世界に一つだけの姥花日記

貴方は貴方らしく私は私らしく、世界にただ一つだけのきれいな花を一生懸命咲かせましょう。
シニア主婦の平凡な日記です。

終の棲家

2021年04月20日 | 日常の生活

<今朝の薔薇イングリッシュローズ ゴールデンセレブレイション>

最近ブログでもよく健康寿命のことが話題に上がってきています。

男性の健康寿命は72,14歳、女性は74,79歳!(平成28年のデーター)

我が家は夫は77歳、私は74歳、この夏には夫78歳、私75歳。

夫はとうの昔に健康寿命を過ぎ、私もすぐ目の前ですが・・・・・・・・。

 

健康寿命っていったい何なのでしょう。誰がどのようにして定義づけしたのでしょう。

介護などを必要とせず、元気で自立した生活が送れる年齢のことを言うそうですが、

夫の同期、友人で介護生活を送っていらっしゃる方なんて一人もいません。

ご病気で倒れられても、回復され、お元気に過ごしていらっしゃるかたが大半です。

ましてや女性の場合、74歳、75歳のレディー(?)たちは男性以上に生き生きとし活動的です。

77歳の我が家の夫Aさんも、このコロナ禍、単独で山へ行くほど元気(もっとも低山ですが)。

私も77歳の実姉も介護などという言葉には全く縁がありません。

 

が、いずれはやってくるのでしょうね、誰かに介護してもらわなければいけない生活が。

最後をどこで生活して終わるか?それは私たち高齢者にとっては大きな問題です。

最近は姉ともよくそんな話をします。

私は具体的に考えているわけではありませんが、大雑把な青写真はあります。

 

1982年、このマンションを購入した際には、最終的に故郷広島にUターンするつもりで、

狭いながらも交通の便利の良い売却し易い都区内のこのマンションに居住することに決めました。

故郷広島では300坪の広い敷地を守り、義父亡き後、義母が一人で私たちの帰りを待っていたのです。

<21年前のAさんの実家 日本家屋のレトロな趣のある邸宅でした>

しかし、少しづつ母も弱りはじめ、一人で生活することが苦痛になってきたようでした。

 

その頃、Aさんは第二の職場とはいえ、重職にあり、まだまだUターンは考えられませんでした。

子供たちも孫たちも関東圏内で平和に暮らし、次第に東京に根を降ろしつつあった夫。

若いころから頑なに故郷を終の棲家にすることを主張し続けていたAさんの気持ちが揺らぎ始めました。

そんな時、私たちのことを考えてか、義母もぽつんとひと言、「皆のところへ行きたい」と。

母の一言で、Aさんの故郷への執着は一気に溶けていきました。

親孝行のAさんです。親のことがなければ、本当は彼も東京で暮らしたかったのかもしれません。

私は東京を離れることにためらいがありましたから、内心ほっとしました。

 

そして広島の家をたたみ、義母は東京に出てきました。母にとって大きな決断だったと思います。

私たちの住むマンションにたまたま空きがあり、オーナーの方にお願いし、賃貸で入居させてもらいました。

高齢者には(母はその時81歳でした)、なかなか賃貸の入居を渋るところが多く、

その時も、長男家族が同じ棟に居住し面倒をみるということで、借りることができました。

原因不明の貧血に悩まされていた義母は、当地で治療を続けながらも、穏やかな日々を過ごしていました。

が、慣れない土地、住まいでの生活は長くは続かず、数か月後室内でのちょっとした事故で・・・・。

短い期間でしたが、一人息子の長男家族と共に暮らすことができ、幸せだったと思いたい。

これから親孝行ができると思っていた矢先の突然の死でした。

 

長くなりますので、この続きはまた次回に。まだ本題に入っていませんね(笑)。

<18日:3710歩 19日:3210歩>ウォーキングをさぼるとこんなものです

やる気の起こる万歩計です

 


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