私は山崎正友を詐欺罪から救った! -- 2002/05
--アウトローが明かす巨額“手形詐欺”事件の真実--
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2 カツラをつけたボス
この貧相な男に向かって、丸尾が、「先生、先ほどお話した塚本さんをお連れしました」 と、私を紹介した。
ところが、その声が聞こえているのにもかかわらず、この男は、私を無視して顔も見ようともせず、相変わらず電話の相手と声高に、しかも口汚く怒鳴りながら話をし続けてい「バカ野郎、お前たちは誰に飯を食わせて貰っているのだ。俺の言う通りにしろ、俺の言う通りにできないなら、何時でも辞めていいんだぞ」
その後もしばらくの間、同じ様な怒鳴り声で、この電話相手と話していた。そしてこの電話が終わった後も、私の方には見向きもせず、また、他の所に電話をかけ、十四、五分の間私を待たせたまま無視し続けていた。
その間に私は、この部屋の内部を多少観察することができた。玄関を入ってすぐ左側にキッチンと思われる小部屋があった。私が座っている部屋がメイン・ルームなのだろう。
スぺースは三十畳ほどの洋間である。
ここを事務所として利用しているらしく、色褪せた黒の革張りの簡単な応接セット風の椅子が置いてあり、突き当たりにもう二部屋あった。その一つの部屋に大きなベッドがあり、ここの住人の寝室であることがわかった。
もう一つの部屋が、居間として使用されているようだったが、この貧相な男以外、この部屋には誰もいなかった。
ただ、灰色で長毛のチンチラ種と思われるかなり大きな猫が一匹、私の目に入った。後で聴いた話であるが、この猫は「ヨウヘイ」と名付けられていた。
この猫の名前のいわれは、山崎が当時仕事の関係で付き合つていた日本船舶振興会(現・日本財団)会長の笹川良一氏(故人)の息子である陽平氏(現・日本財団会長)から採ったものであった。
話は、前後するが少し説明しょう。
山崎は、昭和五十四(一九七九)年の七月に亡くなった日蓮正宗の細井日達法主が生前病気治療する際、笹川陽平氏の紹介で都内の笹川記念館にある病院に通わせていた。後に日達法主を懐柔し、日蓮正宗と創価学会の離間工作を仕掛けるわけだが、この山崎の謀略を知った笹川氏はその後、彼を信用しなくなる。
それまで山崎が創価学会の顧問弁護士の立場にあることから、笹川氏は彼の個人的な事業に対しても好意的に協力していたようであるが、それ以降、彼を猜疑の目で見るようになった笹川氏を、彼は一方的に恨み始めていた。
この間の事情を、山崎が私に話したことはない。
後に山崎本人から聞かされたのは、笹川氏との付き合いでイヤな思いをしたことがあり、かといって面と向かって「ヨウヘイ」と呼び捨てにするわけにもいかず、ネコに「ヨウへイ」と名付け、笹川氏との悔しい思いを、この猫に向かって「ヨウヘイ」「ヨウへイ」と呼びつけることで、溜飲を下げているということだった。
もとより笹川氏に非があるわけではない。にもかかわらず勝手に怨念を抱いて猫を悪罵して溜飲を下げていたというのだから、なんともふざけた悪趣味な話であるが、山崎の陰湿で屈折した性格を物語るエピソードであろう。
話を戻すと、メイン・ルームを入った右側全体に豪華な本棚があった。この本棚に陳列されていた本は、そのほとんどが法律関係であった。
これを見た私は、今、目の前にいる貧相な男には、この本棚の本は、まったく相応しくないと思つた。誰かほかの法律関係の人間が利用している本棚かなと思った。
「時間ができたから、すぐにでも会いたい」と言って呼びつけておきながら、その私を無視して、あちらこちらにと電話をかけまくっていたその男は、電話が終わると同時に何の挨拶もないままいきなり大声で、「おい、俺はな、お前らみたいな、ヤクザ者の脅しに乗るような男ではないぞ。俺は山口組の親分の田岡組長とも付き合いがある。お前らみたいなチンピラャクザに脅かされるような者ではないぞ」
と、怒鳴りながら私の前に座り、にらむような仕草でハッタリをかけてきた。
この当時、私は四十を過ぎたまさに現役ヤクザであったが、この時のように、初対面の人間に「チンピラヤクザ」と面と向かって言われた経験は、それまで一度たりともなかった。
私は、その言い草に腹を立てながらも、この男のハッタリに負けずに言い返した。
「おい、何だと、コラ! この野郎、その言い草はなんだ。エ、オイ、なんなんだ。アンタがどこの馬の骨で、何のボスか知らねえが、ふざけたことを抜かしてねえで、テメエ達がパクッた手形を、サッサと返しやがれ。このバカ野郎。テメエん所の野郎だな、この丸尾という野郎は。この野郎がウチの木村から手形をパクリやがったんだ。テメエ達が騙し取った手形を返せばいいんだよ。バカ野郎、その言い草が盗人たけだけしいと言うのだ。ふざけたことをヌ力すな」
このときそばに控えていた丸尾は、一言も口を挟まず、ただ黙って震えていたようであったが、私も、この男も、丸尾の存在を無視していた。
「パクッた手形を返せ、それ以外に、テメエ達なんかに何の用もねえ、山口組の親分の名前なんぞ出すんじやねえ、山口組の親分をここに連れて来られるんなら、連れて来い。それでもかまわないぞ。堅気のくせにヤクザの名前を使うんじやねえ。第一、俺は山口組の組員じやねえ。バカ、今、俺んとこの組は山口とは半目だ。要は、お前らが手形を返すか返さないのか、それだけだ。ふざけたことをヌ力してないで、さっさと手形を返しやがれ」
大声で怒鳴りながら、私は目の前に座つた男の様子を観察した。
この男は、身長が約一メートル六十五センチ位で比較的小柄に見え、メガネを掛けていたが顔色が非常に悪く、アゴには不精髭を生やし、頭には汚いカツラをかぶっている。皺だらけの背広に、煮しめたように薄汚れた白のワイシャツで、そのシャツの据をズボンから半分ほどダラシなく出していた。
ズボンも、いつ洗濯をしたのかわからないほどヨレヨレでヒザが抜け、それを引きずるようにはいており、どこから見ても「ボス」といわれるような大物には見えなかった。
ただこの男の目付きだけはメガネ越しであったが、なんとなくヤバイ感じがあった。
だが、ヤクザの目付きでもなく、しかし、普通の堅気の人間の持つ目付きでもなかった。
この男が、この豪華マンションの部屋の住人とはとても思えず、どのように見ても私には好きになれるタイプではなかった。
とてもじやないが、こんな男とは付き合いたくない、非常にイヤな感じを受けた。
そして、この男は、自分の名前も名乗らず、平然と、「ああ、わかっている。あの手形は、今は銀行に持ち込んである。明日にでも引き上げてくる。引き上げてきたらすぐ返す、だから少し時間をくれ。万が一、あの手形が返せないこととなったら、手形の决済期日前に、その分の金をお前らに現金で渡すから、そちらで決済してくれ。このことではお前らには一切迷惑はかけない」
初めて会った私を「お前」呼ばわりして、私の顔も見ず、続けざまにこう言った。
「丸尾、後はお前だ。残れ」
その後は、もうお前には用がないとの意志を身振りで私に示して立ち上がると、また電話のある方に向かった。そして、二、三日中に、丸尾から連絡させるから侍っていろ」--と、吐き捨てるように言うのだった。
まるで、ヤクザの親分が自分の若い衆にするような言い草に私は頭にきたが、これ以上ここにいても何の得にもならないと考え、この時はこのままおとなしく帰ることにした。
--------改頁--------34--つづく--