し情報交換や親睦を深める座談会のようなことをやったらしい。でも、拝殿が壊れてしまって、そういう風習は途絶えてしまった。

 

 お掃除が終わると、しめなわを張り、のぼりを立てる。

 

 本殿と脇殿のしめ縄張りや紙垂(しで)を取り付けるのは私の役目みたいになってきた。

 

 のぼりが立て終わったら、お掃除はおしまい。

 

 あと、当番さんが二礼二拍手一礼して、みんなで御神酒さんをいただいて例祭は終了。数年前までは自治会堂で「直会:なおらい」というものをやっていたのだけれど、「最長老」が亡くなってからは大幅に簡素化されて、この形になった。

 

 戦後しばらくまでは、電気もなく、ご飯を炊くのもお湯をわかすのも、こうした山からのたきぎでまかなっていたし、お風呂だって山の木のお世話になった。だから、「山の神さん」は大切な神様だった。でも、この集落では炊事やお風呂にマキやタキギを使うことはなくなった。みんな、電気やガスに切り替わった。だからか、誰も本当に「山の神さん」を信仰する人はいなくなってしまった。

 

 ただ、前からやっている・・というだけで、こうした行事をやり続けている。深い意味なんぞ考えもしないみたいに。

 

 で、朝昼兼用で、「どん兵衛きつねうどん」を食べて一息ついた。

 

 お次は3月半ばに私たちが当番になって「地神さん」の春の例祭がある。この時にはまた、しめ縄と御幣を作らないといけない。

 

 午後からはまた、「新風土記」の校正作業をやっていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「有漏(うろ)路より無漏(むろ)路へ帰る一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け」という一休禅師の言葉から。「有漏路」とは、迷いと煩悩(ぼんのう)に満ちた現世のこと。「無漏路」とは雑念のない悟りの世界、つまり極楽のことである。歌の意味を解釈すれば、「現世で過ごす時間など、あの世から来てあの世へ帰るまでの一休みの時間でしかない。だったら、雨が降ろうが、風が吹こうが大したことではない」この歌を聞いた師匠から、彼は「一休」という名をもらったと伝えられている。この一休禅師。悟りを開いたのは28歳のときだった。それまで、いくら修行に励んでも、どうしても悟りにたどりつけなかった。ところが・・・、28歳のある晩のこと。1羽のカラスの鳴き声を聞いた瞬間、悟りを開くことができたというのだった。ホンマウソか知らんけど・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


黙々と年月の行く枯れ野かな

2021年12月30日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 30日のさぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で曇り、雷を伴って雨や雪の降る所があるらしい。気温は10.0度から4.8度、湿度は60%から44%、風は7mから4mの西南西の風が一時は強かった。強風・波浪・乾燥注意報が発令中。明日の31日のさぬき市地方は、冬型の気圧配置や寒気の影響で概ね曇り、明け方まで雷を伴って雪の降る所がある見込みなのだとか。

 

 収縮期105mmhg、拡張期50mmhg、脈拍78bpm、体温36.6c/酸素濃度98%/体重63.6Kg 室内気温23.6c/室内湿度32%/気圧1017hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:09分、日の入りは17:03分 月齢は25.8の若潮。

 

 昨夜の夕食はちらし寿司にカニ。これを独り占め。

 

 カニは手が汚れるから嫌いだなぁ・・と思いつつ、食べ出したら止まらない。なんだかんだと完食してしまった。

 

 で、今日はご案内のとおりのお餅つき。私は若い頃にお餅を32個も食べて胸焼けを起こして以来、お餅が食べられない。だから、お餅つきだと言っても少しも楽しくはない。ただ、毎年の行事だから粛々とやっているようなもの。

 

 我が家の場合は、こういう餅つき器を使っている。旧宅で母が買ったものだから、もう、30年も40年にも成るのかも知れない。私が若い頃には父が杵を打って母が手返しをしたものだったけれど、父が若死にしたものだから母も面倒くさくなったのかも知れなかった。

 

 今年も弟がお手伝いに来てくれてのお餅つき。だから二軒分の二臼だけになった。奥方が餅米を蒸したり、小さくちぎってくれるので、弟と私が丸めてお餅にしてゆく。この黒い物が「餡:あん」である。讃岐独特の「あん入り丸餅」である。

 

 下の二つが仏さん用の鏡餅。このころは最初だからお餅らしくはならない。「食べたら同じ事」ということで、出来映えは二の次。

 

 餅搗きと言っても、おもちを搗く・・・という感覚ではなくして、羽根で「こねる」という感じ。

 

 ま、毎年、こんなものだ。我が家は二人だけで、私がお餅を食べないから奥方一人分だけがあればいい。

 

 で、できあがったお餅は「ののさま」へお供えをしておく。

 

 これで、私のお仏壇への「お荘厳:おしょうごん」は完了。あとは奥方が仏花に松をどう活けるかである。「あんた、お坊さんでしょ!」と言われるが、仏花の活け方までは習わなかった・・・と、思っている。はず。法要時の仏花は習ったかもしれない・・・。

 

 で、来年の二日の「正月礼=新年会」の準備である。感染症も少しは落ち着いてきたからか、十数名のお参りがあるらしい。祖母の時代には「おとびら開き」ということで、いつもは閉じてあるお仏壇を、お正月にはお扉を「開扉」して合掌、お念仏をしたものだが、私になってからはいつもおとびらは開いたままにしてある。だから、誰でもいつでも合掌お念仏ができるから良かろうわい・・と思っている。

 

 これでお正月の準備が一つ終わった。

 

 で、いつもの。迎春準備確認表。作業は順調に進んでいるが、明日もお天気が悪そうなので、家の周囲のお掃除は無理かも知れない。

 

 あとは家の周囲のお掃除を残すばかりか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「年は唯 黙々として行くのみぞ」という高浜虚子の俳句から。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板から。高浜虚子の擬人化表現を用いて、去る年を表現しているのが特色といえるだろう。太陽と月は宇宙の旅人で、太陽は日没とともに闇の世界にこもり、日の出とともに新たな生命を受ける。月も終わりの闇夜を「月隠(つごもり)」とか「晦日(みそか)」といい、新しい出発を「月立ち」とか「朔日(ついたち)」といった。太陽と月は「死」と「再生」をくり返して大晦日となる。年も古い生命を葬り、新たに生まれて新年となる。私たちもただ、黙々としてゆくばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えると、いいね。


冬戯れてホウキの音の懐かしさ

2021年12月29日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 29日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、昼過ぎからは気圧の谷や湿った空気の影響で曇ってきた。気温は3.0度から12.0度、湿度は52%から78%、風は1mから2mの南南西の風が少しばかり。明日の30日のさぬき市地方は、冬型の気圧配置となるため、概ね曇り、未明は雨の降る所があるらしい。

 

 収縮期110mmhg、拡張期62mmhg、脈拍78bpm、体温36.5c/酸素濃度98%/体重63.8Kg 室内気温20.9c/室内湿度32%/気圧1025hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:09分、日の入りは17:02分 月齢は24.8の長潮。

 

 「十二月二十八日は火がサドイ、二十九日はクモチでよくないと、節季には日を忌むことが多い。たいていの家では、二十七日か三十日にモチをつく。」という我が家のマニュアルで、我が家は毎年、恒例で三十日にモチを搗く。だから、今日はその餅搗きの準備である。二階の屋根裏部屋の物置に片付けてある餅搗き道具を降ろす日である。

 

 ご案内のように私は足が悪い。それに心臓も悪いから重いものは持てない。そこで、軽い物を二個か三個ずつ運び降ろすから、これだけ降ろすのに30分もかかってしまった。

 

 でも、肝心の餅つき器は重たくて動かせない。そこで、今夜か明日の朝に、奥方に手伝ってもらって降ろすことにした。これだけのものが動かせないというのも情けない話ではある。

 

 で、今度は前日のお仏壇回りの掃除をやることにした。掃除を簡単にやろうと、左に見える緑の機械が強制送風機の「ブロアー」でホコリを吹き飛ばしていたら、焼香用の香炉から灰や抹香が火山のように吹き出して、そのあたりが灰まみれ・抹香まみれになってしまったのだ。それを今日はきれいにお掃除しなくてはいけないのだ。ま、自業自得なんだけれど。

 

 で、灰やホコリがお仏壇に飛び込まないようにと、お扉を閉めてしまっての作業になった。そのあたり一面に灰や抹香が飛び散っているので、経本や聖典やお線香やお盆やらを片付けてしまっての大掃除になった。

 

 前卓(まえじょく)という机の上にあった花瓶や香炉・燭台なんぞも移動させての灰の掃除になった。経机の上も全て片付けての大仕事になった。

 

 で、さっぱりとしたお仏壇回りになった。

 

 その後、仏花や経典などもホコリを払って元に戻した。仏花に松をお供えするのは大晦日の奥方のお仕事である。

 

 これで、私の仏間のお仕事は一応のおしまいになる。あとは大晦日に最後の「お荘厳(しょうごん)」をするばかり。

 

 聖典、経典も雑然と盛り上がっていた物をホコリを払って片付けた。

 

 で、今日はてばやく食べられるようにラーメンになった。カニカマばかりのラーメンである。

 

 迎春準備確認表もここまで進んできた。いよいよ、明日はお餅つきである。別にお正月が嬉しいわけではないし、お正月が待ち遠しいわけでもない。ただ、粛々と、毎年の行事をこなしているだけである。

 

 今日の掲示板はこれ。「この一年 悔いなしと散る 落ち葉かな」というもの。よく見かける言葉だが、誰の言葉化はわからなかった。一茶の句かなぁとも思ったのだがわからない。花には花の役割があり、葉っぱには葉っぱの役目がある。冬が近くなると、広葉樹などは広い葉っぱでは水分を発散させるので木が弱るために葉っぱを切り落とす。また、光合成能力の落ちてきた葉っぱでも植物は弱る。そこで葉っぱを捨ててしまう。紅葉はその前段階で変色するものらしい・・・。紅葉も落葉もお仕事を終えた葉っぱを切り離すことでおきる自然現象。これを悲しいと見るか、寂しいと見るかは人間様のこころのありようだけ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


木枯らしはオカリナを吹くように奏でるように

2021年12月19日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 19日のさぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で曇り、昼過ぎまで雷を伴って雨が降っていた。その後も曇ったり晴れたりみぞれたりしていた。気温は4.5度から9.2度、湿度は66%から52%、風は2mから6mの西南西の風が一時は強くて冷たかった。明日の20日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 収縮期114mmhg、拡張期63mmhg、脈拍77bpm、体温36.4c/酸素濃度97%/体重63.8Kg 室内気温23.2c/室内湿度34%/気圧1024hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:05分、日の入りは16:57分 月齢は14.8の満月の大潮。

 

 今朝はどうしたことか、起きたのが6時前。奥方の出勤直前だった。で、今日の予定は午後からなので、のんびりと、子どもの頃の思い出日記。今日はたなばたの思い出なんぞを書いてみた。私らの子どもの頃のたなばたと言えば旧暦の八月14日。ちょうど、月遅れのお盆と一緒になった。その頃、タイモ(里芋)の葉にたまる露を集めてきて墨をすれば字が上手になるとかと言われたもの。祖母に言われて集めたことがあったが、まるきり字は上手にはならなかった。

 

 そういうものを文章に入力していたのである。ま、自分探し、ぼけ防止、認知症予防みたいなことだ。いくら書いて残しても誰も読む人はいないのだけれど。

 

 で、今日の天気はややこしい。「あら、ややこしや~ややこしや」。朝はいい天気だったので、布団でも干そうかと思ったけれど、間もなく小雨になり雨になり・・・。午後からは晴れたり曇ったりみぞれが降ったりと不安定な天候になった。ガイドの相棒は「雨がものすご降じょんで。それに寒いけん、うち、やめるでぇ~」とお断りの電話が・・・。相棒はそれいいかも知れないが、私は部長だし、班長だし、責任者だし・・。

 

 ともかく約束だから現地に行かなければならない。「12:10分頃、門前の八十八庵(やそばあん)の駐車場で待て」という指示だから、12:00に現地に着いた。すると、幹事さんから、「おへんろ交流サロンに今着いた。30分遅れになる」との連絡が入る。仕方なく30分の待機になった。

 

 待っていると、こんなお遍路さんが・・・。この子も今日が結願(けちがん)して証明書ももらったという。お母さんは二枚の結願証書を大事そうに持っている。個人情報なので詳しくは触れない。

 

 今日のお客さまは東京の某大学の観光学科の教授と学生さんら一行18名。お寺よりもまずはおうどんとばかり、八十八庵名物の「打ち込みうどん」を食べるという。私はまたも車の中で40分の待機・・・。

 

 「ばえる(映える)」ポイントを教えて欲しいというので、ここがいい、ここもいい・・・と、そういう場所の案内とガイドになった。

 

 学生さんらは本堂にお参りしたり、納経所でご朱印を頂いたりと若者らしい行動を楽しんでいる。私はしばしの休憩。前日には「こんな寒さ、アカンでぇぇ・・。わし、倒れるでぇ・・」と思って交代を頼んだけれど、皆さん、日曜日は忙しいらしくて却下されてしまった。だから、覚悟してきたけれど、今日は案外と楽だった。

 

 この若者が今日のお客様。ご朱印を頂いたり記念写真を撮ったりと観光気分満点。私も無理押しはしない。学生さんだから自分で勉強すればいい。

 

 この手水場の由来とかのお話をしたり、

 

 宝杖堂(ほうじょうどう)や「原爆の火」のお話もしておいた。

 

 で、大師堂やら鐘楼やら・・・をガイドして、

 

 いつも通りの仁王門でのお別れ。30分の予定がちょうど、1時間になった。だから、ガイド終了は15:00ちょうど。なんとなく無事にガイドが終わってほっとしたところ。やれやれ・・・である。

 

 今日の掲示板はこれ。「うかうか歩いていれば この道くもり ふと我にかえれば この道晴れてくる」というもの。煩悩によって、こころの目が曇っていれば歩いて行く道を迷い、ふと、心理に目覚めたら私の進む道が晴れてくるということだろう。別に「うかうか」と歩いているつもりはないのだけれど、「なんだかなぁ・・」と思う昨今ではある。明日にははっきりと進む道を見つけておきたいものではある・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


木枯らしが古家の屋根に突き刺さる

2021年12月14日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 14日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は3.5度から12.0度、湿度は90%から54%、風は1mから2mの西南西の風が少しばかり。明日の15日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるけれど、湿った空気の影響で夕方から次第に曇る見込み。

 

 収縮期102mmhg、拡張期56mmhg、脈拍79bpm、体温36.3c/酸素濃度98%/体重63.2Kg 室内気温20.6c/室内湿度40%/気圧1024hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:02分、日の入りは16:55分 月齢は9.8の若潮。

 

 今日は親戚のお葬式なんだけれども、礼服が身体に全く合わない。ここ3年間は入退院を繰り返していたので体型がすっかりと変わったみたい。ズボンなど20cmも合わないから履くに履けない。かと言って白衣に衣姿もおかしいし。そこで、よくよく考えたら「アジャスター」というものが付いていて、おなか周りを調整できるようになっている。

 

 この小さなくぼみが前のもの。ここで目一杯左右に伸ばしたら、ようやくフックが合うようになった。ワイシャツだってまるきり合わない。靴下も「おはよう靴下」で、足先から指がはみ出している。で、スーパーで靴下を買ったら冬物で、今度は靴に入らない。「てんやわんや」は昔の漫才コンビだが、そんな感じで大騒ぎ。礼服を衣紋掛けに掛けたら重みで衣紋掛けが壊れて衣服が散乱。

 

 今年の漢字2021は、「金」だったようで。やはり、オリンピック・パラリンピックの金メダルラッシュだな。金字塔を打ち立てた若者が目立った。

 

 でも、私的には「禍」。感染症対策で身動きが取れず、ガイドのお仕事も全く出来ず、勉強会の会場まで封鎖されてしまったので「コロナ禍」。台風禍では島の家のガラス戸が壊れて100万円の損害にもなった。全くの「禍」である。奥方もお仕事中に追突されて転倒事故。全くの労働禍。

 

 更に言えば「黙」。活動自粛、旅行自粛、大声自粛、集会自粛などで会話が激減。奥方までもが転倒事故で病院通い。すれ違い夫婦で会話もなくして「黙」。スマホにしたが、使い方が分からずにメールもメッセージもラインもできずに「黙」。言葉を忘れるほどの「黙」。固定電話も「オレオレ詐欺対策」で留守番電話にしたら、全くの電話が鳴らなくなっての「黙」。

 

 それはさておき、午前10時半に我が家を出て、親戚の葬儀会館へおでかけ。11時から打ち合わせとか昼食会とかから始まり、

 

 12時半から葬儀。14時から斎場でのお別れとか待機とか。

 

 16時から初七日法要。我が家に戻ったのが17時過ぎ。

 

 お風呂は沸かしたものの、私は昨夜から何も食べてはいないので、お風呂を待ちきれずに夕食開始。何もしていないのだが、立ったり座ったり待機ばかりの一日が過ぎた。会食自粛でお弁当をいただき、本物のビールで奥方と黙食の夕食。お風呂は今夜もパスになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「いいこと悪いこと 一切をひっくるめておかげさま」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。雨が降るのも晴れるのも雪が降るのも風が吹くのも単なる自然現象。雨はイヤだ、風は寒いの・・というのは人間様の都合の話。いいことも悪いこともみんながあって私が作られる。いっさいがっさいをひとくくりにして「おかげさま」だといただいて、今日の私があるのだと言うている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


あきらめもほどほどがいい年の暮れ

2021年12月10日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 10日のさぬき市地方は、気圧の谷の影響で昼前まで曇っていたが、その後は高気圧に覆われて晴れてきた。気温は7.0度から15.7度、湿度は86%から66%、風は1mから2mの南西の風が少しばかり。明日の11日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 圧迫時116mmhg、解放時68mmhg、脈拍79bpm、体温36.4c-酸素濃度99%-体重63.4Kg 室内気温14.1c-室内湿度43%-気圧1030hPa 体調に変化はない。今日の日の出は06:59分、日の入りは16:54分月齢は5.8の小潮。

 

 干し柿の話を奥方に話していたら、「そうそう、きなやにあったわねぇ」と奥方が言った。「木納屋」などと言う言葉はもう「死語」になっているのじゃないのかと思う。かまどや風呂木用のたきぎを保管しておく「納屋」だった。電化やガスの普及によって山からたきぎを集めてきて保管する必要がなくなってしまって久しい。

 

 ということで、今朝も4時半から起きだして、「自分史・昭和は輝いていた」続編の原稿を書いていた。もちろん、「木納屋」の話からである。太古の昔から戦後しばらくまでは「たきぎ」のお世話になった。暖房や照明や煮炊きなどに「たきぎの火」は不可欠なものだった。そいういうお話である。

 

 続いてむらまつりの話も書いた。明治になってからは各地に神社が作られて八百万の神々たちを崇敬するように政府が勧めた。だから、それぞれの自治会単位に郷社の末社・小社が作られた。私たちが住んでいた集落にも「はちまんさん」があって、秋には例大祭が行われて郷社の神官が神事にやってきていた。そこでは飲めや歌えや喧嘩三昧の大騒ぎになった。そういうお話である。

 

 朝ドラが終わってしばらくして、お仕事の「歳末助け合い運動」の配分金を持って高齢者宅を訪問する事業に出た。

 

 お役所から預かってきた「寸志」を、80歳以上のひとり暮らし家庭へお配りするのである。私の担当地区ではだんだんと減ってきて、今年は6世帯になった。高齢化はするのだが、なぜか、80歳以上は減ってゆくばかりである。亡くなるか、施設に入るか、息子さんちに引き取られるかしてゆく。

 

 寸志をお渡ししたら「受領書」にサインをお願いする。今年からは印鑑がいらなくなった。ちなみに、「印鑑」とはハンコを押した「印影」のことで、ハンコというのは、それを刻んだ本体を言う。だから、「印鑑をお持ちですか」というのはおかしくて、「ハンコをお持ちですか」というべきらしい。チコちゃんに教えてもらった。

 

 お仕事が終わったら、ガイドブックの余ったものを、私のガイドの先生にもお届けすることにした。私が最初にこのお寺でガイドした時の先生だった人で、今の私があるのはこの人のおかげ。

 

 生まれた子牛や子羊や子ザルは、すぐそばにいたものを親と認識するとかと聞いた。最初にエサをくれたものを親だと認識するらしい。人間の赤ん坊もそうだとも聞いた。私も、この先輩のガイドを聞かなかったらガイドにはならなかったと思う。そんな先輩である。

 

 で、郵送料をケチって、初冬の山道を走ってきた。車で移動するのはなんら問題はない。歩いていくとなると足が動かなくなって歩けなくなる。

 

 奥方が、「今日はどこかでおいしいものでも食べてきて頂戴」と朝早くから出かけて行った。おいしいものと言っても、そのおいしいものがない。下手にレストランなどに入ると食べ物アレルギーでたいへんなことになる。そこで無難なおうどん屋に行ってみた。いつもの「こがね製麵所寒川店」である。

 

 ここにだって「肉うどん」や「牛すじうどん」などと危険なものがメニューの半分もある。だから無難な「温玉ぶっかけ小の温いん」をお願いした。320円だった。おいなりさん100円をプラスして420円。

 

 で、奥方が大喜びをする「お持ち帰りうどん玉」をゲットした。今日のはずしりと重い三玉から四玉分はあるだろうか。おうどんを茹であげてから30分以上のものはおいしくなくなるのでお客には出せない。そこで「犬の餌用にでも・・」みたいなことで「自由にお持ち帰りください」コーナーに置いてある。でも、いつでもあるとは限らない。何回行っても置いていない日もある。そちらの方が多いかも。

 

 今日の掲示板はこれ。「本当のものがわからないと 本当でないものを本当にする」という安田理深先生の言葉から。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。自分がどこまで知ってるかを認識していないと、自分では知ってる範囲が全てで、本当だと思うと自認してしまうもの。大切なことは知っていることと、知らない事を分別する力、つまり知識だと思うのだ。本当のこと、これは「真実」とか「真理」ということを指すのではないだろうか。それがわからないと、当然、自らが下す判断は誤りとなることが多くなり、自ずと良い結果は出なくなる。問題とすべきことは、「本当でないものを本当にする」ということではないだろうか。私たちは、仕事や生活の中で、常に真実とは何か、真理とは何かということをしっかり見極める必要があると言うことだ。最近のフェイクニュースやネットに氾濫する情報が、果たして本当のものなのかどうか、そういうことを思い出しながら、ふと、振り返ってみたことであった。それが人権問題になるとしたら、もっともっと、慎重にならざるを得ないことなんだなと思ったことでもあった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


冷えてきた 今夜は牡蛎など食べようか

2021年12月09日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 9日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷の影響で夜は曇るらしい。気温は5.5度から15.3度、湿度は92%から60%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の10日のさぬき市地方は、気圧の谷の影響で朝まで曇るが、その後は高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 102/59/79 36.2c-97%-63.6Kg 13.2c-43%-1031hPa 体調に変化はない。今日の日の出は6:58分、日の入りは16:54分、月齢は4.8の中潮。

 

 今日からは「今日行く:教育」も「今日、用:教養」もないと書いたが、そうは問屋がおろさない。昨日の定例会の際に、研修費を用意しながら忘れていたので、会長宅まで出かけて行って手渡してきた。そこがまぁ、「ぽつんと一軒家」みたいなところで、朝霜で滑らないか、谷川に落ち込まないかとひやひやしながらの運転になった。

 

 へてから・・・。あと一年を残して、来年度からは民生委員を交代してもらう手続きを、私んちの自治会長にお願いしてきた。後任の方を推薦してもらうためである。うちの自治会長から次の当番の自治会長にお願いしてもらうのがしきたりらしい。

 

 形としては、私が地区から推薦された方を次の方だと推薦するらしい。町から市へ、市から県へ推薦していくので、きっちりとした対処が必要らしい。私の場合は、ほかに希望者がいなかったので、自分が引き受けてしまった・・・という大雑把な対処だったのだけれど。

 

 それが終われば、先日の観光ガイドの勉強会に出られなかった人に、会議資料を郵送するのだが、市内の方には郵送料をケチって自宅まで配達することにした。よーく考えたら、ガソリン代が高いので、郵送した方が安くついたのかも。

 

 続いて・・・である。「私の自分史」なるものを作っているのだけれど、当時の遊び仲間とか、先輩のおにいさん、おねえさんや、後輩のだれだれさんやを調べていると、そのお父さんやおかあさん、おじいちゃん・おばあちゃんまで調べたくなった。多くは小学校の卒業名簿で調べられたのだけれど、奥さんやおばあさんはよそから嫁いできたためにわからない。

 

 そうなってくると、どんどんと幅が広くなってきて、わからんようになってしまう。

 

 そこで、関連しそうなお墓探しになってしまった。お墓には「霊標」とか「法名碑」がある。そこから、おじいちゃんやおばあちゃんなどを探し出すのである。この白いシミか亡霊のように見えるかもしれないが、私の白いパーカー姿が映っているだけ。こういう角度はあかんなぁ。

 

 戒名や法名はいらない。俗名を調べて、亡くなった年月と「行年」から生まれた年を計算するのである。

 

 へてから、こういう一覧表を作成するのである。「小さなことからコツコツと」。

 

 最終的には、これだけの文章になってしまう。でも、60年も昔の時代が、そこに現れてくるから不思議なものだ。「たっつあん」とか「げんやん」とかと呼んでいた、昭和の黄金時代がよみがえってくるのだ。

 

 奥方は焼きそばを作ってあったが、今日のお昼は「麺職人:仙台辛味噌ラーメン」にしてみた。

 

 思わず、「げげげ・・・・」と思ったが、食べてみるとそうでもなくて、少しも辛いことはなかった。スープも少しばかり飲んでみたが、思ったよりも辛くなくてすんなりと飲むことができた。トッピングも一応は乗せたのだけれど、みんな、底に沈んだのか彩が消えてしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分の都合で他人を善人したり悪人にしたりはしない」というもの。いつもの町内の善楽寺さんのお寺の掲示板から。とかく私たちは、自分に得をさせてくれる人は善人であり、損をさせる人は悪人である。相手が善人であるかどうかではなくて、自分にとってどうであるか・・。損か得かで善人にしたり悪人にしたりするかだけのことなのである。そんなことで、人を区別したり、差別したりはしたくないものだ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


秋枯れて今日の想いも風の中

2021年12月08日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 8日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で昼過ぎまで曇っていたが、夕方からは高気圧に覆われて晴れる見込み。気温は12度から14.1度、湿度は68%から48%、風は3mから1mの西の風が冷たくなった。明日の9日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 111/64/78 36.3c-98%-63.4Kg 22.4c-42%-1024hPa 体調に変化はない。日の出は6:57分、日の入りは16:54分、月齢は3.8の中潮。

 

 今日、12月8日は80回目の太平洋戦争開戦記念日・・というのも有名な日。1941(昭和16)年12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6箇月に及ぶ大東亜戦争対米英戦(太平洋戦争)が勃発した。テレビ・ラジオ・新聞などでは特集番組が取り上げられている。

 

 また、 今日はお釈迦様がお悟りを開かれた「成道会」。成道会というのは、お釈迦さまの降魔成道(悟りを開いた事)を記念して行われる法要(行事)のことである。我が国では、お釈迦さまは朧月(旧暦12月)の8日に降魔成道したと伝承されているので、成道会を臘八会(ろうはちえ)とも称し、この日に法要が行われる。南伝仏教では、ウェーサク祭として5月の満月の日に仏誕会、涅槃会と共に行われているという。

 

 そして、今日は私が「お父さん」になった記念日でもあるし、奥方が「お母さん」になった記念日でもある。

 

 朝一番に古本や古布、古段ボールなどを回収場へ運んでおく。こういうものは、ついつい忘れてしまうものであるから、早め早めの準備をやっておいた。

 

 これは今年の「新語・流行語大賞」だが、ほとんど、分からない言葉ばかり。

 

 それを私なりに作り直してみたが、その説明は明日にでも。

 

 昨日の大窪寺班の資料を、参加できなかった人たちに郵送する準備とか、今日は何かと慌ただしい日。

 

 今日のお昼もまたまたおうどん。野菜のかき揚げ天ぷらうどんである。ネギの代わりにほうれん草が載っているのが我が家の特色。麺は富山の氷見うどんの細麺である。

 

 これを、あっさりと流し込んで、午後のお仕事の準備。

 

 今日は毎月恒例の民児協の定例会である。会場がまたまた変更されて、大川公民館になった。今までの会場は福祉施設になったらしい。

 

 民児協の定例会はお役所そのままの流れである。そしてお役所からのお願いや講演韓の案内やら研修やら。私たちは、地区の人たちとお役所を「つなぐ」パイプ役。下から上へ・・・と言う事柄は少なく、もっぱら、上から下へばかりのお願いやらに終始する。

 

 で、早くも次期の民生委員の交代手続きの準備が始まる。私たちの任期は12月1日から11月30日まで。まだ一年が始まったばかりなのに、早くも次期委員さんを選ばないと行けない。私も二期6年間をつとめてきたが、どうにも体力不足で交代せざるを得ない。その人選が難しい。

 

 会が終わると、すぐさま、空き缶の回収準備。でも明日からしばらくは「今日行く:教育」も「今日用:教養」もない。でもすぐさまに迎春準備が始まってしまう。

 

 今日の掲示板はこれ。「時の流れに心せよ 「まだ」は忽ち 「もう」となる」というもの。誰の言葉かはわからない。だが、この時期になるとついつい思い出す言葉。今年のお正月を迎えたのがつい先日のような気がするが、気がついてみれば、早くも 12月の上旬が終わる。あっという間の一年ではないか。先のことだ、先のことだと考えていたことが、もう、すぐそこにやってきたぞ・・・というのが、今日 の私の正直な気持ちだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


すぐそこに金木犀のあるやわらかさ

2021年09月26日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 26日のさぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夕方からは雨の降る所があるらしい。気温は21度から26.6度、湿度は88%から72%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の27日の香川県は、湿った空気の影響で曇り、明け方まで雨の降る所がある見込み。

 

 102/68/78 36.2c-97%-63.6Kg 23.1c-71%-1022hPa 体調に大きな変化はない。

 

 今日は大事なお役目を二つ片付けないといけない日。昨夜からソワソワとしている私がいた。別に急ぐものでもないし、命にかかわるようなものでもないのだが、私の背中にずっしりと乗っているお役目ふたつ。

 

 朝7時からの自治会内の「地神(じじん)さん」のお祭りの日。いわゆる秋祭りというものである。そのお掃除の集合が朝の7時だが、6時半にはこれこの通りの全員参加となっている。で、まずはお掃除からである。

 

 お掃除が終われば「のぼり」を立てる。年に秋と春の二回だから、要領をすぐに忘れてしまって、一本ののぼりを立てるのに、ああだ、こうだと三人がかりになったりする。本来は、春の例祭で土地の神様をお招きし、豊作万作を祈願して、秋の例祭は、その収穫に感謝して天へお帰りを願う儀式だったらしい。

 

 少し前までは、午後の15時くらいから自治会館で祭礼を行って夕方まで歓談を楽しんだものだが、最近はそれも廃止になって、この場で二礼二拍手一礼しておしまいになる。

 

 これが、私の担当した「しめ縄と御幣」である。それらしくはなっているではないか。坊さんもやりぃの、神主さんもやりぃのとなんでもやらないといけない集落でもある。

 

 それが終わると、今度は観光ガイドである。ここが私たちの「お仕事場」である「山寺さん」。境内の紅葉はまだまだ。でも、ここは気温が数度は違うくらいに肌寒い。

 

 今日は門前の「野田屋」さんのご協力をいただいての勉強会になった。もちろん感染症対策はばっちりで、非接触型体温計測定とアルコールによる手指の消毒にマスク着用、換気を考えての屋外で、間隔をあけての勉強会である。

 

 今日は日曜日ということで、自転車での若者数十人が休憩したりお参りしたり、お遍路さんも数組が入れ代わり立ち代わり。門前のうどん屋さんは通常営業状態。少しずつだが人の影が多くなってきた。今日は、ガイドポイントの確認やらを行って終わった。

 

 で、門前の「野田屋」さんの「栗入り赤飯弁当」を奥方の「お土産用」に買ってきた。野田屋さんにお世話になったので御礼も込めて・・・。

 

 我が家に戻ると、今日は「かき揚げ天うどん」だという。おうどんは富山県の「氷見うどん」の「細麺」である。

 

 奥方は、お赤飯とおうどんで大満足そう。でも、昨日の水中ポンプ引き上げ修理なんぞで「足が痛い」「傷跡が痛い」を連発している。だから、あんな無茶をしてはいかんでしょ。

 

 今日の掲示板はこれ。「なんでもないこと どうでもいいこと 得にならないこと それを大切にする時 人は美しくなる」というもの。これも赤松先生のお寺にあったもの。私の研究や調査は、それこそ「なんでもないこと」、「どうでもいいこと」「得にならないこと」ばかり・・・。レキの墓研究でも、咸臨丸乗組員のお墓探しで も、二十四輩さん研究でも、法然上人の足跡探しでも、お遍路さんの納め札調査でも、遍路道の道標や丁石調査でも、それで誰かが幸せになることもないし、生活が豊かになるわけでもない。そんな「どうでもいいこと」「得にならないこと」を大切 にしてはいるのだけれど、それで「こころが美しくなる」訳でもなく、「生活や身なりが美しくなる」訳でもないのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


生かされてのんびり欠伸の走り梅雨

2021年05月13日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている時間帯があった。気温は16度から21.6度、湿度は92%から72%、風は4mから1mの風が少しばかり。明日の14日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるが、湿った空気の影響で明け方まで曇りとなる見込み。

 

 110/60/78 36.4c-97% 64.4Kg 19.5c-59%-1016hPa 体調に変わりはない。

 

 ただ、昨夜はどうしたことか0時半から1時間ごとにトイレに起きて、今日は寝不足みたいな頭痛のようなけったいな気分だ。

 

 朝方はいつものガイドマニュアルの作成をやっていた。光明真言百万遍供養碑というもので、地区の有志が集まって、「光明真言」を百万回お唱えして供養したという記念碑である。とにかく有り難いお経だということである。

 

 で、過去の私の調査メモをスキャナーで読み込んで、それをテキストとして張り込んでゆくのである。

 

 こういうお真言を、百万回、お唱えするのだそうだ。私は300回でも頭が痛くなりそうである。

 

 ということで、16丁、15丁あたりまでやってきた。目的の山寺さんまでは1Kmあまりになってきた。

 

 で、今年もまた「ひとり暮らし訪問事業」の時期になってきた。今日は、その確認とご案内である。

 

 昨年の12月に訪問して以来だから、その間に入院、入所、移転などや誰か同居人が増えていないかなどを確認して回るのである。そしてそれを「市」に報告して、6月5日に品物を準備して訪問するという流れ。

 

 昨年暮れのデーターを参考にしながら、ご案内して回るのである。

 

 その時に、体調とか健康とか介護認定とかを確認して回り、お年寄りからお話をお伺いするのだから、どうしても時間はかかってしまう。

 

 そんなだから、今日のお昼は12時を大きく回ってしまった。で、恒例の富山の氷見うどん細麺である。

 

 で、お昼からはボォッーとしていた。寝不足のようなうつろな目だから、よけいにぼぉっとしてしまう。

 

 今日の掲示板はこれ。「よいことばかり いつまでも続かない 悪いことばかりもいつまでも続かない」というもの。町内の善楽寺さんの掲示板にあったもの。美輪明宏さんの「正負の法則」によると・・・「幸福ばかりの足し算の生活をしていると、やがて地球上の法則で恐ろしい引き算がどっと押し寄せてくる」し、 健康法の本とか願望実現の指南本を書く著者は、「病気(特に癌)で早死にしたり」、素敵な恋人を得る本や幸せな結婚の秘訣本を書く人は、「夫が家を出たり、険悪 になり離婚するという法則」かららしい。丹波哲郎さんとの対談によると・・・人生は、正負の法則で成り立っている。世の中、良いことと悪いことは相対して 起こる・・というのだが、ま、いろんな考え方があるものだ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


音もなし一人花咲くチューリップ

2021年04月06日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は湿った空気の影響で曇っていた。気温は6.5度から13.8度、湿度は68%から88%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の7日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 118/54/82 36.0c-98% 64.8Kg 16.9c-51%-1019hPa 体調に変化はない。おなかの張りも肩こりもない。

 

 昨日のタラの芽は、

 

 早速に天ぷらになった。春の味だと奥方は大喜び。

 

 で、先日のワラビは、ワラビ入りのお寿司になった。

 

 私の晩ご飯は、こんな感じ。

 

 全体ではこんな風になっていた。春らしい夕食になった。

 

 で、今日は第一火曜日ということで、観光ガイド大窪寺班の勉強会である。

 

 こうして、三密にならぬように間隔を空けて座り、アルコールによる手指消毒とマスク着用は欠かせない。

 

 ま、今年一年、何をやるか・・という相談である。人を集めてのイベントはムリだし、施設や学校への出前授業や出前講座もムリだし・・・と。じゃぁ、大窪寺で何をするか・・・ということになった。

 

 やりたいことはいくらもある。できることもいくらもある。来月に意見を集約することになった。

 

 で、昨夜のお寿司に何か足りないなぁと思っていたのだが、やはり、今の時期にはこれだろう・・ということで、掘ってきた。猪が見過ごし、猿が素通りしたタケノコである。

 

 もとは、こんなものだ。

 

 ガラは大きくても中身は少ない。半分以上が皮である。

 

 皮を剥いてみたら半分になる。

 

 それでもお鍋に入れたらサマになる。剥いたばかりのタケノコをほぼ1時間、湯がいておいた。夕方に、もう1時間ほど湯がいてあく抜きをしておく。

 

 今日の掲示板はこれ。「まっさらな ランドセル 背負う その身に かけられた願いは 今も私に」という「佛光寺八行標語」。いつもお世話になっている町内の「善楽寺」さんの掲示板から。いよいよ新学期も始まって、新入学生も新しいランドセルを背負って歩き出すことだろう。「元気に行ってらっしゃい」、「気をつけて行くんですよ」、「元気に帰ってきてね」、お母さんの願いは暖かくやさしい。それと同じ願いが、今も私にかけられている。気づかなかったけれど、そんな母の願いが、私たちにもかけられている。そのことを、新しいランドセルから感じ取る、今日このごろである。

 

じゃぁ、また、明日も、逢えると、いいね。


花冷えに峠の馬酔木も揺れている

2021年03月22日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は9.0度から13.7度、湿度は68%から50%、風は2mから6mの西の風が一時は強かった。明日の23日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 101/58/79 36.2c-98% 64.4Kg 18.7c-43%-1015hPa 数字的には問題ないが、おなかの張りが今日は一段ときつい。何が原因かはわからない。

 

 今日も朝方(6:00~8:30)は、観光ガイドのためのガイドマニュアルを作っていた。観光ガイド養成講座のガイド講座の資料が見つかったので、それを電子化していたというわけ。

 

 午前9時になったのでJAバンクに行って来た。おそらくこれが今期の最後になる筈。

 

 で、昨日の「地神さん」のお賽銭374円を入金してきた。それと、昨年に建てた「防災無線」の鉄柱の敷地料というか協力お礼にする金額も引き出しておいた。

 

 すると、今月分の電気料金と水道料金の引き落としも記帳されていた。これで、今年度の会計締めができる。それと、この口座の名義変更手続きの用紙ももらってきた。これで私のお仕事も終わりそう。

 

 準公金みたいなものだから、何回も何重にもチェックしておいて、記載漏れや記入不備がないかを確認しておく。で、今週半ばあたりに会計監査をしてもらっておく。それで、今週末の自治会総会で報告するという段取りに。

 

 元来、私は算数は大の苦手で、とくに数字は見るだけで頭が痛くなる。でも、だからと言って、自治会の会計をやらないという訳にもいかないではないか。ま、一応、「商業簿記三級」ということにはなっているが、車の免許と一緒で、免許をもらったら交通法規なんぞ忘れてしまうのと同じで全く記憶の彼方に消えてしまっている。

 

 でも今は、パソコンがあるし、エクセルシートがあるものだから、わからんなりにもそれらしい帳簿にはなっている。

 

 会計報告書ができたら、市役所に提出する書類も片付いてしまう。

 

 お昼前に、近くのダム公園に行って来た。もう、これは五分咲きくらいだろうか。そういう計算ができない私である。

 

 お天気が良ければソロ花見もいいのだが、今日は風が冷たくて、落ち着いてはお弁当などは食べられない。ここは私の「プライベート・ベンチ」みたいなものだが、今日はまだまだ花冷えという感じ。

 

 午後からも、ガイドマニュアルの入力をやっていたが、またしても右耳が聞こえなくなってきた。目はかすむし、耳は片耳が聞こえないし、歯医者さんは明日だし、おなかは張って苦しいし、足もピリピリとして歩きづらい。まさに「病のデパート」みたいになってきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「うまくいけば先祖のおかげ ひとつ間違えば先祖のたたり 私の都合で先祖を仏とし鬼とする」というもの。佛光寺( 真宗佛光寺派・京都市)の言葉かららしい。最近、よく耳にする言葉。正常性バイアス(日常性バイアス)」とは、心理学用語の一つである。深刻な事態でもそれを異常事態と受け止めず、正常範囲のことのように軽く捉える心理を指している。なぜこういった心理傾向があるかというと、普通に日常生活を送る中でも、予期できない出来事はたくさん起こるからである。初めて起こることや予想外のことにいちいち緊張したり過剰に反応したりを続けていては精神的に疲弊してしまうため、ある程度は動じないことも大切なのだろう。しかし、たとえば夜中に火災報知機が鳴ったとして、「煙が出ている様子もないし、何かの間違いだろう」と考えて、そのまま布団をかぶって寝てしまう……という行動を取るのは危険なことだ。火災の発生を早めに知らせて、安全に避難させるために火災報知器が鳴っているのに、心理的に大丈夫だろうというバイアスがかかると、本当の火災で逃げ遅れて命を落としてしまうかもしれない。ものごとが良い方向に進んで何事もなければ、「あ、ご先祖さんのおかげだな」と思い、ケガや災難にあってしまったら、「あ、ご先祖さんのたたりだな」と、全く自分のこととは考えてもみない。火災報知器の例は、多くの方が危険だと判断すると思うのだが、緊急地震速報のアラートが鳴っても、すぐに避難態勢を取れる方はどれくらいいるだろうか。 「(この前のでも大した揺れではなかったから、今回もご先祖さんがついているから大丈夫)大した揺れではないだろう」と考えて、すぐに身を守る行動を取っていないのだとしたら、それも正常性バイアスのはたらきである。正常性バイアスのせいで、最悪の事態になってしまうケースがあることも、しっかりと知っておく必要があるということを肝に銘じて欲しいものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


やぶ椿箒の前から後ろから

2021年03月21日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎまで雨が降っていた。気温は13.5度から15.9度、湿度は94%から625、風は1mから6mの西の風が一時は強かった。明日の22日のさぬき市地方は、寒気の影響で概ね曇る見込み。

 

 117/55/77 36.2c-98% 64.8Kg 19.5c-50%-1006hPa 体調に変化はない。

 

 今日は集落内の「地神(じじん)さん」の例祭である。まずは境内地のお掃除から。集合時間は午前7時だが、ここは6時半にはほぼ全員が集合して作業にかかる。このあたりでは、集落ごと、自治会ごとに、こうした「地神塔」がある。その土地の神様であるらしい。畑や田んぼの神さまである。

 

 藪椿が境内地に野生しているので、この時期には花びらが落ちてピンク色に染まっている。それを丁寧に掃き清めておく。

 

 ご神体の御幣としめ飾りを新しくする。これは当番さんのお仕事になる。

 

 のぼりを立て、お神酒さんなどをお供えする。

 

 で、年長者が先導して「二礼二拍手一礼」し、みんなもそれに合わせる。その後、お神酒やお洗米、塩などをいただいておしまいになる。それだけ。のぼりは当番さんが片付けるが、今日はずぶぬれだから乾かすのが大変そう。

 

 その後は、今日のお賽銭を集めて自治会計に入金する準備や、来週末の自治会総会の議案などを準備しておく。さぬき市へ提出する書類なども確認したり、事務引継ぎの「引き継ぎ書」の修正などもやっておく。

 

 それに令和3年度の自治会当番表も準備しておく。できることからコツコツと。

 

 会員数も減ったし、長老たちもいなくなって、集落の行事も簡素化されて少なくなったし、時間も短くなった。その分、信仰心も薄れるし、集落内の連帯感、一体感も薄れていくような気がする。

 

 気分転換に、「オール巨人」さんが歌う「男の子守歌」などを、YouTubeで歌ってみる。

 

 お昼前からは本降りの雨になった。これでは「ソロ花見」もできないではないか。

 

 ふと気が付けば、山ではヤマツツジが満開になっている。遠い山にはヤマザクラがあちらこちらで満開になっている。もう、あたりはすっかりと春になっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「グラム単位で考えるとポルシェよりふりかけの方が高い」というもの。お寺の住職さんが説いた、「グラム単価で考えるとポルシェよりふりかけの方が高い」という法語がネットで話題となっている。「だったら、ふりかけをあげるからポルシェをくれ」という人まで現れたとか。この言葉は、短歌人の天野慶さんの言葉で、その法語を説いているのは、北九州市にある永明寺住職の松崎智海さん。「モノの見方で世界は変わるのです」と、自身のツイッターより公開している。ポルシェの定番「ボクスター」は重量1320キログラムで596万円。丸美屋の「のりたま」は、2.5グラム×40個で538円。これを計算して比べると、のりたまの方がグラムあたり約1円高いのだそうだ。肝心の意味だが、「しあわせはいつも自分のこころが決める」というもの。お金は価値基準の一つだが、それが全てではない。高価なポルシェもグラム単位というモノの見方ではふりかけの方が高価になる。モノの価値はどんな見方をするかによってコロコロと変わるの。世界をつまらないものにするモノの見方も、世界を美しくするモノの見方もある。世界を美しくするのも、汚くするのも私の心しだい。仏様の目にはこの世界のすべては輝いて見えるのだそうだ。そんな「仏様に成る道が仏道です」との解説も添えられている。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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