山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

四柱推命の先生の言葉(お墓の面倒をみる)

2014年08月22日 | 日記・エッセイ・コラム

P8160167

◆撮影:2014年8月16日、大石山の家にて

201479日(水)

2014721日(月)

『四柱推命の先生の言葉』

<お墓の面倒をみる>

馬町にある四柱推命の先生が、大先生は亡くなって久しいと思うのだが、我々の二人の娘がまだ幼かったころ、もう三十年も以前のことなのだが、先生が僕に語った言葉の中で二つのことを明確に覚えている。

その一つは「孫が五人」であり、二つ目は「両家の御墓の面倒は貴方がみることになる」であった。それらの内一つ目の「孫は五人」は見事に外れるようだ。それは長女であるKY子が二十歳で我々よりも先に逝ってしまったからだ。次女のJN子は一男一女を儲けたが、もう三十歳を迎え、仕事を抱えているという中では、あと三人を出産し育てることはあり得ないと思われるからだ。また、二つ目についても、僕にも上さんにも兄が居るゆえ、両家のお墓は何れもが長男家が引き継いでいるので、これもあり得ることではないだろう。正しく、「当たるも八卦」「当たらぬも八卦」なのだろうか。

ただ「お墓の面倒をみる」と「お墓を相続する」とは別ものかも知れない。KM家のお墓には、お袋と親爺が行なっていた毎月の三の日のお参りをお袋も親爺も逝ってしまった現在、僕が踏襲し行なっているし、TN家のお墓には、そのお墓の横に我が家のお墓がありKY子が這入っている関係上、やはり清掃と供華の為に月に一度は欠かさずお参りしているゆえ、当然のことながら、TN家のお墓の清掃や供華、お参りも月に一度は必ず行なっている。これらのことが「お墓の面倒をみる」にあたっているのかも知れない。

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