ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

氷水といじめ

2014-08-26 07:31:37 | Weblog

「いじめとの共通点」8月21日
 『山中教授も、孫社長も、ブッシュ前大統領も』という見出しの記事が掲載されました。『運動機能が失われ、全身の筋肉が動かなくなる「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」の患者を支援するチャリティイベント「アイス・バケット・チャレンジ」』の広がりを報じる記事です。私は氷水をかぶった人が次にかぶる人を3人指名するという話を聞いたとき、「不幸の手紙」を連想してしまいましたが、そうした趣旨の批判はないようです。
 ただ、私には、この「アイス・バケット・チャレンジ」には、学校でのいじめと共通する要素があるように思えます。まず、他人には他人の事情があるという想像力の欠如です。心臓が弱い人が氷水をかぶったりしたら命に係わる大事になりかねません。もし、心臓に病を抱えている人がいて、そのことを周囲の人は知らずいた場合、「指名」されることは大きな困惑をもたらします。隠していた病を公表したくはないし、自分だけかぶらないということで仲間外れにされたくないという葛藤が生じるわけです。この「アイス・バケット・チャレンジ」を面白がる人は、他人はみな自分と同じという考えをもつ幼い人であるという印象がぬぐえません。他人の痛みに鈍感であるというのは、いじめ加害者に多く見られる傾向です。彼らはいじめが問題になると、いじめているつもりはなかった、そんなに嫌がっているとは思わなかった、と自己弁護するのです。
 そして、こうした批判に対して必ず出てくる意見が、嫌ならば断わればいい、というものです。これこそ、いじめの本質を無視した考え方と共通するものなのです。人間は、嫌だからといって嫌と言えるような強い人ばかりではないのです。それにもかかわらず、嫌だと言わなかった人に責任があるという論理で、「被害者」をさらに追い詰める、まさしくいじめの典型的構図です。
 また、自分が面白いと感じることは他人も面白いと感じるべきだという発想もうかがえます。これは、同じ意見・感性の人だけを囲い込み、自分とは違う人を排除する行動につながりやすいものです。仲間外れはいじめの第一歩であることはご存じのとおりです。
 さらに、「指名」という行為には、他人を意のままに動かそうという傲りが感じられます。少なくとも、「やってくれますか」という相手への配慮はありません。こうした人に限って、勝手に「指名」したにもかかわらず、相手を非難するのです。いじめ加害者の多くが、独りよがりな理由でいじめの原因を相手に押し付けいじめを正当化する論理に通じます。
 最後に、集団対個人の構図です。「指名」をする人は今までに氷水をかぶった多くの人たちを味方にしその集団内に自分を置きます。数万人が自分と同じだぞという数の論理をふりかざし、まだ氷水をかぶっていない個人に圧力をかけるのです。こんなに大勢の人がしていることを君だけはしないつもりか、と自分を多数派、強者の立場に置き、反撃されない安全圏から個人を見下ろすという形です。いじめの構図そのままです。
 数多くのいじめ問題に取り組んできた私には、どうしても「アイス・バケット・チャレンジ」を好きになれません。

 

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