ながい坂 上・下      読み返した本 4

2011-01-31 16:16:54 | 日記
山本周五郎著  新潮文庫
『ながい坂』を『虚空遍歴』『樅の木は残った』と合わせて読むと、山本周五郎の意図する所は分かるのだが、これを単独の小説として読むと少々違和感を憶える。
それは、三浦主水正は、何故、あれほどまでに「自分には両親はいない。あの人たちは本当の親ではない」という信念を執拗に持ち続けていられたのか、ということである。しかも、8歳からさ38歳にいたる長期に亘ってだ。長すぎる、というか異常だ。
確かに主水正は将来城代家老として、立派に職責を果たすに違いない。しかし、それは施政官としてであろう。とても、このような感情を持った男が、人間味豊かな名家老になるとは思えない。
すると、思い浮かぶのは先の名城代家老・滝沢主殿である。主水正は、無意識のうちに主殿と同じ道を歩こうとしているのではないだろうか。そう読むと、私にはすっきりするのだが……。