YUKI

言語、言語で表現できることすべて

蒼井そら と ○○学会

2008-07-25 21:28:17 | Weblog
蒼井そらのブログは、ほぼ毎日見てる。

「自分の子どもにAV女優であった過去を告げるのか?」
なんて、女性とおぼしき人からのコメントにも
ちょっとキレながら応対してます。
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2008年01月17日 熱くなったので。

そらさんのblogもそらさん自身も大好きですが前から質問があります。
そらさんは自分に子供ができたときに
自分の子供に自分のAVを胸を張って見せられますか?
正しいことをしてると説明できますか?
AVに対する偏見は別に無いですが、あたしには無理だと思いました。
仕事といえども知らない男の人と母親が交じっている姿が
全国に流れてることを正当化する言葉が見つかりません。
アンチなわけじゃなく 純粋に大義名分が 見つかりません。
そらさんならどう説明しますか?
Posted by ゆな at 2008年01月14日 15:40

てゆうか見せないと思います。
でも、隠そうとも思わないですけどね。
で、正当化するつもりもありません。
だから、胸も張らないと思いますよ。
かと言って、後ろめたさや後悔もないと思います。

こういう問題の解決って
私の周りの環境に深く関わってくるわけですよ。
そういうことになると、
他人(表向きでしか知らない人)には知らない真実がそこにはあるでしょ。
特にこの世界では、テレビとか、週刊誌とかで面白おかしく言われても、
真実は当人しか分からないんですよ。
何か言ったって、言い訳になるわけだしね。

友達とか、家族とか、愛とか、絆とか、情とか、
例えば苦労とか、苦悩、苦痛、不安や不満、
表に出ない情報が人の周りには沢山あるんですよ。
だから、私が人とどういう関わり方をしてるかだと思うし
この状況だと、話し合いまでの、子どもとの関わり方だと思います。

他人が私の将来の「if(もしも)」を考えてたとしても、
私はそれに答えを出しません。

それはこういう環境の中で多くの苦労や苦痛、苦悩を通ってみないと
分からないことだと思うから。

人は「if」AV女優としての自分を簡単に頭で作りあげることはできますが
例えば私の6年という歳月の中で生まれた人間関係まで
想像できると思いません。

一言で表せられない想いがそこにはあるんですよ。
だから、誇りを持って仕事をしてるし、ナメられたくないと思うんです。
ただ単純にSEXすることに誇りを持っているわけじゃありません。

私はちゃんと答えを持ってます。
それは言葉だけではありません。
そして、正解かどうかは自分で感じることだと思ってます。(⌒-⌒)

すいません。
コメント返しを書いてたら熱くなってしまったので
ひとつの記事にしてしまいました。(呑んでないよ。)

すぐ怒ってるって思われるから
顔文字なんて使っちゃったりしちゃったよ。
Posted by aoi_sola at 00:00
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思わせぶりな書き方なんだが、やはり色んな事情やいきさつと
考えがあったんでしょうね…

中村淳彦の『名前のない女たち』というシリーズがある。
単体ではない企画女優たちのインタビューなんだが
彼女達のプライベートは、それは凄まじい。
単に性的なものに限っても、自身の出演したAVを超えている。

蒼井そらは、現在、数少ない「単体女優」だから
最も過酷なAV女優である「企画女優」とは事情が違うだろうし
既に「元」AV女優なんだそうだが
AV女優であることを選択した心のあり方は
通底するものがあるのではなかろうか?

そんな彼女は、○○学会員
やはり、心の安定を求めるんだろうな。
○○学会は、教義として、
現世における「利」の追求を善いことと認めるだけでなく
AVを「芸術」とみなし、学会員が集まって鑑賞会もするそうだし…

う~ん。
AVというセックスを見せるためのメディアそのものを芸術と見ているのか
AVの中にも、芸術性が高い作品もある、ということを認めているのか
どちらなんだろう?
仮に前者だとすれば、○○学会って相当の「カルト」?

古く?は
林由美香という夭逝したAV女優も、○○学会員で
葬儀は○○学会方式だったそうですが、
葬儀に参列した学会員とおぼしきおばさんたちが、
彼女の作品について講評しあってたというエピソードがあります。
まぁ彼女の作品はAVとしては、むしろ特異であって
芸術性があるものが少なくないんですなぁ…

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桜井章一『勝負の格言』

2008-07-25 21:06:26 | Weblog
久しぶりに書店に立ち寄ってみた。
気前のよい書店で『チャンピオンRED』『ウルトラジャンプ』も
封印とじされていないから、立ち読みできるのである。
しかし、まともに読めたのは『銃夢』だけかなぁ…
もはやコマ割やストーリーさえ存在せず、
ただ理想化された女の子の裸が乱舞しているだけにしか見えないんだ。

まぁ、それはそれとして…他に2冊立ち読みしますた。
『映画秘宝』
もちろん、しょこたん目当て。
雑誌で見ると、しょこたんのグラビアが、結構、きてますね。
表紙を飾ってる女の子に人気投票1位を奪われるかも?
と心配している向きもありますが、
わたくし的には、しょこたんの方がエロイと思いますなぁ♪

もう1冊は『勝負の格言』という文庫。

雀鬼・桜井章一が書いてます。
一番印象深いのは、のっけから桜井節が爆発して
「99%の人が自滅してしまう」「負けるための努力をしている」
と言い切るところ。

桜井氏の著書は、
仏教でいうところの「無分別知」を語っているように思えてなりません。
この『勝負の格言』も、そう。

無常に変化するということが、変わらないことなので
相手も自分も変わるのだから練習通りやっても勝てない。
対戦相手のことは知らなくてもよい。
見ざる言わざる聞かざるは、勝負に臨む姿…

一見して奇をてらうかのようなアフォリズムですが
仏教の真実と不思議なほどに合致します。
ついには、原始仏教において「悟り」を開いた人が身につけるという
神通力まで出てきます。
桜井章一は、無分別知により古武術の達人のような体さばきを
会得しているのですよ。

「悟り」で思い出すのは、俳句の正岡子規。彼は仏教徒。
脊椎カリエスの激痛の中で、彼は「悟り」を得ようとします。
「いつでもにっこりと死ねるのが悟りだと思っていたが、
 どんな状況にあっても平気で生きていけるのが悟りなんだ。」

正岡子規が言う、どんな状況でも平気で生きていける、というのは
まさに平常心であり、「自滅しない心」だと思うのです。
そして、桜井章一の言ってることと響きあうものではなかろうか?

調子がよいときではなく、悪いときを「常」の自分と思うべし
と、桜井氏が言うのもそうですねぇ♪

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