イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

RAMAZAN BAYRAMI(2)ALEXANDREIA(アレクサンドレイア)

2012-09-07 17:38:58 | 

間が開きましたが、ラマザンバイラムの最終日、前日にふと帰り道で通るEZINE(エズィネ)という街について検索をしてみると少し回り道にはなるけれど、ALXANDREIA(アレクサンドレイア)という遺跡が海沿いにあることを発見。早めにホテルを出発しました。EZINEからBOZCAADAという島に渡るフェリーが出る港の近くの村でALEXANDREIAまでの道を尋ねると、ついでに「そこには昔の港があるけどよかったらそこも見て行ってね」と教えてくれました。

 斜めに組まれた石の壁

エーゲ海からマルマラ海、そしてボスフォラス海峡を通って黒海へ続く海を分つダーダネル海峡を望む場所にその遺跡はありました。真っ青な空に真っ青な海、ただそれだけの景色の中に数本の柱が海に沈んでいます。ここがかつてローマ帝国の首都にと考えられた地だったと誰が想像できるでしょう。

戦争があるとローマ人達はここを通って東に向かったそうです。ローマの商人達がここに住んだとも言われています。またこの港からキリスト教をヨーロッパに布教する者たちが旅立ったなどヨーロッパへの重要な拠点だったそうです。

港から数分、オリーブ畑の中に遺跡の案内板がありました。入り口には小さな小屋があって門番さんがいます。入場料は無料。門番さんが「何がどこにあるかおおよそのことを説明しますね」と出て来てくれました。これまで訪れた畑の中にある人知れぬ遺跡の門番さん達のほとんどは、日がな一日昼寝をして時間をつぶしているようなおじさん達なのですが、ここの門番イスマイルさんはちょっと違いました。

 お屋敷の天井模様

最初は控えめに、遺跡の場所を説明していましたが、私たちが興味を持って色々質問をすると、次々と専門的な知識で答えてくれるのです。自分が管理している遺跡のことについて詳しいだけではなく、エーゲ地方のその他の遺跡との関連やその役割などを、それは豊富な知識でわかりやすく説明してくれます。そこら辺のガイドよりもずっとわかりやすい言葉で説明してくれるのでもっと聞き続けていたいと思うほど。

 門番イスマイルさん

自分の遺跡を愛してやまない門番イスマイルさん、偶然一緒になった考古学者のおじさんも「僕はイスマイルさんに感心しました」と心から賛辞を送っていました。最後に雑談をしていると「日本からなどの旅行者がガイドブックを見せてくれるけれど、ASSOSの遺跡の写真はあってもそこよりももっとすばらしい僕の遺跡の写真はないんです」と悲しそうでした。

 商店街の大理石の道

ALEXANDREIAはアレクサンダー大王の名の下に紀元前310年に建設されました。周囲は8kmの城壁で囲まれていたそうです。その経済力はトロイを凌ぐ程だったそうです。ローマ帝国初代皇帝アウグスチヌスの時代には引退したローマ兵たちの居住地としてローマ帝国の都市の様相を呈していた様です。

 ハマム跡

また紀元3世紀には当時の世界有数のお金持ちだったアテナのHERODES ATTICUSという人がカズ山からこの地まで水路を開き、現在も遺構が残る多くのハマムや泉水を作ったことは往時の豊かさを物語っています。

遺跡からは少し離れたところにあるこのハマム跡、1809年まではほとんど原形をとどめていたそうですが、残念ながら地震で崩れてしまいました。しかしこの大きな建物はトルコにあるローマ帝国時代のハマムとしては最も大きいものの一つであるそうです。

そのままの姿で残る下水道管や斜めに石が並べられたお屋敷の壁や美しい大理石の天井模様など、ほとんど手が加えられていないオリジナルの状態が保たれており、門番イスマイルさんの案内と共にローマ時代へ引きこまれてしまいました。

 

 

ボケボケですが花嫁さんの馬車です。

    

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