まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

満月に 今夜の眠りを 盗まれる

2012年08月31日 | 自然ありのままに

 昨夜は満月のようで、本当は今夜が「望」なのだが、明るい月夜の下・・・そこいらじゅうから虫の声が・・・。

 

 360度から虫の子が降ってくるようなコロコロコロ・・・・リリリリ・・・・という虫の声の大合唱・・・。まさか真上からは虫の声は聞こえないのだろうが、そんな風に聞こえる。まるで虫の世界に入ったような・・・。

 

 朝方は冷えて・・・タオルケットでは寒いくらいで丸まって寝ていても肌寒くて・・・。
と言うても、寒暖計は26度をさしていて、今朝の水道水は「冷やっこい!」と思った・・・。散歩に行くと、もう、朝の露が・・・。

 

 それでもNHKの朝ドラが始まる頃になると気温は急上昇して30度台に。やっとれんなぁ~。そこで、ドライモードでのデスクワークになった。

 

 今日はプリントアウトした資料を和綴じにする「お裁縫」の時間・・・。いくら紙だと言うても、数ページ以上になると、そう、簡単には針では縫えない。そこで、千枚通しを打ち込んで穴を開けておいてから針を通す。

 

 こうして和綴じ三冊と洋綴じ三冊を仕上げた。来週末に行われる「英国士官レキ之墓研究会用」の資料である。 小さなことからコツコツと・・・。

 

 今日は・・・「二百十日」だという。だから、このあたりでは稲刈りが盛んに行われている。もう、七割から八割の田んぼがからっぽになっている。農家の人たちもこの暑いときに大変だなぁと思うことしきり。

 

 で、今日のお昼は久々にここになった。東かがわ市落合にある「讃州讃岐屋」。国道11号線沿いにある一般店である。そこへやってきた常連さんらしき人が・・「おもれるでないかのぉ~」という。「蒸し暑い」というのを、このあたりでは「おもれる」とか「おもれよる」とかという。人によれば「荷をしよる」とかと言う。いろんな表現があるものだ。

 

 で、今日は「やさいぶっかけうどん」を注文した。野菜の掻き揚げにナスとカボチャの天ぷらが載っている。これで500円だった。ちなみにぶっかけうどんの冷やになっている。麺もつめたいし、出汁も冷たい。

 

 なんだかんだのとあった8月も今日でおしまい。本当ならば夏休みも今日までのはずが、土曜・日曜が続くもので、新学期は9月の3日からだとか・・・。子供らにすればどうなんだろうか・・・。

 

 午後からもまた二冊ほど和綴じで製本をしていた。ステップラー(ホッチキス)留めもいいのだが、背表紙を付けないと見苦しいし、製本テープも味気ないし・・・ということで。

 

 今日の掲示板はこれ。最近は省エネだ、エコだと言われているが、なかなかに本当のエコや省エネは難しい。「あるものを生かすことが本当の得」ということ。「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」という言葉もあるように、今あるものを、今ある技で、今ある知恵で生かしていきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


鈴虫を 相手に呑もう 木曜日

2012年08月30日 | 時にはぼぉっ~とする時

 まるで梅雨のようなこの頃・・・。今日も降ったり曇ったりで気温は27度から32度。湿度も76から96%。誠に残暑厳しき折・・・・。

 

 いや、暑いのならば暑いでいいのだが、この湿気には気分が滅入るし呼吸困難になるのかと思ってしまう。

 

 朝の間はそういうことで、室内でのデスクワーク。10月上旬の講演会の資料造り・・・。今日はパワーポイントを使ってのレジュメを作ってみた。

 

 一方、こちらは案内状というかこういう行事をやりますよというPR用のチラシ・・・。ま、これはどうでもいいか・・・。

 

 どうにも現場ばかりを歩いてきたもので、企画力とか提案力とかいうもののスキルがない。やってきたものの「報告」はできるが、「これから何をどうする・・」という発想に乏しいし、そういう文書造りはやったことがない。ま、そういう必要もないのだけれど・・・。

 

 で、今日のお昼はここになった。さぬき市津田にある「羽立:はりゅう」という一般店。

 

 これではよくわからんが、このお店はカウンター席しかない。この白いシャツのおばさまが天ぷらを揚げてくれる。

 

 ということで、今日は「野菜かきあげうどん小」をお願いした。もちろん熱い・・・。でも、揚げたばかりの掻き揚げはおいしい・・・。麺もゆがいたばかりだからつるつるしこしこのおいしいおうどん。これで350円はセルフのお店並。

 

 午後からも似たようなチラシ造りやら、チラシをスキャンして画像にしたり(上のものはその写真画像)、pdfファイルに変換したりして・・・。

 

 そうそう・・読者の「旅と・・・」さんが、コメントで中学校の思い出を書いてくれたので、中学の頃・・・ということで古いファイルを探し出してきた。昭和36年ごろ・・・というと、私がここに通っていた頃だろうか・・・。その頃の校舎。私のクラスは52人だかの大所帯だったもので、この大きな部屋が教室になった。ここは元、音楽室だった。

 

 これが空から見た母校、「大川一中」、一般的に「いっちゅう」と呼んでいた。けれど、大川二中とか三中とかはなかった。上から見ると、校舎が「中」という字に見えるとかと先輩に言われたけれど、どう見てもそうは見えないが・・・。

 

 ともかく・・・学校での思い出は全くない。中学校での思い出というのはわずかにもない。ということは楽しくておもしろくてばかばかしくて・・・・記憶がまるでないということなんだろう。いじめも不登校も校内暴力も全く記憶にない。

 

 夏休みこども科学電話相談にもよく出るが、「楽しい夢は忘れるのに、こわい夢は忘れないのですか」ということに似ていて、苦しいことや怖いことは、身を守るために記憶として保存しておくのだそうだ。事故やケンカの記憶は残るが、楽しかった友人のことなんぞは忘れてしまっても無害なのだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「頭でっかちなんになる へたすりゃ知識は毒になる」知識ばかりを詰め込んでも役に立つのはわずかなもの。下手に知識を並べると、毒にもなるしケンカにもなるし戦争にもなるぞ。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


縁の下 長く伸びている 夏の犬

2012年08月29日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 今朝は異様な蒸し暑さで目が覚めた。まだ薄暗い5時過ぎだった。起きてみれば雨だ・・・。雨はありがたいが、蒸し暑さはどうにもならん・・・。

 

 今年の十月上旬に、咸臨丸子孫の会による塩飽訪問2012が行われるのはご案内の通り・・・。今年は、あの咸臨丸がオランダ留学生を載せて長崎に向かう途中、塩飽島(塩飽本島」に寄港してから150周年になる。そういうことで、私どもは受け入れ準備班・・・みたいなもの。

 

 で、10月6日の土曜日には丸亀港から佐柳(さなぎ)島に向かう班と、しわく広島の市井浦に降りる班とに別れる。そこでおよそ2時間余、市井という集落にある水夫のお墓や関連するお墓などにおまいりする。その段取りをどうするか・・・というのが私への宿題・・・。

 

 ま、そういう計画とかをやっていたのが午前中・・・。デスクワークをやっていてもおなかは空くもの・・・。で、湿気は多いし、小雨は降ってるし・・・ということで、「安近短」・・・、今でもこういう言葉、あるんかね。「安くて近くて短時間で・・・」ということで。

 

 さぬき市長尾にある「笠堂や」というセルフのお店に入った・・・。ここもすっかりとおなじみ・・でもないか。

 

 で、笠堂うどん(300)に野菜掻き揚げ天(100)とちくわの磯辺揚げ(80)を乗せてみた。

  

 見栄えが悪いなぁ~。笠堂うどんというのは昔の田舎のうどん風。麺の上に揚げやらとろこんぶやらカツオ節やらかまぼこなんぞをてんこ盛りにしたもの。これで300円。上の天ぷらが180円で480円。何がなにやらわからんなぁ・・・。

 

 家に戻ってみると、またもやメールの束・・・。その中に「英国士官レキ墓研究会」から会合の案内状が・・・。それが来週の土曜日の8日だ。これまた、忙しいことやでぇ~。

 

 で、これまた資料の整理・・・。まだ一週間あるんやから慌てんでもええのやけれど、「俺たちに明日はない。キャッシュカードにも残はない」ということで、「できることから少しずつ・・・」

 

 これから、「しわく広島の住民」用に、私の講演内容についてのPR文書というかチラシも作らんといかんなぁと思ってみたり・・・。あ、これは、10月7日の講演会の発表のもの。なんだかんだのと、今年の秋も忙しくなりそう・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「あの時言われたひと言が 今じゃ心の道しるべ」 そういうことってあるでしょ。叱られたり、怒鳴られたりしたひと言、それが今の自分を支える心の道しるべになっていたりする・・・。あのひと言で、目が覚めた自分がいる・・とか、あの怒鳴り声で目が覚めたとか・・・。私にもあるなぁ・・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


帰ろうよ キチキチバッタの お出迎え

2012年08月28日 | ふるさと散歩

 台風の影響なのかどうか、朝から蒸し暑い空気に覆われている。今日こそは帰らねばという気になって布団を片付けた。

 

 お風呂を沸かす灯油を補給したり、炊事用のプロパンガスを交換したり、土曜日曜とまるがめ婆娑羅まつりに出かけたこともあってお財布が軽くなった上に,船の上架代を支払うと硬貨が数えるほど・・・。これはなんとも心細い。まぁ、島のことだから数日は我慢できるとしても・・・。

 

 島には郵便局はあるが、銀行もなければ現金自動預け払い機もない。ま、コンビニもなければ交通信号機もない島だから、じっとしてればいいのだろうが、そうもいかない・・。

 

 咸臨丸子孫の会の幹事さんから宿題を頂いたらしいので、自宅に戻ってメールを確認しなければならないし・・・。島ではモバイル通信でインターネット回線に接続するが、メール機能はつけていないので、島にはメールが飛んでこない。数日、メールが来ないのも静かでいいかと思って・・・。

 

 で、今日は西に向かって走ってみた。多度津を過ぎて・・・ここは海岸寺。地理的には「仲多度郡多度津町西白方」という住所になるらしい。ここの海岸寺というお寺さんは別格霊場になっているらしいが、詳しいことは覚えない。ここの山門に立っているのは力士は力士でもお相撲の力士さん。

 

 向かって左が「大豪関」。元若乃花の妹をお嫁さんにしたとか・・・。よくは知らない。

 

 向かって右側が「琴ヶ濱関」というこのあたり出身のお相撲さんらしい・・・。と言われても聞いたことがあるかないか・・・。琴ヶ濱というと観音寺市出身かも・・・。琴弾公園とかもあるし・・。

 

 その後、善通寺市内を抜けて琴平の町へ・・・。銀行CD機を探しながら、さりげなくうどん屋も探しながら・・・。

 

 ようやくセルフのお店を見つけた。ここはまだ善通寺市大麻町。もうこんぴらの町は目の先だ。ここだとわずかの硬貨でおうどんが食べられる・・・。

 

 ここも現役の頃にはよく来たものだが、すっかりとこぎれいになっている。リニューアルでもしたのかな。

 

 で、普通のぶっかけうどん小の冷やをお願いした。250円だった。セルフのおみせだな・・というもちもちとした麺だった。

 

 ま、予算内でおうどんが食べられたのであとはゆっくりと銀行を探せばいい・・・。

 

 ともかくもどってきて、680通のメールを見たら疲れがどって出た・・・。この中から必要なものを選び出して置いてから一括削除・・・・。あなたからのメール、消してしまったらごめんなさい。

 

 今日の掲示板はこれ。有り難い、もったないはいいが、「済まない」というのは「すみません」という意味じゃろうか。「まだ済んでません」という意味じゃろうか・・・。前者だろうとは思うが、すんなりとは胸の中に落ち着いてくれそうにない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


こおろぎに 今日の日記を せかされる

2012年08月27日 | ふるさと散歩

 今朝も相変わらずに五時半に起きた。少しばかり蒸し暑いかなぁと思った・・・。それにしてもいつまでもしつこい暑さだなぁとため息する。

 

 今日こそは帰らねば・・・と朝からお風呂の掃除やらゴミのかたづけやら生ゴミの整理やら・・・。いざ、帰るとなると雑用がいっぱい・・・。

 

 七月上旬にマイボート「あかつきⅡ」の船底掃除のために「上架:じょうが」=船を陸にあげて掃除をしたが、その費用を払っていないからと自治会長さんに催促されたので、漁業組合の担当者さんに上架代金6000円を支払ったら帰りのフェリー代が足りなくなった・・・。困ったもんだ。

 

 小銭をかき集めていざ帰宅・・・・という時に携帯電話が鳴って、「今から島に行くから~」というお友達のおじゅっさん(お坊さん)からの電話・・・。なんでもお友達を連れてしわく広島での夏休みを楽しむのだそうだ。

 

 で、手始めに「10分間でわかる英国士官レキの墓講座」。なぜ、ここにこんなものができたのかという歴史的解説やらそこに流れる国際交流の裏話などを・・・。

 

 今度は場所を移して、「10分間でわかるさぬき広島の歴史講座」。これは咸臨丸に乗り組んでサンフランシスコまで行った向井仁助のお参り墓。埋め墓は海岸近くの浜墓地にある。

 

 で、今日のお昼はうどんではなくてバーベキューになった。たまにはこうした食事もいいか。それにしても、炎天下で食事ができるほどに涼しくなったということだ。なんだかんだと言いながら・・・自然は確かに移ろっている。

 

  それに台風の影響なんだかやけに風が強い。こうしてみると、秋はすぐそこまで来ているのかも知れない。草むらにはバッタやコオロギやらが跳ね回っているし、夕方には一斉に虫たちの合唱コンクールが始まるのだからして・・・。

 

 せっかく洗ったお風呂を沸かし、せっかく片付けたお布団を用意し、せっかく荷物をまとめた食材を広げて、今度こそ最後の晩餐・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「ありがとうと心から喜べぬ ごめんなさいと心から恥じることもできぬ。今日も如来のご苦労が身に染みる」。なんと強情な私たちであることか。なんと傲慢な私たちであることか。それでも親である如来は私たちを「いとおしい」「いとおしい」と見守っているのである。そんな親心を知っていながら、それでもまだすなおになれぬ私たちであることか。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、あえるといいね。


虫鳴いて 丸亀城下の 歌舞伎もの

2012年08月26日 | ふるさと散歩

 今の時期、島の家にいても何もすることはない。釣りにもならず、山登りの時期でもない。草は伸びては来たが、まだ、刈り取るほどの長さでもない。レキ墓研究の拓本作りにも暑すぎる。

 

 マイボート、あかつきⅡにも乗ってみたいが単独航海は危険だからと禁止されているし(以前に海に落ち込んで救助された経験がある)、海で海水浴をするのも一人では楽しくないし。

 

 ということで、今日も10時45分の高速艇に乗って丸亀に出た。ドレッシングと納豆もなくなったことだし・・・。朝方は台風の影響下と思うような強風が吹いて船は大いに揺れた。

 

 しわく富士という王頭山を背にして高速艇の「びさん2」は丸亀目指して疾走する。小さな船だから揺れて揺れて・・・めまいがしそうになるほど・・・。

 

 これが「まるがめ婆娑羅まつり」の公式カメラマン腕章。規制ライン内や連の中に入っての撮影にはこれが必要。でも、そこまでせんでも望遠とかズームで十分に対応できるので、一応のステータスみたいなもの。これ以外にも「写真班」とか「特撮隊」とか「Photo」とか、それぞれの腕章やジャケットを身につけている人も居る。何が何だかわからん・・。

 

 いったい、幾つの連が参加しているのかと聞いてみたら、今年は123連の参加があるのだと。よさこいソーランの大流行やねぇ・・・。阿波踊りや高松の「一合まいた」なんぞ霞んでしまっている。

 

 それにうしても、この顔のメーク。最近は・・・シールで簡単に貼り付けているのだとか・・・。こういう衣装とかも、それ専用の業者さんがあるんだろうねぇ~。

 

 今日は・・・模擬店でのおうどんにした。ここのしょうゆうどんは300円。容器を返すと100円のバックがあって、実質は200円。これがおいしくて、ついつい、3杯も食べてしまった・・・。

 

 ゆがいて冷水で絞めたおうどんに出汁醤油をかけただけのもの。そmこに天かすが入っている。これが以外とおいしくて、ついつい・・・。この茶色い容器は「り・ユース容器」洗って何度でも使えるのだそうだ。

 

 ついでに生ビールも二杯ほど飲んだ。でも、おうどんを三杯も食べたらさすがにビールもおいしいとは感じられなかった・・・。

 

 言うといわんと・・・今日は汗が流れると言うことはなかったし、風も結構吹いていて・・・暑くてたまらないという一日ではなかった。次第に・・・次第にやねぇ・・・。

 

 こういうものやこおろぎなんぞが、家の周りを飛び回っている。コツンコツンというから何がやってきたのかと思えば、こういう虫たちだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「正しい事であるならば 必ず叶う時が来る」。いや、悪いことであっても必ず叶う時が来るのだけれど、それをそのまま勧める訳にもいかないので、あえて、「正しい事で」と断ってあるだけ。願いをおこし、そのために努力をすれば物事は成就する。これを仏教では「願行具足」という。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


穏やかに ノウゼンカズラの 花の色

2012年08月25日 | ふるさと散歩

 島の朝も寒かった・・・。朝方はすっきりとしてさわやかで、これはいい朝だなぁと思った。で、布団を干したり、洗濯物を干したりしながら、今日という日をどう過ごせばいいものかと考えたが、「そうだ!まるがめ婆娑羅まつり」に出かけよう・・と思い立った。

 

 ご案内の通り・・・丸亀藩主は京極氏。この京極氏の祖先で「婆娑羅大名」と呼ばれ、脚光を浴びた人物が「佐々木道誉」であった。このことを縁として、今日の婆娑羅まつりが行われているのだとか・・・。

 

 で、10時45分の高速艇で丸亀港へ。11時過ぎに丸亀に着いたものだから早速におうどんを・・・。昨日の「手打ちうどん太助」に寄った。と、いうのも・・・。

 

 広島で芸術活動をしている「HOTサンダル」の美大生と一緒になったもので、一緒におうどんを食べようと言うことになって。彼女らはこれから塩飽本島(ほんじま)で作品の発表会に行くのだそうだ・・・。

 

 私は・・「冷やし月見」というおうどんを注文した。570円だった。そのうえに、美大生と讃岐うどんについて語りながらということで・・。

 

 さぬきうどんとおでんの効用なんぞについてお話したりして・・。

  

  もう、丸亀駅前広場はおまつり気分が充満中・・・。テントが立ち並んで模擬店みたいなお店が並んでいて・・・。生ビールだの焼き鳥だの焼きそばだのと・・・・。

 

 さっき、うどん屋さんで瓶ビールを飲んだばかりなのに、もう、生ビール・・・・。

 

 こういうおねえさんのパワー溢れる踊りをみていれば生ビールはあっという間に空中に消えてしまう・・・。

 

 それにしても・・・最近の踊りはすごいねぇ~。10年前だと盆踊り・・。「月が出た出た・・・月が出た~・・」というような踊り。それが最近は「ヨサコイ変奏曲」。衣装も奇抜だし、振り付けもサーカスみたいだし・・・。

 

 このパワーはどこから湧いてくるんだろうかねぇ。でも、この踊りの合間に・・・おねえさんがコンビニで缶酎ハイを買って飲んでいたり、スーパーでバナナを買って呑み込むように食べていたり・・・。

 

 この右の人、私のフェイスブックのお友達の梶やん。一応・・・議員をやってるもんで、地元へのご挨拶を欠かせない。

 

 昨日と同じ13時半のフェリーで戻ってきた。暑いのは我慢できるようになってきたが、騒々しいのと人間の声がどうにも面倒なのだ。だから、今夜の食材を買ってから戻ってきた。

 

 今日の掲示板はこれ。仏教というのは霊魂の存在を云々することではないし、先祖崇拝を云々することでもない。また、そういうものを信じるとか信じないとかを語ることでもない。今、ここに生きている私、今ここに生かされているこの私のいのちについて、うなづけるのかどうかということである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ものとせず 高砂百合の 逞しさ

2012年08月24日 | ふるさと散歩

 いよいよ夏休みも残り一週間になった。空き瓶類の回収日も終わったし、地蔵盆も終わったので、しばらくはご用もないし予定もないので島に行くことになった。丸亀市の沖にある「しわく広島」である。

 

 と言うのも10月6日から8日までの咸臨丸子孫の会「塩飽訪問2012」に併せて行われる講演会の案内状の配布を連合自治会長さんにお願いする意味もあって・・・。これには「開陽丸子孫の会・咸臨丸とサラキ岬に夢見る会」なども合流するし、地元では「塩飽学生寮OB会」なども参加する予定。

 

 そのついで・・・と言ってはなんだが、丸亀城内にある「丸亀市立資料館」で行われている「絵葉書でつづる時の記憶展」ものぞいておこうと思って・・・。おまけに、25日の夜に行われる「丸亀婆娑羅まつり」の花火の打ち上げも見てみたいものだと思って・・・。よくばりな週末になるぞ。

 

 これが丸亀城こと亀山城。手前右手の緑の屋根が今回訪れた市立資料館。

 

 ここの左手二階で、この絵葉書展が行われていたが、1ヶ月も前からやってたせいか、展示室には年配のおじさんが私を含めて三人ぽっち。係のおばちゃんも暇そうにしていた。

 

 メインはこれだ。県立丸亀女学校の運動会でフットボールの試合をやっている絵葉書。たすきのない人とある人らで試合をやっている。こちらの女学生は運動帽子というものをかぶっている。このことから撮影されたのは大正10年だと特定された。11年からは体操服が制定されてハカマなんぞは穿かなくなったからだという。

 

 一方、こちらは「補習科四年東」と記されていて、大正10年には補習科が廃止されていることから、これらは大正6年から9年の間に撮影されたものだという。このことから、「なでしこ発祥の地は丸亀か?」ということで話題になった。

 

 これは丸亀歩兵12連隊の営門。この連隊は西南戦争、日清日露の戦いからシベリア出兵、太平洋戦争まで幾多の戦いに出兵した。中央正面に丸亀城一の門が白く見える。

 

 で、今日のお昼はここになった。いや、先に別のうどん屋に入ったのだが、20分たち、30分たってもおうどんが届かないので店を出た。全くやる気のないお店だなぁと憤慨したものだった。でも、「しら・・・」として代金も返してくれなかったのだ。だから、肉ぶっかけ390円はパーになった。もったいないが、接客マナーの悪い店では食べたくはない。

 

 で、港近くのおなじみさんの「太助うどん」に寄った。ここも一般店だが応対もやさしい。で、ここお勧めの「肉うどん」570円にした。この暑いのに、これまた熱い肉うどん・・・。さすがに熱かった・・・。

 

 で、13時半の「しわく丸」に乗って広島に入った。14時過ぎだった。浜には気持ちのいい風が吹いてはいたが、家に入ると玉のような汗が流れた・・・。

 

 ところが・・・エアコンのリモコンが動かない。またまた玉のような汗が流れる・・・。ようやく乾電池、それも「単四」という特殊な電池をようやく探してエアコン始動。今度は・・・・。

 

 今度はお風呂のリモコンも動かない・・・。テンパル・・というブレーカーを全て落として再投入してなんとか起動に成功・・・。

 

 早速にシャワーを浴びて・・缶ビールを飲んで一休み・・・。今夜はゆっくりするぞ。

 

 今日の掲示板はこれ。「誓って破ってまた誓う 決まり文句は今度こそ」。それが凡夫(ぼんぶ)たる我らの姿である。昔に流行った「スーダラ節」植木等の歌った有名な歌だ。「わかっちゃいるけどやめられない・・・」我らの素顔そのもの。それでいいのだ。「悪性さらにやめがたし こころは蛇蠍(じゃかつ)の如くなり」と親鸞さんも言うてなさる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


涼しげに 布袋葵は 昼寝する

2012年08月23日 | ふるさと散歩

 暦の上では「処暑」ということで、暑さも収まる頃だというのだが、今日はことのほか残暑がキきつい・・・。高松では35度にもなるという予想・・・。「地球温暖化」という言葉は苦手だが、最近の暑さを見ていると・・やや不安にもなって来る。

 

 ということで、今日は香川県の東部、東かがわ市引田(ひけた)の町に行ってきた。これが開設当時の国鉄引田駅。昭和3年ごろのものらしい・・。

 

 こちらは今のJR引田駅。JR四国はお金がないのか駅舎にお金をかけていないように見える。

 

 引田と言えば古い町並みの残る町。これは元の郵便局をカフェとして使っているし、

 

 元の醤油屋さんの建物をイベント会場として使っていたり、

 

 今ももろみを造りながらうどん屋をやっていたりと、古い町並みを積極的に町おこしにつなげている。

 

 お寺もあるし、キャンプ場もあるし、城跡もあるし、釣り場もあるし・・とおもしろい町になっているが、それはおいといて・・・。

 

 今日のお話はこの網を持ってるおじさん・・・・。野網和三郎さんという。昭和の初めに「安戸池」という池を借りて、そこに海水を入れて養殖業を始めた・・・。およそ、養殖というとコイとかフナとかの淡水魚を飼うもので、海の魚を飼うなどということは神に逆らうようなことのように思われていた時代。

 

 戦争中には養殖も中断されたが、戦後には漁協の協力もあって大成功し、安戸池は養殖漁業から観光漁業にまでなって話題となった。私が小学生の頃の話である。

 

 向こうに見える旅館ではハマチづくしの料理も食べさせてくれた。

 

 しかし、こういう観光も時期と共に飽きられたものか、いつしか観光客は激減して海は静寂に戻った。

 

 今も釣り堀形式とかルアーフィッシングのできる安戸池として、和三郎の愛称である「ワーサン」という事業をやってはいるが、昔日の面影はどこにもない。

 

 で、今日のお昼はここになった。東かがわ市引田の「手打ちうどん・宮川」である。実演セルフ・・・と書いてあるが、麺を打っているご婦人を見学できるだけで、自分で麺を打つことはできない仕組み。

 

 で、変わったメニューということで、「なっとう釜玉」460円+ちくわ天80円+エビ天100円を乗せて640円になった。豪華そうに見えるけれど、この納豆は余分だったなぁと思った。どうにも後味が悪い・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。時期的にこれ。「気ひとつ あついと思えば なお暑い」。いや、最近の気候は・・暑いと思わなくても暑いが、この猛暑でも炎天下で作業をされている方もいるのだから、やはり気力で、お仕事だと割り切って、給料のためだと割り切って、気分一つで頑張っていることなんだろう・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


暑いぞと 風が震える 防空壕

2012年08月22日 | ふるさと散歩

 朝夕はしのぎやすくなってきた。それだし午前中は涼しかったもので、今日もおでかけになった。

 

 で、どこに向かったかというと・・・浦島伝説の残る荘内半島・・・。三豊市詫間町という町で、香川県の西の方にある港町。

 

 それだから、町中に浦島太郎にちなむものが幾つもある。たとえば・・・橋。橋の四隅にある親柱には亀に乗った浦島太郎が乗っている・・・。

 

 マンホールも浦島太郎・・・。

 

 トイレは竜宮城・・・・。

 

 郵便局にも・・・。

 

 それはおいといて・・・。
 久々にここにやってきた・・・。

 

 この荘内半島の海岸地帯に海軍の航空基地があったことは知られていない。当時は軍事機密であったし、敗戦色が濃くなっていたこともあって厳しい箝口令が敷かれていたこともあった。

 

 これが沖縄に向かう「二式大艇」と、それを見送る人たち・・・。この海軍航空隊は滑走路を持たず、海から出撃していった。

 

 今もわずかに「すべり」というレールが残されている。

 

 これを使って海上から格納庫へ引き揚げて収容し、また、格納庫から海上へ降下して出撃した。

 

 これは今も残る防空壕跡・・・。ここには最後の激戦地沖縄に向かって飛び立った若者の軌跡が残る・・・。

 

 この建物が旧の航空隊基地。戦後、この建物は「詫間電波高専」となって、各地に優秀な通信技術者を送り出した。

 

 で、今日のお昼はここになった。詫間町詫間にある「手打ちうどん・にしの」といううどん屋さん。ここはレストラン風の建物でうどん屋らしくはないが、ちゃんとしたおうどん屋である。元がレストランだったのかも。

 

 で、野菜の天ぷらの入った「うらしまうどん」というものを注文した。ここは一般店。これで630円だった・・・。ま、いろんな野菜や味がまざっておいしいおうどんだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「伏せた茶碗じゃご飯はつげぬ。閉じた心じゃ話にならぬ」。「伏せた茶碗にお酒はつげぬ。こころ開いてまず一献」という歌を聞いたことがある。まずは茶碗を興さねばならん、まずは笑顔で呼びかけねばならん。閉じた心を開かにゃならん・・・。話はそれからじゃ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


コオロギが 鳴いて一合の 酒を呑む

2012年08月21日 | ふるさと散歩

 今日は曇っていて気温も24度ほどで涼しい朝になった。ひと頃のような、あの、むぅぅっとした空気はなくなった。あきあかねが飛ぶ季節だし、夜にはこおろぎやらクツワムシが鳴く時期になったんだし・・・。

 

 ということで、火曜日だからと県立図書館に行くことにした。我が家でパソコンの前ばかりにいるとオツムがおかしくなってくるように思う。まるで引きこもりのおじさんみたいだし・・・。

 

 さすがに、このアキニレの林のクマゼミの声も減ってきた。一時期には鼓膜が裂けるかと思うような音量だったのに、すっかりとパワーダウンしてきて弱々しくなってきた。蝉の時期も終わるのかなぁ~。

 

 で、早めのおうどんになった。まだ、10時前だった。高松市林町にある「たも屋林店」。朝昼兼用というか、おうどんしか食べられない私にとって、こういう朝の8時から開いているお店はありがたい・・。

 

 で、ぶっかけうどん240円にチクワの天ぷらを乗せて340円。あとはフリートッピング。おろし大根、ショウガ、梅干し、若布、昆布、天かすの荒いのと細かいの・・・レモンも。しっかりとした麺でおいしかった・・・。

 

  その後・・・まだ、時間があるからと、今度は「善通寺」に向かって走り出した。善通寺というのは昨日の琴平のまだその先にある町・・・。ならば、昨日に行っておけば良かったものを・・・。ま、急ぐ旅でもないし、慌てる人生でもないのだからして・・・。

 

 これがJRの善通寺駅。大正13年に建てられた木造平屋建て本瓦葺きの駅舎である。この駅、公衆電話ボックスがないでしょ。私が全撤去の指示書を出して取り外したら、そのまんまになって未だにそのまんまになっている・・・。最近は携帯があるから誰も文句を言わないらしい・・・。

 

 これは昭和の30年代か40年代だろうか・・・。駅舎もそのまんま・・・。誰も不平も言わないんだろうか・・・。ま、それなりに改修をしたり、増築をしたりはやってるのだけれど・・・。

 

 こちらは真言宗善通寺派の総本山善通寺さん。まだまだ暑い時期でもあって境内へ入る元気はない。

 

 こちらは「善通寺偕行社」で旧陸軍将校の社交施設として明治36年に建てられたもので、善通寺市役所裏手にある。

 

 こちらは市内にある真宗のお寺さんで西光寺さん。善通寺は真言宗の総本山が控えているから影が薄いと思うけれど、こざっぱりとしていいお寺さんだった。

 

 この町で電車、コトサン(琴平参宮電車)、琴平急行電鉄なんぞの軌跡を探したけれど、今となってはほとんど残っていない。今はJR土讃線が行き交うばかり・・・。

  

 今日の掲示板はこれ。「教えの縦糸 心に織れば 結ぶご縁は横の糸」。昨日の言葉にも通じるのだけれど、ものごとという縦糸に対して、「縁」がなければただのものごとに過ぎない。男女がすれ違っても、お札が降り注いでも、幸運が吹き寄せてきても、「縁」がなければ自分のものにはならない・・・。教えの縦糸と信じるというご縁があってこそ、私の心の中にすばらしい織物が織り上がるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


日が落ちて ようやく安堵の 虫の声

2012年08月20日 | ふるさと散歩

 朝方は24度ほどになって、湿度もなくてさわやかだったので、そろそろということでお出かけになった。で、どこに行こうかと走りながら考えるのだから危ない話だ。

 

 江戸時代から四国の街道は全て金比羅へと集まり、高松・丸亀・多度津・阿波・伊予土佐の五街道が開かれた。明治22年には多度津~琴平間に汽車が走った。その後、多度津ー丸亀間、丸亀ー高松間にも線路が開かれた。ということで、今日の目的地は琴平になった。

 

 これがJR琴平駅で、大正時代に建てられたものを踏襲している。当時はこんなものだったらしい・・。

 

 それにしても駅前は広くて何もない。今の石灯籠とか狛犬なんぞは撤去したほうが似合うと思うのだけれど・・・。

 

 駅から駅前を眺めたところ。中央の鉄塔が旧NTTの電話局跡。ここにもよくお邪魔したものだった・・・。

 

 これが高灯籠で、ここに灯ををともしたら、多度津や丸亀の湊から見えたんだろうか・・・。私たちのご先祖の大川郡の講中が建てたものらしい・・・。京阪神からやってくる旅人の目標になったことだろう。

 

 これが今の「コトデン琴平駅」この駅舎は昭和63年に供用開始されたもの。右端に高灯籠の一部が見える。でも、こんぴらさんには似合ない駅舎だなぁと思った・・・。

 

 この絵はがきは昭和二年に琴平ー高松間全線が開通したときのものらしい。背の高い洋館風の建物だった。

 

 その後、多度津ー琴平間を走っていた琴平参宮鉄道(コトサン)の走っていた「岩崎隧道」を見学したり、当時の線路跡を走ったりした。

 

 ここは複線であったことがわかる。今は市道として利用されている。

 

 外はまだまだ暑いので、参道には入らずにそのまま琴平を出た。まだ時間は10時半だった。琴平でおうどんは少し早いかなぁと思って、そのまま・・・まんのう町に入った。

 

 で、まんのう町吉野のセルフ店「木の崎うどん」の新店に寄った。旧店舗はこの先の旧道側にあったのを県道沿いに移転して来た。

 

 今日は変わったものを・・・ということで、「肉味噌ぶっかけ小の冷や」をお願いした。でも、ご覧の通りお肉なんぞはどこにも見えない。白いものは温泉玉子と大根おろし。ということは、お味噌の中にお肉が入っているんだろうか・・・。お肉の感触はどこにもなかったけれど・・。これで430円だった・・・。

 

 午後からはまたも讃岐鉄道・琴平参宮電鉄・琴平急行電鉄・・・・・なんぞの資料を整理していた。どこからどこまでが「琴電」で、どこからが「コトサン」で、「コトデン」というのはいつからか・・・みたいなことでオツムがグニュグニュになった・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。琴平のお寺にあったもので、「つくべき縁あればともない、はなるべき縁あればはなるる」歎異抄からのお言葉である。お念仏も信心もまた同じ。いくら信心しようとしても縁がなければお念仏は口からは出てこない。阿弥陀さんでも観音さんでもお地蔵さんでもだが、いくら手を合わせても縁がなければ感謝の心も信心の喜びも出て来ないというもの。無理せずに縁が来るまで待つしか手立てはないではないか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


飄々と 任運自適の 夏の雲

2012年08月19日 | 時にはぼぉっ~とする時

 今日も猛暑日で湿度も70~90%もあって、なかなかに残暑厳しき毎日だが、木陰に入ると風があって気持ちがよくなってきた・・・。

 

 今日は日曜日ということで遠出のお出かけはやめにした。日曜日に出かけると混むし、人出も多いし・・・。まだまだ気温は高いので熱中症になっても困るし・・・という名目の休養日になった。

 

 いきなりお坊さんが現れたが、この人は「種田山頭火」という人。自由律俳句を詠むお坊さんだった。今日、8月19日は語呂合わせで「ハ(8)イ(1)ク(9)の日」なのだそうだ。もちろん、俳人ならば小林一茶でも松尾芭蕉でも正岡子規でもいいのだが、私的に、こういうお坊さんの方がいいのだ。尾崎放哉も同じような自由律俳句で、五・七・五という形式にとらわれない句を詠んだ。

 

  こういうのが山頭火の自由律俳句。なかなかにこういう俳句にはならんけれどねぇ・・・。

 

 こちらは尾崎放哉。晩年は小豆島で過ごし、土庄の小さな庵で亡くなった。

 

 これは小豆島に残る句碑で、「いれものがない 両手でうける」と刻まれている。自由律俳句とはそういうもの。季語もなければ五・七・五でもない。でも、私らがそういうものを作っても俳句にはならないで、単なる駄文にしかならぬ。

 

 で、今日のお昼はここになった。東かがわ市白鳥(しろとりにある「讃州うどん・ほそかわ」はぶっかけうどんのおいしいお店。今日は日曜日ということで少し早めに行ってみた。ここは11時開店だから、開店と同時にお店に入った・・・。

 

 で、ちくわ磯辺揚げぶっっかえうどん小の冷や」をお願いした。ここは一般店。テーブルに着いて注文してから・・・15分くらいは待つだろうか・・・。ま、チクワの磯辺揚げのあつあつが食べられるのだから仕方がない。これで450円。

 

 と言うてる間に早くも行列ができている・・・。土日・休日には家族連れなどで混み合って行列になる。ここは一般店だから・・・セルフ店のように簡単には食べて出ることはない。

 

 このあたりは三月初めから田植えをしているので、今の時期に収穫になる。最近のコンバインはこのようなスタイルになっていて、モミ(稲の実)をトラックにはき出して、そのままカントリーエレベータに運んでしまう。

 

 だからあっという間に収穫は終わってしまう。でも、機械代が高いんやろうねぇ・・・。

 

 今日は珍しい写真を見つけた。こんぴらさんの参道なのだが、いつの頃のものだろうか。昭和の30年代くらいだろうか。国立善通寺病院を抜け出した傷痍軍人さんが、軍歌を演奏しながらお金を恵んでもらっている。福祉なんて言葉のなかった時代、軍人さんも苦しかったのだろうが、誰もが目を伏せて黙って通り過ぎた・・・。

 

 そういう行為が禁止されたのか天寿を全うしたのか、しばらくすると、そういう姿はどこの観光地からも消えてしまった。こちらになると、最近のもののような服装に見える。

 

 今日の掲示板はこれ。「笑っても泣いても怒っても、あなたはあなたでしかありません」と、突き放しておいて、「そこであなたはどう生きるのですか」と、詰め寄られてもどうしようもない。「あるがままに生きて、なすがままに任せきるしかないと、私は開き直ってはいるのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


カナカナも 鳴き疲れたのか 居眠りか

2012年08月18日 | ふるさと散歩

 ドラゴンボールが付く田舎だから朝方は震えるほどに冷えるが、7時8時を過ぎると温かくなるというか・・・暑くなる。今日も気温は30度超えの湿度は70%超え・・・。まだまだ残暑は厳しいころ・・・。

 

 そこでまたまたお出かけになった。高校野球もいまいち感動しないし、たってきやらないとアカンお仕事もないし、エアコンばかりでは身体に良くないし・・・ということで。

 

 で、鳴門の観潮船でも乗ってみるか・・・と出かけたが、鳴門の渦潮は大潮の方がいいだろうし、今日は雲が出そうだし・・・と、方向変換。観音寺の古民家ツアーにでも行ってみるか・・と西に向かったが・・・あまりにも遠い・・・。

 

 こういう琺瑯(ホーロー)看板の付いた古民家が多いらしいというので、出かけようと思ったのだが、またまた方向変換。こう暑いとやる気も起こってこないというものだ。優柔不断というか、意志薄弱というか、臨機応変とでも言うか・・。

 

 午前10時になったので、とりあえずおなかをおこしてから考えようと、「手打ちうどん・はゆか」に寄った。綾歌郡綾川町羽床下(はゆかしも)という地区にあるから「はゆか」と書いてある。漢字の「羽床」だと「はどこ」とか「うどこ」とかとしか読まれない・・・と、思う。

 

 ここもセルフのお店で、今日はここのお勧めという、「温玉ぶっかけ小・濃い出汁」というのを注文した。出てきたのは「温いん」だった。仕方がないからチクワ天90円を乗せて、360円だったか。驚いたのは麺の太さだ。ここは6ミリだっていうが太くて硬い麺だった。これを冷やで食べたらもっと硬いんだろうなぁとモグモグしているばっかりだった。

 

 そそ、ちらっと見た瑠美ばあちゃんの池上製麺所もこの暑いのに長蛇の列で行列していたが、ここはそんな風でもなくて、確かに県外ナンバーもあるにはあったが、「はゆか」はリストに入っていないのかなぁ・・・。

 

 で、今の「まんのう町」旧の琴南(ことなみ)町あたりの旧道を走ると、こういう古民家がちらほらと残っている。さらに山に向かって進んでいると・・・道路脇に県外ナンバーがズラズラズラリー・・・と並んでいる。横浜とか静岡・高知・岩手とか・・・。

 

 これはほんの一部・・・。ここが「谷川米穀店」。おうどん一杯120円、大でも240円のおうどんを食べるために岩手から来るんか・・・。 どこで食べても一緒やと思うけんどなぁ・・・。

 

 ここはれっきとした「米穀店」で村の食堂もやってたんやなぁ・・・。徳島から農耕用の「借耕牛」を何百頭も引いてきて、ここで讃岐の馬喰(ばくろう)に引き渡して、讃岐の田植え用に借りたんやなぁ。そんな時に、ここの谷川米穀店でうどんやそばを食べて帰ったことやろうな・・・。

 

 これが谷川米穀店前にある「落合橋」だが、この四隅には、借耕牛がデザインされていて、向こうからやってくる牛はまるまると太っているが、左手欄干にはやせてうなだれた牛が米一俵を背負って帰って行くレリーフが刻まれている。

 

 徳島県との県境になる「三頭トンネル」で引き返して・・・綾川町経由で戻ってきたが、暑いばかりでこれという収穫はなかった・・・。

 

 午後からは借りてきた図書館の本に目を通して、必要な資料はコピーしたり、スキャナーにかけたりしながらの作業になった・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「花が美しく咲く(のは) 隠れた根の力のおかげである」人も美しく輝くのは、隠れた裏で続けた努力のおかげである。オリンピックで金メダルや銀メダルに輝いた人には、人様にはいえぬような激しくつらい練習があったおかげである。文学でも科学でも宇宙でも、人が美しくかがやくためには、ひたむきな努力があったおかげなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


まどろみを ヤンマの目玉に 叱られる

2012年08月17日 | ふるさと散歩

 今朝も朝方は肌寒いくらいだったが、日が昇って来ると27度28度・・・と気温が上昇してくる。一時のような湿度は下がってきたのでしのぎ良くはなったが、暑いことには代わりがない。

 

 この半月ほどは来客対応と言うことで自宅待機だったもので、さぁ、解放だ・解放だ・・・と、お出かけになった。お出かけと言うても行く当てもないし、遊んでくれるお友達も居ない。ま、とりあえずは図書館だな・・ということで、高松市林町にある香川県立図書館に行ってきた。

 

 9時のオープンと同時に入館したので人影は少なかった。高校生や大学生の姿も見かけなかったので静かだった・・・。

 

 で、町史ことひらとか戦後50年とかふるさと観音寺など五冊を借りてきた。どれも古い写真が多く掲載されているもの。活字は心で読まないといけないが、古写真は目で読めるからいい。単に横着なだけなのだが・・・。

 

 その後、国道193号線を南下して塩江町経由でさぬき市多和・長尾へ戻ってきて、三木町上高岡の「手織うどん・滝音(たきね)」で朝昼兼用のおうどんにした・・・。

 

 9時に図書館に行って、ここのお店に入ったのが11時。ちょうどいい時間になった。

 

 で、今日は「肉ぶっかけ小の冷や(370)」にチクワの磯辺揚げ(90)を乗せてみた。460円になった。ここの麺は細麺で300グラムというからか、量が多いように思う・・・。お肉がどっさりと乗っているせいかボリュームたっぷり感が残る・・・。

 

 せっかくのお出かけだから、これだけで帰るのはもったいないが、さりとて行きたいところもないが・・・ということで、三木町の「小蓑」という所へ行ってみることにした。小蓑という集落はほぼ塩江町のお隣にあるやまあいの村だった。

 

 その奥まった集落の外れに、このような滝がある。「虹の滝(こうのたき)」は、讃岐百景のひとつに数えられる景勝地としても、ふれあいスポットとしても人気を集めている。虹の滝は、雄滝・雌滝のふたつの滝からなっていて、上方にある雄滝は「かもじか滝」ともよばれ、落差11m、幅5m。下方にある雌滝は、落ち口が酒をつぐ銚子に似ていることから「銚子の口」ともよばれており、落差は8m、幅6m。

 

 この滝を過ぎると、先ほど走った国道193号線に戻る。しばらく走ってから、再び北上して三木町内もどる山道に入るが、その途中にあるのが、「二本杉」。津柳の二本杉は、香川県木田郡三木町奥山津柳の熊野神社にある巨木で、樹齢800年といわれ、境内前の階段両側にあって、県指定天然記念物。

 

 その後、さぬき市多和に出て、今度は徳島県美馬市脇町経由で阿波市を経て東かがわ市福栄に戻ってきた。家に戻ってきたのは12時過ぎ。どうでもいい時には時間はたたないもんだ・・・。

 

 そうそう、一昨日あたりから・・インターネットにつながりにくくなっていて、メールもほとんど来なくなった。時期的なものだといいのだけれど、こちら側の端末側の故障だと困るのだけれど。お盆明けで、みんなが忙しくしてるのならばいいのだけれども・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「いのちほど大切なものはないと言いながら 今日もそのいのちを食べている」私はほかのいのちを食べないと生きてはいけない。昨日の掲示板にも似たようなことだけど、たくさんのいのちを食べて、この私が生存しているのだから毎食感謝、毎食「いただきます」を忘れないようにしなくては・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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