おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

股旅

2021-11-28 08:11:34 | 映画
「股旅」 1973年 日本


監督 市川崑
出演 萩原健一 小倉一郎 尾藤イサオ
   井上れい子 常田富士男 夏木章
   加藤嘉 大宮敏充 二見忠男
   野村昭子 和田文夫 加茂雅幹

ストーリー
よれよれの道中合羽に身をつつんだ若い男が三人、空っ腹をかかえて歩いている。
生まれ故郷を飛び出し、渡世人の世界に入った源太、信太、黙太郎である。
流れ流れて三人は、二井宿・番亀一家に草鞋をぬいだ。
源太はここで偶然、何年も前に母と自分を置き去りにして家出した父・安吉と再会した。
夜、源太は安吉の家に行く途中、百姓・又作の家の井戸端で、若い女房のお汲が髪を洗っているのをみた。
背後からお汲に組みついた源太は、あばれるお汲を納屋につれこんだ。
翌日、安吉が、番亀の仇敵の赤湯一家と意を通じ、壷振りと組んでイカサマをやり、番亀一家の評判をおとそうとしたのがばれ、憤怒した番亀は、渡世人の掟を破った親父の首を持ってこいと源太に命じた。
親父を斬ることはない、と引止める黙太郎と信太に「義理は義理だ」と源太は飛び出したが、安吉は留守。
気抜けした源太は、お汲の家に行き「俺と逃げないか」と声をかけた。
やがて安吉の家へ引返した源太は、長脇差を抜き放ち、驚く親父に斬りかかった…。
やがて、源太は僅かな草鞋銭を渡され、番亀を追い出されたが、黙太郎、信太、そしてお汲も一緒だった。
途中で信太が竹の切株で足を傷つけ熱を出し、お汲の亭主の息子の平右衛門がお汲をつれ戻しに来た。


寸評
格好良さからかけ離れたアウトロー三人の姿が痛々しい。
主人公の三人は、ほとんどの若者がそうであるように、野望や希望は持ってはいるものの、おおよそそれらは夢に終わり、現実は満たされない生活を強いられている。
渡世人とはいえ、彼等の姿はボロボロの三度笠に、つぎはぎだらけの道中合羽といういで立ちである。
一応ヤクザ者としての仁義は人並みに切るのだが、仁義を切る信太や源太が地方なまりなら、受ける相手も地方なまりで、映画自体も格好のいい男を描いているわけではない。
要するに、登場人物総てがアンチ・ヒーローなのだ。

一宿一飯の恩義に預かると、草鞋を脱いだ一家の頼み事は断ることが出来ず、縄張り争いの出入りにも駆り出されるのだが、そこで繰り広げられる乱闘ははなはだ滑稽なものだ。
誰も死にたくないから、格好だけをつけた殺し合いを演じる。
別に剣客でもないからその立ち回りは刀を振り回すだけの不細工なものである。
しかし彼等は意地だけは示さねばならないから、精一杯の出入りを演じている。
70年安保闘争も終わり、学園闘争も潮が引くようになくなっていった時代背景の為か、彼等の姿からは望みは金と力のある大親分の盃をもらい、ひとかどの渡世人になるという小市民的なものしか感じられない。
世の中を変えようとか、自分も大親分に出世しようとかの大それた夢を抱いていない。
第一、頼みの親分は裏切った父親を殺してこいと命じておきながら、これも渡世の義理と泣く泣く殺してくれば、親殺しは大犯罪だから支援してやることはできないと追い出してしまうのである。
親分だってヒーロー像とは程遠い利己的な存在である。

ヒロインともいえるお汲(オクミ)は金に困った百姓一家から、老人の嫁にと売られてきた娘である。
息子の平右衛門が親父の後釜を狙っているようなところがあり、お汲は迎えに来た平右衛門を殺してしまう。
そして金に困った源太のために再び身売りされてしまうのだが、その身の上に同情が湧かない描き方だ。
お汲にちょっかいを出そうとした信太は足の裏を怪我して、今でいうところの破傷風にかかって苦しむ。
その苦悶の姿は不細工であり、破傷風で死ぬなんて渡世人としては不様な死に方だ。
渡世人の義理を立てるか、世渡り上手に生きるかで源太と黙太郎は争いを起こすが、その結末は実にあっけないものである。
これだと、ゴダールの「勝手にしやがれ」だ。
といっても黙太郎にとって源太は唯一の道ずれである。
なんだかんだ言っても友達と一緒がいいのである。
不細工だが、なんだか可哀そうになってくるラストである。
そんな風にして若者の夢が破れていっているようで、これまたなんだか悲しいものがある。
三人の中では出演者の中で一番癖のあると思われる萩原健一が目立たず、一番ひ弱そうに見える小倉一郎が彼に焦点を当てていることもあって最も光っている。
アンチ・ヒーローを描いた青春時代劇として、市川崑の才気走った演出も見られず、しみじみとしたものがあってスカッとはしないがじんわりくる作品で、股旅ものの傑編の一つに挙げても良いだろう。