尾道を後にして、私たちは倉敷に向かいました。
尾道から倉敷までは山陽本線の在来線に乗り、車窓からは瀬戸内海が見え隠れしています
約1時間のローカルなのんびりとした電車の旅です。
倉敷は私は今回で3度目ですが、姉ははじめて。大原美術館を楽しみにしているようでした。
タクシーで今日のホテル「倉敷アイビースクエアー」へ。
倉敷アイビースクエアーは明治21年に創業した旧倉敷紡績所の広い工場の敷地と建物を、
そのままホテルとして利用しています。
また敷地内には美術館や倉紡記念館なども併設されています。
赤レンガ造りの建物はまるでヨーロッパの街の一角のよう。雰囲気の良いホテルです。姉も大満足のようでした。
私の計画では夜のライトアップされた美観地区の夜景を見るつもりでしたが、姉はかなり疲れてやや気分すぐれず、
そのまま早めに就寝しました。姉の体調不良は翌日大変なことになりました・・・・・・・。
翌日は大原美術館で世界の巨匠たちの作品を観賞し、倉敷川沿いの「倉敷美観地区」を歩く予定でした。
体調すぐれない姉をホテルに残し、早朝下見のつもりでひとりでかけ、河川沿いを歩き、大原美術館まで。
ギョ!大変!門に掲げられた「本日休館日」の木の札に「ウソ~!」と叫んでしまいました。
前日のものと思いたいですが、前日は日曜日。日曜日に休館するわけがなく・・・・。
そうなのです、月曜日は都内でも美術館、博物館休館日になっているところが多いですね。
ガイドとしてあるまじき大チョンボでした。楽しみにしている姉になんと言ったらいいのか。
また来ればいいからと許してくれましたが、お姉さま、本当にごめんなさい。
そこで姉が少々風邪気味ということもあり、チェックアウトギリギリまで、ホテルに滞在し、美観地区の散策に出かけました。
<町役場として建てられた洋風建築 現在は観光案内所>
<約200年前の米蔵を利用した倉敷考古館>
<大原美術館の創始者大原孫三郎の邸宅。美観地区を代表する町家のひとつ。国の重要文化財>
倉敷市は江戸時代、倉敷川の水運を利用して、米、塩、綿などの生活物資の集散地として栄えたそうです。
、幕府直轄の天領地で住民の税が軽減されたため、、豪農、豪商が集まり、立派な蔵屋敷が建てられました。
現在の河畔一体は国の重要文化財建造物保存地区に指定され、美しい町並みが守られています。
午前中散策した後、益々姉の体調思わしくなく、とうとうホテルにお願いして帰りの新幹線の時間まで休ませて貰うことにしました。
とても親切に対応してくださった倉敷アイビースクエアーに心から感謝いたします。
「立てない、歩けない、もうだめ、死んでしまうかも」ととても辛そうな姉を叱咤激励し、何とか横浜まで連れて帰り、
ホームまで迎えに来てくれた仕事帰りの次女に引き渡し、ヤレヤレ。
辛いはずです。翌日病院でインフルエンザA型に罹患していることが判明。
後に姉が言うことには、私の「起きて、立って、歩いて」はまるで「拷問にあっているようだった」と。
まだまだやらなければいけないことは山ほどありますが、四十九日を迎えて一段落。
きっと疲れが出たのでしょう。心身ともに弱った身体に風邪のウイルスは容赦なく襲い掛かりますもの。
今日あたりは大分元気になっているようです。
いろいろありましたが、それでも「楽しかった!楽しかった」を連発してくれる姉にほっとしている私です。