ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

サムシング・ニューイズム

2014-08-27 07:32:45 | Weblog

「サムシング・ニューイズム」8月22日
 『「教育復興」の福島の新高校 秋元氏が校歌制作』という見出しの記事が掲載されました。『来年4月に広野町に開校する県立ふたば未来学園高校の校歌を、作詞家の秋元康氏が制作する』ことを小泉進次郎復興政務官が発表したことを報じる記事です。結構な話です。ただ、この記事の後段の記述が気になりました。
 『「ふたばの教育復興応援団」を発足させ~(中略)~、小泉氏は「応援団として、年間で最大100時間の授業を考えている。全国が注目する、前例のない教育を作りたい」と語った』のだそうです。100時間の授業といえば、毎週2時間以上もある計算になります。小中学校で言えば、「総合的な学習の時間」よりも特設道徳の授業よりも、図画工作や音楽の授業よりも多い授業数です。つまり新しい教科を設けるのに匹敵する授業数なのです。
 それだけの「時間的投資」をして、どのような効果を期待しているのか、記事からは全くわかりません。気になったのでネットで調べてみると、秋元氏以外にも俳優の西田敏行氏などの著名人が授業をする予定のようですが、イメージが浮かびません。
 まさか、各界で活躍する著名人のお話を伺う、というわけでもないでしょう。自ら考え自ら解決する力の育成を目指す現代の学校教育において、そんな受け身の授業に100時間も費やすはずがありません。また、著名人の話なら有益だろうというのも安易すぎる発想です。それぞれの専門を生かし、生徒が主体的に学び追究する能動的な学習を意図しているのであればよいのですが、お忙しい著名人の方が一定の期間同校で生徒の学習状況をみとって指導助言できるのでしょうか。
 私には想像もつかない斬新な方法が構想されているのかもしれませんが、「前例のない教育」という言い方に懸念が募るのです。13年前に読んだある本の中にあった「サムシング・ニューイズム」という言葉が浮かんできてしまうのです。ちなみに、「サムシング・ニューイズム」については、『マスコミは何でも新しいことには飛びつくが、陳腐なことには見向きもしない。社会も新しい試み過大視し、制度を変えることばかりに腐心している』という記述にあるように、新しい試み=善という価値観です。中身を慎重に比較検討することなく、新しければよいという発想で、既存のものとの差別化を図ることを優先する考え方が、ふたば未来学園高校の応援団授業にあるように思えてしまうのです。もしそうであれば、不幸なのは生徒たちです。

 

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