あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

政治権力者、幼児、犯罪者は、皆、自我の欲望に正直である。(自我その309)

2020-01-28 17:10:29 | 思想
人間は、欲望の動物である。欲望とは、快楽を得たいという気持ちである。人間は、常に、自らの欲望をかなえたいと思って生きているのである。しかし、欲望には、道徳観や社会規約は存在しない。なぜならば、人間は、表層心理で、自ら意識して自らの意志で欲望を生み出していないからである。すなわち、人間は、自ら意識して自らの意志で思考して、欲望を生み出していないからである。人間の無意識の思考である深層心理が欲望を生み出しているのである。深層心理は、その場でのその時での快楽を得ようとして、欲望を生み出している。だから、人間が、自らの欲望のままに行動すれば、社会は悪行が横行することになる。そこで、人間社会は、道徳観や社会規約を作って、悪行に繋がる欲望を抑圧しようとしたのである。人間は、道徳観や社会規約に違反する行為を行えば、社会から批判され、時には、罰せられるので、自らの欲望を抑圧するのである。だから、逆に言えば、人間は、道徳観や社会規約に違反した行為と言えども、社会から批判されたり罰せられたりすることが無ければ、その場でのその時での快楽を得ようとして、それを行ってしまうのである。だから、秘密裏の犯罪が絶えないのである。犯罪とは、自らの所行だと社会に露見する可能性が低いと思って行った悪行、もしくは、欲望が強過ぎて自らの所行だと社会に露見することを厭わずに行った悪行である。だから、政治権力者は、大衆の批判が無ければ、いくらでも悪行を行うのである。安倍晋三首相は、森友学園・加計学園・桜を見る会で、不正に、税金を使って、身内に便宜を図っても、支持率が下がらず、大衆の批判が無いと思うから、悪行を続けるのである。このまま、支持率が下がらず、大衆の批判が無ければ、森友学園・加計学園・桜を見る会に類した悪行は続くだろう。また、恐らく、既に、秘密裏に、森友学園・加計学園・桜を見る会に類した悪行を数多く行い、森友学園・加計学園・桜を見る会はその氷山の一角だろう。しかし、これは、安倍晋三首相が特に悪人だというわけではない。人間とはこういうものなのである。俗人とはこういうものなのである。安倍晋三首相も一人の俗人だということである。政治権力者は、大衆の批判が無ければ、自らの欲望をかなえるために、いくらでも悪行を行うのである。ニーチェが19世紀に言った「大衆は馬鹿だ」という言葉が、現代社会でも、通用するのである。幼児も、大衆から批判されない政治権力者と同じように、その場でのその時での快楽を得ようとして、自らの欲望をかなえようとする。「子供は正直だ」と言われる所以である。幼児の心に、まだ、道徳観や社会的規約が備わっていないから、自らの欲望に正直なのである。しかし、幼児は、まだ、力が無く、秘密裏に欲望をかなえようとしないから、「子供は正直だ」と褒められたり許されたりするのである。大人が、幼児と同じように、その場でのその時での快楽を得ようとして、自らの欲望に正直に行動すれば、とんでもないことになることは目に見えている。そのような幼児も、道徳観や社会的規約とまで行かなくても、周囲の大人の視線によって、自らの欲望を抑圧することがある。フロイトが提唱したものの中で、人間の深層心理(無意識の心理)についての最も基本的な概念の一つに、エディプスコンプレックスなるものがある。人間は、幼児期において、異性の親に対して、欲望(近親相姦的な愛情)を抱くが、同性の親の存在の意味に気づき、同性の親を憎むようになるが、同性の親に反抗すればこの家にいられなくなることに気づき、さらに、自分の欲望は社会的に容認されていないことを知り、意識にとどめることができずに、無意識内に抑圧してしまうのである。この幼児の異性に親に対する欲望(近親相姦的な愛情)を抑圧する心理過程を、エディプスコンプレックスと言うのである。また、人間は、これから自らが行うことが犯罪だとわかっていても、自らの所行だと社会に露見する可能性が低いと思われた時や欲望が強過ぎて自らの所行だと社会に露見することを厭わない時には、それを行ってしまい、自分の所行だと社会に露見する場合があるのである。このようにして、犯罪者が誕生するのである。もしも、道徳観や社会規約に違反した行為を行うことを一度でも欲望した者が悪人だということになれば、全ての人間は悪人と言えるだろう。このように、人間は、常に、深層心理が生み出した欲望をかなえて、快楽を得たいと思って生きているのである。



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