山野颯想

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平尾墓参(僕が皆や仏様に訊ねたこと)

2014年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo

◆撮影:2014年5月18日、くろんど園地にて

(ニガナ)

2014615日(日)

『平尾墓参』

<僕が皆や仏様に訊ねたこと>

先月同様一人で平尾の墓地を訪問した。月に一度の墓参なのだが、今日も上さんは用事があって一緒に行くことはできなかったが、降雨の心配が無いのと然程気温が高くないという6月としては恵まれた日曜日であったゆえ車を走らせた。

墓石に供華の枯れ花が残っていなかった。先月僕がお参りした後にいつの日にか何方かが綺麗にしてくださったのだろう。先ずは墓地の草抜きなどの清掃から始め、次はお花の器や墓石の水洗いをする。供華を済ませていつものようにKI兄さんの墓石からお参りし、次はTR祖母ちゃん、そして次はMOお父さん、そしてKY子へと順にお参りをした。

今日僕が皆や仏様に訊ねたこと、それは「昨秋の滑落事故時に何故僕を死なせてくれなかったのか」「あのときに死なせてくれたなら今、こんなに苦しまなくても済んだのに」「僕に生き続けなければならない何某かの使命が存在するのか」と、「もし僕が上さんやJN子よりも先に逝ったときに、上さんやJN子の生活やダンススクールの営業に支障が生じるのだろうか」であった。

昨秋の滑落事故後に、ABちゃんが記した事故報告書に「前尾根前壁ルンゼ下降中、約20m落下し、2回バウンドして大岩陰でやっと止まる」「左耳前部より多量出血あり、本人意識なし」とあるではないか。僕が逝く絶好の機会では無かったのか。また後日、「あそこで止まることなく更に墜落していたなら間違いなく死んでいた」と聞いたし、また先日、「ヘルメットを被っていたから助かったやんやで」とABちゃんが話したではないか。

ここのところ僕が度々思うこと、それは「自殺と覚られないように、山の会の皆に迷惑がかからないように、何処かの岩場で墜落死できないものだろうか」である。そのための具体的な岩場を想い浮かべたりすることが僕の脳裏に頻繁に生じる。

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