YUKI

言語、言語で表現できることすべて

「ワンパンマン」について知っている二三の事柄…なぜ?

2015-11-28 14:38:55 | Weblog
ワンパンマン…アンパンマン
ワンパンチ…アンパンチ

このベタなオヤジギャグ、
ベビーメタル…ヘビーメタルに通ずるものがある。

さて、主人公の成長物語が「ビルドゥングスロマン」
既に成長しちゃった主人公の活躍・遍歴が「ピカレスクロマン」

ワンパンマンは、ヒーローになりたい漫画ではなく
ヒーローになっちゃった漫画なので、
いわゆる悪漢小説、ピカレスクロマンでしょうねぇ。

色んな意味でオモシロイ漫画なんだが、
「なぜ」という思いが常にある。

なぜ、サイタマがこんなに強くなれたのか?

腕立て100回で、生物としてのリミッターが外れ、
無限の進化ができるのか?

色々と考えるに、このサイタマワールドでは、
まず、一見普通に見えるのに怪人・怪物が出現する世界なのです。

しかも、怪人の多くは、その人の認識や怨念というか
ル・サンチマンから怪人へと「変身」しているわけで…

どうやら、認識が形を生む世界のようだ。

グレンラガンのラスボス
アンチスパイラルが棲む10.5次元世界のように。

就活に敗れ、就活を諦めたサイタマは
純粋に子どものころの夢=ヒーローを目指す。
正攻法で、ひたすら、体を鍛えたら…

こうなった。

同じく生物としてリミッターが外れたガロウは
妥協の趣味だから、サイタマ曰く

「負ける気がしねー」

モンスターが跋扈するサイタマワールドだが…
真の強者というか、戦わずしてサイタマの実力を感知したのは
2人しかいない。

人工進化最終形態アシュラカブト



宇宙の覇者ボロス



人間怪人ガロウも、
S級No.2のタツマキも、
A級No.1のアマイマスクも、
弟子のジェノスにしても、

戦うまで、戦いを目の当たりにするまでは
サイタマを雑魚としか認識していない。

サイタマが真のヒーローであることは
読者にのみ明かされる。

サイタマは就活に敗れ、童心に帰り、
趣味に徹する人生を選んだ。

所詮は趣味、されど趣味。

この認識が、サイタマを無敵のヒーロー、
且つ、英雄的にまで「普通な」
アンチヒーローたらしめているのだと思う。

強すぎて、普通すぎて、生活感満点…
これが(ダ)サイタマ。

ダサかっこいい、のである。


ワンパンマン 10 (ジャンプコミックス)
クリエーター情報なし
集英社

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脳・心・学び

2015-11-14 13:58:30 | Weblog
人間の脳は刺激・情報に対してオープンシステムであるが、
脳の機能である心は、自己完結的なクローズドシステムで
安定しようとする傾向がある。

新たな情報を取り入れ内在化することは、
心がシステムとしては新しくなる・変化することを意味するわけだが
心というか、人は新しいものや変化に対して怖れを抱くものである。
できれば、変わりたくないのだ。

同じ効果が得られるならば、人は最小限度の努力しかしない、
という例の最小努力の法則だw

今、教育界では「主体的な」「学び」というのが大流行で
しかぁし!
そもそも主体的でない学びというのがあるのかどうか疑問death

自ら求めようが、他者から強要されようが、
新たな刺激や情報を内在化し、言動が変容したのならば
「心」が変容していることになる。

この心の変容こそが学びに他ならないであろう。

もう少し具体的に話そう。

言語習得のモニター理論というやつ…
言語学では、言語能力とパフォーマンスは区別する。

完璧な言語能力を持っている人間でも、
実際の発話では間違うということだ。

モニター理論においては、
間違った発話をモニターし自己修正する役目が
言語能力・文法能力なのだとする。

もう一人の自分が、自分の発話を文法的に監視しているのだ。

心理学的にいえば、心の成熟とは
行動する自分をモニターするもう一人の自分の
モニター・自己修正能力の増大なのだそうだ。

さて、学んで心が変容するとは、やはり
このもう一人の自分の存在であろう。

「人の話を聞いて」「工夫する」

これが将棋の羽生善治流、超一流の定義だが
この「工夫する」ところが
「人の話を聞いて」学んだ結果による
「心の変容」であり、「主体性」と言えるのではないか。

自分からやろうが、人から強要されようが、あることをして
やりっぱなし・自己修正できないのであれば
それは「学び」の産物ではないだろう。

佐藤学は
・モノとの出会い
・他者との出会い
・自己との出会い

を学びの要素としている。

出会うことによって、変容することが学びなのであり、
それは「モノ」「他者」「自己」→「世界」が変容することなのである。

残念でならないのは、「学ぶ」のが下手な教師集団が多数を占める
教育現場では、こういった議論ができないというか不可能なことだ。

文部科学省からの浅薄・早急な押しつけを実現するために
今日も「主体的な」教師wは、
ヘッドフォン・イヤフォンで耳をふさぎ
もっともらしい顔でパソコン画面に向かっているのだった…SIGH

「学び」から逃走する子どもたち (岩波ブックレット)
クリエーター情報なし
岩波書店

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