日々の出来事や思ったこと、趣味やペットのことなどを書き流す自己満足ノートです。
家事の合間に。。。



20日に退院し自宅で療養をしていた母が、26日朝に亡くなりました。
大きな哀しみの中、慌ただしく通夜告別式を済ませました。

もう少し時間があると思っていました。
余りにも早い展開で、ショックが大きく深い哀しみに襲われています。

自宅に戻っても大して食欲が出るわけではなかった。
いつもお腹をさすっていました。
ガンがまだお腹に残っているのだから当たり前ですよね~。
私も毎日、食べられそうなものを作っていきましたが、食べる量は『食べている』とはとても言えない量でした。

退院二日後、こんなに食べられないのでは身体が持たない、と判断し救急外来受診。
先生は『食べられなくなるのは予想されたこと』と腸ロウの開始を指示。
しかし、腸ロウも一回300mlを一日三回の予定が、一回100~150mlでお腹が張り
それ以上は受け付けない状態。
結局腸ロウは合計3~4回やった程度だったのではないか・・・?

24日の日曜日に行った時には起きて座イスに座っており、孫やひ孫たちも来ていて笑ってあやす姿も見られました。
この日は調子が良さそうに見えました。

25日は朝から食事も腸ロウも受け付けず吐いたということで、昼ごろ救急車で病院へ。
レントゲン検査の結果、腸閉塞を起していると!
緊急入院となり、先生のお話では
スキルスガンで大腸が閉塞を起し、食べたものが排泄されずお腹に溜まってパンパンになっていると。
下から出すことができなくて腸の物が上に上がってきてしまう状態。
人工肛門をつける手術はもうできないので鼻からチューブを通しお腹に溜まったものを吸い出す処置しかできないそう。
数日のうちに急変もありえると。

しかし、これから起る(だろう)ことをもう少し丁寧に説明して欲しかった。
ただ急変と言っても素人ではよく分からず、そんなに切羽詰まった状態とは考えもしなかった。

翌26日未明に病院から連絡があり駆けつける。
吐いたものが気管に入り、誤嚥性肺炎を起したと。
血圧が64に下がりショック状態。
もう時間の問題でした。

どんなに辛かったでしょう。
腸が詰まって出すことができない状態なのに、みんなに食べろ食べろと言われて・・・。
入院後の検査でストレッチャーで運ばれる時、『延命治療は止めてくださいね。』とずっと言い続けていたそうです。
『これは延命治療ではなく検査ですよ。』と看護師さんは言ったそうです。


退院後、ひと晩泊り母の傍で寝ました。
『ずいぶん久しぶりだよね~。』
子供が小さい時はお正月に時々泊りましたがもう20年以上泊っていません。

母は喉が渇いて夜中も時々吸飲みを欲しがりましたので、少し身体を起して飲ませました。
トイレにも一度起きて付き添いました。
やっぱり泊ってよかった。
弟夫婦もあまり寝られないと言っておりましたが、下で一緒に寝てあげようとは思わなかったようです。
次の日には、『あんたがいてくれる間にお風呂に入ろうかね~。』と言い、
シャワーを浴びました。
手術以来ですから、3週間ぶり!
病院では清拭してくれましたが、洗髪もしてきれいさっぱり。

私が泊る前の晩には、
『寝てばかりでは足が弱る。こんなんではいけない。』と思って部屋の中をグルグルグルと100歩歩いたそうです。
ガンバリ屋の母。
私が行った時も50歩歩きました。
まだまだ生きる意欲はあったんだと思う。

25日の入院の時、傍に付き添う私たちに向かって
『みなさん、どうもありがとうございました。』と言いました。
母は悟ったのでしょうか・・・。
妹はこの日トイレに付き添ったとき、もう力がないのに一生懸命自分で処理をしようとする母の姿が忘れられないと言います。

みんなに迷惑をかけたくない、みんなの世話にはならないようにと願っていた母。
母の一言一言を思い出すたび、止め処なく涙が溢れます。



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