まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

梅雨明けを 待つ勢いの たちあおい

2017年06月30日 | たまには旅など・・。

 四国地方は、梅雨前線や湿った空気の影響で、太平洋側を中心に雨が降り、雷を伴い非常に激しい雨となっている所があった。気温は21.4度から27.3度、湿度は98%から72%、風は1mから4mの西北西の風が一時は強かった。

 

 かねてから、奥方のけいこばぁが、「室戸の海を見てみたい・・・」と、言うていたのだが、私は、そんなものは見たくないので相手にしなかったのだし、右目が見えにくくなっているし、30分ごとにトイレに行くので、旅などしたくなかったのだ。

 

 奥方は、仕事場が変わるので、今は退職手当のなんたらでお休み中。そこで、私の下の弟、「たっくん」を運転手にし、おとなりのおばさんを連れてのドライブを決めてしまった。そこで、仕方なく、高速道路を使わずに、国道11号線を走って、徳島市内へ・・・。

 

 天候は、梅雨時の晴れたり曇ったり、雨が降ったりの不順な状態。30分ごとに、コンビニなんぞでトイレ休憩なんぞをしてもらって、国道55号線を南下して、徳島市内から小松島・阿南経由で、美波町へ。

 

 で、こうした道の駅・日和佐などでトイレ休憩とか簡単な運動とか散歩。車に乗ったまんまでは身体が痛くなるし、エコノミー症候群になる。ご婦人たちは野菜なんぞのお買い物。私はちくわなんぞを買ったが、おひるの弁当のおかずになった。

 

 ここには足湯なんぞもあったが、そんな余裕はなかった。

 

 徳島と高知県の境目あたりにある「宍喰町」の道の駅でもトイレ休憩。おしっこをするために行ったようなものだ。天候は悪いし、さりとて、お土産にするようなものもない。

 

 室戸岬はまだまだ先のほう・・。歩きへんろの方は、23番薬王寺から24番の最御崎寺までは遠いと思った。ここをてくてくと歩くとどれだけかかるんだろうかと、他人事ながら心配になった。

 

 正午を少し過ぎて、室戸岬に到着。小雨の中でお弁当を食べた。

 

 でも、つめたいお弁当だけれど、みんなで食べるお弁当は少しばかり、おいしいと、完食をしてしまった。

 

 岬近くの露店のおじさんが、「ここからだと、南国経由が近いよ・・」と言うので、ユーターンをせずに高知県の南国市に向かった。この区間はノンストップ。

 

 高知自動車道の南国IC手前の、「道の駅南国」で、トイレ休憩と最後のお買い物。ご婦人たちは野菜をどっさりと買った。南国ICから一区間、大豊ICを走って降りて、今度は国道32号線を走って、三次市の井川池田ICから徳島自動車道に乗り、脇町ICで降りた。

 

 そこからは、国道193号線を北上して、さぬき市に戻った。夜は飲んで食べてのカラオケになった。はぁ~、長い一日になったことだった。

 

 六月も最終日だから、期限ぎりぎりでの今日の掲示板になった。「欲を減らせば苦しみも減らせる」というもの。苦しみの原因は、無知と執着であると言う。知ることは、苦しみを減らすカギになり、人それぞれが抱える苦悩を知ることで、和らぐ苦しみがある。失敗から学ぶことによって、追い払える苦しみもある。執着とは、不要なものに、しがみついているところから生ま出て来る。思い込みや執着を手放せば、苦しみが減るかも知れない。執着をゼロにすることはできなくても、減らすことは可能であり、苦しみをゼロにはできなくても、減らすことは可能にはなる。でも。欲を持ったまま、苦を持ったまんまの生き方もまた、大切ではないのかと思う今日このごろ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅雨の日は 色決めかねる 蓮の花 

2017年06月29日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は、梅雨前線の影響で雨が降っており、午後からは曇ったまんまだった。気温は22.0度から25.6度、湿度は95%から86%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の30日は、梅雨前線の影響で曇り、雨の降る所がある見込みらしい。

 

 朝から小雨がぱらつく中、今日は少し遅れた春の研修会。蒸し暑い小雨の降る中、お勉強会に向かった。

 

 マイクロバスに乗り組んだ14人は市内の靴メーカーに向かった。知る人ぞ知る、有名な靴屋さんである。

 

 10時前に靴屋さんに着くと、まずは、こうしたボランティアの施設から案内される。

 

 ここは、「あゆみショップ」という販売所。ここで、福祉用靴や介護靴などの注文から販売までをやっている。病気で右足と左足の大きさや長さの違う人用の靴の注文、相談を受けたりする。

 

 こちらは靴の整形をやっているところ。靴の一個、一個を手作りしている。だから、片足で数千円から数十万円までの靴を作ることができるそうだ。

 

 次に向かったのは、大川広域消防本部。昨年三月に完成したところ。

 

 まずは、防災・減災から自助・共助・公助や津波防災の話などの講義。

 

 次に、高機能通信司令室の見学。固定電話から119番通報をすると、自宅周辺の地図情報が表示される仕組み。即座に対応できるシステムらしい。

 

 ついで、消防車両の見学。こうした消防車は一台が数千万円もするそうで、エンジンの排気量は7,000cc以上らしい。ともかく、最新鋭の消防車両らしい。

 

 お昼は東かがわ市にある、「ベッセルおおち」という施設でのレストラン。

 

 ここのバイキングは、1,100円で食べ放題だとか。私は少しだけ食べてさっさと席を立ったが、何杯も何回もお変わりをする人がいたのには驚いた。そんなにもよく入るもんだ。

 

 そのあと、近くにある、特別養護老人ホームを見学した。ここでも30分近く、スライドを使っての施設の概要とか特色とかを聞いたあと、施設内を見学して回った。終末介護が九割を占めるそうだった。病院は身体を治すところ。特養はやすらかに終末を迎えるところらしい。

 

 あれこれと探し回った結果、やはり、最後に買い物をしたスーパーしかないと、スーパーに寄ったら、やはり、ここのテーブルの上に忘れてあったのだとか。全く、もう・・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「愛なき指摘はただの文句」というもの。ものはいいようでカドが立つ。その指摘が正しいものであっても、愛情のない言葉であれば、ただの文句に過ぎない。単なる指摘でしかない。言われた方は大きく傷つくし、反感も湧く。正しい指摘であればこそ、そこには思いやりとか深い愛情が籠もっていなければならない。みんな最初は初心者だし、みんな素人から成長してきたのじゃないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


梅雨半ば 本のめくりも 温くなり

2017年06月28日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は梅雨前線の影響で雨が降っていたが、午後からは雨も上がり晴れ間がのぞきだしてきた。気温は21.1度から26.0度、湿度は93%から81%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の29日は、梅雨前線の影響で昼過ぎまで雨が降る見込みらしい。

 

 夜中から雨が降っていて、午前中は梅雨らしく雨になっていた。

 

 雨ではどうしようもないなぁと、俵札の報告書でも書いておくか・・・と、パソコンを立ち上げたが・・・。

 

 昨日、作った筈の「神仏分離」のテキストがない・・・。三台のパソコンを立ち上げて調べるが、そのいずれにも「神仏分離」も「廃仏毀釈」もない・・・。

 

 かろうじて、こういうものが見つかったけれど、こういうものじゃない・・。またまた、頓挫。

 

 気分転換に、香川県立図書館にやってきた。小雨がぱらついてはいたが、傘がいるほどでもなかった。

 

 今度の大窪寺ガイド・マニュアル作成チームのメンバーさんの電話番号を調べようと思ったのだけれど、老眼鏡もハズキ・ルーペも持って来なかったので、皆目、文字が見えなかった。仕方がないから、長尾町史という本を借りてきた。

 

 大窪寺に関する資料を探すためだった。このままでは読めないので、これをスキャナーで読み込んで電子化し、テキストファイルに落とすと、いくらでも拡大して読むことができる。

 

 また、私の「電子倉庫」から、平山郁夫さんが書いた、「大窪寺」の絵も見つけ出してきた。南の山から大窪寺の多宝塔を書いたものらしい。

 

 これも平山郁夫さんの作品で、本堂と多宝塔を描いたもの。お宝資料と言われてもねぇ・・・。

 

 失業者の奥方は、午前中は「ぬか床の作り方」を調べたり、動画サイトでぬか床の管理方法などを調べて、午後からは、実際にぬか床を作ったらしい。

 

 そろそろ、6月もおしまいになるので、私のポータルサイトの更新をやっておくことにした。

 

 そして、8月分のスケジュールも更新しておく。

 

 相変わらず、「神仏分離」のファイルは見つからない。老化がどんどんと進んでいくような気がする。

 

 今日の掲示板はこれ。「知らないものに出逢い、夢中になっていくうちに「遊び」が「学び」に変わる瞬間がある。」というもの。リクルールト・ホールディングスの言葉かららしい。煤けた古い俵の中から引っ張り出された紙くずの山・・・。それのお手伝いをしているうちに、すっかりと、古文書や梵字やら歴史やらと格闘するようになっている。どうでもいいような遊びで始めたことが、「神仏分離」やら「廃仏毀釈」やらのお勉強になっている。「その瞬間」がいつだったのかは覚えてはいないが、今はすっかりと「学び」の領域にいることだけは確実だ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


行く宛を 決めておるのか かたつむり

2017年06月27日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は梅雨前線の影響で曇り、夜は雨が降るらしい。気温は21.5度から26.0度、湿度は85%から72%、風は2mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の28日は、引き続き、梅雨前線の影響で、昼前まで雨となる見込みらしい。

 

 梅雨らしくなった朝、火曜日の朝はここに来る。一週間があっという間だ。さぬき市前山地区にある「前山地区活性化センター」である。ここの研修室での「お勉強会」というか、「打合会」。

 

 今日は男性3名と女性3名のさっぱりとした会になった。

 

 私の当面のお仕事は、ここに展示してある「寒川家俵札の調査報告書」の作成。本当のところ、こういう作業には全く興味がなかったのだが、パソコンが使える人募集中・・・というので、のこのこやってきたら、こういうことになってしまった。

 

 で、展示してあるものを画像化してファイルに取り込んで整理する。

 

 こういう処理を全てに行うのだから手間暇のかかる作業。できることからこつこつと。

 

 これも神仏分離で、稲荷大明神稲荷庵は廃寺。明治からは「稲荷神社」になった。だから、これも江戸時代のおふだになる。

 

 私の場合、デザインも企画書もなく、いきなり、」思いつきのままで書き始めて書き進むから、話があちこちと飛び回り、跳ね回り、やがてには頓挫して思案する。

 

 本来ならば、こういう画像で文字を分断することは編集手続き上いけないことなんだろうと思う。でも、右のように文字を流し込むのは面倒なので、気にすることなくやっている。試作版なんだと、気にかけない。

 

 お昼からは、大窪寺の観光ガイド用のマニュアル作りの下見に行って来た。「なんで、原爆の火がここにあるの?」と、質問する人が多い。でも、この火はいつまでも燃え続けているのか。誰がガスの管理をやっているのか。消えた場合はどうするのか・・。そういうことを考えたら、夜も眠られなくなる。

 

 それはわかるのだけれど、福岡県から、どういうことで、香川県の大窪寺が選ばれたのか・・ということもまた、なぞである。

 

 この「宝杖堂」もなぞばかり・・。

 

 この看板はいつの頃のものだろうか。原爆の火も宝杖堂もない。探せば「謎」はどこにでもある。

 

 気圧のせいか、今日は胸水がたまってきつい。利尿剤も効きにくくなってきたような気がする。まだまだ、梅雨は続きそう・・・。

 

 今日の記事とは全く関係がないが、今日の掲示板はこれ。「有る角も 出さねば丸し かたつむり」というもの。持っているツノも、出さなければ丸く済むではないかという、かたつむりにかけたことばである。江戸時代の始め、姫路の近くの網干(あぼし)というところに盤珪禅師(ばんけいぜんじ)という禅僧がいた。ある僧がたずねてきて、「私は生まれつき短気で困ります。すぐ腹を立てて、人には器が小さいと思われるし、師匠にも叱られる。盤珪さん、なんとかこの短気をなおす方法はありませんかねぇ。」という相談に盤珪さんは、「その短気とやらを、この場に出してみなされ。短気の正体を見ないことには、なんともならんからのぉ。」と言った。「いや…いまのところは、短気はござらぬ。何かの折にひょいと短気が出ます。」「そんなことがあるものか。生まれついてのものなら、いつなりとも、どこなりとも出せるもの。本当に無いのか?」「腹の中を探ってみても見当たりません。人と面倒を起こしているときには顔を出します。」「なんともお主はおかしなことを言われる。自分の身びいきで、出たり引っ込んだりする ものを、生まれついてのものと言うのか。自分の我欲の罪を親になすりつけて、生まれつきだと言うのは、親不孝者だぞ‼」短気に実体のないことを気付かされたこの僧は、「気」に振り回されることなく、自在にコントロールできるようになったそうである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


あじさいは 風の重さを 知っている

2017年06月26日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、梅雨前線の影響で曇り、夜には雨の降る所がある見込みらしい。気温は22.0度から26.2度、湿度は88%から62%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の27日は、引き続き梅雨前線の影響で曇り、夜には雨が降るらしい。

 

 今日から、奥方は新しい施設へ出勤するのかと思っていたら、しばらくは手続きのために出勤できないの・・と仰る。ええ・・毎日、いるのか・・・と、やや、窮屈感。

 

 さて、最近、パソコンの中のデータが行方不明になる。パソコンが何台もあっって、ハードディスクやらUSBメモリやらと記憶媒体が多いと言っても、常用のマシンは1台だけ。昨日、作ったファイルはどこに行ったのか・・というのは日常茶飯事。老化なのか認知症なのか・・・。

 

 今日もパソコンを立ち上げて、昨日の続きの論文の続きを・・・と、ファイルを開いたら、テキスト文章だけで画像や表や図がきれいに消えてしまっている。それじゃぁダメじゃん、春風亭柱昇。印刷出力してあった文書を元に復元作業・・・。

 

 ワードのバージョンによって、使える機能が違うから消えたんだろうか。今回は短い文書だったから元に戻ったけれど、こういうのが重なると辛い。

 

 「六十六部廻国聖の納め札」が終わって、「護符」に手をつけようとしたら、護符にはお寺からのものと神社が授けるものとがある。それを分類しようとしたら、「神仏分離」とか「神仏混淆」という壁が現れた。

 

 お札はお寺なんだが、もう、なくなってしまったもの(稲荷庵)、昔はお寺だったものが神社になったもの(こんぴらさん)などで、分類ができなくなってしまう。祇園さんが八坂神社になったように。

 

  そういうことをやっていたら、あっという間に夕方になる。

 

 この「牛頭天王社」も廃止されたもの。だから、明治4年以前のものということになる。

 

 このおふだも、江戸時代のものということになる。こういうものには年月は記入されないので、あんまり重要視されないけれど、神仏分離以前か以降かということで、大きな線引きができることになる。

 

 ここも廃仏毀釈で廃寺となった、讃岐滝宮龍燈院の牛頭天王の護符である。

 

 今年のアジサイもそろそろとおしまい。桜だって、花しょうぶだって、あじさいだって、咲くのが遅かったわりに、おしまいになるのは早かった。

 

  今日の掲示板はこれ。「屏風は折れるから立つんだよ 突っ張っているとじき倒れるよ」という、荒了寛さんの言葉から。ひとりりよがりにならずに楽しむ事は、これが簡単そうで難しい!自分の意見の前に相手の気持ちを思いやる。正しい事でも相手の事を考えてから意見する。屏風って知ってるよね。絵画を飾る額縁とは違って、壁に立て掛ける物でも吊す物でもない。屏風だけで立てる物なのだけど。その屏風は、折れるから立つんだよね。突っ張っていると、じきに倒れるんだよなぁ~。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


梅雨寒に 夏冬合いの 服を着る

2017年06月25日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は梅雨前線の影響で曇り、夕方まで雨や雷雨となる所があるらしい。気温は22.1度から26.0度、湿度は96%から80%。風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の26日は、引き続き梅雨前線の影響で曇り、夜遅くには雨が降る見込みらしい。

 

 昨日から小雨が断続的に降り続いていて、ようやくに梅雨らしくなってきたなぁと思う朝、今日は珍しく日曜日なのに、前山地区にやってきた。

 

 今日は、「おへんろつかさ・ガイド実践講座」が行われる日。「レベルアップ講座」とも呼んでいたような。だから、わんさかと参加者があるのかと思っていたが、案外と少ない。私は、相変わらずの駐車場係。

 

 9時から会が始まり、会長から今日の会についての説明があった。

 

 つまり、おへんろつかさの会発足(平成21年】以来、「ルンルン♪春・秋の遍路ガイド」を毎年企画し、また観光課の要請等で「上がり三ケ寺の観光ガイド」及び「旧へんろ道」の案内を行ってきた。

 

 しかし近年、さぬき市学校支援部、県・市観光協会、福祉団体などから、ボランティアガイド依頼が著しく増加し、四国霊場/先達さんの宗教的なガイドでなく、お遍路文化を親光的、歴史的な面でのガイドを要望される傾向にあり、当会においても、過去10年間のおへんろガイドの経験を生かし、集積された知識を披露し、さぬき市のお遍路文化を発信する「おへんろつかさの会ボランティアガイド」を新しく組織化し、案内役であるおへんろガイドを育成したいという訳らしい。

 

 本日、参加したのは30数名。まずは、上がり三ヶ寺の、志度寺・長尾寺・大窪寺と遍路道という4班に分け、それぞれがグループの代表者を決め、会合場所・時間などを決めて、マニュアル作りから始めることになった。

 

 案外と志度寺は人気があって10名ほどのグループになった。ここは玉取り伝説や海女の墓、焔魔堂やお庭(無染庭)など見る所も多い。

 

 長尾寺も希望する人が多く、ここは静御前の伝承や村岡大僧正の活躍、三味線餅つきやら力餅競争などでも有名。

 

 大窪寺は私を入れて5名という少なさ。ちょっと意外で拍子抜け。ここも見所は多いし、四季ごとに表情を変えるので時期的な話題も考えておかなくては。

 

 遍路道グループも10名ほど。ここは、距離があるので大変そう。志度寺さんから大窪寺までの旧へんろ道をガイドするのだから体力的にも知識的にもパワーがいりそう。

 

 志度寺・長尾寺・へんろ道班は10名ずつほど。わが大窪寺グループは少数の5名だが、チーフガイドの前田先輩がいるので大船に乗った感じ。もう、大ベテランの方なのである。

 

 ガイドの資料もたくさん持っておられるので、この先輩がいれば大安心。次回は7月の4日ということになった。

 

  今日の掲示板はこれ。「どんなに辛くても生きること 幸せだけの世界はどこにもない」というもの。これはまた、なんとも突き放されたような厳しいお言葉であるが、時には「どうして自分はこんなに不幸なんだろう」と考える時がある。人からは幸せそうに見えても、本人にとっては辛い思いをしている時もある。でも、誰しも、楽しいことばかりが続くわけではないし、自分一人だけが辛いわけではない。それぞれに、皆、辛いことも楽しいことも抱えて生きているものである。辛いことがあるからこそ、それを乗り越えて、初めて幸せがわかるということもあるもの。やまない雨がないように、やまない風がないように、どんなに雨が降ったとしても、いつかは降りやんで晴れて来るもの。それと同じように、今は辛くても、あきらめずに生きていれば、きっと幸せにめぐり合うことだろう。楽しいことに出会うことができるだろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


青蛙 飛べぬまんまに 日が暮れる

2017年06月24日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は梅雨前線の影響で曇っていて、夜は雨が降るらしい。気温は21.4度から27.2度、湿度は85%から70%、風は1mから4mの東の風が少しばかり。明日の25日は、梅雨前線が四国付近に停滞するため、雨や雷雨となる見込みらしい。

 

 朝の涼しい間に、燃料切れで中途だった草刈りをやっておく。ここは昔の村道だったところ。誰も管理をしていないので、ついつい、我が家が草刈りをしないと草まみれになってしまう。

 

 このあたりは、我が家のものらしいが、その境界線が曖昧なので、ついつい、我が家が刈り払ってしまう。今日も45分ほどで汗まみれになったので中止。シャワーを浴びて、着ていた物を洗濯して干して・・・。

 

 こういう、我が家のウッドデッキだったのだが、築11年にもなると木材が腐ってきて危険な状態になったので、ここをやり代えることになったのだが、工期短縮のために、弟たちに、先週に解体を頼んだ。

 

 で、こういう具合に解体してくれたのだが、エアコンの室外機があるために、一部だけ残してある。

 

 で、その廃材を山の旧宅へ運ぶとなったのだが、これが案外と数が多いし、重たいし。

 

 で、このバーベキュー・コンロで、少しずつ燃やしている。山へ飛び火しないように気をつけて少しずつ。

 

 その合間に、例の俵札研究をやりながら。今日は「六十六部廻国聖」についてのまとめ。先行研究の俵札調査では、この廻国六十六部衆の記載がない。まさか、ここだけ・・・ということもあるまいに。

 

 二階から、炎の様子を監視しながらのデスクワーク。燃え尽きる寸前に、二階から降りていって、廃材を投げ込んでは二階へ戻るという具合。なかなかに上下運動が大変だ。

 

 この廻国聖も虚無僧や修験宗らとともに、明治四年に禁止されてしまう。庶民を惑わせるような宗教は禁止となったもの。だから、この写真も明治初期のものになる。

 

 ということは、これらの納め札は、明治4年以前のもの・・・ということになる。

 

 何ヶ月も風呂が焚けるとか、何ヶ月も煮炊きができるぞ・・と言われていた廃材も半分以下になってしまった。でも、今夜からは雨になりそうなので、しばらくは廃材処理はお休みになる。

 

 ま、大きな事はできないけれど、できることからコツコツと・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「なんとかなる なるようになる なるようにしかならない 心配するな」というもの。一休和尚が弟子たちに残したとされる遺言が『大丈夫、心配するな、何とかなる』というものだった。トンチで有名な一休禅師のお話。一休禅師が亡くなる直前に弟子たちに、「この先、私が亡くなった後、本当に困り果てた時、これを開けなさい。それまでは絶対に開けてはならない」と巻物を遺して亡くなった。何年か後に、寺に大問題が持ち上がり、寺の存亡の一大事になった。弟子たちは、知恵の限りを尽くしたけれど、妙案を思いつかず、どうしようもなくなった。そのとき、一休禅師が遺してくれた巻物のことを思い出して、恐る恐る紐解いてみると、その巻物にはこう書かれていた。『大丈夫、心配するな、何とかなる』。 それを見た弟子たちは、あっけにとられ笑い出した。ほどなく、一休禅師がまるで見透かしていたかのように、どうしようもないと思われていた寺の問題は、見事に解決してしまったと言う。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


そうめんに こころの垢を ぬぐわれる

2017年06月23日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は20.0度から28.5度、湿度は96%から62%。風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の24日は、梅雨前線が北上してくるため曇りで、夜遅くは雨が降る見込みらしい。

 

 今日、奥方がリストラされて、最後のお仕事の日。「お昼までで帰ってくるので、どこにも行かないでね」と言い残して残務処理のために出掛けて行った。いや、解雇通告を受けた翌日には、次の仕事場を探してきたし、先日の17日にはみんなで「激励会」もやっている。

 

 そういうことで、刈り残してある部分を、朝の間の涼しい間に少しでも刈っておこうと刈り出したのだが、すぐに気温が上昇してきて暑くなってきた。

 

 いつまでにやらないといけないお仕事でもないし、いつ、やめてもいいお仕事なので、40分ほどで諦めた。

 

 シャワーを浴びて、着替えをし、濡れた作業着を洗濯して干してから、さぬき市前山にある「多和神社」を訪ねてみた。今回の「俵札調査」に関連する場所である。『全讃史』『生駒記』『讃岐名勝誌』『御領分中宮由来・同寺々由来』『讃州廿四社順拝案内略記』等の史料から確認できる内容から見ると、近世期まではほぼ当社が式内 多和神社であると見られていたようであるが、明治になって、さぬき市志度にあった志度寺の別当が、「うちこそ、多和神社」と名乗りを上げて、内務省から式内社の認定を受けたのだとか。

 

 ま、どこの神社や寺院も、明治の「廃仏毀釈」で、廃寺・廃社になったり、生まれ変わったり、名乗り代えたりとした時代だった。そんな悲運な神社である。祭神は資料には大己貴命。ただし、境内の由緒石碑には手置帆負命の名も記されていた。大田尾大明神と手置帆負命の名の「たお」によるものだろうか。

 

 「當社ハ世俗ニ大田尾明神トモ曰フ盖往古 現今ノ大字前山ハ多和村ト合シテ多和郷 ト稱セシヲ以テ神名ヲ多和ト附シタルナ ラン祭神ハ手置帆負命並ニ大己貴命ニシ テ今ヨリ一千餘年ノ昔弘法大師及ビ藤原 左太夫政富ノ勧請ニヨリ創始セリト舊記 ニ見エタリ人皇第六十代  醍醐天皇ノ 御時寒川郡多和神社トシテ延喜式讃岐二 十四社ノ一ニ選定セラル中古ハ甚ダ盛ニ シテ社殿ハ永承四年治暦二年乾元々年永 徳二年永正二年文禄二年寛永十二年萬治 元年ニ夫々改築行ハル又文政二年高松藩 主松平頼恕社地ニ畝四歩ノ寄進アリ現社 殿ハ大正十四年十月之ヲ竣功セリ」と、石碑には刻まれていた。

 

 冷たいそうめんでの昼食後、奥方が「記念品をみんなに贈るので、文具屋さんに連れて行って・・・」というので、東かがわ市にある「文遊館」に行って来た。今夜は「送別会」にお呼ばれしているのだという。

 

 その送別会には、職員さんのこどもさんも参加するそうなので、こどもさん用にかわいいグッズを選んだらしい。

 

 その後は、スーパーで食材なんぞをまとめ買いして、久々に、義兄におやつの差し入れに行ったのだが・・・

 

 午後はカラオケ大会に行っているし、夜は「ビアガーデン」に参加するのだそうだ。ま、あれこれとやって、気が紛れるといいのだが。

 

  今日の掲示板はこれ。「またひとつしくじった しくじるたびに目があいて 世の中少し広くなる」という榎本栄一さんの言葉から。仕事で失敗したことは、とり返しのつかない嫌な気分に陥るもの。しかし、そのことによって自分というものが照らされ、気づかされて、自分中心の狭い世界が破られてゆくならば、この失敗でこんなことが教えられ、学ぶことができ、却って人生の味わいが深まり、世界が広くなったと気づかされて、そこに少しだけ広がった世界が見えてくる。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


雨の日は できない理由を 考える

2017年06月22日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は梅雨前線や気圧の谷の影響で曇り、昼過ぎまで雨の降る所があった。気温は19.6度から25.9度、湿度は86%から74%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の23日は高気圧に覆われるため、概ね晴れる見込みらしい。

 

 そろそろ、島の家の梅の木にも梅が実っている時期なので、梅拾いに出かけたいのだが、あれこれと雑用が紛れ込んできて、どうにも身動きができかねる。

 

 市役所から、自動車税が入っていないと叱られた。私の車と奥方の車と島の車の三台分。早速に支払いに行って来た。

 

 で、気軽に通帳を持って行ったら、印鑑が違いますと叱られた。だから、ATMで現金を引き出して、それで税金を払ってきた。三台で26,400円。自動引き落としではなかったのかな。

 

 ものはついでで、ここにも寄ってきた。おうどんを売るお店だが、ここではおうどんは食べられない。

 

 こういう、お土産用のおうどんを製造販売しているお店。

 

 今は、お中元キャンペーンをやっていて、それらしいお客さんが何組も品物を選んでいた。

 

 ここでお買い物をすると、お土産におうどんを呉れる。これがまた、おいしいのである。

 

 さて、天気の悪い日はデスクワーク。「寒川家の俵札(納め札以外)」の報告書を作っているのだが、私は「田淵家」担当だったもので、この「寒川家」というおうちを知らない・・・ということに気がついたのだ。どこの誰のおうちの、どんなものか知らないで、報告書を作ろうとしていることに気がついたのだ。

 

 それじゃぁ、ダメじゃん、春風亭柱昇。ということで、寒川家の納め札の分析から始めることになった。ゴールに手が届きそうになっているすごろくで、いきなり、「振り出しに戻れ」ということになってしまったのだ。

 

 年代のわかる納め札を見ると、宝永元年(1704)から昭和14年(1939)年までの、235年間の歴史の玉手箱であることがわかった。これはすごいことだ。

 

 どこからおへんろさんがやってきたのかと調べてみると、北海道から朝鮮半島、までの1200人近い人が、この寒川家の前を通り過ぎていったのである。

 

 この、5300枚という数字は、寒川家、飯田家、田淵家の総合枚数である。

 

  今日の掲示板はこれ。「何かをしたい者は手段を見つけ・したくない者は言い訳を見つける」というもの。アラビアのことわざであるらしい。あなたが今、何かをしようと思っているとしよう。その手段を考えているのなら、きっと上手くいくはずだ。仮に、失敗を繰り返したとしても、必ず解決する。けれど、出来ない理由を探しているのであれば、それは叶わないことになるだろう。なぜなら、「やりたくない」からできない理由を探しているからだ。「忙しい」「時間がない」「疲れそう」「やっても無駄」・・・どれももっともらしい理由だけれど、不可能というほどの理由ではない。どんなに忙しくても、24時間365日ずっと忙しいわけではないはず。必ず休息の時間や空き時間がたぁんとあるはず。時間がないと言うけれど、意識していないだけで時間はあちらこちらにあるものだ。やっても無駄だというのは、やっていない人の常套句。とりあえず、やってみるしかないではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


飄々と 生きてみたいと たちあおい

2017年06月21日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は梅雨前線や気圧の谷の影響で雨が降ったりやんだりしていたが、昼過ぎからは曇ったり晴れたりしていた。気温は21.2度から28.3度、湿度は96%から72%、風は2mから7mの西南西の風が一時は強かった。明日の22日は、南海上に停滞する梅雨前線の影響で曇るけれど、昼前からは高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 大雨になるぞ、豪雨になるぞと言われていたのだけれど、わずかなお湿り程度の雨。朝方は強い風で植木やバケツが庭中に散乱している。

 

 風が強いだけで、雨の量は少ない。野菜畑が湿った程度。

 

 論文の資料が不足していたので、小雨の中を走って、香川県立図書館に行って来た。小雨の中を、落ち葉を掃き集めている清掃員の方がいたが、雨具もつけずに濡れていた。

 

 こんな雨の日でも、新聞だけを読みに来る人や、ウォーキングをしていて、ここの洗面所で体を拭いている人とか、利用の方法もさまざま・・・。

 

 で、五冊の本を借りて、また、五冊の本を借りてきた。

 

 相変わらず、降ったりやんだりを繰り返しているので、今日は静かにお勉強。そそ、昨日の梅は、奥方が梅干し用に漬け物にしたそうだ。

 

 こういう論文集の整理というか加筆訂正というか、編集作業というかを繰り返している。

 

 あれも入れたい、これも追加したいと膨らませすぎて、ばっさりと削除してしまったりと・・・。

 

 この一本は仕上がった。これは、序文みたいなもので、まだまだ、本論までには手が届かない。

 

 表表紙や裏表紙、奥書、前書きなどは早くからできあがっているのだけれど、中身がなかなかにまとめきれないでいる。

 

 これなんぞは、こどもの落書きだと思うのだが・・・。

 

 夕方になると晴れてきたが風が強くて、電線がピューピューとうなりをあげて騒いでいる。

 

 今日は夏至。春分から90度回れば夏至、さらに90度回れば秋分、さらに90度回れば冬至、さらに90度回れば春分ということなんだが、梅雨の中に「夏至」と言われても、何でげし・・・という気分。ま、一般的には昼間が一番、長い日・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「努力をする人は希望を語り 怠ける人は不満を語る」というもの。戦後の文壇をリードした一人、井上靖の言葉である。「希望を語っていれば努力する気持ちになり、不満ばかり言っていると怠けるようになってしまう」とも言 い換えられそうだ。人生のすべてが順調ということはありえないが、常に希望を持ち続けているだけで、気持ちは前向きになれるというものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


梅雨さなか アカデミックな 時がある

2017年06月20日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は午前中は晴れていたが、気圧の谷の影響で次第に雲が広がってきている。梅雨前線が接近するため、夜は雨が降る見込みらしい。高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意するよう呼びかけている。気温は21.3度から29度、湿度は94%から61%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の21日は、梅雨前線の影響で雨が降り、明け方まで雷を伴って激しく降る所があるらしい。

 

 今日は全国的に火曜日だということで、さぬき市前山にある「前山地区活性化センター」へ出勤の日。朝からむっとする蒸し暑い朝になった。そんな日でも、歩き遍路の方が何組も何人もがやってきて休憩をしていた。

 

 最近は、取り立ててのお仕事はない。お仕事はないが、情報交換とか打ち合わせとかの会議がメインになっている。私は、寒川家の俵から出てきたものの内の「納め札以外のもの」の分析調査中。

 

 少し前の2014年の秋から冬にかけて、多摩美術大学さんが、「祈りの道へ」という展示会をやったらしい。そのときに、ここの「おへんろ資料室」から何点かの資料を展示したらしい。

 

 そのときの「図録」が多量に残ったらしい。それを、この、おへんろ資料館に送ってきたという。それで、その貴重な資料を、特別に私たちも頂くことになった。とてもいい資料だった。

 

 先日の18日に、さぬき市末にある「霊芝寺(れいしじ)」さんの「御成所」の修繕が終わったというので一般公開されたそうである。で、今日のメンバーも拝観にお邪魔したという。私は、法務があって拝観できなかったのだけれど。

 

 この、高松藩主、御成所の壁を修繕したのだが・・・

 

 「しっくい壁ではなくて、和紙を貼ってあるんよ・・」という話題になった。「藩主がおいでになるのに、なんで壁ではなくて和紙を貼るんやろ・・」と不思議がっている。私は、論文集を修正しながら、聞くとはなしに聞き流していたのだが・・・・、

 

 高松市御厩町にある「小比賀家住宅」を拝観したことがあるが、ここは「大庄屋」を勤めたこともあって、「藩主御成の間」がある。その時、「藩主が御成になる時には、壁も畳も襖も全て新調することになっていた。畳や襖は即日に入れ替えできるが、壁はそうはいかない。そこで、「襖紙」という和紙を貼り付けて、「しぶち」という木枠で押さえる」という説明を受けたことを思い出してお話した。

 

 これが、その道具である。襖紙を切るのは竹ヘラで切るから繊維が残ってきれいにならない。それを隠すために「しぶち」(今で言う額縁)で押さえるのだと聞いた。

 

 お昼から蒸し暑い中、梅の木の周りを草刈り機で刈り払い・・・

 

 さっぱりとしておいてから、木を揺すり、長い竹竿で揺すって梅の実を落とす。草を刈っておけば落ちた梅の実がよくわかる。

 

 こういう具合に落ちてくる梅を拾う。

 

 一時間ほどでこれだけ拾えた。でも、頭から下着から汗まみれのどろどろ・・。シャワーを浴びて着替えをしてお洗濯も・・・。でも、明日は雨みたい・・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「おかげ様とお金様 一字違いの大違い」というもの。赤松先生のお寺の掲示板である。私たちが日常使っている言葉の中にも「一字違いで大違い」というものはたくさんある。「世の中は 一字違いで大違い ハケに毛があり ハゲに毛がなし」とか、「いがみ合う 一字変えたら おがみ合う」、「アリとトリ アリに羽なし トリにひげなし」・・・。梅雨時、空を見上げるひとときに、一字違いで大違いの言葉を探してみるのもおもしろいかも。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


睡蓮は 今も昔も 知らぬまま

2017年06月19日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は20.3度から30.1度と今季初の真夏日となった。湿度は88%から54%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。明日の20日は高気圧に覆われて晴れるけれど、夕方からは梅雨前線の接近で次第に雲が広がり、夜は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 今月11日の朝食で前歯が1本折れてしまって、翌12日の朝イチで仮修理と治療をしてもらった。

 

 でも前歯の欠けたまんまで、17日の講師をつとめ、18日の法務をつとめ、本日、差し歯ということで修理をしてもらった。

 

 で、またまた、こういう試供品とかを頂いた。このシュミテクトとかカムテクトというのはあれば便利な物。

 

 で、先日に借りていた本の一冊。砂糖の神様、向山周慶の次は、ハマチ養殖の父とも言われた「野網和三郎」さんのお勉強。

 

 それまでの「獲る漁業」から「育てる漁業」への転換を目指した男の物語である。

 

 東かがわ市には、こんなカルタまで作られている。

 

  引田漁業協同組合における魚類養殖の歴史は、昭和3年(1928)に野網和三郎(ワーサン:和三郎の愛称)が 安戸池(東かがわ市引田)でハマチ養殖に成功したときから始まった。地元引田の網元の3男であった和三郎は、当時の漁師の厳しい生活とその将来について、強い危機感を持っていた。

 

 翌昭和27年の漁業法の改正により、引田漁業協同組合に事業が引き継がれ、安戸池の養殖事業は観光化し、その盛況ぶりは全国の注目を集めた。その後、昭和30年代になって、小資本・少人数での経営が可能な、小割生簀が普及すると、 急激に養殖が盛んになり、香川県を含めた西日本各地で養殖が広く行われるようになった。

 

 私が小学生の頃は、こういう状況で大賑わいをみせていた。

 

 しかし、いつしか、その賑わいも消えて、立ち並んでいた活き魚割烹旅館も撤退し、こうした杭を残すのみとなってしまった。

 

 この銅像が寂しそうに安戸池を見つめるばかりだったのだが、

 

 近年は、こうしたブランドで、「オリーブハマチ」や「引田鰤(ブリ)」の名前で盛んに販売されるようになっている。そういうことのお勉強を始めようと思った日である。

 

 今日の掲示板はこれ。「仏教の言葉は時代をこえてひびき 科学のことばは時代とともにかわる」という世界的なウィルス学者・東昇先生の言葉から。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。近年、「生きているものの寿命は延びたが、死んだものの寿命は短くなった」と言われている。「あの人だったら、こんなとき、どう考えるだろう」。たしかに、そんなふうに、故人を思い出すことが少なくなったように思う。「社会の変化が速くて、昔の人の経験は役に立たないからだ」と思われるかもしれないけれど、社会は変わっても、仏法は変わらない。故人を思い出すことが少なくなったのは、「仏法に生きた、あの人だったら、こんなとき、どう考えるだろう」と、そんなふうに思い出される「仏法者」が少なくなったということではないだろうか。かつて、曽我量深先生は、「仏教の近代化・現代化の要請」に対して、「仏教には近代も現代もありません。仏教は永遠です」とお応えになっていた。また、東昇(ひがし・のぼる)先生は、「宗教のことばは時代をこえてひびき、科学のことばは時代とともにかわる」とおっしゃっていた。私たちは、お念仏の教えにご縁を頂いている。お念仏は、ただ称えるだけである。称えて救われるかどうかは、知らない。お念仏は、ただ称えるだけ。嬉しいときも、お念仏。悲しいときも、お念仏。ただ、それだけである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


あじさいや 影あるものは みなしずか

2017年06月18日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で概ね曇っていたが、昼過ぎからは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は19.4度から26.9度、湿度は88%から58%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の19日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 昨日の夕方からは、「父の日を祝ってもらえない親父たちの集い」が始まった。私の弟二人と甥夫婦、娘家族4人と私ら夫婦二人の計10人。

 

 用意した生ビールは19リットル。でも、昼間のミニ宴会でだいぶ消費している筈。

 

 会が進むと、「私の誕生日会」のお祝いになった。六月20日が誕生日。

 

 その後は、奥方「けいこばぁ」の「リストラ激励会」というサプライズが用意されており、

 

 さらに、神戸からけいこばぁの姪夫婦が激励会に駆けつけるというサプライズのおまけつき。何回、乾杯を繰り返したことだか・・・。

 

 さらに、娘の用意したCDRで、「うちのおとうさん」の大合唱になった。

 

 こういう記念タオルまで用意してくれて大いに盛り上がりを見せた。

 

 これが、この日の「オールスター」。撮影者は孫の「なぎちゃん」で写っていない。

 

 あっという間に、生ビールは空っぽになって、急遽、缶ビールを冷凍庫に並べる始末。

 

 あとは、恒例のカラオケタイム。私は早めに寝てしまった。

 

 弟たちは夜が明けると帰って行き、甥夫婦も朝食を食べると帰って行った。私は一座の法務に出かけ、戻って来てから、残り8名はおうどん屋さんに向かった。

 

 私は乾いたのどを、生ビールで潤した。

 

 今日のお昼は、質素に「かけうどん」。でも、これも半分ほどしか食べられなかった。

 

 今日の掲示板はこれ。なんだかんだというても、過去を振り返っても仕方がない。未来を話しても意味がない。若いときは二度とないが、老いていくこの私の今も二度と無い今日なのだ。今を生きるしかないではないか・・・。明日の保証はどこにもないのだから・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅雨避けて お遍路ぽつんと 眠りこけ

2017年06月17日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は17.8度から25.7度、湿度は86%から63%、風は1mから2mの日が際の風が少しばかり。明日の18日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 ご案内の通り、今日は高松市福岡町にある「RNCセトラ高松」という、住宅展示場の中央案内所で行われる「セトラ歴史講座」でお話を頼まれた。

 

 RNC・・というのは、四国高松にある「西日本放送」という、ラジオテレビの放送局である。西日本放送ラジオはRNC西日本放送の放送の一つで、ラジオ放送部門を指す。通称はRNCラジオ。 西日本放送の放送のうちテレビは香川・岡山両県を放送対象地域とする準広域局であるが、ラジオは名目上は香川県のみを放送対象地域とする県域局である。(Wikipedia)

 

 ここで、イベントの一つとして、毎月第三土曜日に、この「歴史講座」が行われているのだとか。で、先月と今月と、二ヶ月連続で、お話をして欲しい・・・ということになった。

 

 讃岐の国は雨が少なく、米を作ることが難しく、農民たちは困窮していた。そこで藩主松平賴恭(よりたか)公は、水がなくても栽培できるサトウキビを植えて砂糖を作ることを奨励した。しかし、それは難しく、さらに白砂糖にはならなかった・・・。

 

 その、砂糖作りに貢献したのが、奄美大島からやってきて行き倒れになっていたお遍路さんだった・・・。というお話。

 

 帰ってみると、もうすでに宴会の真っ最中。

 

 実は、このウッドデッキが腐ってきて、これを新しくやりかえるのだけれど、古い物を片付けておけば工期が短縮できるとかで、みんなで撤去したらしい。ま、エアコンの室外機がある部分は残しておく。

 

 これが、前回の物だが、デッキの一部が写っている。こうしたものを撤去したので、ミニ宴会になっている。

 

 はてさて、どんなウッドデッキができるものやら・・。

 

 その、ウッドデッキの下からはたくさんのゴミも出てきた。

 

 で、夕方からは、「父の日を祝ってもらえない男たちの集い」が始まった。どんな宴になるのやら。

 

  今日の掲示板はこれ。「未熟ということは大切なんだよ。僕だって未熟。天狗になったらおしまいだよ。」という歴史小説家の池波正太郎さんのことばから。「未熟だ」という自覚があるから、自分を成長させようと心がけるもの。また、未熟だから、成長する余地もある。そして、今は成長の途中なのだから、多少問題があっても、「まだしかたがない」と思えてくる。でも、「いつかは・・・」という希望もあって前進するるわけだ。 『自分を実際以上に考えることと、真価以下に見つもることとは、共に大きなあやまりである』と、ゲーテも言っている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


空梅雨に あまがえるさえ 思案する

2017年06月16日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は18.5度から26.1度、湿度は88%から60%、風は0mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の17日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 明日、我が家で「父の日を祝ってもらえない男たちの集い」という、毎月の兄弟会が行われるというので、急遽、奥方はお休みをとって、会場のおこたを片付け、掃除機をかけて大掃除をやっていた。その間に、私は奥方の野菜畑周辺の草刈りをやっていた。

 

 10時になったのでおでかけをして、この業務スーパーで食材を買った。

 

 どこかのおじさんやらおばさんやらがたくさんに買い物をしている。食堂か居酒屋のおねえさんだろうか。

 

 毎日がお買い得なんだろうが、それにしてはお客さんが少ない。一般の方でも買えると思うのだが・・・。最後には、普通のスーパーに寄ったのだけれど、そこには大勢の買い物客が並んでいた。何が違うんだろうか。

 

 お昼近くになったので、奥方の好みで、ここに寄った。「バーミヤン 高松十川店」だった。たまには中華料理もいいでしょ・・みたいなことだった。

 

 なんだか、こういうお店は落ち着かない。

 

 で、どこかの名物料理だとかの「冷麺」みたいなものが出てきた。ま、野菜が豊富でよしとするか。

 

 お昼からは、明日の講演会の準備をやっておく。

 

 前々々回は、このストップ・ウォッチが動かなかった。ま、なくてもいいんだけれど。

 

 前々回は、この指輪が動かなかった。ま、マウスがあれば問題はないのだが。

 

 前回は、このポインターが動かなかった。いずれも乾電池不足だった。今回は全部、電池を交換して動作を確認した。

 

 プロジェクターも試験をしておいた。

 

 パソコンをつないでの試験もしておいた。あとは、明日の会場の設備がどうなっているか・・だけである。ま、念のためにスクリーンも用意はしておく。

 

  今日の掲示板はこれ。「念仏しても食えんかもしれんが、念仏せんと食べたもんが無駄になるぞ」というもの。ある老母が息子に向かって言った言葉であるという。この前日に、息子は母に対し「念仏しても食えんじゃないか」と言い放った。母は息子のその言葉に一晩思い悩んだ末、この言葉を絞り出すように訴えたそうだ。私たちはこの息子の気持ちを否定できない。念仏しても何の役に立つというのか。答えられる大人は少ないだろう。念仏がはたして飯のタネになるのか。実はその疑問こそ愚かなのだが、ついそう問いたくなるほど、念仏は一見、か弱く頼りないように感じる。しかし老母の言葉に胸を打たれるのもまた事実ではないだろうか。「食べたもんが無駄になる」とは、つまり自らの人生が空しく過ぎてしまうことだ。誰しもが一度きりの人生を大切に充実して生きたいと思いつつも、日々の出来事にとらわれ、ふと「このままでいいのか」という漠然とした不安、不可解な思いにさいなまれるもの。「無駄になる」と言われれば、その重みにどきりとしてしまう。念仏がわかる、わからない以前に、そもそも日頃の不安の元が何かもわからぬくせに、安心ばかりは自分に解りやすい、安易なものを求める姿勢に、現代人の苦悩の源があるように思う。念仏は理屈ではない。解ってから称えるつもりなら、理解する前に人生が終わってしまうことだろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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