私は山崎正友を詐欺罪から救った! -- 2002/05
--アウトローが明かす巨額“手形詐欺”事件の真実--
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3 「売り手形」の調達
次の日の午前中、問題の手形を詐取された木村が、私の居候先の事務所に現れた。
「塚本社長、大変ですよ。昨日社長に会ってもらった、あの丸尾の会社のシーホースは創価学会の関連している会社で、塚本さんが昨日会いに行ったボスという男は、どうも創価学会の最高幹部で顧問弁護士の山崎正友という人らしいですよ。今、買ってきた週刊誌に、その山崎弁護士のことが載っていますよ。これをよく見てくださいよ」
木村が週刊誌を差し出した。「週刊現代」(昭和五十四年十二月十三日号)だったと思う。
大見出しは、「創価学会「池田・北条体制」をゆさぶる最高幹部反乱事件の奇々怪々」の文字が躍り、小見出しに「「顧問弁護士を切れ』の声」とあった。
内容は、創価学会が顧問弁護士である山崎に、日蓮正宗総本山大石寺との間で持ち上がっている問題について解決するように依頼したが、この山崎弁護士によるマッチポンプ的な行動で創価学会が迷惑を被っている。このような偽善者的な顧問弁護士は「切るべし」--との声が上がっている、と書かれていた。
その時そこにいた仕事師達と私は、この記事を見て、シーホースという会社や山崎が顧問になつている創価学会のことを話題にした。
そしてもし、この週刊誌の通り山崎という男が、創価学会の最高幹部の顧問弁護士で、シーホースという丸尾の会社が創価学会に関連しているなら、シーホースは絶対に倒産するようなことにはならないはずだ。
これを機会に、うまく食い込むことができれば金儲けができるかもしれない。いわゆる金の匂いがするぞ、などと、今から思えば欲ボケなバカ話にうつつを抜かしていた。
そんな話の最中に、前日ホテルニューオー夕二に呼び出して脅しつけた、シーホース社長の丸尾から電話がかかってきた。
「うちのボスが塚本さんに会いたいと言ってきたのですが……。今日もまた、塚本さん一人でお願いしたいのですが、ご都合はいかがでしようか、もし宜しければ早めにお願いします」
昨日の今日である。昨日は、お互いにハッタリをかけあってのやり取りに終始した。相手も田岡組長の名前を出すくらいだから、それなりのヤクザのケツ持ちが居るはずだ。
「このケツ持ちが出て来ての話し合いになるだろう。まかり間違えば、飛んで火にいる夏の虫。切り取りに行った先で、返り討ちに会うこともある世界だ」
と、それなりの覚悟をしながら、その一方では、ただ単純に、昨日会ったあの男がパクッた手形を返すことができるようになったので、その手形を返すために私を呼び出したのだろうとも考え、--
「ああ、いいよ、俺の方は今すぐにでもかまわないよ、今すぐに行きますよ」
こう言って、そこにいた仕事師仲間の連中に、できたら上手く取り入ってくるよ、と、軽口を叩きながらも、内心では度胸を決めて、一人であの男が待つ豪華マンションに出かけて行った。
男は、私が心配していたようなこともなく、一人で本当に私を待っていたようで、昨日とはうって変わつて愛想よく、自分から話しかけてきた。
「忙しいところ、呼び立ててすまん。例の手形のことは、もう少し待ってくれ」
私の予想とはかけ離れた態度と、この変わり身の早さに驚きながら、男の話に耳を傾けることにした。
「昨日はすまなかった。君が来る前に一寸いやなことがあって、気が立っていたんだ。今日は君と仕事のことで少し相談があって--。
うちの丸尾から聞いたんだが、君は、ついこの間まで築地で仕事をしていたんだって。どんな仕事をしているの。ああ、そうだ、昨日は挨拶もろくにせず失礼した。
俺は山崎だ。通称、山友先生と言われている弁護士だ。まあ、今後はよろしく頼むよ」
ああ、やっぱり、この男が山崎か。この男がさっき木村が持ってきた週刊誌で見た創価学会の最高幹部で顧問弁護士の山崎正友なのか、どうも信じられないな、などと思っていると、この男は薄ら笑いを浮かべながら、勝手に話を始めた。
「実は、うちの会社シーホースの社長の丸尾は、俺の妹の亭主で義理の弟なのだが、商売はまったくの素人なんだ。あっちこっちのブロー力ーに騙されて、振り回されている。実はあの手形も、うちの商材を売った代金として受け取った手形で、丸尾やシーホースの社員がパクッたわけではないのだ。
俺の方で良く調べてみたら、どうも、丸尾たちが取引した相手の男があの手形をパクッて、うちの商品代として回してきた手形だったことがわかった。
俺は、そんな手形だとは知らずに銀行に持ち込んで割り引かせて、使ってしまったから、今すぐには返すことができない。そんなわけで、申し訳ないのだが、その替りになる手形を銀行に持って行かないと、あの手形は取り戻すことができない。
これも丸尾達から聞いた話なのだが、君に頼めば、手形が借りられる方法があるらしい、と聞いたんだが、なんとか相談に乗ってもらえないだろうか?」
この男は、私に哀願するような仕草で頭を下げた。
「なんとか別の手形を手に入れることができないだろうか?--君の方で手に入るようなら、ぜひ頼む。--少しぐらいの金なら用意する。後で不渡りになる手形でかまわない。なんとかならないか?」
私は、この時点では、シーホースという会社の実態を何も知らないし、山崎のことも何もわかってはいなかった。
私の知っている情報と言えば、ここに来るほんの少し前に、木村が持ってきた週刊誌を見ただけである。が、この目の前にいるこの貧相な男が、本当にあの創価学会の最高幹部で、かつ顧問弁護士であるなどと、とても信じることはできなかった。
そこで私は、この男をからかう心算で、こう言っていた。
「先生、売り手形でよければ手に入りますよ」
「何?--売り手形?--そんな物があるのか?--で、それはいくらぐらい出せば買えるものなんだ?」
弾かれたように身体を乗り出してきた。
「そりゃ、ピンからキリまでありますよ。まあ、一枚五、六万も出せば、かなり上等な手形が買えると思いますよ」
「本当か。じゃあ、なんとか手に入れてくれ」
頼む、というように山崎は頭を下げた。
ところで私は、頼まれごととはいえ、この男の関係者にパクられた手形を取り戻しに来た者であって、いわば、この男と私は反目する立場にある。
その私に、たった二度目の面識で、しかも、私が現役のヤクザであることもわかっていながら「売り手形を買いたい」とは、この男はいったい何を考えているのか。実際、私はまったくわからなくなった。
だが、その場の雰囲気から、「わかりました、さっそく手配してみますよ」--と、答える羽目になっていた。
「ああ、ぜひ、頼むよ」--と、懇願されたが、なんだか、一寸おちょくられたような気分であった。この時の私は、まるで狐につままれたような気分で、事務所に帰った。
操り返すが、この時の私は、この男にとっては手形を切り取りに来た敵対者である。しかも、私に依頼していることが「売り手形」の入手だ。そして、このことは犯罪行為なのだ。普通の人間なら敵対者に犯罪行為を依頼するなど、絶対にできることではない。
ましてやこの男は、わが国最大の宗教法人創価学会の最高幹部で、かつ顧問弁護士という法律の専門家なのだ。現職の弁護士がヤクザ者の私に犯罪行為を依頼するだろうか?
そう疑ってみるのが普通だった。
弁護士の山崎が私を陥れるため、わざと売り手形がほしいと画策しているのではあるまいか? 犯罪の証拠をつかんだ上で、我々からパクッた手形を棒引きにする魂胆ではないか?
現職の弁護士がヤクザ者に、犯罪行為を依頼するはずがない。そんな馬鹿話はとうてい信じられることではない。
だから私は、この男の依頼が実は私をハメる罠なのではないか、と疑わざるを得なかった。
だが逆に、もし、この弁護士という法律の専門家の、この男が本当に犯罪行為であることを承知の上で、売り手形でもいいから欲しいと、本気でこのことを私に頼んだのなら、これはこれで面白いことになるとも考えた。
そこで私は、早速、この男とシーホースという会社に関する情報を集めることに専念した。
私のところに集まって来る情報の多くは、食品関係の仕事師を始め、ほとんどが、アウトローがもたらす情報である。
しかし、それらの情報は、興信所のありふれた“表情報”銀行情報より、はるかに現実性を帯びる精度の高いものであった。
その結果、シーホースという会社の経営はかなり悪化しているらしいこと、そして、もうすでに、一部の悪質な食品プロー力ーや仕事師が暗躍しているばかりか、これらの連中が流すうわさを聞きつけ、手形のパクリ屋、取り込み詐欺師、ヤクザ者、特に経済ヤクザを自称するアウトローの連中が、虎視眈々とスキを狙っていることがわかった。
そして、アウトローの仲間内では、かなり面白味があると評判の高い会社であることもわかった。
これらアウトロー情報でも、当時、丸尾が社長のシーホースというこの会社は、創価学会と閲連がある会社として信じられていた。
しかも、事実上のオーナーが創価学会の顧問弁護士である山崎正友であり、そして、この男は創価学会の最高幹部で実質ナンパー2の地位にあり、通称「闇の帝王」と呼ばれて、創価学会の他の最高幹部たちからも崇められ、また恐れられているとの話が、私の集めた情報の中に入ってきていた。
しかし私は、どうしても山崎という男の立場も存在も、この情報通りに納得することができなかった。
私はヤクザであり、信仰とは程遠いところにいる人間である。しかし、信仰者特有の神々しい輝きや、聖職者がかもし出す独特な雰囲気ぐらいはわかるつもりだ。
しかし、この山崎には、それがまったく感じられなかった。逆に私はこの山崎という男に、私に近い悪党の二オイを感じていた。なにしろこの山崎は初対面のとき、ヤクザ者の私を脅した男である。
しかし私は、ある情報入手をきっかけに、山崎をワルであると認めることにした。山崎がすでに手形による犯罪行為を繰り返し犯している、との確かな情報を得たからだ。彼は、すでにリッパな犯罪者であったわけである。
それは私と出会う二、三力月前の事件だった。
東京都内に「掬水文庫」という、中堅どころの出版取次店があった。この掬水文庫が経営難に陷ったことを知った山崎は、「お宅の会社を援助したい。ついてはシーホースグループに加わらないか」と話を持ちかけた。
このときの掬水文庫の経営陣は、シーホースのオーナーである山崎正友が創価学会の顧問弁護士であり、また、シーホースグループが創価学会の関連会社であるという彼の嘘を信じて、この話を受けてしまった。
すると山崎は、「援助」と引き替えに掬水文庫の手形帳や印鑑をすベて取り上げ、シーホースの取引銀行で勝手に現金化してしまったのだ。
そしてその金額は、たった三力月で一億円にも達していた。
「なんだ。山崎は、ヤッパリ俺と同じ悪党だったんだ」
創価学会という宗教団体の最高幹部だなんて言うから面喰らったが、同じ悪党同士なら話は別だ。俺達は金に成りさえすれば、どんな奴でもかまわない。
それが、創価学会の最高幹部でしかも顧問弁護士ときたら、ヨダレが出るほどのカモである。相手としてなんら不足はない。この山崎が、「売り手形でもいいからぜひ欲しい」--と言うなら用立ててやろう。
そうした背景の下、昭和五十四二九七九)年十二月の初旬頃の出会いとともに、私と山崎の共犯関係が深まっていくこととなった。「類は友を呼ぶ」で、山崎が私達と同類の悪党であれば、私は何も心配することはなく、堂々と手を組み、協力して共犯関係になれると考えた。
詐欺の片棒を担いつつ、自分のシノギをして金儲けができると、私はこの男の望んでいた売り手形を用立ててやることとした。
この売り手形の買い付けが縁となり、その後はシーホースの社長の丸尾を通さず、山崎がたびたび、直接私のところに連絡をしてくるようになった。もちろん、売り手形を欲しがってのことであった。
私には、この「売り手形」を都合する度に、買い値に多少の上乗せをして小遣いが稼げるうまみがあった。そのため私は、山崎の依頼に積極的に協力していくようになったのである。
--------改頁--------45--つづく--