猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

神奈川宿歴史散歩

2007年01月10日 02時47分02秒 | お出かけ
年末年始。
1月5日の出勤を挟んで9日もあったゴンザのお休み最終日にあたる月曜日。

以前から気になっていた、『神奈川宿歴史の道』の散策に、二人自転車で出かけてみた。


             
                   フランス領事館跡『慶運寺』


とは言っても、これは当初から我々が『歴史散歩の道』なるものの存在を知っていたわけではなく.....

車で通り過ぎる生活道として日頃使う道すがら見える『フランス領事館跡』の石碑が門前にあるお寺が気になっていて、そこを見ようと下調べし、いざ出かけてみる段になって徐々に『歴史散歩の道』があることを理解したという次第。

何しろ、横浜市がその散歩道を大々的に宣伝しているのを私たちは見たことがないし、市のホームページでも、辛うじてこの散歩道の中のアメリカ領事館跡がいくつかの観光コースの中に組み込まれている程度。


     
                神奈川宿が栄えた当時の模型
            左手前に見える黄色い札が今の横浜駅の位置

わざわざ散歩道を示すタイルを車道や歩道に埋め込んで、さらに『神奈川地区センター』なる場所に、神奈川宿が栄えた当時の模型まで仕立てて設置しているにも関わらず、である。

まさに、
予算とりました→作りました→ハイ終わり!
というお役所仕事の典型。

もうちっと仕事しろよ。
(今年の成人式の予算が1万円しかなかった夕張市。昨年からの繰越金としてあった4万円のうち、なぜ3万円も招待状に使う?頭使え、頭。新成人は『手作り成人式』と言って頑張っているのとは対照的だぜ。)

だってね。
これが巡ってみたら楽しいんだもん。


             
                 ヘボンさんのいた成佛寺


     


        
                   イギリス領事館跡『浄龍寺』


     
                    見事な龍と鳳凰
          


開港当時、それぞれフランス、イギリス、アメリカの領事館として使われていたお寺。
ヘボン式ローマ字で有名なヘボンさんが宿舎としていたお寺に施療院として使っていたお寺。

そりゃあね。
当時の建物は残っていなくて、現存するのはアメリカが領事館として使ったお寺の山門だけだったとしても。


          
               アメリカ領事館跡『本覚寺』山門
          神奈川領事であったドーアは山門脇の松の枝を払い落とし
             星条旗を掲げた。山門を白ペンキで塗ったり、
            日本人の立ち入りを禁じたり、やりたい放題(笑)


     
                 静かで広い本覚寺の境内。
                 おや?そこにいるのは...


       
                  狛犬さんたち(?)もぽかぽかお昼寝。
                 私は左の犬にちょっかい出して「ガウッ!」
                       っと怒られた(笑)
      

なんとな~く往時を偲んで歩いてみるのもいいじゃない?

それに、それらの建物が残っていないのは、その辺りが横浜大空襲で酷い焼け方をしたのが原因と歩く中で知れば(関東大震災で倒壊・消失のものもアリ)、小高いお寺の山門から臨む、今は埋立地となったビルの乱立する眺めも、愚かしくも逞しいと、感慨深く見えるだろうし。
(ふん。空襲の中でアメリカ領事館跡の山門だけが残ったのは偶然か?)

開港当時。
横浜駅のあたりは海だった。

かつて本陣があった場所はビルとなり、ヘボンさんが施療院として使っていたお寺は、現代的な建物となっている。

けれど.....。
かつてそこが異国との初めての接点となり、そこから西洋医学や様々な文化が広がっていったのだと、遠い昔に思いを馳せれば、目の前に広がる空が、その時代に繋がっているかのような錯覚に陥ることも出来る。

およそ150年前。
遠く海を渡ってこの小さな島国へきた異人さんたちは、そこで何を見たのだろう?

最後に。
以前にもここで書いたことのある、日米修好通商条約調印の全権使節・タウンゼント・ハリスの通訳、ヘンリー・ヒュースケン(オランダ人。29歳で日本人に殺された)の日本滞在日記にある言葉を記して終わりたいと思う。

『しかしながら、いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ、
 この進歩は本当に進歩なのか?
 この文明はほんとうにお前のための文明なのか?
 この国の人々の質僕な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。
 この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている
 子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを
 見いだすことができなかった私には、おお、神よ、
 この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、
 西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われて
 ならないのである』


     
                まるで生きているかのような鳳凰
             今じゃこんな凄いの、作れる人いるんだろうか?


          
                静かな特等席で昼寝のにゃんこ。 
                   邪魔してごめんね~
コメント (2)
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