SFに必要な要件とは、sense of wonder ということらしい。
しかし、この概念、ジャズのスィングと同じくらい、分かりにくいというか
説明を拒むようです。
sense of wonder は、不思議な感じ とでもしておきましょうか。
「トップをねらえ!」の評価が高いのは、疑似科学的な宇宙観というよりも
エンディングの後日談…
1万2千年後、地球に帰還したさいのエピソードに
sense of wonder が集約されているからだと想うのです。
そもそも、時代の雰囲気は50年で再生不能というか、
分からなくなってしまうらしい。
1万2千年…人類が人類でなくなっているかもしれないほどの
時を超えて、二人を歓迎する!!
人類も捨てたもんじゃぁありません。
「蒼穹のファフナー」で、フェストゥムの「祝福」をうけて
「無」の側に行ってしまった総士が、
悠久の時を経て、自分を再構成して竜宮島に戻ったとき…どうなってるかな。
復興した世界で、まだ竜宮島に人はいるだろうか?
観光地になってるのかな?
ど~も、ギャグ的なオチしか思い浮かばん。
最近のアニメでは「電脳コイル」が sense of wonder だらけといいましょうか
懐かしい昭和の横丁が、実は、魔術的なまでに発達した科学によって
再構成されていた…と言っても、すごい不正確な説明なんですが…
現実空間と重なっている仮想空間を少しずつ探検していく、
と云った方が正確でしょうか。
宇宙だとか、天文学的な数字が出てこなくても
sense of wonder が味わえるとは、すごいことなんだけど。
「電脳コイル」は、アニメも歌も良質なのに
カルト的な大ヒット…というわけでもない。
良い作品が売れるとは限らない、というのは実際にあるんだねぇSIGH…
しかし、この概念、ジャズのスィングと同じくらい、分かりにくいというか
説明を拒むようです。
sense of wonder は、不思議な感じ とでもしておきましょうか。
「トップをねらえ!」の評価が高いのは、疑似科学的な宇宙観というよりも
エンディングの後日談…
1万2千年後、地球に帰還したさいのエピソードに
sense of wonder が集約されているからだと想うのです。
そもそも、時代の雰囲気は50年で再生不能というか、
分からなくなってしまうらしい。
1万2千年…人類が人類でなくなっているかもしれないほどの
時を超えて、二人を歓迎する!!
人類も捨てたもんじゃぁありません。
「蒼穹のファフナー」で、フェストゥムの「祝福」をうけて
「無」の側に行ってしまった総士が、
悠久の時を経て、自分を再構成して竜宮島に戻ったとき…どうなってるかな。
復興した世界で、まだ竜宮島に人はいるだろうか?
観光地になってるのかな?
ど~も、ギャグ的なオチしか思い浮かばん。
最近のアニメでは「電脳コイル」が sense of wonder だらけといいましょうか
懐かしい昭和の横丁が、実は、魔術的なまでに発達した科学によって
再構成されていた…と言っても、すごい不正確な説明なんですが…
現実空間と重なっている仮想空間を少しずつ探検していく、
と云った方が正確でしょうか。
宇宙だとか、天文学的な数字が出てこなくても
sense of wonder が味わえるとは、すごいことなんだけど。
「電脳コイル」は、アニメも歌も良質なのに
カルト的な大ヒット…というわけでもない。
良い作品が売れるとは限らない、というのは実際にあるんだねぇSIGH…