まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

あるがまま 暮れて自然の 弥生尽

2015年03月31日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は瀬戸内側では高気圧に覆われて晴れているが、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夜は雨の降る所があるらしい。気温は6度から20度、湿度は90%から65%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の4月1日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、朝までは雨が降る見込みなんだとか。

 

 今日、火曜日は恒例の「香川県立図書館」へ本の返却の日。こんないい天気の日に、わが家に籠もっているのはもったいないというもの。

 

 説教の秘訣ほかのスキャニングが終わったので返却に来て、またもや法然上人や親鸞聖人の本を5冊ほど借りることにした。

 

 4月からは少し本気で法然上人や親鸞聖人のお勉強もしないといけないなぁということで。

 

 これまた、恒例になった「仏生山法然寺」。私の目がおかしいのか、カメラの構え方が悪いのか、はたまた、カメラの位置が悪いのか、この五重塔が傾いて写る。五重塔が傾いているはずはないのだからして。でも、後ろの三仏堂は、そのままに写っている。

 

 そうそう、仏生山公園の桜の開花状況を見に来たのだけれど、ここも四分から五分というところだろうか。

 

 昨日の今日だから、どんなものだろうかと、「亀鶴(きかく)公園」にやって来たら・・・。

 

 一気に開花して、七分咲きと言うところだろうか。今日はうんと人出が多くて、早くも座布団やお弁当持参の人がいる。たこ焼き屋さんなどの露店も店開きしている。

 

 今日は一気に開花した・・・という状況。昨日が昨日だけに・・・。

 

 あっと驚く為五郎・・・。

 

 明日からは雨になるらしいので、今日が一番いい日になるかも知れない。今週の土日も曇りのち雨だって言うじゃない。

 

 ということで、「けいこばぁ農園」の獣畜害防止ネットの裾留め作業の続きをやっておく。

 

 すると、畑にワラビが・・・。前の旧宅も山の中だったが、屋敷内にワラビが生えるということはなかった。タケノコが台所に生えてきたことはあったのだけれど。

 

 一気に、周囲を電気柵で囲む予定だったのだが、暑くて暑くてたまらずに休憩したらやる気がなくなって、来週にでも・・・ということにした。今日は一気に20度を超えたもの。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間の一生って短いもんですよ。だからこそ自分で選んだ道は一途に進め」という桂歌丸さんの言葉から。「私はいまでも最低一日一回は稽古します。他の用事がない日は、お昼の12時半から夕方の5~6時までは稽古の時間と決めているんです。その間、自分の部屋へ籠(こも)っちゃう。カミさんに言いうんです。「いても、いないよ」と。電話が掛かってきても、「いません」って断ってもらう。稽古の最中に電話を取り次がれたりなんかしたら稽古にならないですからね。人間の人生っていうのは短いもんですよ。だからこそ自分で選んだ道は一途(いちず)に進めと。それ以外には何にもないな。ですから、ただただ落語をやるよりしょうがない。」 『月刊致知 2014年4月号』致知出版社

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


咲く桜 部屋の掃除を 考える

2015年03月30日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は7度から19度、湿度は96%から50%、風は3mから1mの南南西の風が少しばかり。昨日とは一転して初夏のような季候になった。明日の31日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 桜の名所の一つ、「香川県立・亀鶴公園」をのぞいてきた。県立亀鶴公園は、東讃きっての桜の名所。西方に鶴の飛ぶ姿を形どっている”鶴が山”があり、また宇佐神社境内には碑の石だん・万葉の庭などがある。その濃い緑の中に宇佐神社が鎮座している。鶴が山の東方には、紺青の水をたたえた広大な宮池があり、池の中央には亀島が浮かんでいる。とりわけ桜が見事なのは、この亀島と神社を結ぶ幅20m、長さ約300mの長堤。両側に桜の大樹が立ち並んで”花のトンネル”をなし、それが水面に映える様はまさに絶景だ。また、さくら橋がライトアップされ、春の宵のそぞろ歩きが人々の心をなごませる。

 

 その桜も今は三分咲き程度。まだ、お花見には少しばかり早い。今週半ばから週末あたりには賑わうだろうか。

 

 さぬき市長尾から前山ダムを経由して88番札所大窪寺を経由して帰って来たが、山ではヤマザクラが白く浮かび上がり、農家の庭先にはハクモクレンやレンギョウなどが満開状態。

 

 一旦、わが家に戻り、今度はお弁当を持って、県営大川ダムにやってきた。桜の開花状況はどんなだろうかとデジイチを提げて歩いてきた。

 

 この桜は花びらが白いが、三分から四分咲きだろうか。

 

 ソメイヨシノは二分から三分先程度。この桜は、蕾から数本の花びらが飛び出す仕組みらしい。でも、この花に実がなっているのは見たことがない。何のための花なんだろうか。

 

 ということで、ここでお弁当にした。

 

 ここでのお花見一号は私かも知れない。あたりには誰もいない。ここも一時は大勢の花見客であふれた時期もあったが、飲酒運転がやかましく言われるようになると火の気が消えたように誰も来なくなった。

 

 ここの桜を独り占め。

 

 この後、ダム一周のウォーキングをしながら帰宅した。帰りにはさすがに汗が少しばかり流れて落ちた。今日はワラビ採りやツクシ摘みの人は見かけなかった。

  

 テレビやラジオは、今日からが新年度になるらしい。ニュースなどの担当アナウンサーも番組も新編成、新人事での放送になっていた。気が付けば明日で3月もおしまいになって、あさってからは本当の新年度になる。

 

 ということで、県立図書館で借りてきた本のうち、説教の秘訣ほかのスキャニングを完了して、明日には返却をする準備を慌ただしくやっていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「咲くときに 散るも覚悟の桜かな」というもの。いよいよこれからが桜の時期になるのだろうが、桜に限らず、花は咲いて散るのがお仕事。「咲いた花なら散るのは覚悟・・・」という歌もあったが、生まれたものは死んでいくように、咲いた桜もまた、散って行くのがさだめというもの。私たちに「命の尊さ」、「今を大切に」と教えてくれているような言葉である。

 昭和20年3月21日
陽光うららかな日 美しく立派に散るぞ
そう言って 一番機に向かう友の胸に
俺は まだつぼみだった桜の一枝を 飾って贈った
明日は俺の番だ
死ぬ時が別々になってしまったが
靖国神社で逢える
その時は きっと 桜の花も満開だろう

 というセリフを思い出させるような、今日の掲示板であった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


白木蓮 手放してもいい 今日明日

2015年03月29日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で、終日曇っていて小雨の降る一日だった。気温は6度から13度、湿度は78%から92%、風は2mから4mの北東の風が少しばかり。明日の30日は高気圧の覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今日は神戸のおじいさん(けいこばぁのお父さん)の七回忌法要だというので、午前5時起きの5時半出発。屋島の娘の家に寄って、娘家族3人と私たち2人の五人が神戸目指して高松自動車道に乗って走る。

 

 鳴門海峡を渡って淡路島に向かう。小雨が止んだり降ったり・・・。

 

 淡路島を南から北へひた走る。7時から8時あたり。途中でトイレ休憩も含む。

 

 サービスエリアの桜も曇りでは色がさえない。9時にJR垂水駅で娘婿を出迎えて、その後、名谷でよしつぐさん家族3人と合流して、けいこばぁの実家に向かう。9時半過ぎのことだった。

 

 11時からの法要だったが、15分、前倒しで読経が始まった。余宗のお作法は知らないのだが、この尼さん、式衣も五条袈裟も着けない。普段着でのお勤めである。この方は若い頃から、お勤めに来るのだが、いつもこのスタイル。

 

 お昼は「餃子の王将」でのおときになった。

 

 法要が終わってから、自宅あるいはお寺の一室、またはレストラン、料理屋などで、僧侶・参会者に食事をふるまわれる。これをお斎(おとき)と呼んでいる。お斎は忌日法要・年忌法要のいずれもふるまうことが多い。ふつう、お斎は精進料理がよいとされているが、いまは別にこだわることはなくなってきている。

 

 ま、土地それぞれの味があり、家庭家庭の思惑もあるし、「正客」であるお坊さんを招かないところも多くなった。時代の流れだなぁと感じることが多い。

 

 こちらにはわが家のメンバーが並んだ。右の男の子が神戸のたつや君。今年、高校生になる。はやて君と一緒にサンフランシスコに行った子である。

 

 こちらはお施主さん側。総勢で15人。ま、七回忌ほどになると人数も少なくなってくる。

 

 お食事のあと、女性陣はお買い物に出かけ、私たち男性陣は二次会をしながら女性陣を待つ。

 

 娘はお肉をどっさりと買い込んでいた。とかく、女性はお買い物が好きみたい。

 

 16時過ぎに神戸を出て、18時前にわが家に着いた。娘家族はそのまま屋島へと帰って行った。法要には行ったのだけれど、なんだか、行楽に行って来た・・・という印象だけが残ったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「弱いから強くなれる 持っていないから何でも持てる」という城たいがさんの言葉から。コップの水が一杯の状態であれば幾ら水をいれてもこぼれてしまうように、頭の中が思い込みで一杯であれば幾ら教えても身につかない。何も持っていないから、何もないからと卑屈になるのではなく、何もないから一杯詰める事が出来る、と考えると元気になる。私も要らない物がたくさん持ちすぎているかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


雪柳 今日もあたふた 日が暮れる

2015年03月28日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、夜は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がるらしい。気温は8度から19度、湿度は76%から58%と初夏の陽気。風は2mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の29日は、低気圧が四国の南海上を東に進むため、朝から昼過ぎにかけて雨が降る見込みらしい。

 

 あちらこちらで桜の花が開きだしてきた。

 

 さて、昨日の続きで、野菜畑の補修作業。これは「パッカー」というもので、この黒いポールと緑のネットを挟み込んでグリップするもの。このネットは2009年8月に建てたもので、6年もすれば外れて落ちる。そのネットの裾からサルが入り込んでいたらしい。

 

 だから、ネットの裾に、このパッカーを挟み込んで、なおかつ、鉄線で縛り付けて外れないようにした。

 

 ネットの裾は少し掘り込んで、ネットを垂らし、その上から土をかぶせて、サルが入れないようにもした。

 

 ポールの上部には、「忍び返し」を取り付けて、サルやイノシシが飛び込まないようにした。

 

 来週には、元通りに「電気柵」を周囲に張り巡らすことにする。とにかく、急に暑くなって、半日でギブアップ。

 

 昨夜から孫のはやて君がやってきているもので、二人で、ここに行った。さぬき市長尾東にある「うどん亭いわせ」という一般店である。

 

 今日は暑かったから・・・ということで、「野菜天ぶっかけ冷や」を注文した。580円。ずいぶんとお高くなったものだ。はやて君はきつねうどんを注文した。

 

 ここは一般店だから、うどんの量が多い。でも、麺の量が減ったねぇ・・というくらい、二人ともあっという間に食べてしまった。おいしさはわからないが、一気に食べてしまったという感じだった。この看板、営業時間は午前10時30分から20時までという意味である。

 

 その後、夕食の食材を買うついでに、ホームセンターに寄ってきた。ヒメダカ20匹とホテイ草5株を買った。

 

 越冬していたメダカが3匹。これではさみしいだろうと、20匹を追加してみた。

 

 これでロータス・ポンドも賑やかになった。しばらくは、このメダカで楽しめる。

 

 昨日、一昨日のウォーキングと、昨日、今日の畑仕事で、今日はいささか筋肉痛・・・。今夜は19時から自治会の総会があるので、早めにお風呂の支度やら迷犬ごんの散歩やらと慌ただしくなってきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「丁寧に生きれば、きっとどこかにつながる。心を込めた仕事をすればきっと結果が出る」という佐々木志穂美さんの言葉から。

 『疲れたり傷ついたりしたら、

 「丁寧に生きれば、 きっとどこかにつながる。 心を込めた仕事をすれば きっと結果が出る」 

 と呪文のように心でつぶやくんです。』

  三人の男の子に恵まれた佐々木志穂美さん。 しかし、長男は脳障害、二男は知的障害のない高機能自閉症、そして三男は知的障害を伴う自閉症であった。佐々木さんは当初、この現実を受け入れられず、両親の庇護のもと、辛いことや悲しいことから守られていた過去に戻れないか、と考えていたという。

 しかし、いつの頃からか、自分の中の親の分量が、子の分量を超え、帰りたい場所はここにしかないと覚悟が決まり、もうこの子たちが普通の子だったら、とは考えなくなったそうだ。

 「何もないように見える一日も
  どこかに続く大切な一日なのです。
  そう思えるようになったのは、子どもたちのお陰です。
  うちの子の成長がスローモーションだから、
  いろんなものが見えていると思うのです」

 「人生に対する動体視力の弱い私たちには、
  ゆっくりのほうが
  幸せもよく見えていいんだと思っています。

 (中略)

  私は子育てを通じて、
  幸せに気づく力を与えられました」

 佐々木さんの言葉は、私たちが先を急ぐあまり、たくさんのかけがえのないものを見過ごしていることを気づかせてくれる。二度とない一日一日を慈しみ、大切に生きることで、豊かな人生を築いてゆきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


花寒の 畑に手を振る 人がいる

2015年03月27日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は3度から18度、湿度は80%から55%、風は3mから2mの北東の風が少しばかり。明日の28日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がる見込みらしい。

 

 「毎日毎日、パソコンばかりいじっているから脂肪肝になるんよ・・。有酸素運動をしなさい。」と言われたので、畑仕事でもやるかなぁと・・・と思ったのだが、朝方は空気が冷たいので、朝の散歩はここになった。

 

 町内にある「みろく自然公園」という公園である。右上にあるサッカー場でも子供たちがサッカーの練習をしていた。それを見ながら「みろく奥池」の周囲をぐるりと一周してきた。およそ2時間の散歩だった。

 

 日当たりのいいところではちらほらと桜が咲き出しているが、多くはまだ蕾状態。来週あたりが見頃だろうか。

 

 この池の周回コースは適当な運動になるものか、中年の夫婦が仲良く歩いているのが目立つ。

 

 ここの公園にはツバキの木が多い。もう、ツバキはおしまいの時期。

 

 家に戻るとお布団を干した。こんないい天気にはちょうどいい。

 

 気温も上がってきたので、この「ロータス・ポンド」のお掃除。梅の花びらが散ってすごいことになっている。ここにはメダカがいるので、慎重にゴミや花びらや水草を取り除きながら排水する。

 

 掃除ができたら、横の川からポンプアップした水を注水する。これにも一悶着あって。水中ポンプを起動しても水が上がらない。さては砂でも噛み込んだかなぁとポンプを引き上げて点検するがどうもない。よくよく考えたら、冬の間は、電源コードを抜いたままにしてあったのだ。電源コードをコンセントに差し込めば、ぐんぐんと水が上がって来る。

 

 こうして一応の掃除はできた。睡蓮が若葉を出して来るとすっきりとするのだけれど。

 

 お昼からは、この野菜畑の修理。このネットの裾をめくって猿が入り込むらしい。そこで、ネットの裾をしっかりと留めて、猿が入れないようにしたいのだが、その作業の前に、周囲に巡らせてある電気柵を一旦、撤去しないと邪魔になって入れない。これがまた、面倒な作業だった。

 

 電気柵を撤去するには植木が邪魔になるので、剪定をしながら、草を刈りながらの作業になった。すると、台風の影響なのか、ポールが4本ほど折れてブラブラしている。仕方が無いから旧宅まで走って行ってポールを持って帰ったりと、作業はどんどんと膨らんでいく。

 

 午後3時になったら作業終了。それからは犬の散歩、お風呂の準備、洗濯物やお布団の取り込み・・・と、いつものルーティン・ワーク。明日は曇りらしいが雨にはならないだろう。

 

 今日の掲示板はこれ。「困難に挫ける人もいれば 困難で成長する人もいる」というネルソン・マンデラさんの言葉から。「困難に挫ける人もいれば、 困難で成長する人もいる。挑戦を続け、最後の瞬間まで「希望」という武器を振りかざす」というのが元の言葉らしい。 若くして反アパルトヘイト運動に身を投じ、1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受ける。27年間に及ぶ獄中生活の後、1990年に釈放される。翌1991年にアフリカ民族会議(ANC)の議長に就任。デクラークと共にアパルトヘイト撤廃に尽力し、1993年にノーベル平和賞を受賞。1994年、南アフリカ初の全人種参加選挙を経て同国大統領に就任。民族和解・協調政策を進め、経済政策として復興開発計画(RDP)を実施した。1999年に行われた総選挙を機に政治家を引退した。(Wikipediaより)

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


やまつつじ 思い思いの 時が行く

2015年03月26日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は1度から12度、湿度は70%から37%、風は3mから1mの北東の風が少しばかり。明日の27日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

  

 いよいよ春らしくなってきた。こんな日にはわが家に引きこもっているのはもったいないということで、久々に散歩に出た。最初は足慣らしに集落内一周の30分コースの積もりだった。

 

 そうそう・・、そろそろ、ダムの桜も開く頃だわい・・・ということで、県営大川ダムにやってきた。わが家からは10分ほどの距離である。

 

 蕾は膨らんできているが、開花はもう少し。でも、明日、あさってあたりには開くみたい。

 

 ここまで来たのだから、上まで上がってみよう・・・ということで、この階段を昇って上がってみた。

 

 ここまで来たのだから、ついでに、この道も歩いてみよう・・・ということで、この保守用道路を歩き出した。

 

 つまり、わが家から南に進んで、大川ダムを一周して、わが家に戻るという、約6Km、1時間半コースになってしまった。

 

 このあたりでは「山つつじ」と呼んでいるのだが、山つつじにもいろんな種類があるみたい。花びらがネバネバ状態のものも山つつじと呼んでいたような気がする。

 

 ふと見ると、人がいる・・・。

 

 ヘラブナ釣りの人である。この人は一週間に5日ほど、ここで釣りをしている。ここの魚は食べることもできないと思うのだが、毎日、ここで糸を垂れている。

 

 つくしも出ているが、夫婦二人ではどうしようもないので眺めるだけにしておいた。もう、ワラビも出ているようで、中年の夫婦が何組もが草の中を歩き回っていた。

 

 今日は町内の「まるたけうどん」での昼食。本当のセルフのお店というのはめっきりと減った。多くはセルフといいながら、温めるのもトッピングするのも、お出汁を掛けるのもお店がやってくれる。ただ、店員さんがカウンターから出ない・・・というのが特徴みたい。

 

 今日はわかめうどんでさっぱりと。最近は天ぷらなどの油ものは苦手になった。おなかが小さくなったので、ご飯ものもはおなかに入らないし食べられない。

 

 今日の掲示板はこれ。「きのうという日は二度とかえらぬ日 明日という日はまだ見ぬ未来 京都いう日を大切に生きる」という山本富士子さんの言葉から。 「一夜賢者経」と名づけられたお経がある。

過ぎ去れるを追うことなかれ
いまだ来たらざるを念うことなかれ
過去、そはすでに捨てられたり
未来、そはいまだ到らざるなり
されば、ただ現在するところのものを
そのところにおいてよく観察すべし
揺ぐことなく、動ずることなく
そを見きわめ、そを実践すべし
ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ
たれか明日死のあることを知らんや
まことに、かの死の大軍と
逢わずいうは、あることなし
よくかくのごとく見きわめたるものは
心をこめ、昼夜おこたることなく実践せん
かくのごときを、一夜賢者といい
また、心しずまれる者とはいうなり
                      (増谷文雄訳『阿含経典第五巻』)

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


うぐいすが よく啼く朝だ 伸びた爪

2015年03月25日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、山沿いでは寒気の影響で雲の広がっている所があったらしい。気温は3度から11度、湿度は68%から41%、風は3mから5mの北北西の風が若干あって肌寒く感じた。明日の26日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 さて、月に一度の県立病院の予約診察日。9時過ぎに病院に着いた。今日は検体検査ということで採血と尿検査があっただけ。10時前にはドクターの診察があって、OKということで、いつもの薬が処方されておしまい。

 

 今日は案外と患者さんも少なくてとんとん拍子に終わったが、それでも10時半過ぎにはなった。そのあと、車の燃料を入れたり薬局で薬を受け取ったり・・・。

 

 今日は久しぶりにここに寄ってみた。東かがわ市白鳥(しろとり)にある「讃州うどん・ほそかわ」というプチセルフのお店。以前は「ぶっかけうどん」のおいしい一般店だったが、昨年fだかにセルフのお店に変わった。

 

 今日は変化をつけて「山菜うどん」小をお願いした。350円だった。番号札を渡されて10分くらい待たされた。待たすのだから出来上がればテーブルまで運んで来るかと思えば、呼ばれたらカウンターまで取りに行くのだとか・・・。ま、麺はおいしいと思った。

 

 今日は天気もいいことだし・・ということで、徳島方面に向かった。で、ふと見かけたのがこの桜。四国霊場7番札所、十楽寺にあったもの。ちらほらと、それでも数十輪の花びらが開いていた。高松は昨日にソメイヨシノの開花を観測した・・・というていた。

 

 こちらはまた、品種が違うのだろうか。花びらの奥が濃い桃色になっている。

 

 天気がよくなったからか、マイカーでのお遍路さんが多くいたし、歩き遍路の若者も目立つようになった。

 

 これは、6番札所の「安楽寺」の入り口にある種田山頭火の句を刻んだモニュメント。「暮れても宿がない もずがなく」と刻んである。お大師さんの基礎台の三面に、こうした句が刻んであるし・・・。

 

 こうした「杖立て」にも山頭火の句が刻んである。「うれしいことも かなしいことも 草しげる」という句である。ここには、山頭火の句碑が多い。

 

 ここの桜もまた、品種がちがう。

 

 ここのおへんろさんはお昼どきだったためか、案外と少なかった。

 

 多かったのは、二番札所の極楽寺さん。大型バスが一気に6台もやってきたからたまらない。お参りするのも順番待ち。これでは「納経取り」の添乗員さんは大変だ。

 

 このあたりでは、桜が満開状態だが、ソメイヨシノではない。あるところでは「ヤマザクラ」が満開になっていた。すっかりと春だなぁと思ったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きることに満足せずして 何に満足するのか」というもの。人は常に満足していない。だからあれこれ 自分の思いを満足させるために常に何かを手に入れようと躍起になっている。地位、名誉、金など…あたかもそれらを手に入れることが人生の目的であるかのように。しかしどれだけ手に入れたとしても決して満足できない私たち。一時は満足するかもしれない、しかしそれでもう終わりということは決してない。 それはちょうど食事をして腹を満たしたとしても、時間が経つと腹が減ってくるように。 しかもさらに欲求が大きくなっていくので、これまでのものでは満足できなくなってくる。それでもっと上へとまた追い求めていく、それの繰り返しできりがない私たちである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


桃の花 遍路の鈴も 風の中

2015年03月24日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れているが、寒気の影響により昼過ぎから夕方にかけて雲が広がり雨の降る所がある見込みらしい。気温は3度から10度、湿度は58%から45%、風は2mから5mの北西の風が吹いていた。明日の25日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 毎週火曜日は、香川県立図書館に行く日。先週に借りたさぬき市内の5町の町史を返却に来た。貸出期間は二週間なんだが、早め早めに返却するようにしている。いつまでも置いておくとうっかりと忘れてしまうことが何度もあった・・・。

 

 今日は10時過ぎにここにやってきたのだけれど、駐車場も館内もガラガラ・・・。静かなことはいいことだ。で、借りた五冊の町史を返却して・・・。

 

 今度はがらりと趣向の違った本を選んできたが・・・・。

 

 これが少し読んでみようかなぁと思ったもの。最近は、「成仏」だの「往生」だのという言葉はあんまり聞かなくなった。「成仏」するとはどういうことなのか、「往生」するとはどういうことなのか・・・。そんなことが少し疑問になったものだから。

 

 すっかりと「冬」という風景ではなくなった。今日・明日を乗り越えたらしっかりとした春がやって来そうだ。

 

 さぬき市の「神社名鑑」を作ろうとして、神社のことを調べていたら、「延喜式内社」「讃岐二十四社」という言葉が出て来る。奈良時代に創祀されていた神社が、この「延喜式神名帳」に記載されており、2861社が記載されており、讃岐には24社が記載されていた。その内、5社がさぬき市内にある。さらに、寒川町に、この大蓑彦神社・布勢神社・神前神社の三社がある。

 

 ところが、大蓑彦神社とか神前神社と言われても思い出せない。この本を書いたのが平成20年だからおよそ7年間くらいに調べて歩いたのだが、全く、記憶がない。ない筈だ、狛犬だけしか調べておらず、社殿や境内の写真などは全くない。あるのは狛犬の写真ばかりだった。

 

 ま、後半になって、丸亀市や綾歌郡などになると、社殿や境内などの写真も入るようにはなったのだけれど。

 

 だから、改めてお邪魔してみると、「ふーん、こんな神社だったのか・・」と思ったことだった。まさに「獅子を見て宮を見ず」だったなぁと反省したことだった。

 

 ということで、今日のお昼はここになった。さぬき市津田にある道の駅津田の松原構内にある「松原うどん」というプチセルフのお店である。

 

 で、ここのおすすめだという「肉うどん」をいただいた。肌寒い1日だったもので、温かくいただいた。

 

 午後からは、この本をスキャナーで読み込んでいた。確か、前にも読み込んだ筈なのだが、どこに保管したものか、とんと行方不明になってしまっている。

 

 今日は「彼岸の明け」である。暑さ寒さも彼岸まで・・と言われるが、この時期はまだまだ不安定な日々が続く。花見時の「花冷え」が終わるまでは安心はできない。

 

 今日の掲示板はこれ。「地獄も極楽も その舌がつくる」という、荒了寛さんの言葉からである。何気ない言葉のやり取りで、そんなつもりが無くても相手の機嫌を損ねたり、言わなくてもいい嫌味を言ったことで気になってしまい気分が落ち込んだり心配したり・・・。相手あっての会話。相手の事も考えて自己満足なしゃべりにならないよう心掛けたいものである。舌が悪いわけでも口が悪い訳でもない。この私の「こころ」が問題なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


侘び助に 世のあれこれを 聞いてみる

2015年03月23日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れてはいたが、寒気の影響で雲の広がっている時間帯が多かった。気温は6度から11度、湿度は73%から46%、風は3mから5mの北北西の風が吹き荒れていたが、もう、寒くはなくなった。ただ、体感的に昨日が暑いくらいだったから今日は肌寒さを感じたことだった。明日の24日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。 

 

 朝の間、集会場脇のゴミステーション用のネットが壊れていたので修理をしてきた。最近は大工仕事もすることが少なくなって、釘を探したら釘がない。ねじ釘を使おうと思うと、「インパクトドライバーのバッテリーが充電できていない・・ということで「へとちまとち」。「へとち、まとち」ってわかるだろうか。思うようにならないというか、やろうとするんだけどタイミング悪く意図しない結果になるみたいなことをいう、香川の一部の地区の方言である。

 

 いつもは、火曜日に県立図書館に寄ってから、ここに来るのだが、ここのうどん屋さんが火曜日が定休日なのである。だから、今日は月曜日にやってきた。ここは高松市仏生山町にある「仏生山法然寺」である。

 

 こちらが本堂である。寺務所で拝観をお願いして拝観料350円を納める。そして書院玄関から上げていただいて拝観させていただく。

 

 これは・・・「骨仏」さまである。ここには多くの方が納骨をされる。その遺骨で作られた仏様で、すでに七体の骨仏さまが完成している。

 

 こちらは本堂の本尊阿弥陀如来さま。上品下生の印を結び、右足を少し踏み出した「来迎阿弥陀如来像」だと言われている。

 

 向かって右側が法然上人、左が親鸞聖人像であり、外にも善導大師像も安置されている。

 

 本堂を過ぎて更に進むと納骨堂があるが、その前にあるものも、「骨仏」である。

 

 さらに進むと「三仏堂」に入る。そこにずらりと並んでいるのが、前歴代住職像である。

 

 そしてここが三仏堂で、阿弥陀三尊の前にはお釈迦さんの涅槃像があって、釈尊の死を嘆き悲しむ僧侶やいろいろな動物たちが集まっている。

 

 昔は信者さんが、この涅槃像を撫でていたらしく、このお釈迦さんは生きているように目を見開いている。そばで見るとぞっとするようなお顔である。肘のあたりもぴかぴかになっている。胸の卍の部分には、初代藩主松平重公のお母さんの遺髪が収められているとかと聞いたことがある。

 

 天上からはお釈迦様のお母さん、マーヤ夫人が薬を持ってやって来たが届かなかった・・・という話も子供のころに聞いた気がする。

 

 午後からは、寺院名鑑・神社名鑑用の本の読み込みを完了させた。いよいよ、明日には借りて来た本を返却する予定。

 

 でも、さぬき市五町の、100近い寺院と500近い神社を探して走るのは大変なことだ。これは何年もかかる作業だなぁと思ったことだった。

  

 とりあえずは、基礎資料集めができた・・・というところで小休止。

 

 今日の掲示板はこれ。「「一歩を踏み出す」 そして「諦めない」ということが、私の生きる姿勢です」という、登山家・栗城史多さんの言葉から。「山登りでは1歩を踏み出さないと頂上にはいけません。登山に限らず、地上のいろいろなチャレンジにおいても、「できる」「できない」と考える前に、まずはやってみることが大切だと思うんです。私がエベレストを登頂できずに下山して帰ってくると、周りからは「失敗した」って言われるんです。でもそれはちょっと違います。成功の反対は失敗ではなく、本当の失敗とは「何もしないこと」です。」と、栗城史多さんの“終わりなき頂上への挑戦”には書かれてあった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


春の夜は 静かに緩く 音もなく

2015年03月22日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は6度から20度、湿度は95%から40%、風は1mから6mの西北西の風が一時強かったが、初夏のような1日になった。今日は黄砂を観測する可能性があると言うてたが、どんなだっただろうか。明日の23日は、寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

  

 昨夜は三男のたっくんと娘家族4人がやってきて、お彼岸参りとはやて君、なぎちゃんの卒業祝賀会になった。呑んで食べて騒いで楽しい時間を過ごしたものだったが、今朝の6時過ぎには一斉に帰ってしまった。

 

 今日は地区の「出事(でごと)」で、この「地神(じじん)さん」の掃除をする日になっていて、7時集合ということだったので、6時半前に行ったら、もう既に全員が集まっていて、すぐさま、掃除が始まった。

 

 明日の23日が「社日(しゃじつ・しゃにち)」だが、最近は近くの日曜日におまつりをするようになった。社日とは、春分と秋分に最も近い戌の日を指す。「戌」という文字には「土」という意味があるらしい。また、「社日」の「社」は「示す」と「土」から成り立っているともいう。 農業の視点から見ると、春の社日は種まきの時期にあたり、秋の社日は収穫の時期にあたる。これらは農業において忘れてはいけない大事な時期であって、そのため社日は全国的に重要な節目の日とされるようになった。春には五穀豊穣の祈願が、秋には無事に作物を収穫するための祈願が行われてきた。 農業を中心として生きてきた我々の祖先にとって、大地の恵みである「土」との関係は切っても切れない縁なのかもしれない。

 

  社日を祝う習慣は元々中国にあった。その土地の守護神であった「社」を祀り、作物の豊熟を祈ったことが始まりとされている。この風習が日本に入ると、土地の神様を信仰する習慣と融合して全国に広がり、一般的に豊穣を祈願する節日になったといわれている。古来から自分の土地の神様をとても大切にしていた日本人には、受け入れやすい風習だったのであろう。

 

  社日は元々土地の神様、また農耕を司る「土の神様」の日と考えらているか らこの日に土をいじる、掘り起こすなどの行為をしない風習があった。土いじりは神様の歩行を妨げるとか、土掘りは神の頭を掘ることだとか考えられたようだが、今はそんなに深くは考えず、気楽にやっているようである。

 

 最近、神社名鑑を作るために、各町の町史を調べているが、「山神社」というのはちゃんと登録されているが、この「地神」はない。ということは、宗教法人法上の「神社」には属していない。だから、「地神社」とか「地神宮」というものはない。ま、全国を細かく調べたらあるかも知れないが、このあたりにはない。あくまで、「社日」の行事ということらしい。また、若い方は、「地鎮祭」と混同することが多いが、これは、「じじんさん」という音を聞き間違えているのらしい。

 

 その後、7時からは自治会の集会場付近のそうじになった。草がたくさん生える前に、草掃除をしようということになった。

 

 30分ほどで、すっかりときれいになった。

 

 その後は、引き続いて「寒川町」の町史から神社と寺院に関する部分を読み込んでいたが、さすがに4町目になると飽きてくる。

 

 今日は久しぶりに、さぬき市長尾西にある「うどん亭いわせ」に行ってみた。奥方のおすすめの一般店である。

 

 食欲もなかったが、天ぷらうどんを注文した。けいこばぁは、いつも通りの「かけうどん」であった。

 

 15時からは「直来(なおらい)」ということで、お茶とパンで座談会になる。世間一般のあれこれを話題にするのだが、サルとイノシシ、シカの話がみんなの共通の話題。「社日」や「地神さん」の話題は一言も出ない。

 

 今日の掲示板はこれ。「執らわれると目が狂ってくる 欲が出ると耳が聞こえなくなる」というもの。あることに執着すると、そのことしか見えていないことが多くある。幾度もある。咸臨丸だったら咸臨丸のことばかり。レキの墓だったら、そのことばかり。周りのことなど見えてはいない。欲が出ると、そのことしか考えずにいて、他人の忠告なんぞまるで受け付けない。そういうことって、いくらもあることだ。それが私たちなのである。そのことに気づくことがまずもって先決問題なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


春めいて 挨拶はずむ 寺の庭

2015年03月21日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲が広がっていたが、昼過ぎからは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は7度から18度、湿度は92%から50%に、風は1mから3mの南南西の風が少しばかり。明日の22日は、高気圧に覆われ概ね晴れるらしいが、午後は気圧の谷の通過によって、雲が広がりやすい見込みなのだとか。

  

 今日からセンバツ高校野球が開幕した。若い頃には有給休暇をはたいて甲子園に通い詰めたものだけれど、近年はあんまり感動もしなくなってしまった。

 

 子供の頃には、お彼岸の中日には、近郷近在の人たちに混じって、大窪寺に行くのが年に二回の楽しみだった。あの頃には境内参道にたくさんの露店が出ていて、十徳ナイフとか拡大縮小器とかの変わったおもちゃがあるのが楽しみだった。50円玉を一個握りしめて山道を歩いたものだった。わが家からだと3時間も4時間も掛かって歩いたように思う。

 

 朝の7時過ぎにわが家を出て、大窪寺に着くのはお昼前。弁当を持って行ったんだろうか、その頃に、食べるものを買った記憶はない。お昼を食べて、お昼過ぎにお寺を出て、遊びながらわが家に帰り着くのは決まって夕方だった。

 

 さすがに高校生になった頃には行かなくなったのだが、気がつけば、そういう露店は少なくなり、植木屋さんが出ているばかりになって、いつしかそのお店も来なくなった。そして、近年は、こういう「柴灯大護摩供養(さいとうおおごまくよう)」というものが行われるようになった。四国内の霊峰や修験場で修行している山伏たちが集まって弘法大師の恩を報い、徳を慕って供養を営む八百年余りの伝統行事らしい。護摩焚きの後は、火渡りの式が行われる。この護摩供養は年に2回開催され、春は春分の日、夏は8月20日に行われる。

 

 修験道(しゅげんどう)は、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の混淆宗教である。修験宗ともいう。修験道の実践者を修験者または山伏という。今回は若い青年が混じっていた。衣は「鈴懸(すずかけ)」といい、「結袈裟(ゆいげさ)をつけ、法螺貝を持つ。腕には「最多角念珠(いらたかねんじゅ)」を巻いている。そして、腰には「手錫杖」や「檜扇(ひせん)」、「柴打ち」という刀を差している。今日は「般若心経」と不動明王真言を称えていた。

 

 腰の左にあるオレンジ色のものは「走縄」というもので、行者入峰の際の補助的な物であるが、今は修行者の無明を縛する不動明王の剣索の意とされている。新客は十六尺、度衆は二十一尺、先達は三十七尺である。これを左の腰に束ねてぶら下げている。おしりの部分にあるのは、「引敷(ひっしき)」というもので、入峰修行の際の座具であるところの腰に当てる敷き皮のことである。またこの引敷は何の動物の物であっても獅子の毛皮であると観念する。何故なら畜類は無明に例えられ、その畜類の王の上に座すという事で行者は仏であるから凡聖不二(煩悩即菩提)の極地を表しているのである。また引敷の引くとは、衆生を法界に引導するという意味も含まれている。修験でいう所の獅子とは、鹿の事であり、これは縁覚の乗り物だからである。

 

 この人が大窪寺の住職さん。この方が着けている袈裟は「梵天袈裟」という。

 

 この青年のひたむきさに見入ってしまった。どこかのお寺の息子さんなのだろうか。衣装も新しいし、道具もきれいである。額につけている黒いものは「頭襟(ときん)」といい、大日如来の「宝冠」を意味しているという。色が黒いのは「無明」を意味し、12本の筋は、「十二因縁」を表しているのだという。

 

 今日のお昼は門前の八十八庵(やそばあん)になった。毎度おなじみのお店である。

 

 で、これまたおなじみ打ち込みうどんであった。さすがに今日は気温が高くなってきたうえに護摩供養のたき火に打たれたものだから熱い熱い・・・。

 

 最後は「火渡り式」でおしまいになる。

 

 今日はすっかりと春らしい1日になった。わが家のミモザもすっかりと満開になっている。

 

 ハクモクレンもぼつぼつと花を開きだしてきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「病は口から入り 禍は口から出る」というもの。病気は口から、はいる食べ物や飲み物が原因で起こり、禍は口から出る ことばが原因となって起こされる、ことが多いということ。 人の口という重要な部分についての言葉で、口をしっかり 慎むことによって、悪いことが起きないようにする、いましめの言葉のようです。 食べ物などは、食中毒、栄養素、食べすぎに気をつけて口の中に入れ、しゃべる時も余計なことは言わないように 気をつけて言葉を発するべきだということのようである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


何色と 問えば黄色の 春の里

2015年03月20日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れるということだったが、湿った空気や寒気の影響で、終日、雲が広がっているまんまだった。気温は10度から14度、湿度は84%から60%、風は1mから4mの北北西の風が一時は強かった。明日の21日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしいが、日中は気圧の谷の影響で雲が広がる見込みらしい。

  

 昨夜は暖かい夜だったのか、気がつけば布団も毛布も蹴り飛ばして寝ていた。で、目覚めたのは7時半。まさに春眠暁を覚えずだった。

 

 明日は春分の日、お彼岸の中日だとも言う。18日の彼岸の入りから24日の彼岸明けまでの7日間を「春のお彼岸」と呼んでいる。その真ん中の日を、「中日」と呼んで、3月の20日か21日になるらしい。今年は21日の明日になる。この時期には太陽が真西に沈むことから、無欲悟道の対岸に一番近いという、西方浄土の仏教の教えから、仏教各宗派は「彼岸会」や「仏徳讃嘆」、「お墓参り」などをする。

 

 子供の頃には、「昼と夜の長さが同じになる」ということを聞いたが、厳密には昼間の方が少しだけ長いらしい。

 

 さて、空気は暖かくなって、エアコンもウインドブレーカーも要らなくなったので、どこかに出かけようと思ったのだが、さしあたって行くべきところがない。そこで、今日もさぬき市の旧志度町の町史を読み込んでいた。

 

 志度地区には、真言宗寺院が14ヶ寺、浄土宗寺院が1ヶ寺、真宗寺院が4ヶ寺と、人口が多い(9941人 8566世帯)割に19ヶ寺だった。神社は3神社と、末社が62社だった。神社は昔の村ごとに「村社」というものが置かれ、それを束ねる「郷社」というものがあった。その村社の下に、山間地には「山神社」、農業地帯には「地神社」が、漁業地域には「えびす神社」がそれぞれあった。

 

 ちなみに、お隣の長尾町では、神社3社と末社が105社、寺院は24ヶ寺である。人口は6207人、4906世帯だから、人口と神社や寺院の数は比例しないのだなぁと思った。また、宗派も町ごとの比率は全くバラバラ。

 

 ついでだが、人口の比較的少ない(3209人 2872世帯)津田町では、神社は7社あって、その末社は100社あって、寺院は11ヶ寺だった。ここは真言宗寺院が5ヶ寺で真宗興正派が4ヶ寺、単立が2ヶ寺ある。

 

 なんだかんだと言いながら、しっかりと生き物は成長している。あたりはすっかりと春になっている。

 

 ひな祭りが済んだと思ったら早速に鯉のぼりが揚がっている。今日の空は寒くなくて悠々と泳げた筈である。でも、少子化の影響なのか、こいのぼりは滅多に見られない。大きな鯉のぼりを揚げる広い空間がなくなったこともあるのだろう。

 

 梅の花も満開だし、

 

 タンポポもしっかりと花を咲かせている。

 

 今日の掲示板はこれ。「良いも悪いも 因果の種は まけば芽を出すいつの日か」というもの。お釈迦様は「因果の法」を説かれた。「因果」とは、「原因」と「結果」である。『善いも悪いも因果の種は播(ま)けば芽を出すいつの日か』という川柳であるが、良い種をまけば良い実がなり、悪い種をまけば悪い実が必ずなるということである。つまり、すべての現象には必ず「因」という種があり、必ず「果」という「結果」が現れるということなのである。今の時勢、善人がしいたげられ、悪人がのさばっている事の多い世の中。何が「善因善果」「悪因悪果」だと文句を言いたくなることが多々あるけれど、お釈迦様は、そんな凡人の姿はとっくにお見通し。「善を施すに、その報いを求めてはならない」と厳しく戒められておられよう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


寒椿 メール一つを 受け取って

2015年03月19日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は前線の影響で雲が広がり、昼過ぎまで雨が降り続いていた。気温は12度か14度、湿度は86%から94%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。3日連続の濃霧の朝になった。明日の20日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしいのだが。

 

 昨日から孫のはやて君が遊びに来ていたのだが、今日は公立高校の入学試験の合格発表の日だというので、7時までに屋島のおうちまで送って行かねばならないというので早起きした。ま、急いで行かなければならない訳ではないが、親としては早く結果を知りたいのだと思う。

 

 それだから、濃霧の中を屋島まで一走りしてきた。

 

 で、今日は津田町史の宗教という部分をスキャナーで読み込んで電子化する作業に入った。「さぬき市寺院名鑑」「さぬき市神社名鑑」、いずれも仮称だけれど、その事前準備。

 

 さぬき市にはおよそ70の寺院がある。神社の数はまだ分からないが、途方もない数の小宮がある。ちなみに、今日の津田町には寺院が10ヶ寺、神社は7社だが、小宮は約100社ほどある。ま、どこまでをカウントするかだなぁと思いながらスキャニングを繰り返していた。

 

 これは2010年8月の写真だから、この子たちは小学5年生だっただろうか。この左側が孫のはやて君。右は神戸のたつや君。ともに今日が高校受験の発表日。

 

 二人ともに公立高校に合格したとの連絡があった。めでたしめでたし。

 

 雨の中でも桜は咲いたようだ。ひとまず安堵したことだった。

 

 午後からは、読み込んだデーターを原本通りに修正していく作業。どうにも「は」を「ほ」と読むらしく、これらを修正したり、漢字の誤変換を直していく。しかしのかかし、神さんの名前の難しいこと。お坊さんの名前もなかなかに難しい。読めない漢字は手書き入力して、その漢字を探し出して修正する。「豈」これを「あに」と読むのは難しい。そんな作業を延々と繰り返すのだ。

 

 ふと、こんなことを前にもやったなぁと思い出した。中学2年生の頃に、当時の「大川郡」、今のさぬき市と東かがわ市のお寺を調べてスクラップブックに写真を撮って貼り付けて「寺院名鑑」を作ったことを思い出した。夏休みの自由研究だった。中学校の資料室に保管されていたが、その中学校も廃校になったので、おそらく処分されてしまったに違いない。

 

 それに、2002年に、「東讃の狛犬」という本を作った時には、旧大川郡の全神社を回って狛犬や神社の由緒縁起を調べたこともあった。とういうことは、今回は思い切って切り口を替えて調査しなければならないなぁと思った。

 

 ま、とりあえずは、さぬき市の5町の町史から寺院と神社の部分を電子化しておく。それから方針を決めて現地調査や写真撮影をするのだが、大きな寺院や神社はすぐに分かるが、庵やお堂、小宮などは地図にもないことが多い。考えただけでも気の遠くなる作業だ。

 

 そうそう、神社は高い山の上にあったり、お堂は地区の集会場の中にあったりで、入れないことも多くあった。また、個人宅のような場所が観音堂であったりする。また、信仰する人がいなくなって廃絶したり倒壊した神社やお堂もあった。

 

 今日の掲示板はこれ。「努力した人ほど運が良かったと言い、努力が足りなかった人ほど運が悪かったという」というもの。誰の言葉かはわからないが、あちらこちらで見かける言葉である。努力と運とが関係するのかどうかもわからないが、要は自分の気持ち次第だと言うてるのだと思う。若い頃には「運がいいとか悪いとか人は時々口にするけど、そういうことって確かにあるとあなたを見ててそう思う・・・」という歌が好きだった。今は、運だ、天だと考えることもなくなった。加齢なんだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


春の雨 笠を濡らして 行く遍路

2015年03月18日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や前線の影響で雲が広がり、昼過ぎからは雨が降り始めている。気温は6度から15度、湿度は76%から94%、風は1mから5mの南南東の風が一時吹き荒れていた。今朝も濃霧がひどかった。明日の19日は、低気圧や前線の影響で雨が降る見込みらしい。

 

 今日は「彼岸の入り」だということで、お墓を簡単に掃除をしてお花を供えておいた。今年もタケノコの気配は全くない。イノシシが根っ子を掘って掘ってするもので、多くの竹が枯れてしまったことも影響するらしい。

 

 今朝、けいこばぁと一緒に孫のはやて君がやってきたので、お墓経由、山の旧宅点検をしてから88番札所大窪寺に案内して、おへんろつかさの会員らしくレクチャーしながら朝の散歩。

 

 11時過ぎになったので、門前の八十八庵に入って昼食にした。けいこばぁは帰るとすぐにお仕事だか、ピアノのレッスンだかに行ってしまった。「お昼はどこかでおうどん、食べておいてね~」と言い残したまんま・・・。

 

 で、ここの名物の「打ち込みうどん」二人前をお願いした。はやて君は、「一人前を二人で食べる」と言うたのだが、二人前をお願いした。まだ、朝食のパンがおなかの中にあるようなのだが・・。

 

 確かにこれはボリュームあるなぁと思いつつ食べていたが、最後の最後、おつゆの一滴まで残さずに食べた。よほど、はやて君もおいしかったに違いない。鍋に張り付いている野菜まで残さずに食べたのだから。でも、さすがに二人とも汗まみれ・・・。

 

 帰りはさぬき市前山の「おへんろ交流サロン」で、ここでもおへんろさんのレクチャーをした。いや、少しばかり興味があるように思えたものだから。

 

 昨年のブログの記事を斜め読みしていたら、こんな記事が目に付いた。昨年の年末に書き残した、宿題であった。この七つの記事のうちの多くはできたのだが、⑥番だけは忘れていた・・・。①、④、⑤、⑦は完了した。③も完成した。印刷製本作業が残るのみ。②番もほぼ完成、印刷・製本を残すのみ。でも、⑥はすっかりと忘れてしまっていた。これも、印刷・製本して納本すればいいだけのこと。

 

 これは、香川県立図書館に納本した私の著作のリストである。たくさんの本を納本したと思っていたが、14年間に14冊という結果・・・。気になるのは、2008年から2012年までの4年間の納本がない。この頃は何をやっていたのだろうか。

 

 これを少し整理して納本することにする。

 

 さて、帰宅すると、こういう本が届いていた。私の卒業した「松尾小学校」の廃校記念誌である。私ら三人兄弟と娘が、この小学校を出ている。でも、みんなが購入しなくて、わが家に一冊あればいいだろうということで予約していたもの。

 

 私らの頃は上の表紙のような木造校舎だった。今は、このような鉄筋コンクリート建ての校舎だから、ここが廃校になってもそんなに感慨はない。昨年の小学校の同窓会に出たのだが、誰も私のことを覚えている人はいなかったし、そんな昔の思いでも覚えてはいない。

 

 これは昨年の運動会の時、廃校記念の人文字を作るというので参加した時のもの。この時には、どんな字になるのかも知らずに参加したのだが・・・。

 

 こういう文字を描いていたのか。ま、この3月で、この学校の歴史も終わってしまうらしい。でも、今度は「さぬき南小学校」として再出発するのだからいいではないか。

 

 今日の掲示板はこれ。「正しい意見でも思いやりがなければ言われた人は傷つく」というもの。最近、こういうメディアだと、いろいろな人から意見や発言があるけれど、確かに正しい意見や発言なんだけれど、ズキリと心に突き刺さることがある。会議でも討論会でも座談会でも、正論を堂々と述べる人がいる。でも、正論だけを振り回すと、その言葉で傷つく人がいるということも忘れてはならない。病院で、「あら、すごく痩せたね。ガンで末期が近いんだ」なんてことは言っていいことなのか、悪いことなのか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


やぶ椿 明日の一歩が 踏み出せる

2015年03月17日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は朝からひどい濃霧になった。瀬戸内海では視程不良で停船勧告が出されていた。午後からは高気圧に覆われて概ね晴れていたが、霧の発生している所も残っていたようだった。気温は6度から15度、湿度は94%から66%、風は1mから2mの北の風が少しばかり。明日の18日は前線の影響で雲が広がり、夕方から次第に雨となる見込みらしい。

 

 けいこばぁは、朝の5時過ぎから起き出して出て行った。お仕事なのか孫のなぎちゃんの卒業式なのか、その両方なのか・・・。私は、お仕事が一段落したせいか、目が覚めたのは7時半だった。

 

 で、火曜日は恒例の県立図書館通い。借りていた本を返却し、今度は何の研究をしようかと本棚を巡って歩いた。ふと、見ると、「漁業」コーナーに「十八人の墓」という本があった。あの塩飽騒動のことを書いた本だったが、小坂小誌はもう封印したので、手には取らなかった。

 

 手に取ったのは、堀家先生の書いた・・というか纏められた「丸亀市・寺院名鑑」だった。確か、「神社名鑑」も作られていた筈。

 

 こういうものならば、案外と簡単にできそうだなぁと思って、さぬき市内の志度・津田・長尾・寒川・大川の5町の町史を借りて来た。さて、どんな、神社名鑑・寺院名鑑ができるだろうか。

 

 次いでやって来たのは、いつもの仏生山法然寺さん。ここは、高松藩の菩提寺で、高松藩主のうち二代と九代と十一代を除く全藩主や家族のお墓がある。

 

 それがこの、「般若台」と呼ばれる、法然寺の裏山の頂上にある藩主の墓所である。昔は、法然寺の仏間からトンネルを抜けて、ここに逃げられるようになっていた。最後の最後には、この初代藩主、松平重公の墓前で切腹するというのがお作法になっていたのだとか。

 

 これが初代藩主、重公のお墓である。

 

 一方、こちらは、高松藩最後の藩主、11代松平聡(よりとし)公のお墓で、谷中霊園乙4号1側。乙4号は、1側~6側まで2セットあり、低地の方(東側)。谷中墓地で最大のエリアを持つ。徳川慶喜公墓所より大きい。石塀で囲われていて非公開だが、門の外から見ることができる。このお墓全部を、トラックに積み込んで高松の法然寺に運ぶという、壮大なプロジェクトが動いていた。今はほぼ完成状態だという。

 

 この方が高松藩最後の藩主聡公である。高松藩朝敵事件で土佐藩に占領され、謹慎の処分を受けたが、復位して香川県知事にもなったが、東京に呼ばれ、東京で没した。そのお墓を、故郷に戻そうというのだから大変だ。この山の上まで、二千個もの石をどうやって運ぶのか・・・。

 

 これが、東京谷中から、藩主の墓石を梱包してきた木材。

 

 そして、お寺の反対側から雄山に臨時の作業用道路をつけて運び上げ、組み立てたのだという。

 

 計画では、昨年の10月を目途にしていたようであったが、この3月でようやくに完成らしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「やってやれないことはない。やらずにできるわけがない」というもの。斎藤一人さんの言葉である。やってやれないことはないのだと、最近、そう、感じることが多くなった。かと云って、空を飛びたいとか世界一のエンジニアになりたいとか、そういうことではなくて、やりたいと願っていれば叶うものだと思うようになったし、夢中になってやっていればどうにかなるものだと思ってみたり。ただ、やれないと諦めて、やらなければ絶対にできる訳がないというのも道理であるし・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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