◎自民党・創価学会亡国論 屋山太郎 2001/8
創価学会本当の恐ろしさ・ほか…<三笠書房 1500¥>…より
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◆二一世紀の「日本再生プログラム」
「地方分権一括法」(以下一括法)が二〇〇〇年(平成一二)四月に施行されてから一年が経過した。
これによつて法律面でも地方分権が促進されることになった。
これまでは知事や市町村長を国の「出先機関」とみなして、地方自治体に事務を行なわせてきた(機関委任事務)。しかし、これでは責任の所在が明確ではないことや、国が包括的な事務監督権限を持っていたために、国と県,市町村があたかも上下関係にあるかの如くだった。
それが、地方自治体が自らの責任で実施する「自治事務」と、国が強い関わりを持つ「法的委託事務」に再構成されることになった。
また、これまでは国から県、県から市町村に対して、指示や許認可、事前協議の義務づけなど、さまざまな関与が認められてきた。こうした関与が行政の透明性や効率性を阻むとして見直されることになった。今後、中央からの自治体への関与は、法令に根拠を持たないものは認められなくなる。
こうして、国から県、県から市町村に権限移譲を推進することを目的に成立した一括法だが、一年を経て大きな問題が浮上している。
地方自治体にとって、財政再建をするにも、新しい事業を起こすためにも、財源が必要だということだ。この一括法で自主財源が広がるとの期待が強まったが、この一年で新設された地方税は、山梨県南都留郡河口湖町など三町村が申請した「遊漁税」だけにとどまつている。
馬券投票権販売税に総務庁から待ったをかけられた横浜市の高秀秀信市長は、「いろいろ理由をこじつけられた」と猛反発し、国地方係争処理委員会に持ち込むことにした。
東京都北区では、空調設備外気税やトイレットペーパー、ペットボトルの販売税導入を検討したが、「北区だけが行なう特別な理由が見当たらない」として導入を見送った。
三重県では、産業廃棄物税を産廃を排出する事業者から徴収しようと条例制定に向けて詰めの作業に入っているが、「最後に許可を出すのは総務庁」と、導入の最終決定は中央にゆだねられている。
地方分権を完成させる決め手は、地方自治体が独自の財源を持つことである。それには地方独自の課税をしてよいというようなことでは間に合わないことがはっきりした。所得税、消費税の一定割合を地方に割譲して、自活するに足るだけの財源を持たせなければならない。
地方分権が進めば、国会議員が地元へ補助金をもたらすための仕事などはまつたく不要になるのだ。
結局、地方自治体に対する課税自主権の尊重を求めるかけ声とは裏腹に、従来の権限や力を保ちたい中央官庁の壁が依然として厚いことが明らかになった"明治以来の制度が一朝一夕に崩れるとは考えにくい。地方は昭和四〇年代から声を揃えて地方分権を叫んできたが、徒労に終わっていた。
最良の転換方法は政権交代だろう。イタリアの地方分権はそれによつて一挙に進んだ。
新しい政権には既得権益がないから、容易に制度が変えられるのである。
本物の地方分権を確立するには、官僚内閣糾を根本から変えない限り無理だろう。中央が地方の権限を手放すということは、権力の半分以上を手放すことにほかならない。
地方分権は時代の流れである。その分権を担保するものは、地方自治体が独自の財源を持つことにほかならないのだ。
一九九八年度(決算)の国,地方の歳入歳出の関係を見ると、国税収入は五一兆三〇〇〇億円で、地方税収入は三五兆九〇〇〇億円。これが支出の段階になると、国は国債、地方は地方債を合わせて、国の歳出が五七兆九〇〇〇億円、地方は九八兆五〇〇〇億円となる。
簡単にいうと、国と地方の収入の割合は六対四。支出は国が四で地方が六。つまり、地方は自前の地方税の収入では足りず、国から補助金、地方交付税交付金、地方債の合計で六二兆六〇〇〇億円をもらって生計を立てているわけだ。その生計補助の一つひとつに国の注文がつく。要するに、国はカネの力で地方を押さえつけていることになる。
地方の独立とは、地方が支出に見合った収入を得ることである。自前の収入に見合った事業と借金をしなければ地方分権は確立しない。このためには、国の財源を地方に移譲することが不可欠だ。
その際、道州制や市町村合併など、行政の面積がよく問題にされるが、現状の行政単位をスタートラインにして、合併・分割は地方の実情に任せればよい。できれば、大きくまとまったほうが、税制や財政調整金が増える仕組みをつくることができて効率的だ。ヨーロッパでは、人口八〇〇人の村から何十万人の市までが同等の権利を持って共存している。
地方自治体が、課税の率も含めて自己決定できるようになれば、住民の地域への帰属意識や政治への関心も一気に高まるだろう。日本が真に自由で効率がよく豊かな国に生まれ変わるためには、このハードルを越えなければならない。
実は民主主義というのは、地方分権からしか生まれない。身のまわりのことはすべて自分で決める。皆で集まって近所のことを決める。次にカネの使い道を決める。こういったことの積み重ねが民主主義の出発点なのである。
それをやらせないで、国民を飼い殺しにしようとしたのが中央集権の官僚政治だが、地方が独自の財源で多様性のある政策をとっていた三百諸侯の時代に回帰するときが来たのである。
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