まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

生姜湯の温さ恋しき睦月尽

2021年01月31日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は6.0度から12.0度、湿度は74%から52%、風は4mから1mの西南西の風が少しばかり。明日の31日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、夜遅くには雨が降る見込みらしい。

 

 血圧110/58、脈拍81、体温36.4度、酸素濃度98%、体重62.4Kg、室温19.8度、湿度41%、気圧1030hPa、意識やや清明、尿量やや少なめ。体調に変化はない。肩こりは少しばかり楽になったが、今日もバンテリンと貼るカイロのお世話になっている。

 

 昭和48年(1973)5月12日、高浜虚子の長男・年尾は、四国ホトトギス同人会が大窪寺で行われて、そこに出席している。それを記念して、後に「一つ夜の長き藤房をまのあたり」という句碑が建てられているが、誰が建てたのかは定かではない。

 

 それが、この句碑である。大窪寺二天門の東、本坊境内の参道脇にある。

 

 そういうことを含めて、今日も「あなたの知らない大窪寺ガイドブック」を作っていた。この最期の赤丸のところには、大窪寺班のシンボルマークを入れようと思っていたが、面倒になったので、さぬき市のマスコット「サッキー」を入れることにした。

 

 こういう感じである。

 

 それにも飽きてきたら、今度は新しいクロスワード3月号をやってみることにした。しかしのかかし、このクロスワードクイズを考える人もたいしたものだと感心するばかり。

 

 良く言えば脳トレだの頭脳の活性化なのだが、単なる暇つぶしみたいなものでもある。

 

 全80問だからたっぷりとある。この右のページなんぞまるでわからん・・。

 

 今日も歯茎が痛むので梅おかゆにした。明日が歯医者さんの診察日、新しい入れ歯ができるのかな。それで食べられるようになるといいのだが。

 

 お昼からはお天気もいいので旧へんろ道の下見に行ってきた。実際に歩くのは新年度になってからなので、今はまだ下見程度。確認作業である。

 

 こういう、昔の生活道路である。人が歩くから道になっただけで人が作った道ではない。農作業や薬売りなどが通った道を遍路も歩いたということで、遍路専用の道ではない。

 

 だから、車が通れる道が作られると、こうしたへんろ道は山に戻ってしまってわからなくなる。それをまた、私たちが歩いて保護しようとしている訳である。

 

 今日の掲示板はこれ。いつもお世話になっている善楽寺さんの掲示板にあったものだが、「やがて死すべきものの いま生命あるは ありがたし」というもの。これは法句経『ダンマパダ』にある言葉からで、

 ひとの生(しょう)をうくるはかたく
 やがて死すべきものの
 いま生命(いのち)あるはありがたし
 正法(みのり)を耳にするはかたく
 諸仏(みほとけ)の世に出づるも
 ありがたし
                   (友松圓諦訳)
ということで、「いのちのとうとさ」について語られているところである。ただ自分の生だけを勝手にするのではなくて、自分の命をいうものにあまり我が儘を言ってもいけないし、で、その中で多くの人のご縁というものを本当に大事にしていかなければいけないことを教えている。普通の言葉で言えば、人生の出会いものである。
 
 
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。

如月は人の数だけ鬼が居る

2021年01月30日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夜は気圧の谷や湿った空気の影響で曇るらしい。気温は2.0度から8.6度、湿度は72%から56%、風は7mから2mの西の風が一時は強かった。明日の31日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 血圧111/51、脈拍84、体温36.6度、酸素濃度97%、体重62.6Kg、室温20.1度、湿度38%、気圧1024hPa、意識やや清明、尿量やや少なめ。体調に変化はない。肩こりは少しばかり楽になった。今日もバンテリンと貼るカイロのお世話になっている。

 

 昨夜の月が満月で「ウルフムーン」かと思っていたら、昨日の朝が満月だったらしい。

 

 一月の満月をウルフムーンと呼ぶのは、厳寒の一月はエサもなく、飢えたオオカミが空腹を満たすように鳴くからだと言われている。そうか、昨日の朝だったのか・・・。

 

 最近、ローカルニュースで「杵田(くにた)飛行場」の話題が取り上げられているが、「杵田飛行場」なんて聞いたことがなかった。香川の軍用飛行場は、高松の「林飛行場」と詫間の「詫間海軍航空隊」だけだと思っていたら、観音寺市の西部に「観音寺海軍航空隊」が作られていたのだとか。

 

 ここで「赤とんぼ」という練習機で特攻訓練をしていたのだとか。ま、完成を待たずに終戦になってしまったそうだが、農地や宅地を強制収用させれて移転を強制された農民が多かったそうな。そういうことを語り継ごうとする人たちがいるらしい。

 

 さて、時間(10:00)になったもので、さぬき市図書館寒川分館に行ってきた。で、長尾町史(上)(下)二冊を返却して、またも三冊を借りてきた。

 

 ま、寒川分館だから冊数も少ないので借りたい本も少ないところ。気分転換みたいなものだった。

 

 この本は、香川だと「四国新聞社」、高知だと「高知新聞社」、愛媛だと「愛媛新聞社」発行と言うことになっているらしい。中身は全く参考にはならなかった。

 

 この本も香川の生い立ちを並べてあるが、ま、基本情報みたいなものだった。ペラペラとめくっておしまいになった。わざわざ借りて読む本でもなかったみたい。

 

 お昼は巻き寿司と味噌汁になった。奥方の十八番である。

 

 で、お昼からは散歩気分で大窪寺に行ってきた。手水場の氷が見物かなぁと思ったのだが、

 

 思ったほどの氷でもなかった。

 

 もう少しばかり、凍っているかなぁと思ったのだが、さほどでもなかった。でも、南国四国だから、お参りに来た人たちは「寒い、寒い」を連発しながら、それでもしっかりと手を清めてお参りをしていた。

 

 私の10年日記である。昨年の黄色い部分は、香川医大付属病院に入院していたもので、体重と水分との格闘をしていた時期であった。あれから一年、なんで、あんなことをやっていたのだろうかと思うばかりの昨今。全く筋違いの治療をやっていたのだからよくなる筈がなかったのだ。

 

 二月が近くなったら、鬼のお話ばかりになるが、今日の掲示板はこれ。「ぬけぬけと「鬼は外」とは笑止なり」という、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。調べてみれば、この句は、ある同人誌に投稿された俳句であるらしい。節分の行事は、お寺でも神社でも行われているが、神社では「追儺(ついな)」という行事からの変化らしいが、お寺の節分はそれなりの独自の意義と作法のある法要になる。そんな難しい節分の意義を、一言で表す法語がこれだが、別のお寺では、「ぬけぬけと 「鬼は外」とは その口で」という句を見かけた。上五・中七は同じだが、「その口で」というのが鮮やかなぁと思ったことだった。節分という季節の変わり目を機会に、この口を、このこころをリセット・再起動せよというているのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


水仙の咲いて遍路の見えぬ寺

2021年01月29日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっているため概ね曇り、山沿いでは雪の降っている所があるらしい。気温は1.5度から5.2度、湿度は70%から60%、風は9mから4mの西の風が一時は強かった。明日の30日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 110/63/78 36.2c-93% 63.6Kg 23.3c-38%-1015hPa 体調に変わりはないが、肩こりが依然として収まらない。バンテリンや貼るカイロもあんまり効果がなくなってきたみたい。

 

 暖かそうなのだが風が強そうで今日はステイホームの外出自粛。

 

 で、クロスワードの総整理をやっていた。この本には80問のクイズがあるが、概ね解答できたように思うので確認作業をやってみた。

 

 終わったようでも空白のところがあったり、その解答からある言葉を探し出す作業が残っていたり・・・、

 

 こういう新形式だと何をどうしていいのかわからない・・・。そうこうしていたら、耳が詰まってきたり、目がギンギンと痛んだりとなかなかには進まない。

 

 気分転換。これは大窪寺境内にある「高浜年尾」という俳人の句碑で、「一つ長き夜の藤房をまのあたり」という句が刻まれている。

 

 この高浜年尾という人は、俳人「高浜虚子」の長男らしいが、画像検索でも見つからない。写真はお父さんの高浜虚子である。

 

 これは、同じさぬき市内にある86番札所「志度寺」さんの境内にある高浜年尾の句碑である。ここには案内看板が建てられていて、

 

 こういう看板である。これは、ここにある「海女の墓」にお参りした時の句らしい。で、末尾に「大窪寺にある」と書いてあるのだが、大窪寺には、こういう看板もなく、年尾がここに来て詠んだのかどうかもわからない。ものの本によれば、この「一つ夜の・・・」という句は、親の高浜虚子の句とされているものも多い。そのあたりがわからない。

 

 順調に進んでいた「ガイドマニュアル」作成だったが、ここのところは迷路に入り込んでしまった感じがする。

 

 今日は奥方がお休みなもので、あたたかいおうどんになった。

 

 節分には少し早いのだけれど、今日の掲示板はこれ。町内の善楽寺さんのお寺にあったもので、「福願う 心の裏に 鬼の顔」というもの。親鸞聖人は、このようにうたわれている。「悪性(あくしょう)さらにやめがたし、こころは蛇蝎(じゃかつ)のごとくなり」聖人は、自己の内にみんながいやがる蛇蝎を発見されたのである。私こそ蛇でございます、蝎(さそり)でございますと、蛇や蝎のような心、鬼のような心と言ってもよいだろうか、そのような心を見出されたのである。私も、今日は肩こりと猿の監視とでイライラしがち。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


石地蔵香り供えて梅の花

2021年01月28日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で夜は曇って雨の降る所がある見込みらしい。気温は3.5度から11.8度、湿度は82%から52%、風は1mから5mの西南西の風が少しばかり。明日の29日のさぬき市地方は、寒気や湿った空気の影響で概ね曇る見込み。

 

 118/68/78 35.8c-98% 63.4Kg 14.1c-47%-1016hPa 体調に変わりはない。肩の凝りも少しずつ楽になってきている。

 

 ものはついでだと、「日本の音風景100」という本を買った。CD付きである。

 

 でも、全国で100の音だから、音源は30秒ほど。ページもこの1頁のみ。そんなもんだ。でも、自分の耳で聞き、自分の目で確かめないと偉そうに他人さまには話せない。

 

 で、今日も相変わらず「へんろ道」探訪である。

 

 これが大窪寺前にある「一丁石」である。このほこらの中に大きい一丁石が納められている。これが土佐の井筒屋の建てた丁石で、宝暦十二年(1762)五月吉日に、遥か土佐国 ( 現 室戸市佐喜浜 ) の廻船問屋井筒屋「利平治」が、六丁までの丁石を寄進している。

 

 で、この「大窪寺」前の ”一丁地蔵尊” だけが、高さが124Cmもある花崗岩に彫られ、精緻な小屋の中に安置されている。

 

 かなり大窪寺への信仰心が厚かったものだろう。

 

 大窪寺の門前に、この「八十八庵」という土産物屋兼うどん屋さんがある。

 

 創業が昭和34年(1959)年で、当時はこうした茅葺き屋根の建物だった。左手の檻にはサルがいたことを思い出す。

 

 その頃から、この石碑があった。「遠国(辺鄙 (へんぴ) な所=田舎)の味」という石碑で、文字は「今東光」と刻まれている。

 

 今 東光(こん とうこう、1898年(明治31年)3月26日 - 1977年(昭和52年)9月19日)は、横浜生まれの天台宗僧侶(法名 春聽 )、小説家、参議院議員。大正時代後期、新感覚派作家として出発し、出家後、長く文壇を離れるが、作家として復帰後は、住職として住んだ河内や平泉、父祖の地、津軽など 奥州を題材にした作品で知られる。(Wikipediaより)この人もここのおうどんを食べたのだろうか。

 

 そのお店の東隅に、こんな丁石がある。今度は阿波国から大窪寺を目指した丁石で「二丁」と刻まれているし、

 

 大きい方は、「是より切幡寺へ五里」と刻んである。

 

 また、東かがわ市の白鳥(しろとり)へは四里半と刻んである。槇川講中が寄進したものである。これらも、このお店の駐車場拡幅工事などで移転されたものであるという。

 

 「人は迷って鬼になり 悟って仏となる」というもの。仏陀・釈尊の最後に語られた涅槃経には、弟子が釈尊、亡き後、何を頼りに生きたら良いのか?と質問したらば、「自灯明,法灯明」と、この二つに頼れと答えられた。

 最後の説法の訳文を紹介する。

「弟子たちよ、自らの灯火とし、自らをよりどころとせよ、
 他人を頼りとしてはならない。
 この法をよりどころとせよ、
 他をよりどころとしてはならない。
 教えの要は心を修めることにある。
 だから、欲を抑えて己に克つ事に勤めなければならない。
 身を正し、心を正し、言葉をまことあるものにしなければならない。
 貪ることをやめ、怒りをなくし、悪を遠ざけ、
 常に無常を忘れてはならない。
 もし心が邪悪に引かれ、欲にとらわれようとするなら、
 これを抑えねばならない。心に従わず、心の主となれ。
 心は人を仏にし、また、畜生にもする。
 迷って鬼となり、悟って仏となるのもみな、
 この心のしわざである。
 だから、よく心を正しくし、道に外れないように勤めるがいい。」

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


物言わずこころ震えぬ藪椿

2021年01月27日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は11度から14.4度、湿度は84%から56%、風は4mから2mの西の風が少しばかり。明日の28日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 118/70/78 36.5c-96% 63.4Kg 18.5c-46%-1016hPa 体調に変化はない。肩の凝りは幾分かは楽になった。今日も両肩に「貼るカイロ」を貼っている。

 

 昨日、奥方が帰るなり、「またもサルが食べとるんよ~」と大声で叫んでいた。ここしばらくサルの被害はなかったのだけれど、これで二回目だという。そうは言われても、四六時中サルの番をしているわけにはいかないし、畑ばかりを見てもいられない。

 

 確かにこれはサルだなぁと思った。けれど、今年は大根はしっかりと食べたのだから、もう良かろうと思うのだが、「まだ、カブも白菜もあるのよ」と奥方は息巻いている。

 

 重い腰を上げて野菜畑に入ってみると、網が外れてしまっている。網は、細いポールの先っぽに止めてあったのだ。

 

 こんな風に、網が下がってしまって役目をしていないことに気がついた。

 

 こういうシステムで、細い支柱の先につけた網だから、あがろうとしてもあがれない筈なのに、網が下がってしまっては役にたっていないのだ。私も入退院を繰り返していたし、しばらく被害がないから油断をしてしまっていたのだ。

 

 取り付けをしたのは2019年の9月のことだったと思う。それからずいぶんと経ったから支柱もぐらぐらしているし、ネットを止めていたテープも剥がれて落ちてしまっていた。

 

 今日のところは仮修理。様子を見ながら改善していくことにする。肩こりのせいか、右腕に全く力がはいらないのだから仕方がない。

 

 その後は飲み物なんぞのお買い物。

 

 ついでに、目薬も買ってきた。パソコンの画面ばかりを見るから目玉が乾いてしまう。症状を言うと薬剤師さんが選んでくれたもの。ついでに、右手の手首用に「バンテリン」という腕の痛みを抑える薬も買ってきた。

 

 その後は「空き瓶回収日」ということで、空き瓶を回収場へ運んでおいた。いや、これ全部が我が家のものではないので・・・。

 

 最近は、この歌ばかりを口ずさんでいる。「遠き昭和の・・・」という小林旭の歌である。最近は五木ひろしも歌っているような。

 

 遠き昭和の・・・あかりが灯る・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「老いることも死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ」という鬼滅の刃の「柱」と呼ばれる鬼滅隊の幹部で、鬼の攻撃の前に命尽きようというときに母の面影と語り合う煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)の存在。その戦闘能力の高さから、敵方である鬼の猗窩座(あかざ)から「死も老いもない鬼にならないか?」と仲間入りを誘われたときの彼の名セリフからである。「老いることも死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ死にからこそ、堪らなく愛おしく尊いのだ。強さというものは肉体に対してのみ使う言葉ではない。侮辱するな、何度でも言おう。君と俺とでは価値基準が違う。俺は如何なる理由があろうとも鬼にならない」という煉獄杏寿郎のことばである。お釈迦さまはこの世界を肯定的に受け入れた結果、死の間際でこのような言葉を残されたのさろう。わたしたちもお釈迦さまのようにすべてをあるがままに受け入れたとき、「老いることも死ぬことも人間の美しさだ」と捉えられるようになるのかもしれない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


梅の香を散らして寺の手水鉢

2021年01月26日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は低気圧や湿った空気の影響で概ね曇っていて、夕方からは雨が降ってきた。気温は5度から14.5度、湿度は94%から66%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の27日のさぬき市地方は、低気圧や湿った空気の影響で曇り、未明まで雨が降る見込み。その後は高気圧に覆われるため、昼前からは晴れるらしい。

 

 101/53/80 36.5c-96% 62.8Kg 22.3c-41%-1018hPa 体調に変化はない。肩こりは少しは楽になってきた。

 

 やはり、これはステイホームでの運動不足と血行不良だなぁと思った。で、今日も「貼るカイロ」を貼ってみた。両肩首回りの痛い部分に並べてみた。

 

 長尾町史というものを眺めていたらば、こういう記事が目に付いた。「なんだって!」というような驚き。

 

 だって、昭和13年に大窪寺の境内に忠魂塔を建てたじゃないか。一つの村に二つもの忠魂碑を建てるんじゃろうか・・と思ったのだ。「一夜庵」の周囲は道路工事なんぞがあったから大窪寺の境内に移転したのかと考えると年代が合わない。

 

 この写真・・。

 

 この写真・・・。

 

 この写真・・・。何か変・・・。そう、手水場が消えている。

 

 確かに、ここに手水場があったのに。

 

 今はこの位置に手水場はある。この日付けは2017年になっているから4年前か。上の移転前は2008年とかのものだから、その間に移転されたことになる。私の記憶もいい加減なものだ。

 

 こうして見れば、まだ、新しそうな覆屋である。このあたりの記憶がまるでない。

 

 さて、お次は「一夜庵」である。ここに「忠魂碑」はあるのだろうか。

 

 恐る恐る進んでいくと軍人墓地があった・・・。

 

 そこには、忠魂碑ではなくて「英霊塔」が建っていた・・・。でも、なんで一つの村に二つの忠魂碑を建てたのだろうか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「迷ったままでは生きていけませんが 迷っていることがわかると道は見えてきます」というもの。これまた、どこのどなたの言葉かはわからない。自分が、どの方向に進めばいいのいかがわからないと、その一歩が踏み出せないので歩けない。でも、右か左か、上か下か、今日か明日か、朝か夕方かなどと、迷っている事柄がわかると、それを克服すればいいのだから一歩が踏み出せる。その迷っている事柄を探し出すことが先決問題だと言うているのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


春めいた風浴びながらのかけうどん

2021年01月25日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は6.5度から12.4度、湿度は86%から60%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の26日のさぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夕方から雨が降る見込み。

 

 血圧101/58、脈拍79、体温36.2度、酸素濃度97%、体重63.2Kg、室温18.7度、湿度43%、気圧1028hPa、意識やや清明、尿量やや少なめ。体調に変化はない。相変わらず肩こりがひどい。

 

 FBの友人「にころこ」さんが、ハイネックのシャツにカイロを貼ると肩こりが消えるというのでやってみた。 

 

 背中と両肩上の首筋にカイロを貼ってみた。血行が良くなったのか少しは楽になった。でも、芯が残るようでまだまだ痛みは残っている。簡単には治まりそうにもない。奥方は温泉につかって、マッサージ器で寝てみたら?と言うのだが、それは感染症で少しばかり恐怖。

 

 ということで、布団を干したり、燃えるゴミ、不燃ゴミ、空き缶の整理なんぞをやってみたり、

 

 介護ベッドをアップにして高くして、

 

 その下のわたぼこりを掃除してみたり、

 

 奥方の部屋に掃除機を掛けたり、トイレ掃除やら廊下掃除なんぞをやってみた。運動不足もあるのだろうし、パソコンから少しは離れてみようと思ったのだし。

 

 今日は定休日の奥方が、「久々におうどんに行こうよ」と誘っている。人混みはいやだなぁと思いつつも仕方なく運転手でついていった。

 

 で、奥方はいつものかけうどんとおでん。私はしっぽくうどんの590円。お野菜が煮込んであってやわかくておいしかった。麺は少々腰が強くて噛むのに歯茎が痛がった。

 

 案の定、奥方の車にはガソリンが残っていない。うどんをダシにして私の顔で、私のカードからガソリン代が引き落とされることになった。「気をつけよう、甘い言葉と誘惑に」

 

 そうは言うても、やることはやっておかないと・・・ということで、今日も「あなたの知らない大窪寺ガイド」の続き・・・。これも何気なく通り過ごしている石碑だが、「音の百選」って、なんじゃらほい。

 

 「日本の音風景100選」は、1996年に当時の環境庁(現・環境省)が「全国各地で人々が地域のシンボルとして大切にし、将来に残していきたいと願っている音の聞こえる環境(音風景)」を広く公募。「日本の音風景検討会」の選定審査の結果に基づき、これらの応募のうちから音環境を保全する上で特に意義があると認められる100件を選定したもの。大窪寺の鐘の音とお遍路の鈴の音が選ばれたみたい。

 

 四国では、このようなものが選ばれているみたい。

 

 熊谷崇先生は、1942年東京都生まれ。1968年日本大学歯学部卒業。1971年横浜市港北区開業。1980年山形県酒田市に移転開業(日吉歯科診療所)。おもな活動、1983年~現在、A.A.P.(米国歯周病学会)会員。1989年~1990年日本歯科医師会「歯学研修セミナー」講師。1995年~現在、新潟大学歯学部非常勤講師。1995年~現在、AFFILIATED MEMBER OF THE SCIENTIFIC BOARD (インターナショナルヘルスケアファウンデーション)。1997年~現在、東北大学歯学部非常勤講師。1998年~2001年日本ヘルスケア歯科研究会運営委員。2001年~現在、同科学顧問。1998年~現在、九州歯科大学歯学部非常勤講師。1999年9月スウェーデン・マルメ大学歯学部名誉博士号。2003年~現在、九州大学歯学部非常勤講師 などを歴任。NHK、プロフェッショナル、仕事の流儀で放映されて一躍有名人になった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


雨上がり山茶花の咲く温かさ

2021年01月24日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で雨が降っていた。気温は7.5度から11.1度、湿度は92%から70%、風は1mから3mの北の風が少しばかり。明日の25日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 血圧106/61、脈拍86、体温36.6度、酸素濃度96%、体重62.6Kg、室温21.4度、湿度42%、気圧1021hPa、意識やや清明、尿量やや多め。体調に変化はない。

 

 雨のせいでも気圧のせいでもないと思うが、肩こりがひどくなってきた。

 

 私は義兄(奥方の兄)のマッサージを何度も受けたが、その時の痛さというかきつさにびびってしまって、マッサージやあんまとかというものは受けたことがない。湿布やシップ薬でなんとかなってきたのだが、今回は、そんなものも通用しない。

 

 で、寝ていたらいいだろうと考えたが、昼間はどうしても寝られないし、ただ横になっているのも苦しいもので我慢ができない。

 

 これは昭和の40年代あたりの大窪寺の風景だと思う。本堂と阿弥陀堂の間の空間に、こうしたおびただしい金剛杖や菅笠、松葉杖やギブス、コルセットなどが無造作に積み上げられていた。今はこうしたことはできなくなっている。杖や菅笠は「冥加金」ということで、有料で納めることになっている。

 

 さて、先に大窪寺に至る遍路道が国指定の「日本遺産」に追加答申されたという話があった。

 

 こういう遍路道が「日本遺産」になるというのである。

 

 これは、大窪寺の仁王門前にある「日本遺産」に登録されたという章票である。今まで気にもとめなかったのだけれど、「日本遺産」って何じゃろうか。「世界遺産」とはどう違うんじゃろうかと考えてみた。

 

 ということらしいのだが、いまいち、ピンとこない。ま、調べてみると、日本遺産になったからということで、専用の納経帳や輪袈裟の販売があったりと商品化されたり、日本遺産巡拝ツアーということで商業利用することが目に付いた。

 

 だとしたら、私らも「日本遺産」案内人ということになるんだろうか。

 

 先の大窪寺仁王門前のプレートに刻まれた文言である。新しいことや珍しいことは書いてない。当たり前のことを書いてあるだけ。これだけではガイドのネタにはなりそうもない。

 

 キーを打つからか、右手や右手首、右腕から右肩などが痛むし、首筋も痛くて回らなくなってきた。いつも、二週間ぐらいで治るのだが、今回はしつこいようだ。

 

 赤ちゃんは、何も持たずに生まれて来る。赤ちゃんは生まれる時に何も持っては来ないのだが、それなのに家族や周りの人々の笑顔を生みだしてくれる。死ぬ時も、生まれて来た時と同じように「何も持たずに」死んで行く。いくら大金持ちの方でも、お金に執着している方でも、お金や通帳や土地や車や財産を抱いて死ぬことは出来ない。最後は皆、骨を拾ってもらうのみである。なのに、なぜ私達人間は「人生と言う旅の途中で争うのだろうか?」素っ裸で生まれ、体一つで死んでいくというのに。旅の途中で物にしがみ付き、沢山の囚われと共に家族兄弟姉妹、親戚まで巻き込んでいがみ合い、罵り合い、顔で笑っていても心でけなし合う様な悲しい生き方をどうしてしてしまうのか。では、何の為に生きているのだろうか。持って行けない物の為に生きているのではないはずだ。では何の為に生まれ、何の為に生きているのだろうか。しみじみと考えさせられる雨の日曜日である。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


涅槃橋渡る戸惑い春の雨

2021年01月23日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で雨が終日降っていた。気温は10.5度から7.9度、湿度は94%から78%、雨は0mm/hから1mm/h、風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の24日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼前から昼過ぎにかけて雨が降る見込みらしい。

 

 血圧115/62、脈拍79、体温36.4度、酸素濃度98%、体重62.4Kg、室温21.8度、湿度42%、気圧1018hPa、意識やや清明、尿量やや多め。体調に変化はない。

 

 今日は終日雨・・・。香川県下でも感染症は治まらないので外出は自粛せねばということと、雨では何もできないというところ。「引き籠もり」ならぬ「閉じ込められ・・・」みたいな気分。

 

 肩が痛い、右腕が痛い、右手指が痛いのだが、寝てばかりもいられない。パソコンには触りたくないのだが、テレビはつまらないし、ラジオだって土曜日は面白くない。

 

 そこで、またまた、長尾町史を開いてみてパラパラパラリ・・・。

 

 雨は止むことなく降り続いている。

 

 これは昔の「通行手形」というもので、今風に言えば「パスポート」。”松平讃岐守殿御領分寒川郡奥山村の男三人と女三人が四国遍路に出るのでよろしく”と、大窪寺が通行手形を書いたもの。この六人は代々真言宗で、大窪寺の檀那信徒に間違いないと証明している書類である。

 

 早速、これも「あなたの知らない大窪寺ガイドブック」に追加しておいた。大窪寺はお遍路さんがお参りに来るお寺なのだが、その信者さんがお遍路に出るというのはあって当たり前だが、今まで見たことのない書類だった。

 

 大窪寺の東には、大窪寺側を「極楽谷」といい、「払川」という川を挟んだ向こうの山を「地獄谷」と呼んでいる。その極楽谷と地獄谷を結んでいる橋がある。だとすれば、この向こう側は「地獄橋」になっている筈が・・・、

 

 なんと、向こう側は「涅槃橋」になっている。涅槃というのは、本来は風が炎を吹消すことを意味し、自己中心的な欲望 である煩悩や執着の炎を滅した状態をさす。涅槃は完全な静寂や自​​由、最高の幸福の状態であるだけでなく、誕生や生死の繰り返しである輪廻からの解放と終了であるとされている 。

 

 つまり、同行二人、お大師さんと一緒ならば、地獄ではなくて涅槃の境地に入れるということを象徴しているのかも知れない。

 

 そういうことも、ガイドマニュアルに追加しておいた。

 

 それと、讃岐の国に「砂糖」の製法を教えたのは、四国遍路の途中で倒れていた「関良助」だという話が有名だが、こちら長尾寺にもそういう話が残されていた。長尾寺で病気になっていたお遍路さんを介抱して、その御礼に、砂糖の製法の図面まで教えてくれたというお話である。

 

 今日も肩こりで歯茎が腫れているので、おかゆにして食べた。いつまで、この肩こりが続くのだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「きょうは今日という作品を仕上げさせていただく日」という「ほのぼのカレンダー」東井義雄先生の言葉からである。最近のカラオケでは石原裕次郎の「わが人生に悔いはなし」をよく歌うようになった。その歌を歌いながら、70年余の生き方を思い返し、詠んだ俳句やその俳句をつくる日々の暮らしぶりを思い出しながら、わが人生に悔いはなしという言葉がしみじみとしみてくるのである。これからもなお、私は悔いのない人生を送れるだろうか。送るにはどうすればいいんだろうか。やり残した事はないか、思い残す事がないか、一日一日を大切に生きることを考えている。誰の人生でもない自分の今日を、自分らしく生かさせていただく生き方が、そのまま私の今日の生き方である。その生き方という作品を今日の中できちんと仕上げていかなければと思う今日この頃である。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


水仙を活けて句にするくすむ雨

2021年01月22日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨が降っている所があった。気温は7.0度から10.2度、湿度は98%から88%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の23日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから雨となる見込みらしい。

 

 118/63/80 36.2c-96% 62.4Kg 22.0c-39%-1020hPa 体調に変化はない。肩こりは依然としておさまらない。一昨年の今頃も肩こりや右腕、右手指の痛みを訴えていたと記録にはある。今頃はそういう時期なのか。

 

 朝から雨が降ったりやんだりと落ち着かない。普通だとこれが雪になったのだろうが、温かいせいか雨になっている。

 

 で、昨日に借りてきた「長尾町史」を眺めていた。どうにもよそさまの町のことなどは頭に入らない。地名を言われてもわからないし、人名を見てもどこのだれやらわからない。なじみがないと意味が通じない。

 

 で、こうした「大窪寺」のことになると理解できるのだが、こういう記事は何度も読んでいるので、ふむふむで終わってしまう。

 

 それだけではもったいないので、文章読み込みアプリで文章化しておく。

 

 プリンターを使ってスキャナーで読み込み、それを文章化する。

 

 それをさらにワードという文章作成アプリで読み込んでしまう。

 

 そうすると、こうしたテキスト文章ができあがる。多くの場合、それでおしまいになって、マイドキュメントかなんかで埋もれてしまう。そして忘れ去られてしまうことが多い。で、また、同じ本を借りてきて、同じ事を繰り返すのである。

 

 さて、今日は歯医者さんの予約診察日である。肩が凝って歯茎が腫れて入れ歯が入らないので、食事ができないということで診察をしてもらった。

 

 で、歯茎にあたる部分を調整してもらって食事はできるようになった。でも、それは応急処置だというので、今日の診察になった。耳がつまるようになるのは治まったし、食事ができるようになったものの、まだまだ肩こりはなおらない。はてさて、今日はどうるのじゃろうかと思えば・・・。

 

 またも「型を取る」というのである。前回にも型を取って、今日も見せてもらったのだが、さらに噛み合わせを調べるために再度、型を取るという。私は30分ごとにトイレに行くので、二回もトイレ休憩して2時間の作業になった。

 

 だから、11時から13時までの2時間という長期戦。終わってみたら、もう、誰もおらず、そのままお昼の休憩になったみたい。

 

 だから、今日のお昼は13時半から14時までと遅いお昼になった。

 

 今日はネギの代わりにほうれん草が入っている。おうどんは富山の氷見うどんの細麺である。

 

 今日の掲示板はこれ。「失敗する可能性もたくさんあるけれども、まずはやってみなければ何も始まらない」という新浪剛史さんの言葉から・新浪剛史(にいなみ たけし、1959年(昭和34年)1月30日 - )は、日本の企業経営者。サントリーホールディングス株式会社代表取締役社長、元株式会社ローソン取締役社長及び会長(3ヶ月のみ)。 弟は埼玉医科大学教授の新浪博士さん。最初は誰でも初心者だ。最初から成功する確率は低い。失敗する可能性もたくさんたくさんあるけれど、まずはやってみなければ、絶対に成功する筈がない。まずは、歩き出さなければ目的地には着かないのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


白梅の咲いて重荷を降ろす朝

2021年01月21日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夜は気圧の谷や湿った空気の影響で次第に曇るらしい。気温は0度から10.9度、湿度は96%から72%、風は1mから2mの東南東の風が少しばかり。明日の22日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、日中は雨が降る見込み。

 

 血圧118/61、脈拍79、体温36.4度、酸素濃度98%、体重62.8Kg、室温17.6度、湿度38%、気圧1028hPa、意識やや清明、尿量やや少なめ。体調に変化はない。

 

 近年は霜の朝も珍しくなったし、吉永小百合の「寒い朝」みたいに「北風ふきぬく寒い朝も~・・」という北風も木枯らしも少なくなったような気がする。

 

 ということで、出掛ける気にもならないので、医療費控除の手続きをやってみた。

 

 でも、10月あたりからの肩こりがいまだに治まらず、右手が特に動かない。だから、何度も元の画面に戻って前に進まない。

 

 何度も何度もやり直しながら、送信完了になった。でも、これをスマホでやったら腕が全く動かなくなってしまうかも・・・と思った。

 

 で、気分転換に歴史民俗資料館に寄ってみた。歴史はまったくわからないが、民俗学には興味がある。ここには、このような生活用具、民俗資料などが雑然と並べられている。

 

 これは、飯篭(いかき)というもので、夏は炊いた飯が腐りやすいため、お櫃(ひつ)を使わず、竹製の飯籠(めしかご)に入れて、井戸の上や軒下など涼しい所に吊るしたもの。もう、「イカキ」という言葉も死語になった。

 

 このスポーツの道具みたいなものは「打ち上げ」というもので、大きな鍋でゆがいたおうどんなどをすくって取り出す道具だった。これも姿を消してしまった道具になった。

 

 これは陶器製の湯たんぽである。金属回収などで金属がなくなると、こうした陶器製の湯たんぽになった。湯たんぽは今もプラスチック製になって遺っている。

 

 これは「足こたつ」というもので、中に炭火を入れて暖を取った。戦後は「電気足温器」や「電気スリッパ」に姿を変えた。

 

これは「船こたつ」とか「安全こたつ」とか呼ばれたもの。縦横自由自在に動かしても、中の火種袋は動かないというもの。「自在こたつ」とも呼ばれたことも。

 

 これは「竿ばかり」というもので重さを量るもの。

 このようにして、分銅の位置を動かせて、竿に刻まれた目盛りで主さを知ったもの。私が子どもの頃は、みんなこれで重さを量っていた。でも小学校には「体重計」が置いてあった。

 

 そんな「竿ばかり」も使われなくなって久しい。だから、我が家の囲炉裏の自在鉤には、この竿秤を流用している。このフックに鉄瓶や鍋をかけるのである。

 

 また、長い竿秤は散歩用のステッキにも使っている。

 

 お昼からは、さぬき市の図書館に行ってきた。この前に借りた本を返却しておいた。

 

 で、今度は「長尾町史」という本を借りてきた。平成の大合併前の「大川郡長尾町」の「町史」である。明日からはお天気が下り坂になるそうな。これでじっくりと大窪寺に関するお話などを調べてみようと思っている。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に回り道はあっても 近道はない」というもの。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。京都の永観堂さんのことばかも。人生の目的地がどこか・・という疑問もあるけれど、遠回りして気づくならば、それも悪くないし、遠回りするからこそ、気づくことだってあるように思う。「歳をとりすぎた!」「チャンスを逃した!」「今からでは遅い!」「もう手遅れだ!」と言うのは簡単だが、まずは一歩踏み出せば、見える世界が変わるもの。遠回りは、幸せへの近道なのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


山茶花のよほどの白にも驚かず

2021年01月20日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は-0.5度から7.6度、湿度は82%から66%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の21日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるけれど、夜は気圧の谷や湿った空気の影響で曇る見込みらしい。

 

 血圧119/71、脈拍79、体温36.4度、酸素濃度98%、体重62.6Kg、室温17.1度、湿度37%、気圧1032hPa、意識やや清明、尿量やや少なめ。体調に変化はない。

 

 大寒は二十四節気の最終節で、最も寒い時期という意味。一年の最低気温もこの時期に記録されることが多いようで、今年は今日1月20日から2月2日まで。二十四節気の24番目が大寒で、次の立春が1番目となり、立春を迎えると暦のうえでは春になる。大寒の最終日(立春の前日)が豆まきでおなじみの節分になる。旧暦のころは立春が新しい年の始まりを意味していたので、節分の豆まきは年越しの行事にあたるらしい。

 

 ご案内の通り、今日はさぬき市広報「さぬき」の発行日だから、朝イチで広報ほかを配ってきた。

 

 我が集落も限界集落に近くなってきて、30数戸もあったのが今はわずか9戸になった。だから我が家を除いて8戸の郵便受けに投げ込んで来た。今日は平日だから、どこのおうちにも人影はない。

 

 それに、みんなが家に居ないからか、犬や猫を飼っている家もなくなった。留守番犬として、どこの家にも犬がいたものだが、最近は犬の鳴き声も聞こえなくなった。

 

 で、忘れない内にと、3月末の自治会総会用の資料の下書きを作っておいた。できることからコツコツと。やれることからボチボチと。

 

 私の場合、明日のことがわからない身体。今夜のことがわからない状態だから、できることは早め早めにやっておく。その場になって慌てて間に合わないということのないように。

 

 でも、なんだかんだと書類があるものだ。

 

 で、今日は天ぷらうどんにした。

 

 で、今日も大窪寺を散歩してきた。これは「同行二人」の御詠歌であるという。文学碑ではないらしい。

 

 で、これが「高浜虚子」の息子、年尾の句碑で、「一つ長き夜の藤房をまのあたり」と刻まれているが、いつ、どういう経緯でここに建てられたのかは不詳のままだ。ということで今日の収穫はなし。

 

 途中のおうちで見かけた紅梅である。早くも花を開き始めている。

 

 今日の掲示板はこれ。「見る気がなければ何も見えない。聞く気がなければ何も聞こえない」という荒了寛さんの言葉から。だからと言って、何でも見たがって、余計なものまで見てしまって気になってしまったり、何でも聞きたがって、余計な事まで聞いてしまって不安に陥ってしまったりするのもどうかと思う。他人の事も、自分の噂も、事実とは違ってる事が勝手に出回っているということはよくある話だ。自粛警察だ、感染症のクラスターだと世の中はかしましいが、そういうことに翻弄されない心構えが必要な時代でもあるなぁと感じる今日このごろである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


山茶花がバス待つ遍路を見ておった

2021年01月19日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は4度から6.7度、湿度は68%から62%、風は6mから1mの北西の風が一時は強かった。明日の20日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 血圧116/70、脈拍79、体温36.3度、酸素濃度97%、体重61.7Kg、室温20.7度、湿度35%、気圧1025hPa、意識やや清明、尿量やや少なめ。体調に変化はない。

 

 今日も医療費控除用の医療費計算をやっていた。歯医者さんに行った記録が見えなかったからだった。でも、昨年の医療費ってこんなものだったんだろうか。香川医大付属病院やら県立白鳥病院やらで入院したり手術もしたし、白内障の手術も受けたし、おなかの手術もあったりと慌ただしかったんだけれど。

 

 こうして一日中パソコンに向かっていると目玉が乾いてきてしまって「ドライ・アイ」になってしまう。目薬をさしても「砂漠に小便」くらいなもので効き目は全くない。

 

 さて、時間になったので郵便局に行ってきた。まずは、当座のお小遣いを引き出しておいてから、

 

 お年玉付き年賀葉書の当たり番号で切手シートをもらう為である。

 

 この大入り袋の中に、切手シートが入っているのかと思えば、これが切手シートになっている。それを6枚、いただいてきた。

 

 この丸い部分が切手になっていて、シールみたいに外せる仕組みになっている。なんとも味気ないような・・・便利なような・・・。

 

 その後、銀行口座に当座のお小遣いを入金しておく。不正引き出しなどの防止策として、この口座には必要限度のわずかしか入れておかない。

 

 今日のお昼は「カキうどん」である。夕食の「牡蠣の土手鍋」の残りをおうどんに載せてみただけのもの。

 

 お昼からはさぬき市の広報の配布準備。今月は税務署からのお知らせが入っている。確定申告とかe-Tax とか。税務署に行くにはLINEで入場整理券を受けないと入れないとか・・。

 

 それらを個別に振り分けて・・・、

 

 ビニール袋に詰めて、明日の朝に各戸に配達する。

 

 今日の掲示板はこれ。「一度しかない人生だから・・・自分の道を自分らしく生きたい。人間らしく。自分らしく。」というもの。どこの誰の言葉かはわからなかった。山本有三の『たったひとりしかない自分を、たった一度しかない人生を、本当に生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか』と言う言葉にも似ているがやや異質な言葉だと思う。昨年の二月中旬、「あなたのいのちは風前のともしびです。これからは、あなたらしく生きてください」と、担当ドクターは言い放ったのだが、「あなたらしく生きる」とはどういうことなんだろうかと考えた。「自分らしく生きる」って、どういうことなんだろうかと考えた。その上に、「人間らしく」と言われると、どういう生き方をすればいいのだろうかと考え込んでしまう。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


山茶花や非番の妻が魚買う

2021年01月18日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、夕方からは気圧の谷の接近や湿った空気の影響で次第に曇り、雨の降る所があるらしい。気温は0度から7.3度、湿度は68%から46%、風は1mから5mの西の風が少しばかり。明日の19日のさぬき市地方は、冬型の気圧配置となるため、概ね曇る見込みらしい。

 

 121/65/79 36.2c-98% 63.2Kg 18.8c-39%-1023hPa 体調に変化はない。依然として肩こりが続くが耳は聞こえるようになったし、食事も普通に食べられるようにはなってきた。

 

 昨日、島の家の年賀状も持って帰ってきたので、当選番号を確認した。総数68枚中で6枚が切手シートの当たりになった。毎年、2枚か3枚かしか当たらないのに今年はどうしたことだ。試しに二等と一等も調べてみたが、こちらはかすりもしなかった。

 

 で、島の家に届いていた年賀状のお返事として、寒中見舞いのハガキを出しておいた。

 

 今日は奥方がお休みなもので外出自粛。「どこに行くの」「何しに行くの」とうるさいからだ。だから、「あ、そうだったんな、お大師さん」の続きとか記事の修正なんぞをやっていた。小さなことからコツコツと、できることからぼちぼちと。

 

 町の小さな水道工事屋さんが、水のおいしいことを知っておうどん屋さんを始めた・・・というお話である。今では「大窪寺」と言うと、「打ち込みうどん」と言われるほど有名になった。国会議員さんや有名タレントさんたちも、わざわざ、ここまでおうどんを食べに来ると言うお店になった。そんな、内緒話である。

 

 これは、山門の描かれていない江戸時代半ば頃の大窪寺の絵図である。なぜ、二天門がないのか・・・というお話である。「えっ、ほんまなぁ、それは・・・」というお話である。

 

 そういうことで、着々と、この「あなたの知らない大窪寺教えます」というガイドブックができつつある。

 

 こちらが、私専用の「大窪寺ガイドブック」である。これを読み返し、ひっくり返しながら、大窪寺の謎はないか、鍵はないかと探し回っている。

 

 さて、島の家から確定申告に必要な源泉徴収票を持って帰ったからと、医療費控除の準備を始めた。私はこういう計算は苦手中の苦手なのだ。

 

 こちらは家計簿システムを使った医療費計算シート。病院ごと、薬局ごとの医療費を集計するシートである。

 

 こちらが提出用の医療費集計シートである。三年前(2018)には入院給付金だの見舞金だのと保険会社からバックがあったのに、昨年には全くない。前に異常な事だとシステムが変わったらしい。何のための保険やらわからないではないか。ま、計算が簡単で楽にはなったけれど。

 

 で、今日もあたたかいしっぽくうどんになった。お肉がアレルギーで食べられないので野菜ばかりになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「釣れないときは魚が考える時間を与えてくれたと思えばいい。」という、ノーベル賞作家のアーネスト・ヘミングウェイ(1899~1961年)の言葉である。私も釣りが好きで、休日には釣りに行くのを楽しみにしていた時期があった。その頃は島の家周辺でいくらでも魚が釣れた。そのために船も買った。けれど、魚を釣り上げるまでには一分も掛からない準備にどれだけ多くの時間を掛けたからといって、必ず魚が釣れるわけではない。一匹も釣れずに終わる日だってあるわけで。魚がたくさん釣れた日であっても、釣りをしているほとんどの時間に何をしているのかと言えば、魚がエサに食い付いてくれるのを「待っている時間」である。そして、ようやく魚が掛かって、釣り上げるまでには、よほどの大物でもない限り一分も掛からない。その日、運良く五匹のグレや黒鯛が釣れたとしても、実際に釣っている時間はせいぜい5分足らずなわけだ。その5分という僅かな時間のために、丸一日も掛けて釣りに出掛けているのである。結果が出るまでの時間のほうが圧倒的に長い。釣りの話をしたが、人生も似たようなものだと思うのだ。「努力をして、結果が出るまで待たされている時間」のほうが、圧倒的に長いのである。これは、物事は「結果」だけに価値があるわけではないということを意味しているわけで、結果は大切だけれど、目標を達成するまでにどれだけ楽しめたか、こちらのほうもまた重要なのだ。物事は結果だけにとらわれるのではなく、「もっと過程を楽しむ努力をしてみよう!」と考えてみたいもの。「楽しみ」というのは、自然にふっと現れるわけではなくて、努力を伴うもの。意識して探してみる必要があるように思う。人生は、「あーでもない、こーでもない」と試行錯誤をしている時間のほうが、圧倒的に多いわけで、幸せな人生であったかどうかなんて、本当は死ぬまで分からない。長い目で見れば、簡単に魚が釣れてしまうよりも、もっと価値のあることが得られる場合だってあるのだから。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


西寄りの冷たい風や寒桜

2021年01月17日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていたが、やがてには高気圧に覆われて概ね晴れてきた。気温は6.5度から8.5度、湿度は68%から54%、風は3mから5mの西北西の風がやや強かった。明日の18日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて午前中は晴れるが、午後は気圧の谷の接近や湿った空気の影響で曇り、夕方から夜のはじめ頃は雨の降る所がある見込。

 

 113/54/79 36.4c-98% 62.6Kg 18.4c-40%-1020hPa 体調に変化はない。

 

 今日は打って変わって丸亀港にやってきた。午前9時過ぎに我が家を出て10時半過ぎに丸亀市にある丸亀港まで来るまで走ってきた。天気予報では風が強くないと聞いたのでやってきたが、この時期の海は荒れる。

 

 11時10分発の高速艇「ニュービサン」に乗ってしわく広島の江ノ浦港に向かう。いつものパターンである。時期的なものもあってか、乗客は私を含めて6名である。

 

 風は3mから5mだと聞いていたのだが、海上の波はすごい。ましてや小型の高速艇だから揺れて揺れてブランコに乗っているみたいだ。

 

 江ノ浦港には11時30分に着く。そこから軽トラで5分。島の家は昨年12月に草刈りをしてそのままだ。

 

 今日の「暁光庵」の扁額である。そんなにもは変わらない。

 

 で、今日の目的はこの郵便物の回収である。このためだけにやってきたもの。

 

 というのが、今年2月の確定申告のために必要な源泉徴収票を回収するためである。これがないと医療費控除が受けられない。

 

 で、慌ただしく「チキンラーメン」を食べてユーターン。12時50分のフェリーボートに乗って帰る。

 

 来るときは高速艇だったが、帰りは大きなフェリーボート「しわく丸」である。フェリーだから軽自動車が二台と乗客が8名だけ。皆さん、ステイホームで外出自粛中なんだろうか。単に寒いから家にいるだけなのだろうか。

 

 やはり大きなフェリーでも港の外に出たら波は高い。でも、船がでかいから揺れたりはしない。安心して乗っていられる。

 

 帰りに丸亀市綾歌町にある福成寺によってみた。ここの寒桜はまだまだ。ちらほらと花びらが見える程度だった。

 

 今日の掲示板はこれ。「自信とは自分を信じることじゃない。自分のしてきた事を信じることだ。」というもの。

自信とは自分を信じることじゃない
自信とは『自分のしてきたことを信じる』ことだ
自分のしてきた唯一無二の、成り行きを持ち
人生を迎え撃て
ーー
人間、志を立てるのに
遅すぎるということはない。
負けたら終わりなのではない。
やめたら終わりなのである。
この道より、われを生かす道なし。
この道を歩く。
いつかできることは、今日もできる。
笑って暮らすも一生、泣いて暮らすも一生。
人生の節目となる瞬間は、
自分でそれとはわからない。
自分が立っている所を深く掘れ。
そこからきっと泉が湧いてくる。
何もかも失われた時にも、
未来はまだ残っている。
人生の半分はトラブルで、
あとの半分はそれを乗り越えるためにある。
退屈すれば長く、充実すれば短い。
昨日から学び、今日を生き、明日へ繋いでいこう。
幸福になりたいのだったら、 人を喜ばすこと。
寝床につく時、翌朝起きることを
楽しみにしている人は幸福である。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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