西行花伝

2012-03-19 15:39:20 | 日記

辻 邦生著  新潮社刊

西行について知りたいことがあって、書棚から本書を引っ張り出した。
「知りたい事」とは、西行が「胡散臭い人」という印象をどうしても消すことが出来なかったからだ。勿論、歴史上の西行のデータはわかっていた。しかし、どうして彼が僧侶になったのか、その訳がわからなかつた。
改めて本書を読んで分かったことは、彼はある意味で逃避者だったということだった。彼が歌人として素晴らしいことは別にして、彼が僧侶になったのは一種の「便法」だったということだ。当時の階級社会から自由になるには、僧侶という立ち位置は都合がいい位置だった。公家社会から自由になると同時に、彼の所領である田仲荘の主人という地位も放棄したのだ。
だからといって、彼は僧侶として悟りを開こうと修行に励んだわけでもなく、階級社会を否定したのでもない。いや、むしろ僧侶としての立場を存分に活かして、階級社会を利用したと言ってもいい。彼は生涯生活に苦労していない。家督を譲った弟からの援助を受けていたからだ。階級社会からの恩恵を受けるのは拒否していない。「胡散臭い」というのは、この半端さにある。
しかも、彼が終生拘ったのは、待賢門院に対する思慕の情だった。僧侶としては、浮世の柵に拘るべきではない。それを僧侶にして歌人という立ち位置を採ることで、自分を正当化した。
手元の本は、1995年の初版本である。当時、ここまで読み取ることはできなかった。17年の歳月は大きい。「願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃」。好きな歌だが、一人の女人への未練の歌かと思うと、考えてしまう。
依然として、分からない男である。あと十年もしたら、もう一度読み返してみよう。もしかしたら、行間に別のことを読み取ることが出来るかも知れない。
付記 辻邦生は素晴らしい。全ての資料を読み込んだ上で、自分の言葉で物語を紡いでいる。最近の作家にこれだけの人はいるのだろうか。 



 

 


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