YUKI

言語、言語で表現できることすべて

仏教用語としての「諦め」

2007-09-26 23:26:26 | Weblog
漢字文化圏で「諦める」の「諦」を give up の意味で使っているのは
日本だけなのだそうです。

「諦」は「物事を正しく明らかに認識する」という意味なのです。

仏教用語としては、
自分の努力でどうにかなるものと、ならないものを
わきまえて、「どうにもならないもの」は「どうにもならない」と
認識すること!となりますねぇ。

どうにもならないもの=苦 なのです

人生は四苦八苦で、苦に満ちています。
なぜ、どうにもならないことを願いたがるのか?
それを知ることが自分を知ることであり
諦めの境地こそが、強靭な希望を抱かせてくれるのでしょう。

現在の私は、はっきり言って不遇です。
仕事すればするほど、敵が増えて、不遇になります。

でも、仕方ありません。自分にできることをするだけです。
これが私の現在における「諦念」です…

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スピーチ・コンテスト

2007-09-26 23:17:20 | Weblog
今年もスピーチ・コンテストの依頼がありまして
本日、ジャッジしてまいりました。
高円宮杯の予選を兼ねた県大会です。

ジャッジは日本人3人、英語母語話者2人の計5人。
なかなか本格的です♪

スピーチ・コンテストのジャッジング・ペーパーは
様式がすごくシンプルなんですが
昨年依頼があった地区大会のチーフ・ジャッジが、自分専用の様式を
私を含めた、他のジャッジにも使わせてくれたのでした。

非常にすぐれた様式だったのですが…
実際に使ってみて、「分析的な」様式も
必要不可欠!というわけではないことが分かりましたねぇ~。

今年は、ジャッジも10年目!!
自分の英語聴覚像を信じて、ジャッジしている間は
極力、原稿の文字情報を目に入れずに
「聴いて理解できるか」
「スピーカーのパフォーマンスはどうか」
ということに集中しました。

その結果、おもしろいことに…
私のジャッジはネィティブ2人のレイティングと
そっくりだったのです♪
反面、日本人2人とは全く違う結果に…

日本人とネィティブの評価がこれだけ!分かれたのは
私の経験では珍しいのですが。

私が聞き取れない発音は、ネィティブもわからないと言ってました。
英語っぽく聞こえる発音でも、子音が連続する部分を
飲み込んで曖昧に発音してしまえば、ネィティブには
とたんに聞き取れないものになってしまうようです。

本当の英語音で発音していれば、実に分かりやすく
意味がスッと入ってくる。

以前は、カタカナっぽい発音でもクリアであればいいんじゃないか
と漠然と思っていたのですが
カタカナっぽく聞こえるものでも英語音に近いか
日本語音なのか…つまり、英語として natural なのかどうかが
直感的に判断できてましたね、今日は。

地区大会を突破してきたのに
ネィティブが聞き取れないのは、指導者の責任が大きいでしょう。
主な問題点は…
①子音をしっかりと調音していないため、持続時間が短すぎる
②ストレスとピッチ、つまりアクセントとイントネーションの
 違いが分かっていないため、
 不自然なうねりが、声にでてしまう。

この2つだけでも克服できれば、かなり understandable な発音になりますよ♪

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