「ぼんち」 1960年 日本
監督 市川崑
出演 市川雷蔵 若尾文子 中村玉緒 草笛光子
越路吹雪 山田五十鈴 船越英二 林成年
倉田マユミ 毛利菊枝 北林谷栄 菅井一郎
潮万太郎 中村鴈治郎 京マチ子
ストーリー
四代続いた船場の足袋問屋河内屋の一人息子喜久治(市川雷蔵)は、祖母・きの(毛利菊枝)、母・勢以(山田五十鈴)にすすめられ砂糖問屋から弘子(中村玉緒)を嫁に貰った。
河内屋四代目の喜兵衛(船越英二)は婿養子であり、きのと勢以の力は絶大だった。
妊娠した弘子は病気と偽って実家へ帰り、久次郎(五代千太郎)を産んだが、家風を無視されたきのと勢以は弘子を離別するよう図った。
昭和五年、弘子を離縁してからの喜久治は新町の花街に足を入れるようになった。
富の家の娘仲居・幾子(草笛光子)が好意をよせた。
父が死に、喜久治は五代目の河内屋の若旦那におさまった。
襲名の宴を料亭浜ゆうで開いたが、仲居頭のお福(京マチ子)にきのと勢以は魅せられた。
彼女を喜久治にとりもって娘を生まそうと企んだ。
喜久治は待合金柳で芸者ぽん太(若尾文子)と馴染みになった。
妾となったぽん太はしきたりに従って本宅うかがいに現われ、さすがの勢以も気をのまれた。
喜久治はまた幾子が芸者に出たのを知ると彼女も囲った。
ぽん太に男の子が生れ、きのは五万円の金で生れた子と縁切りをするよう言った。
日中戦争が始まり、世の中は不景気の一途を辿っていた。
喜久治は道頓堀のカフェーで女給比佐子(越路吹雪)とねんごろになった。
幾子が難産の後、子癇を起して死んだが、妾の葬式を旦那が出してやることは許されない。
喜久治はお福のはからいで浜ゆうの二階から幾子の葬式を見送った。
男泣きに泣く喜久治を、お福は自分の体を投げ出して慰めた。
寸評
大阪の船場が舞台だが、さすがに大映京都で撮っただけあって、出演者の関西弁に違和感がない。
女優陣のオンパレードで、演技を競っているかのようで、それぞれが持ち味をいかんなく発揮している。
船場の古いしきたりが度々語られるが、その内容は今や骨董品的でピンとこないものの、物語の中では重要なファクターとなっている。
河内屋は代々妾が産んだ女の子を養女にして婿養子を迎えている。
祖母のきのによれば、嫁が産んだ男の子が優秀かどうかわからないので、妾が産んだ女の子を養女にすれば優秀な婿養子が取れるという理屈である。
喜久治は男なので店を継ぐことになるが、祖母も母もそのような理由で外で女を囲うことを認めている。
その母も養女で祖母にべったりである。
亭主である喜兵衛は婿養子ながら、こっそりと女を囲っているしたたかな面も持っていて、船越がハマっている。
妾は本宅に挨拶に出向くものらしく、若尾文子の芸者ぽん太が本宅に挨拶に来て述べる口上が決まっている。
認められたお妾さんには本宅から手当てが出るらしいから、何とも摩訶不思議な風習である。
子供は認知されず、縁切りとするための十分すぎる手切れ金が渡され、それは一生食べていける額だというのもすごい。
ガチャマンと言われ、機織りの機械がガチャッと音を立てるたびに金が舞い込んだという繊維産業全盛時代の話なのだろうが、それを思うと繊維産業、船場の衰退は目を覆うばかりである。
河内屋の女二人が絶妙で、毛利菊枝と山田五十鈴が見事な掛け合いを見せる。
二人が嫁の弘子をイジメ、妊娠したかどうかをトイレで確かめる場面には思わず笑ってしまう。
あっさりと離縁されてしまうのもこの時代ならではなのだろう。
草笛光子の幾子が妊娠して、七色のものを身に着ける風習を見せるが、信心の甲斐もなく死んでしまう。
その葬儀のいきさつも、これまた船場の風習と言うことである。
とにかく店の威信が第一で、河内屋がケチったと言われる世間体を気にするのである。
もっとも、その意地が船場を支えていたのかもしれない。
お福の京マチ子はすでに恰幅のいい女性になっていて、きのと勢以にかける挨拶も心地よいもので、二人はお福が気に入ってしまう。
それはお福が立派な子供を産めると思ったからなのだが、お福は子供が産めない体と知った喜久治がきのと勢以を笑い飛ばすのも可笑しい。
そのような家族関係が何よりもおかしい(不思議という意味)のである。
そんな喜久治を演じた市川雷蔵がみごとな放蕩息子を演じ、「夫婦善哉」における森繁久彌とは一味違った、若さからくる色気を出していて好演だ。
僕は何十年も前にこの作品を見ていたのだが、最後に市川雷蔵がシルエット的に表に出ていくシーンが鮮明に残っていた。
だからこのシーンはいいシーンなのだと思う。
若尾文子、京マチ子、越路吹雪の三人が入浴している場面は貫録を感じさせたなあ~。
監督 市川崑
出演 市川雷蔵 若尾文子 中村玉緒 草笛光子
越路吹雪 山田五十鈴 船越英二 林成年
倉田マユミ 毛利菊枝 北林谷栄 菅井一郎
潮万太郎 中村鴈治郎 京マチ子
ストーリー
四代続いた船場の足袋問屋河内屋の一人息子喜久治(市川雷蔵)は、祖母・きの(毛利菊枝)、母・勢以(山田五十鈴)にすすめられ砂糖問屋から弘子(中村玉緒)を嫁に貰った。
河内屋四代目の喜兵衛(船越英二)は婿養子であり、きのと勢以の力は絶大だった。
妊娠した弘子は病気と偽って実家へ帰り、久次郎(五代千太郎)を産んだが、家風を無視されたきのと勢以は弘子を離別するよう図った。
昭和五年、弘子を離縁してからの喜久治は新町の花街に足を入れるようになった。
富の家の娘仲居・幾子(草笛光子)が好意をよせた。
父が死に、喜久治は五代目の河内屋の若旦那におさまった。
襲名の宴を料亭浜ゆうで開いたが、仲居頭のお福(京マチ子)にきのと勢以は魅せられた。
彼女を喜久治にとりもって娘を生まそうと企んだ。
喜久治は待合金柳で芸者ぽん太(若尾文子)と馴染みになった。
妾となったぽん太はしきたりに従って本宅うかがいに現われ、さすがの勢以も気をのまれた。
喜久治はまた幾子が芸者に出たのを知ると彼女も囲った。
ぽん太に男の子が生れ、きのは五万円の金で生れた子と縁切りをするよう言った。
日中戦争が始まり、世の中は不景気の一途を辿っていた。
喜久治は道頓堀のカフェーで女給比佐子(越路吹雪)とねんごろになった。
幾子が難産の後、子癇を起して死んだが、妾の葬式を旦那が出してやることは許されない。
喜久治はお福のはからいで浜ゆうの二階から幾子の葬式を見送った。
男泣きに泣く喜久治を、お福は自分の体を投げ出して慰めた。
寸評
大阪の船場が舞台だが、さすがに大映京都で撮っただけあって、出演者の関西弁に違和感がない。
女優陣のオンパレードで、演技を競っているかのようで、それぞれが持ち味をいかんなく発揮している。
船場の古いしきたりが度々語られるが、その内容は今や骨董品的でピンとこないものの、物語の中では重要なファクターとなっている。
河内屋は代々妾が産んだ女の子を養女にして婿養子を迎えている。
祖母のきのによれば、嫁が産んだ男の子が優秀かどうかわからないので、妾が産んだ女の子を養女にすれば優秀な婿養子が取れるという理屈である。
喜久治は男なので店を継ぐことになるが、祖母も母もそのような理由で外で女を囲うことを認めている。
その母も養女で祖母にべったりである。
亭主である喜兵衛は婿養子ながら、こっそりと女を囲っているしたたかな面も持っていて、船越がハマっている。
妾は本宅に挨拶に出向くものらしく、若尾文子の芸者ぽん太が本宅に挨拶に来て述べる口上が決まっている。
認められたお妾さんには本宅から手当てが出るらしいから、何とも摩訶不思議な風習である。
子供は認知されず、縁切りとするための十分すぎる手切れ金が渡され、それは一生食べていける額だというのもすごい。
ガチャマンと言われ、機織りの機械がガチャッと音を立てるたびに金が舞い込んだという繊維産業全盛時代の話なのだろうが、それを思うと繊維産業、船場の衰退は目を覆うばかりである。
河内屋の女二人が絶妙で、毛利菊枝と山田五十鈴が見事な掛け合いを見せる。
二人が嫁の弘子をイジメ、妊娠したかどうかをトイレで確かめる場面には思わず笑ってしまう。
あっさりと離縁されてしまうのもこの時代ならではなのだろう。
草笛光子の幾子が妊娠して、七色のものを身に着ける風習を見せるが、信心の甲斐もなく死んでしまう。
その葬儀のいきさつも、これまた船場の風習と言うことである。
とにかく店の威信が第一で、河内屋がケチったと言われる世間体を気にするのである。
もっとも、その意地が船場を支えていたのかもしれない。
お福の京マチ子はすでに恰幅のいい女性になっていて、きのと勢以にかける挨拶も心地よいもので、二人はお福が気に入ってしまう。
それはお福が立派な子供を産めると思ったからなのだが、お福は子供が産めない体と知った喜久治がきのと勢以を笑い飛ばすのも可笑しい。
そのような家族関係が何よりもおかしい(不思議という意味)のである。
そんな喜久治を演じた市川雷蔵がみごとな放蕩息子を演じ、「夫婦善哉」における森繁久彌とは一味違った、若さからくる色気を出していて好演だ。
僕は何十年も前にこの作品を見ていたのだが、最後に市川雷蔵がシルエット的に表に出ていくシーンが鮮明に残っていた。
だからこのシーンはいいシーンなのだと思う。
若尾文子、京マチ子、越路吹雪の三人が入浴している場面は貫録を感じさせたなあ~。