先日 姉宅で葬儀後の事務的な諸々の手続きの整理、手伝いをしてきた。
一家の主が亡くなるということの大変さを痛感し、とても年老いた残された妻ひとりで背負い込める問題ではないと思った。
役所関連、保険関連、税関連、相続関連、諸々の名義書き換え・・・・・。
次から次へと書類も届き、元気な私でさえ、それらを把握するだけでも頭が混乱しそうだ。
とりあえず準確定申告だけは私が完璧に仕上げ、提出するのみの段階まで持っていった。
事前に我が家の確定申告を仕上げていたので、それほど面倒なことではなかった。
兄はサラリーマンだったので、収入も年金だけ。事業者が亡くなった場合はさぞ手間がかかるだろうと思った。
遺産分割協議書の下書きもし、仕上げは娘たちに任せることにした。
これから支給されるもの、支払わなければならないものを書き出し、大学ノートにまとめておいた。
こうした事務手続きが続く限り、残された者の心安らぐ日、平穏な日はやってこないのではないか。
私はたった一人の妹として姉に一日も早く普通の生活をしてもらいたい。新しい一歩を踏み出して欲しい。
そのための協力は惜しまないつもりだ。
私たち夫婦にだっていつ何時何が起こるかは分からない。
突然やってくるかもしれない別れの時のために、そろそろ心の準備は必要だと思う。
先日夫が友達からこんな本を紹介された。早速アマゾンに注文、取り寄せた。
<野村證券信託銀行事業部編 日本経済新聞出版社>
義父(夫の父)は1987年(昭和62年)に72歳で亡くなった。私はまだ若く、何も役にたつことはできなかった。
実家の両親は20年前の同じ年に他界した。子供たちも独立していたため、時間もあり、私もまだ40代。
プロの手も借りながら、何から何まで新しい経験で、姉と協力しながら、諸手続きを無事済ませた。
義母(夫の母)は2004年81歳で亡くなった。4人の中では一番の長生きだった。
66歳で寡婦となった義母は15年間を気丈にもひとりで故郷広島で暮らしていた。
最後は東京の私たちの住む同じマンションに部屋を借り、数ヶ月であったが共に暮らした。
その母の葬儀後の全ては孤軍奮闘、私ひとりで全てをやり遂げた。夫は現役で仕事が忙しく、私任せ。
広島に郊外とはいえ、不動産があり、いろいろな意味でその後片づけが大変だった。
私54歳、心身ともに健康で今のような頭脳の衰えもなかった気がする。
その頃は終活などという単語も存在しなかったし、親世代も最後を迎えるの準備など何もしていなかった。
ただ義母は大変几帳面なひとであったから、書類その他はきちんと整理されていてとても分かりやすく助かった。
まだ届いたばかりの「マイライフ ノート」。そのうちに少し詳しく紹介したいと思う。
昨夜一気に読んだ本「君の膵臓をたべたい」。
グロテスクな題名ではあるが、それとは裏腹に内容はピュアーで心がキュンとなるラブストーリー。
と言ってしまえば、な~んだ、いい歳をしてそんな小説を読んでいるの?と馬鹿にされるかもしれない。
でもこの本は人に「生きる」とはどういうことなのかを切々と教えてくれる。
命のカウントダウンの中で、インパクトのある高校生の男女の行動と会話が続く。
高校生の孫娘のいる私には、彼女、彼らとダブルものがあり、一気読みしてしまった。
そして泣いた、それも大泣きしてしまった。69歳のおばあさんがである。 私の前には丸まったティッシュの山ができた。
世代を超えて感動を与え、心揺さぶられるる心に残る1冊となった。