まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

霜月が壁の暦を掛け替える

2021年10月31日 | 時には日々是日

 31日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼前は雨が降っていた。気温は13.4度から19.8度、湿度は92%から72%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の11月1日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で昼前まで曇るが、午後からは晴れる見込み。

 

 104/63/78 36.2c-98%-62.4Kg 18.8c-56%-1025hPa 体調に変化はない。ただ、今日は気候のせいか気分的にだるい感じでねむたいばかり。

 

 さて、昨日に気が付いたのだけれど、何か、パソコンの画面が変わっている。私が変更したわけではないのに、何かおかしい・・。

 

 パソコンを使っていない人は意味が分からんだろうけれど、「Windowseマーク」というのがなくなってしまった。このマークをクリックすることで電源をシャットダウンしたり、再起動したり、各種設定などをする大事な記号なのである。だから、昨日は電源の切り方がわからずに強制的に電源を切ってしまった。

 

 今日は朝から雨である。これでは草刈りもできないし、山寺さんのイチョウ見物にも出かけられない。

 

 そこで、今日が月末だからということで、各種書類を整理していた。これは心臓病管理表である。肝心の体重も落ち着いてきているし、おなかの張りも足のむくみもなくなってきている。

 

 こちらが「日々管理表」というもの。その日に何をしたから体重が増えたとか、この日に何をしたから熱が出たとかということがわかるようになっている。

 

 こちらが「総合日記帳」というもの。これを見れば、「何年の何月何日には何をしたのか」ということがわかるようになっている。これだと、二年前の2019年の10月28日から11月2日まで入院していたのがわかる。で、その翌日には観光イベントに参加して、その日に救急搬送されて元の病院に運び込まれたことを思い出した。

 

 一方、こちらは民児協の会計管理表である。この会の年度は12月1日からスタートしているために11月30日が会計の締めになる。その準備である。

 

 各地で金木犀が開花したというニュースを聞くが、我が家の金木犀は三度目の開花になる。つまり、今年の「三度咲き」である。気温とかの気候のせいだとは思うのだが、花は何度咲いてもいいものだ。

 

 今日のお昼はこれ・・・である。「551」蓬莱の豚まん・あんまんである。豚肉はアレルギーのために食べられないので、あんまん一個だけになった。ま、今日は草刈りもしないのだからいいとしようか。

 

 しかしのかかし、牛肉も豚肉も食べられないというのは少しばかりさみしい。食べたことはないのだが、イノシシやヤギの肉もあかんのやろうね、たぶん。ただ、鶏肉、ニワトリは大丈夫というので唐揚げだけはOKである。

 

 今日の掲示板はあっさりとこれ。「反省することは反省する。でも一度寝たら忘れる」という、ヤクルトの生んだスーパーキャッチャーであり名監督であった古田敦也さんの言葉から。反省は大事だけど、それをいつまでも引きずっていると「暗くなる」。一度反省したなら、それを次回に活かせばいい。明日は明日の風が吹くものだ。もっとも、私は加齢のためか寝なくてもすっかりと忘れてしまうのだけれど・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


山茶花に今日の話を聞かせよう

2021年10月30日 | 時には日々是日

 30日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方から曇るらしい。気温は9.7度から20度、湿度は74%から62%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の31日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、明け方から朝にかけて雨が降る見込み。夕方からは晴れるらしい。

 

 圧迫時103 解放時63 脈拍78 体温36.4c 酸素濃度98% 体重62.6Kg 室温16.2c 室内湿度55% 気圧1028hPa 体調に変化はない。

 

 私の部屋は介護ベッドやらパソコンデスクやらパソコン4台にプリンター台などがあるものだから、掃除機が入らない。むろん箒も使えない。そこでブロアでベッドの下やらプリンターの隙間やらを圧縮空気で埃を追い出してみた。すると、ものすごい綿埃の山が出来上がってたまげたことだった。

  

 そういえば、このエアコンも温かい空気が出なくなったなぁと眺めていたが、思い切ってハシゴを掛けてフィルターを取り出してみた。

 

 案の定、綿埃を吸い込んでフィルターが目詰まりを起こしている。足が悪いから低い梯子でもビクビクものである。若いころには平気で5m、10mの電柱に昇り降りしていたのにわずか50Cmの梯子が怖くなった。

 

 それを水道水で洗い流してブラシで掃除をした。こんな些細なことも恐ろしくなったのだから情けないことだ。

 

 で、フィルターを戻すと、熱いくらいの熱風が噴出した。ああ、こういうことだったのかと、しばし、眺めていた私だった。

 

 さて、連日の裏庭である。一日に5mほどしか草刈りができていないので、まだまだ、こんなにも残っている。

 

 これを、充電式の草刈り機でやっつけようと考えたのだ。隣には長い柄のついた刈り払い鎌も用意してある。

 

 作業は、まず恰好からである。服装をきちんとやらないと危険が危ない(笑)。

 

 で、悪戦苦闘して、今日も畳二畳分くらいしか草刈りができなかった。足元が悪いのと、蔦やかづらが入り組んでいてなかなかに前には進めない。ま、いつまでという工期も納期もないのだから、ゆっくりとやればいいのだ。

 

 その後は、来年三月の行事予定のプラン作りをやっていた。もう、今年のイベントは時期的に間に合わない。12月、1月とはお休みしたいので、来年三月あたりからの活動になりそう。その準備である。

 

 ガイドのルート選定もやってみた。いろんなプランがあるのだけれど、これも参考資料みたいなもの。俗にいう「たたき台」である。

 

 本当は、今からが山寺さんの観光ガイドが最高なのだけれど、今年は感染症対策のためにお勉強ばかりになってしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「金をつかむ者は人を見ず 鹿をおう者は山を見ず」。鹿を捕えようとしている者は、獲物にばかり気を取られて山全体のことが目に入らなくなってしまうことから。「追う」は「逐う」とも書く。「鹿を逐う猟師は山を見ず」ともいう。眼の先のことばかりにこころを奪われて、周囲のことなんぞ気にもかけていないことを言うておるのだと思う。木を数えて林を忘れる/木を見て森を見ず/金を攫む者は人を見ず/木っ端を拾うて材木を流す/小鳥を捕らえて大鳥を逃がす/獣を逐う者は目に太山を見ず/小利大損/雀脅して鶴を失うというのもこのたぐいであろう・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


つわぶきに今日の荷物は渡せない

2021年10月29日 | 時には日々是日

 29日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は12.6度から19.5度、湿度は66%から52%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の30日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れるが、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で次第に曇るらしい。

 

 108/63/79 36.1c-97%-63.6Kg 16.5c-56%-1024hPa 体調に変化はないが、昨夜は草刈りのためか右肩が痛くて寝られずに、久々に「カロナール」を飲んだが、それも一瞬だけだった。

 

 自分では元気だ元気だと思っていても、相当にガタが来てしまっているなぁと実感したことだった。

 

 今日は奥方の公休日ということで朝寝をやって、奥方の邪魔をせぬように静かにしていたが、それも8時半を過ぎると寝てばかりもいられない。そこでまた、自分史の追加作業をやっていた。

 

 もう、すっかりと忘れてしまっていた小学生時代の事でも、あちらこちらをいじくっていると、いろんなものが思い出されて来るが、中学や高校のことになると、まるきりあやふやになってしまうから不思議なことだ。

 

 そうそう、遠足で旧の高松空港に行ったことも思い出した。高松市の林町という田んぼの中にある空港だった。この空港はプロペラ機しか離発着できなくて、やがてのことに、新しい空港に移転することになった、そのころであった。

 

 で、一応の試作版はできたのだが、なんでか、画像が飛び回ってきれいな本にはならない。原稿ではきちんとスペースに入っているのに、印刷すると、はみ出してみたり、次ページにまたがっていたりとへんてこな動きをする。プリンターを変えて印刷しても同じこと。最近は、こんなことばっかりだ。

 

 このページはきちんと画像が収まっているのだが、画像が思わぬ位置に流されていたりするから不思議なことだ。

 

 気分を変えてポータルサイトの更新をやっておいた。これも飽きてしまったホームページだが、行事予定表だけはこまめに更新している。私のメモ帳代わりでもある。

 

 カレンダーにダイアリーに月別カレンダーに、パソコンのカレンダーにスマホのカレンダーと何重にもメモしているのだが、それを開かないと何の役にもたたないというものだ。

 

 で、お昼からは頭数合わせの研修会に呼ばれていた。ZOOMによる研修会をするので、事前にスマホや携帯からZOOMに接続する講習会である。

 

 パソコンでは難なくできる操作も、スマホではなかなかにいうことを聞いてはくれないので、どうにもスマホは苦手でならない。

 

 で、なんだかんだで、ちょうど一時間の研修会が終われば、もう、15時半にもなっていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「苦しいのは自分を中心にしているからだ」というもの。平野修先生(真宗大谷派明証寺住職)の言葉である。平野先生は、1943年(昭和18年)石川県に生まれる。大谷大学大学院博士課程修了。九州大谷短期大学教授。石川県松任市(現白山市) 真宗大谷派明証寺住職。1995年9月27日示寂。著書に 『浄土の問題ー世界と聚りー』(金沢教区教化委員会)、 『鬼神からの解放ー化身土巻ー』(上・下)(難波別院)、 『浄土論註講義ー論註の基礎ー』(一・二)(六道会)、 『民衆の中の親鸞』(東本願寺)『教行信証に学ぶ』(東本願寺)など多数がある。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


あくびする口の中まで秋の色

2021年10月28日 | 時には日々是日

 28日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は12.7度から22.1度、湿度は90%から52%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の29日のさぬき市地方は、引き続き、高気圧に覆われて晴れるらしい。

 

 110/65/78 36.2c-98%-63.8Kg 16.4c-59%-1020hPa 体調に変化はない。

 

 昨日は尿の量が少なくて体重も増加したし、夕食がほとんど食べられなかたのだが、利尿剤の頓服を飲んで少しは楽になった。

 

 昨日の草刈りで疲れたものか、今朝は6時過ぎまで寝てしまっていた。私的には疲れたという印象はないのだけれど、身体が重くて動き出す動作がのろい。

 

 だから、今日は休養日ということで自分史の追加作業をやっていた。別に自分史を作ったからと言って、みんなに見せるわけでもなく販売する意図もない。ま、私の自分史なんぞ誰も読みたくもないとは思うのだけれど。

 

 本山布教使の研修の時、「自分個人の歴史や生き方を語っても、誰もそんなものは聞きたくもないし、何の参考にもならんのですよ」と言われたことを思い出した。確かにご法話の席上での個人の話は面白い場合もあるのだけれど、「え、それがどうしたの」ということになってしまうことが多い。誰も、布教使の自分史を聞きに行っているわけではないのだから。

 

 だから、この自分史は誰に見せるものでもないし、誰に読んでもらおうという意図もない。私個人のあくまで「生きた証」としての記録である。

 

 でも、そんなことばかりも飽きてしまうのでドライブに出た。いつもの山寺さんである。境内の大イチョウも少しばかり色づいてきている感じ。

 

 その手前の「本坊庭園」も少しばかり色づいて赤くなってきている。再来週の11月8日には、紅葉も大幅に進んでいることだと期待している。その日には5名さまをご案内する予定。

 

 で、山道で見つけた珍しいもの。「あけび」である。でも、まだ食べてもおいしくないような気もするし、食べてみたいという気もするが・・・。

 

 山には、こんなものもあるが、これが珍しいお年頃は過ぎた。子供のころには食べるものがないので、これを競って拾って食べたものだけれど、今更、これを食べたいとは思わない。

 

 あけびは「ののさま」にお供えをしておいた。もう少し熟してきたら食べごろかなぁとは思うのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「どんな難局にあっても、「どうにかなる」という楽観性と、「自分でどうにかする」という強い意志があれば そこを切り抜けていくことができる」という塩月弥栄子さんの言葉から。生きているとさまざまな難局に出会うものである。その難局との出会いでどのような行動をとるかで人間性が表れたりするもの。多くの難局との出会いが人間性を高め、難局に対して的確に処する術が身についていくのではないだろうか。そういう意味においては、難局は歓迎すべきものであると捉えることもできるだろう。難局に対しては楽観性と強い決意を持って臨むことが肝要ではないだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


晩秋の楓の赤に急かされる

2021年10月27日 | 時には日々是日

 27日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れるという天気予報だったのにずんやりと曇っていた。気温は13.6度から21.7度、湿度は86%から62%、風は1mから2mの西南西の風が少しばかり。明日の28日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 114/61/78 36.3c-98%-64.2Kg 17.9c-56%-1020hPa 数字的には問題ないが、やはり身体全体が重い感じがする。

 

 昨夜から今朝がたにかけて、1時間ごとにトイレに起きたのは少々疲れる。眠ったという感じが全くない。水分を出したらそれだけ体重が少なくなる計算だが、実際にはそうはならない。

 

 目が覚めてから朝ドラが終わるころまで(朝ドラを見ているわけではない)、自分史「昭和は輝いていた」の文章に画像を挿入する作業をやっていた。

 

 最近の小学生は学校でぞうきんがけをするのだろうか。京都の本山でお勉強をした時には、この雑巾がけが朝の大事なお仕事だったのでたまげたのだから、小学生や中学生が雑巾がけをすることはないのかもなぁと思う今日このごろ。

 

 

 先日(10/22)に草刈りを始めたら呼吸困難になって中断されていた裏庭である。中央のヒノキの木あたりでギブアップしてトラ刈りみたいになっている部分。あれから五日も休んだから・・・と思って続きを刈ってみた。

 

 こういう長い柄の刈り払い鎌と短い草刈り鎌を使っての作業になった。

 

 相変わらず、この「おかめ蔓」が異常繁殖していて、おとなりの畑にまで侵入しようとしている。それを鎌で切り分けて阻止するのである。

 

 だと・・・、こんなだったところが、

 

 こんな風になった。このあたりが手が届く範囲である。

 

 トータルでは、こんな風に我が家の境界線までは草を刈ることができた。今度は、その上の段の草刈りが待っている。これが、8時半から10時までの1時間半のお仕事になった。

 

 その後空き瓶を回収場へ運んだり、乾電池や古い蛍光灯なんぞも回収場へ運んでおいた。別に「主夫」をしているわけではないが、なんやかんやと雑用係をやっている。で、今日も「こがね製麵所寒川店」に行ってきた。50円引きの割り引き券をもらったので、仕方なく行ってきたのだ。

 

 で、相変わらずの「温玉ぶっかけ小の温いん」をお願いした。今日は控えめでおいなりさんも天ぷら物もない。ほかに・・・と言っても、お肉が食べられないのだから、「おろしぶっかけ」とか「しょうゆうどん」とかでは寂しいし、寒くなってのザルうどんはどうも・・・となると、やはり、これしかなくなってしまう。

 

 若いころには「かけ大(三玉)」を平気で食べたが、今はもうそういう元気はない。

 

 今日の掲示板はこれ。「眠られない人には夜が長いように 正しい教えを知らない人にはまよいが長い」というもの。
  (前略)
 弓矢を作る人が、矢を削ってまっすぐにするように、賢い人は、その心を正しくする。心は抑え難く、軽くたち騒いで整え難い。この心を整えてこそ、安らかさが得られる。花の香りは、風に逆らっては流れない。しかし、善い人の香りは、風に逆らって世に流れる。眠られない人に夜は長く、疲れた者に道は遠い。正しい教えを知らない人に、その迷いは長い。愚かにして愚かさを知るのは、愚かにして賢いと思うよりまさっている。愚かな人は常に名誉と利益とに苦しむ。上席を得たい、権利を得たい、利益を得たいと、常にこの欲のために苦しむ。大工が木をまっすぐにし、弓師が矢を矯(た)め直し、溝(みぞ)つくりが水を導くように、賢い人は心をととのえ導く。堅い岩が風に揺るがないように、賢い人はそしられてもほめられても心を動かさない。おのれに勝つのは、戦場で千万の敵に勝つよりもすぐれた勝利である。正しい教えを知らないで、百年生きるよりも、正しい教えを聞いて、一日生きる方がはるかにすぐれている。(後略)

          仏陀の言葉 (仏教伝道協会編『仏教聖典』より)

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


日暮れ時些細なことから秋を知る

2021年10月26日 | 時には日々是日

 26日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は13度から21.3度、湿度は82%から62%、風は1mから2mの西南西の風が少しばかり。明日の27日のさぬき市地方は引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 106/59/79 36.2c-98%-63.6Kg 17.8c-55%-1022hPa 体調に変化はないが体が重い。

 

 データ的には問題はないが、気分的なものでもなさそう。

 

 朝の間は相変わらず自分史の編集作業。こういうカットを探しながらの作業である。思えば懐かしい光景である。

 

 それに、こういうものにもお世話になったことだった。これで母親に髪を切られると髪の毛を挟んで痛かったのを思い出す。

 

 さても、今日は打って変わっていい天気になったものだから、またもや観光ガイドの準備である。これは「しこくの道」のモニュメントらしい。

 

 今日は少し足を延ばして徳島県阿波市から阿波の国に入ってみた。10番さんの切幡寺から十楽寺を経て・・・

 

 5番さんの地蔵寺を覗き、四番さんの大日寺を覗いてみたが、どこにもお遍路さんの姿はない。あれほどいたお遍路さんはどこに消えてしまったんじゃろ。これでは観光ガイドのお仕事が入らない。

 

 まさかな・・・と思って1番さんに来てみたが、御覧の通り人影がない。これはいったい、どうしたことじゃろうか。お遍路さんのスタートのお寺さんにお遍路さんはおろかお参りの人もいないというのは不思議な気分。

 

 お寺の境内の中にも伽藍の中にも人の姿はない…。すべての制限は解除されたはずなのに、まだまだお遍路さんはスタートしないのだろうか。

 

 で、帰りに香川県の東の端にあるうどん屋さんの「うどんや」に寄ってみた。ここもセルフサービスのお店である。

 

 で、飽きもせずに「温玉ぶっかけ小の温いん」をお願いした。ここでは海を見ながら食事のできるスペースがある。心地よい秋の風を感じながらのおうどんになった。

 

 で、台風で壊れた島の家のガラス戸の修理費と、

 

 IH機器の取り付け工事などの工事費の残金、68万円なりを郵便局で引き出して、

 

 銀行さんに振り込もうとしたら、「手数料が必要です」というので、「手数料込々」という約束ですというのだが、銀行さんは納得せずに大喧嘩になってしまった。本当に病人いじめをする銀行である。

 

 今日の掲示板はこれ。「ほんのささいなできごとが生きる理由になることもある」というもので、いつもの町内の善楽寺さんのお寺の掲示板から。私たちは偶発的に生き物として存在していて、身体は新陳代謝により順次新しい物質に置き換わっている。精神だの頭脳だのという物だって、いつも生まれ変わり死に続けている。物質的なオリジナルは、どこにあるのだろうか?それでも、私たちは、生きることに執着し、自分だけの好き嫌いがあり、経験したことを記憶として留め、それを基盤に成長(改善)しようとしている。自分が分からなくなったら、空を見てみようではないか。そして、宇宙に想いを馳せてみようではないか。答えは見つからないかも知れないが、今ここにあるのは偶然、自分の今がどうであっても、自然はビクともしないものだ。たかが宇宙の片隅のほんの些細な出来事ではないか。それでも人は人と共に生きようとしている。あの人もこの人も人だ。些細なことにこだわらず一緒に生きる仲間と思えないだろうか。ほんの些細な出来事が、生きる理由になることだってあるじゃないか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


秋雨はゴム長靴が重すぎる

2021年10月25日 | 時には日々是日

 25日のさぬき市は気圧の谷や湿った空気の影響で雨が終日降っていた。気温は13.5度から14.5度、湿度は86%から74%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の26日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 108/58/77 36.4c-97%-63.6Kg 17.4c-53%-1028hPa 体調に変化はない。

 

 いつもより夜明けが遅いと思えば雨だった。だから起きだしたのは7時前になっていた。ずいぶんと寝坊になったもんだ。

 

 朝からずっと雨である。奥方はお休みだからと、これまた朝寝坊。ま、さしあたって行かなければならない所もないし、やらねばならないお仕事もない。

 

 ふと見ると、姿勢がよくない蜘蛛だなぁとみていると、これは女郎蜘蛛がカメムシを食べている(体液を吸い取っている)ところらしい。蜘蛛もそろそろ子孫を残さないといけないので貪欲に食事をやっている。

 

 ということで、思い出したように「自分史」の編集に取り掛かった。ほぼ、テキストは書きあがっているようなので、画像やイラストを入れることにしてみた。下手に画像を入れると、本文が飛び回ったり画像が思わぬ位置に飛び込んだりする。

 

 で、センターで体調管理をやりながら、左のマシンで自分史の編集作業をやっている。右側が画像の収集やら整理をしながら、クラウド上で作業している。つまり、右のマシンの画像を左のマシンで選びながら、テキスト内に張り込んでいくのである。センターでは、刻々と変わる血圧や脈拍を管理している。

 

 そうして、自分史に画像を張り込みながら画像を調整する。これは時の小学校を東にあるタンク山から撮影したもの。授業中に抜け出してタンク山に登った時の思い出の場面である。

 

 これは小学校にあがる前の記念撮影写真である。新一年生二組にあがるのに、こんなにもたくさんの子供たちがいたのか・・・。

 

 こちらは参考画像である。こうした画像を参考にしながら一ページずつを作り上げていくのである。

 

 なにせ、小学生というと、今から60年も昔の話だから記憶だって曖昧なものだ。それを拾い集めながらの作業になっている。

 

 お昼前になると、奥方が「おうどんに行こうよ」というので、今日は「こがね製麺所寒川店」に行ってみた。雨が激しく降っている最中である。

 

 で、今日は何にしようかと考えたが、アレルギーでお肉が食べられないのではメニューも限定される。そこで思い切ってお値段のする「めんたい釜玉」に決めた。釜揚げうどんに生卵を載せて、それにめんたいこを追加したもの。小(一玉)で490円。

 

 それにおいなりさんのご飯ものとちくわ天をチョイスした。200円アップかな。お出汁は中央の容器で注ぐようになっている。ワカメ、ネギ、天かすはフリートッピング、好きなだけ入れていい。

 

 これはおいしいおうどんで、釜揚げだからエッジが効いていて口の中でおいしさが湧き上がってくる感じ。ただ、最後の方になると明太子とお出汁がまじりあって辛いのなんのって・・。お水をがぶ飲みしてしまった。お出汁はほどほどに回しかけないと。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間は 自分の欲せぬことを信じたがらぬものである」という和辻哲郎さんのことばから。「何故なら、人間は自分の欲せぬことを信じたがらぬものである。・・・百年に一度といふ風な異変に対しては、人々は出来るだけ考えまいとする態度をとる。」「地異印象記」岩波書店『思想』1923年11月号。つまり、「正常性バイアス」のことをいうているのと思われる。正常性バイアス(normalcy bias)」は、心理学の用語である。社会心理学や災害心理学だけでなく、医療用語としても使われている。人間が予期しない事態に対峙したとき、「ありえない」という先入観や偏見(バイアス)が働き、物事を正常の範囲だと自動的に認識する心の働き(メカニズム)を指している。何か起こるたびに反応していると精神的に疲れてしまうので、人間にはそのようなストレスを回避するために自然と“脳”が働き、“心”の平安を守る作用が備わっている。ところが、この防御作用ともいえる「正常性バイアス」が度を越すと、事は深刻な状況に……。つまり、一刻も早くその場を立ち去らなければならない非常事態であるにもかかわらず、“脳”の防御作用(=正常性バイアス)によってその認識が妨げられ、結果、生命の危険にさらされる状況を招きかねないのである。よって、一概に「いち早く行動を取れるか」「危険に鈍感になっていないか」を明確に線引きできない部分もあるけれど、緊急事態下で的確な行動を取れるか否かの明暗を分けうる「正常性バイアス」の働きを、過去の災害が示唆する教訓として、私たちは理解しておきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


道野辺の遍路の墓に秋の風

2021年10月24日 | 時には日々是日

 24日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷の影響で午後からは曇ってきた。気温は10.1度から19.5度、湿度は70%から50%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の25日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼前から夕方にかけて雨が降るらしい。

 

 110/67/78 36.4c-97%-64.2Kg 15.4c-53%-1028hPa 体調に大きな変化はない。

 

 それでもなんだか身体が重い。食べるものも控え気味だし、飲む水分も大幅に減らしている。それでも体重は減ってはくれない。運動でもと思って少しばかり動くと呼吸困難になる。全く、どうにもならん。

 

 そうは言っても寝てばかりもいられないし、草刈りは厳禁されているし・・・ということで、今日も「遍路墓」探しに出かけた。向こうに見えるのが「境目のイチョウさん」だが、まだまだ葉っぱは黄色くなっていない。

 

 「境目」というのは、阿波の国(徳島県)と讃岐の国(香川県)の境目という意味である。それが地名にもなっている。で、その境目に架かっている橋が「りょうごく(両国)ばし」ということになっている。で、この橋を渡って讃岐の国の東かがわ市に入っていく。

 

 これは道端にぽつんと立っている「遍路墓」である。「文化元(子)八月十四日 秋月道光個(?)士 大坂北濱壱丁目市兵衛」とある。「居士」の当て字かなぁと思うのだけれど、このあたりでは普通にみられるという。

 

 この人は、「安政三(辰)八月十四日 法師清心 野州(栃木県)河内郡」とある。法師ということはお坊さんらしい。私も「法師釋暁光」となるのだろうか。

 

 この人は、「嘉永四(亥)五月十三日 夢(?)月浄念個(?)士 防州(山口県)佐波郡宮市町彦造」だろうか。梵字の次の文字がわからない。

 

 これはハーレーダビットソンだろうか、中年の御夫婦が温泉につかって一泊したのだろうか、颯爽と温泉を後にした。

 

 その先には「かじかばし」という変わった親柱のある橋があった。上に載っているカエルが「かじか」なんだろうな。

 

 で、秋の紅葉を探して、またも山寺さんにやってきた。

 

 今日は日曜日ともあって、それに紅葉が始まっているのとで人出は少しばかり増えてきた。

 

 で、今日は、この門前の「八十八庵(やそばあん)」でのお昼になった。

 

 ここの名物「打ち込みうどん」である。ここ、大窪寺が「結願(けちがん)」の寺にあやかって、「打ち止め」の意味もあるのだという。880円。

 

 野菜入りの味噌煮込みうどんである。お肉は豚肉なので、申し訳ないが、そこだけは食べずに残しておいた。材料は 生うどん、豚肉、白菜、大根、白ねぎ、油揚げ、にんじん、ささがきゴボウ、白味噌、合わせみそ・・・あと調味料適宜。

 

 で、今日も信号機のない山の中の道ばかりを走ってきた。走るたって車で走るのだから、少しも運動にはならない。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に確かなことなんてない。それだけが確かなことなんだ」という「ビューティフル・マインド」という映画の中の台詞から。「ビューティフル・マインド」は、統合失調症を発症した後、苦しい生活を送りながらもノーベル経済学賞を受賞した、実在する天才数学者、ジョン・ナッシュさんの半生を描く物語である。2001年度アカデミー賞では、作品賞、監督賞、助演女優賞、脚色賞の計4部門を受賞した傑作だという。全く、人生に確かな事はひとつもない。そのことだけが確かなことなんだ・・・。全く、それを思い知らされたこの一年であった。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


まだ少し紅葉までは歩けるまでは

2021年10月23日 | 時には日々是日

 23日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は11.2度から19.9度、湿度は66%から44%、風は1mから3mの北の風が少しばかり。明日の24日のさぬき市地方は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 114/68/78 36.2c-98%-64.4Kg 17.5-55%-1023hPa 体調に変化はない。今日は心臓の痛みもないし、脈拍も正常に落ち着いている。

 

 奥方から出勤前に「今日は草刈りはだめよ」と厳命されたが、「生ごみは出しておいてね」というのも忘れない。どこまでからどこまでなんかわからんというものだ。

 

 そこで、宿題になっている「遍路墓」の調査に出かけた。これらも遍路さんのお墓だと思われるのだが風化が進んで字が読めない。

 

 こういう大きな字だと読めるのだが、これはお墓ではなくて道しるべの丁石の28丁である。ここから大窪寺までが28丁、およそ3kmであるというしるし。

 

 これは27丁石で、同じ場所に移されているが、昔は旧の遍路道沿いの田んぼの畔にあったらしい。それを道路脇に移したものらしい。あとの自然石はまるで読めない。お金(持参金)が少ないと字を刻むのも浅く細いものになったという。

 

 この石には「南無阿弥陀佛」と刻んであるがお墓ではない。

 

 これはお遍路さんのお墓である。「梵字 浄好禅門」と刻まれ、

 

 摂州大坂道頓堀南四丁目 紀伊国屋内 庄兵衛」と刻まれ、

 

 「文政十二丑五月廿八日」と刻まれていて、裕福なお遍路さんであったらしい。立派なお墓である。

 

 今日は、そのあたりでやめておいた。山の中は肌寒くて仕方がない。そこで山寺さんの紅葉具合はいかがなものかとやってきたのだが、ほんのりと紅葉しはじめたかなぁというところ。

 

 今日は土曜日ということで、家族連れの方のお参りがちらほらと。ときおり、白衣姿のお遍路さんも家族連れのマイカー遍路さん。大きなカメラを提げた人は紅葉探しのお寺参り。

 

 名物の大銀杏もまだまだ、こんな感じ。今月下旬か来月に入ってからか。来月上旬のガイド役が入っているので、その下見を兼ねての山寺巡り。

 

 今日のお昼はここになった。山寺さんの門前にある「野田屋」さん。お土産物や巡拝用具などを販売する傍ら食堂もやっている。

 

 で、「温かいものを・・・」というと、天ぷらそばが出てきた。でも、次々と入ってくるお客さんは口々に「打ち込みうどん」を注文している。ここに来ればやはり「打ち込みうどん」なのか。

 

 私は顔なじみなので、私のお好みを覚えておいてくれているらしい。このおそばで780円。お安くはないが、こんな遠国(おんごく=超いなか)なので輸送費込みみたいなお値段になるらしい。

 

 私的には、この秘密の洞窟食堂みたいな雰囲気が気に入っている。正面の階段を上がれば、団体のお遍路さん用の和室の大広間に上がれるようになっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「いつかできることは、全て今日でもできる」というモンテニューの言葉から。フランスの哲学者、ミシェル・ド・モンテーニュの言葉らしい。いつかやる、いつかできると思っていながら幾星霜、結局何事をも成し遂げられずに終わってしまった、そういうことは人生においてかなりありがちである。そんな時、この言葉をことあるごとに思い返しておけば、結局は「いつか」なんて日はいつまで待っても来ないわけで、それが今日であるかそうじゃないかの違いだけ、ということに気付かされると思うのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


もういいと歩き疲れて秋の風

2021年10月22日 | 時には日々是日

 22日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、夜は雨の降る所があるらしい。気温は13.3度から19.5度、湿度は66%から58%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の23日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 血圧116/68、脈拍79、体温36.3度、酸素濃度98%、体重64.4Kg 、室内気温20.4度、室内湿度53%、気圧1015hPa 少しばかりおなかが張る感じで足が重い。

 

 数字的には問題はないので何が原因なのか。水分だって夏みたいにがぶ飲みはしないし、食べるものも多くはない。

 

 今日も裏庭の草刈りから始めてみた。少し動けばおなかも楽になるかなぁと思うだけのことだ。体重だって増えたり減ったりしているし、運動不足かなぁと思ってのことだ。で、このこんもりとしたものをやっつけてみようと考えた。

 

 表面をおかめ蔓が覆いかぶさるように育っている。これを剪定ばさみで切り刻んでいくわけだ。

 

 こういう根っこが複雑にからみあって育っている。これを根気よくはさみで切っていくわけだ。

 

 だと、出てきたのは生ごみ用のコンポストである。母が健在のころには、ここに生ごみを入れて腐葉土にしていたのだが、母がいなくなると使われなくなってそのままになっていた。その栄養分を求めてツタやかずらが集まってきた・・という訳。使わなくなったのだから、これを処分したいのだけれど、はてさて・・・。

 

 ついでに、この手前に生い茂っているおかめ蔓も刈ってみた。奥方が大切にしていた蔓バラが飲み込まれてしまっているので救援をしようかと。

 

 ま、一週間もすれば草も枯れてきて落ち着いた裏庭になってほしいものだ。

 

 で、今日のお昼は久々に、さぬき市長尾東にある「うどん亭いわせ」に寄ってみた。ここは「一般店」だから、席について待っていたら注文を取りに来る。おうどんを注文すればおうどんが運ばれてくる。だから、少しばかりお値段がする。

 

 こういうお店だから「温玉ぶっかけ小の温いん」というものはない。で、天ぷらうどんをお願いした。これで750円だから普段のお店の倍もするおうどんである。

 

 で、ついでにホームセンターで新しい鎌を買ってきた。長い柄のついた「刈り払い鎌」である。これだと立ったままで草刈りができる。私はしゃがんだり、座ったり、中腰になったりすることができないのである。

 

 で、裏庭の最後の部分の草刈りを始めたのだが、午前中の疲れなのか、連日の疲れなのか、呼吸困難になって作業を中止。そんなに心臓がバクバクするほどの作業ではないのに脈拍が異常値を示してアラームが鳴ったのでやめた。

 

 だから予定の半分ほどでギブアップ。金曜日の午後からだと、担当のドクターはいない。明日は土曜であさっては日曜・・・。しばらく休んだら回復するだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「人は人 吾は吾なりとにかくに 我が行く道を吾は行くなり」という西田幾多郎先生の言葉から。自分が進むべき道をただひたすら歩みつづけた人の、確固たる信念を示す言葉である。彼は初期の著作『善の研究』において「知は愛、愛は知である」と書き、「我々が自己の好む所に熱中するときはほとんど無意識である。自己を忘れ、ただ自己以上の不可思議力が独り堂々として働いている。このときが主もなく客もなく、真の主客合一である。このときが知即愛、愛即知である」と説いている。この歌は、西田が散策しながら思索にふけった京都、琵琶湖|疏水のほとり、「哲学の道」の中ほどにある石碑に刻まれている。西田 幾多郎(にしだ きたろう、1870年5月19日〈明治3年4月19日〉 - 1945年〈昭和20年〉6月7日)は、日本を代表する哲学者である。著書に『善の研究』など。京都大学名誉教授。京都学派の創始者。学位は文学博士(京都大学・1913年)。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


冬空に今年も一途に咲いた花

2021年10月21日 | 時には日々是日

 21日のさぬき市地方は気圧の谷の影響で曇っていた。気温は今季最低の10.5度から18.2度、湿度は70%から54%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の22日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、朝まで雨の降る所がある見込み。

 

 114/68/78 36.3c-97%-63.8Kg 15.8c-53%-1020hPa 体調に大きな変化はない。

 

 昨日あたりから急に冬じみてきて肌寒い日々が続くようになった。暑いのは苦手だが寒いのは平気だと粋がっていた若いころとは違って、暑いのも寒いのも苦手になってしまった。

 

 さて、今日は昨日の続きで、このモコモコをどうにかしたいと、剪定道具を腰に巻いての作業になった。そういうとカッコいいように思えるのだが、足はふらつくし、呼吸は不安定だしとヨボヨボの植木屋さんみたいだ。

 

 こういうジャングルみたいなところに切り込んでいって、このヒノキの枝打ち作業である。我が家の前のおうちの方が森林組合の関係者で、その苗木をタダでもらって植えたものらしい。もう、その方もお亡くなりになって久しい。

 

 とにかく剪定ばさみで目の前を切り開いてから進まないといけないので、ノコと剪定ばさみでバサバサと細い枝を切り落としてから太い枝をのこぎりで切り落としていく。

 

 これがヒノキの本体部分である。こうして、枝を片っ端から切り落としていく。座っての作業はできないが、立ったままの姿勢ならばなんとか作業はできる。

 

 こうして、ヒノキの根っこに盛り上がっていた脇枝部分を切り落とすと、こんなにもさっぱりとした。

 

 先日には、こんなだった裏庭が、

 

 こんなにもすっきりとした。今日も8時半から9時半までの一時間労働。今日は肌寒くて一時間でギブアップ。それに10時からはケアマネさんがやってくる。

 

 ケアマネさんは私の健康状態や介護用品の使用感なんぞを確認して、11月分の介護方針やら介護計画表を提示してくれる。その後、奥方は整形外科への診察に出かけて行った。

 

 でお昼からは二人で期日前投票に行ってきた。最近はこのはがきの裏面に誓約書が印刷されてあって、住所や氏名などを書いておくと簡単に投票できるようになっている。

 

 ここがさぬき市役所の寒川分館。

 

 ここの多目的ホールが期日前投票所になっていた。ま、三密を防ぐためにもということで、早めに投票を済ませてきたことだった。

 

 きょうの掲示板はこれ。「いつの間にか生だけがいのちと思っていた 生老病死 まるごと全てがわたしののいのちであるのに」というもの。どこのどなたの言葉かは分からなかった。確かに、命というと、生か死か・・みたいなことや、生きている間だけが「いのち」であると考えていたが、このわたしのまるごと全てが、わたしの命であることに気づかされて、その重さや尊さにうなだれたことがある。花だって動物だって同じことで、「生まれた、咲いた、枯れた、死んだ」だけではないいのちがある。悩みや苦しみや、病気やケガや、怖れもあるし、涙もあった。そんなあらゆること全てが、みんな私のいのちなんだ。あなたのいのちなのだと気づかされたことだった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


いきなりの冬におびえる花の群れ

2021年10月20日 | 時には日々是日

 20日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが午後からは湿った空気の影響で曇ってきた。気温は14.4度から18.4度、湿度は62%から50%、風は1mから5mの北西の風が一時は強かった。明日の21日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 114/66/78 36.5c-96%-64.2Kg 18.6c-58%-1016hPa 体調に変化はないが体重が増えつつあるが、よく食べるからだろうか。

 

 数字的には問題ないが、天高く人肥える秋だろうか。

 

 今日もゲリラみたいなスタイルでの草刈りやら庭木の剪定作業をやることにした。少しでも体重が減ればいいのにと思うのだけれど、よく動いてよく食べたら、体重は増えるという計算になるのだろうか。ま、内臓疾患とかで体重が減っていくよりかはマシかなぁとは思っているが。

 

 今日も裏庭の草刈りである。ここは元は水田であったところ。そこにミョウガを植えて市場に出していたようで、いまだにミョウガが生えてくる。そういう土地に、奥方のおやじさん(義父)がお花や果樹を植えたもの。

 

 今から10年ほど前には、このようなお花畑であったのだが、いつしか、林のようになってしまった。

 

 それをのこぎりなんぞで切り刻んでいくのである。剪定というよか伐採に近いかもしれない。

 

 あるいはツタやカズラも切り刻むのである。そうして少しずつ足元を確保しながら進んで行きながら枝を切り払っていく。

 

 そうしながら、少しずつ、少しずつこざっぱりと片付けていくのである。

 

 そうこうしながら、裏庭を片付けていくのだが、今日も1時間ほどでギブアップ。体力が続かない。最近は朝食も控えているので余計にパワーが出ない。

 

 そこで思い出したのが、「10月20日」である。2004年10月13日9時に、マリアナ諸島付近で台風23号が発生し、アジア名「トカゲ(Tokage)」と命名された。台風は18日18時に大型で強い勢力となって沖縄の南海上を北上し、19日には沖縄本島から奄美諸島沿いに進み、20日13時頃、大型の強い勢力で高知県土佐清水市付近に上陸。これは、四国に上陸した台風の中では上陸日が最も遅く、日本上陸台風では過去4番目に遅い上陸である。15時過ぎには高知県室戸市付近に再上陸した後、18時前に大阪府南部に再上陸し、近畿地方・東海地方に進み、21日3時に関東地方で温帯低気圧に変わった。この台風による土石流が我が家を南と東からの挟み撃ちにあって壊滅した日。あれから17年が経ったわけか。

 

 これはさぬき市の社会福祉協議会(社協)の作ったパネルだが、この写真を見てわが娘が「あ、うちの・・・」と絶句した。この写真は我が家から「禅林学園」のボランティアが家具の運び出しをやっている風景である。母と奥方は、この旧の母屋に避難して命拾いしている。

 

 これが、その食器棚である。丁寧に丁寧に洗ったつもりでも、いまだに細かな埃がわいてくる。でも、彼らのおかげで、今も健在で働いてくれている。その右に続くシステムキッチンも、彼らによって運び出されて助かっている。

 

 早くも年賀状の予約が始まった。そんなに慌てなくてもいいのに、世間様は先へ先へと突っ走っているように見える。

 

 そうは言っても自然はまじめに冬の装いを始めた様子。我が家も昨夜にガスストーブを出して試験運転したところ。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きてきてよかったと心の底からうなずける道を歩みたい」というもの。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板の言葉だと思っているが、確かに誰もみんな、こうした道を歩みたいとは思っているのだけれど、そう、うなずける道にたどり着くまでが大変だ・・・。毎日、毎日が試練ばかりのような昨今だから。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


白菊の揺れて草刈る人がいる

2021年10月19日 | 時には日々是日

 19日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、午後は雨や雷雨となるらしい。気温は12.4度から22.1度、湿度は80%から54%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の20日のさぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で、概ね曇る見込み。

 

 100/64/79 36.3c-97%-63.6Kg 17.8c-57%-1022hPa 体調に大きな変化はない。

 

 パソコンばかりをいじってないで、少しは運動をしなければ・・・と思いつつ、思いつつ。ついつい、暑いの、雨だの、蒸し暑いだのとなんだかんだと延び延びになっていたのだが、先日から少しずつ草刈りをやっているところである。

 

 とにかくこのあたりでは、屋敷内に草をはやしてはならない・・・という風潮がある。ま、普通の町でも住宅地でも似たようなものだろうと思うけれど、草ぼうぼうのおうちなどは見苦しいと思うに違いない。ところが、我が家はいつも草ぼうぼうなのである。

 

 今日は暑くもないし寒くもないし冷たい風もない。そこで、少しずつでもいいから草刈りをやってみようかと重い腰をあげてみた。いつまでに、どこまでにという納期も約束もないのだから、できるところまでやってみようと思ったわけだ。

 

 こういう「おかめ蔓」だって、どこかで奥方が摘んできて植えたもの。それが異常繁殖して庭中にはびこってしまっている。この南天だって、ビワの木だってゆずの木だってスダチの木だって奥方が植えたもの。

 

 で、これが充電式の電動草刈り機である。私の胸にはペースメーカーが入っているので、ガソリンエンジンを積んだ草刈り機はご法度。これだって、十分なパワーがあって、木や竹でも切り払うことができる。それに、ボタン一つで始動できるのが強みだ。

 

 で、三分刈っては五分休みし、四分刈っては十分休みしながら草刈りをやっていく。右肺の半分は故障しているので少し動くと、「ゼーゼーハーハー」と呼吸困難になってしまうのだ。それに足がもつれて動けない。全く、情けなくなってしまったものだと思う昨今。

 

 でも、やってくれる人がいないものだから、少しずつでもやるしかない。1mずつでも刈ってゆけばやがてには10mにもなるはずだと思いながら刈ってみた。

 

 そうして、今日の目標分は刈り払うことができた。伸び過ぎた庭木の剪定もやっておいた。少しは見栄えがよくなったはずである。明日には、その先の10mをやればいいだけのことだ。

 

 で、今日のお昼はやはりこれだ。昨日のうどん店でいただいてきたうどん玉三玉を焼きうどんにしてあった。それも中華鍋にいっぱい・・・。おそらく三玉まるごとを入れたみたい。でも、私が食べるのはこれだけ。

 

 ダイエットをしているわけではないのだが、あんまりおうどんの山を見るとうんざりとしてしまう。

 

 で、アジの姿ずしである。この分だと、夕食も、あの焼きうどんになる予定。確かにさぬきうどんはおいしいのだ。おいしいのだけれど、おいしくなくなったおうどんをいただいてきても、おいしい、おいしいとは正直なところ思えない。ま、「一粒一滴、みな御恩、感謝のこころでいただきましょう」と、食べるしかないのが本音のところ。

 

 今日の掲示板はこれ。「身近な人の死に逢うたびに 人のいのちのはかなさと 今ここに生きていることの尊さを味わいました」という相田みつをさんの言葉から。

つまづいたおかげで ころんだり したおかげで
物事を深く考えるようになりました

あやまちや失敗をくり返したおかげで
少しずつだが
人のやることを 暖かい眼で
見られるようになりました

何回も追いつめられたおかげで
人間としての 自分の弱さと だらしなさを
いやというほど知りました

だまされたり 裏切られたり したおかげで
馬鹿正直で 親切な人間の暖かさも知りました
そして…
身近な人の死に逢うたびに
人のいのちのはかなさと
いまここに
生きていることの尊さを
骨身にしみて味わいました

人のいのちの尊さを
骨身にしみて 味わったおかげで
人のいのちを ほんとうに大切にする
ほんものの人間に裸で逢う逢うことができました

一人の ほんものの人間に
めぐり逢えたおかげで
それが縁となり
次々に 沢山のよい人たちに
めぐり逢うことができました

だから わたしのまわりにいる人たちは
みんな よい人ばかりなんです

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


陽だまりを独り占めする秋桜子

2021年10月18日 | 時には日々是日

 18日のさぬき市地方は、午前中は湿った空気の影響で曇っていたが、午後からは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は今季初の14.2度から19.6度、湿度は50%から68%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の19日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるらしいが、気圧の谷や湿った空気の影響で昼前から曇り、午後は雨や雷雨となる所がある見込み。

 

 108/68/78 36.1c-96%-63.4Kg 18.8c-59%-1024hPa 体調に変化はない。

 

 別に終活のための断捨離ではないのだけれど、行きたいところもなければ、見たい場所もないので室内で片付け作業をやっている昨今。

 

 こんな具合で引き出しや空き箱の中やタンスの中には雑多なものが投げ込まれているもの。それらを少しずつ片付けているのだが、

 

 こんな写真が出てきたりする。これは平成16年の23号台風で我が家が流された時のもの。誰がこれを撮影したのかは不明だが、こういう写真が何枚も出てきたり、

 

 行方不明になっていたLEDのトレース板とか、

 

 ガイドマニュアル作成に必要で懸命に探し回った名刺とかなんとかやらが、出てくるわ、出てくるわ。こんなところにあったのかと目をパチクリすることも。

 

 で、片付けたつもりがこれ。あんまり、以前と変わり映えがしない。

 

 ところで、マリンママさんのブログにもあったように、セロテープやら両面テープやら輪ゴムやらが「風邪をひいて」しまっている。「空気や湿気にさらされたせいで、物品が劣化・変質してしまう」ことを指して「〈物品が〉風邪を引く」と表現するのである。お茶が風邪をひく、薬が風邪をひくなどと使うのだが歴史的には平安時代から使われていたようである。

 

 我が香川県は京阪神の言葉が多く入っているから「風邪をひく」は子供のころから使っていた。「この膏薬はかぜをひいて使い物にならん・・・」というように。でも、最近は、あんまり使われなくなった言葉になったらしい。

 

 そらそうだ。薬やお茶が風邪をひくなんて馬鹿馬鹿し過ぎる。まして車のタイヤや自転車のチューブが風邪をひいて熱を出して寝込んだというような話を誰も信用なんかしないのだ。でも、私の引き出しの輪ゴムは全部が全部、風邪をひいてボロボロになって切れてしまっていたり、べったりと引き出しに張り付いてしまっていたりするのだ。

 

 そうこうしていたら、今日は公休日の奥方が、「おうどんに行こうよ」と言うので運転者役でついていった。昨日のこがね製麺所志度店の姉妹店の「こがね製麺所寒川店」である。

 

 で、ついつい、いつもの「温玉ぶっかけ小の温いん」を注文してしまって、追い打ちをかけるように「温玉かきあげ天」をチョイスした。しかしのかかし、これは大失敗だった。温泉卵をかきあげ天にしたら、単なる卵入りのかき揚げ天になってしまっていたし、このかき揚げ天がおつゆを吸い込んでしまってべとべとになって、全くの粘土細工みたいになってしまった。

 

奥方はいつもの「かけ大」にレンコンの天ぷらをチョイスしていて、「おいしいおいしい」を連発していた。おまけに茹でて30分経ったものを「お持ち帰りください」サービス(三玉入り)を二人分いただいて帰ってくる始末。当分、おうどんだらけになりそうな気配。

 

 今日の掲示板はこれ。「先の不安を思うより 今をどう生きるかが大事である」というもので、町内の善楽寺さんの掲示板から。どこのどなたの言葉かは探す間がなかった。「あすのことを思いわずらうな」と言うたのはキリストさんだと聞いた。これは、明日のことを思うな、ということではない。思いわずらうな、ということである。将来や先々のことを考えて、不安や心配で悩んだり苦しんだりなどと思いわずらってしまうのは、よくあることだ。ただ、いくら考えても、わからないこと、どうにもならないこともいっぱいある。そういうもののために思いわずらうのは、もったいない。幸せに暮らしたいなら、そんな無駄は省きたい。いくら考えてもわからないと、ある程度考えたのなら、どこかで割り切る考え方が必要ではないか。「なるようになる」「そのときはそのとき」「やるだけやるしかない」「その時々に幸せに過ごすように心がければいい」と割り切るしかない。明日のことを思いわずらうのは、どのくらい明日のためになるのだろうか。それと「今を大切にする」ことのどちらが大切なのだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。 


早い冬遅い秋ありしぐれ雨

2021年10月17日 | 時には日々是日

 17日のさぬき市地方は、寒気や湿った空気の影響により曇り、昼過ぎまで雨の降る所があった。気温は16.5度から20.1度、湿度は78%から60%、風は1mから4mの北の風が少しばかり。いきなり冬が来たような肌寒くなった日。明日の18日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて、概ね晴れる見込み。

 

 104/57/78 36.5c-96%-64.2Kg 22.5c-66%-1014hPa 体調に変化はない。

 

 数字的には問題ないのだが、おなかがどんどんと膨らんでくるような感じがする。内科のドクターは「お肉です」というし、泌尿器科のドクターは「内臓脂肪です」というて相手にはしてくれない。運動不足もあるのかなぁとは思うのだけれど。

 

 さて、昨日の事である。ここに二年ほど置いたままになっていた古い壊れた冷蔵庫。

 

 それを娘夫婦が来て運び出してくれた。やはり、邪魔物がない方が見た目にはすっきりとするのか。

 

 二階のベランダに積み上げてあった古いパソコン群も、

 

 きれいさっぱりと片付けてくれた。

 

 私は届いたばかりの作務衣を羽織って、お待ちかねの夕食会になった。

 

 久しぶりの奥方の笑顔。久々に明るい笑い声の聞こえる夕食会になったことだった。

 

 朝、娘たちが帰っていくし、奥方もお仕事に出かけて行ったあと、ウッドデッキの塗装やら草刈りやらで疲れたものか、おつむがぼんやりとして何をする気にもならず、ホームセンターへ出かけてみた。

 

 観光ガイド時の緊急トイレ対策として、携帯トイレとか災害用トイレとか簡易トイレの現物調査のためだった。でも、現物を見ているあいだに、「そこまで必要だろうか・・」という気にもなった。伴走車で10分も走れば公的なトイレに案内できるし、慣れないと簡易トイレで用を足すことができるんだろうかとか。

 

 で、キャンプ用具とかを眺めたりした後、近くにある「こがね製麺所志度店」にやってきた。ここも一時期にはよく通ったものだったが、「うどんバカ」とか「うどん狂」とかと陰口を言われるようになってしばらくうどん屋巡りをやめてしまっていたのだし、「塩分とりすぎですから、おうどんはやめるように」というドクターストップも出ていたし。

 

 そういうことで、久しぶりに、このお店にやってきたのだが、注文するのはいつもと同じ「温玉ぶっかけ小の温いん」である。おネギやワカメ、天かす、おろしショウガはフリートッピング。しかしのかかし、「温泉たまご」の業務用というのがあるのだろうか。いつまでも温泉たまごは保存できるのだろうか・・と、いらぬ心配をするのである。

 

 昨夜は飲みすぎの食べ過ぎでおなかの調子もよくないので、控えめにしておうどんのみの320円。でも、食べ終わると、少し物足りなさが残ってしまう。

 

 今日の掲示板はこれ。「亀は亀のままでいい 兎にならなくていいのだよ」というもの。相田みつをさんの詩に、「トマトがトマトであるかぎりそれはほんもの トマトをメロンに見せようとするからにせものとなる」とある様に、亀は本物の亀であるのに、亀がウサギになろうとしても偽物のウサギにしかなれない。亀は亀のままで本物、ウサギはウサギのままで本物。あなたはあなたのままで本物。私は私のままで本物。私が私のままでいられる世界に出遇うことが大切なこと。そのままでいいという世界に安心させられる。亀は亀のままでいるしかないし、うさぎはウサギでいるしかない。私は私でしかないし、私はキムタクにはなれないのだが、キムタクもまた私にはなれない。だから、「私は私のまま」でいいのだし、「あなたはあなたのままでいい」のだし。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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