猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

戦いは続く。

2007年01月30日 23時27分34秒 | 
昨年の秋。
畑脇へのポイ捨て防止策として私が埋めた、60個のチューリップの球根が

チラッとだけど、小さな芽を出し始めた。

そしてその合い間に点点と植えたビオラも少し大きくなり、次々と花を咲かせてくれている。

しかし、相変わらずゴミのポイ捨てはなくならず、状況は一向に良くなる気配なし。

タバコの吸殻、噛んでそのまま吐き出したガムにその包み紙、お弁当の空容器.....
どこかの『歩こう会』が、順路案内として貼ったまま、後処理をしなかったのであろう、透明プラスティックでパウチされた大きな表示板。

人々は、実に様々なものを自分達の欲望と共に捨ててゆき、同じ事を繰り返してゆく。

そういえばビオラを植えている中の一箇所のものだけが何度植え替えても枯れてゆくのは.....
嫌な臭いがするのは。
そこを誰かが自分の排泄物の『捨て場』にしているからだろう。

自分の欲望のままにタバコを吸い、それが満たされたらポイ。

腹が減ったからとコンビニで弁当を買い、食欲が満たされたらポイ。

健康保持と交流と、自然を愛でるためにみんなで歩いて、それが満たされたらポイ。

欲望のままに生きて捨てる人間の愚かさには、怒りなど湧いては来ず、ただただ途方に暮れるだけだ。

そして、『立小便』という名の排泄物の垂れ流しに至っては、哀れささえ感じる。
(なぜ人のものだとわかるかというと、畑との境界に設置されている柵を支える、切断した内部が空洞の鉄パイプ内に排泄物が溜まっているから。犬や猫が排泄する際はあの高さには届かない)

自らを律することが出来る人間として生まれてきてなぜ、我が身を貶める行為をするのか。

.....しかし、私は負けない。

人の排泄物で何度ビオラが枯れようとも。
捨てられてゆくゴミで、土の中で頑張る小さな命がその存在を無視されようとも。

その横で必死に芽を出すチューリップがあり、地面に這いつくばって伸びゆく雑草がある限り。

私もしつこく同じ場所に花を植え続け、ゴミを拾い、整地を続ける。
畑脇は公道ゆえに、いじれる限界はあるけれど、少なくとも今と同じ状態を保つことが、私の務めであるし、戦いだと思う。

声高に叫ぶ強さではなく、地に根を下ろす、植物の静かな強さこそを、私は見習いたいのだ。

そして、春になって見事にチューリップが花開いたら。

ポイ捨てを続ける人の愚かさを笑いたい。

お前なんかより。
私なんかより。
小さな植物のほうがずっとずっと強いんだよと。

あ。
そういえば、この国には、

「女性は子供を産む機械。装置」

なんて言った大臣もいたが。

今回ばかりはポイ捨てに目をつぶるとして、誰かアイツをどこかに捨ててきてくれないものだろうか?

戦いはまだまだ続く。
コメント (6)
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