おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

マイ・フェア・レディ

2021-11-26 08:25:13 | 映画
「マイ・フェア・レディ」 1964年 アメリカ


監督 ジョージ・キューカー
出演 オードリー・ヘプバーン
   レックス・ハリソン
   スタンリー・ホロウェイ
   ウィルフリッド・ハイド=ホワイト
   グラディス・クーパー
   ジェレミー・ブレット

ストーリー
イライザ(オードリー・ヘップバーン)は花売り娘で、うすら寒い三月の風の中で声をはりあげて売り歩く。
ある夜、ヒギンス博士(レックス・ハリソン)に言葉の訛りを指摘されてから、大きく人生が変った。
博士の家に住み込むことになったのだ。
だが、今までの色々の苦労よりももっと苦しい何度も同じ言葉を録音するという難行を強いられた。
ある日、イライザの父親ドゥリットル(スタンレー・ハロウェイ)が娘を誘惑されたと勘違いして怒鳴り込んだが、貴婦人になる修業をしていると聞いて喜んだ。
それから4カ月、イライザは美しい貴婦人として社交界へデビューした。
アスコット競馬場ではイライザの美しさは群を抜き、名うてのプレイボーイ、フレディ(ジェレミー・ブレット)でさえが彼女につきまといはじめた。
陰で彼女を見守る博士とピカリング(ウィルフリッド・ハイド・ホワイト)は気が気ではなかった。
彼女の正体がばれたら、貴族侮辱罪で社交界から追放されるだろう。
彼女は誰にも気づかれずうまくやっていたが、各馬がゴール寸前になって興奮のあまり、つい地金を出してしまった。 だが、それもご愛嬌ですんだ。
つづく大使館のパーティでは完全なレディになっていた。 成功だ。
その夜、イライザは博士とピカリングの話を立ち聞きして驚き、怒った。
自分は博士の実験台にすぎなかったことを知り、思わず邸を飛び出した。
博士は、イライザの不在に淋しさを感じ、彼女を愛する心を意識した。
録音器の訛りの多い声を静かに聞きながら心を痛めていた。
ふと、その録音器が止まった。


寸評
惨めなアヒルが美しい白鳥に変身する物語でオードリー・ヘップバーンの代表作の一つである。
ミュージカル映画好きの僕であるのに、どうもこの作品がしっくりこないのは感性によるものだろう。
美しく変身する割にはヒロインがオードリーだけに、最初から可愛いのだ。
ヒギンス博士は男尊女卑的に、どうして女は男の様に振舞えないのかと言いながら、やたらと喋りまくるのが鼻につくし、物語の展開にキレを感じないのだ。
ジョージ・キューカーに馴染めないのかもしれないが、それはあくまでも個人的な感想である。
それでもイライザが社交界にデビューしてからのファッションには圧倒される。
特にアスコット競馬場のシーンにはうっとりしてしまって、ファッションを見ているだけでも楽しいものがある。
ヘップバーン演じるイライザは目を見開き、舌を出し、相手をののしるというひどいありさまで登場する。
たぶん僕は冒頭から繰り返されるオードリーのこの姿にしっくりこないものを感じてしまったのだろう。
僕の中のオードリーは「ローマの休日」、「ティファニーで朝食を」、「シャレード」などの中のオードリーであって、イライザは彼女に似つかわしくないと思ってしまったことによる。
それでも社交界にデビューしてからのオードリーはさうがと言う雰囲気で、やはり見とれてしまう。
少なからず僕は可憐なオードリーのファンだったのだと悟る。

ミュージカル映画なので多くの楽曲が唄われるが、僕の耳に残るのは「運が良けりゃ (With A Little Bit of Luck)」と「踊り明かそう (I Could Have Danced All Night)」である。
スタンリー・ホロウェイ演じるイライザのダメ親父が、運が良ければ辛いことからも逃れられると歌い踊る場面はぐうたらな僕も共感できてしまう楽しい場面となっている。
貧乏で飲んべえなこの親父はヒギンズ博士のジョークで大金を得てしまったために結婚しないといけなくなる。
そして式を控えた前夜からつまらない結婚生活に入る名残にと昔仲間たちとどんちゃん騒ぎをする。
ヒギンズ博士も結婚は自由を奪われるつまらないものだと言い、女性をバカにしている所がある。
どうもこの映画、結婚生活否定、男尊女卑の傾向が見て取れる。
時代が代われば大バッシングを受けそうな内容である。
吹き替えと言うことだが、オードリーの歌う「踊り明かそう」は幸せ感を我々にももたらせてくれる。
オードリー歌のシーンに関しては、一部の歌い出し部分などを除いてほぼ全てが別人の歌声による吹き替えらしく、そのことを知ったオードリーは立腹したとか。
吹き替えを担当したのはマーク・ニクソンという女性で、数々のミュージカル映画の歌声吹き替えを担当していて“アメリカ最強のゴーストシンガー”と言われていたとのことである。
どうやら、各女優特有の発音の仕方や声色までを似せて歌うことがどきたらしい。
アメリカ映画界には色んな人材がいるものである。
ラストシーンでイライザは落ち込んでいるヒギンズ博士の元へ帰ってくる。
イライザにはヒギンズ博士への愛を感じるが、ヒギンズ博士は彼女を愛するようになっていたのだろうか。
それともピカリング大佐同様に、いないと淋しいだけの存在だったのだろうか。
「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ大佐の様に、いつしか彼女を愛するようになっていたと言う感じがしなかったけどなあ・・・。