YUKI

言語、言語で表現できることすべて

森田童子について知っている二三の事柄…魅力の秘密

2023-11-18 17:04:51 | Weblog

学生運動に関わっていたであろう

知人の自殺がモチーフとされる

「さよならぼくのともだち」が森田童子のデビュー作。

 

自らフェイドアウトした後、

ドラマ主題歌でブレイクしたのが

「ぼくたちの失敗」…

 

森田童子は「ぼく」系少女である。

 

切なく囁くような少女の声で

優しく語りかけるように

鎮魂歌…レクイエムを歌う。

 

ぼく系少女が歌う

レクイエムの衝撃・破壊力というか攻撃力は…

空前絶後に、「振り切れ」ている。

 

甘く切なく死の香りがする世界は

さながら、太宰治の文学空間が

現実世界に忽然と顕現したかのようで

疲弊しきった心のユートピア

 

…「不完全なものへの愛」こそ「萌え」の真髄

 

小さきもの、弱きもの、儚きものへの

限りない慈しみ=「萌え」は、

日本文学の特徴だとおもうんだが

 

森田童子は、えげつないほどに

「萌え」の本能を刺激する…

 

 

 

 

 


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森田童子について知っている二三の事柄…暗い歌の妖しい魅力

2023-11-10 23:21:48 | Weblog

森田童子の歌…

こんなにも暗い歌は聴いたことがなかった。

 

声を張り上げ、自己憐憫への同調を訴えるでもなく

救いを求めるでもなく、

可憐な少女の声で囁き、語りかけるように

「ダメになった僕」を歌う。

 

この妖しい魅力・魔力には、到底逆らえない。

 

どうすれば、このようなことが可能なのであろうか?

ずっと疑問だった。

 

謎に包まれ、

学生運動の高揚と挫折をモチーフとした以外には

何も分からない存在。

 

破滅型の父親と、

優しく歌の手解きをしてくれる叔父「なかにし礼」が

森田童子誕生の裏にあった。

 

歌い手「森田童子」を生み出し

当人と、自身の死後に

「血の歌」を世に問うことによって

なかにし礼を巡る中西家の物語を完結させたのだろうか。

 

魅力的でありながら、

同時に優しく拒絶されるような

どこか非人間的な森田童子の世界…

 

そこに底通する、極めて人間的な情念の世界に触れて

ようやく、森田童子の楽曲を

繰り返し味わえる「耐性」が身に付いたのである…

 

 

 

 

 

 


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森田童子について知っている二三の事柄…「血の歌」は「父の歌」

2023-11-08 20:22:00 | Weblog

なかにし礼の「血の歌」…

私は、森田童子の誕生秘話として読んだ。
 
忽然とラジオから流れてきた、切ない漆黒の歌は、
魅惑的でありながら、ただただ怖しい存在として響いた。
 
マスゴミには露出せず、悄然と引退。
66歳での訃報を聞き…
怖しい歌の封印を解き、その謎に迫ろうと思ったのである。
 
そんな折、彼女は再び忽然と、小説の人物として現れ
その素顔を曝した。
 
丸い大きな黒メガネに隠れた目は、
「アイドルには不向きな」
「切れ長の目」
 
太宰治に縁の青森市で生まれた。
 
起業と破産を繰り返し家族を顧みぬ破滅型の人物に
自分の人生を壊滅的に狂わされた。
 
せめてもの救いは
叔父の、なかにし礼に可愛がられ
曲作りの手ほどきなどを受けていたことだろうか。
 
…心のどこかでは、
アイドルじみた容姿を期待していたんだがw
 
なかにし礼は、
森田童子を企画演出したプロデューサーだった。
 
その森田童子の歌に、どうしようもない「兄」「父」は、
これは「反体制」の歌ではなく
俺の血を受け継いだ者が歌う、俺=「父」の歌なのだと戦慄する。
 
なかにし礼の「兄」に対する想いは
「血の歌」をもって完結するのであろう。
 
…しかし、私にとっては、
謎多き森田童子に迫る魔法の絨毯w
のようなもの♪
 
容姿の期待は打ち砕かれたが、
思いがけず、その生い立ちを知ることができて
大いに愛着が増したのである。
 

 

 

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森田童子について知っている二三の事柄

2023-11-07 09:25:55 | Weblog

森田童子 1952年1月15日~2018年4月24日

その名は、本人が『笛吹童子』と発言したにもかかわらず

太宰治『おしゃれ童子』由来であろうとされている。

この短編は青空文庫でも読める。

第三者視点の語りであるが、自嘲的回顧録という体。

 

「少年も、もう、いまでは鬚の剃り跡の青い大人になって、

デカダン小説と人に曲解されている、けれども彼自身は、

決してそうではないと信じている悲しい小説を書いて、

細々と世を渡って居ります。」

 

素性は謎であったが…

なかにし礼の兄「中西正一」という強烈な人物の娘であると

『血の歌』で明らかにされた。

 

「痛ましい歌声が、俺の胸を血まみれにする。

戦争の昂揚と絶望、そして戦後の果てない堕落。
兄の人生を見つめたその娘は、「謎の歌手」に生まれ変わった。
代表作『兄弟』の原型にして、いまに鮮烈な未発表作品、
なかにし礼の死後1年目に衝撃の単行本化!」

 

wikiによれば…

東京都出身。
学園闘争が吹き荒れる時代に高校生で東京教育大学の学生運動と交流があった。
高校を中退し、気ままな生活を送っていたが、
20歳の時、友人の死をきっかけに歌い始める
(この亡くなった友人をモチーフにした曲がデビュー曲となる
『さよなら ぼくの ともだち』である)。
1975年10月、シングル『さよなら ぼくの ともだち』で、
ポリドール(現:ユニバーサルミュージック合同会社)よりデビュー。
以後主にライブハウスを中心に活動。
1980年に、ポリドールからワーナー・パイオニア
(現:ワーナーミュージック・ジャパン)に移籍。
1983年までにアルバム7枚、シングル4枚をリリースし、
同年の新宿ロフトでのライブを最後に、
引退を宣言することなく活動を休止する。
レコーディングの編曲、演奏は
アコースティックギターの第一人者石川鷹彦(元六文銭)が担当した。

『血の歌』で明らかにされたのは、

ビートルズやセックスピストルズと同様に、

綿密にプロデュースされた企画作品が「森谷王子=森田童子」ということ。

 

彼女が作詞作曲した楽曲…編曲が凄いのだろう。

 

本名非公開、アフロヘアーに黒い丸メガネで素顔を隠した彼女は

それすらも「企画」なのだろうが、

おしゃれ童子のように、

自嘲的に「細々と世を渡って」いたのだろうか…

 

 


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