まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

梅雨の日は 色決めかねる 蓮の花 

2017年06月29日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は、梅雨前線の影響で雨が降っており、午後からは曇ったまんまだった。気温は22.0度から25.6度、湿度は95%から86%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の30日は、梅雨前線の影響で曇り、雨の降る所がある見込みらしい。

 

 朝から小雨がぱらつく中、今日は少し遅れた春の研修会。蒸し暑い小雨の降る中、お勉強会に向かった。

 

 マイクロバスに乗り組んだ14人は市内の靴メーカーに向かった。知る人ぞ知る、有名な靴屋さんである。

 

 10時前に靴屋さんに着くと、まずは、こうしたボランティアの施設から案内される。

 

 ここは、「あゆみショップ」という販売所。ここで、福祉用靴や介護靴などの注文から販売までをやっている。病気で右足と左足の大きさや長さの違う人用の靴の注文、相談を受けたりする。

 

 こちらは靴の整形をやっているところ。靴の一個、一個を手作りしている。だから、片足で数千円から数十万円までの靴を作ることができるそうだ。

 

 次に向かったのは、大川広域消防本部。昨年三月に完成したところ。

 

 まずは、防災・減災から自助・共助・公助や津波防災の話などの講義。

 

 次に、高機能通信司令室の見学。固定電話から119番通報をすると、自宅周辺の地図情報が表示される仕組み。即座に対応できるシステムらしい。

 

 ついで、消防車両の見学。こうした消防車は一台が数千万円もするそうで、エンジンの排気量は7,000cc以上らしい。ともかく、最新鋭の消防車両らしい。

 

 お昼は東かがわ市にある、「ベッセルおおち」という施設でのレストラン。

 

 ここのバイキングは、1,100円で食べ放題だとか。私は少しだけ食べてさっさと席を立ったが、何杯も何回もお変わりをする人がいたのには驚いた。そんなにもよく入るもんだ。

 

 そのあと、近くにある、特別養護老人ホームを見学した。ここでも30分近く、スライドを使っての施設の概要とか特色とかを聞いたあと、施設内を見学して回った。終末介護が九割を占めるそうだった。病院は身体を治すところ。特養はやすらかに終末を迎えるところらしい。

 

 あれこれと探し回った結果、やはり、最後に買い物をしたスーパーしかないと、スーパーに寄ったら、やはり、ここのテーブルの上に忘れてあったのだとか。全く、もう・・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「愛なき指摘はただの文句」というもの。ものはいいようでカドが立つ。その指摘が正しいものであっても、愛情のない言葉であれば、ただの文句に過ぎない。単なる指摘でしかない。言われた方は大きく傷つくし、反感も湧く。正しい指摘であればこそ、そこには思いやりとか深い愛情が籠もっていなければならない。みんな最初は初心者だし、みんな素人から成長してきたのじゃないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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芝桜 こころのひだを 見透かされ

2017年04月21日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は、気圧の谷の影響で曇っていた。気温は10.9度から18.3度、湿度は94%から63%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の22日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 先日のしわく廣島のお大師まいりの時、猪塚先生から、「歴民の”昭和のお葬式とお墓”展に行ったんな~」と言われていたのだが、ようやくに今日、高松市の五色台にある「瀬戸内海歴史民俗資料館に来ることができた。

 

 民俗学では、葬送墓制は日本人の古い精神文化を色濃く残すものとして早くから研究者の関心も高く、その習俗は時代を経ても変わりにくいものと認識されてきたが、この平成の時代、それらは大きく変化し、今や昭和時代までのお葬式やお墓のようすは昔語りとなってしまった。そこで、ここでは、「昭和のお葬式とお墓」と題して、その失われた習俗や墓地景観などを道具や写真からひも解くテーマ展を開催している。

 

 これは、佐柳島からの注文で、さぬき市大川町(私の住んでいる町)の桶職人がつくった棺桶である。うちの曾祖父は、これに入れて「野辺の送り」をした。小学二年生の時だった。

 

 これは、「四本旗」で、お坊さんになってこれを習った。諸行無常と呼ぶ。お釈迦様が前世における雪山童子であった時、この中の後半偈を聞く為に身を羅刹に捨てしなり。これより雪山偈とも言われる。「いろはにほへどちりぬるを 諸行無常」「わがよたれぞつねならむ 是生滅法」「うゐのおくやまけふこえて 生滅滅已」「あさきゆめみじゑひもせず 寂滅為楽」だった。

 

 これは「四花」とか「死華」とか言った。若いうちはこれを作らされた。

 

 これは塩飽の島々でよく見かけた「六角塔婆」。ここにも諸行無常が書いてある。

 

 これもしわく廣島で見かけた「極楽丸」。初盆には昔は木製で立派なものを作ったらしいが、本船がこれを漁船と間違って大騒ぎしたことから、紙製とか段ボール製になった。

 

 これはまた、立派な座棺用の輿である。三豊市詫間町で使われていたもの。まるで神社の御輿みたいだ。

 

 これは、まんのう町(旧琴南町)の野辺送りの写真。血の濃い女性は嫁入りの時の白無垢と白いかぶりものをして、「善の綱」を引いている。

 

 これは三豊市詫間町での埋め墓。犬や狼が遺体を荒らさないように、竹などで遺体を守っている。これを「猪垣(いがき)」と言った。昭和に育った人たちにとっては。「そういえば昔のお葬式やお墓はこんなだった」と懐かしく思われるかもしれない。また、平成生まれの人たちにとっては見たこともない驚きの道具や風景(写真)に出会えることだろう。

 

 その後、高松市飯田町にある「岩田神社」に寄ってみたが、ここの「孔雀藤」はようやく開花したばかり。お年寄りたちが「ふじまつり」ののぼりを立てたり、境内のお掃除をやっているところだった。

 

 お昼からは、東かがわ市帰来にある「芝桜富士」を見てきた。昨年の夏の暑さと小雨で六割が枯れてしまったとかで、今年はさみしい芝桜富士になっていた。

 

 この「五合目」はいつもだときれいに満開になっている場所だが、秋から今年の春に植え直したようでお花が小さい。

 

 今日の掲示板はこれ。「苦しみや悲しみのおかげで 心は深くなり美しくなるのです」という荒了寛さんの言葉から。

 幸福というものがあるのではありません。幸福と思うこころがあるのです。幸福と思う心が幸福なのです。楽な道を苦しみながら歩いている人は、近くても到達できません。苦しみの道を楽しみながら歩いている人は遠くても必ず到達できるのです。思い切ってあ「ありがとう」と一言云ってごらんなさい。その一言で相手もも変わるし、自分も変わるのです。苦しみや悲しみのおかげで、こころは深くなり、こころは美しくなるのです。これまでできなかったことも、これからはできるかも知れません。過去にとらわれることなく、やってみることです。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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ぼんやりと 散歩の主婦に やぶ椿

2017年03月17日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は2.7度から13.5度、湿度は86%から53%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の18日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 4月1日に、我が家で「花見の宴」をするらしいので、桜のつぼみの状態を調べに、大川ダムにやってきたのだが、まだまだ、つぼみは堅い。まだ、二週間もあるのだから大丈夫かも。

 

 それでは・・・と言うことで、いつもの「大川ダム一周コース」のウォーキングになった。

 

 この107段だか109段だかの階段だけがきつい場所。あとは平坦地か坂道を下るだけ。

 

 こうした保守用通路を歩いて「水源」に向かう。方角的には「南」に進むことになる。路床はコンクリート打設。ところどころ、イノシシが落ち葉をかき回した跡がある。約1時間ほどの散歩になった。

 

 戻ると、今度は、さぬき市立図書館にやってきた。ちょうど、お昼休みの時間帯だったから、利用者さんは数名だけ。こどもの姿も全くなかった。

 

 昨日からの「昭和30年代(1950年代)」の資料を探しに来たと言うわけ。

 

 町方の暮らしは、あんまり、参考にはならないが雰囲気はわかる。

 

 しかしのかかし、田舎の暮らしの情報は少ない。

 

 我が家にも、古い写真はほとんどない。

 

 こういう本も借りてきた。

 

 オート三輪というのはよく見た。初期には、中央で、バイクのハンドルみたいなもので運転していたが、後期には右端に乗って(今のように)、丸ハンドルになったから、前輪の感覚がわからずに、よくこけた。

 

 お昼からは、さぬき市の広報が届けられた。本来は、20日発行で、前日の19日にやってくるのだが、今月は三連休になるので、金曜日の今日になった。

 

 これが最後の広報配布になるのだが、19日に、「地神宮」の例祭があるので、そこで配布する。ついでに、この中に、25日の「自治会総会」の案内状も入れておいた。

 

 その「地神さん」のおまつりが終わって、そのお賽銭を入金したら、28年度の自治会決算ができる。その総会が終われば、自治会長のお役目は一応、終わる。また、五年後だな。

 

  今日の掲示板はこれ。「良いも悪いも 因果の種は まけば芽を出すいつの日か」というもの。お釈迦様は「因果の法」を説かれた。「因果」とは、「原因」と「結果」である。『善いも悪いも因果の種は播(ま)けば芽を出すいつの日か』という川柳であるが、良い種をまけば良い実がなり、悪い種をまけば悪い実が必ずなるということである。つまり、すべての現象には必ず「因」という種があり、必ず「果」という「結果」が現れるということなのである。今の時勢、善人がしいたげられ、悪人がのさばっている事の多い世の中。何が「善因善果」「悪因悪果」だと文句を言いたくなることが多々あるけれど、お釈迦様は、そんな凡人の姿はとっくにお見通し。「善を施すに、その報いを求めてはならない」と厳しく戒められておられよう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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花曇り 歴史の遠さを 知らされる

2017年03月16日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は寒気の影響で概ね曇っていた。気温は3.6度から12.2度、湿度は88%から62%、風は2mから1mの北西の風が少しばかり。明日の17日は高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 どうにもおなかが張るようで息苦しくなるので、少しばかり運動を・・ということで、担当地区内パトロールに出た。ごらんのようにひっそりとした地区である。

 

 一人暮らしのお年寄りの安否確認なのだが、デイサービスに出ていたり、親戚の家に行っていたりで、ほとんどの方にお会いできない。8軒ほどを訪問したが、安否確認できたのは、お二人だけ・・・。

 

 こういう本を図書館で借りたのだが、私は50年代後半から60年代頭の時代だから、大きく時代が違う。70年代はニクソンショックとかオイルショックとかの時代。娘が生まれた時代でもある。

 

 こういう本を眺めながら、「50年代 小学生歳時記」というものを作らないと・・・、と、考えた。そうだ、「俵札調査」も、一応、けじめもついたことだし。

 

 で、小学生時代の素材集めをやりながら・・・

 

 ぼつぼつと、メモ書き、下書きを始めた。

 

 こんなものもあったなぁと思い出しながら・・・。私の仕事には「企画書」とか「シナリオ」とかというものはない。「思いつくまま」なのである。講演会でも、法話でも、思いつくままなのである。シナリオを作っても覚えられない。

 

 60年前のもの・・・と言われてもねぇ・・・。

 

 今日のお昼はこれ。でも、こんなたくさんは食べられないので、半分はぽちのエサ。ずいぶんとおなかが小さくなってしまった。

 

 先日のおへんろウォークの時、ゲストさんから、「あ・・よっちゃんの・・」という声がした。「そうよ、よっちゃんの・・・よ」と、役員のあっこさんの声。時折、そういう声を聞く。「よっちゃん」というのは、私の弟である。

 

 そこで、この中学校の時の卒業写真を調べようと借りてきたもの。

 

 もう、57年も昔のことだから、誰が誰だかわからない。ましてや、弟のクラスだと全くわからない。

 

 今日の掲示板はこれ。「かけた情けは水に流し 受けた恩は石に刻む」という、町内の善楽寺さんの掲示板にあったことばから。逆に、「受けた恩は水に流し、かけた情けは石に刻む」生き方のほうが多いというもの。「○○○を教えてあげたのに」とか、「△△を世話してやったのに」とか、「□□のとき助けてあげたのに」などと、「してあげたこと」に執着するのは、かけた情けを石に刻むようなもの。私たちは、そんな生き方ばかりをしているように思う。ふと、そんな私に気付くこと、そんな気づきを大切にして、一日を感謝したいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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そのままに ゆだねられての 緋のもみじ

2016年11月26日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で午後には曇り、夜遅くには雨が降るらしい。気温は7.3度から15.3度、湿度は80%から70%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の27日は、気圧の谷や湿った空気の影響で、雨が降る見込みらしい。

  

 さわやかな朝になったので、少しばかり遠めの散歩に出た。皇帝ダリアはよく見聞きするのだけれど、皇帝ひまわりというのを聞いた時には、「そんな、バナナ・・・」と思ったのだが、どうやら、これがそうらしい。

 

 実は、12月1日に、とある団体の歓送迎会があるのだという。その集合場所というか、送迎バスが来る場所が「大川町役場」現さぬき市大川支所だという。奥方はお仕事で送迎はできないという。「だったら、歩けば~♪」という優しい奥様なのである。だったら、歩いてみようと思ったわけだ。昨年には、このコースで歩いている。

 

 これが、その「大川支所」。歩いて50分だった。加齢のためか、横着になったのか歩くのが遅い。8時半に家を出て、ここに着いたのが9時20分。たぶん、当日も大丈夫だろう。当日はここまで歩いて来るだけでいい。10分間お休みして、我が家に戻ったのが10時半だった。

 

 もう、ホトケノザが咲いている。ホトケノザというのは「春の七草」の一種なんだ。

 

 お昼からは、お隣町にある「農村環境改善センター」に出かけた。今度はさすがにマイカーである。今日はここで講演会があるというので聴講しようと思ったわけ。

 

 私は地元のことは何も知らない。若いころは暗いうちに会社に出かけ、暗くなって帰ってきた。丸亀沖の広島にもいた。だから、こういう団体があることも知らなかったし、全く、興味もなかったのだ。ただ、「熊田正美」という名前には聞き覚えがあったし、「地神さん」には興味があったのだ。

 

 このブログの愛読者ならば、何度も「地神さん」は出てきたはず。春と秋には必ず例祭が行われてきた。だから、少しばかりは調べもし、調査もしてきた。そういうことで、会員以外だけれど「聴講」という形になった。

 

 こんな、地神信仰なんて興味あるまいと思っていたが、みるみるうちに満席になって、予備席まで作られて、お坊さん風に言えば、「満堂」状態。歴史好きな人って多いんだなぁと思った。

 

 これが、今日の講師の熊田先生。私の中学の後輩。弟・よっくんの同級生らしい。ずいぶんとおじいさんになったが、そういう私は、もっと、おじいさんなんだ。この左端のおばさま、おへんろつかさの会でもお会いする方。顔なじみが増えてきた。

 

 確かに確かに、細かな調査をされて、しっかりとした整理もできていたけれど、阿波藩の蜂須賀公の政策には全く触れられていなかったのが意外。地神信仰の五角形石塔が阿波から来たというのは調査されていたが、その根本の政策に触れられず、金光明護国の寺とかのお話になったのが意外だった。

 

 そこで紹介されたのが、うちの自治会の地神さんだった。

 

 こういう、色付きの「幟(のぼり)」を立てるのは、この集落だけらしい。少し前には黄色もあったはずだが、近年はこういう配色になった。

 

 こういう、のぼりが立てられるのは、我が集落だけだというのは真実驚いたものだった。来年の例祭には皆さんに報告しておかなければ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「今日はよく働いたと 夕方になって考えることほど、私にとって大きな楽しみはなかった」という、大倉喜八郎さんの言葉から。大倉 喜八郎さんは、明治・大正期に貿易、建設、化学、製鉄、繊維、食品などの企業を数多く興した日本の実業家、中堅財閥である大倉財閥の設立者。渋沢栄一らと共に、鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場などを設立。東京経済大学の前身である大倉商業学校の創設者でもある。従三位男爵。号は鶴彦。(Wikipediaより)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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蝉の声 止んで子供ら いなくなり

2016年07月16日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は梅雨前線や湿った空気の影響により曇りで、昼過ぎから夕方には雨の降る所があるらしい。気温は22.7度から29.0度、湿度は88%から72%、風は0mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の17日は引き続き梅雨前線や湿った空気の影響により曇りで、朝から昼過ぎは雨や雷雨の所がある見込みらしい。夕方からは晴れてくるということだ。

 

 高松市福岡町にあるセトラ高松という住宅展示場に行ってきた。いや、別に住宅を建てるとか見学とか相談のためではない。

 

 平成17年の正月から三月あたりには、昼休みになると、こうした展示場を見て回ったものだったが、あまりにも立派すぎて高すぎて諦めざるを得なかったもの。島の家「暁光庵」のローンを退職金で支払った直後にわが家が台風で流された時、貯金も預金もない状態で、わが家を再建することなんて不可能だった。

 

 そんなことを思い出しながらやってきたのは、ここで行われた「草創の会セトラ歴史勉強会」でお話をするためだった。

 

 お話は、塩飽の海から大陸を目指した三人の男たちの物語だった。古川庄八・古川阪次郎・山口嘉次郎の冒険物語の前編だったが、今日のメンバーたちには届いたのだろうか。しかしのかかし、1時間半の講演はきついものがある。なにせ「サムスカ錠剤」の効き目は強烈だから、ほぼ30分ごとにトイレに行きたくなるのである。でも、講師が途中でトイレに立つというのも前代未聞。

 

 十年前には、ここにはたくさんの住宅が建っていたように記憶しているが、現在は五軒ほど。空き地が目立つなぁと思ったことだった。ま、セトラさんも宇多津・観音寺と三箇所もあるし、そのほかの展示場さんもあるので、そのバランスなんだろうか。

 

 さて、帰りにだってトイレに行くのは同じ事。ほぼ30分ごとにトイレを探して走り回る。講演会が12時前に終わったのだが、そういう時間帯はどこのうどん屋さんも行列になっている。そこで、比較的空いていたコンビニで弁当とお茶を買ったがトイレは混んでいた。仕方がないので走り回って、志度寺さん裏の公衆トイレに駆け込んだ。

 

 用を足して志度寺さんを見ると大勢のお客さん。観光バスも何台もが停まっている。あ、今日は7月の16日じゃないか・・。この日は昔から「志度寺さんの十六度市」の日として有名だった。少し前までは植木市や野道具市が開かれていたが、近年はご本尊さんの「御開帳」の日になっている。

 

 こんなことは滅多にない。この前は三年か四年か前だった。四国霊場のお寺の本堂に入れるなんて滅多にないこと。さらにご本尊さまをじかに見られるなんてそうそうはないことだ。

 

 これが、補陀洛山志度寺の本尊「十一面観音立像」である。像高146Cmの檜の一木造りである。脇士は不動明王像と毘沙門天像で、ともに檜の一木造りで同じ時期の同じような彫刻になっている。今年は「撮影禁止」になっていたが、数年前にはOKだったのかも知れない。

 

 お土産にはクリアファイルと腕輪守りと文化財ガイド。

 

 ご本尊のある本堂を巡回していくと、本堂の裏手に扉が開いている。この扉の外から本堂を覗くと本尊厨子の真後ろに描かれた、金色に輝く阿弥陀如来絵図が見えるようになっている。御開帳と一緒に行われていた十六度市に訪れていたという小豆島の多くの方に向けて、開かれていた扉である。約30年前は十六度市に小豆島からもたくさんの方が行商や買い物のために訪れ、志度寺のすぐ裏にあった海岸に船を止めていたが、その海岸も埋め立てられ、十六度市もやまってしまった。現在では、この扉だけが小豆島と志度との絆の証となった。

 

 これが、その、阿弥陀如来座像であるが、慌てていたのかきれいには映らない。そのほかにもたくさんの珍しい仏像や絵画が拝観できる。

 

 これは、おへんろつかさの会の養成講座で教えてくれる「閻魔堂」である。ここの閻魔さんは全国でもここだけらしいという、冠上に「十一面仏頭」を頂いている。今日は「奪衣婆堂」も開帳されていた。

 

 昼食時間とトイレとの関係で、思わず飛び込んだトイレのおかげで、今日は思いもしないものを見ることができたことだった。ちなみにお弁当は「海女の墓」すぐ横の駐車場でおいしく頂いた。

 

 今日の掲示板はこれ。「針を踏んで痛む足が蟻をつぶして平気だ」というもの。いつもの赤松先生のお寺におったものだと記憶をしている。「クギを踏んで痛む足が、アリを潰して平気で、身勝手な被害者」というものが出拠だと思う。「アリを踏まずになんて、そんなことをいちいち気にしていたら 歩けない。それは仕方がないことだ」と思うものだが、その「仕方がない」「しょうがない」という自分の思いこそが、自分を正当化し、自分を中心にしてしか 物事を受け止めていない自分の身勝手さの象徴ではないかと言うているのである。人が生きるということは、多くのつながりの中に生きていて、他の人や動植物、自然にも迷惑をかけながら、しかも傷つけながら生きているのだということ、そういう自分の身の事実を見つめ直すことの大切さを噛みしめたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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梅雨ごもり お念仏ばかりを 聞いている

2016年06月08日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 京都地方はおおむね晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨や雷雨となるところがある見込みらしい。気温は19.2度から27.2度、湿度は94%から65%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の京都市は、気圧の谷や湿った空気の影響で朝から夕方にかけて雨が降り、雷を伴うところがあるらしい。

 

 今回の宿舎は36畳ほどの和室に12人ほどが寝ているが、昨夜は慣れたものか、お勉強に疲れたものかぐっすりと寝ていた。で、朝の5時半の本願寺さんの梵鐘の音で目が覚めた。で、すぐに支度をして本願寺さんの「おあさじ」に出かけた。

 

 今朝は念仏奉仕団の方々が大勢おまいりに来ていた。

 

 これは学生さんだろうか。若いお坊さん方もおまいりだった。

 

 朝の6時からのおつとめにおまいりして、6時半には本願寺さんを出た。

 

 すぐに着替えをして7時からの朝食。朝は、お仏飯のお相伴ということで和食である。

 

 午前8時からは興正寺さんの「ごじんじょう」。このパソコンでは漢字が出ない。こちらが阿弥陀堂。

 

 その後、御影堂でのおつとめ。

 

 今回のお勉強では50人くらいの人が参加している。

 

 今日も「観経散善義」のお勉強。

 

 今日は「二河譬」のお勉強だった。いわゆる「二河白道の譬え」である。

  

 午後からは「阿弥陀仏とその浄土」という講題で龍谷大学名誉教授の内藤知康勧学のお話があった。

 

 なかなかに楽しいお話が聞けた一日になった。

 

 30分の質疑応答にも6人もの方が手をあげて質問をされていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「濡れたらいやなその雨を心から願う人もいる となえてつまらん念仏を聞いてよろこぶ人もいる」というもの。どこの誰の言葉かはわからない。ここの住職さんの言葉かもしれない。私たちの挨拶にもなる「毎日の天候」。晴れたら晴れたで「晴れたねぇ」といい、雨に なったら雨で「よう、降るねぇ」という。濡れるのはいやだけれども、雨を待つ農家の人もいる。晴れてよし、雨になってよし・・・なのだが、人それぞれの感 想がある。お念仏だってそうだろう。称えても称えてもつまらない念仏を、それを後ろで聞いてよろこぶ人もいる。咲いた咲いた、花しょうぶ どの花見てもき れいだな。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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雨となり 重い荷物を 下ろした日  

2016年06月07日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 京都市地方は終日小雨が降っていた。気温は19.9度から21.0度、湿度は92%から87%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日は終日曇り空になるらしい。

 

 朝の5時半に起きて本願寺さんのおあさじに出かけた。皆さん、夜中にやってきたようでゆっくりと寝ているので邪魔をしては悪いと考えたからだ。

 

 今日のおまいりは少なかった。時期的なものもあるのかもしれない。田植え時の農繁期かもしれないし、梅雨時の影響があるのかもしれない。

 

 今日は朝から雨。早くから観光客の若者たちが元気いい。若者たちには貴重な一日なのだろう。少しの雨など問題外。

 

 8時からは興正寺の「ごじんじょう」、朝の勤行(おつとめ)である。今朝の朝食は自己解決。近くのコンビニでパンとコーヒーですませた。

 

 今回のお勉強はこんなもの。難しくて少しも頭には入らない。でも、根本は、この私一人を救ってくださるのだ。

 

 こんな雰囲気でのお勉強。みなさん、熱心な方々ばかり。

 

 これが私の名札である。今日は古いパソコンをもってきたために、うまく動かないので、今日はここまで。雨のせいでもないのだろうが、動作が全くの不完全燃焼。私のこころまでが不完全燃焼。

 

 これだと雨は見えないけれど、しとしとと雨は降り続いている。

 

 17時から夕食のお弁当をいただいて・・・。

 

 興正学会が18時から開かれた。みなさんの研究熱心には驚くやら励まされるやら。昨年はここで法然上人についての発表を行ったが、来年もまた発表しようか。

  

 今日の掲示板はこれ。「人と人との関係は歯車だ こちらも合わせないと回らないよ」という、荒了寛さんのことばから。最近はなかなかに歯車のようにかみ合う人間関係が少なくなってきた。回っていると思うと空回り・・・。回らないと思うと、複雑すぎる歯車の組み合わせ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、合えるといいね。

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ブラシの木 剪った鋏を 持たされる

2016年05月25日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降る所があるらしい。気温は19.0度から25.0度、湿度は94%から84%、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の26日は、引き続き、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼過ぎから雨が降る見込みらしい。(tenki.jpより)

 

 今日は朝から蒸しっとする空気が流れていた。迷犬ごんはサルの気配がするのか、道路上にサルの排泄物が落ちているのを嫌ってか、散歩をやめてスタスタと帰って行って縁の下に隠れてしまっていた。全く困った迷犬であることか。

 

 小雨もパラパラとしていたので、涼しいうちにお勉強。納め札に書かれた「四文字熟語」を整理している。

 

 今日は珍しい言葉を見つけた。普通は、「天地長久」と書くところを、「天長地久」としてある。意味は、天地の存在は永遠であること。天地が永久であるように、物事がいつまでも続くことのたとえ。▽「天(てん)は長(なが)く 地(ち)は久(ひさ)し」と訓読するらしい。ちゃんと「老子」という書物にあるらしい。それに、「天下泰平・国家安全」と普通は書くが、ここでは「国家泰平」とまとめてしまっている。何でもいいのだとは思うが、見慣れない文字に出会ってしまったことである。

 

 こうして、二台のパソコンを操作していると、マウスを取り違えてクリックしたり、カーソルが動かないと思えば違うマススをしきりに動かしていたりする。これは加齢でもなければ認知症でもない。ただの誤操作に過ぎない。

 

 そういうのにもすぐ飽きて、集落内一周の散歩をしてきたが、タケノコやワラビの時期も終わって、ただ歩くだけではつまらなくなってきた。

 

 「キムラは「気斑(キ・ムラ)だ」と中学校の時に言われたことがあるが、まさにその通り。なんでもかんでもすぐに飽きるのだ。ということで、今日は「さぬき市志度」にある「さぬき市立図書館」へやってきた。

 

 平日の図書館は静寂そのもの。館内には数人のお客さんしかいない。それも、毎日、新聞を読みに来る常連さんばかりみたいだ。ここで、「遍路墓」に関する本を探してみたが、さすがにここにはそんなものはない。

 

 で、今回はこんな本を借りてきた。今度の日曜日(29日)に京都の仏師さんの工房訪問を予定している。で、事前に仏像はどうやって作るのかを予習しておこうかと思って。

 

 ま、そんな大げさなものではないけれど。

 

 一昨年だかに、こういう「わらべ地蔵」を彫ったことがある。昨年は写真班ということで、地蔵を彫る会員さんの写真を撮っていて、彫像には参加しなかったのだが。

 

 そのときの先生の工房を訪ねるということになっているらしい。私は今回も取材ということで連れて行ってもらうことになっている。ま、「枯れ木も山のにぎわい」ということでもある。

 

 お昼からは蒸し暑くなってきた。何度もエアコンの電源を入れてみるが、室内機は動くのだが、室外機のファンが回らない。来週の月曜日までの辛抱だ。

 

 昨日の「遍路道」の「自炊」は終わったので、今日は「大川町」という、私の住んでいる町の住宅地図を「自吸い」していた。ところが、この地図は私が若い頃に使っていた物だから古い地図で、24年前の1992年印刷の物。だから世帯主の名前が古くて、もう、いない人が半分以上・・・。四分の一世紀でこんなにも変わってしまうものなんか・・・。

 

 これを電子的に修正しておこうか・・という思いつきで始めたもの。この地図が来年からは重要なツールになる筈だ。

 

 今日の掲示板はこれ。「一人でいると孤独感 二人でいると劣等感 三人でいると疎外感」といもの。この言葉、2014年5月末ごろからツイッターで1万数千もの人の「お気に入り」になった言葉で、Tシャツにもなった言葉であるが、この作者がいまだにわからないという。同ツイートは、投稿から4日目となる5月27日16時時点で約1万7600回リツイートされる人気となっており、この“名言”に対する反応も多数。ツイッター上には、「どえらいマイナス思考の人やなぁ~」「ネガティブまっしぐら…」「救いは無いんですかっ…!?」「わかり過ぎる位わかる。孤独感は無いけど」「いいなこれ。どうしたって結局悩むんだから、観念しろという意味だと思う」「私は一人でいると自由!二人でいると親密感、三人でいると連帯感(あるいは多様性)かも」などと反応はさまざま・・・。いろんな意味で、この言葉は多くの人の心に突き刺さっているようだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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黄水仙 ねぼけまなこに 沁みる色

2016年02月13日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、午後からは雨が降っている。気温は9度から18度、湿度は90%から64%、1mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の14日は、湿った空気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 春を通り超して夏が来たような一日になった。天気予報は雨だったのに、よく晴れたなぁとは思ったのだが、布団を干そう・・という気にはならなかった。布団を干していたら大慌てしたんだろう・・・。

 

 今日は珍しく奥方のけいこばぁが一日、居る日。明日の母の四回忌の準備のためだそうだ。奥方は、明日は、ケアマネの研修で一日不在なので、食事の支度なんぞをやっている。だから、私も今日は出かけられない。

 

 ふと、気がついて、この展示用の和綴じ資料を、もう、一冊、作ってみた。下側の本が本物の本である。本物というのは、両面印刷の正式の和綴じの本である。

 

 一方、こちらは展示用だから、俵札を調査している部分を、カラー印刷してみた。カラー印刷だから少し上等の用紙を使った。これで、見開き二ページ用を二ページ分だけ、印刷した。

 

 ほかのページは印刷ミスとかの廃棄用紙を使っている。これで、展示するページだけがカラーで、本物らしく作ってある。先日の展示用資料の中には、展示ページだけ印刷してあった。その真似をしてみたという訳だ。

 

 で、もう一つの資料の主題論文の中に、データや数値やグラフを挿入していく作業をやっていた。文章だけではうんざりしそうになるので、適宜にグラフや画像を入れるみたいなものだ。

 

 文章や数字の羅列では理解できないことも、画像やデータやグラフだとすぐにわかる筈だし。

 

  ま、こんなものだ。これも、こういうページだけをカラー印刷にして展示できるようにしておく。

 

 お昼からは雨が降り出してきた。と、思う間もなく本降りになってきた。

 

 今日の迷犬ごんの散歩は取りやめだ。犬も犬小屋で雨を嫌って昼寝の最中。

 

 今日の掲示板はこれ。「眼を開けば どこにでも教えはある」というもの。同じく道を求めても、先にさとる者もあれば、後にさとる者もある。だから他人が道を得たのを見て、自分がまだ道を 得ていないことを悲しむには及ばない。眼を開けば、どこにでも教えはある。同様に、さとりへの機縁も、どこにでも現われている。香をたいて香気の流れたと きに、その香気の、あるのでもなく、ないのでもなく、行くのでもなく、来るのでもないさまを知って、さとりに入った人もある。道を歩いて足に棘を立て、疼 きの中から、疼きを覚えるのは、もともと定まった心があるのではなく、縁に触れていろいろの心となるのであって、一つの心も、乱せば醜い煩悩となり、おさ めれば美しいさとりとなることを知って、さとりに入った人もある。「心を平らにせよ。心が平らになれば、世界の大地もみなことごとく平らになる。」という 教えを聞いて、この世の差別は心の見方によるものであると考えて、さとりに入った人もある。まことにさとりの縁には限りがない。(仏教聖典・夜の部より)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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黄水仙 やることばかりが多すぎる

2016年02月11日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は0.4度から10度、湿度は82%から56%、風は1mから2mの東の風が少しばかり。寒くない一日になった。明日の12日は、はじめ高気圧に覆われて晴れるらしいが、気圧の谷の接近で、昼前から雲が広がる見込みらしい。

 

 さて、昨夜から、私のブログの中から「俵札」に関する記事を抜き出して、不要な部分を切り落として、編集する作業に入っていた。つまり、私の日記帳の中から、納め札に関する情報を抽出して本にする作業をやっている訳である。

 

 つまり、俵札調査の「ドキュメント」をまとめて、資料として展示しようかと考えた訳だ。納め札ばかりを40枚も50枚も並べてもなぁ・・と考えたからだった。会長が、「そんなもん、いらん・・」と言えば仕方ないのだけれど。

 

 9時前になって、奥方が「お買い物に行くよ」と言うので渋々、付いていった。まぁ、運転手と言う訳だ。重い荷物なんぞを運ばせる役目でもあるらしい。

 

 ついでに、自分の会社のお買い物もやっている・・・・。仏壇用のお花とか、灯油とかも買ったりしながら・・・。

 

 午後からは、いよいよ、製本作業・・・。右の片面印刷の原稿を、左のように「両面印刷」にして、前書きやら目次やら、後書きやら奥書やらをそれらしくつけて製本準備。

 

 和紙で表紙を作る。和紙の中にA4用紙を挟むようにして入れて、周囲を折り曲げてのり付けして表紙を二枚作る。

 

 で、印刷をした用紙を挟んで、たこ糸と針で和綴じにして製本する。

 

 「題箋」を印刷して貼り付けて完成・・・。

 

 片面印刷の「原稿」も、カラー表紙をつけて製本して、これも参考資料で展示してもいい。これは奥行きに立てかけてもいいし。

 

 展示用の「銘板」も自作した。なかなかにいいじゃないかと、自画自賛。

 

 調査一覧表やデータを整理したもの、主題論文や集計グラフなどをまとめた「調査集計報告書」も展示資料として用意をした。あと、何があればいいかなぁと思案中・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「やりたいことがいっぱいあったのに、やれなかった人がいます。せいいっぱい生きたかったのに、生きられなかった命があります。命いっぱい 生きなければ・・・。」というもの。病気や災害や事故などで、突然にいのちをなくした人が大勢いる。東日本大震災では若い命がたくさん失われたし、先の大戦でも多くの若者たちが帰らない人 になってしまった。やりたいことがいっぱいあったのに、いっぱい生きたかったのに・・・。そんな人たちのことを考えると、うかつには生きていけないぞ。ぐ ずぐずしててはいけないぞと背中を押される想いがわき上がってくる。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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秋空を 見上げて 自動販売機

2015年11月04日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は10度から19度、湿度は81%から62%、風は1mから3mの南南西の風が少しばかり。もう、すっかりと冷たい風になってきた。明日の5日は、湿った空気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 恒例の火曜日の図書館通いの筈が、昨日はイベントがあったために図書館には行けずじまいだったので、水曜日の今日、図書館に行って来た。借りていた本を返却するためだが、またしても適当に本を借りてきたが、役に立つ情報は何もなかった。

 

 さて、今月の14日と21日の二回、「さぬき市・町ぶら探検隊」ということで、この津田の松原のご案内をする訳なのだが、メインは、平山郁夫先生の「写生の場所」と、板画家棟方志功先生の絶賛した松の木の二点と、石清水八幡神社の狛犬であるが、せっかくだから、「琴林公園」の元になった「琴林碑」も紹介しておかねば・・・ということを思いついた。

 

 これがその「琴林碑」である。ここに、「東讃津田村の安芸栄柱の子、栄尚が皆川淇園の元にきて、『私の村の南方に八幡神社があるのですが、その東に長さ三里も続いた松原があるのです。前は海に臨んでその松の数は無慮数千株、どれもこれも皆珍しい形をしていて、おまけに白砂緑陰、それこそどんな絵もかなわないほどでございます。清風がこれに入れば琴を奏でるのにも似ています。それで琴林という名がついています・・・。』というようなことが刻んである。

 

 これが、その解説看板であるが、「ここは田舎だから有名になれないので、先生の筆でなんとかしてください」と言うてきたので、これを書きとめておくことにしよう・・・ということを書いてあるだけの碑なのであるが、私が気になったのは、「安芸栄柱」という名前であった。

 

 で、「安芸栄柱」をググッていたら・・・こんな人が出てきた。安芸栄柱の子孫であるという「安芸育子」さんというお方。この方が「先祖捜し」をしていたら、「我が祖 写楽」に行き当たったというのである。つまり、「東洲斎写楽」は、「安芸幸四郎栄柱」であった・・・というのである。

 

 で、早速にamazon.comで、中古本を探して350円で買った。すると、この本の発行に、おへんろつかさの会の堀尾さんがからんでいるということが分かったのだ。

 

 で、昨日の88ウォークの後の大窪寺ガイド・ボランティアで一緒になったので、そのあたりを聞いてきた。

 

 で、ここが、その安芸栄柱さんの墓所である。まさしく、本の中に写っているお墓と同じものである。

 

 下の方は表面が剥がれてきているが、まさしく、中央に栄柱さんの戒名が刻まれ、両方に女性の名前が刻まれている。向かって左が奥さんの名前で、もう一人は・・・・聞いたけれど忘れたが、三角関係になった女性らしい。でも、そういう人の名前を刻むものだろうか・・・。

 

 なにせ、分厚い本だからなかなかに読み進むことができないでいる。

 

 とにかく、この東洲斎写楽という人は謎だらけらしい。一説では阿波の徳島の能役者・斎藤十郎兵衛というらしい話しもあるが、さらに「安芸豊蔵」という名の人物が挙がっている。その父というのが四国高松・松平藩の御用回船問屋である板屋江戸店の主人、安芸栄柱。豪商である。というのである。

 

 とにかく、板屋「安芸幸四郎栄柱」は海運業で儲けた大金持ちで、千両箱を高野山へどんどんと運んだり、大阪あたりでもふんだんに投資をしていたらしい。ところが明治になると、ばったりと閉塞してしまって姿を消してしまうというのである。

 

 うむ、14日までには、この話をなんとかまとめておかなければ。

 

 今日の掲示板はこれ。「世の中の大事なことって たいてい面倒くさい」という宮崎駿さんの言葉からである。プロフェッショナル 仕事の流儀 宮崎駿スペシャル「風立ちぬ1000日の記録  において、宮崎駿さんが作業しながら話していた言葉に多くの方々が共 感、感動したようだ。その言葉とは「大事なことって たいてい面倒くさい」 NHKはその言葉をクローズアップし、多くの方々に共感を与えたらしい。逆に 言えば、「世の中のどうでもいいことって、たいていが簡単すぎる」。そりゃぁ、そうだ。納得だ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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いわし雲 魚嫌いの 峰がある

2015年10月25日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は16度から22度、湿度は72%から44%、風は2mから5mの北北西の風が少しばかり。明日の26日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今日は秋晴れのいい天気になったが、少しばかり休養と言うことでわが家でのんびりとしていた。ところが、貧乏性というのか、少しもじっとしていられない性分だからあれこれと手仕事を少しばかり・・・。

 

 県立図書館で借りてきたこの本を少しばかり読み込んでいたらば・・・。

 

 2005年のアンケート調査の結果であるが、四国遍路の宗派別の数字である。ここで「真宗」が二位を占めていることに着目した。

 

 これもその頃のものだが、同じような並びになっている。

 

 これは「西国33観音霊場」の巡拝者数だが、ここでは「真宗」がトップにいる。数字だけを眺めていると、そんなにも気にはならないのだが、こうしてグラフ化して並べてみると、意外な姿が見えてくる。

 

 これは、四国霊場会公認先達さんへのアンケート調査からのデータであるが、ここでも「真宗」の方がお先達さんになっていて、その数が二割にも達している。

 

 この方は「おへんろつかさの会」の専属大先達の櫻谷さんで、この方の指導で、先達を目指している人が何人かいるが、その中のお二人も真宗の方だそうだ。ま、ご趣味といえばご趣味かもしれないのだが・・・。ちなみに全国の宗派別の信者さんの数をしらべてみると・・・。

 

 やはり、同じような姿が見えてくる。ということは、四国のお遍路さんに見る真宗の門徒さんの数は全国の仏教者の姿をそのまんま投影しているということになりそうだ。

 

 そういうことで、こういう白衣も売っているのだが、こういう白衣や笈摺(おいずる)を着ているお遍路さんは見かけたことがない。「白衣」は袖のあるもの。「笈摺」は袖無しのもの。

 

 これは集印用の白衣で、

 

 こういう、納経用のお軸まで用意されているのは納得できる。ただ、納経帳は霊場会指定のようで真宗用は見かけたことがない。

 

 ということで、午後からは宿題となっていた、「古川阪次郎さんと山口嘉次郎さん」について資料を見つけ出してきて整理をした。11月7日の「歴史研究会」用の講演用資料も整理できた。島の文化祭「ふれ愛まつり」の準備もできたし・・・。あとは11月を待つばかり。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きていれば立ち止まることもある そんなときは進みすぎたと思えばいい」という植西聰さんの言葉から。植西聰(うえにし あきら、1947年-)は、東京都出身の日本の著述家、産業カウンセラー、心理カウンセラー。学習院大学卒業後、資生堂に就職。退職後、心理学・東洋思想・ニューソートなどに基づいた人生論の研究に従事する。1986年、研究成果を体系化した「成心学」理論を確立した。1995年、「産業カウンセラー」(労働大臣認定)を取得する。著書多数。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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秋の雲 手持ちぶさたの 昼下がり

2015年10月13日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は14度から21度、湿度は71%から47%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の14日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今朝の朝食はこんなもの。丸い物はミニいちじく。で、火曜日はいつものルーティン・ワーク。

 

 さぬき市前山地区にある「おへんろ交流サロン」である。今日も数人の歩き遍路の方が休憩されていた。歩き遍路には歩きやすい季節になったようで、団らんする会話の調子も元気で弾んでいた。

 

 この三連休中は、10日の日にはここで、「おへんろつかさ養成講座三回目」が行われ、さぬき市内の、仏像の見方研修会が行われ、香川県立ミュージアム学芸員の三好賢子先生の講義を受けた。また、11日は有志たちによって、小豆島霊場巡拝会が行われ、昨日の12日は高松短大のお接待が行われ、お遍路大使3万人突破があった。そして、今日は恒例の「俵札・納め札調査」の日と、四連チャンの会員さんもいたようである。

 

 私たちの作業は分類する係、ファイルする係、読み取り解析する係などに別れて作業する。根気の要る作業を、それでも雑談を交えて楽しくやっている。

 

 私は、なぜ、こんなことを始めたのか、これをどうするのか・・・と言った詳しいことは知らない。ただ、パソコンが堪能な方を・・・というのでやってきて、収集されたデータを黙々とパソコンに入力しているだけ。

 

 今日は相棒の中島先生がお休みしたので、二台のノートPCを操作して、右のPCで画像を開いて読み取り、左のPCのエクセルシートにデータを投入していく作業を繰り返していた。案外と簡単なようだが、数が多いと首筋が痛くなってくる。こういうことは現役の頃はザラで、多くの同僚は三台のPCを操作するのが当たり前だったが、老化が進んだのか、ちと、しんどい作業になってきた。

 

 でも、「慣れ」というのはすごいもので、明治時代の人が書いた筆文字が読めるようになってきた。ま、これらの納め札では、住所と名前と年代が主な物だから、前後の関係で読めるようにはなるものらしい。

 

 ということで、今日は一人だから、二時間半で、150件のデータ投入しかできなかったが、ま、ノルマがあるわけでもないので多くても少なくてもたいしたことではない。

 

 で、11時半から12時までは反省会というか意見交換会というか・・・。お茶を飲んでお菓子を食べての情報交換会。私は幾つかの宿題を頂いて、「おへんろつかさの会」のホームページの更新を依頼された。

 

 これが、11月中旬に行われる「彫像会」のパンフレットである。京都の仏師さんをお招きして、「わらべ地蔵」というお地蔵さんを彫る体験講座である。昨年に、私もこれを体験したが、思うようには彫れないものだ。やはり、センスというものが必要らしい。「鉛筆を削れる方ならば誰でもOK」とはいうものの、なんでもいいならば彫れるけれど、やはり、お地蔵さんともなれば、そうはいかない。

 

 で、こういうスケジュール表ほかを修正して更新をかけた。

 

 で、今月の24日には、四国霊場88番札所大窪寺での「臨地研修」ということで、第四回目の養成講座がある。今月の予定も粛々と進んでいるらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「教えてもらったものは忘れる。自分で盗んだものは忘れない」という小野二郎さんの言葉から。小野さんは7歳で地元の料理店に奉公に出た。その後、東京で修業。昭和26年(1951)に鮨職人となる。昭和40年(1965)に独立して、銀座の現在地にすきやばし次郎を開店した。 70歳で心筋梗塞を患って以降、禁煙している。手の保護のため、外出時は必ず手袋をはめているそうだ。寿司職人に限らず、サラリーマンでも農家でも主婦でもおなじこと。教えてもらったことはすぐに忘れる。学校で習ったことも忘れてしまう。でも、自分が苦労して体験して身につけたものは忘れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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盆の墓 大きな仕事を 残しつつ

2015年08月12日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は対馬海峡付近にある前線を伴った低気圧の影響で雲が広がり、雨が降っていた。今日の香川県は、低気圧や前線の影響で雲が広がり、雨が降りやすい天候になった。気温は24度から29度、湿度は81%から88%、風は2mから1mの南南西の風が少しばかり。明日の13日は、引き続き低気圧や前線の影響で雲が広がり、朝を中心に雨が降る見込みらしい。

 

 朝の涼しい間にお墓の掃除をしてきた。でも、どこからか人間様の臭いをかぎつけて、アブやブヨが攻撃してくるので早々に作業を切り上げた。どうにも、こういう虫たちには弱いのだ。

 

 来月末にも、東かがわ市で講演会があるので、その取材を兼ねて、徳島県板野郡上板町にある「岡田製糖所」にやってきた。言い伝えでは旅の修行僧が立ち寄ったとき、九州において同じような土質で砂糖黍が栽培されていた事を土地の者に伝え、それを知った丸山徳弥(後年、丸山姓をもらう)と言う若者が単身日向の国に赴き、砂糖黍の苗と製法を修得して帰って来て、この地に砂糖黍栽培の礎を築いたと言われている。

 

 だから、讃岐の和三盆糖と、この阿波和三盆糖とは、全く別の発端から始まり、全く異なった歴史を持っていて、全く関連のない和三盆糖であることがわかる。ここは、岡田製糖所の資料館である。

 

 当時作られていたのは白下糖であり、これだと簡単な設備で製造できた。やがて白下糖を精製して白い砂糖を作り出す技術があみ出され、和三盆糖の製造が始まることとなった。世界にも例をみない、水で研ぐという和三盆糖精製の方法は、どのようにして発見されたかは良くわかっていない。「昔、樽に入れた白下糖を運ぶおり、過って川に落としたものを引き上げたところ、上部が水で洗われて白くなっていた。」と言う話も有るのだが、物語としておくべきかも知れない。石の重石を架けて、てこの原理で糖蜜を絞り出す「押し舟」と言う方法は、明らかに当時の酒屋の糟絞りを流用したものと思われる。

 

 ここには、明治から大正、昭和までのさまざまな機械類が展示されている。省力化、生産性の向上のために、いろいろと工夫した様子が見て取れる。

 

 すぐ近くにあった、「上板町立歴史民俗資料館」にも寄ってみた。ここは210円の入館料が必要だった。

 

 町立の資料館ということで、町内外の雑多な資料が所狭しと並べられている。ここは、男性職員が直々に案内をしてくれて説明までしてくれた。この一番奥に、砂糖に関する資料が展示されていた。

 

 これがサトウキビを絞る「締め機」であるが、讃岐の物とは石材が違うが、構造や洋式はまるきり同じもの。道具もほぼ同じものが使われていたが、讃岐との交流なんぞは微塵もなかった。

 

 これらの野道具の多さには驚いた。とにかく、なんでもかんでも投げ込んである・・・という感じ。

 

 新しいお客さんがやってきたので、交代して私は資料館を出た。そして、今度は大坂峠を越えて香川県東かがわ市に戻って来て、「東かがわ市歴史民俗資料館」を訪ねた。

 

 ここにも若干の製糖器具が保管されていたが、民具や漁具の方が目立っていた。

 

 これで見ると、讃岐の「白砂糖」がダントツであることがわかる。薩摩の特産品であった砂糖は「黒砂糖」だったのか・・・。そして、阿波の和三盆糖も高順位につけている。

 

  この三連式の締め機は、久米通賢が改良したものだと言われている。

 

 この砂糖締め機(圧搾機)は、簡易締め小屋や、こうした「常小屋」に据え置かれていた。

 

 これは、平賀源内が紹介した中国の圧搾機である。最初はこれをコピーして使っていたらしい。で、圧搾胴は、木製であったらしい。これを、久米通賢が讃岐の庵治石に替えて効率化を図ったという。

 

 これは、大坂に送られた全国からの砂糖の流通量である。ここでもダントツで讃岐高松が多い。これで、讃岐三白のうちの、讃岐二白(砂糖・塩)が讃岐高松藩の特産品であったことが伺い知れる。あと一つは讃岐丸亀藩からの「綿」であった。

 

 今日の掲示板はこれ。「わたしでは役に立たぬとなげきつも お礼を申す大仕事あり」というもの。 私たちは親の愛情や苦労を当たり前のことと思ってばかりではないだろうか。一生懸命働く親の姿に目が向かず、お礼申すことを忘れ、自分のことばかりに目が向いていることが多々あるというもの。 親はそんな子供の姿に関係なく、子供のために一生懸命なのである。朝から晩まで働きづめの親であったのだ。お盆に入ってみて、あらためて生前の母を思い出してみると、私は母の休んでいる姿を見たとこがないように思う。私たち子供のために、朝早くから夜遅くまで一生懸命に働く母の姿ばかりが思い出て来る。一生懸命働いた母にありがとうとお礼を言ったことは一度もなかった。その、お礼を申すという大仕事が残っている・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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