おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男

2024-04-15 07:40:21 | 映画
「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」 2017年 イギリス


監督 ジョー・ライト
出演 ゲイリー・オールドマン クリスティン・スコット・トーマス
   リリー・ジェームズ スティーヴン・ディレイン
   ロナルド・ピックアップ ベン・メンデルソーン

ストーリー
1940年5月、ヒトラー率いるドイツは東ヨーロッパの大半を占領し、オランダ、ベルギー、フランスも制圧しようとしていた。
フランスの同盟国イギリスでは野党の労働党がチェンバレン首相の責任を問い、保守党と労働党との連立内閣と新首相を要求した。
保守党内部ではハリファックスがチェンバレンの後継としてふさわしいという意見が大半を占めていたが、チャーチルが首相就任の連絡を受けた。
国王ジョージ6世はチェンバレンになぜハリファックスでなくチャーチルなのかと問いただしたところ、チェンバレンは労働党がチャーチルを望むからと答えた。
ハリファックスは国王と会談しチャーチルを辞任させることを提案した。
ベルギーとオランダを占領し、フランスを攻撃するドイツ軍に対し、イギリスのフランスへの派遣部隊はダンケルクで孤立してしまった。
チャーチルはダンケルクからのイギリス派遣部隊の撤退作戦を計画したが、それは危険な作戦だった。
ドイツとの和平を提案するハリファックスにチャーチルは反対し、ハリファックスはドイツと和平交渉をしないなら辞任すると表明した。
国王はチャーチルと会談し、ドイツからの脅威と自らのカナダへの亡命の可能性を示唆しながらもチャーチルへの指示を表明する。


寸評
ウィンストン・チャーチルが良きにつけ悪しきにつけ強烈な個性を持った政治家だったことで、描かれる内容は必然的に万人の興味を引くものになるのだろうが、この作品ではそれを補完するがごとくにゲイリー・オールドマンがチャーチルを熱演している。
ゲイリー・オールドマンの一人舞台といったような内容だ。
ヨーロッパを席巻するヒトラー率いるナチスドイツと戦う道を選ぶか、和睦の道を探るか紛糾する戦争内閣の様子を描いているが、本質的に横たわっているのは権力争いだ。
描かれ方は単純で、チャーチルが善でハリファックスとチェンバレンは悪という図式である。
苦悩するチャーチルの27日間が描かれ、その間にはダンケルクからの脱出劇もあるが、戦争映画ではない本作はその劇的状況を描くことはせず、民間船が押し寄せるシーンだけを挿入している。
あくまでも作品は人間チャーチルに焦点を当てている。

チャーチルはそれまで波乱万丈の経歴を辿っているが、描かれた日々は彼にとって最後の賭けだったのかもしれない。
ヒトラーがダンケルクへの進撃を止める不思議な作戦に助けられてその賭けに勝ち、本土爆撃にも耐えて戦勝国となったイギリスのチャーチルは歴史に名を残すことになったのだろうが、しかしながら僕はチャーチルという政治家をあまり評価していない。
後年サウジアラビアの油田の採掘権をアメリカと争ったが、サウジのファイサル国王は、チャーチルは信用の置けない人物だと言って採掘権をアメリカに渡した。
僕もチャーチルにはファイサルと同じ思いを持っているのだが、非常時には彼のような人物が必要だったのだろうし、歴史を振り返れば、その時々に必要な人物を生み出しているように思われる。

内閣は紛糾しているがイギリス国民の士気は高いことを地下鉄のエピソードで示される。
庶民の意識が議会に届かないのは今の日本も同じだ。
庶民の意見を聞けと説いた国王は立派で、我が国の政治家たちにもそう言いたい。
ハリファックスはアメリカ大使に左遷されたとあるが、アメリカの援助なしには戦えなかったイギリスにとってアメリカ大使は重要なポストのはずで、はたしてそれが左遷と言えるかどうか。
貴族然とした彼はアメリカでの評判は良くなかったらしいが、英米のつなぎ役はこなしたようでチャーチルも彼を政治的に抹殺しなかったのではないか。
当時に比べると昨今の指導者は小者化しているように感じるし、我が国などはその最たるもので嘆かわしい。
独裁国家にとんでもない指導者がいることは大戦の教訓を思えば心配である。
最後にこの後に起きた結果が字幕で示される。
1.ダンケルクの撤退作戦が成功したこと。
2.チェンバレンは半年後に死去したこと。
3.ハリファックスはアメリカ大使に左遷されたこと。
4.イギリスは1945年にはドイツに勝利したこと。
歴史的事実である。


インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国

2024-04-14 06:40:10 | 映画
「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」 2008年


監督 スティーヴン・スピルバーグ
出演 ハリソン・フォード シャイア・ラブーフ
   レイ・ウィンストン カレン・アレン
   ケイト・ブランシェット ジョン・ハート
   ジム・ブロードベント イゴール・ジジキン

ストーリー
アメリカでマッカーシズムが吹き荒れた1957年。
イリーナ・スパルコ率いる偽装アメリカ陸軍に拘束されたインディアナ・ジョーンズと相棒マックは、近くで核実験が行われるネバダ州のアメリカ軍施設内にある政府の機密物保管倉庫へ連行されてしまう。
イリーナ・スパルコはそこで「1947年にニューメキシコ州ロズウェルで起きた事件」でアメリカ軍が手に入れた、強い磁気を発する長方形の箱を探すよう、インディに強要する。
そしてそこで彼らが見つけたのは、強い磁気で金属を引き寄せる謎のミイラだった。
インディはマックの裏切りに遭いながらも、何とか彼らの拘束から逃れることに成功し近くの町へたどり着く。
しかし、そこは核実験のために建設した無人の町で、突如実験のカウントダウンを告げるアナウンスが響いた。
インディは辛くも鉛が使われた冷蔵庫に閉じこもって難を逃れるのだが、マックとの間柄からFBIから尋問を受け、共産主義者のレッテルを貼られて赤狩りの対象者になってしまった。
スタンフォース教授が辞職すると同時に大学を無期限休職処分になり、インディは国外に向かうため列車に乗ったのだが、そこにバイクにまたがった謎の青年マットが話しかけてきた。
彼によると自身の母親がペルーから助けを求めているのだという。
マットから旧友オックスの手紙を受け取ったインディはKGBに追われるが何とか逃げ延びる。
インディはオックスの手紙を解読し、彼の足取りを追ってマットと共にペルーのナスカへ向かい手掛かりを元に征服者オレリャーナの墓でオックスが隠したクリスタル・スカルを入手した。
しかし、墓から出たところで彼らを追跡していたソ連軍に捕えられ、宿営地へ連行される。
インディたちはそこで、精神に異常をきたし変わり果てた姿のオックスと再会する。


寸評
シリーズにおいて19年ぶりとなる作品だが、内容はおなじみの冒険活劇で手作り感あふれるアドベンチャーシーンがふんだんに盛り込まれている。
ジョン・ウィリアムズのテーマ曲がながれるだけで心は踊るというものなのだが、どうもしっくりこないものがある。
シリーズの見せ場になっている追っかけっこだけが目に付いて、スピルバーグはそれだけを楽しんでいるように思えた。

先ずはケイト・ブランシェット演じるイリーナ・スパルコ率いるソ連軍兵士たちが今回の敵対相手として登場する。
エリア51内にある広大な機密物保管倉庫内でインディが弾丸の火薬を散布して強い磁気の発信源を探しあてるプロセスや、彼が仲間と思われたマックの裏切りに遭いながらも、機転を利かせて何とか彼らの拘束から逃れることに成功するまでは快調な出だしである。
ところが次の場面は、核実験用につくられた無人の町にインディが逃げ込んで、鉛が使われた冷蔵庫に入り込み間一髪で被ばくを逃れるというものである。
遺跡や宝物を巡って冒険やバトルを繰り広げる古代ロマンとスパイ活劇が持ち味だったはずなのに、インディが核実験用の模擬近代住宅に紛れ込んでしまうということに今迄のシリーズとは違うのだと思い始め、その感覚は最後まで続いた。
ナスカの地上絵を絡めていることで、古代探究のロマンの果てに異星人が登場することへの説得力を持たせているのだろうが、マットとマリオンとインディの関係なども合わせると何だか「未知との遭遇」や「スターウォーズ」のアイデア満載と言う気がする。

アマゾンのジャングルにおける追っかけっこは見所たっぷりで、冒頭でのカーアクションよりも一番の活劇シーンとなっている。
60歳を超えているとも思えないハリソン・フォードのインディの頑張りもあるが、ここではマットが大活躍し、猿の大群が出てくるところなどは子供たちへのサービスだったと思うし、兵隊アリの大軍も楽しませる。
水陸両用車が激流に流されて大滝から落下するのも迫力がある。
久しぶりにマリオンが見られたということもあるが、1本の独立した映画として見るならば、追っかけっこだけの映画の印象がぬぐえない。
異星人の宇宙船が出現するラストでは、これがインディ・ジョーンズかと思ってしまう。
異星人にとっての黄金とは金銀財宝ではなく知識であって、イリーナ・スパルコが知識に飲み込まれてしまうのは良かったのだがなあ。
それがテーマならその事がもう少し強調されていてもよかった。
原爆から逃れたり、ジャングルでの攻防、大滝下り等々のアクションシーンは盛りだくさんで、初めてこの映画を見た子供たちはディズニーランドのアトラクションの映画化だと思うかも知れない。
各個の見せ場は文句なしで、驚きとスリルに満ちたものばかりなのは、さすがはスピルバーグと唸ってしまうのは確かではある。
ところでインディは赤狩りの対象者だったはずで、その嫌疑は晴れたのだろうか。
ソ連の偽装アメリカ軍から逃れた末の全員そろっての結婚式は、そちらも無事解決を匂わしていたのだろうな。

居眠り磐音

2024-04-13 08:34:31 | 映画
「居眠り磐音」 2019年 日本


監督 本木克英
出演 松坂桃李 木村文乃 芳根京子 柄本佑 杉野遥亮
   佐々木蔵之介 奥田瑛二 谷原章介 中村梅雀
   柄本明 波岡一喜 高橋努 荒井敦史 ベンガル
   桜木健一 宮下かな子 永瀬匡 川村ゆきえ 山本浩司
   石丸謙二郎 財前直見 西村まさ彦 陣内孝則

ストーリー
明和九年(1772)四月、江戸、佐々木道場で同郷の河出慎之輔(杉野遥亮)と小林琴平(柄本佑)が打ち合って
勝負がついたあと、琴平は次に坂崎磐音(松坂桃李)を指名する。
この三人は同じ豊後関前藩の藩士で、もうすぐ江戸での修行を終え国に戻ることになっている幼なじみだ。
磐音の“居眠り剣法”にのらりくらりとかわされた琴平は「いつか本物の反撃が見てみたい」と不服そうに言うのだった。
その年の夏、ついに三人は関前湾を臨む峠まで戻ってきた。
琴平の妹、舞(宮下かな子)を妻にもつ慎之輔は早く帰りたくて仕方がない様子。
そして磐音もまた、明日には琴平の下の妹、奈緒(芳根京子)と祝言をあげることになっていた。
屋敷に戻った磐音は、両親に帰郷の報告をし、父の正睦(石丸謙二郎)は三人で藩のために尽力するよう話す。そして妹、伊代(南沙良)との再会を磐音は喜ぶのだった。
小林家では奈緒が病気の父と母に嫁ぐ前のあいさつをしているところへ琴平が帰ってきた。
一方、家路を急ぐ慎之輔は、道で叔父の蔵持十三(水澤紳吾)に呼び止められた。
強引に酒場に連れていかれた慎之輔はそこで、妻の舞が、山尻頼禎という男と浮気をしていて噂になっていると聞かされた。
その証拠にと、慎之輔が祝言の際に舞に送った簪(かんざし)を十三は取り出し、二人が密会している待合いで拾ったと告げ、そして今は山尻からもらった、べっ甲の簪をしていると話した。
我を忘れた慎之輔は屋敷に戻り、べっ甲の簪をさした舞の姿を見るや、有無も言わさず斬り殺してしまった。
その報せはすぐ琴平に伝えられ、明け方、舞の亡骸を引き取りに琴平は慎之輔の屋敷を訪れた。
説明をもとめる琴平に、ひどい形相の慎之輔は妻の不貞を話す。
そしてそこに現れた蔵持十三を、琴平は斬ってしまったところで、舞の噂はデマだったことが判明する。
慎之輔は混乱し、舞の亡骸を取り戻そうと刀を抜いて琴平たちに迫り、琴平は反射的に慎之輔に刀を振り下ろしてしまった。
坂崎家では伊代が、舞に関する最近の出来事を話し始めた。
実は、山尻頼禎が偶然見かけた奈緒を見初め、小林家に次々と贈り物を届けて面会を迫ったというのだ。
姉の舞が、奈緒は結納を済ませた身であることを説明し、山尻の行動をとがめたところ、お詫びと称して酒場に呼び出され、そのあとから妙な噂が流れるようになったという。
するとそこへ琴平が山尻の屋敷に乱入し、頼禎を斬って外に投げ捨てたという知らせが届く。
国家老、宍戸文六(奥田瑛二)は家臣に小林琴平を討ち取るよう命じた。
磐音は伊代に、奈緒に渡すつもりだった匂い袋を託し、琴平のもとへ向かう。
腕の立つ琴平を討ち取ることができない目付けの東源之丞(和田聰宏)に磐音は、自分に行かせてほしいと頼み、ひとりで山尻の屋敷に入っていった。
琴平は、磐音との“尋常の勝負”を望み、琴平は磐音に斬られて死んだ。
半年後。お家断絶となった小林家は生活に困窮し、奈緒は城に呼び出されて宍戸文六に妾になるよう迫られていたが、磐音だけを思い続ける奈緒はきっぱりと断り、追い出されるように城を出た。
一方、浪人となった磐音は江戸、深川のうなぎ屋で職人として働いていた。
長屋で暮らす磐音はある日、大家の金兵衛(中村梅雀)から用心棒の仕事を紹介され、今津屋に用心棒として雇われた。
磐音は、主人の吉右衛門(谷原章介)から、老中田沼意次(西村まさ彦)の政策に反対する者から脅されていると聞かされた。
その相手はおそらく阿波屋有楽斎(柄本明)で、金の相場が崩れ、今までのように儲けられなくなることを嫌がる阿波屋は、田沼の意向に従っている今津屋が邪魔だったのだ。


寸評
小林琴平、河出慎之輔、坂崎磐音は幼なじみで親友だ。
慎之輔の妻である舞は琴平の妹で、磐音も琴平の妹と祝言を上げようとしている。
義兄弟となる三人は切っても切れない間柄なのだ。
ところが、噂話がきっかけで悲劇が起きる。
慎之輔が妻の舞を斬り、その慎之輔を琴平斬り、さらにその琴平を磐音が斬るというものだ。
こんな悲劇があろうかと思われるのだが、発端となる噂の背景や慎之輔が妻の舞をいきなり斬り殺す唐突さが作品から重厚性を削いでいる。
何があろうとも慎之輔は妻を問い詰めるであろうに、それをせずにいきなり斬り殺すのはリアリティに欠けている。
そうせざるを得ない意味づけは必要だったのではないか。
同じことが、琴平が慎之輔の叔父である蔵持十三を殺害することにも言える。
磐音が班を抜けて江戸に向かう経緯もない。
また奈緒が国家老の宍戸文六から言い寄られるのだが、その場面でも奈緒がきっぱりと断るとそれで終わりとなっている。
そこに至る説明もないので、このエピソードは唐突過ぎる。
ことほど左様に、描くべきことを描いていないので作品自体が薄っぺらい印象を受けてしまい、劇的とも言える人間関係の面白さが生かされていないように感じる。

そこにいくと木村文乃のおこんという女性は面白い存在となっている。
おこんは磐音に好意を持っているようなのだが、奈緒と言う女性の存在を知っているために身を引いているような所がある。
父親の金兵衛は似合の夫婦だと思っているのだが、仕事口を告げに来たおこんは磐音に「1200両の身請け金の足しになるといいわね」と囁く。
奈緒は花魁となっていきていこうとするが、磐音は菜緒を身請けするつもりのようで、それを支えようとするおこんと連れ立つラストシーンは風情があった。
為替差益を描いているのは面白い着想で、柄本明の有楽斎の最後も意表をついていて面白い展開であった。
随所に見どころはあるのだが、それが十分に生かされていたとは言い難いのは残念だ。

生きる LIVING

2024-04-12 07:07:08 | 映画
「生きる LIVING」 2022年 イギリス / 日本


監督 オリヴァー・ハーマナス
出演 ビル・ナイ エイミー・ルー・ウッド
   アレックス・シャープ トム・バーク
   エイドリアン・ローリンズ ヒューバート・バートン
   オリヴァー・クリス マイケル・コクラン

ストーリー
ピーターが勤務する市民課の上司である課長のロドニーは山積みとなっている書類を感情なく淡々と処理し、勤務時間が終われば淡々と帰るだけの日々を過ごしていた。
役所は事なかれ主義が蔓延しており、毎日のように市民から陳情が寄せられるものの結局は聞き入れてもらえないことが日常茶飯事となっていた。
市の女性たちが陳情した、大戦の影響で荒れ果てた空き地を公園として整備してほしいという要望書は各課にたらい回しとなった後にロドニーの元にきたが、彼に読まれることなく机の書類の山に重ねられた。
一度も欠勤も遅刻もしたことのないロドニーだったが、この日は珍しく早退して病院に向かったところ、担当医から末期癌に侵されており、余命は半年、長くて9ヶ月という告知を受けた。
帰宅したロドニーは、同居している息子のマイケルとその妻フィオナにこのことを打ち明けようとしたが、マイケル夫妻はロドニーの話を聞いてはくれなかった。
余命宣告の翌日からロドニーは職場に姿を見せなくなった。
その頃、ロドニーは貯金をはたいて海辺のリゾート地に向かい、そこで大量に購入した致死量の睡眠薬を飲んで自殺しようとしたが果たせず、現地で出会った不眠症に悩むサザーランドに自分の睡眠薬を渡した。
ロドニーは、自分は人生を謳歌することができなかったと打ち明け、サザーランドなら人生の楽しみ方を知っているのではないかと問いかけた。
サザーランドはロドニーを夜のダンスホールや遊技場、パブに連れ回した。
ロドニーは職場復帰すると公園整備事業を生涯最期の仕事として本格的に乗り出した。
数ヶ月後、ロドニーは完成した公園でひっそりと息を引き取っていた。
この公園を作ったのはロドニーの功績であることを公にされず、それどころか役所側やジェームズ卿が手柄を自分たちのものにしようとした。


寸評
黒澤明の「生きる」のリメイク作品なので、内容はおおよそオリジナル作品を踏襲している。
「生きる」を見ている僕は、意識せずともオリジナル作品と比較してしまっている。
先ずは、こちらがカラー作品であることで、1953年と言う時代設定のロンドンの雰囲気がいい。
冒頭の情景が素直に映画に誘ってくれる。
主人公のロドニーが自分で紳士になりたかったといっているのだが、まさにうらぶれた感じはしないイギリス紳士という雰囲気で、           志村喬の渡辺との違いを感じさせる。
そのこともあって、黒澤明の「生きる」にあった鬼気迫るような雰囲気はなくて、随分と落ち着いたしんみりした仕上がりになっている。
ロドニーが涙を流すようなシーンもない。
癌の告知に関するエピソードなど割愛されたところもあって、本作はオリジナルに比べて40分も短い。
現在は癌告知も本人に正しく伝えて治療の選択を医師と患者が話し合うようになっているから、このエピソードは不要であるとの判断は正しかったと思う。
コンパクトにまとめられているが役所批判の切り口は弱まっているように思われる。
イギリスの役所に対する市民感情は日本の役所に対するものと違っているのかもしれない。
やるぞと気勢を上げても、結局は元の木阿弥になってしまうという皮肉は、黒澤版の方が強烈だったように思う。

オリジナルにないシーンとしてマーガレットと、ロドニーの息子マイケルが話し合う場面がある。
マイケルは癌であることを言ってくれていれば雪の中で死なせるようなことはなかったと悔やむが、果たしてそうだっただろうか。
マイケルがボスと呼ぶ妻との関係を考えれば、息子夫婦はロドニーに手厚い看護をしただろうか。
早く逝ってくれればいいとの感情を表したのではないかと勘ぐってしまう。
カズオ・イシグロはどんな思いでこの場面を入れたのだろう。
疎遠だった親子関係に光を差し込みたかったのだろうか。
僕の感じ方は皮肉れ者のスネた見方なのだろうな。
テーマに反して、老後の生き方より、自分の最後が気になってきているのも正直な気持ちである。
もちろん両作に共通する問いかけは、人はどう生きるのかということだ。
僕は映画監督や俳優さん、あるいは小説家や画家などの芸術家や、いつまでも歌われる名曲を残した作曲家や歌手など、それぞれのジャンルで名前を残した人たちを羨ましいと思っていた時期がある。
今の僕はどうやらロドニーの境地に近づけたのではないかと思っている。
大抵の人は後世に名前を残すようなことは出来ないで一生を終える。
しかし、自分が納得できるような仕事、やり遂げたと言う満足感を持てるようなことは出来るはずだ。
それらのことは忘れられるかもしれないし、また時代と共に捨て去られるようなものかもしれないものであっても、自分の意識は変えることは出来ないし、自負の中にあるものが消え去ることはない。
僕は両「生きる」を見て、その事を再確認して余生を過ごしたいと思っている。
とは言え、だんだんとそんな場所と事がなくなってきているなと実感する今日この頃でもあるのだが。
絶望感すら感じる黒澤版に比べれば、少なからず光明を感じさせる本作の方が安らぎを得られた。

アントキノイノチ

2024-04-11 06:34:50 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2019/10/11は「大菩薩峠 完結編」で、以下「太陽」「太陽がいっぱい」「太陽を盗んだ男」「タクシードライバー」「たそがれ清兵衛」「TATTOO[刺青]あり」「Wの悲劇」「魂萌え!」「ダラス・バイヤーズクラブ」と続きました。

「アントキノイノチ」 2011年 日本


監督 瀬々敬久
出演 岡田将生 榮倉奈々 松坂桃李 鶴見辰吾
   檀れい 染谷将太 柄本明 堀部圭亮
   吹越満 津田寛治 宮崎美子 原田泰造

ストーリー
高校時代に親友を“殺した”ことがきっかけで、心を閉ざしてしまった永島杏平(岡田将生)は、父・信介(吹越満)の紹介で遺品整理業“クーパーズ”で働くことになる。
社長の古田(鶴見辰吾)は「荷物を片付けるだけではなく、遺族が心に区切りをつけるのを手伝う仕事だ」と杏平を迎える。
先輩社員・佐相(原田泰造)、久保田ゆき(榮倉奈々)とともに現場に向かった杏平。
死後1ヶ月経って遺体が発見されたその部屋は、ベッドは体液で汚れ、虫が部屋中に散乱していた。
最初は誰もが怖気づくという現場に杏平は黙って向き合うが、ゆきに遺品整理のやり方を教わっている最中、彼女の手首にリストカットの跡を見つける……。
3年前。生まれつき軽い吃音のある杏平は、高校時代、同じ山岳部の松井(松坂桃李)たちに陰でからかわれていた中、松井による陰湿ないじめと周囲の無関心に耐えられなくなった山木(染谷将太)が飛び降り自殺をする。
その後、松井の悪意は表立って杏平へと向かい、何も抵抗できない杏平だったが、登山合宿で松井と二人きりになった時にふと殺意が生まれ、崖から足を踏み外した松井を突き落とそうとする杏平。
結局、杏平は松井を助けるが、松井は「滑落した杏平を助けたのは自分だ」と周囲にうそぶく。
だが文化祭当日、山岳部の展示室には松井を助ける杏平の写真が大きく飾られていた。
それは、教師や同級生たちが松井の悪意や嘘を知っていながら、それを見過ごしていたという証拠だった。
杏平は再び松井に殺意を抱き「なんで黙ってるんだよ」と叫びながら松井に刃を向けた……。
ある日、ゆきは仕事中に依頼主の男性に手を触られ、悲鳴をあげ激しく震えた。
心配した杏平は、仕事帰りにゆきを追いかけ、彼女はためらいながらも少しずつ自分の過去に起きた出来事を杏平に告げる……。


寸評
2人の男女の傷ついた孤独な心、他者と触れあいたい思いはあるものの前に進めない苦悩など、鋭い心理描写が目を引くが、いかんせん暗い。
主人公たちが人に語れない過去のトラウマを抱えて苦悩していて、その心理描写に重きを置いているのでどうしても全体的に重くなっている。
彼らの苦悩を表すために、遺品整理中に杏平やゆきが変調をきたすシーンや、覧車の中での2人と、それに続く、夜の街を疾走する二人の姿、あるいはホテルでの二人の様子などを、手持ちカメラを使った映像などで、その時の心理をリアルに切り取っているのは評価できる。
セリフの間に杏平に起きた過去の出来事を巧みに挿入していく演出もなかなかのものであった。
それでも、それをこれだけじっくりと描かれると少し疲れる。
孤独で誰ともつながりのなかった杏平とゆきが、遺品整理を通して変わっていくところも自然に描かれているのだが、そこには映画的な感動を呼ぶものはない。
きっと現実にはそうなのだろうけれど、これは映画なのだからと思ってしまうのだ。

遺品整理に向かう家は色々あって、孤独死して発見が遅れたマンション団地の一室であったり、餓死されられた子供の部屋だったり、家庭を捨て去って孤独死した女性の部屋だったりする。
杏平の母親も家庭を捨てているという背景がそれにかぶさってくる。
ゆきの家庭の不幸な状況も加わって、家族のねじれた関係が多々描かれる。
遺品整理会社にまかせるのだから、故人と遺族の関係はどちらかと言えば冷たい。
先輩社員の佐相は、いいものだけを残して個人のプライドを守ってやるのだと言うが、それも関係ないような人間関係である。
死ぬことも迷惑がられるという姿は、映画の世界だけではないことが悲しい。

杏平は吃音で、しかも以前は躁鬱で精神科の薬を服用していた。
いまも緊張すると吃音症が出てしまうのだが、遺品整理中に子供を捨て去った母親が成人した娘に出そうとしていた大量の手紙を発見し、その娘に届けたあたりから吃音が目立たなくなる。
これはたぶん意図したものだろうが、その劇的変化を訴えるシーンはない。
手紙を拒絶する女性に、自分たちと同じになってしまうと叫ぶのだが、どうして吃音癖が出なかったのか?
その後もその症状は和らいでいるように感じたのだが…。

杏平が遺品整理会社を辞めて老人ホームで働いているゆきと再開してからは映画的に盛り上がっていく。
水を差すのがゆきの処理の仕方で、突拍子過ぎる。
命は引き継がれているということは理解できるのだが、ちょっとご都合主義的ではなかったか。
山岳部の顧問が正義感ぶって、杏平に頑張ったと教師面して言ったところ、杏平が無関心すぎると詰め寄るシーンが一番印象に残った。
世の中、事なかれ主義が多いものなあ~。

ある子供

2024-04-10 06:56:15 | 映画
「ある子供」 2005年 ベルギー / フランス


監督 ジャン=ピエール・ダルデンヌ / リュック・ダルデンヌ
出演 ジェレミー・レニエ デボラ・フランソワ
   ジェレミー・スガール ファブリツィオ・ロンジョーネ
   オリヴィエ・グルメ ステファーヌ・ビソ
   ミレーユ・バイィ アンヌ・ジェラール

ストーリー
舞台はベルギー東部の鋼鉄産業の町シラン。
20歳の青年ブリュノと18歳の恋人ソニアの間に子供が産まれる。
ブリュノは手下のように使っている少年スティーヴたちと共に盗みを働き、盗品を売った金でその日暮らしをしている身だ。
ブリュノは真面目に生計を立てるより泥棒や乞食をした方が楽だと思っている無責任男である。
ソニアは彼に真面目に働いて欲しいと頼むが、ブリュノにその気はなく、職業斡旋所に並ぶ列から離れ、なんと子供を金で売ってしまう。
子供の売買は寂れた建物の中の一室で、仲介者を介してお互いの顔を見ずに行われた。
赤ちゃんを売るという信じられない行為にソニアはショック状態となり卒倒したソニアは病院に運ばれる。
足がつくのを恐れた買い手のおかげでなんとか子供は取り戻せたものの、意識を戻したソニアは警察にことの次第を話していた。
ソニアは相変わらず軽い態度のブリュノに怒りを燃やし、彼を自分の家から追い出す。
ブリュノは仲介者の男たちから、儲けそこなったと違約金を脅し取られるようになる。
金に困ったブリュノは、スティーヴと共にひったくりを働きスクーターで逃げるが、執拗に警察に追い掛けられ、スティーヴが補導されてしまう。
まもなくブリュノは自首。
やがて服役中のブリュノのもとに、ソニアが訪ねてきて、ブリュノは思わず嗚咽をあげるのだった。


寸評
この映画は評価する人と酷評する人に二分されているようで、評価する人はこの作品にカンヌの金賞を与え、キネマ旬報社のベストテン投票で4位の座を与えた。
僕は酷評しないまでもこの作品を評価しない。
なにを描きたいのかはボンヤリと分かるのだが、結局は「ダメ男のダメな生き方を描いただけ」という気分に行きついてしまうのだ。

ブリュノは大人になりきれないまま子供を授かった青年(少年と言っても良い)だ。
自分の気分のままに生きていて、他人の気持ちを思いやるような所がない。
生まれたばかりの自分の子供を売るという考えられないような行動を取るのだが、自分のしたことを悪いと思っていないので、普通の会話をするようにソニアに「売ったよ、また作ればいい」と告げる。
彼は自分のしたことの意味が分かっていなくて、ソニアがショックのあまり気絶してしまったことで初めて事の重大さを知るのである。
まずいことをしたのだと悟ったブリュノは赤ちゃんを取り戻す。
ブリュノはその場限りの行動を取る男なのだ。

乳母車で散歩に出れば道行く人に小銭をせびるし、年下の少年を使って盗みを働きそれを売りさばく。
その場その場の生活をしているのだが、手に入れた金で、ソニアにそろいの服を買ってやったりもするし、少年たちにも分け前を与えてやっている。
ブリュノはダメ男だが根っからの悪ではないので、自分の手下になっている少年を見捨てるようなことはできない。
川の中に逃げ込んで溺れそうになった少年を必死で救ってやるし、警察に補導された少年を棄てておけず、自分が首謀者だと自首してくる分別は持っている。
それでいながら平気で悪事を働くから、まったく道徳感のない男なのだ。
ソニアに対しても平気でうそをつく。
その内容は、子供を売り飛ばそうとしているのに、「公園を散歩している」などというものである。
してもいいことと、やってはならないことの判別が全くついていない男なのだ。

ではなぜこんな男が出現してしまったのか?
ベルギーの失業率が高くて若者の働き口がないせいなのか。
そんな社会に未来を見いだせないでいる若者の苛立ちの為なのだろうか。
映画はそんな若者社会で生まれてしまった子供を救えない政治を告発していたのだろうか。
あるいは、そんな不安定な精神状態の若者を描いただけの作品だったのだろうか。
色々考えたりもしてみたが、しかしそれでも「何なんだ、この男は!」という嫌悪感しか湧いてこなかった。
見ているうちにブリュノに対して可哀そうとかの同情はなく、徐々に高まっていく嫌悪感だけを感じていた。
僕は悪意のないブリュノのとる行動に共感できなかった。

う~ん、どこを評価したのかなあ・・・カンヌは?

有りがたうさん

2024-04-09 06:38:12 | 映画
「有りがたうさん」 1936年 日本


監督 清水宏
出演 上原謙 桑野通子 築地まゆみ 二葉かほる
   仲英之助 石山隆嗣 河村黎吉 忍節子

ストーリー
バスに道を譲ってくれる人全てに「ありがとう!」と声をかける事で、周囲から「有りがとうさん」と呼ばれる人気者の乗り合いバスの運転手(上原謙)が主人公のある日のお話である。
南伊豆を運行している乗り合いバスに3時便の出発が迫っている。
始点の茶屋で、寂し気な様子の母娘(二葉かほる、築地まゆみ)が店の女主人(高松栄子)と会話を交わしているのを、店先で聞くともなく、寝転がって待機していた有がとうさんが聞いている。
どうやら、生活が苦しい母親が、若い娘を東京に身売りさせるらしい。
やがて、駅まで、峠を二つ越える運行が始まる。
乗客は、件の母娘をはじめ、渡り鳥風のいなせなお姐さん(桑野通子)、大きな口ひげが滑稽な太った紳士(石山隆嗣)、村の男衆ら数名で、バスは美しい自然の中を走っていく。
すれ違う人ごとに、美貌の運転手は「ありがとう!」のかけ声。
学校帰りの男の子たちが、数名、バスの後ろにしがみつく。
すれ違い様、馴染みの旅芸人がバスを止め、遅れて来る踊子(伊豆の踊子?)たち宛の伝言をありがとうさんに頼んだり、それはのんびりとしたもの。
乗客たちの車中の会話は、いなせなお姐さんと、威張りくさったひげの男を中心に、ユーモラスに描かれていく。


寸評
横文字タイトルが今とは逆に左から右へ書かれていて時代を感じさせる。
時代を感じると言えば、路線バスが乗り合いバスと呼ばれていた時期があって、名前の通り顔見知りの人たちがバスで一緒になり賑やかに話し込んでいた風景が懐かしく思える。
さすがに「有りがとうさん」のような運転手はいなかったように思うが、舗装されていない道路には車の数も少なくのどかなものだった。
「有りがとうさん」の運転するバスは伊豆の山道を走る路線バスである。
バスの車窓から見える景色は日本の原風景の一端を示している。
峠を二つ超えるために一日で往復することは出来ず、運転手も一泊どまりの行程である。
バスには人生を背負った色んな人が乗ってくる。
主となるのは桑野通子の玄人っぽい女性と、見栄っ張りな嫌味な男に、勤め先に出される娘の親子なのだが、どうやら娘は身売りされるようである。
石山隆嗣と桑野通子は漫才のボケとツッコミのようで、嫌味な石山隆嗣がたびたび桑野通子にやり込められるのが痛快となっている。
「有りがとうさん」は人気者である。
人気の秘密はハンサムな若い男性であることにもよるが、彼がいたって親切だからである。
伝言を頼まれても、買い物を頼まれても拒絶することはなく、明るい笑顔で申し出を引き受けてやり、街道の人たちからの信頼も厚い。
朝鮮人労働者の墓の世話まで引き受けてやる人の良さである。

車内での会話は清水宏らしいユーモアと皮肉が満ち溢れていて実に楽しいものとなっている。
桑野通子がすすめる酒を断った男たちだが、一人がその酒を受けると次から次へと酌を受ける。
”右へならえ”が得意な日本人らしい光景である。
紋付を来た乗客が乗り合わせ、一組は結婚式に出席すると言い、一人は葬式に参列すると言う。
結婚式組は葬式に出る人と一緒では縁起が悪いと下車し歩き出す。
あの人たちを歩かせたのは悪いと、葬式に出席する人も下車して歩き出す。
当時は普通のことであったろう人の世の義理と人情である。
バスは途中で休憩するし、立ち止まっては道行く人と会話を交わしたりするので、時刻表など有ってないようなもののように感じるが、渋滞などないからあれで結構時間通りに運行されていたのかもしれない。
渡り鳥なら帰ってくるが峠を越えた娘は帰ってこないと言うことで、桑野通子が娘の救済を「有りがとうさん」に耳打ちする。
どうやら「有りがとうさん」は中古の車を買う予定のお金を娘親子に融通したようである。
娘が桑野通子に感謝している所を見ると、桑野通子も援助したのかもしれない。
帰りのバスに親子が乗っているのは清水宏らしい描き方である。
セットが一切なしの実写による道行く人々の姿がノスタルジーをそそる。
とうじの街道にはあのような人たちが往来していたのだろう。
時代を感じさせる作品で、なんだかホッとするものがある。

あらかじめ失われた恋人たちよ

2024-04-08 06:51:20 | 映画
「あらかじめ失われた恋人たちよ」 1971年 日本


監督 清水邦夫 / 田原総一朗
出演 石橋蓮司 桃井かおり 加納典明 岩淵達治
   内田ゆき 正城睦子 緑魔子 カルメン・マキ
   蟹江敬三 蜷川幸雄

ストーリー
「日本人の心のふるさと、日本海へようこそ!!」、そんな大きな看板の立った北陸の白く乾いた道を気ままに旅する、快活で、饒舌で、気まぐれた青年哮(石橋蓮司)。
彼は、バスの中で乗り合わせた中年夫婦に人なつこく話をしかけ、夫婦が降るとそのあとにくっついて行き、突然刺身包丁をつきつけて明かるく「金、出してくれませんか」と強盗を働いた。
彼は、オリンピック候補にあげられた棒高跳を断念し、つぎのスポーツとしてかっぱらい強盗を選んだ。
ある町にはいった哮は、全身に金粉を塗った若い男女(加納典明、桃井かおり)に、わけもなくひきつけられてしまい二人の行くあとをつきまとい、この二人が聾唖者であることを知る。
ある夜、町の若者たちが、二人の仮りの宿を襲撃し、女をさらっていく。
翌朝、引き裂かれたブラウスをまとったまま、若い女は何事もなかったように帰ってくる。
そのあとで、哮と若者は、石炭石の採掘現場に行き、そこで働いている、女をさらった若者たちを、ナイフと刺身包丁でつぎつぎに刺して報復する。
内灘にやってきた聾唖者の男女と哮は、米軍の残していった空の弾薬庫をねぐらにする。
二人だけの身体と身体の会話に、哮のはいり込む余地は全くないように見える。
哮は、この聾唖者の若い男女からどうしても離れることができず、かつて饒舌に口をついて出た言葉が、次弟にひどくむなしいものに感じられてきて、ある夜、哮は、突然、しゃべることをやめてしまう・・・。


寸評
典型的なATG映画という作品で、物語があるようでなく演出もあらかじめ決められたものなのか即興なのか、あるいはその両方なのかその境目がない。
僕には絵になる場所で絵になるシーンを人脈を通じて集めた役者達を使って撮り続けたと言う印象しかなく、音楽が流れるシーン以外は少々飽きが来た。
当初は興味を持って見ることができたが、後は同じことの繰り返しで何が言いたいのかよく分からない。
あらゆるものが脈絡なく唐突に目の前に差し出されてくるような印象なのだ。
ストーリーで観客を惹きつける映画でない事は分かるが、だからと言って何か画面に惹きつけるものがあるかと言えばそうでもない。
桃井かおりと加納典明が聾唖者のなので、石橋蓮司が喋りまくっているだけの単調な話になってしまっている。

扉を開けた途端に突然カルメン・マキが現れてリンゴをかじっている場面とか、石橋蓮司と頭のおかしな役の緑魔子が蓮池に浮かべた板の上でシュールなやり取りをする場面などが挿入されるが、いったいこれな何なのか整理するのに一苦労したが、結局よく分からないままであった。
僕には、カルメン・マキと緑魔子が駆けつけてきて、急遽彼女たちの登場シーンを組み入れたとしか思えない。
石橋蓮司がアドリブも交えて孤軍奮闘しているが、作り手の狙いであると思うものの、言っていることが観念的なものなので心に響いて来ない、
これはこの映画の致命的な欠点だったと思う。
聾唖者なので桃井かおりは言葉を発することがないので、あの独特の話し方をする彼女の個性を味わうことはできなかったが、時折アップで睨みつけた目が捕らえられるがその表情は魅力的であった。

三人は米軍の残していった弾薬庫跡をねぐらにする。
そして警官隊の砲撃を受け、聾唖者の加納典明と桃井かおりは目も失い盲目となってしまう。
何か言いたげな展開だが、作者の主張は感じ取れなかった。
兎に角、難解に感じる。
最後に石橋蓮司は加納典明や桃井かおりと同じように、疑似的に言葉を捨て去る。
言葉という欺瞞的なものを捨てて行動を起こしたのだと思う。
彼らの行動とは、主張とは何だったのだろう。
自分たちが存在している場所が自分たちの土地だと土着してしまうのではなく、人々よ我々と同じように放浪の旅に出よということだったのだろうか。
僕も短い期間ではあったが放浪の旅をしたことがある。
実に自由でその土地の文化や人々に接しながら、時間を気にすることもなく、気の向くまま足の向くままの満ち足りた日々であった。
旅は楽しいものだが、全ての人が一生を放浪の旅で過ごせるわけではない。
大抵の人は短い時間を俗世から逃れて、再び現実の縛られた生活に戻っていく。
放浪の旅と聞いて僕が思い浮かぶのは画家の山下清と、「男はつらいよ」の寅さんと登である。
あんな風に過ごせたらいいなと思うことはあるが、それでも僕は寅さんになりたいとは思わない。

あなたを抱きしめる日まで

2024-04-07 08:08:46 | 映画
「あなたを抱きしめる日まで」 2013年 フランス / イギリス


監督 スティーヴン・フリアーズ
出演 ジュディ・デンチ スティーヴ・クーガン
   ソフィ・ケネディ・クラーク
   アンナ・マックスウェル・マーティン
   ミシェル・フェアリー バーバラ・ジェフォード

ストーリー
若き日のフェロミナはある少年と恋に落ち、未婚のままで妊娠した。
修道院で男の子アンソニーを出産し、その後も修道院で働きながら息子に短い時間だけ面会を許される日々を過ごしていたのだが、息子が3歳になったある日、養子を探しに来た夫婦にフェロミナの意思とは関係なく息子は引き取られていった。
そして50年の歳月がすぎ、フェロミナは娘に失った息子の秘密をうちあけ、そして娘のすすめでアンソニーを探し始めることにした。
元エリート記者のシックススミスの助けを借りながらフェロミナの息子を探す旅が始まった。
修道院でその当時を知る修道女もかなりの高齢になり、修道院側はその修道女の面会すら許そうとせず、手がかりはないままだった。
それでもシックススミスの力で息子がアメリカの夫婦のもとに養子に出されたことを知り、二人はアメリカへ向かうことになった。
アメリカに向かう飛行機の中でフェロミナはお酒がタダで飲めることを喜び、シックススミスとの会話に楽しみを感じていた。
そして息子がゲイであり、ホワイトハウスで働いていたこと、すでに死んでいることを知る。
息子のパートナーに会うため、さらに旅を続けることにするフェロミナ。
パートナーは、彼が母親を探していたことを伝え、病気で死んでいく様子を映像でフェロミナに見せてくれた。
そしてイギリスに帰ったフェロミナは修道院を再び訪れる。
そこで息子がフェロミナを探しにこの修道院を訪ねてきたことなど、全ての隠されていた真実を知った。


寸評
おばあさんが元BBCのジャーナリストと共に3歳で生き別れた息子を探す旅に出て、その過程で色々な真実や闇が明らかになっていくという物語なのだが、僕には宗教界の持つ欺瞞を訴えた作品と思えた。
若い頃のフェロミナは未婚のままで男児を出産し、その事を咎められながらも修道院で働いていたのだが、その子が3歳になった時に彼女に無断で養子に出されてしまう。
50年後にフェロミナはその息子を探そうとするのだが、息子アンソニーを記録した書類は火災で燃えてしまっていて分からなくなっている。
その火災の事実がアンソニーを探す途中で判明するのだが、火災の原因が示されることで物語はミステリー性も含んでくる。
サスペンス映画のような緊迫した盛り上がりはないのだが、フェロミナとシックススミスの会話が随分と楽しませてくれて、逆にほのぼのとした雰囲気を楽しませてくれる。
二人の対比は面白い。
フェロミナは機内の飲み物が無料だと知って喜ぶし、ホテル料金は朝食付きだと知って一杯食べようとしているから暮らしは楽な方ではないのだろう。
アンソニーの暮らしぶりを知って「私といればこの生活はなかった」と度々言っているから、その気持ちは修道院を心底憎む気持ちになれない要因の一つなのだろう。
シックススミスはオックスフォード出身で高級住宅街に棲んでいるから上流社会の人間なのだろう。
その対比も面白いが、宗教に対する考え方の違いが、それ以上に二人の関係を面白くしている。
フェロミナは修道院でひどい仕打ちにあっていながらも信心深い老女である。
一方のシックススミスは神の存在を否定しているような男である。
正反対の宗教観を持っている二人なのだが、激しい宗教論争を展開するわけではない。
シックススミスは何かにつけて皮肉とユーモアを織り交ぜて話すのだが、それを受け流すフェロミナとのやり取りがこの作品の魅力となっている。

アメリカ人の養子となったアンソニーがレーガンやブッシュの法律顧問になっていたことは、これがフィクションなら出来過ぎで白々しくなるエピソードなのだが、話は事実に基づいているということで、こんなことってあるのだなあと驚いてしまう。
アンソニーの足跡を追う中でフェロミナの心は揺れ動くが、彼女がそうなる気持ちは痛いほどわかる。
ジュディ・デンチはやはり上手い。
僕にキャサリン・ヘプバーンを髣髴させた。
アンソニーのパートナーだった男に見せてもらったビデオから驚愕の事実が判明する。
ここから繰り広げられるフェロミナ、シックススミス、修道女の対決が僕には一番印象深い。
僕は断然シックススミス派である。
これはカトリックへの攻撃であると言えなくもないが、それでも普通に見ればシックススミスだろう。
「私はあなたを許します」というフェロミナは心底イエスに帰依している人なのだろうが、仏教徒の端くれである僕は本能的に宗教に対して素直になれていないのだ。
その気持ちがシックススミスに共感させてしまうのだろう。

愛にイナズマ

2024-04-06 09:00:51 | 映画
3巡いたしましたが振り返れば重複して紹介した作品もあったようです。
記録を辿りながら思い出したものを引き続き紹介していきます。

「愛にイナズマ」 (2023) 日本


監督 石井裕也
出演 松岡茉優 窪田正孝 池松壮亮 若葉竜也
   仲野太賀 趣里 高良健吾 MEGUMI
   三浦貴大 芹澤興人 北村有起哉
   中野英雄 益岡徹 佐藤浩市

ストーリー
26 歳の折村花子(松岡茉優)は気合いに満ちていた。
幼い頃からの夢だった映画監督デビューが目前に控えていたからだ。
花子は突然いなくなった母を含む自分の家族をテーマに描こうとしていた。
花子の若い感性をあからさまにバカにし、業界の常識を押しつけてくる年上の助監督(三浦貴大)には困りものだが、空気は全く読めないがやたら魅力的な舘正夫(窪田正孝)と運命的な出会いを果たし、ようやく人生が輝き出した矢先…。
卑劣で無責任なプロデューサー(MEGUMI)に騙され、花子は全てを失ってしまう。
ギャラも貰えず、大切な企画も奪われた。
失意のどん底に突き落とされた花子を励ますように正夫が「夢をあきらめるんですか」と問いかける。
「そんなワケないでしょ。負けませんよ、私は」静かに怒りをたぎらせ闘うこと誓った花子が頼ったのは、10 年以上音信不通だったどうしようもない父(佐藤浩市)と兄の誠一(池松壮亮)、雄二(若葉竜也)だった。
正夫と家族を巻き込んだ花子の思いもよらない反撃が始まる。
そんな中で正子たちは海鮮レストランを営む則夫(益岡徹)から意外な事実を知らされる。


寸評
この映画は前半と後半に別れているのだが、映画監督として不当な扱いを受ける正子の悪戦苦闘ぶりからスライドして家族の相互理解と再生に変化していく。
その変化が非常に面白い。
前半部分は石井裕也の経験談か、あるいはグチとも思える内容である。
五社体制が京子だった時代では、専属監督、専属俳優の仕組みがガッチリしていて、監督を目指す人は助監督として何名かの先輩監督につき監督業を学んでいたのだと思う。
三浦貴大が演じる助監督の荒川はそんな時代の生き残りのような男である。
「こんなやり方ありえない、業界の常識だよ」と先輩風を吹かせ、なにかと理由付けを求めてくる嫌味な助監督だ。
嫌悪感を抱かせる助監督や原というプロヂューサーの存在は、いきなり監督デビューする若い映画作家たちの反撃とも思える。
正子は「監督は病気で降板しました」ってことにされて降ろされてしまう。
この正子のキャラクターは、石井裕也の処女作「川の底からこんにちは」における満島ひかりの佐和子と同じだ。
石井裕也はこんな感じの女性が好きなのかもしれない。
実際、満島ひかりとは結婚していた時期もあった。

後半の雰囲気はガラッと変わるが、ここからは面白い。
コロナ禍や闇バイトなど、今を騒がせる社会も描き込まれていく。
レストランで大ぴらに闇バイトの話をする奴は実際にはいないだろうと思われるが、長男を意識している誠一は注意にいきボコボコ(?)にされる。
彼はコロナ禍の振る舞いを注した学生と注意された男二人のもめ事を止めに入ってノックアウトされた正夫と同類だ。
まったく違う性格と思われた二人が、実は同じような気性の持ち主だったという事だろう。
見た目では分からないのが人の内面なのだ。
その内面性はコントロールの効かない行動を起こさせ、敬虔なクリスチャンである次男の雄二も「俺も行く!」と叫ぶ。
思いもよらなかったことが突然起きるのが人生で、人生はコントロール不可能なのだと言っているようでもある。
世界中が新型コロナに翻ろうされたこともそうなら、母親が突然いなくなったことそうなのだ。
そして人は普段から演技をしていて、自分の真実を隠している所がある。
争いを避けるために不本意ながらも同庁の笑みを帰すし、反論を避けるような所もある。

正子は手持ちカメラを持ち歩き、正夫はスマホを利用して撮影を行っているのだが、彼らのとる映像がサイズを変えて挿入される。
それは彼らが見て感じた真実の映像なのだろう。
家族崩壊は突然起きた予期せぬ出来事だったのかもしれないが、彼らは再生を果たしたように思える。
正子と正夫は雷に打たれたように、二人は突然愛を感じ始めるが、これから先は二人が紡いでいくことだ。
コントロールできないことは起きるが、完璧でなくてもある程度は何とかなるもので、「山よりでかいシシは出ん」であり「この世で起きたことはこの世で治まる」と言うことなのかな。

ワンダフルライフ

2024-04-05 17:55:45 | 映画
「ワンダフルライフ」 1999年 日本


監督 是枝裕和
出演 ARATA 小田エリカ 寺島進 内藤剛志
   谷啓 伊勢谷友介 由利徹 横山あきお
   原ひさ子 白川和子 吉野紗香 志賀廣太郎
   内藤武敏 香川京子 山口美也子 木村多江
   平岩友美 石堂夏央 阿部サダヲ

ストーリー
月曜日。木造の建物の事務所に、所長の中村(谷啓)、職員の望月(ARATA)、川嶋(寺島進)、杉江(内藤剛志)、アシスタントのしおり(小田エリカ)たちが集まってきたが、彼らの仕事は死者たちから人生の中で印象的な想い出をひとつ選んで貰い、その想い出を映像化して死者たちに見せ、彼らを幸福な気持ちで天国へ送り出すというものだ。
火曜日。死者たちは、それぞれに印象的な想い出を決めていく。
戦時中、マニラのジャングルで米軍の捕虜になった時に食べた白米の味を選んだおじいさん、子供を出産した瞬間を選んだ主婦、幼少時代、自分を可愛がってくれた兄の為にカフェーで「赤い靴」の踊りを披露した時のことを選んだおばあさん、パイロットを目指してセスナで飛行訓練した時のことを選んだ会社員などなど。
だが、中には想い出を選べない人もいた。
渡辺(内藤武敏)という老人は、自分が生きてきた証を選びたいと言うが、それが何か分からない。
伊勢谷(伊勢谷友介)という若者は、あえて想い出を選ぼうとしなかった。
水曜日。今日は、想い出を決める期限の日だ。
望月は担当の渡辺に彼の人生71年分のビデオを見せることにした。
望月はモニターに映った渡辺の妻・京子(石堂夏央)の顔に一瞬目を奪われるのだった。
木曜日。撮影クルーの入念な打ち合わせの後、スタジオにセットが組まれ、撮影の準備が進んでいく。
金曜日。撮影の日である。渡辺も漸く想い出を選ぶことが出来た。
土曜日。死者たちは、再現された自分たちの想い出の映画を観て天国へと次々に旅立って行った…。
今週の仕事を終えた望月は渡辺からの手紙を見つけたが、そこには望月と京子のことが書かれていた。
実は、この施設で働く職員は皆、想い出を選べなかった死者たちで構成されており、先の大戦で京子の愛を確信するまでに到らないまま彼女と死別した望月は、彼女との想い出を選べないでいたのである。


寸評
ありそうな題材だが、それをドラマチックに描くのではなく、まるでドキュメンタリー映画のように撮っているので作品の在り方として新鮮に感じる。
所長の中村が「今週は先週よりも多い22名を送り出すことになる」と発表するので何が始まるのかと思っていると、あるおばあさんが昨日死んでいると伝えられることでこの映画の世界をイメージすることになる。
送り出される人たちは千差万別で色んな思い出を語り始める。
演じているのは内藤武敏や由利徹 、白川和子、伊勢谷友介など知った顔もあるが、市井の人が語っていると思われるような人も多くて、その自然な語りのシーンはドキュメンタリー番組を見ているような印象を受ける。
聞かれている内容は「人生の中で一番印象的な思い出は何か」ということで、見ている僕も同じ問いかけを自分自身にしていて、意識は画面に半分、自分の頭に半分となっている。
たった一つを挙げるとすれば・・・と思い出を辿ることになる。
幼少の頃からの成長過程での出来事、高校、大学の青春時代の甘酸っぱい思い出が頭をよぎる。
社会人として経験したこと、結婚とその後の家庭生活なども加えて、一番の思い出を探すが中々ひとつに決めきれず、もしかすると僕も一つを言えないのかもしれないと思ってくる。
たくさんありすぎる幸せな人生だったのかもしれないとも思うのだが、一つを挙げることの難しさにもぶち当たる。
苦しかったことが今となっては楽しい思い出ともなっているので随分と厄介な作業である。

渡辺と会話を交わす中で、望月は「私たちの世代は」という言葉を口にする。
そのことで望月も戦死している人物だと分かるのだが、アッと驚く急展開という風ではない。
告白される内容は興味深いものではあるが、ドラマ的演出を避けてきていたので、僕も知らず知らずあちらの世界に入り込んでいたのかもしれず、ごく自然にその事実を受け入れることが出来るようになっている。
川嶋も残してきた子供のことが気にかかり成仏できないでいる。
3歳の子供が成人するまで見届けるということで、この職員たちの立場が明確になるという脚本はよくできている。

語られた話を映像化する場面は興味津々だ。
ディスカッションは映画制作の現場そのもので、それぞれが撮影のアイデアを出しあって作品を撮りあげていこうとしているのにくすぐられるし、セットの撮影現場や飛行機と雲の特殊効果に工夫を凝らす場面などは、多分に楽屋落ち的なところがあって、16ミリで映画製作をした経験のある僕は随分楽しめた。

京子の愛を確信するまでに到らないまま彼女と死別した望月は、彼女との想い出を選べないでいたのだが、自分も人の幸せな想い出に参加していることの素晴らしさを知る。
望月がそのことを語るシーンに僕は感動すると同時に、僕が楽しい思い出としている青春の恋を、彼女も楽しい思い出としてくれているだろうかとの思いが頭の中をよぎった。
面白いのは、あちらの世界に行ってしまっているはずのしおりが秘かに望月に思いを寄せていることだ。
しおりはあちらの世界で一番の思い出を得たことになるが、それは彼女の行っている仕事と相容れないものだ。
そのふくらみがあればもっと面白くなっていたかもしれないなと思ったが、それだとこの作品のドキュメンタリー的演出は消え去り、ファンタジー恋愛ドラマに模様替えしてしまうから、やはりこれでよかったのだと納得。

我等の生涯の最良の年

2024-04-04 07:04:50 | 映画
「我等の生涯の最良の年」 1946年 アメリカ


監督 ウィリアム・ワイラー
出演 フレドリック・マーチ マーナ・ロイ
   テレサ・ライト ダナ・アンドリュース
   ヴァージニア・メイヨ キャシー・オドネル
   ホーギー・カーマイケル ハロルド・ラッセル

ストーリー
軍用輸送機B17に乗り合わせた中年の銀行員だった元歩兵軍曹アル、元青年飛行大尉だったフレッド、両手に鉄のカギのついた義手を持つ若い元水兵のホーマーの復員兵三人は同じ故郷の町の飛行場に着く。
ホーマーは両親と妹と恋人のウイルマに迎えられたが、彼の義手を見た母は泣き出してしまう。
アルは妻ミリーが相変わらず女盛りの美しさであるのがうれしかった。
4年前に少女だった娘ペギーが美しい一人前の女となり、息子ロブも生意気な青年になっていたのが、何かしら勝手の違った感じで、その気持ちを精算するために、彼は妻と娘をつれてナイトクラブへ出かれる。
フレッドを迎えたのはアルコール中毒の父と自堕落な継母で、新婚3週目に袂を分かったマリーは家出してナイトクラブで働いているというので、彼はあてもなく妻を探しに飛び出す。
アルが妻と娘を伴ってプッチの酒場へ二次会として乗込むと、マリーを探しあぐねたフレッドが居て、やがてはれ物にさわるみたいに両親が気を使うので逆に堪らなくなったホーマーが来合わせる。
酔っているアルは二人の戦友を歓迎して大酒盛を始め、ついに彼とフレッドはのびてしまう。
ミリーたちは酔いどれ二人をアパートへ連れ帰り、正体もないフレッドをペギーの寝室に寝かせ、ペギーは客間のソファーに眠る。
ペギーの心使いを翌朝フレッドは感謝し、二人は好意以上の気持ちがわくのを感じる。
その日彼はマリーを下等なアパートで探し出したが、ペギーのやさしさに比べると教養のない、はしたなさと見苦しさが目立ち、二人の間に愛情がないことが感じられるようになる。
アルは銀行に復職し、副頭取に昇進して復員兵相手の貸付主任となったが、銀行の営利主義には腹立たしい気持ちをおさえきれない。
ホーマーは障害の身にひけ目を感じ、ウイルマの変わらぬ愛情もあわれみと解するほど、心がひがんで来る。


寸評
戦後すぐに撮られた作品で、日本との戦いを終えた復員兵三人を通じて、アメリカが抱えた戦後問題がソフトタッチで描かれている。
ソフトな描かれ方は太平洋戦争がアメリカの完勝で終わった為だと僕は思う。
彼らが復員した故郷の様子は戦勝国そのもので、この時期に日本映画が復員兵を描けば、町の様子はまったく違った風景だっただろう。
アルは無事復職を果たしたばかりか昇進もするのだが、子供たちの成長に戸惑い、戦争体験から自分の仕事の在り方に悩む。
フレッドは戦時中のトラウマに悩まされ、長い兵役の為に新婚間もなかった妻との関係はおかしくなっている。
ホーマーは両手首を失った傷痍軍人で周囲の人と元通りの関係が築けないでいる。
それぞれの役柄は戦後のアメリカに存在したであろう人々の代表でもある。
アルは「ジャップ」という差別用語を口にし、戦利品の日本刀と寄せ書きがある日章旗を息子にプレゼントする。
同時に息子のロブに「日本人は家族の絆を大切にすると聞いた」とか、「原爆投下による放射能が広島に与えた影響はどうだったのか」と日本擁護と思えることを代弁させて度量の広さを見せている。
アルのもとに融資を頼みに来た復員兵は、どの島も似たようなもので退屈だったが硫黄島だけは別だったというようなことを言っていたが、激戦で多くの米兵が亡くなったことも忘れるなと言いたいのだろう。

フレッドに代表されるように当時のアメリカにおいては復員兵の就職問題は深刻だったのだろう。
政府と銀行の折半による貸付制度が行われていたようだが、アルは担保主義の貸付業務に疑問を感じる。
復員兵に担保などなく、その業務の矛盾を突くアルのスピーチが面白い。
「攻撃を命じた上官に安全の担保はあるかと聞いたところ、担保はないと言うので攻撃しなかったら、その戦いに負けた」というアメリカ人お得意のジョークだが、アルはウケを狙ったものではなく、アルに笑みはない。
復員兵への貸付制度運営に対する批判であろう。
アルは娘の父親としての姿も見せ、登場人物の中では一番多様な面をもつキャラクターだがフレデリック・マーチは巧みに演じている。
ホーマーは自分の身体的ハンデを気にして恋人のウイルマとの結婚をためらっているのだが、ウイルマは変わらぬ愛を注いでいる。
ウイルマは負傷して帰還した男性に対するアメリカ人女性の鏡的存在であったような気がする。
僕は、「アメリカ人女性よ、負傷兵にウォルマのような優しい気持ちを注ぎなさい」と言っているように思えた。
その意味では啓蒙作品でもある。
フレッドの話はありそうな話ではあるが、この作品においてはアクセント的な役割を果たしている。
ペギーはフレッドとの関係において、「ずっと幸せな夫婦だったパパとママにはわかりっこない」と反撥した時に、母親でもあるミリーが「幸せな夫婦に見える自分達も結婚生活の中でこれまでに様々な問題を抱え、離婚寸前の関係を何度も修復してきた」と話すのだが、これなども夫婦生活とはそのような物なのだと言っているようで、母親から娘への叱咤激励だったと思う。
題名通り、最後は大、大ハッピーエンドで甘さを感じるが、終戦直後となればこのようなラストでなければならなかったであろうと思う。

若草物語

2024-04-03 07:19:08 | 映画
「若草物語」 1949年 アメリカ


監督 マーヴィン・ルロイ
出演 ジューン・アリソン マーガレット・オブライエン
   エリザベス・テイラー ピーター・ローフォード
   ジャネット・リー メアリー・アスター
   C・オーブリー・スミス ロッサノ・ブラッツィ

ストーリー
アメリカ東北部の町コンコードのマーチ家には、メグ、ジョー、エミイ、ベスの4人の姉妹がいた。
父は南北戦争に出征していて留守宅は貧しかったが、やさしい母と平和に暮らしている。
マーチ家の隣は大金持ちのロウレンス家だが、姉妹たちにとっては恐そうなおじいさんの独り暮らしゆえ、交際はなかったのだが、クリスマスの朝にジョーが家の前で出会ったのは先日から来ていたロウレンス老の孫ロウリイと、その友人ブルックの二人だった。
姉妹の中でも一番快活なジョーが、ある朝ロウリイの部屋の窓に雪だまを投げ彼と友達になったことから、マーチ家とロウレンス家の親交は急速に深まった。
ある日、ロウレンス家で開かれたパーティーに姉妹は招かれ楽しい時を過ごしたが、ジョーがロウリイと踊ったことが来客の嫉妬の的になり、清い友情を信じていたジョーの心は傷つけられた。
やさしいベスは気むずかしやのロウレンス老と仲好しになり、好きなピアノを弾くことができるようになった。
出征中の父が負傷し、ワシントンで入院したので、母が看護にゆかねばならなくなった。
母の留守中、ベスは貧しい近所の娘の病気を看護したことから猩紅熱に冒され、命はとり止めたものの彼女の小さな体は胸を蝕まれていた。
ベスの病中ロウレンス家との交際はますます深まり、長女メグはブルックと結婚することになった。
結婚式の日、ジョーはロウリイに愛を打ちあけられたが承諾することはできなかった。
心に空虚を抱いてジョーは、かねての希望の作家としての勉強のためニューヨークへゆき、カーク夫人の家で家庭教師となった。
夫人の家でドイツ人の音楽教授バールと知り合い、2人の友情は清い愛へと成長していた。
叔母の家に引きとられていたエミイは欧州へ旅立つことになった。


寸評
次女のジョーの方が長女のメグよりも年上に見えてしまうのは致し方がないと思うが、それでも次女ジョーのジューン・アリソンが快活な女の子を演じていて魅力たっぷりである。
ジューン・アリソンはこの時32歳だったらしいが年齢を感じさせていない。
物語の中で悪人が一人も出てこないので安心して見ることができる健康的な作品だ。
次女のジョーを中心とする四姉妹の物語だが、四人の性格が全く違うのでそれぞれのエピソードに変化がある。
マーチ家はかつては裕福だったが父親が投資に失敗して苦しい生活を強いられている。
貧しい家庭なので何かあると伯母さんからお金を工面してもらっているが、画面からは本当にお金に困っているようには感じ取れない。
多分、四姉妹の仲が良くて楽し気に暮らしているからそう感じるのだろう。
姉妹の間に確執など存在しない実に微笑ましい姉妹である。

次女のジョーと4女のベスは正反対の性格である。
ジョーは活発な女性で誰に対しても物おじしないのだが、ベスは引っ込み思案で人見知りも激しく、人前でピアノを弾くとも出来ない。
老人からピアノをプレゼントされた内気なベスが一人でお礼を言いに行くエピソードはじーんとくる。
元気はつらつなジョーに対して、ベスは猩紅熱にかかったこともあり病弱である。
ジョーは作家志望で、後にベスをモデルに小説を書くことになる。
三女のエミイを演じているのが、後に大女優となるエリザベス・テイラーで、その美貌は群を抜いている。
さすがに後年は貫禄十分な体型になったが、この頃は美人女優と言えばエリザベス・テイラーだった。
彼女は伯母さんのヨーロッパ旅行に同行し渡航先で結婚するのだが、このエピソードを描きこめば作品が重くなってしまうためなのか全く描かれておらず結果報告で終わっている。
長女のメグは隣の裕福な家に来ていたブルックと結婚することになるが、4人の中ではメグのジャネット・リーが一番影が薄い。
長女の性格設定によるのかもしれない。

不幸な出来事はあったが、マーチ家は絵にかいたような家庭である。
母親は賢婦人であり、姉妹たちは母親思いだし、父親を愛している。
お小遣いを供出して母親へのクリスマスプレゼントを用意したり、自分の髪を売って旅費を工面したりしている。
ハッピーエンドに向かって最後には家族が全員そろうことになる。
メグには双子の子供が生まれている。
エミイは思わぬ人と結婚して帰ってくる。
ジョーはベスの事を描いた本が出版されることになり、それを届けてくれたバールと結婚をするようだ。
ジョーは上流社会が好きでないし、小説を書く自分を理解してくれない人とは一緒になる気がなかったのだが、バールはジョーにとって条件を満たす人だ。
何もかもが上手くいき、めでたしめでたしで終わるのは、古き良き時代の映画の描き方だったように思う。

ワイアット・アープ

2024-04-02 07:41:17 | 映画
「ワイアット・アープ」 1994年 アメリカ


監督 ローレンス・カスダン
出演 ケヴィン・コスナー  デニス・クエイド
   ジーン・ハックマン  イザベラ・ロッセリーニ
   マイケル・マドセン  デヴィッド・アンドリュース
   リンデン・アシュビー トム・サイズモア
   ビル・プルマン    マーク・ハーモン
   ジェフ・フェイヒー

ストーリー
1800年代、アイオワ。
ワイアット・アープ少年は厳格な父ニコラスに家族の絆の強さと正義を教え込まれて育った。
成長したワイアットは、ミズーリ州で法律を学び、美しい娘ウリラと恋に落ち、結婚した。
だが幸せは長く続かず、彼女は彼の子を身ごもったまま若くしてチフスで亡くなる。
思い出の家に火を放ち、街を出たワイアットは酒浸りの日々を送り、ついに馬泥棒で拘置所入り。
保釈金を積んで彼を助けてくれた父によって彼は目を覚まし、以後は酒は一滴も口にせず真面目に働く。
数年後、兄ジェームズを訪ねてウィチタにやって来たワイアットは、誰も手が付けられぬ酔っぱらいを持ち前の豪胆さと銃の腕前で取り押さえたのがきっかけで保安官のバッジを与えられる。
やがてダッジ・シティの連邦副保安官となったワイアットは、兄ヴァージル、弟モーガンと共に、法の執行者として町に尽くす。
ある時、彼は肺病病みだが銃の腕は確かな男、ドク・ホリデイと知り合い、2人は親友となる。
ワイアットは、誰も自分に銃を向けてこない生活を望み、兄弟たちとアリゾナ州トゥームストーンに移った。
この町で彼は、ジョージーという美しい踊り子と結ばれた。
一方、町は凶悪なクラントン一家とマクローリー一家のために無法状態となっていた。
アープ兄弟は力を合わせて戦うが、ついに決闘の日を迎え、ドクを加えた4人はOKコラルへ向かう。
至近距離での銃撃戦が展開した末に勝利するが、最愛の弟モーガンが殺された。
復讐を誓うワイアットはジョージーの制止を振り切り、ドクと共に死地へ向かう・・・。


寸評
ワイアット・アープは日本人にも馴染み深い保安官の一人である。
そしてOK牧場の決闘で知られているが、映画はそのOK牧場の決闘に向かう場面から始まり、すぐに少年時代のアープに画面は変わる。
その頃のアープに影響を与えるのが父親のニコラスで、広大なトウモロコシ畑を有しているがアープに法律を学ばせ法律事務所を開きたい願望を持っている。
畑を守るのがお前の役目だと言いながら、新天地でさらに飛躍するために西へ向かうのだが、当時の開拓者たちはそうだったのだろうか。
広大な畑を捨てて新天地へ向かうのには大きなリスクが伴うと思うのだがアープ一家は西を目指す。
父親の教えは、法を破る悪人がいたら先制攻撃でやっつけろというもので、後のアープの行動に影響を与えていると思うのだが、その事は深く描かれてはいない。
もう一つ、信用できるのは血のつながりで家族は団結しなければいけないということである。
この教えはアープ一家の兄弟たちにしみ込んでいるようで、アープは妻は取り換えが効くから兄弟の結びつきの方が強いと言い放っている。
父親は牢屋に入れられたアープを保釈金を払って牢屋から出して逃亡させるのだがそれ以後は登場しない。
重要人物としてジーン・ハックマンが演じているのだが、あの父親はどうなったのかと思ってしまう。

ワイアット・アープの伝記映画として事実に近い描き方がされているという感じはする。
ウリラ・サザーランドと愛し合って結婚するが、ウリラがチフスで死んでしまうのは事実のようだ。
アープはウリラを失って自暴自棄になり、家もろとも思い出ある品を燃やしてしまい酒浸りの生活に入ってしまう。
金に困り物乞いをし、さらに馬泥棒迄して逮捕されてしまう。
重要な資産である馬を盗むことは当時では死刑となる重い犯罪なのだが、そこまで落ちぶれたアープの姿はあまり描かれてこなかった。
カンザス州ウィチタの保安官事務所で働き、その後やはりカンザス州のドッジシティで保安官助手に任命されたが、やり方の荒っぽさからドッジシティを追放され、アリゾナ州のトゥームストーンに移り住んだというのも史実らしい。
そこでは農業のかたわら賭博場の胴元をやり、売春宿も経営していたらしいので単純に法の番人としてやっていたのではなさそうだ。
作中でも保安官バッチをつけて賭博の胴元をやっているシーンがあった。
農業の利権をめぐってクラントン一家ともめ事を起こしOK牧場の決闘に至ったとする作品もあるが、ここではクラントン一家とマクローリー一家の武装解除を発端としていて、こちらの方が本当かもしれない。
三角関係のもめ事も起こしているし、ワイアット・アープはイメージしている好漢ではなかったのかもしれない。
伝記映画として史実を追及していると思われるが、ワイアットとジョージーは本当にアラスカに行ったのだろうか。

OK牧場の決闘も、その後の復讐劇もイマイチ盛り上がりに欠ける描き方だし、人物描写が全くないので誰だ誰だか分からない印象もあるので、中だるみ感は単に尺が長すぎることだけにあるのではなく演出そのものにあるような気がする。

ロッキー・ザ・ファイナル

2024-04-01 06:58:29 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2019/10/1は「大脱走」で、以下「タイタニック」「大統領の理髪師」「ダイ・ハード」「台風クラブ」「太平洋ひとりぼっち」「大菩薩峠」「大菩薩峠」「大菩薩峠 第二部」と続きました。

「ロッキー・ザ・ファイナル」 2006年 アメリカ


監督 シルヴェスター・スタローン
出演 シルヴェスター・スタローン バート・ヤング
   アントニオ・ターヴァー ジェラルディン・ヒューズ
   マイロ・ヴィンティミリア トニー・バートン
   タリア・シャイア マイク・タイソン

ストーリー
ロッキーが伝説のヘビー級王者として激闘を繰り広げていた時代から長い年月が過ぎた。
老境に入ったロッキーは現在も名士としてファンに愛されながら、地元フィラデルフィアで今は亡き妻エイドリアンの名前を冠した小さなイタリアン・レストランを経営し、かつての自分の活躍を語り部としてレストランの客に聞かせる生活を送っていた。
エイドリアンの命日、独立した息子ロバートが墓参りに訪ねてこないことを寂しく思いながら、義兄ポーリーと共にエイドリアンとの思い出の地を巡り、フィラデルフィアで過ごした青年時代を回顧する。
ある日テレビ番組の企画で、現世界ヘビー級チャンピオンであるメイソン・ディクソンと現役時代のロッキーとのバーチャル試合が組まれ、大きな話題となる。
コンピューターが弾き出した試合の結果はロッキーのKO勝利、評論家も大半がディクソンよりもロッキーを評価していた。
しかし、ロッキーがたまたま目を留めた次の週の番組では、別の評論家が「ロッキーは既に過去の人間であり過大評価されているだけだ」と試合結果に対して痛烈な批判を浴びせていた。
それを見たロッキーは、自分の中にボクサーとしての情熱が蘇ってくるのを感じていた。
ライセンス発行を渋る体育協会を説得し、ロッキーはプロボクサーとして復帰。
しかしローカルな小試合での復帰戦を目指していたところへ、唐突にディクソンとのエキシビジョンマッチが申し込まれ、それを知ったロバートは、偉大なボクサーだった男の息子であることの苦悩を父にぶつけるが、ロッキーは逆に困難に立ち向かうことの大切さを説き、ロバートに復帰への協力を求める・・・。


寸評
「ロッキー・バルボア」という原題が示す通り、これはロッキー・バルボアという男の辿った人生物語だ。
16年ぶりとなる続編で、ロッキー(シルヴェスター・スタローン)は歳をとっているし、第一作からの出演者であるポーリー(バート・ヤング)も、元はアポロのトレーナーだったデューク(トニー・バートン)も皆歳をとっている。
16年も経ってからの「ロッキー」なので当然なのだが、その間にスタローンの演出力も上達していたようだ。

まず、息子のロバート・バルボア・ジュニアが父親の名声のために苦しんでいる姿が描かれる。
何かにつけ父親が引き合いに出され、時には父親の名前は役に立たないぞとかの嫌みも浴びせられる。
何処に行ってもロッキーの息子と言われ自分を見失っているようだ。
独立したロバートはロッキーの店にも寄り付かないし、どこか避けているようで母の墓参りにも来ない。
当然会話も少なく、親子としての絆も切れてしまっているようだ。
そんな息子にロッキーは「自分の失敗を人のせいにするな!」と叱る。
著名な父親を持った息子が実力を発揮できずにもがいている姿が、しつこくない程度に上手く描けている。

現役時代に説教して家に帰した不良少女が今は中年女性となっていて、ジャマイカ人との間に出来た子をかかえてバーテンダーをしている。
ダンナは蒸発していて、ロッキーはその親子に何かと世話を焼く。
その姿は疎遠になったロバートの身代わりとしてつくしているようでもある。
ロッキーはその中年女性マリーを自分のレストランで雇うことにする。
かつてのエイドリアンの姿を見たのかもしれない。
ロッキーは癌で亡くなった妻のエイドリアンを今でも愛していて、店の名前をエイドリアンとしているし、二人の思い出の場所巡りを毎年の命日に行っている。
それを知るマリーは陰ながらロッキーを思いやる。
かつて戦った相手も店の常連客として登場しているが、昔説教したことのあるこの中年女性の登場は良かった。

エキシビジョンマッチを行う相手は現ヘビー級チャンピオンのディクソンなのだが、このチャンピオンは強すぎて人気がない。
すぐに相手をノックアウトしてしまうので試合が面白くないのだ。
人気が出て興行収入が得られると言うことでロッキーとの対戦が組まれるのだが、さすがにこれには違和感があって、50代の男がいくら鍛えたからと言って、現役のチャンピオンと互角に戦えるほどボクシングは甘くないと思う。
しかし、それを見せるのが映画だと言われれば一言もないのだが。
実際、試合のシーンは応援するロッキー側の様子も挿入されて盛り上がりを見せる。
映画の力はスゴイと感じさせる。

エンドクレジットで、フィラデルフィア美術館の階段を駆け上がりジャンプする人たちの姿が映し出されるが、僕だってあの場所に立てば同じ行動を取ってしまうだろう名シーンだ。
でもそれは第一作で描かれていたシーンだった。 やはり「ロッキーシリーズ」は第一作だ。