まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

じんじんと梅雨降りしきり爪を切る

2021年05月20日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、梅雨前線が西日本を北上するため、雨や雷雨となっていた。気温は18.5度から23.8度、湿度は98%から86%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の21日のさぬき市地方は、午前中は梅雨前線が西日本を南下するため、朝まで雨や雷雨となる見込みで、昼前からは気圧の谷の影響で曇るらしい。

 

 114/63/79 36.2c-98% 64.8Kg 22.2c-69%-1013hPa 体調に変化はない。

 

 昨日の「ためしてガッテン(NHK)」で、COPD(慢性閉塞性肺疾患)のことをやっていたが、呼吸が荒くなるとか重いものを持てないとかいくつかの共通点はあったのだけれど、毎回、レントゲン検査を受けているのに、そういう指摘は一度もなかった。

 

 私の場合は、心不全で画像左のように肺が縮小しているために、呼吸困難になるらしいので、COPDとは関係ないなぁと眺めていた。でも、若い頃にはたばこを40本から60本もを吸っていたのだから、そういう症状にはなっているのかも知れない。

 

 ということで、今日も朝方は「エンディングノート」の修正作業をやっていた。多くの場合、記入日を今年の6月に修正するものだった。大勢にかわりはない。

 

 芸能人のどなたかが、「やりたいことはやって済んだ」というようなことを話していたようだが、そんな気分である。やりたい放題にやって済んだ。やり残したことは何もない・・・という思いである。

 

 財産目録もエンディングノートの修正作業も済んだ。

 

 今日の午前10時からは月に一度のケアマネさんの訪問日であった。で、近況報告から昨日の市民病院でのいきさつの報告をしておいたし、明日の香川医大付属病院での診察予定のお話もしておいた。

 

 このケアマネさんは3月からの担当なので、改めて私のことを話しておいた。私の心臓病、心不全症候群はステージDの最終位置にあること。今度、何かあれば心臓は回復しないこと。

 

 こういうことで、心臓移植や補助人工心臓は年齢的にもムリなんじゃないかということだったし、人生の最終段階のケアになるとの説明だった。もう、後はないのである。症状のコントロールを地道に続けるしかない。

 

 昨日の市民病院でも指摘をされたが、右のような「心膜炎」が進んでいるが、これに対する手術はできないし薬もないことを確認している。この心外膜の硬化で心臓が動きにくくなって水分処理ができないことも香川医大付属病院で告知されている。

 

 そんなことよりもである。昨日、市民病院の内科の看護師さんから携帯電話に連絡があったのだが、私の車のスピーカから着信音が流れ、応答したら、看護師さんの声が車のスピーカーから聞こえるのには驚いた。私は何も設定なんぞしておらず、何をどうしていいかわからずに右往左往したことだった。結局、車から降りて、車外から連絡し直して通話できたのだけれど、iPhoneにしたら、そんなことができるのかと、ケアマネさんと大笑いしたことだった。Bluetooth®が何なんだかまるで分かっていない私であった。

 

 富山からの氷見うどんは到着したが、今日はつつましやかにシラスご飯になった。右はアナゴ入りの卵焼きである。

 

 おうどんは、早速にののさまにお供えしておいた。

 

 今日の掲示板はこれ。「金が欲しさにいのちを忘れ、いのちなくなりゃ金いらん」という毎田周一さんの言葉から。いつも御世話になっている赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。毎田周一(まいだしゅういち)(1906-1967)は、日本の仏教思想家・詩人。金沢市出身。第四高等学校を経て、1929年京都帝国大学文学部哲学科卒業。1937年 長野県師範学校教諭、1942年石川県師範学校教諭。暁烏敏に師事し、西田幾太郎に学ぶ。雑誌『真』、『大雪山』主宰。仏教の教えを日常の言葉で語り、多くの解説書や詩を残した。没後「毎田周一全集」が纏められた。他にも◎愚禿とは最も鋭利なメスの切り先だ。◎自分とは、最も身近にある他人だ。自分を持て余すというぢゃないか。◎貧しさそのものは不幸ではない。富めるものと比較するとき、不幸になる。などがある。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


巣ごもりにサワラの押し寿司食べている

2021年05月15日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、梅雨前線や湿った空気の影響で曇っていた。夕方からは雨が降るらしい。気温は17.7度から24.5度、湿度は96%から72%、風は2mから4mの東南東の風が少しばかり。明日の16日のさぬき市地方は、梅雨前線や湿った空気の影響で、断続的に雨となる見込み。

 

 114/69/80 35.9c-96% 65.6Kg 21.3c-69%-1014hPa 今日も身体が重たい感じでおなかが張っている感じ。痛みとか苦しいとかはない。

 

 さて、昨日に友人から「サワラ」を頂いた。サワラ(鰆、馬鮫魚)、スズキ目・サバ科に属する海水魚の一種。細長い体の大型肉食魚で、食用に漁獲される。 成長するに従ってサゴシ(青箭魚)(サゴチとも・40-50cm)、ナギ(50-60cm)、サワラ(60cm以上)と呼び名が変わる出世魚でもある。体長が細長く「狭い腹」から「狭腹(サワラ)」と呼ばれるようになったとする説があるという。

 

 で、夕食はサワラ寿司になった。奥方の大胆な調理である。

 

 それに刺身にもなった。昨日は奥方がお休みだったのだ。

 

 讃岐では、「麦うらし」とか「ハルイオ」とかという風習があって、ソラマメに実が入り、麦が熟れ始めると瀬戸の海はさわら漁でにぎわいを見せる。その頃になると、農家ではサワラを買ってそれを嫁に持たせて実家に帰らせた。これからの麦刈り、田植えという農繁期に入る前のひとときの休暇だった。

 

 このさわら料理の主役が、「押し抜きずし」である。また、若いお嫁さんが実家で「押し抜きずし」を作り、これを持って婚家へ戻るしきたりがあった。すし米とサワラやタコ、エビなど瀬戸内の魚介類を木型に詰めて抜き、煮アナゴ、エビのおぼろ、錦糸(きんし)卵、シイタケ、旬の野菜を乗せる。そこにソラマメも欠かせない。ひとくちほおばると、甘めのしゃりやおぼろと、酢で締めたサワラの濃厚な味が口の中でまざり合い、瀬戸内の春を感じるのである。

 

 だが、その鰆寿司を食べると、その後には忙しい田植えが待っていた。そういう意味での、PTAや各種団体などでも、この頃には「ハルイオ」という懇親会が行われ、そのご馳走を食べると運動会や各種イベント、販売運動などが待っているのだった。

 

 これが今日のお昼である。サワラの押し寿司にサワラの揚げ物である。これが夕食にまで引き継がれる。でも、我が家の今年には、田植えもイベントも会合も宴会もない。気にすることなくサワラの押し寿司が食べられるというものだ。

 

 きょう15日は梅雨前線の北上に伴い、九州や中国四国地方は曇りや雨の所が多くなっている。気象庁はお昼前(午前11時)「九州北部(山口県を含む)、四国、中国が梅雨入りしたとみられる」と発表した。いずれも記録的に早い梅雨入りだという。九州北部は平年より20日早く、昨年より27日早い。統計開始以来2番目の早さ。四国は平年より21日早く、昨年より26日早い。統計開始以来最も早い。中国は平年より22日早く、昨年より26日早い。統計開始以来2番目の早さだという。

 

 梅雨は季節現象であり、梅雨の入り明けには、平均的に5日間程度の「移り変わり」の期間がある。なお、この梅雨入りの発表は速報値。秋に再検討され、見直されることがあるという。

 

 今日の掲示板はこれ。「どう もがいてもダメなときがある 手を合わせるしかないときがある 本当の目が開くのは そのときである」という相田みつをさんの言葉からである。相田みつをさん(1924~1991・栃木県) 詩人。書家。若いころは陽の目を見なかったが、60歳の時に出版した詩集「にんげんだもの」で世間に知られるようになる。その後、同詩集はミリオンセラー になり、1996年には相田みつお美術館が開館したが、本人はすでに亡くなった後のことであった。シンプルな詩を、独特の書体で書きとめた作品が人々の心を掴んだ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


藤棚に願いも添えて地蔵堂

2021年04月23日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で薄雲が広がっていた。気温は13.6度から21.9度、湿度は66%から54%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の24日のさぬき市地方は、気圧の谷の影響で曇るけれど、午後からは高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 116/78/80 36.2c-97% 64.8kg 17.6c-39%-1023hPa 今日も眠たいばかりだ。

 

 夜はしっかりと寝ているはずなんだが、なんだか眠たい毎日。

 

 今日はふと思い立って、86番札所の志度寺さんにやってきた。大窪寺ガイドをする上で、志度寺さんのガイド法を学びたいと考えていて、その下見というか、現状確認のためである。これは「海女(あま)の墓」と言われているもの。

 

 というものだそうだが、

 

 少し前までは、このような柵がしてあった。倒壊防止と毀損防止の意味だと聞いたことがある。これを削って持ち帰る人がいるとかいないとか。

 

 それが最近は、こういう簡易な柵になっている。何かの工事が行われる雰囲気が漂っている。

 

 それに、手前に、何かの舞台のようなしつらえがしてある。

 

 ここは、「志度寺植物園」と呼ばれるくらい多種多様な植物が植えられている。それも無造作に置かれた・・・という景色である。

 

 本堂前も、これこの通り。少し前には、ここで大護摩供養が行われたくらい広かったのだが、今は植物の群生になっている。何か被写体になるようなお花はないかなぁと探してみたが、多くの花が終わった感じ。

 

 広い境内に、このお遍路さんが一人だけ。一般のお参りの人も見かけなかった。動いているのは園芸屋さんの重機だけ。

 

 一通り、境内を歩いて調べてから、今度は、志度寺さんと長尾寺さんの中間地点にある「玉泉寺(ぎょくせんじ)」さんに寄ってみた。宗派は天台宗山門派。山号は霊雲山。本尊は日切地蔵菩薩。四国八十八箇所第八十七番札所長尾寺奥の院、新四国曼荼羅霊場第九番札所である。

 

 ここの本堂前にはこうした藤棚があって、今が見頃だと聞いたもので寄ってみた。この藤の木の詳しい情報はない。

 

 本堂の中からはホラ貝の音が聞こえて、お寺さんらしい雰囲気の境内である。住職さんは尼さんだったような記憶がある。

 

 帰ると、ガイド用のハンドフリーのミニ拡声器が届いていた。おもちゃのようなものだが、少人数でのガイド、感染症対策用として準備したもの。これでOKならば、幾つか用意したいもの。

 

 今日の掲示板はこれ。「この世にはいろんな山がある それぞれにそれぞれの頂きがある」というもの。「この世にはいろんな花がある それぞれにそれぞれの花びらがある」みたいなことか。人によって、それぞれの山のイメージがあり、山というと乗り越えなければならない試練にも感じるけれど、もう少し身近なものでイメージすると目標であったり、目的であったりするかも知れない。頂きはそれを乗り越えたとき、達成したときに感じるもので、そこから見えるものは、それまでの景色とは違うはず。これも「荒了寛」さんのことばから。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


岩肌を染め上げていく山つつじ

2021年04月19日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は8.5度から20.1度、湿度は78%から50%、風は2mから5mの西の風が一時は強かった。明日の20日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 114/70/81 36.1c-98% 65.2Kg 17.2c-49%-1015hPa 数字的には問題がないが、やたらと眠たいばかりである。

 睡眠時間は21時から朝の5時30分。しっかりと寝たと思うのだが熟睡はしていなかったんだろうか。それに足がしびれて歩けない。

 

 ほかの数字的には問題はないみたいだけれど。

 

 さて、今日もワカメの切り分けをしようと思うと、妙に軽くなっている。おそらく奥方が施設のお友達のところへ持って行ったに違いない。

 

 ま、何なりと頂くこともあるので、そのお返しかも知れない。私も手間が省けて楽になったというものだ。

 

 昨日のワカメの軸は、「茎煮」になっていた。これも、こんな量ではなかったように思うが。

 

 それでもまだまだ、こんなにワカメが残っている。

 

 それを包丁で軸と葉っぱを切り分けていたが、最後には面倒になってきて、葉っぱを引き千切ったり、無理矢理引き裂いたりする。

 

 それをバーベキュー用の網に載せて天日干しにしておく。

 

 10時には、ケアマネさんの月に一度の家庭訪問があって、現状確認やら身体の具合を確かめたりする。それと月間の介護計画とかと。

 

 今、どこの病院にかかっているかとか、どういう治療を受けているかとか。

 

 「ワカメがよく匂いますが、海でリラックスしてきたんですか」と言われたのだけれど、リラックスしてきたんだろうか。

 

 リラックスするために島の家に帰ったんだけれど、雨には降られるし、草刈り機はまだ使えないし、散歩に行っても長靴が重くて歩けなかったし・・。動きたいのに動けないというストレスもあったのかなぁ・・などと。

 

 今日の掲示板はこれ。「云うべき時に云わず やるべき時にやらなければ いかほどの知識があろうとも何の役にも立たない」という荒了寛さんの言葉から。なるほど!そうだなって!って思って、なるべくその言葉を意識して行動しようと思ってはいるのだけれど、わかっていてもなかなか行動できないもの。言葉ひとつで、今の自分の意識を変えてみたり、すごく刺激になったり、落ち込んでる時に励みになったり....言葉の力ってすごいものだなぁと思いつつ、今日は今日の風に吹かれてばかりの私。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


ただ無心今日山吹は咲ききって

2021年04月17日 | 自然ありのままに

 丸亀市地方は気圧の関係で朝から雨が降っていた。気温は14度から18度、湿度は96%から82%、風は1mから5mの西の風が少しばかり。

 

 117/77/80 36.2c-98% 63.4kg 19.8c-69%-1027hPa 数字的に問題はないがなんだか眠たいばかりだ。朝の5時過ぎに起きて6時過ぎに我が家を出て、丸亀市の三男の弟を乗せて9時前に丸亀港着。9:25分発のフェリー「しわく丸」でしわく広島の江ノ浦港を目指している。

 

 小雨は降っていたが風はほとんどなかった。

 

 島の家には10時前に付く。思ったより草の量は多くはない。背後にある筈の王頭山が霧に隠れて全く見えない。

 

 そこで、弟二人で軽トラに乗って島を一周してきたが、今の時期、何の収穫も見所もない。島の各地に、こうした標識が立てられている。日本遺産に認定されたかららしい。

 

 昔の灯標(灯台の小型)は灯油(石油)で明かりを灯していたらしい。その灯油倉庫がしわく広島には残されている。

 

 これがしわく広島沖にある「羽節岩灯標」である。今は無人の電気点灯式になっている。

 

 これが我が家近くにある標識で、「王頭山(王頭砂漠)」についての標識である。正面に見える家の裏側に我が家がある。

 

 夕方になると雨もあがったので、弟は草刈りを始めた。私はまだ草刈り機は使えない。

 

 だから、弟が草刈りをするのを眺めているばかりである。次男のよっくんは夕方でないと来られないという。その間に、二人は簡単な夕食を食べておくことにした。

 

 男の食卓はこんなものだ。

 

 急遽、スーパーで買い集めてきたものを並べただけのもの。18時過ぎに次男がやってきて、急遽、ワカメ取りに弟二人は出掛けて行った。

 

 ワカメをゴミ袋にいっぱい採ってきてからが三人揃っての夕食になった。

 

 次男はこうしたシーバス狙いに出掛けて行ったが、釣果はまるでなかった様子。

 

 今日の掲示板はこれ。「心の中に降る雨に 人の情けが傘をさす」というもの。この言葉は、人それぞれの感じ方によって解釈してよいのではなかろうか。人生の一番の悲しみの時や最大の危機の時に感ずるものであろう。人生において大嵐で難破しそうなときもある。助言・支援などで立ち直ることもある。 物質的なものは、支援・援助で再起できるが、心の痛みは難しいものだ。これまた千差万別である。心の中に降る雨は人の情けが傘となって立ち直ることもあろう。その傘はいろいろだ。傘のような役割を果たすものから傘そのものであることもある。私たちは誰もが一人で生きることはできない。誰だかの支え、願い、支援によって辛うじて私たちは生きているように思う。それらの支援が自分の目に見える場合もあれば、見えないところで支えていただいている場合もあって・・・。他人様の親切の暖かさに触れて、元気をいただき、落ち込んだときも起き上がることができるのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


つかの間のはかなき夢や雪吹雪

2021年02月17日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、寒気や湿った空気の影響で概ね曇り、朝から雪が降っていた。気温は4.2度から-0.1度、湿度は80%から60%、風は8mから5mの西の風が一時は強かった。今夜も冬型の気圧配置となるため曇り、雪が降るらしい。明日の18日のさぬき市地方は、引き続き冬型の気圧配置となるため曇り、雪の降る所がある見込みらしい。

 

 111/71/78 36.4c-98% 62.8Kg 19.5c-43%-1008hPa 体調に変化無し。朝、目が覚めたら雪だった。今年は温かいせいか雪が見えないなぁと思っていたらば、やはり、この時期は雪になる。

 

 湿った雪がジャカジャカと降る中を、奥方は慌てて出て行った。幸い、道路には雪はない。後には洗濯物がそのままになっていた。それを部屋干ししておいた。

 

 これは十年日記だが、2月18日前後には雪が降る。2013年の2月18日に母が亡くなった時、この日も珍しく大雪になった。お葬式の日に雪とは、母もいたずら好きやなぁと話したが、翌年の向かわれも三回忌も雪になって大慌てになった。この時期を過ぎたらさぬき路は春になる。

 

 子どもの頃には、こんな雪が毎年だったが近年は温暖化のせいか雪は珍しくなった。だからタイヤもノーマルのままだし、タイヤチェーンも用意しなくなった。

 

 そんな中、注文してあったプリンターが届いた。それも二台が同時に届いた。配達のお兄ちゃんが、「さすが、このあたりは風情がありますねぇ」と雪景色を楽しそうに眺めていた。

 

 これが、筋が入って印刷できなくなったプリンターの後継機である。これがないと、私の本が作れない。この機種はもう三台目である。もう生産も市販もしていない。

 

 これが、これまでのCANONのD450というプリンターで、全く同じ物を探してきた。だと、操作が同じでトナーも同じ物が使えるからだ。

 

 もう一台は、ブラザーの両面印刷用のトナープリンターである。これも私の本作りには欠かせないもの。

 

 動かないと思えばトナーの装着を忘れていたり、保護材がそのままで動かなかったりと右往左往するばかり。

 

 それからドライバーのインストールなんぞでお昼が来たが、お昼どころではなくて、そのままインストールの作業続行。

 

 これでは大窪寺も雪だなぁと考えていたらば、

 

 あっという間に普通の景色に戻ってしまった。なんともはかない淡雪であったことか。それでも今夜も氷点下になるらしいが、明日は晴になりそうな予想が出ている。

 

 今日の掲示板はこれ。「それもこれも みんな当たり前だと思った時から 私の不幸は始まる」というもの。いつもお世話になっているお寺さんの掲示板からである。

自分の今の幸運を、
当たり前と思った時に、
不運は始まる。

自分と付き合ってくれている人が、心優しい。
そのことを当たり前と思った時に、
不幸は始まる。

気がついた時には、
酷い人に囲まれている。

自分のことを良くしてくれる人がいる。
それで図に乗った時に、
地獄の入り口にきている。

一度去ったその人は、もう戻らない。
なぜなら、
その人は、去る前に、できる事を精一杯しているから。

(加藤諦三 金のたまごを生むから)

 ※図に乗るの「」とは、仏教の法会などで僧が唱える声楽『声明(しょうみょう)』の転調のこと。調子に乗るという意味。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


喪のハガキまだやってくるもう二十日

2020年12月19日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は寒気や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は7.5度から9.0度、湿度は74%から60%、風は3mから5mの西北西の風が幾分か冷たかった。明日の20日のさぬき市地方は、引き続き冬型の気圧配置となるため、概ね曇る見込みらしい。

 

 110/52/86 36.8c-97% 63.4Kg 8.5c-61%-1023hPa 体調に変化はない。

 

 昨年の今日は、県立病院でこのような食事を食べていたらしい。あれから、もう、一年になってしまったのか・・。おなかが張る。足がむくんで歩けない。右目が白内障で全く見えない。体重が77Kgもあったという状態での緊急入院だった。

 

 朝の間、ポータルサイトの更新をやっておいた。来年用のカレンダーである。

 

 来年の予定はルーティーンのお仕事くらいで、さほど大きなお仕事は予定していない。もう、講演会も法話会もおことわり状態。あとは気楽に生きてゆくばかりである。

 

 1月、2月の予定表もできているが、これという行事やイベントはない。来年の最大のイベントと言えば11月の金婚式だが、お祝いはあるんだろうか。

 

 さて、朝方に奥方が、「今日は一階に掃除機を掛けておいてくれるとうれしいな。」と言って出掛けて行った。一階は奥方の掃除範囲なんだが、最近はお疲れなのか寝てばかりいる。

 

 仕方がないので、リビングやキッチンなんぞに掃除機をかけておいた。

 

 ま、形ばかりのお掃除である。子どもや孫が居るわけではないので、そんなに汚れがあるわけではないので、一通り掃除機を流せば、それでおしまいである。

 

 で、肌寒いものだから囲炉裏に火をおこしてみた。火を熾して何をするというのでもない。ただ、囲炉裏の火が恋しかっただけのことである。

 

 若い頃には、こういうものを作るのが好きだったのだが、最近は何をするのもおっくうになってきた。面倒くさいのである。そういう気力も体力もなくなってきた。

 

 で、お昼からはさぬき市の広報ほかを8軒分配ってきた。しかしのかかし、土曜日だというのに、8戸ともに誰もいない。働きに行っているものかお買い物に出ているものか、物音ひとつしない集落である。

 

 さぬき市地方の天気予報はこんなだったが、お昼過ぎからは雨になった。

 

 大慌てで洗濯物を片付けたりして、一階の掃除はリビングだけになってしまった。ということで、掃除スイッチは入らずじまいになってしまった。

 

  今日の掲示板はこれ。「蓋ある水に月はやどらじ」という蓮如上人のことばからである。あるとき、一休禅師は蓮如上人の書かれた御文章を何度も読んで、蓮如上人の教えの中に矛盾と思われる点を見つけ、今度こそはと一首の歌を蓮如上人に送ったという。その歌とは次のような内容だった。
 「阿弥陀には まことの慈悲はなかりけり たのむ衆生をのみぞ助すくる」
 「阿弥陀仏は、あらゆる衆生を浄土に救うといいながら、まことの慈悲なんてないのではないか。たのむ衆生は救うが、たのまない衆生は助けないではないか。これでは不平等であり、本当の慈悲がある仏とは思えない。」ということであった。これに対して、蓮如上人は「一休のような者でも阿弥陀仏の救いは分らんとみえる。」と返歌を作られ、一休禅師に送ったのである。そこには、阿弥陀仏の本願の真髄が見事に表現されていた。
 「阿弥陀には 隔つる心はなけれども 蓋ある水に月は宿らじ」
 「阿弥陀さまのお慈悲は、まるで月の光のように、誰の上にも分け隔てなく平等に注がれている。綺麗な水にも汚れた水にも広い海の水にも、狭い池の水にも静かな水にも激しく流れる水にも隔てなく月の光を注いで下さっている。問題は阿弥陀仏の側にあるのではなく、光を頂く衆生の側にある。必ず救う、我にまかせよというお慈悲の光も、心に蓋をしていたのでは、映るものも映らない、宿るものも宿らない。」という意味であった。自力仏教の禅宗の一休禅師には、他力仏教の信心の神髄が見えていなかったのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


もみじ葉に託す辞世のうらおもて

2020年11月19日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方からは次第に曇り、夜遅くは雨や雷雨となる見込み。夜遅くには、落雷、突風、急な強い雨の可能性があるらしい。気温は14.5度から27.4度、湿度は96%から62%、風は1mから2mの東南東の風が少しばかり。明日の20日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で朝まで雨や雷雨となる見込み。午後からは高気圧に覆われるため、次第に晴れてくるらしい。

 

 112/60/79 36.2c-96% 62.4Kg 22.3c-59%-1027hPa 体調に変化はない。かと言って心臓病は治らないから健康体であるとは言えない。

 

 ほとんど陳腐化しているポータルサイトの更新を少しばかりやっていた。増築・改築ばかりをやってきて、今は訳の分からないホームページになっていて、毎月の行事予定だけを更新している状態。私の備忘録みたいなものだ。

 

 で、今日はようやくに12月分の更新をやってみた。12月も特に変化のない月になりそう。恒例の内科検診があるくらいなものだ。あとは年末の迎春準備とか餅つきとかくらいなものになった。

 

 さて、いつまでも引っ張るのだが、この楡の木。最初はこの場所には生えていなかったことは証明できた。では、いつ頃から、この木が生えてきたのかというと定かなことではない。

 

 で、何気なく見つけてきたこの写真。10年前の平成22年(2010)の夏の写真である。だから新築して4年後ということになる。わずか4年であれだけ大きくなっているのに驚いたと同時に、それには少しも気づかない私がいたことも驚きだった。手前の植物群は奥方が植えたもの。

 

 で、恒例となった「我が家の十大ニュース」である。①香川医大救命救急センターに救急搬送される ②香川医大付属病院で血液透析を受ける ③香川医大付属病院でCRT・ペースメーカー増強植え込み手術を受ける ④香川医大付属病院で死亡宣告を受ける ⑤食べ物アレルギーで蕁麻疹発症・救急搬送三度(カレイのタマゴ・牛肉・生ハム)⑥尿道閉塞開削手術 ⑦白内障右目手術 ⑧臍帯ヘルニア手術 ⑨介護認定・要介護2指定 ⑩フルムーン日本縦断新幹線旅行と言った具合。順序は難しいところ。

 

 観光ガイド大窪寺班の今年の活動報告書も作っておいた。

 

 こうしていると、一日中、パソコン作業ばかりに見えるかも知れないが、そんなことはなくて、洗濯物を干したり、集落内を散歩したり、スーパーでお買い物をしたりと、結構、あれこれとやっているのだけれど。

 

 今朝は霜にならずに露になっていたようで、朝日にしずくが輝いて夏のようだなぁと思ったことだった。

 

 で、今日は19日と言うことで、さぬき市の広報の配布準備である。今月は感染症対策の関係か配布する資料が少ない。どこも事業を休んだりやめたりしているのだろう。

  

 これがさぬき市の広報「さぬき」である。これを明日の20日に各戸に配布して回ることになる。

 

 今日の掲示板はこれ。この時期には決まって出てくる言葉。「裏をみせ おもてをみせて 散るもみじ」という良寛さんの言葉とされている。良寛の晩年の楽しみは、彼を師と慕う貞心尼との歌のやりとりだったという。良寛危篤の知らせを受けた貞心尼は急ぎ駆けつける。臨終までの一週間、心を尽くして良寛の世話をした。その間、二人は歌を詠み交わした。貞心尼が、高齢となり死期の迫ってきた良寛さんのもとに駆けつけると、良寛さんは辛い体を起こされ貞心尼の手をとり「いついつと まちにし人は きたりけり いまはあいみて 何か思わん」と詠まれた。そして最後に貞心尼の耳元で「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」とつぶやかれてお亡くなりになったという。この歌には「あなたには自分の悪い面も良い面も全てさらけ出しました。その上であなたはそれを受け止めてくれましたね。そんなあなたに看取られながら旅立つことができます」という貞心尼に対する深い愛情と感謝の念が込められているのだといわれている。この最後の「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」について、貞心尼は「この歌は良寛さんご自身の歌ではないが、師のお心にかなうものでとても尊いものだ」おっしゃっている。良寛さんの着飾らなく真摯な人柄に触れ、心が和み、幸せな気持ちになる、そんな歌ではないだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


紅葉の梵天帝釈生きている

2020年11月01日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で昼過ぎから次第に曇ってきた。気温は11.0度から21.0度、湿度は88%から66%、風は1mから4mの東の風が少しばかり。明日の2日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で雨が降る見込み。

 

 110/56/79 36.3c-98% 62.2Kg 20.7c-54%-1022hPa 体調に変化はない。

 

 今日から11月の霜月。暦の上での「霜降」は先月の23日だったが、今年は温かいのか、そういう気配すらない。そして、この7日には「立冬」となっているが、なかなかに冬の足音も聞こえない。

 

 昨日は時間帯が悪かったからだと、今日は8時過ぎから出掛けてみた。これは東かがわ市五名地区の旧五名小学校跡地に残るイチョウである。

 

 午前8時過ぎだというのに、三脚やら大きなカメラを提げた人たちが続々とやってくる。若い人たちはスマホで紅葉を写している。これが大窪寺の大イチョウである。手前は「本坊」。紅葉は本坊境内にある庭園である。

 

 本坊庭園の紅葉はまだまだこれからという所か。今日は一眼レフを持たずに行ったのできれいな色が出ていない。

 

 これが大窪寺の大イチョウである。樹高は26m、胸高幹周りは7.23m、枝張りは東西が22.3m、南北が15.9m。樹齢については定かではない。江戸時代の古絵図にはイチョウの木らしきものは描かれて居らず、明治時代に植えられたとしても150年少々。500年説、700年説などもあるが詳細は不明。

 

 もう、足下には黄色い落葉がいっぱい舞い落ちている。

 

 この時期ならではのお遊びである。

 

 二天門前の紅葉はまだまだ、これからである。この二天門が大窪寺の山門で、梵天帝釈天の二天がいることから二天門と呼ばれている。

 

 で、明日からの旅行の準備。たった五日間なのに、この薬の多さはどうだ。

 

 この袋はサンフランシスコに行ったときにも薬袋として使われたもの。薬と、デジカメとタブレット端末と携帯。それに着替えが少々。そうそう、それらの充電器が大事。

 

 私愛用のリュックザックである。これもサンフランシスコに行ってきた。私の荷物はこれだけ。杖がいるかなぁと思ったけれど、新幹線とホテルだけだから、忘れる方が確実そうなので持って行かないことにした。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に確かなことなんてない。それだけが確かなことなんだ」という「ビューティフル・マインド」という映画の中の台詞から。「ビューティフル・マインド」は、統合失調症を発症した後、苦しい生活を送りながらもノーベル経済学賞を受賞した、実在する天才数学者、ジョン・ナッシュさんの半生を描く物語である。2001年度アカデミー賞では、作品賞、監督賞、助演女優賞、脚色賞の計4部門を受賞した傑作だという。全く、人生に確かな事はひとつもない。そのことだけが確かなことなんだ・・・。全く、それを思い知らされたこの一年であった。

 

じゃぁ、明日からは、「予約投稿」になる筈。私の投稿は11月の7日からになる予定。じゃぁ、また、その時に。


神無月尽きて見つめる体重計

2020年10月31日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は8.5度から18.4度、湿度は80%から54%、風は1mから3mの東北角風が少しばかり。明日の11月1日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷や湿った空気の影響で昼過ぎから次第に曇る見込みらしい。

 

 102/58/79  36.0c-96% 62.6Kg 18.4c-52%-1024hPa 体調は数字的には問題ないが、昨夜、弟とミニ壮行会をやったもので、少しばかり身体が重たい感じがする。

 

 弟の「たっくん」は起きると早々に草刈りを始めた。私の刈り残した土手の斜面部分の草刈り作業である。ここは足場が悪いので重い機械を持っての草刈りは危ないところ。

 

 私は昨日の続きの「夜間灯」の設置工事なんぞをやっていた。旅行が終わるまでは危ないことはしないこと。力仕事はしないことなどを厳命されているので軽微なことばかりをやっていた。

 

 そうこうする内に、自動車屋さんがやってきて、これが私の新しいマイカーになった。ダイハツのタントである。

 

 弟は刈り残しがないか確認しながらの草刈りである。

 

 弟は「アキニレ」だと言うのだが、私には何がなんだかわからない。あの舟木一夫の、「赤い夕日が校舎を染めて ニレの木陰に弾む声・・」の「ニレ」だというが、かまわずに切ってしまってとお願いをした。

 

 で、脚立を持って行って枝の細いところからの切断になった。でも、堅そうで難儀をしている様子。

 

 枝だって太くて重そう。

 

 で、半分ほどで作業中断。後は私が旅行から戻ってからの作業になりそうだ。

 

 長土堤の部分も、こんなだった斜面部分が・・・

 

 こんなにさっぱりとした。これで気持ちよく旅行に行けると言うものだ。

 

 で、お昼は、大窪寺の紅葉を眺めてから、打ち込みうどんでも・・と、新しい車で出掛けたものの・・・。ご覧の通りの渋滞気味。先日にはちらほらとしかいなかったのに、さすが紅葉シーズンともなればこの混みよう。車は詰まって動かないし、うどん屋さんは長蛇の列だ。私らは、「うどんくらいは並んで食べたくはない」というもの。

 

 でも、あちらこちらに行っても、大窪寺であふれた人たちが流れて集まってきていて、どこも行列状態。ようやくに、この「元気うどん」というセルフうどん」のお店に落ち着いた。

 

 大窪寺前の八十八庵のおうどんならば880円のはずが、ここでは180円のおうどんになった。ま、紅葉シーズンでは仕方がないか。

 

 今日の掲示板はこれ。「見えないところでつながりあって 生きているのは竹だけではない」という東井義雄さんのことばから。いつもの町内の善楽寺さんの掲示板から。最近は「自分のことは自分でする、ほっといてくれ」ということが多く聞かれるようになった。独立独歩、他人に世話をかけない、迷惑をかけない、それがかっこいいことだと信じられているし、親も子に、他人さまに迷惑をかけるな、と教えてきた。それはそれで確かに正しいことではあるのだけれど、しかし、人生はそれだけでは生きられない。何でも自分だけでできるなら、だれも挫折したり失敗したりはしないのだ。人生は挫折や失敗の連続。そんなとき、思いがけず、私を助けたり、勇気づけたりしてくれる人がいるものだ。そういうお互いの助け合いによって、社会というものがなりたっているのだ。竹薮の竹は、一本一本ずつ立ってはいるけれど、その根が藪全体に張りわたされ、つながっていることは知られていない。生命というものは決して一人では生きてはいけない、つながり合い助け合って生きているのだ。人の命もまた、つながりあって生きている。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


晩秋の楓の色にせかされる

2020年10月30日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、寒気や湿った空気の影響で夕方からは曇ってきた。気温は16.0度から18.2度、湿度は70%から56%、風は1mから4mの北北東の風が少しばかり。明日の31日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 106/61/78 36.2c-97% 62.4Kg 20.1c-55%-1020hPa 体調に変化はない。尿も体重も落ち着いてきた。

 

 先だ先だと思っていたのだが、11月が目の前に迫ってきた。そんなに立派な旅でもないのだが、やはり、それなりに緊張してくる。

 

 今回の旅行ではブログが書けない。そこで、11月の2日から6日までは「予定投稿」になって、あらかじめ書いておいた記事が、時間になると浮かび上がってくるという仕掛けになっている。今は、その記事の最終チェック段階。

 

 最終日の6日には、指宿温泉から鹿児島市内の「仙巌園」という万治元年(1658)に島津家19代光久によって築かれた島津家の別邸を訪れる予定。その、指宿から仙巌園までをどうやって行くのかがわからない。記号は「バス」なのだが、そんなルートのバスがあるものか、チャターバスなのかがクエスチョンマーク。ま、心配せんでも、ちゃんと連れて行ってはくれるのだろうけれど。

 

 で、最後の新幹線、「さくら558号」は、13:34分発。だから、午前中は、その「仙巌園」にいることになる。最後だから時間調整みたいなものか。これに乗れば岡山で戻って、この旅は一応の完結になる。あとは在来線のマリンライナーで高松に戻ってくる。

 

 そういうことで、持って行くリュックザックやら薬袋やらタオルやらを洗濯して干しておいた。そうそう、このマスクなんぞも洗っておいた。

 

 時間になったので、郵便局で私のお小遣いをおろしておいた。その後、今夜の小宴会の準備のお買い物。今晩、下の弟が草刈りに来てくれるので、ミニ壮行会みたいなものだ。

 

 それからはホームセンターを回って、夜間の玄関灯の品定め。

 

 というのも、こうした玄関灯がつけてあるのだが、13年も経てばセンサーが壊れたのか転倒しなくなった。電球は立派なものだから切れたりはしない。

 

 そういうときにも、「帯に短し襷(たすき)に長し」でいいものが見つからない。そこで、簡易に非常用の玄関灯を付けてみた。

 

 入り口にも玄関灯を付けてみた。旅行中の留守番をする夜間灯である。

 

 お昼は温泉玉子入りのおうどんである。別にダイエットをしているわけではないが、最近は控えめである。

 

 で、防災行政無線の電柱の「基礎部分」を見てきた。こういうコンクリートで固めておくらしい。で、明日の土曜日にはほぼ工事が終わるらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「眠られない人には夜が長いように 正しい教えを知らない人にはまよいが長い」というもの。
  (前略)
 弓矢を作る人が、矢を削ってまっすぐにするように、賢い人は、その心を正しくする。
心は抑え難く、軽くたち騒いでととのえ難い。この心をととのえてこそ、安らかさが得られる。花の香りは、風に逆らっては流れない。しかし、善い人の香りは、風に逆らって世に流れる。眠られない人に夜は長く、疲れた者に道は遠い。正しい教えを知らない人に、その迷いは長い。愚かにして愚かさを知るのは、愚かにして賢いと思うよりまさっている。愚かな人は常に名誉と利益とに苦しむ。上席を得たい、権利を得たい、利益を得たいと、常にこの欲のために苦しむ。大工が木をまっすぐにし、弓師が矢を矯(た)め直し、溝(みぞ)つくりが水を導くように、賢い人は心をととのえ導く。堅い岩が風に揺るがないように、賢い人はそしられてもほめられても心を動かさない。おのれに勝つのは、戦場で千万の敵に勝つよりもすぐれた勝利である。正しい教えを知らないで、百年生きるよりも、正しい教えを聞いて、一日生きる方がはるかにすぐれている。(後略)

          仏陀の言葉 (仏教伝道協会編『仏教聖典』より)

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


野路菊を避けて穴掘る建柱車

2020年10月27日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は12.5度から23.4度、湿度は82%から58%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の28日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 117/63/80 36.1c-97% 63.6Kg 16.6c-62%-1018hPa 体調に変化はないが体重が少しずつ増えているのが謎である。

 

 食事がぐんと増えたという訳でなし、お茶をがぶ飲みした訳でなし、アルコールを飲んだわけでもない。運動だって7000歩から8000歩は歩いているし、階段の昇降だって一日に何回も往復しているし・・・。

 

 運動不足だ、皮下脂肪だ、内臓脂肪だと言われてもなぁ・・・と、今日も草刈りをやってみた。もう、ブヨだのアブだのと言う害虫は居なくなったし、気楽に草刈りができる。たまにしつこい蜘蛛の巣がからんでくるばかりだ。

 

 昨年は、ほとんど草刈りや庭木の剪定なんぞはやれなかった。おなかが張って呼吸苦で動けなかったのだ。だから、どこもかしこも草まみれになっている。それを充電式草刈り機でなぎ払ってしまう。

 

 ここが我が家の最南端。大きな田んぼの隅っこになるものだから遊休地になっている。だから、このあたりは1mもの長い草が伸び放題になっていた。それを刈り倒しておく。母が居た頃にはお花なんぞも植えていたのだが、奥方は野菜畑だけで精一杯。

 

 最近はサルもウリボウもやってこないのか、野菜が順調に伸びている。この畑の周囲の草を刈り払ったということだ。

 

 昨日、診察を受けた泌尿器科から、膀胱なんぞの排出をよくする薬を処方してもらっていたので受け取りに行ってきた。とにかく、どこも悪くないそうだが、尿が出ていないような気がするだけだから、ま、薬でも飲んでおいてくださいな・・・みたいなことらしい。

 

 で、内科の予約診察日に合せて、12月14日までの49日分の朝昼夕の三食後だから、こんな量になった。

 

 これを薬箱に詰めたら、漢方薬「防風通聖散」がはみ出した。防風通聖散は内臓脂肪を減らす薬らしいが、さほどに効果があるようにも思えない。

 

 で、今日から、防災行政無線の建柱作業が始まった。普通は一本でいいところだが、うちの集落は山手の奥まった地域だから電波が届かない。そこで、受信用電柱と、拡声器用電柱と、そこまでに至る通信線用の電柱と三本も建てることになった。

 

 その現場を確認して、指定した位置に電柱を立てているかを確認してきた。工事は一週間程度かかるらしい。地元に迷惑を掛けないように随時パトロールしておくことにする。

 

 お昼からは、相変わらずの「白衣史研究」である。ま、お遍路さんが何を着て歩こうが自由と言えば自由なんだけれども、「ねぇねぇ~、ガイドさん。お遍路さんが白い服を着ているのは何で??」と、訪ねられた時、

 

 と、言うのではガイド役は務まらない。

 

 「実はねぇ・・・。バス会社のせいなんですよ」と、お話をすれば納得できるはず。

 

 大きな声では言えないけれど、小さな声では聞こえない。ここだけのお話。

 

 今日の掲示板はこれ。「吐いた言葉を呑みこめば 辛さ苦さが 喉を刺す」というもの。山田の法泉寺さんにあったものを利活用。「吐いた言葉を呑みこめば 辛(から)さ苦(にが)さが喉を刺す」。自分の言葉を呑み込んでみれば、辛さや苦さが喉を刺すようにきつい・・・。よくもこんな言葉を吐けるものだと驚かされる。よくよく言葉を吟味して話さねば・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


日暮れ時些細なことから秋を知る

2020年10月26日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は12.0度から21.1度、湿度は78%から48%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の27日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 103/48/78 36.2c-97% 63.2Kg 14.7c-65%-1018hPa 体調的には問題がないが、どうにも尿の量が少ないように思うし、体重が増えているような感じがする。

 

 今日は奥方がお休みだから朝食は7時過ぎになった。だから、今日は主夫はお休み。今日はおとなしくお勉強の日。

 

 忘れていたというか、まだまだ大丈夫と思っていたのだが、明日からの工事だから、今朝になって大慌てで「行政無線」の建柱工事の着工の周知文を作って各戸に配って歩いてきた。それで朝の散歩にした。

 

 で、いつもの「白衣史研究」になった。

 

 こういう資料があるのだが、「出典」というか、「出拠」がわからずにいたのだが、あれこれと探していて、ようやくに文書を発見することができた。これに朝の間は掛かっていたみたいなもの。

 

 四国遍路が、いつごろから白い着物、白衣を着るようになったのかを調べている。明治・大正あたりは模様の入った着物姿である。菅笠、お杖は持っているし、「札ばさみ」も胸に吊っている。でも、輪袈裟や半袈裟はまだない。

 

 奥方の車の車検が明日で切れるというので、代車を借りに行っていた奥方が、新しい車、タントを借りてきた。これに慣れておくようにということだった。

 

 でも、奥方は、こういう新しい機能ばかりがついた車はイヤだと、私がこれに乗ることになった。奥方は私のムーブに乗り換えるのだそうだ。

 

 で、ご近所を走ってきたが、そんなにも変わらんじゃないか。

 

 どうにも歯茎が腫れてなおらないので、相変わらずのおかゆである。まるで病人食みたいだ。

 

 こういう食事ではパワーも出ないが、致し方ない。最近は肩こりがするほどの作業もやっていないのだが・・・。

 

 3時からは泌尿器科の検査があった。尿の勢いを調べたり、カメラを尿道に通したりする検査、これにも慣れた。別に痛くもかゆくもない。

 

 で、大山鳴動して鼠一匹出て来ない・・・。ま、安心するやら、納得できないというか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「ほんのささいなできごとが生きる理由になることもある」というもので、いつもの町内の善楽寺さんのお寺の掲示板から。私たちは偶発的に生き物として存在していて、身体は新陳代謝により順次新しい物質に置き換わっている。精神だの頭脳だのという物だって、いつも生まれ変わり死に続けている。物質的なオリジナルは、どこにあるのだろうか?それでも、私たちは、生きることに執着し、自分だけの好き嫌いがあり、経験したことを記憶として留め、それを基盤に成長(改善)しようとしている。自分が分からなくなったら、空を見てみようではないか。そして、宇宙に想いを馳せてみようではないか。答えは見つからないかも知れないが、今ここにあるのは偶然、自分の今がどうであっても、自然はビクともしないものだ。たかが宇宙の片隅のほんの些細な出来事ではないか。それでも人は人と共に生きようとしている。あの人もこの人も人だ。些細なことにこだわらず一緒に生きる仲間と思えないだろうか。ほんの些細な出来事が、生きる理由になることだってあるじゃないか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。

 

ゴム跳びの輪ゴムが欲しいと思った日

2020年10月25日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は今期最低の9.0度から19.9度、湿度は74%から54%、風は1mから5mの西南西の風が少しばかり。明日の26日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて、概ね晴れる見込み。

 

 115/65/79 36.3c-98% 62.8Kg 14.1c-54%-1016hPa 体調に変化はないが、いつまでも肩こりのせいか歯茎がういて硬い物が食べられない。奥方は歯医者に行けというが、肩こりは歯医者では治せまいに。「歯が悪いから肩が凝るのよ」と言われてもなぁ・・・。

 

 ということで、今日はおかゆになった。しらす入りである。これでは、ますますパワーが落ちてしまいそう。

 

 今日は観光ガイドの「へんろ道研修」というものがあったのだが、私の出番はないようだし、いつもの前山地区から大窪寺に至る遍路道だから、大窪寺班のお庭みたいなもの。だから、今日はパスして「主夫道」をやっていた。

 

 お天気がいいものだから、私の布団や奥方の布団を干して、二階部分の掃除になった。最初はほうきでほこりを集めていたのだが、「そんなんじゃダメダメ。掃除機じゃないとほこりが空中を舞うだけでしょ」ときついダメだしが出た。ついでに、パジャマや着替えなんぞもみんな洗濯して干しておいた。

 

 私のベッドも布団を干して、高さを高くして、その下の綿埃を掃除機で吸い取ってみた。こういうときに、このベッドは簡単でいい。終われば元の高さに戻しておく。

 

 今日はまだ寒くもなく暑くもないので、家中の窓や引き戸を全開にしての換気もやっておく。

 

 奥方の寝室にも掃除機を掛けておく。だから、二階部分のトイレや洗面所なんぞも掃除機を掛けてさっぱりとしておいた。

 

 昨日のご法事のときにいただいたお花も廊下に活けておいた。投げ入れである。親戚のおうちがバラの栽培もやっているそうで、ご法事のたんびに、こうしてお花をみんなに配ってくれる。

 

 掃除が終われば、朝の散歩に出掛けた。少しばかり足にしびれが走るようだったが、歩き出すと平気になった。どうにも最近の体重の増加が気になってならないのだ。

 

 このコスモス畑も見頃は終わったみたい。

 

 この草刈りの続きもやりたいのだが、なかなかに、その気にはならないのだ。草刈り用の作業服は洗濯して干しておいたのだが・・・。

 

 ま、今日は日曜日だから・・・ということで、のんびりとしていてもいいだろう。ふむ、このあたりにも「セイタカアワダチソウ」が増えてきたような気がする。

 

 今日の掲示板はこれ。「昔は何もなかったが何かがあった 今は何でもあるが何かがない」これは「酒井 義一」先生(真宗大谷派存明寺住職)のお言葉からである。今は、物はたくさんあるのだけれども、本当に必要なものは何かと問われると、それが何かが分からない。物があふれすぎていて、便利な物が増えすぎていて、あれも欲しい、これも欲しいと思うけれど、本当にそれが必要かと問い詰められたら、いや、こんなものは欲しくないと思ったりする。反面、昔は何もなかった。食べるものも、着るものも、遊ぶ物も読むものも何もなかった。それでもこころは豊かで何かあたたかいものがあった。今、物はたくさんあるのだけれど、人の情けや愛情や友情や思いやりや慈しみや・・・そういうものがなくなったように思うのは私だけだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


つわぶきの花一面のおおらかさ

2020年10月24日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は14.0度から20.3度、湿度は80%から50%、風は3mから7mの西の風が一時は強かった。明日の25日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 112/55/79 35.8c-97% 62.0Kg 18.4c-52%-1010hPa 体調に変化はないが、やはり、体重と尿の量が気に掛かる。朝は64.4Kgにもなっていたが、お昼前には62.0Kgになった。やはり、尿が多く出れば体重は減る。

 

 「今日はテル子おばさんの四十九日だからよろしくね」と、言い残して奥方は6時前に出て行った。「・・・・・」と、呆然とする私。

 

 テーブル上にはのし袋だけ・・・。確か、退院してきた当時は、「ね、お願い!、そこに寝ているだけでいいから、生きていて・・・」と言ったはず・・・。

 

 家中のどこを探しても礼服の準備はない・・・。玄関を見ても靴の用意もない。先日の病院代の残りを並べてみると、1万4千円しかない・・。法要は午前10時からになっている。大急ぎでお包み袋に「お香典」と「お供え料」を包んで、礼服をタンスから探し出して・・・。こんな時には黒い靴下が見つからない。黒いネクタイも見つからない。見つけた靴下には穴があいている・・・。

 

 法要はお寺だと聞いたので、とりあえずはここへやってきた。いつも掲示板でお世話になっている赤松先生のお寺である。慌ててきたので「入れ歯」を忘れてきた。お念珠は礼服のポケットに入っていた。おつつみ袋は内ポケットに入れてきた。

 

 どうにか、時間前には間に合って法要になった。午前10時から12時までの2時間、三部経さまのおつとめだった。この叔母様は私の父の実姉である。確か、99歳での往生だったと聞かされた。今日の隣の席には、親父の実弟がいる。もう、この叔父さん一人になった。

 

 途中の休憩時間にも、話すことと言えば病気の話ばかりになった。「どななんや・・」「昨日も病院に行ってきたがな・・」みたいな情けない話ばかりに終始する。

 

 心配した「おとき」だが、時節柄、テイクアウトのお食事になって、会食や飲食にはならずにほっとした。ビールが出たらどうしよう、お酒が出たらどうしよう・・と思ったのだが、お料理膳をいただくと、そのまま帰宅することになった。新しい生活様式というか、「ニューノーマル」というのか、こういうのもいいかなぁと思ったことだった。

 

 だから、休憩時間中のお茶出しもない。こういう袋にお茶のペットボトルとお茶菓子が入っている。自分で勝手にどうぞ・・ということらしい。

 

 お料理とお供えをいただいて、自宅でお茶漬けを食べた。もう、時間は13時をすっかりと回っていた。

 

 最近は、朝ドラの影響で、「長崎の鐘」や「とんがり帽子」や「栄冠は君に輝く」「海の進軍」なんぞを歌っていたのだが、昨日から、この「遠き昭和の・・・」ばかりを歌うようになった。

 

 このサビの部分の「喧嘩もしたさ~突っ張りもしたさ 遠き昭和の・・・まぶしい時代~♪」ばかりを口ずさんでいる自分がいる。

 

 今日の掲示板はこれ。「思いわずらうな。なるようにしかならんから今をせつに生きよ。」という仏陀の言葉であるとされている。何も思い悩むことはない。なるようにしかならない(結局はなるようになる)のだから、何事にも囚われずに・・「今」を大切に、真剣に生きることが大切だよと言うとるらしい。「ああ、法事と言えばおときがあるのに、大事なときに入れ歯を忘れた」だの、「車で来たのに、お酒が出たらどうしよう・・」と考えたことがばからしい。奥方が、「今日のお昼はサケ茶漬けで食べておいてね・・・というたけど、法事におときはつきものなのになぁ・・」と考えたけど、結局は今日のお昼は「サケ茶漬け」になってしまったではないか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


ツイッター

<script type="text/javascript" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>