長距離通勤で生命の危険に対処するため主義に反して携帯を購入しますた。Gショック携帯です。Auショップで本体7000円。製造終了でしたが、黒なら在庫ありということでした。ところが!数日後に立ち寄った量販店では、本体価格0円!
Sigh...
写真は仙台で撮りました。ちょっとドッキリしますね(^_^;)
Sigh...
写真は仙台で撮りました。ちょっとドッキリしますね(^_^;)
検定教科書では英語力はつきません。
①原典からの書き換えが不自然で構文や論理の流れが
むしろ分かりにくくなっている。
②充分な質と量の設問がないため、学習者に適切な task が提供されていない。
教科書付属の定期考査用問題がありますし、
授業で聞くところをプリントにしてもいいでしょうね。
そうやっておいてさっさと検定教科書を終えるというのが最良の方策でしょう。
そして英語という言語の学習に必要なスキルをしっかりと指導するのに
時間をさくべきなのですが、
なぜに検定教科書を流行り?の手法でと~りいっぺんにこなすだけの
教師が大部分なのでしょう?
そんなんでも、生徒は必死ですから参考書や問題集をやって
実力をつけます。そしてセンセにリップサービスするわけですねぇ。
悪循環ができるわけです…
自分が楽しめる授業をモットーにしてきましたが
自分がやりたい授業をモットーにしていこうと思うのです。
①原典からの書き換えが不自然で構文や論理の流れが
むしろ分かりにくくなっている。
②充分な質と量の設問がないため、学習者に適切な task が提供されていない。
教科書付属の定期考査用問題がありますし、
授業で聞くところをプリントにしてもいいでしょうね。
そうやっておいてさっさと検定教科書を終えるというのが最良の方策でしょう。
そして英語という言語の学習に必要なスキルをしっかりと指導するのに
時間をさくべきなのですが、
なぜに検定教科書を流行り?の手法でと~りいっぺんにこなすだけの
教師が大部分なのでしょう?
そんなんでも、生徒は必死ですから参考書や問題集をやって
実力をつけます。そしてセンセにリップサービスするわけですねぇ。
悪循環ができるわけです…
自分が楽しめる授業をモットーにしてきましたが
自分がやりたい授業をモットーにしていこうと思うのです。
日本における英語教育の混乱は、ひどいものです。
辞書や教科書の大半に発音記号を載せておきながら
発音記号を指導する先生は「悪い」先生?と見られています。
変ですよね。
①発音は耳から学ぶべきである→英語は外国語ですよ。音声教材にも限度が…
②学習者の記憶に新たな負担が加わる→覚えるべきことは、ほんの少しでしょ!
③きちんと指導できる指導者が少ない→う~ん、最大の理由でしょうね。
例のカリスマ教師は2週間かけて発音記号を仕込むそうです。
それでもアホな生徒には定着しないフシがみられました。
両手を使って説明すると、いいんですよねぇ。
やり方は ちょっとした企業秘密?ですが…
辞書や教科書の大半に発音記号を載せておきながら
発音記号を指導する先生は「悪い」先生?と見られています。
変ですよね。
①発音は耳から学ぶべきである→英語は外国語ですよ。音声教材にも限度が…
②学習者の記憶に新たな負担が加わる→覚えるべきことは、ほんの少しでしょ!
③きちんと指導できる指導者が少ない→う~ん、最大の理由でしょうね。
例のカリスマ教師は2週間かけて発音記号を仕込むそうです。
それでもアホな生徒には定着しないフシがみられました。
両手を使って説明すると、いいんですよねぇ。
やり方は ちょっとした企業秘密?ですが…
自分がやりたいようにやる「勇気」と「政治力」
これが今回の仙台出張で学んだことです。
カリスマ教師の言ってること、やってること、考えてることは
実際、私のと大差ないんですね。
ですからヒントになることもたくさんありましたし、
私に欠けているのは 教員の理解が得られないという劣悪な
環境の中で「やりたいこと」をやる勇気と政治力だけだと
確信しますた。
アホな上司のおかげで便利屋というかピンチヒッターばっかり
やらされてますが、1年生から指導しないとダメということもありません。
自分のやりたいことをやればいいのだと悟りましたネェ。
他の教員との申し合わせ事項は、「一応」やっておけば
「やっていないわけではない」ことになりますし…
どだい、20回くらいやってやっと効果があるシャドウイングを
LL教室も使わずにたった2~3回でやったことにして
個人にも読ませないなら、音読できるはずがありません。
例によって途中から助っ人で入ってるわけですが
あれもやってるこれもやってるといい、
音声重視といいながら読ませるとぜ~んぜんなんですよ!
不思議に思ってましたが、
指導計画自体が半端なのであって、生徒個人の問題ではないと
今なら断言できますね、ホント。
これが今回の仙台出張で学んだことです。
カリスマ教師の言ってること、やってること、考えてることは
実際、私のと大差ないんですね。
ですからヒントになることもたくさんありましたし、
私に欠けているのは 教員の理解が得られないという劣悪な
環境の中で「やりたいこと」をやる勇気と政治力だけだと
確信しますた。
アホな上司のおかげで便利屋というかピンチヒッターばっかり
やらされてますが、1年生から指導しないとダメということもありません。
自分のやりたいことをやればいいのだと悟りましたネェ。
他の教員との申し合わせ事項は、「一応」やっておけば
「やっていないわけではない」ことになりますし…
どだい、20回くらいやってやっと効果があるシャドウイングを
LL教室も使わずにたった2~3回でやったことにして
個人にも読ませないなら、音読できるはずがありません。
例によって途中から助っ人で入ってるわけですが
あれもやってるこれもやってるといい、
音声重視といいながら読ませるとぜ~んぜんなんですよ!
不思議に思ってましたが、
指導計画自体が半端なのであって、生徒個人の問題ではないと
今なら断言できますね、ホント。