まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

長月の 尽きて予定を 張り替える

2015年09月30日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲が広がっていた。気温は16度から23度、朝方はぐんと涼しくなった。湿度は76%から52%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の10月1日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼前から雨が降りやすくなるらしい。

 

 今日は県立病院の予約診察日だが、内科の診察予約が11時半となっていた。だということは、血液検査が1時間前だから10時に病院に入ればいいなぁ・・ということで、秋の町あるき探検隊の下調べ・・・ということで、またしても、津田の松原を歩いてきた。

 

 松原の中にある観光案内所に置いて有ったチラシには、この松原を歩くコース順が記載してあったので、その順番で歩くことにした。道の駅「津田の松原」に車を置いて、松原に入り、観光案内所でトイレ休憩し、平山郁夫写生の地から、御旅所・願い橋叶え橋・大灯籠・映画撮影地経由で版画家棟方志功絶賛の松に至る。

 

 その後、石清水神社に入って、狛犬を紹介して駐車場に戻る、およそ1時間コース。ストップ・ウォッチで計測しながらルートを計ってみた。

 

 松原の中で、タブレット端末を忘れて来たことに気が付いて、自宅まで戻って、今度は山道経由で県立病院に向かった。病院に入ったのはちょうど10時。でも、早く到着したからと言って、早く処理してくれるとは限らない。予約時間というものがあるので、「検体検査」と呼ばれる「採血」は、診察時間のおよそ1時間前。だから、早く行っても10時半前後でないと採血はしてくれない。

 

 その待ち時間に、タブレット端末は欠かせない。ま、皆さんはスマートフォンなんだが、私は、あの小さな画面にイライラする「いらち」だから、大きなタブレットでないと操作できない。そのタブレットでさえ、隣のキーに触ったり、いらぬ場所をタッチして思わぬ音が出たりして困ることが多い。

 

 で、結局の薬局で、診察は11時20分から5分間。それでも、血液検査の結果が出ていないから・・・ということで、問診・聴診・血圧測定などで終わってしまって、それでチョン。前回の血液検査の結果がすこぶる良かったために、難なく今日の診察はおしまい。

 

 診察代金は約4千円。11時半には病院を出た。

 

 今日のお昼はこれだけ。最近、食欲がない・・・。朝は野菜ジュースとリンゴのすり下ろしだけ。別にダイエットをしている訳ではないが、そんなに食欲がある訳でもない。ちなみに、現在の体重は61.2Kg、ドクターの指示は、58.0Kg。これが難しいんだ。

 

 午後からは久々に歎異抄のお勉強。歎異抄で不思議なことは、「はんべるらん」という言葉について、どの本も、解説書も説明していないことである。さまざまな研修会や勉強会でいくら質問しても、「前後の文脈を考えて理解しなくてはならない・・」とか、「そういうことは、ここではさほど大事なことではないので」と交わされてしまう。

 

 で、googleやその他の検索をかけても、この「はんべるらん」はヒットしない。ま、文法上は、「侍る(はべる)+らむ」らしいのだが、「念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。」ということで、「なのか」という言葉に置き換えられているが、「はんべるらん」が「なのか」ではないと思えて仕方がない。

 

 で、またしても、10年メモ帳の整理をしてみたが、古くなれば古くなるほど、記憶の彼方に消えてしまって、なかなかに整理の方は進まない。

 

 今日の掲示板はこれ。「ふたたび通らぬ尊き道を 今 歩いている」という榎本 栄一さんの言葉から。「一年は短いが、一日は長い」とはだれかの言葉であるが、その長い一日でも、一分一秒ずつ年をとっているのである。どこかの女優さんが「一年が一千万円で買えるな ら、私、買いますよ」と言ったそうだが、お金を出して買えるものでもないし、女優だから、それができるという訳でもない。毎日毎日、明日がある、明後日があると思って、ついうかうかと過ごしているのが私たちである。しかし、いずれにせよ、お互いに「再びは通らぬ一度きりの尊き道をいま歩いている」というわけである。ややもすれば、いやなことは避けて通り、毎日、おもしろおかしく、押し流されているとも言えるのだが、尊いいのちをいただいて いる自分自身の本当の姿に気づいて、自分をみつめ直すことが求められているのではないかと思われる今日このごろである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ふるさとの 花はすなおに 酔芙蓉

2015年09月29日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていまた。気温は17度から28度、湿度は86%から50%、風は1mから2mの南南西の風が少しばかり。明日の30日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷の影響で昼過ぎからは雲が広がる見込みらしい。

 

 昨夜は全世界的に満月だ、スーパームーンだ、皆既月食だと賑やかだった様子。ところが、わが家は山に囲まれていることもあって月の出が遅い。その上に、昨夜は厚い雲が流れてきて真っ暗状態。早く寝ないといけないし、お月さんも見ておきたいと思うし・・・。

 

 その上に、パワーポイントでプレゼン(説明)するのに必要なレーザーポインターが行方不明で大慌て。お隣の東かがわ市のホテルに、朝の5時半には入らないといけないので、わが家を5時には出ないといけない。すると、4時半起きになる。だから、早めに寝ないと起きられない。だのに、なかなか寝られない。その上に更に、デジカメの電池切れ・・・。今からコンビニにも走れないので、ごそごそ探してようやくに電池交換。

 

 どうにかこうにか、スーパームーンをカメラに収めて、ようやくにお休み・・・。やっぱり22時を過ぎていた。

 

 このホテルに入った頃はまだまだ薄暗い状態。これは帰りの画像・・・。そして、ノートPCやらプロジェクターのセットが終わると朝の5時45分。

 

 今日は、東かがわ市倫理法人会の経営者モーニング・セミナーの日。そこで、私の講座が30分間あった。演題は「ふるさとの民話から学ぶー讃岐三盆糖由来と四国遍路の功績ー」。湊村という小さな村で行き倒れていたお遍路さんを助けた町医者が、やがて讃岐藩を救い、立て直すほどの砂糖製造法を研究して成功する・・・というお話。企業をいかに盛り立てていくのかという示唆に富んだお話である。

 

 このパソコンを操作しているのが私である。この頃には、すっかりとあたりは明るくなっている。

 

 「講演の様子は私が写真に撮りますから・・」と、幹事さんが言うてくれたのだが、講演を聴くのに夢中になっていて、カメラのシャッターを押すのを忘れていました・・・というので、参考画面から。ま、雰囲気はこのようなもの。

 

 で、朝食会はこのようなものを頂いた。

 

 でも、お話に夢中になって、このお食事の半分も食べずにおしまいになった。セミナーが終わったのが7時過ぎ。お食事が終わったのが7時40分過ぎ。

 

 今日は火曜日。今度はさぬき市前山に向かって走る走る・・・。9時前にはここに到着した。前山地区にある「おへんろ交流サロン」である。ここで、毎週火曜日には「俵札の調査」が行われている。俵札というのは、お遍路さんの「納め札」を小型の俵に詰めて屋根裏などに吊るし、火災予防や盗難防止にしていたといわれるもの。

 

 それを一枚一枚、丁寧にシワを伸ばし、ファイルに整理し、それを画像化し、パソコンに保管し、それを元にしてエクセルシートに整理していく。

 

 こちらの先生が、画像を解析して、どこの誰兵衛さんが、いつ、納めたものかを解読する。

 

 それを私がエクセルシートに入力して行くもの。今日は780番から1030番までの250件のデータを入力した。なかなかに根気の要る作業であった。

 

 納め札と言っても、今のようにきれいな紙に印刷されたものではなくて、半紙を切って自作で作った納め札で、ほとんどが手書きである。この納め札はものすごく読みやすいものである。

 

 来年用のダイアリー兼行事計画用ノート。来年まで生きるつもりなのかと問われたら返答に困るのだが、雨が降ったら傘をさすように、山歩きには杖をつくように、永年のクセで、これがないと落ち着かない。

 

 今日の掲示板はこれ。「すぎさりし日は私の深さであり 来たる日は私の広さとなる。今、このひとときをていねいに生きよう」というもの。これまた、どこのどなたのことばかは分からないが、まさにこの言葉とおり・・・。今のひとときを、丁寧に、丹念に、コツコツと生きていきたいものである。そうすれば、私の深さも私の広さもぐんと、その領域を益すことになるだろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


コスモスに 別の扉を 教えられ

2015年09月28日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は17度から27度、湿度は87%から55%、風は1mから3mの南西の風が少しばかり。明日の29日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 久々に、ガリガリ君アイスを食べたくなるような気温になった。

 

 朝方は、小さな秋を目指して大窪寺に行ってきた。季候が良くなって、お遍路さんの姿も増えてきた。

 

 でも、紅葉はまだまだ・・。

 

 途中の民家でみつけた珍しいお花・・・。なんというお花なんだろうか・・・。

 

 で、復習のつもりで、東かがわ市に出向いて来た。これは、白鳥神社の一の鳥居。その向こうに見える四角い石碑がある。これが、「向山翁砂糖開基碑」というもの。

 

 漢字ばかりでちっとも読めないが、讃岐国の白砂糖づくりに尽力した向山周慶翁の記念碑で、江戸時代の後期、嘉永3年(1850)に建てられたもの。

 

 これは、奄美大島からお遍路に来ていた「当盛喜:讃岐名関良介」のお墓である。この人が奄美大島から持ち出し禁止のサトウキビの苗を持ち出し、向山周慶と協力して白砂糖作りを行った人。

 

 この立派な無縫塔が「向山周慶」のお墓である。

 

 そして、こちらが、向山周慶翁の生誕地に立つ記念碑である。

 

 その生誕地の敷地に建っている文具屋さんに寄ってみた。

 

 11月の町あるき探検隊の時に使う資料を整理するためのクリアーブックである。ここに、資料や写真などを差し挟んで使うものである。

 

 で、こんな風にして使う。

 

 で、明日の講演会用のパワポ(パワーポイント)のスライドの最終調整。明日は4時半起きの5時過ぎわが家出発。モーニングセミナーは朝の6時から・・・。最近は6時過ぎまで寝ているから、明日の朝が心配ではある。

 

 今日は27度を超えていたので、久々にガリガリくんアイスをかじったら、またまた、歯茎が痛くなってしまった。どうにも甘い物には弱いのだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「幸せのひとつの扉が閉ざされたら、別の扉が開くもの。でも、私たちは閉じた扉を長いこと見つめていて、その開いた扉が見えないことが多いのです」という、ヘレンケラーさんのことばから。扉が閉まったからと、がっくりと肩を落とし、首をうなだれたまま下を見つめ続けていては、新たに開かれた扉(別のチャンスや希望)に気づくことができないというもの。哀しみや辛さを味わうことは大切だと思ってはいるが、その経験によって優しさや思いやりを学んでいく上では大雪だとも思うのだけれど・・・。でも、いつまでもその感情に浸っているわけにもいかないではないか。いずれ、傷が癒え始めたら、頭を上げて次の扉を探しに立ち上がりたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


見過ごした 昨日の夢の 金木犀

2015年09月27日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっていたが、昼前からは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は20度から28度、湿度は94%から62%、風は1mから2mの北の風が少しばかり。明日の28日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 昨日今日と、なんだか蒸し暑い日になった。じっとしていても汗がにじんでくる。ここは、高松市岡本町にある「奈良須池」である。ことでん琴平線・岡本駅の南にひろがる池で、寛文10年(1670)、高松藩御蔵奉行・前田与三兵衛によって築かれたと伝えられる。満濃池、神内池、三谷三郎池に次ぐ大きな池であるということから,奈良須四郎池と呼ばれた。

 

 築造前には,土庄池・上池・下池・よしま池と呼ばれる4個の小さな池があった。工事は困難であったようで,当時の絵図には不成(ナラズ)と記載されていた。奈良須の名も,その事に由来するのかもしれない。

 

 一時期、ここに歌劇場が作られ、花火大会なども行われる観光公園も作られたが、迫る戦争の足音の中で完成には至らず、「ああ、やっぱり、「成らず」じゃったなぁ」と囁かれたらしい。ということで、ここ、真光寺さんの夏参りと秋の永代経にお参りをしてきた。

 

 看板にあったように「おとき進上」ということで、今日のお昼はこれをいただいた。

 

 午後からは、明後日の朝の「モーニング・セミナー」用の取材に出かけてきた。明後日の講演の準備を今日からやるか・・・。ま、九割方はできている材料のスパイス変更というか、味付けを少しばかり替えておきたいかなぁということで。これは、「サトウキビ」。そう、讃岐の砂糖の神さま、向山周慶のお話なのである。

 

 で、やってきたのは、「東かがわ市歴史民俗資料館」である。ここは、旧の「引田(ひけた)町立歴史民俗資料館」であったところ。この町の特産品が、「醤油」・「砂糖」・「塩」だったそうで、そういう資料が少しばかり展示してある。

 

 これが、その「讃岐和三盆糖」の展示である。

 

 この表が欲しかったのである。江戸時代後期、安政年間に、大坂に輸送された砂糖の量のグラフである。圧倒的に讃岐高松藩からの砂糖が多い。阿州というのは阿波の砂糖である。阿波は今も「岡田製糖所」という所が、この製糖技術を伝えている。

 

 こちらは、讃岐国の白下糖(黒砂糖)の生産量の時代別生産量の比較である。22年間で、大きく生産量が伸びていることが理解できる。

 

 で、帰りには、ここに寄ってきた。母のいとこになるパーマ屋さんの趣味工房。毎年、さぬき市の文化祭に、こうしたカカシを作って展示をしているが、今年のテーマは「防災」なんだそうだ。倒れている人を助けようとしている人。

 

 傷ついている人をみんなで助ける「協助」。

 

 避難所などの運営や食事の世話など、に働く「協働」作業。

 

 災害時に、自らの命は自らが守る「自助」。今年もテレビの取材を受けるかしらん・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「葦(あし)と書いてもヨシと読む 勝手に決めるな 人の善し悪し」というもの。葦(よし)は、葦(あし)のアシと読む音が「悪(あ)し」に通じるのを忌んで、「善し」に因んでヨシというようになったそうで、「悪し」の気持をもって葦の髄をのぞくともっと良くない結果になるのかも。ただ、ものごとの「音」や「ひびき」などで、勝手に、「あし」だの「よし」だのと変えられてはたまらない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


リンドウの その優しさに 救われる

2015年09月26日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は、晴れている所もあるにはあったが、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は21度から25度、湿度は92%から66%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。それにしては蒸し暑い午後になった。明日の27日は、気圧の谷が通過するため朝まで雲が広がるけれど、昼前からは高気圧に覆われて晴れるらしい。

 

 私の鼻はお馬鹿さんなのか、こういう臭いには反応しない。キンモクセイの花が咲いて、はじめて、「ああ、そういう時期になったんだ・・・」と思う程度。ラジオでは、「金木犀の花は七里先から香る」というらしい・・・。「そんなには届かんやろ・・・」と、思わず、ラジオに向かって突っ込んでいた。

 

 さて、坂出市沙弥島にある「東山魁夷せとうち美術館」では、秋の特別展ということで、「開館10周年記念ー美を求めるこころー東山魁夷を読む」ということで秋の展示会が行われている。期間は9月19日から11月3日まで。

 

 パンフレットの最初にあるから初期の作品かも。「ジュネーブの街角」という作品。紙本彩色。

 

 これは、「森の静寂」という作品。ネット画像から。1963年の作品、これも紙本彩色。この頃から、魁夷ブルーが使われたのかしらん・・。

 

 これは「秋深」という作品。これもネット画像から。1975年の作品。「うーむ」としか言えない・・・。

 

 これは、スケッチブックから、「我が旅の思いで」船上からのスケッチらしい。

 

 これは、「弟あての絵はがき」である。なんともほほえましい絵ではないか。

 

 ふと、通りがかった蕎麦畑の秋。これまた、ほっとする光景である。これまた、静かなるブームなのか、あちらこちらで蕎麦の栽培が見受けられる。

 

 自宅に戻ると、毎日の日課になっている「花オクラ」の花の収穫。この花は一日でしぼむ。だから、咲いている間に収穫しないといけない。これは、今夜の夕食のおひたしになるのだそうだ。

 

 お昼からは、万灯真教寺さんの秋の永代経法要にお参り。南無阿弥陀仏。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は、いつもいつも第一志望ばかり歩けるものでない。そして必ずしも、第一志望の道を歩くことだけが、自分にとって最良と言えないことだってあるのだ。」という渡辺和子さんのことばから。渡辺 和子さんは学校法人ノートルダム清心学園の理事長。北海道旭川市生まれ。(Wikipediaより)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


朝霧に 濡れて遍路の 杖の鈴

2015年09月25日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で瀬戸内側を中心に雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は20度から23度、湿度は96%から78%と蒸し暑かった。降雨量は1mm/h程度、風は1mから2m程度の北北西の風が少しばかり。明日の26日は、寒気や四国の南海上にある前線の影響で、雲が広がりやすいらしい。

 

 ♪~ただ一面に立ちこめた 田舎の朝の霧の海 工事現場のうっすりと 暗い底から煩わしく 槌が鳴る鳴る かんかんと~・・・。昨年の三月から始まった防災工事が、未だに細々と続けられている。

 

 昨日は図書館や資料館はお休みだったので、今日は大丈夫だろうということで、またしても香川県立図書館へやってきた。気分的かも知れないが、右奥の方の葉っぱが色づき始めているように見える。雨もこの時間には少しばかり小降りになってきた。もう、傘はなくても大丈夫だった。

 

 今日は雨の日ということもあってか、お客さんの数が少なかった。

 

 で、前回に借りた親鸞さんの本などを返却して、今回は次の講演会の下準備。郷土の偉人についてのお勉強の準備。たった一人きりで山小屋みたいなところに籠もっていると、老化も進むし痴呆も進む。それに何より会話力が全く低下してしまう。

 

 その後、明後日の法話会の会所(えしょ)になるお寺さんの場所を確認してから、ここに寄ってみた。高松市香南町にある、高松市香南歴史民俗郷土館である。

 

 少し前の、香南町郷土館で、南北朝時代の「由佐城跡」に建てられている。ここには民俗資料館や図書室、研修室、歴史資料室などがある。

 

 ここでは、この時期に、この、「わが家のお宝展」という展示が行われる。毎回、骨董品やら珍しいおもちゃなどが展示されて、なかなかに興味深いものがあったりする。

 

 で、いきなり、目に付くのがこれ。女の子の靴を並べたもの。この女の子が最初に履いたものから成長順に並べたものらしいが、もっと、もっと、大きくなるまで並べて欲しいもの。

 

 こういうコレクターもいるいる・・・。映画のチケットとかマッチのコレクターとか・・。これも数が集まればすごいものになりそう。

 

 これは、なかなかに手には入らない。よほどの関係者でないと持てそうにないもの。懸賞金って、こんな風になっているんだ・・。幕内力士の場合、1回の取組で1本につき6万円が協賛する企業・団体から提供される。そのうち、5千円は日本相撲協会の事務的経費に、2万5千円は税金納付のために獲得者本人名義で協会で積み立てられて天引きされるので、勝利力士は勝ち名乗りに際し1本当たり3万円を獲得する。(なお、税金対策の積立金の剰余分は引退時に本人に還付される。)1本が6万円になったのは平成3年五月場所からだそうである。

 

 これは、白鵬関の浴衣地で、一反分ある。普通の人は一反で十分浴衣になるっそうだが、力士さんの場合には二反分がいるのだそうだ。

 

 気になったのは、上の「大入り袋」だが、中身は10円玉が一個、入っているのだそうだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「世界にあなたは一人しかいないのだから、自身を持ってあなた自信で踏み出してください。」という、マーサ・グレアムさんのことばから。マーサ・グレアムさんは、アメリカ合衆国の舞踏家、振付師であり、モダンダンスの開拓者の一人である。マーサ・グラハムと表記されることも多い。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


雨の日は 時計ばかりが 動きすぎ

2015年09月24日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で雨となり、太平洋側では、雷を伴って猛烈な雨となっている所があるらしい。気温は19度から24度、湿度は90%から86%、降雨量は1mm/h~8mm/hと、一時は激しい雨となっていた。風は1mから6mの南東の風が一時は激しかった。明日の25日は、引き続き、前線や湿った空気の影響で雲が広がり、明け方から朝にかけて雨となる見込みらしい。

 

 ということで、今日は一日中雨・・・。こんな日は図書館にでも行ってみようと出かけたのだけれど、今日はなぜだか休館日。なんで?なんで?・・・と考えてみたら、月曜日が敬老の日でお休み、その翌日も翌日もが休日になったもので、結局の薬局で、今日の24日が休館日になったみたい。

 

 で、来年のカレンダーを開いてみたら、来年は17/18/19の三連休にしかならないのだとか。今年みたいに、5連休になるのは、その10年後の2026年までないのだとか・・・。

 

 ということで、今日はどこの図書館・資料館・博物館も一斉にお休み。火曜日が休館日のところも、水曜日が休館日のところも、みんな、今日が休館日になっていた。こういうことも珍しいことだ。おかげで私は行くところがない。

 

 連休明けの雨の日は、行く所もなければ、行きたい場所もない。デジイチ(デジタル一眼レフカメラ)を下げて出かけても、いい写真は撮れそうもないし、良い被写体も雨では霞んでしまいそう・・・。

 

 昨年の今頃は、山頭火の句碑を探して歩き回り走り回っていたのだけれど、今年はそういう自由研究がまるきりやれていない。そういう予定がまるきり入っていなかったということだ。今年はどこから、そういう予定が狂ってしまったんだろうか・・。

 

 今年は、俵札の調査や讃岐糖業の父・向山周慶やみろく池を守った軒原庄蔵、讃岐の手袋の始祖・両児舜礼・棚次常吉らの調査とかが入っていた。これらの業績をまとめる仕事も残っていそうであるし。11月には「さぬき市町あるき探検隊」のガイド役も残っているし。

 

 当面、この週末の法話会二つを勤めておいて、29日の倫理法人会の講演会、30日の県立病院の予約診察が終われば、今月もおしまいになる。慌ただしい8月・9月だったような気がする。まだ、今年の総括には早いけれど。

 

 ということで、今日は短めのブログになった。

 

  今日の掲示板はこれ。「絶対に不可能だと思えることでも、心を変えれば可能になる」という稲森和夫さんのお言葉から。昨日の法話で佐々木先生が話されて いたのだけれど、「物事の二面性を知る」ということも大切なこと。嫌いな人でもおいしいものをもらえばいい人だと考え直す。好きな人でも自分の悪口を言わ れていると聞いたら嫌いな人になる。同じような物事でもオモテとウラが必ずあるもの。「絶対に不可能だ」と思えたことでも、やってやれないことはないのだ と真剣に打ち込んでみたら、案外と簡単にものごとが完成したりする。要は、この私の「こころ」一つなんだということである。

 

 じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


菩提子が 念仏ばかりの 寺の庭

2015年09月23日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は気圧の谷の接近と湿った空気の影響で雲が広がり、夜遅くには雨の降る所があるらしい。気温は20度から28度、湿度は90%から54%、風は1mから5mの東南東の風が一時は強く吹き荒れていた。明日の24日は、前線や湿った空気の影響で雲が広がり、明け方から朝にかけて雨が降る見込みらしい。

 

 昨日の昼前から延々と秋のBBQパーティーは続いて、夜の9時過ぎまでに及んだ。で、櫛の歯が抜けるように一人帰り二人帰りして、8時過ぎには私一人になった。BBQコンロを片付けたり、タープを片付けたりと祭りの後はさみしいものがある。

 

 そこで、東かがわ市小砂(こざれ)にある「小砂説教所跡」にお邪魔した。連休の最終日に関連するのかどうか、ツクツクボウシが出迎えてくれた。

 

 妙好人庄松同行(みょうこうにん・しょうま・どうぎょう)にご挨拶。幾つくらいの時の肖像画だろうか。おそらく晩年の頃のものだと思われるのだが。

 

 で、10時半過ぎに、所属寺院の勝覚寺に入った。本堂前の松の木も見事に元気になっている。

 

 本堂脇の「庄松同行」の銅像にもご挨拶。なんまんだんぶ・・・。

 

 今日は秋の永代経がお勤めされる日。この頃から気温はぐんぐんと上昇してきて、少し動けば汗が噴き出して来る。

 

 本堂の壁に掛かっている、庄松さんの伝説切り絵。庄松が富田村の菊蔵と一緒に三本松の勝覚寺に参詣した。庄松が本堂で横になっていたので、菊蔵がこれを咎めると、庄松がいわく、親のうちじゃ、遠慮するには及ばぬ。そういうお前は義子(ままこ)であろう。と言った。これは御本山に参って、横になって親の内じゃ、遠慮するには及ばぬという喜び振りは今までほかにもあったが、そういうお前は義子であろうの一言は、それより一層うわての喜びぶりである。

 

 で、13時半からお勤めが始まった。

 

 今日のご法話は高松の佐々木安徳先生。歎異抄のお話をなさいました。

 

 お昼からは蒸し暑い天候になり、風も強くなって、本堂の扉を開けたり閉じたり・・・。

 

 こうして、シルバーウィークも残暑のような天候のうちに過ぎてしまうのであった。

 

 今日の掲示板はこれ。「むつかしいお経を読めと言われて、「庄松助くるぞよ、庄松助くるぞよ」と読んだという。」という、小砂説教所跡にあったお皿のことばから。

 上の一条は、勝覚寺の先代住職は庄松同行を非常に愛撫せられ居りしが、役僧の一人がそれをうらやま しく思い、一つ庄松を困らせて恥しめんとて、三部経の中の下巻を取り出し、庄松に向かい、「お前は有り難い同行さんじゃが、この大無量寿経の下巻の、ここ の御文を読んでみよ」と云えば、庄松の答えに、「庄松を助くるぞよ、助くるぞよとかいてある」と云われたと。

 
*「五劫思唯の大悲の本願も、ただかかる自分一人の為の御苦労であった、勿体なや」と御開山親鸞聖人は喜ばれた。わが身一人に、如来の本願を受け止める無学で経の読めぬ庄松の獲信、「庄松を助くるぞ」と読む・・・。これ、真の大経読解でもあろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


コスモスを 前にみんなで のど自慢

2015年09月22日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は19度から25度、湿度は96%から64%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の23日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷や湿った空気の影響で午後は次第に雲が広がる見込みらしい。

 

 さて、どういう経過で、どういう縁起で、どうなったのかは定かではないのだが、わが家で、今日の午後からバーベキュー大会が開かれるらしい。そこに招かれた、娘家族を屋島までお迎えに行くことから「今日」が始まった。

 

 娘とその子供のなぎちゃんと、そのお友達の三人をお迎えに行って、買い物なんぞを済ませてわが家に戻ると、早速に生ビールのサーバーの設置とかがあって・・・。

 

 お昼前から、試験・試験で試飲に試食しなければおなかが空いてきて・・・。

 

 そのうちに、あちらこちらから人が集まってきて、奥方もお仕事から戻って来て・・・。

 

 私の二人の弟の「よっくん」と「たっくん」と、娘家族の四人と・・たっくんの息子夫婦と・・・。思わぬ「秋の園遊会」になってきた。

 

 これは、娘婿の「かねちん」が釣ってきたイカのお刺身・・・。これは孫のなぎちゃんたちが作ってくれた。

 

 こういうメンバーだから、今回用意した10㍑の生ビールはすぐに空っぽになった。そこで酒屋さんに追加をお願いしたが、在庫がないと仰る。昨年のお盆だかには、19㍑を三日もかけて飲んだのに、今回はあっという間に10㍑がからっぽになった。350ミリリットルの缶ビールを3本飲めば1リットルになる。10人で飲めば10リットルになる。計算上は合うのだけれど、今回の早さはどうしたことだ・・・。

  

 そんなことで、シルバーウィークの後半戦は過ぎていくのだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「どうにもならないことは忘れることが幸福だ」というドイツのことわざからの言葉である。中国の孔子も言っている。『虐待されようと、強奪されようと、忘れてしまえばどうということはない。』と。時間というのは幸か不幸か一次元に流れる。人間はそれに合わせて生きていくことしかできない。それに逆らうことが出来ないのだ。 その圧倒的な力のせいで、人は死ぬこともあるが、そのおかげで生かされることもある。それが『忘れる』ということだ。時に人は、遠い記憶の彼方に忘れたい現実を置いて、自分の時を、前に進めるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


久々に 背中で聞いた 法師蝉

2015年09月21日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は晴れている所もあったけれど、上空の気圧の谷の影響で雲が広がってきている。気温は18度から24度、湿度は92%から62%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の22日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、昼過ぎからは気圧の谷の影響で、雲の広がる時がある見込みらしい。

 

 今日は全国的に敬老の日。敬老の日は、長い間社会の為に尽くしてきた高齢者を敬い、長寿を祝う日とされ、また、それとともに高齢者の福祉について関心を深め、高齢者の生活向上に努めるよう若い世代に促すという気持ちが込められているのだそうだ。

 

 593年の9月15日に聖徳太子が大阪の四天王寺に「非田院〔ひでんいん〕」を設立したと言われている。「非田」とは「慈悲の心をもって貧苦病苦の人を 救えば、福を生み田となる」という意味があるらしい。非田院は、身寄りのない老人を収容する、今でいう老人ホームのような施設で、敬老の日はこの「非田 院」の設立にちなむと考えられているという。それが、いつの間にか、9月の21日になっている。1965年からは、毎年の9月の第三月曜日と決まったらしい。

 

 昨年までは、親戚一同が丸亀市沖の「しわく広島」に集まって、「シルバーウィーク」を楽しんだものだったが、孫達が大きくなると忙しくなって、そういうこともなくなってしまった。しかしのかかし、「忙中閑あり」ということで、明日の22日にわが家で「秋の園遊会」が行われるらしい。

 

 ということで、わが家のバーベキューコンロ周辺の草刈りやお掃除をやることになった。今年の春からそのまんまで芝が伸び放題になっていたので芝刈りをするのだが、市販の芝刈り機では面倒なので、草刈り機で強引に芝を刈り払った。

 

 今年は雨が多かったから、芝も伸び放題。ここを30分ばかりで刈り払って、さらに、刈り払った草を集めてさっぱりとした。

 

 明日の天気は晴れのち曇りらしいので、そんなにも暑くならずにすみそう・・・。9月というても、お日様が照ればなかなかに気温が上昇して暑くなる。今日だって、朝の7時過ぎから草刈りを始めたのだが、草刈りが終わることには汗がにじんでくるほどだった。

 

 ついでに、旧宅のお墓の周辺の刈り残し部分も刈っておいた。先日に草刈りを始めたら、激しく雨が降ってきたので、お墓の回りだけを刈ったのだが、今日は時間もあるのでこの手前の畑部分も刈ったものである。

 

 「曼珠沙華」とは、サンスクリット語で、「天界に咲く花」「見る者の心を柔軟にする」 という意味があり、「おめでたい事が起こる兆しに点から降ってくる」っていう仏教の経典から来てるらしいが、それがどの経典なのかはわからない。ちなみにサンスクリット語では、 「manjusaka」と書くらしい。昔、山口百恵さんが、「まんじゅしゃか~」って、歌っていた記憶が残る。

 

 で、別名、「死人花(しびとばな)」、「幽霊花」、「地獄花」と言われることもあるらしい。そもそも彼岸花はその名の通りお彼岸の時期に咲く花で、お彼岸はあの世とこの世が最も通じやすい時期だとされている。また、田んぼの畦やお墓の回り、墓地の周辺にもよく植えられている。それは昔、亡くなった人を土葬した後、死体がモグラやネズミなどによって 掘り荒されるのを防ぐためだと言われている。

 

 この花の名前は、全国で千以上もあると言われているが、一風変わった名前が、「葉みず花みず」というもの。花のある時期には葉が見えず、葉が見える時期には花が見えない・・・という彼岸花の生態からきているものである。だから、まっすぐ伸びた茎の先には花だけがあり、葉がない。花が散ったあとに葉っぱが出てくる。 これは普通の花とは逆のサイクルなのである。

 

 だから、迷信に通じる物もまた多い。それだけ人々の印象に強い花なのである。

 

 

 今日の掲示板はこれ。「自分の道を進む人は、誰でも英雄です。」というヘルマン・ヘッセのことばから。「英雄」とは、才知や武勇にすぐれ、普通の人にはできないことを成し遂げた人のことを指すことが多い。であるから、英雄と聞くと、最初からなんでもできる人だと思われがちでもある。しかし、その英雄にいたるまでの道のりは、自分の意志で決断し、責任をもって、実行を継続した人の結果にすぎないのである。だからこそ、自分の道を進む人の先は、英雄になるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


コスモスは きらめく露の そのままに

2015年09月20日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は17度から26度で、朝は肌寒く昼間は夏日のような暑さになった。湿度は84%から62%、風は1mから4mの北の風が少しばかり。明日の21日は、上空の気圧の谷の通過や寒気の影響で雲の広がる時があるけれど、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みなんだとか。

 

 世の中はシルバーウィークだ運動会だ敬老会だとにぎやかだけれど、讃岐の片田舎、「ドーナツのド」が付く田舎では何のイベントもお呼ばれもない。

 

 「彼岸」という言葉は、サンスクリット語の「パーラミター」の漢訳「到彼岸」の略だといわれている。元は仏教の用語で、「煩悩が満ちあふれている現世である此岸(しがん)を離れて修行を積むことで煩悩から脱却して、悟りの境地に達した世界(彼の岸)に到達する」という意味を示している。

 

 現代の私たちが普段使っている「お彼岸」という言葉は、彼岸の期間にお寺などで行われる彼岸会と呼ばれる法要や永代経と呼ばれる法要、先祖供養の意味で用いられることのほうが多くなっているらしい。「お彼岸にお墓参り」という文化は、仏教徒が多い他の国と比べても日本だけの独特の風習だと言われている。

 

 ということで、お墓の掃除とお花をお供えしてきた。

 

 これは「花オクラ」の花である。普通のオクラの花よりはずっと大きい。これを奥方が育てていて、これでお肉やキュウリなんぞを巻いて食べたり、これを刻んで「錦糸タマゴ」のようにしたりして食べる。で、これを収穫してきて、ビニール袋に空気を入れて保存する。

 

 味・・・。花びらだから味という味はしない。ただ、歯ごたえというか、風味というか。お勧めするほどのものではないが、少し変わった食べ物と言うことで・・・。

 

  

  

 確かにセミの鳴き声が聞こえなくなったというのは気温が下がった証拠。お彼岸の入りになったのだから秋になったことは間違いない。

 

 今日の掲示板はこれ。「小さきは小さきままに、折れたるは折れたるままに、コスモスの花咲く。どんなに茎が折れ曲がっていようが、花びらがいかに小さかろうが、咲いた花は美しいのです。」しいのみ学園 園長の地(しょうち)三郎さんのことばから。

 

 『博多湾に浮かぶ能古島があり、この島の頂き近くには「折れたコスモス」と題された歌碑がある。「小さきは 小さきままに 折れたるは 折れたるままに コスモスの花咲く」。この歌の作者は、現在110歳にもならんとし、世界各国で特殊教育の講演を続けておられる元福岡教育大学教授・昇地三郎氏である。昇地三郎氏は、ご自身のお子さんが二人とも障害児として生まれ、当時は特殊教育も発達していなかったために、自ら福岡市南区井尻に「しいのみ学園」を設立され、試行錯誤の末に日本の特殊教育の先駆者となられた。ご子息二人はすでに亡くなられたが、能古島の「折れたコスモス」の歌碑は、日本の特殊教育の「記念碑」ともなったのである。

 ではどうしてこの記念碑が能古島に建つことになったのだろうか。ことの発端は、能古小学校出身で当時高校二年生の上村啓二君が交通事故で亡くなったことであった。この上村君は、能古小学校時代に書いた作文で小中学校作文コンク-ルで西日本新聞社・テレビ賞(1978年)を受賞したことがあった。その中に次のような一節があった。

 「その倒れたコスモスの茎にはナイフで切られた跡があった。つぼみも小さく横に倒れていた。コスモスの先を手で触ったえら、そのときしずくがぽつんとなみだのように手のひらに落ちた。秋も深まった日、いつしかコスモスを見に行った。白・赤・紫のコスモスの花が群れになって咲いている中を一生懸命に探した。やっと見つけることができた。他のコスモスの花と違って、ちょっと小さな花が三つほど咲いていた。小さい。でも、僕にはその三つの花が、一番美しくかわいく見えた。今は泣いていないようだった。」

 福岡教育大学での昇地三郎氏の教え子達の間で、氏の長年の功績に対する記念碑を建てようという動きが起こった。その教え子の中には、特殊教育を専攻した歌手(俳優?)の武田鉄矢もいた。この上村君の「倒れたコスモス」と昇地氏の「折れたコスモス」を結びつけたのが、能古小学校校長の中野明氏であった。中野校長は、教育大学のかつての先生である昇地氏の碑を何処に建てるか土地を探していた時、その教え子中野校長に上村君の父から、「息子が交通事故で亡くなった道路沿いの土地に歌碑を建ててください」と要望され、歌碑建立の運びとなったのである。昇地三郎氏が障害をもつ二人のご子息への思い、交通事故で息子を失った上村君の両親の思いが、「コスモス」という花を介して交叉したといえる。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね


曼珠沙華 寝ぼけ眼を 嗤われる

2015年09月19日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は17度から26度、湿度は86%から60%、風は2mから3mの北北西の風が少しばかり。明日の20日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 奥方のけいこばぁが神戸のお兄さんちに出かけたもので、昨夜はひとりぼっち。ま、島の家や、奥方の泊まり勤務なんぞがあって、ひとりぼっちは珍しくもないし、それでいて困ることもない。大きな声では言えないが、小さな声では聞こえない。

 

 ま、永らくお勤めの期間が続いたものだから、たまに奥方が家にいると煩わしくなることがある。「お二階の掃除でもやってよ~」とか、「野菜畑の草でも抜いてよ~」と、いらぬ雑音もうっとおしい時がある。

 

 普段でも、やれ、ピアノのレッスンだ、洋裁のお教室だ、やれ、誰々さんとランチをするのだとかと、毎日多忙だから、そんなにずんやりとわが家にいるわけではないのだけれど・・・。

 

 さて、午前中、秋を探して山道を走ってみた。世の中は「シルバーウィーク」だ、「五連休」だとにぎやかモードだが、山奥で仙人暮らしをしている私にすれば、どうってことのない普通の1日の朝である。

 

 朝の散歩で、こんなものを見た。それも20センチはあろうかという大きなナメクジである。たぶん、ナメクジなんだろうと思う。

 

 それも一匹や二匹じゃない。三匹なんだ・・・(笑い)。ま、別に害になるわけでもないし、歩くのに困るわけでもないので無視して通り過ぎたが、これも地球温暖化の影響で大きくなったんだろうか・・・。これは少しばかり可愛くないなぁ・・と思った。

 

 で、四国霊場88番札所から遍路道を探しながら、多和地区から花折峠経由でさぬき市に戻って来た。

 

 まだまだ、紅葉に早いなぁと思ったことだった。

 

 さて、昨日、県立図書館で借りてきた本の中に、こういう本があった。「郷土研究・資料集Ⅱ」という本である。この中に、みろく池に関する資料があるらしい・・ということで借りて来たのだが、中身は小学生の民話調べの報告書だった。だから、何の参考にも資料にもなるようなものではなかったのだ。

 

 その最後の、「執筆者一覧」というところに、私の名前がある・・・。松尾小学校3・4・6年生ということで、私は小学4年生のところにあるが、その前後のこどもたちは知らない名前ばかり・・・。そして、中身の話しも私が書いたものとは思われない内容のお話が・・・。この小学校に、私と同姓同名のこどもがいたのであろうか・・・。

 

 小学校の頃、郷土研究会というものがあったんだろうか。小学4年生というと10歳、今から57も昔のことだから記憶の片隅にも残っていない。確かに、家の近くに「おじょろ松」という松の木があって、クラスの何人かと調べに行ったり登ったりしたのは覚えているが、それを作文にしたことや、それが本になったことなんぞは全く記憶には残っていない。

 

 午後からは、いつもお世話になっているお寺の報恩講さんにお参りをしてきた。早くも報恩講のお勤めになる時期なのか。うちのお寺、海暁山勝覚寺は、23日が「秋季永代経」のお勤めである。

 

 今日の掲示板はこれ。「人のことばは善意にとれ そのほうが五倍は賢い」というシェイクスピアのことばから。つい最近にあったことなのだが、「なぜこいつは無駄に乱暴で否定的な口調でコメントを返すんだろう」と思って、その人間に敵意を抱いてしまった。私は理不尽がとても嫌いで、いや、もう嫌いというレベルではなく、トラウマに近いと言ってみいいくらいだ。もし私が相手に対して敵意を覚えてしまい、それを相手にぶつけ、あるいは仕返しをしてしまったら、『負の連鎖』は続いていくだろう。 それは時間にして、体力にして、どれぐらいの浪費になるだろうか。それは本当に建設的なのか。『無駄』ではないのか。この限り有る人生の中で、そんなことをしている時間は、どれだけあるのだろうか。それを考えていたら面倒くさくなるのも私なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


彼岸花 今日の日課は やり遂げた

2015年09月18日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた、寒気を伴った気圧の谷の影響で、瀬戸内側や山地では雲の広がっている所が出てきた。気温は19度から26度、湿度は90%から55%、風は1mから4mの北北西の風が幾分か・・・。明日の19日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 わが家の周囲にはこれこの通りのマンジュシャゲの花畑。昔の人が植えた訳でもないのだろうが、自然の力はすごいものだと教えられる。刈っても切っても剃ってもまた生える。

 

 老化・・・ということで記憶力が著しく低下してきている。それに、そろそろ、認知症も進行しているのかも知れないが、ものごとを忘れてしまって大慌てすることが多くなった。そこで、柱に予定を順番に貼り付けておくのだが、これが風で飛んでしまったりして行方不明になったりする。

 

 このように、テーブル・カレンダーにメモするのだが、ここにメモしわすれると闇の中になる。ま、多くは文書やメールで来るので紙化して柱に並べて貼り付けることになるのだが、メモしたことを忘れたり、メモ自体を忘れたり、メモした用紙が有ること自体を忘れたりと・・・いろんなことが起きるものだ。

 

 で、こういう、スケジュール帳にメモしたり、タブレットのメモ帳やパソコンのスケジュール帳にメモするが、タブレットを開かないと予定表は見られない。パソコンだって面倒になる。そんなこんなで、カレンダーと、この予定表と、ダイアリーの予定表の三本柱が必要になる。

 

 で、昨日、100円ショップで来年の予定表を買ってきた。それを、今年の予定表の後ろにドッキングした。こうすれば、今年の後ろに来年の予定表が書き込める。それでも、ここに書き込むのを忘れると、どうしようもなくなるのだけれど・・・。

 

 昨日の草を刈った水路にも、マンジュシャゲは勢いよく吹き出してきている。この元気さがうらやましいと思う。毎年毎年、時期を忘れず、場所を忘れず時を忘れずに生えてくるのだから・・・。

 

 さて、この棚次辰吉が使っているミシン、「簡便飾縫ミシン」というのだそうで、その特許を取った記念写真がこれだというのである。この「簡便飾縫ミシン」をずっと探して調べているのだが見つからない・・・。

 

 ところが、某所にあった「新一ミシン」と言われる物がこれ。新一ミシンとは明治33年(1900)に棚次辰吉が発明した軽便飾縫ミシンのことである。同35年に専売特許4185号を取得した。手袋の飾り縫いだけでなく、ハンカチの飾り縫いにも使われていたという。

 

 これが、そのミシンの説明書である。しかしのかかし、辰吉さんが使っている写真は、新一ミシンやなくて、この下のミシンによく似ている。

 

 これみたいな格好しているのだが。この中間に何か改良型でもあったんだろうか。

 

 ともかく、簡便飾縫ミシン=新一ミシン=ガタガタミシンは見つかった。「おお、兄弟、ここにおったのか・・・」という心境である。

 

 念願の「新一ミシン」は見つかったし、探しあぐねていた「デスクブロック」というダイアリーも見つかったし・・ということで、気分的には楽になったのだが、はてさて、明日の法話会の話題が見つからない。

 

 そこでまたしても、香川県立図書館に行ってきた。で、何冊かの本を借りてはきたのだが、前日になって大慌てしたって仕方がない。当日の雰囲気でお話を進め上げていくしかないか。

 

 今日から奥方が神戸に出かけたので、今夜はじっくりとお話の構成を考えるしかないな。

 

 今日の掲示板はこれ。「「やってられないよ」と思ったとき、「でも俺、頑張ってるよな」とつぶやいてみてください。「頑張ってる私って、結構いいな」と、自分を好きになってください。その方が生きやすくなるとは思いませんか?」という松岡修造さんのことばから。海外のテニスツアーは非常に厳しいもの。そして、一族からの支援は一切なし。名門生まれのお坊ちゃんが、ツアー時に宿泊した安宿の朝食で、隣のテーブルのクロワッサンを盗んで食べた・・・なんていうエピソードもあるそうだ。そんな彼が成し遂げた、1995年のウィンブルドンでのベスト8という偉業には、日本全国が歓喜した筈。そう、彼は単なる、おもしろおかしい、元スポーツ選手タレントではないのである。自分自身の力で、壮絶な人生を切り開いてきた、アスリートの言葉だからこそ、
そこには説得力があるのだと思うのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


咲いている 花愛おしと 彼岸花

2015年09月17日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は四国の南海上の前線や湿った空気の影響で、東部を中心に雨が降っていた。気温は19度から20度どまりで湿度は94%から85%。風は1mから3mの北北西の風が少しばかり。降雨量は0mm/hから6mm/hと断続的に降り続いていたが、豪雨には至らなかった。明日の18日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしいが、未明は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 連日の雨で、水かさは少しばかり増えているが、そんなにたいした量ではない。上流の大川ダムも、水田用の水がいらなくなったせいか、適宜、放流して大幅に貯水量を落としている。

 

 お仕事に行ってる時には雨だろうが雪だろうが平気だったし、それがお仕事だったから半ば義務的にお仕事に向かったものだったが、最近は雨の日は外に出ようとは思わない。雨の日に行きたい場所もないし、出かけてもいい写真が撮れる訳でもないし・・・。

 

 で、今日もまた、10年メモ帳の追加入力。今日は2011年の6月30日から1月1日までの181日間の日記である。この期間には、あの、東日本大震災があった年で、生々しい様子が思い出されてきたものだった。

 

 過去のブログを逆に辿りながら、1日1日の記録を記入する作業も根気がいる作業である。半ば飽きてきたのだが、どうにか2011年分は完成した。この続きの2010年分は冬場になっておこたにでも入っての作業にしたいものだ。

 

 雨は降ったり止んだりを繰り返している。私も出かけようかやめようかを繰り返していた。

 

 お昼前になると、さすがに「窮屈さ」を感じ出す。どうにもじっとしていられない性分らしい。このあたりでは「イラチ」というのだが、気が短くて、すぐに「いらいら・・」としてしまう。

 

 先日から、この来年用の「ダイアリー」を探しているのだが、まだ、時期的に早いのか、どこにも置いていなかったし、来年用のカレンダーもまだない。

 

 毎年、10月の15日あたりに購入している筈なのに・・・と古い日記を読み返したら、まさに、10月15日あたりであって、決して9月の15日ではないことがわかった。今年は少しばかり慌て過ぎたみたいだ。来年は期待するほどにいい年になるんだろうか。

 

 ということなんだが、探せばあるもので、早くも来年用のダイアリーを探して購入してきた。ついでに、平成28年用の暦(こよみ)も・・・。

 

 この暦は、旧暦を調べたり、海の潮を調べたりするためであるし、私のホームページの「行事予定表」を作成するためのものである。これを見れば満月だとか新月だとか上弦・下弦などもすぐに分かるからである。それに一般的な行事予定表も記載されているので便利なのである。

 

 だからと言って、カレンダーはまだ9月の中旬。来年のダイアリーを買ったからと言って、そこに書き込む予定表なんぞある筈がない。来月の予定表さえ真っ白なのに。それでも、来年の予定が書き込めるというのは、なんだか安心なものなんである。

 

 さて、昨日の水路の草刈りだが、奥方に褒めてもらえると思ったら、大層、叱られた。「せっかくお花が着いているのに、どうして終わるまで待てなかったの・・・」「お花が終わるまで待ってからでも草刈りは遅くないでしょ・・・」と仰るのだ。奥方が植えたお花でもあるまいし、きれいなお花でもあるまいし・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「一人ひとりに、それぞれ歩んできた掛け替えのない人生がある」という、内藤久さんのことばから。


 娘さんは、「土足で上がって構いません。全部ゴミですから、早く済まして」と、いかにも面倒といった具合で、私は殺伐とした雰囲気の中、作業を始めることになったのでした。
 
ところが、部屋の中から、あるものが見つかったことで 雰囲気は一変しました。それは、幼い頃の娘さんを写した写真の束。そして、その一枚一枚の裏面には、撮影日と成長記録のようなものが書き記されていた。「きょう、“アブナイ”という言葉を覚えた」 「ニンジンは嫌いなのかな?」 「生まれてきてくれて、本当にありがとう」 勝手に捨てるわけにもいかず、私はその写真を娘さんにお渡ししました。すると、見る見るうちに表情が変わり、彼女の頬をポロポロと涙が伝わりました。

 「どうしようもない父親でした。正直、憎んでいました。それでも、私が生まれてきたことを喜んでいてくれたんですね……」

 写真を胸に抱え、穏やかな表情になって母子は現場を後にされました。
     「故人の想いを遺族へ紡ぐ」 内藤久(遺品整理の埼玉中央代表)

             『致知』2014年10月号 特集「夢に挑む」より

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


草刈って すまぬすまぬの 彼岸花

2015年09月16日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は四国の南海上の前線や湿った空気の影響で雨が降っていた。気温は19度から23度、湿度は89%から84%で、降雨量は0mm/hから3mm/hの小雨状態で降ったり止んだり・・・。風は1mから4mの南南東の風が少しばかり。明日の17日は、前線や湿った空気の影響で雨となり、雷を伴う所があるらしい。

 

 今日は朝から雨・・・。仕方がないから、昨日に県立図書館で借りてきた本をスキャナーで読み取っていた。町内にある「みろく池」に関する記事を十数ページほどをワード文書に変換して保存する作業を飽きもせずに粛々と・・・。

 

 雨は降ったり止んだりを繰り返していたが、9時半過ぎになると雨が止んだように見えた。止んだというよりも休んでいただけだったのかも知れない。そこで、この時とばかりに草刈り機を取り出してきた。

 

 わが家の入り口はこんな状態。ブロック塀からがわが家のもの。この右側の田んぼはお隣さんのもの。どっちにしたって、この草はわが家のものではない。でも、こんな状態でお彼岸のお客様は迎えられない。そこで、雨がお休みしている間に、ここを刈り払うことにした。

 

 こういう具合にマンジュシャゲがいっぱい、咲いておるのだけれど、そんなものを斟酌していたのでは草刈りはできない。だから、一気にバリバリバリ・・と刈り払ってしまう訳だ。かわいそうだなぁとも思うのだが、思っていても仕方がない。必要があればまた、新しい芽をぐんぐんと伸ばしてくるはずだ。

 

 だから、ヘビがいようが、こおろぎがいようがお構いなしだ。とにかく、一気に刈り払ってしまう。

 

 30分ほどで40mほどの往復を刈り払った。ただ、雨の後だし、マンジュシャゲの茎に水分が多いので、上半身はずぶ濡れのゴミまみれになる。

 

 それが終わると、今度は北側に向かっての水路沿いを刈り払う。こちらはそんなにも草が伸びていない。それでも、アンバランスに見えるので、こちら側も刈り払っておく。

 

 これでおよそ、1時間の草刈り作業は終わる。そこで、ものはついでだからと・・・。

 

 山の旧宅のお墓回りも刈っておくことにした。どうせ、濡れついでのほこりまみれついでである。

 

 こちらは草丈が短かったが、雨が激しく降り出してきて。この通路部分だけを刈り払っておしまいにした。

 

 旧宅に入る玄関部分も草まみれになっているが、これは後日のことにしておいた。雨が激しい時に刈り取るほどのものでもないし、当面、ここに入っていく用事もないのだからして。

 

 9時半から始めた草刈りは、11時過ぎにはおしまいにした。刈っても刈っても、幾らでも草刈りはできる。できるのだが、今日はあいにくの雨・・・。雨に濡れてまでの草刈りをする必要はない。シャワーを浴びて、濡れた作業服を洗濯して干して・・・おしまいになった。

 

 午後からも、スキャナーを使ってのデスクワーク三昧になった。雨の日はきれいな写真が撮れないし、お出かけしても楽しくないし・・・ということで、秋の1日はつるべ落としである。

 

 今日の掲示板はこれ。「決して順風満帆ではなかったはずだが、回顧するとそのように見えるから不思議だ。いやな思い出を忘れることができるからこそ、人間は希望を持って生きられるのかも知れない。」という樫山純三さんのことばから。樫山純三(かしやま・じゅんぞう)さんは日本を代表する大手アパレルメーカーのオンワード樫山の創業者。大阪貿易学校を卒業し、樫山商店創業。その後、樫山(現:オンワード樫山)創業した。競走馬の馬主としても有名である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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