我が家は駅前商店街のはずれにあるが。
今では日本中の『商店街』の多くがそうであるように、この商店街もまた鄙びている。
車で出かけるような大型店に飲み込まれたのか。
はたまた後継者がいないためか。
活気というものとは無縁の、けれど、営業は辛うじて続けている小売店たち。
隣の駅前に高層ビルが乱立し、開発が続いても、同じ路線上の駅前がどんどんにぎやかになっていっても。
なぜか、ここはそのまんま。
我が家のベランダは今、蕾ラッシュ
こちらはもっこうばら
その理由が何であるのかはわからないけれど。
私はそれが大層気に入っており、ここが、ず~っとこのまんまであればいいなと思っている。
そして。
きっと土地購入の申し出も引く手数多であろう駅前の土地で、細々とながら、商売を続けている老店主たちに、いつまでも頑張って欲しいと心の声援を送っている。
昨年買ったクレマチス
客もまばらな、昭和の匂いがそのまま残る店内で、レジの前に座り、ひがな一日外を眺めている総合食品店のおじいちゃん。
このおじいちゃんはいつも可愛らしい、おしゃれな帽子をかぶっている。
その向かいには、かっこいいつなぎをさっそうと着こなし、現役で客の持ち込む自転車を修理するおじいちゃん。
ここには、ひんぱんに立ち話をしに訪れる近所のおじいちゃんの姿も見受けられる。
また、和菓子屋さんには話の好きな老夫婦。
すぐ横にあるお肉屋さんでは、いかにもお肉屋さんの店主さん、といった可愛らしいおじいちゃんがニコニコと手作りのお惣菜を売っていたりする。
彼らは.....
例えば客が何かを買い求めるとき。
「いいお天気だね」
とか、
「今帰り?」
とか、なんらかのひとことを忘れない。
私など今日に至っては、お肉屋さんのおじいちゃんに
「商店街のスタンプ、集めてみたら?塵も積もれば山となるからね~」
などと、アドバイスまで受けてしまった(笑)
そして、
「また来て下さいね~」
のひとことも。
思えば。
私が子供の頃は誰もがこんな商店街で買い物をし、互いに声を掛け合い、子供は地域の子供として、みんなに見守られていたものだった。
私がかつて幼い頃に住んでいた近くの商店街でも。
.....あれからはるかな時が流れても、私の顔を覚えてくれている人がいる。
だから.....
きっとこの商店街にも。
そんな『地域の子供たち』がいたことだろう。
あのおじいちゃん達は、いったい何人の子供達を見守ってきたのだろうか?
あの自転車屋さんで、壊れた自転車を直してもらった子供はどれだけの数にのぼるだろう。
がっつり剪定したアンブリッジローズも。
でもちと早すぎやしませんか?
量販店があちこちに出来、なんでも直すより買うほうが早いと考える社会の中で。
あのおじいちゃん達が頑張り続けるのは、いったいなぜなのか。
そこには、私たちには決してわからない、時間の積み重ねと地域への愛情と、自分がずっと続けてきた商売へのプライド、愛着があるのだろう。
私には、店先に座るおジイの、またはお惣菜を売るおジイの背後に、かつての、昭和の賑わいと人々のさざめきが見えるようだ。
こでまり
しかし.....
これは永遠ではない。
それは事実だ。
私たち自身が永遠の存在ではない以上。
この商店街もいつかは姿を消し、どこにでもある大型店、チェーン店に飲み込まれていくのだろう。
そのほうが便利で、綺麗だから。
そして。
かくして『地域の子供』はいなくなり、誰かがその地域から姿を消しても、誰もそんなことに気もとめない社会の出来上がり。
そういえば交差点前にあるたばこ屋さんのおじいちゃん。
ここしばらく姿が見えないけれど、どうしているのだろう。
頑張れ.....
頑張れ、おジイたち!
ゴンザ作・ビビンそうめん
から~い!けど美味い!
ワタクシにはトッピングのおすそ分け
鶏肉って美味しいにゃあ♪
今では日本中の『商店街』の多くがそうであるように、この商店街もまた鄙びている。
車で出かけるような大型店に飲み込まれたのか。
はたまた後継者がいないためか。
活気というものとは無縁の、けれど、営業は辛うじて続けている小売店たち。
隣の駅前に高層ビルが乱立し、開発が続いても、同じ路線上の駅前がどんどんにぎやかになっていっても。
なぜか、ここはそのまんま。
我が家のベランダは今、蕾ラッシュ
こちらはもっこうばら
その理由が何であるのかはわからないけれど。
私はそれが大層気に入っており、ここが、ず~っとこのまんまであればいいなと思っている。
そして。
きっと土地購入の申し出も引く手数多であろう駅前の土地で、細々とながら、商売を続けている老店主たちに、いつまでも頑張って欲しいと心の声援を送っている。
昨年買ったクレマチス
客もまばらな、昭和の匂いがそのまま残る店内で、レジの前に座り、ひがな一日外を眺めている総合食品店のおじいちゃん。
このおじいちゃんはいつも可愛らしい、おしゃれな帽子をかぶっている。
その向かいには、かっこいいつなぎをさっそうと着こなし、現役で客の持ち込む自転車を修理するおじいちゃん。
ここには、ひんぱんに立ち話をしに訪れる近所のおじいちゃんの姿も見受けられる。
また、和菓子屋さんには話の好きな老夫婦。
すぐ横にあるお肉屋さんでは、いかにもお肉屋さんの店主さん、といった可愛らしいおじいちゃんがニコニコと手作りのお惣菜を売っていたりする。
彼らは.....
例えば客が何かを買い求めるとき。
「いいお天気だね」
とか、
「今帰り?」
とか、なんらかのひとことを忘れない。
私など今日に至っては、お肉屋さんのおじいちゃんに
「商店街のスタンプ、集めてみたら?塵も積もれば山となるからね~」
などと、アドバイスまで受けてしまった(笑)
そして、
「また来て下さいね~」
のひとことも。
思えば。
私が子供の頃は誰もがこんな商店街で買い物をし、互いに声を掛け合い、子供は地域の子供として、みんなに見守られていたものだった。
私がかつて幼い頃に住んでいた近くの商店街でも。
.....あれからはるかな時が流れても、私の顔を覚えてくれている人がいる。
だから.....
きっとこの商店街にも。
そんな『地域の子供たち』がいたことだろう。
あのおじいちゃん達は、いったい何人の子供達を見守ってきたのだろうか?
あの自転車屋さんで、壊れた自転車を直してもらった子供はどれだけの数にのぼるだろう。
がっつり剪定したアンブリッジローズも。
でもちと早すぎやしませんか?
量販店があちこちに出来、なんでも直すより買うほうが早いと考える社会の中で。
あのおじいちゃん達が頑張り続けるのは、いったいなぜなのか。
そこには、私たちには決してわからない、時間の積み重ねと地域への愛情と、自分がずっと続けてきた商売へのプライド、愛着があるのだろう。
私には、店先に座るおジイの、またはお惣菜を売るおジイの背後に、かつての、昭和の賑わいと人々のさざめきが見えるようだ。
こでまり
しかし.....
これは永遠ではない。
それは事実だ。
私たち自身が永遠の存在ではない以上。
この商店街もいつかは姿を消し、どこにでもある大型店、チェーン店に飲み込まれていくのだろう。
そのほうが便利で、綺麗だから。
そして。
かくして『地域の子供』はいなくなり、誰かがその地域から姿を消しても、誰もそんなことに気もとめない社会の出来上がり。
そういえば交差点前にあるたばこ屋さんのおじいちゃん。
ここしばらく姿が見えないけれど、どうしているのだろう。
頑張れ.....
頑張れ、おジイたち!
ゴンザ作・ビビンそうめん
から~い!けど美味い!
ワタクシにはトッピングのおすそ分け
鶏肉って美味しいにゃあ♪