まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

南無阿弥陀 化身の梅か 寺の庭

2018年01月31日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は-0.5度から7.8度、湿度は74%から60%、風は2mから4mの西の風が少しばかり。明日の2月1日は、低気圧や寒気の影響で、昼前まで雪や雨が降るらしい。

 

 朝から生ゴミや燃えるゴミなどを処理していた。相変わらず胸の水は減らない。

 

 レーザープリンターのトナーがまたまた切れたようでアラームが点滅している。辛抱してきたが、どうにも気が散って仕方がないので、いつもの電機屋さんにやってきた。

 

 こういうトナーである。一個は古いもので見本に持って行って、廃棄処分にしてもらう。

 

 こちらのインクも補充しておく。これで1万円弱の出費になった。

 

 昼間にお寺から、お昼過ぎにお客様が来られるのでお相手してくださいとの連絡が入った。そこで、JRの三本松駅までお迎えに行ったのだが、待てど暮らせどやっては来ない。結局、やってきたのは14時少し前。

 

 で、車でお寺まで案内してきた。本堂前の松の木は、とうとう松枯れで切られてしまった。

 

 そのお客様というのが、この本を書かれた「岡本智水」さんという物書きさん。

 

 本堂を案内したり、

 

 庄松さん関連グッズ(?)を見て頂いたり・・・。

 

 庄松さんのお話をしたり・・、

 

 庄松さんの銅像に案内したり・・・。

 

 ついでのことに、庄松さんのお墓にまで案内し・・・、

 

 小砂説教所跡にもご案内した。今日は、そういう「観光ガイド」をやっていたのである。

 

 今日の掲示板はこれ。「本物の鬼は 人の面(めん)を被っている」というもの。誰しもそんなもので、やさしそうな人の顔だけれど、心の中は本物の鬼だらけだと思う。牛を食べ、豚を食べ、米を食べ、野菜を食べ、魚も食べる。子を殺す親もいれば、親を殺す子もいるし、体罰だ、いじめだ、しつけだと、平気で教え子を暴力でいじめる教師もいる・・・。「ほんものの鬼は人の面を被っている」。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


如月は 人の数だけ 鬼が居る

2018年01月30日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置は次第に緩むため晴れていた。気温は1.7度から5.5度、湿度は68%から58%、風は3mから5mの西の風がやや強かった。明日の31日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷が接近するため昼前から曇るらしい。

 

 さて、先日の病院である。心臓血管外科の教授が「奥さんを連れて大至急おいでてください」というので、奥方を連れてやってきた。

 

 ドクターとの話し合いは15分ほどで終わった。全てを日浦ドクターと堀井教授にお任せするということで、オペをお願いした。

 

 で、奥方の了承の結果、入院することになったが、日程はまだ未定。重傷の患者さんがお待ちなのだとか。ま、2月の中旬か下旬かに入院して約2週間程度の入院になるらしい。

 

 ま、入院の手続きは用意しておいて、病院からの連絡待ちということらしい。

 

 話が終われば、奥方は職場へと出かけて行った。今日の費用は220円(!)だった。

 

 12時前に病院を出て、一目散にさぬき市大川町に戻った。で、コンビニ弁当を買って食べた。

 

 12時50分に社会福祉協議会(社協)大川支所前に集合して、今日は「民児協」の研修会に向かうのである。

 

 会場はさぬき市長尾にある「辛立文化センター」という施設。ここへ社協のバスに乗ってやってきた。

 

 今日は、こういう研修会らしい。話は事前に聞いていたのだが、ここに参加できるかどうか、分からなかったので、あんまりはっきりとは覚えていなかった。

 

 さぬき市内から集まった民生委員さんたち。

 

 13時半から始まって、16時過ぎに終わるまでに、実に8回もトイレにいくのだから、変なおじさんがいるなぁと思ったことだろう。

 

 二月が近くなったら、鬼のお話ばかりになるが、今日の掲示板はこれ。「ぬけぬけと「鬼は外」とは笑止なり」という、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。調べてみれば、この句は、ある同人誌に投稿された俳句であるらしい。節分の行事は、お寺でも神社でも行われているが、神社では「追儺(ついな)」という行事からの変化らしいが、お寺の節分はそれなりの独自の意義と作法のある法要になる。そんな難しい節分の意義を、一言で表す法語がこれだが、別のお寺では、「ぬけぬけと 「鬼は外」とは その口で」という句を見かけた。上五・中七は同じだが、「その口で」というのが鮮やかなぁと思ったことだった。節分という季節の変わり目を機会に、この口を、このこころをリセット・再起動せよというているのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


野も山も はや一月が 暮れかかる

2018年01月29日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置が強まるため概ね曇り、夜遅くには雪の降る所がある見込み。気温は2.9度から6.8度、湿度は72%から58%、風は4mから7mの西の風が吹き荒れて寒い日になった。明日の30日は、冬型の気圧配置のため、概ね曇るらしい。朝まで雪の降る所がある見込みなのだとか。

 

 昨日の観光ガイド養成講座の前に、渡邊会長から来年度の島四国の予定表やスケジュールを提出せよとの宿題が出た。そろそろと、来年度の活動予定を組み上げる時期らしい。

 

 で、簡単にチラシを書き上げてメールで送っておいた。今年は五月の連休の最終日の日曜日になるらしい。

 

 さぬき市からJRで丸亀までやってきて、それからしわく広島に入ると10時を過ぎる。それから歩いてでは全札所を回ることはできない。

 

 だから、10時~12時までの2時間で歩いて楽しめる10箇所ばかりを回ることに設定した。希望者は夕方まで歩いてもかまわない。そういう資料作りもやっておいた。

 

 これは数年前に「島四国開創100周年記念」に作った案内図である。これも資料に焼き直してみた。

 

 ま、明日、香川医大に行って、手術の日程なんぞを聞かないと、今年の予定が立たないけれど、日程と日数だな、問題は。この頃のことだから数日くらいしか置いてはくれないと思うので、この五月の連休には間に合うと思うのだけれど。

 

 足の弱い方は、うちの車に乗ってもらって、江の浦港から右に走って、立石港に向かい、三箇所ほどを回ってユーターン。広島神社から北(上)に走り、茂浦から海岸線に下がって札所を回ってくる。そして、青木、甲路、江の浦に戻って来て休憩して、船で帰って頂くことにする。

 

 何人の参加者があるか知れないが、道案内もモノクロ版で用意しておく。

 

 時刻表も用意したけれど、臨時便の時間はわからない。

 

 ここが一番札所の「霊山寺(りょうぜんじ)」さんである。今年は連休で日曜日だから、こどさんたちも多くなるはずだ。

 

 昨日の養成講座も終わったので、公式ホームページの更新を行っておく。これで、今期の養成講座はおしまい。

 

 全体のスケジュール表も更新しておしまい。

 

 今日の掲示板はこれ。「鬼というおそろしきものはどこにある 邪見の人の胸に住むなり」という一休禅師のことばから。鬼は地獄に住むものと子供の頃から教えられてきたが、その地獄なり鬼なりはどこにあるかといえば、みんなこの身や、この心の中にあるというのである。「邪見」はまちがった人生観や世界観である。身びいきや身勝手なエゴイスティックな人生観や世界観が地獄の世界であり、鬼の住むところなのであるというのである。(松原泰道『一休さんの幸福論』より)

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


雪となり 枯れ野飛び去る 鴨数羽

2018年01月28日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、気圧の谷や前線の影響で曇り、雨や雪の降っている所があった。気温は-0.3度から6.5度、湿度は80%から62%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の29日は、冬型の気圧配置となるため、概ね曇る見込みらしい。

 

 久々のおへんろ交流サロンである。今年になってからは初めてだ。ここではまだ、例の「鳥インフルエンザ」の消毒ポイントが稼働している。で、私は相変わらずの「駐車場係」で交通整理員みたいなものだ。

 

 今日は「平成29年度おへんろつかさ養成講座」の最終回の講義が行われる日。さぬき市観光ガイド養成講座の閉講式が行われる日でもある。

 

 1コマ目は、香川大学教授の大賀睦夫先生による「お遍路体験記からみる四国遍路」という講義だった。最近は多くの遍路体験記が出版されているが、そこから見えてくる「男性性」と「女性性」とか「やさしさとの出逢い」や「自分がやさしくなっていく」ことの驚きとか・・。

 

 自己変容とか再生のプロセスを遍路によって体験するというような内容だった。確かに、1,200キロの道程を40日かけて歩いて行けば、おのずと何かが変わってくる筈。

 

 2コマ目は、香川大学名誉教授の稲田道彦先生による「眞念の書いた四国偏禮道指南(みちしるべ)について」という講義だった。

 

 1687年に板行された『四國遍禮道指南』は、四國遍路の起源を示す重要な文字史料であると同時に、江戸から明治期にかけてロングセラーとなった実用的なガイドブックでもあった。四国遍路に先立ち、「辺地(へじ)」と呼ばれる遍歴をしながら修行をする僧侶の存在が『梁塵秘抄』や『今昔物語』にあり、平安~鎌倉にかけて存在したようである。その内実は不明だが、アニミズム、原始神道、民間信仰に仏教や道教が混淆したようなものだったかもしれない。

 

 江戸期になって仏教と弘法大師信仰を中心に、当時すでに確立されていた西国三十三観音巡礼や六十六部回国巡礼の影響を受け、四国巡礼が確立されたと推測できる。この本を読むと、各札所で般若心経ではなく、お寺のご詠歌を三度うたうなど参拝方法の違いや、当時からお遍路さんに宿を提供する人がいたこともわかってくる。

 

 それを、稲田先生は訳文を作り、注釈している本を発行している。今回は、その中からいくつかの部分を紹介してくれた。

 

 この受講生は「うどん脳」さんである。本場さぬきうどん協同組合公認『うどん大使』や香川県医師会公認『ドクターうどん脳』、さぬき映画祭PRキャラクターもつとめている。今回はお遍路姿での受講だった。

 

 閉講式は、大山さぬき市長の挨拶があった後、

 

 受講生に修了証や参加賞が贈られた。

 

 その後は、みんな揃って記念撮影。

 

 その後、養成講座を受講しての感想やこれからの方向性などを話し合って閉講式を終えた。

 

 今日の掲示板はこれ。「晴れた日と 雨の日があって ひとつの花が咲くように 悲しみも苦しみもあって 私の人生が深くなる」というもの。

  「悲しみの意味」

   冬があり夏があり
   昼と夜があり
   晴れた日と雨の日があって
   ひとつの花が咲くように

   悲しみも苦しみもあって
   私が私になっていく
                   星野富弘

 「雨はイヤだ。」と言う人もいれば「恵みの雨」と喜ぶ農家の方もいる。病気をしたからこそ健康のありがたさがわかったり、空腹だからこそ、一つのおにぎり が最高のご馳走だと感じたり、辛く悲しい思いをしたからこそ、人のここころの痛みに寄り添えたりするように、悲しみも苦しみもあって私が私になっていく。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


水仙は 明日に向かって 咲いている

2018年01月27日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は-0.8度から5.2度、湿度は72%から64%、風は2mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の28日は、気圧の谷や前線の影響で曇り、昼過ぎから夕方にかけて雨や雪の降る所がある見込みらしい。

 

 いい天気なんだが気温が低くて肺炎にでもなりそうな冷たさである。

 

 こういう日には霜柱が伸びてくる。子供の頃にはわざと踏み壊して喜んだものだが、今は見るだけでも寒くなるので見たくもない。

 

 昨日は奥方が在宅だったもので、私も引きこもり状態だったせいで肩が凝ってしまった。そこで、今日は県立図書館にやってきた。寒いせいか人影が見えない。

 

 でも、館内には大勢の人がいた。ああ、今日は土曜日で子供連れの人が多いのか。

 

 で、いつものように五冊の本を返却して、五冊の本を借りてきた。別に葬儀屋さんになる訳ではない。あくまで「民俗学」のお勉強である。

 

 この本が面白そう・・・。

 

 帰り道、この道の駅に寄ってみた。

 

 トイレ休憩でトイレに行ったら、こんな看板があった。多目的トイレは広いから住み着いたりするんか・・・。海の近い道の駅では、「トイレでシャワーや洗髪をしないでください」という看板を見たことがある。マナーもルールもなしだな、最近は。

 

 こちらは食堂や土産物を売る建物。野菜市などが評判らしい。

 

 私はこんなものを買った。すぐにピンが外れてなくしてしまうのだ。

 

 これは、「うどん県民章」。会社員の社員証みたいなものだ。誰も気づきはしないけれど。

 

 午後からは不要な書類を整理しておこうと始めてみたが・・・

 

 結局の薬局で、ファイルを閉じ直しただけで済んだ。それでも、これだけの不要な紙くずが出てきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「人は迷って鬼となり 悟って仏となる」というもの。「心は人を畜生にする。迷って鬼となり、悟って仏となるのもみなこの心の仕業である。だからよく心を正して道に外れないよう勤めるが良い」般泥洹経という教典にあるらしいが、詳しいことはわからない。ま、要するに、鬼になるのも仏になるのも、この私のこころ次第であるというているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


さざんかに 嬉しきことは 小声にて

2018年01月26日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっているため、概ね晴れていたが、夜は気圧の谷や寒気の影響で曇り、雪の降る所があるらしい。気温は1.8度から4.8度、湿度は74%から60%、風は5mから6mの西北西の風が冷たかった。明日の27日は、気圧の谷や寒気の影響で朝まで曇り、明け方まで雪の降る所がある見込みらしい。昼前からは高気圧に覆われてくるため、晴れる見込み。

 

 朝から冷たい気候となり、奥方がお休みでもあって、今日は引きこもり状態。

 

 2006年から、10年日記ということで記録をつけていると昨日も書いた。

 

 今日はいよいよ2009年に入った。平成21年だから10年前になる。

 

 この年も波瀾万丈の年で、正月早々に救急車で搬送されて、初めて東かがわ市にある県立病院に即入院となった。

 

 救急車で搬送されたのは二回目。最初は高松の社宅に居て、心不全で高松日赤に搬送された。

 

 この時は「肺炎」と診断されて、即入院となった。

 

 ところが、この入院中にも・・・、

 

 故入江先生の祝賀会に参列したり、近所のおじさんのお葬式に出たりしている。

 

 結局、この1月には4日しか会社に出ていない。2月も有給休暇の計画消化とかで10日ほどしか出社しなかった。

 

 3月には有給休暇消化で7日ほどしか出社しなくて、有給休暇中にまたも肺炎で緊急入院した。それでそのまま退職した。退職式にも送別会にも参加することなく退職となった。挨拶も何もなく・・・だった。

 

 退職の感謝状も、

 

 退職記念の腕時計も病院へ届けられた。

 

 で、退職したその足で島の家に直行して、子供たちとクルージングしたり魚釣りに明け暮れていた。退職後は糸の切れた凧のように、島の家だ、山の旧宅だ、神戸だ、大阪だ、京都だと飛び回った一年になった。

 

 節分には少し早いのだけれど、今日の掲示板はこれ。町内のお友達のお寺にあったもので、「福願う 心の裏に 鬼の顔」というもの。親鸞聖人は、このようにうたわれている。「悪性(あくしょう)さらにやめがたし、こころは蛇蝎(じゃかつ)のごとくなり」聖人は、自己の内にみんながいやがる蛇蝎を発見されたのである。私こそ蛇でございます、蝎(さそり)でございますと、蛇や蝎のような心、鬼のような心と言ってもよいだろうか、そのような心を見出されたのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


火鉢欲し 山の一人は 暇過ぎて

2018年01月25日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置が続いているため、概ね晴れていたが、午後からは曇り、雪の降っている所があった。気温は-0.2度から4.1度、湿度は72%から62%、風は4mから5mの西の風が強くて冷たかった。明日の26日は、引き続き冬型の気圧配置となるため、概ね曇る見込みらしい。

 

 朝方は天気も良くて気持ちの良い朝になったので、貯まっていた洗濯物を洗い、干しておいた。

 

 奥方に頼まれていた御用を片付けておく。銀行さんで預金を引き出して・・・

 

 缶ビールを買っておく。

 

 お医者さんに行って、薬の処方箋をいただく。

 

 その横にある調剤薬局で薬を受け取る。30日分で800円あまり。私とは大違いだ。

 

 山に食べるものがなくなったのか、猿が歩き回っている。そのあたりの山には捕獲用のケージがいくらも置いてあるのに、全く捕まった形跡がない。高い費用を掛けて立派な捕獲用設備をして、これでもかというようなエサをばらまいてあるのに見向きもしない。

 

 帰宅すると、昨日の続きで、2010年の総合日記の追加である。愛用のダイアリーにはうどん店と食べたうどんしか記録していない。だから、ブログを逆読みしながら、入力していく。

 

 これがなかなかに進まないのだ。

 

 今日は2010年3月まで入力できた。あと、2月、1月とが残っている。

 

 銀行さんで通帳記帳してもらって、家計簿に記帳する。今月は医療費の出費が続いて、来月の入金までどうするかが問題。この30日にも香川医大に呼ばれているし、2月8日には県立病院での予約診察がある。

 

 出費予定が見通せない。

 

 最近、またぞろ、朝の血圧が高くなる傾向にある。それも心配だ。朝食後に薬を飲めば正常な血圧には戻るのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「頂上ばかり眺めずに、まず目の前の一歩をどう歩むかです」という石川真理子さんのことばから。

 頂上ばかり眺めずに、まず目の前の一歩をどう歩むかである。
 目の前の一歩をとにかく大切に
 「遥かな山の頂上を眺めて、とてもじゃないけれど、これは登れないと言っているわけである。てっぺんばっかり見て踏み出したら、転ぶかもしれない。大事なのは、その頂上に続く目の前の一歩を、どんなふうに踏み出すか。できる限りの最良な一歩を踏み出すことに心を砕きなされ。その日その時々により良い一歩を重ねることが、いつしか高みへとおのれを導いていくのですから」 話題になった書籍「女子の武士道」である。著者の石川真理子さんのおばあさんは、武士の娘であり、そのおばあさんが真理子さんに教えた言葉五十五が紹介されている。その中の引用からである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


霜踏んで あてなき路を 歩く朝

2018年01月24日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は、強い冬型の気圧配置が続くため、概ね曇りで雪の降る所があった。気温は0.2度から2.8度どまり、今夜には-1.8度ほどになるらしい。湿度は70%から66%、風は6mから10mの西の風が強くて冷たかった。明日の25日は、冬型の気圧配置が続くため、概ね曇りで雪の降る所がある見込みらしい。

 真冬らしい朝になった。あたりは霜で真っ白だったし、

 迷犬ごんの飲み水も分厚い氷になっていた。さすがに寒かったのか犬小屋の中で丸くなっていた。

 英国士官レキの論文は完成したと思っていたのだが、合間で眺めていると思わぬ「誤字」や「誤変換」なんぞがあることに気づいた。「塩飽廣島」と書いたはずが、何度もコピーや貼り付けなんぞを繰り返すうちに「塩飽鹿島」になっていたりする。

 上の横書きの物を、こうした縦書きにして貼り付けたりしたときに誤変換されたものだろう。こういうのを、一字一字修正していくのも面倒なもの。でも、私がやっておかねば、うちのメンバーでは誰もできない仕事。

 さらに、それをもう一度、横書きの論文に置き換えたりすると「□」だけになったりするから危ないことだ。これも永く続けていると、目や神経が疲れてきて、間違いを見逃しやすくなるので、適当に休みながらの作業になる。

 気分転換に、明日の「空き瓶回収日」に合わせて、回収場へ空き瓶を運んでおいたりする。

 今のところ、明日のことがわからないのだから、とにかく、今日、やれることは片付けておきたいもの。

 お昼からは、「十年日記」の前の方、2010年とか2009年分には白紙の日が多い。古いダイアリーを開いても、行ったうどん屋の名前と食べたうどんのことばかりが書いてある。まさに「うどん・ダイアリー」になってしまっている。

 だから、ブログ記事を読み返しながら、空白部分を埋めていく作業もやっていた。

 ブログを読み返しながら空白の日記を書き込んでいるのだが、これだって二ヶ月分、60日も入力すれば飽きてしまう。表の中の黄色い部分は入院中。

 これまた、気の遠くなる作業である。

 今日の掲示板はこれ。「魚はめば 魚の骸骨皿にあり 恐ろしきわがいのちとぞ思ふ」という白井成允先生の言葉から。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。白井 成允(しらい しげのぶ、明治21年(1888) -昭和48年(1973)は、日本の倫理学者。東京都出身。1913年東京帝国大学文学部哲学科卒。名古屋愛知医学専門学校教授、第二高等学校教授、京城帝国大学教授を経て広島文理科大学教授。1957年「三経義義疏の倫理学的管窺」で広島文理科大学文学博士。52年龍谷大学教授。睦学園短期大学長、武庫川女子大学教授。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


蝋梅が さまよう路を 指し示す

2018年01月23日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、次第に冬型の気圧配置となるため概ね曇り、夜遅くは雪の降る所があるらしい。気温は5.7度から8.4度、湿度は82%から51%、風は3mから10mの西の風が強かった。明日の24日は、冬型の気圧配置が強まるため曇り、雪の降る所がある見込みらしい。

 

 今朝は曇っていたせいか、夜が明けるのが遅かった。うちの時計がおかしいんじゃないかと思うような朝方の暗闇だった。

 

 今日は、香川大学医学部付属病院での予約診察の日。いつもの担当の日浦ドクターは、「心臓はきれいですし、血管もきれいですね~」と言うていたので、それなのに、なぜ、香川医大なんぞに紹介するんだろうか・・と、半信半疑でやってきた。

 

 まず、初診受付窓口で紹介状やCDなどの資材の確認をして、二階の外科受付窓口に行って、紹介状やCDを渡してお願いをする。一階の診察窓口には大勢の患者さんが並んで待っているが、二階はさほどでもない。

 

 この診察室の前で待つこと30分。その間にトイレに行くこと4回。予約時間は11時だった。

 

 時間つぶしに、英国士官レキの論文を開くが、こんな場所では熟読もできない。

 

 心臓外科の堀井教授である。「あなたは元気だと思ってるでしょうが、あなたの心臓は限界ですよ。だから、日浦ドクターが私を紹介したんです。奥さんを大至急連れて来て下さい」との悪魔のようなお言葉・・・。

 

 「もう、薬で元気になる状態は終わっています」「早急に手術が必要なんです」顔はやさしいのだが、言葉は重たい・・・。

 

 診察が終わったのが11時半。それからは、オペに向けての検査である。採血による血液検査、血圧検査、心電図検査、心臓超音波検査。

 

 最後に胸部X線検査。ま、時間帯が12時を過ぎていたから、順調に検査は進んだ。

 

 会計へ書類を出して・・・待つこと30分。会計が終わった。9,420円だった。

 

 病院を出たのが13時半。ものはついでだ・・と、郵便局によって、切手シートを頂いてきた。できることからこつこつと・・・。

 

 先週の入院したときの「入院見舞金」だの、共済金だのの給付手続きもやっておく。できることから、こつこつと・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「過去のどうにもならないことを悩むより 現在、自分が置かれているところから 将来に向かって人生を切り拓いていこう」という新井正明さんのことばから。住友生命の社長・会長を務められた新井正明氏のはなしである。兵役にあった新井さんはノモンハン事変に参戦して被弾、右足を付け根から切断した。二十六歳だった。 帰還した新井さんを会社はあたたかく迎えてくれたが、若くして隻脚(せっきゃく)の身となった苦悩は限りなく深かった。その最中(さなか)、新井氏は安岡 正篤師の『経世瑣言(けいせいさげん)』で一つの言葉…「いかに忘れるか、何を忘れるかの修養は非常に好ましいものだ」に出会い、翻然(ほんぜん)とす る。「自分の身体はもう元には戻らない。ならば過去のどうにもならないことを悩むより、現在、自分が置かれているところから将来に向って人生を切り拓いて いこう」この瞬間から新井氏は真の人生を歩み始めた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


水仙を 投げて句を詠む 雨の日は

2018年01月22日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、四国の南海上を東北東に進む低気圧や前線の影響で、夕方にかけて雨や雪が降るらしい。気温は3.1度から6.2度、湿度は94%から77%、風は1mから4mの東の風が少しばかり。さぬき市には大雪注意報が発令中。明日の23日は、冬型の気圧配置が強まるため概ね曇り、夜は雪の降る所がある見込みらしい。

 

 朝からずっと雨だった。気温が0度を過ぎたら雪になるらしい。

 

 近く、奥方のお友達を呼んで、室内で焼き肉でもしたい・・というので、備長炭を探しに東かがわ市五名に行きたい・・・というのだが、もう、相談するような相手もいなくなって久しい。屋外用の外国の炭では一酸化中毒になってしまう。

 

 とりあえず、私は、この高齢者講習の予約をしておかねばならぬ。山奥の一軒家に住んでいるものだから、車がなくては生活できぬ。急がなきゃ遅れるわ、支度しなくちゃぁ~。

 

 で、隣町にある自動車学校に行ってみたが、当分は満杯で、四月にならないと空きがないという。仕方がないから4月6日の午前中で予約してきた。

 

 75歳未満だから2時間ほどの講習を受けるだけでいいらしい。

 

 その後、近くのホームセンターに行ってみたが、外国製の安い炭しか置いていない。屋外でバーベキューをするのには便利なお安い炭であるが、室内ではガスがでて息苦しくなってしまう。

 

 そこで、少し離れたホームセンターまで行って来た。ここには、高知や徳島などの備長炭が置いてあった。これだと室内でも安心らしい。

 

 後は、必要な時に奥方に買って来てもらえばいい。わざわざ、東かがわ市の山奥まで行かなくても済む。

 

 この囲炉裏は私の手作りの小型囲炉裏である。先の台風では、奥方と母が、この囲炉裏で暖を取って助かったという代物。旧宅には、この三倍もある大型囲炉裏があるが、重たくて持って来られない。

 

 午後からは、レキ研究で、縦書きの論文を横書きにしてみた。すると困ったのが数字である。和暦、西暦などの数字の表記をどうするのか・・・。縦書きの数字を横書きにすると、そのほとんどを漢数字から半角英数字に書き換えないといけない。

 

 で、悪戦苦闘してひな形は出来た。当分、あれこれと確認・チェックが必要な気がする。こんな作業は頼まれてはいないので、「傘屋の丁稚、骨折って叱られる図」になりそうな気がする。

 

 ま、こうしておけば論文らしくは見えてくる。

 

 雨は一日中降り続いていた。山では雪になっているのかも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「失敗する可能性もたくさんあるけれども、まずはやってみなければ何も始まらない」という新浪剛史さんの言葉から・新浪剛史(にいなみ たけし、1959年(昭和34年)1月30日 - )は、日本の企業経営者。サントリーホールディングス株式会社代表取締役社長、元株式会社ローソン取締役社長及び会長(3ヶ月のみ)。 弟は埼玉医科大学教授の新浪博士さん。最初は誰でも初心者だ。最初から成功する確率は低い。失敗する可能性もたくさんたくさんあるけれど、まずはやってみなければ、絶対に成功する筈がない。まずは、歩き出さなければ目的地には着かないのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


冬の川 淡い光を 運ぶ鳥

2018年01月21日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の接近で夕方からは曇ってきた。気温は3.1度から10.5度、湿度は86%から56%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の22日は、四国の南海上を東に進む低気圧の影響で、昼前から夕方にかけて雨が降る見込みで、山間部では雪の降る所もあるらしい。

 

 朝方は胸に水がたまっているようで、歩くにも苦しくてぽちの散歩も適当になった。同じようなものを食べて、同じようなものを飲んで、同じような生活をしているのに、毎日の体重も気分もおなかの具合も違っている。

 

 英国士官の公的論文集の最終チェック。写真の説明書きとか、細かな部分のチェックや修正をやっていた。

 

 私は血液型は「A」なのだが、ちっともA型らしくなくておおざっぱな方。だから、血液型なんていうのも、単なる統計学的なお遊びなんだろうと思っている。

 

 だから、こういう細かなことをチマチマとやるのは大の苦手なのだ。

 

 で、最終稿・・・ということで、研究会の会員用に論文集を10冊、印刷して製本してみた。

 

 これは、2010年からの「英国士官レキ研究会」の議事資料集である。最初は、島おこし、町おこしのために、瀬戸内海測量から海上自衛隊から海上保安庁につながることを計画していたのだけれど、全くの予想外で、島おこしにも町おこしにもならなかった。

 

 「船頭多くして、船、山に登る」みたいなことで、指図する人が多くて物事がまとまらず、とんでもない方向に進んでゆくことのたとえだが、グーグル検索やらグーグル・ブックスなどの検索ツールで話がとんでもない方向に進んでしまった。

 

 「イギリスに行って、調べて来るぞ~」と意気込んでいたら、咸臨丸水夫だった「岡田源之助」の子孫だという人が現れて、そのご主人が英国人の「グラハム・トーマス」さんと言う方で、英国士官レキの研究者だった。英国行きは当然、おじゃんになった。

 

 ま、皆さんのご要望通りにはならなかったけれど、ひとまず、今年が明治150周年・・・ということで、英国士官レキ没後150周年の慰霊祭をやって、この研究会は解散することになった。

 

 午後からは、肩こりがひどくなり、頭痛までするようになってきた。だから、早めに作業をやめるようにする。

 

 で、今までの各種資料を整理して、公的資料を作成し、丸亀市立図書館や香川県立図書館などに残して、「英国士官レキの墓」の真実を伝えて行こうと作業している訳である。

 

 その、英国人「グラハム・トーマス」さんや、英国士官フランク・ツーベイ・レイク氏のご子孫が七月末か八月上旬においでになるので、その時期に「慰霊祭」を考えている。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に回り道はあっても 近道はない」というもの。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。京都の永観堂さんのことばかも。人生の目的地がどこか・・という疑問もあるけれど、遠回りして気づくならば、それも悪くないし、遠回りするからこそ、気づくことだってあるように思う。「歳をとりすぎた!」「チャンスを逃した!」「今からでは遅い!」「もう手遅れだ!」と言うのは簡単だが、まずは一歩踏み出せば、見える世界が変わるもの。遠回りは、幸せへの近道なのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


やわらかく 生きてみたいと 藪つばき

2018年01月20日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は3.7度から11.4度、湿度は92%から60%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。明日の21日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 もう、すっかりと春になったのか・・と思うような暖かい朝になった。

 

 大寒は、二十四節気の第24。十二月中。 現在広まっている定気法では太陽黄経が300度のときで1月20日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。恒気法では冬至から1/12年後で1月20日ごろである。

 

 朝、香川県立図書館に向かって高松市方面に向かって走っていると、こんな、へんてこりんなバスが前を走っている。路線バスや観光バスではない。

 

 昭和31年(1956)に香川県立高松商業高等学校サッカー部出身選手により結成された高商OBサッカークラブが前身。クラブ愛称の「カマタマーレ」 (Kamatamare)は、釜玉うどんとイタリア語で海を意味する「マーレ (Mare)」を合わせた造語 で、讃岐は香川県の旧国名である。エンブレムは、黄と水色の縞模様の上にうどん、中央には卵の黄身をイメージしたサッカーボールがあしらわれている。運営母体は株式会社カマタマーレ讃岐、マスコットはさぬぴーである。

 

 久しく、釜玉うどんも食べたことがないな。

 

 少しばかり春めいてきたかなぁと思えるアキニレの並木道。

 

 返却期限が明日までだったから、いつものように五冊の本を返却して、新しく五冊の本を借りてきた。

 

 肩こりがひどいので、気楽に読める本を選んできた。

 

 この頃のこどもたちの表情は豊かだった。悩みなんぞないような笑顔が満ちていた。今はゲームやスマホにしがみついて声も出さないでいる。

 

 さて、最新の情報が追加された論文の原稿がどこにもない。どこのHDDを調べてもない。仕方がないので、その最新版をスキャナーで読み込んで、現在のものに追加する方法を取った。面倒だったが、背に腹は代えられない。

 

 で、新しい論文集を作ってみた。

 

 次の「英国士官レキ研究会」までに10部ほど作っておこうと準備しておく。

 

 こちらの「読み物版」はどうしようか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「欲深き 人の心と降る雪は 積もるにつれて 道を失う」というもの。これは「高橋泥舟」という人の歌。泥舟は後年の号、若いころの号は忍歳。いわゆる「幕末の三舟」のひとり。(ほか、勝海舟、義弟である山岡鉄舟)。生家の山岡家は槍の自得院流の(忍心流)の名家で、泥舟みずからも槍を修行し、神業に達したと評される。 幕臣として節義を通す姿勢には信頼が厚く、義弟・山岡鉄舟が務めた西郷隆盛との駿府会談はもともとは勝海舟に推薦された泥舟が担当する予定だった。 明治の廃藩置県後は官職には就かず隠棲、書画骨董の鑑定などでして生涯を終える。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


水仙に 自分の居場所を 教えられ

2018年01月19日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は3.9度から10.7度、湿度は88%から60%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。暖かくて穏やかな一日になった。明日の20日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 この時期恒例の島帰りである。これはかつて金毘羅詣での客で賑わった丸亀港のシンボル。旧金毘羅五街道・丸亀街道の出発点にあたり、琴平の高灯籠までの150丁(約12km)の道のりを参拝客はこの太助灯籠(たすけとうろう)を目印に丸亀港に入港したものだった。

 

 8時半過ぎに我が家を出て、10時過ぎに丸亀港に着いた。今日は平日のお昼前といもあってか、港に人影は少ない。

 

 午前11時10分に高速艇「ニュービサン」に乗り込んで、しわく広島の江ノ浦港に向かう。この高速艇からは5人が降りて、11人が乗り込んだ。平日はこんなものだ。

 

 この高速艇で広島に帰り、お昼の12時50分のフェリーボート「しわく丸」で島を出る。わずか、1時間20分だけの滞在になる。

 

 前回は年末直前の12月24日だったように思う。「英国士官レキ研究会」に参加するためだった。この日は5時間ほどの滞在だった。今の時期、草は伸びていない。

 

 今回の目的は、この郵便物。これと、島に置いてあるノートPCのHDDの内容確認と、レキ研究会の資料の確認などもあった。

 

 一番、肝心なものがこれ。確定申告に使う、源泉徴収票である。これがないと、確定申告が受け付けてくれない。

 

 それと、何年も何年も、新住所を教えているのに、この二人だけはなぜか、島の家に送ってくる。残念ながら・・切手シートは当たってはいなかった。上位番号は確認しない。

 

 それに、浄化槽の点検の案内とか、高校のクラス会の案内状とかもあった。しかしのかかし、高校のクラス会の案内を、誰が調べて、島の家に送ってきたものだろうか。私には全く、心当たりがない。

 

 簡単な弁当とうどんで昼食を食べたら、そのまま、帰宅の準備をする。

 

 12時30分ごろから、しわく丸は出航準備をしている。大きな金物を積み込んだ産廃業者さんの大型車などが積み込まれている。

 

 この中央の建物が、旧の広島中学校跡。それを改修改造して、新広島市民センター、広島コミュニティセンターになる。消防の屯所も移転してくるらしい。ほぼ、工事は終わっているように見える。

 

 今日の掲示板はこれ。「一度しかない人生だから 自分の道を自分らしく生きたい。人間らしく。自分らしく。」というもの。相田みつをさんの言葉らしいが確証はない。たった一度の人生であれば、「自分らしく、人間らしく、生きたい」というのが、多くの人の願いだろう。私も自分の道を自分らしく生きて行きたいと思う毎日であるのだが、「人間らしく」とはどういうことなのか、「自分らしく」というのはどういうことなのか。この「自分」が分かっていないことに気付いてうろたえている・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


寝不足を 我慢で我が家の 霜を見る

2018年01月18日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは湿った空気の影響で概ね曇ってきた。気温は5.7度から12.5度、湿度は85%から68%、風は2mから4mの西の風が少しばかり。明日の19日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 病院にはいろんな人がいる。昼間は寝てばかりいて、夜中にはテレビをずっと見ていたり、朝の4時から起きて歩き回る人もいるし、全く姿を見せない人もいる。

 

 一応、6時起床で、8時が朝食。今日の予定は全くない。昨夜の夕方には帰れる積もりが、前の人が遅くなったもので、私も遅くなって、動脈の止血が安定せずに一泊の追加になった。左手の点滴は昨夜の22時半過ぎに終わって外された。

 

 食事が終わると、担当のドクターが診察に来てくれて、止血ベルトや止血帯を外してくれた。

 

 これで首回りがすっきりとした。

 

 手首の止血帯が外れて楽になった。これで退院である。

 

 すぐに心電図計を外し、病室着を脱いで私服に着替えてしまう。

 

 担当の看護師さん(男性)を呼んで、必要な書類をもらった。来週の火曜日には「香川大学医学部付属病院」で検査をしてもらうのだとか。その紹介状も預かった。

 

 これが、今回、増えた「利尿剤」の「スピラノラクトン25mg錠剤」である。これは常用の「サムスカ錠剤(薬価1,984.4円)」よりずっとお安い(5.4円)である。だからか、あんまり効いたようにも思えない。

 

 入院費の支払いに会計課に降りたら、氏名と生年月日を言えという。それを言うと、「カテーテルの部品単価がわからないので、おうちへ連絡します」と言ったもので、一旦、自宅に帰って、ぽちの散歩とエサをやって、荷物を整理して・・・。

 

 昼食をすませたのに、まてど暮らせど電話はかからない。ふと見ると、スマホに着信履歴が・・。折り返し電話すると、氏名と生年月日を言えという。

 

 往復30分30分の距離を走って、病院に来たら、氏名と生年月日を言えという。「何回も同じ事を言わせるな。あんたとこの事務処理が遅くて、隣のさぬき市からはるばるとやってきてるんだ。請求金額は59,610円だ!」というと、若い事務員さんはようやくに処理してくれた。

 

 たった、二日間の検査で、この金額だ。それも三割負担でこれだ。年金生活者には厳しいことだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「乗れば人 歩けば車 邪魔になり」というもの。狭い道で自動車と出くわした時、自分が徒歩だったので、道を譲ると、あいさつもなく走りさった時、「なんてやつだ。本当に車は邪魔なものだ」と腹を立てるだろう。かと思えば、自動車で出かけたが、遅刻しそうになった。ところが、狭い道の真ん中をご老人が悠然と歩いている。どうやらこちらには全く気 がつかない様子だ。クラクションを鳴らしてびっくりさせてもと思い、結局イライラしながら後ろを付いていった。内心は「まったく邪魔だ、もう少し気をつけて歩いたらいいのに」と腹を立てるだろう。「済めば人 治れば病院 邪魔になり」会計が終わった患者は、もう他人。治った患者に病院いらぬ。とにかく、我々は「自分以外は全て邪魔」・・・なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


冬の雨 話相手も いない時

2018年01月17日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 東かがわ市は気圧の影響で、朝から雨が降っていた。気温は9度から14.0度、湿度は92%から72%、風は2mから5mの東の風が少しばかり。

 

 病室で寝てばかりいるので、雨だからと言って少しも影響はない。昨日の脳MRIや眼底検査で新たな出血や血栓はないと確認されて、今日の午後から心臓の検査になるが、午前中はドクターが外来診察のため、私らはすることがない。

 

 個人情報保護のため、「在室」だけの表示である。だから、私がここにいることなど誰も知らない。もちろん、普通の人は自分の氏名を公表している。

 

 昼間のテレビは面白くないし、昨日の瞳孔を開く点滴のために本や文字はかすんでよく見えない。だからと言って、寝てばかりいると夜が眠れない。

 

 今朝の昼食はこんなもの。今日のお昼は食事がない。

 

 お昼からは、お隣の方の検査が始まった。私の点滴も始まった。今日は、これが3袋の点滴になる。14時過ぎに「術衣」に着替えたが、一人が間に割り込んで、私の検査は15時半からになった。

 

 点滴をしたまま、車いすで、この「血管造影室」に看護師さんが連れて行ってくれる。部屋が掃除されて、新しく準備がなされていた。

 

 検査は右手首からと右あご下の頸部から、カテーテルを通して行う検査である。その手首と首筋だけの局部麻酔で、通常に会話も呼吸もできる。

 

 ドクターたちは、こうして幾つものモニターを見ながらカテーテルを通していって心臓の内部や血管などを検査している。私は全くのまな板の鯉状態。「はい、大きく息をして・・・吐いて・・・止めて・・・はい、楽にして・・・」の連続。

 

 30分弱の検査でおしまい。心臓も血管もきれいで異常なし・・・とのこと。当面、外科手術は不要とのこと。当面は、胸水をいかにして止めるか、防ぐか・・ということで、さらに「利尿剤」が追加された・・・。

 

 この手首の止血が完全に終わるまで退院はダメ・・ということで、一晩の宿泊が追加となった。

 

 右手が使えない・・・ということで、楊枝が差してある食事になった。左手だけで食べるのだが、楊枝が細くて小さいものだから、うまくは食べられない。それでもお昼抜きだから完食した。

 

 この圧迫も強いので、なかなかに痛い。

 

 首筋はそんなに圧迫していないので苦しくはない。これで一晩を過ごすわけだ。

 

  今日の掲示板はこれ。「ふみはずし 迷いとまどいきた道も ふりかえみれば佛になる道」というもの。私たちの五悪も五逆もみんなみな、私たちたちが生きていく上で必要な善玉の悪。私たちの迷いもとまどいも、それは私が生きて行く上で大切なことだった。そのことこそが、私が私なりに・・・佛になるための要素であったと思われるのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


ツイッター

<script type="text/javascript" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>