「羽生」は「はぶ」と読むのがまぁ、通り相場だったが、
最近は「はにゅう」とも、読むのであるw
将棋の羽生世代の下の世代も伸びてきて、
羽生いわく、下の世代とタイトルを争うことが多くなり、
羽生の神話も崩れたかに見えて…なかなか崩れない。
「羽生善治」三冠(王位・王座・棋聖)が、
同世代の「森内俊之」名人(名人・竜王)と対戦中である。
現在、羽生の三勝0敗♪
羽生には竜王戦で「渡辺明」竜王に
史上初の「三連勝四連敗」(2008年)をやらかした前科があるので、
ファンとしては気が気じゃァない。
羽生って、まさに、記録にも記憶にも残る
レジェンド中のレジェンドですねぇ…
早く竜王にもなって、史上初の永世七冠になってほしいものだ。
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名人戦:羽生3連勝で王手 第3局
毎日新聞 2014年05月09日 20時39分(最終更新 05月09日 22時10分)
佐賀県武雄市の湯元荘東洋館で8日から繰り広げられた
第72期名人戦七番勝負第3局(毎日新聞社、朝日新聞社主催、大和証券グループ
協賛、九州通信ネットワーク、名人戦武雄対局実行委員会協力)は
9日午後8時24分、120手で挑戦者の羽生善治王位(43)が
森内俊之名人(43)に3連勝し、4
期ぶりの返り咲きに向けてあと1勝となった。
残り時間は森内18分、羽生24分。
第4局は20、21日、千葉県成田市の成田山新勝寺で行われる。
際どい攻め合いを羽生が競り勝ち、
4期ぶり通算8期目の返り咲きへ向けて前進した。
羽生の急戦矢倉からの攻めを、森内がかわそうとする展開になった第3局。
封じ手の5七銀(59手目)をはさみ、
2日目も当初は間合いを計る指し手が続いたが、
羽生が4五歩(66手目)と仕掛け、せきを切ったように激戦に突入した。
森内も8二飛(73手目)と反撃に出た。
しかし、羽生は、5七と(78手目)以下8三金と指し回して、森内の竜を捕獲。
穴熊の堅さを生かし、優勢に立った。
森内も粘りをみせ、一時差が詰まったかに見えたが、
最後は即詰みに切って落とした。
第2局に続き一気に攻めきった羽生の強さが光った。
名人戦七番勝負では森内に3期連続敗れていたが、今期は大きくリード。
第4局で反撃に転じたい森内がどう立て直してくるか。【山村英樹】
羽生王位の話 仕掛けたところでは、
指す手がなくなったので仕方がないかと思いました。
自信がなく、ずっとちょっと悪いんじゃないかと思って指していました。
本当に最後の方、8五歩(108手目)でよくなったと感じました。
森内名人の話 自分からはなかなか動けない将棋で、
動いてきたら反撃するつもりだった。
4筋から攻められて予期しない展開になった。
4四桂(85手目)に期待したが、あまり大したことがなかった。
6七銀(96手目)が詰めろで、それからはダメです。
☆
2008年6月17日、第66期名人戦第6局で森内名人を破り、名人位と三冠に復帰。
通算5期獲得により永世名人(十九世名人)の資格を得、
史上初の、いわゆる「永世六冠」(永世名人、永世棋聖、永世王位、名誉王座、
永世棋王、永世王将)を達成。
大山康晴と中原誠の「永世五冠」を抜いた。
そして、残る1つの永世位獲得をかけ、
第21期竜王戦で渡辺明竜王への挑戦権を得る。
渡辺が勝てば連続5期で初代永世竜王、
羽生が勝てば通算7期で初代永世竜王という、
タイトル戦史上初の‘初代永世位決定戦’となった。
七番勝負は羽生が開幕3連勝。
しかし、そこから3連敗してフルセットとなり、
2008年12月17日 - 18日に山形県天童市で行われた最終第7局でも渡辺に敗れる。
羽生は将棋界初の3連勝4連敗を喫して奪取を逃した。
なお、この最終局は矢倉の戦形からお互い早めに動く展開で、
中・終盤のねじり合いの内容が素晴らしく、将棋大賞の名局賞受賞局となった。
羽生にとっては同賞創設から3年連続3回目の受賞で、
いずれも敗局での受賞である。
☆
コンピュータが将棋を完全解明したら? 羽生善治三冠の回答
週刊ポスト2014年5月2日号 2014.04.24 16:00
人類は、自らが生み出した「人工知能」に
「参りました」と頭を下げるしかないのか。
2012年に故・米長邦雄・永世棋聖の「衝撃の敗北」から始まった
プロ棋士vsコンピュータソフトの電王戦。
昨年の第2回大会でも1勝3敗1持将棋(引き分け)と惨敗し、
今年の第3回大会では1勝4敗と形勢は悪くなるばかりだ。
しかし、ただ一人、コンピュータ将棋の「進撃」を喜ぶかのような男がいた。
不世出の天才棋士、羽生善治三冠(43、王位・王座・棋聖)である。
作家の大崎善生氏が、その“喜び”の意味を解説する。
* * *
96年に史上初の七冠を制覇した直後、
羽生は将棋雑誌編集者であった私に、
「これからは勝ち負けとしての将棋ではなく、本質に迫っていきたいと思う」
と語ってくれたことがあった。
将棋とは何か、どういう結論が待っているのか、完全解明してみたい、
もしそれが無理だとしてもできる限りそこに向けて少しでも近づいていきたい。
羽生がその言葉をこの世に落とした瞬間に、
将棋界は変わったのではないかと私は思っている。
全タイトルを奪取した完全な帝王が新しい方向を指差したのである。
勝ち負けから解明へ。
将棋の本質は何か。
自分たちが戦っているのは本来は何を競うどういうゲームなのか。
そもそも将棋の完全解明は可能なのか。
その結論はどういうものなのか。
彼のその発想が出発点だったんだと思う。
やがて将棋界には恐るべき革命が起こる。
終盤力こそが勝負の分かれ目と考えられていた将棋が、
やがて中盤の研究力が勝負になり、
そしてついには序盤の感覚を鋭く問われるようになってきた。
誰が指しても同じことになると信じられてきた
古来からの定跡さえも一手一手洗いなおされ、
定跡や先入観そのものが解体されてしまいつつある。
それは現実的に若手棋士を中心に今現在、将棋界で起こっていることなのである。
終盤から中盤へ、やがて序盤へ目が向けられること、
それは間違いなく将棋の本質に向かっていることに違いないだろう。
それを羽生の姿勢に呼応した次世代の若手棋士たちが
死に物狂いで探求しているのが今の将棋界なのである。
それはあたかも印象派が主流だった世界に
キュービズムやシュールレアリズムといった
新しい手法が持ち込まれているような不可解さを感じさせられることがある。
角交換を避け、角道を止めることが基本の第一歩だったはずの振り飛車が、
最近はその手さえ必要としなくなっているのである。
もっといえば将棋の初手は何が正しいのかということが
理論的に突き詰められようとしているようにさえ感じる。
そして、将棋におけるそれらの進展に、
やはりコンピュータ将棋の登場が
大きな影響を与えてきたのではないかと考えざるをえない。
電王戦後に発表された羽生の言葉は
「今回見ていて、ソフトはめちゃくちゃ強いと思った。
私が出るかどうかは谷川(浩司)(将棋連盟)会長に聞いて下さい」
という、ワクワクしている気持ちを隠しきれないようなものであった。
相手が強くなればなるほど、
将棋が難しくなればなるほど決まって羽生は嬉しそうに見える。
ではなぜ羽生は強くなる一方のコンピュータに対して何も恐れないのか。
それはあるインタヴューでの答えの中にある。
将棋がコンピュータによって完全解明されてしまったら、どうするんですか。
という質問に、羽生はケラケラ笑いながらこう答えた。
「そのときは桂馬が横に飛ぶとかルールを少しだけ変えればいいんです」
その瞬間に将棋は新しい命を与えられ、なにもかもが一からやり直しになる。天才の視野にはそんなことさえ映っているのである。
☆
森内俊之竜王・名人「一度でいいから壁を越える経験が大事」
news post seven 2014.02.03 16:00
今、将棋界は「三つ巴の戦い」といわれる。
棋界の頂点に立つ森内俊之竜王・名人を筆頭に、
その同期の羽生善治三冠(王位、王座、棋聖)、
そして一世代下の渡辺明二冠(棋王・王将)で7つのタイトルを分け合う状況だ。
20歳前後で初タイトルを獲得している羽生三冠や渡辺二冠と違い、
森内竜王・名人が初めてタイトルを得たのは31歳のとき。
「大器晩成」型のように思えるが、その飛躍のきっかけは何だったのか。
新刊『覆す力』(小学館新書)を上梓したばかりの森内竜王・名人が解説する。
* * *
25歳のとき、名人戦で羽生さんに挑戦しました。
羽生さんが七冠王だった時期で、1勝4敗で負けました。
この七番勝負のときは、どこから攻めても守っても、
最後にはやられるという感じでした。
羽生さんの手のひらの上で転がされているような感覚です。
名人戦は七番勝負。
4つ勝たなければいけないわけです。
羽生さんとやって1つは勝てても4つ勝てる気は全くしなかった。
それからしばらくは、トーナメント戦で挑戦者の座が近づいてくると
「また羽生さんと戦わなくてはいけないのか」と考えてしまい、
結果としてタイトル戦から遠ざかってしまったこともありました。
そんな状況が変わったのはいくつか理由があります。
私から見ると、絶対的な強さに思えた羽生さんから若手棋士がタイトルを取り、
自分にもやれるのではないかと思えたことも大きかった。
もちろん地道な将棋の研究も大事で、自分の将棋も見直しました。
私は序盤に時間も体力も使い過ぎていたので、これを改め、
後半に時間と体力を温存するようにしました。
それから、自分らしくのびのび指すように心掛けました。
その結果、31歳で名人位を
当時の名人・丸山忠久九段から取ることができました。
初めての名人位は1期で失いましたが、
一度“名人”を経験したのは大きかったです。
越えられないと思っていた名人の壁を越えられた。
壁は越える瞬間が一番大変で、一度越えれば「また越えられる」と思えます。
私にとっては、たった一度のタイトル獲得の経験が大きかった。
とにかく一度でいいから壁を越える経験をすることが
何事においても大事だと思います。
正直、かつては、
羽生さんと同世代であるということを不運に思ったこともありました。
しかし今は、羽生さんや同世代の棋士がいたからここまで来られたという、
感謝の気持ちしかないですね。
※森内俊之/著『覆す力』(小学館新書)より
三流は人の話を聞かない。
二流は人の話を聞く。
一流は人の話を聞いて実行する。
超一流は人の話を聞いて工夫する
~ 羽生善治