まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

北風に逃さぬように暖かさ

2022年01月24日 | 時には日々是日

 24日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇る見込み。気温は5.0度から9.9度、湿度は92%から46%、風は1mから3mの北の風が少しばかり。明日の25日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 収縮期102mmhg、拡張期59mmhg、脈拍79bpm、体温36.1c/酸素濃度97%/体重65.6Kg 室内気温20.9c/室内湿度29%/気圧1020hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:07分、日の入りは17:25分 月齢は21.4 中潮。

 

 そろそろと、確定申告の準備でもと始めて見たが、まだ、源泉徴収票とか保険の証明書とかが足りないので、うまく進まない。時期的には、そろそろ、揃っていなければならない時期なんだが、私が誤って捨ててしまったのかしらん。こういうものは大事な物だからと気をつけてはいたのだけれど。

 

 ヘタに妙な数字や言葉を入力してはまずいなぁと、一旦、作業は中止になった。

 

 へてから・・・、今朝方、ラジオ深夜便を聞こうとしたのだけれど、うんともすんとも言わない。三日ほど前には確かに聞こえていたのだけれど。

 

 で、裏蓋をこじあけてみると、「なんじゃ、これは!!」乾電池が塩を吹いている。このラジオ、買ってから一度も電池なんぞ交換していないのかも・・・。電極をヤスリで磨いてから乾電池を入れ換えてみた。機械は正直だ。すぐにラジオ放送が聞こえてくる。

 

 続いて・・・、「新風土記」なるものの総仕上げ段階。適宜に挿絵ならぬ「画像」を張りつけていく。その画像が、なかなかに見つからないときがある。私のブログの中から画像を探し出してくるのだが、「正月飾り」と検索すると、まぁ、ズラズラズラと関係のないような内容ばかりで、肝心な画像が出ないよう。

 

 こういう具合に画像を貼り込んでゆく。

 

 これは「精米機」の今昔である。こういう物も、民俗資料館に行かないと見られない物ばかりになった。そんなことを纏めていたわけだ。

 

 それにも飽きてくると、「エンディングノート」のつくりなおしである。二年前に作ったものが今も残ってはいるのだけれど、原稿を紛失してしまって更新ができないと言う訳だ。全くもう、どんなんらんこちゃがな。

 

 しかしのかかし、死んでいく者に「生きがい」とか「特技」「免許」などというものが必要なんだろうか。「三途の川をジャンプして飛び越えます」とか、「閻魔様にも見破られないような魔法が使えます」とかと書けばいいのだろうか。「好きな季節=灼熱地獄」、「好きな動物=地獄の赤鬼」とかと書けばいいのじゃろうか。でも、こんなものを書いてどうするんじゃろうか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「人は何も持たずに生まれてきて 何も持たずにこの世を去る」というもの。どこの誰の言葉かはわからなかった。赤ちゃんは、何も持たずに生まれて来る。赤ちゃんは生まれる時に何も持っては来ないのだが、それなのに家族や周りの人々の笑顔を生みだしてくれる。死ぬ時も、生まれて来た時と同じように「何も持たずに」死んで行く。いくら大金持ちでも、お金に執着している人でも、お金や通帳や土地や車や財産を抱いて死ぬことは出来ない。最後は皆、骨を拾ってもらうのみである。それなのに、なぜ私達人間は「人生と言う旅の途中で争うのだろうか?」素っ裸で生まれ、体一つで死んでいくというのに。旅の途中で物にしがみ付き、沢山の囚われと共に家族兄弟姉妹、親戚まで巻き込んでいがみ合い、罵り合い、顔で笑っていても心でけなし合う様な悲しい生き方をどうしてしてしまうのか。では、何の為に生きているのだろうか。持って行けない物の為に生きているのではないはずだ。では何の為に生まれ、何の為に生きているのだろうか。しみじみと考えさせられる冬の日である。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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