『戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない…』 ユネスコ憲章前文の一部
この言葉をはじめて聞いたとき、私の全身を電流が流れたような衝撃が走ったことを思い出す。昭和42年、私は30歳。この時が、竹藤寛氏との出会いであった。
昭和32年、仙台市で仙台ユネスコ協力会が生まれた。その後、全国各地にユネスコ協力会が生まれ、福岡ユネスコ協力会が翌年、昭和23年に産声を上げた。戦後の荒廃した日本の再建と、早く国際社会で貢献をしたいという願う人たちにとって、ユネスコ憲章は闇の向こうに輝く一つの灯火となっていた。昭和26年、日本はユネスコに加盟、また、昭和32年、国際連合に加盟した。
ユネスコ精神に共鳴した有志が集い、自主的にユネスコの理念を具体化するために、文化活動、国際交流活動をこの地で続けた。
福岡ユネスコ協会の60年の歩みは福岡地域の戦後史の一部となっている。