YUKI

言語、言語で表現できることすべて

プライバシーと命2

2008-07-26 13:43:22 | Weblog
医師たちの中には、
自己防衛のために患者には内緒でHIVの検査をしてる人というか、
ところもあるという噂。
陽性率は4人に1人ということもあるらしい。
既に国家の危機なんだけど。
エイズが騒がれたころのインパクトを
今の若者たちは知らない。
中高年も、不倫は文化だと思っている節がある。
早期発見すれば発病を遅らせることもできるが、
発病してやっと気づく患者が増えているという。
いっそ、健康診断の検査項目に入れてはどうなのか?

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プライバシーと命

2008-07-26 13:30:29 | Weblog
出生率低下に関するエッセイを講習で扱った。
老人の社会保障費の財源を国が心配しているという主旨。

出生率に関して言えば、婚外子の法的地位と出産にかかる費用について、
日本政府は手をつける気がないというのが問題。
高校生にはピンとこない。

日本の戸籍制度は世界に例を見ないほど整備されている!
ということになっており、統治者側にしてみれば、
婚外子は法的に認めたくないのだろう。
戸籍制度にどんな影響があるのかわからないからね。

せめて出産にかかる費用は、なんとかしてもらいたいもの。
母子手帳をもたぬ、検診を受けていない妊産婦が担ぎこまれても、
プライバシーとやらのために肝炎やHIVの検査を
勝手にやってはいけないのです。
医師たちの命に関わることなのに…

何故、事前に検診を受けないか?
金がかかるから。
…明らかなんだけどな。

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大城クラウディアの沖縄

2008-07-26 10:21:40 | Weblog
カーラジオからBEGINオーリトーリFMが流れてきた。
「おーりとーり」とは沖縄県八重山地方の方言で
「いらっしゃいませ」という意味。
「めんそーれ」を知ってる人は多いのかな?

八重山地方は9つの島から成る。
石垣島、竹富島、小浜島、鳩間島、西表志摩
黒島、浪照間島、新城島、与那国島
Beginは石垣島出身。

流れてきたFM番組では
2008年6月28日(土)沖縄県 西原マリンパーク 多目的広場 で行われた
うたの日カーニバル2008が特集されていた。

大城クラウディアは出演者の一人。
番組の冒頭、彼女の印象的な言葉が紹介された。

「ブラジルでは日本人と呼ばれ、日本では外国人と言われ
 沖縄に来て初めて うちなんちゅうー(沖縄の人) と言われた」
 
う~ん。
いい話ですねぇ。
実は、私も、典型的な日本人的外見にもかかわらず
外人→害人と言われてきますた。
まぁ、出身地はもちろん日本国内なんですが
ふるさとと呼べるところは、ないのです。
外国人から見れば日本人以外の何者でもないのに
日本人から見れば、考え方がちょっと違うらすぃ。

さて、大島クラウディアさんは以前もラジオで取り上げられてて
彼女の歌声や修行時代のエピソードを本人が語ってるのを耳にしてました。
ネットで、インタビューも発見♪
******************************
2007年12月06日
大城クラウディア・インタビュー
THE BOOMの宮沢和史のもうひとつのバンド・GANGA ZUMBAでも活躍する
大城クラウディア。宮沢和史プロデュース作品『Claudia』でソロデビュー。
地元民謡酒場の雰囲気がそのまま漂うよう、
そのほとんどを沖縄の伝統楽器のみで録音。

——ルーツは沖縄(沖縄県系3世)で、
生まれはアルゼンチンの大城クラウディアさん。
初のソロCD『Claudia』のプロデューサーがTHE BOOM/GANGA ZUMBAの
宮沢和史さんということですが、そもそも、宮沢さんとの出会いは?

大城クラウディア:まず歌からでした。
アルゼンチンで『島唄』をカヴァーし大ヒットした
アルフレッド・カセーロの『SHIMAUTA』(2001年作)には、
"日本語が歌える女性コーラスが欲しい"ということで
参加させてもらったことがすべての始まりだったんです。
アルゼンチンの日本人会を通じて連絡がきた時は、
まだ何の曲を歌うのかは知らず、
"まずは聴きに来てください"といわれて現場に訪ねてみた時に、
そこではじめてTHE BOOMの『島唄』だということを知らされました。

——それも偶然なのか、ルーツである"沖縄"をテーマにした曲だったわけですね。

大城クラウディア:私も自分のバンドで歌っていた歌でもありましたし、
まさか『島唄』を歌うことになるとは思ってもみませんでした。
日本語の歌でしたがアルゼンチンでも大ヒットになりました。
そして2002年、宮沢さんがアルゼンチンまで訪れた際に
お会いすることができたのです。

——その宮沢和史さんとの出会いをきっかけに、
日本へと渡ることになるのでしょうか?

大城クラウディア:私が「日本で歌いたい」と言っていたことを
憶えていてくださって、2003年に行われる宮沢さんのソロのヨーロッパツアーで
参加するバンド『MIYAZAWA-SICK』に「参加しませんか?」と
誘って頂いたんです。そうやって日本に来ることになりました。

——そこから沖縄修行へと展開してゆくのですね?

大城クラウディア:2003年から、宮沢さんのヨーロッパツアーや
南米ツアーのバックを務めた『MIYAZAWA-SICK』を、
2005年にあらためてバンド(それが『GANGA ZUMBA』)としてやってゆこう
という案が出たのとほぼ同時に、
「沖縄の民謡酒場『姫』に修行に行ってみないか?」と提案があったんです。

…「我如古より子さんからもしOKが出たら行ってみるか?」と言われ、
もしそれが叶うならぜひ行ってみたいと思っていました。
それで2005年の後半から2006年の3月末まで沖縄で過ごすことになったんです。
その数ヶ月の間、毎日休むことなく本格的な沖縄民謡の現場で、我如古より子さんにも直接いろんなアドバイスを伺うことができて貴重な体験をさせて頂きました…
***********************************

クラウディアさんが「なんちゃって沖縄民謡」じゃなく
「本場で本格的に」というところにこだわるのは、
いわゆる自分のアイデンティティにも関わるからなんだろうな。
ブラジル人であれ、日本人であれ、ルーツは沖縄なんだ!と。

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